鑑賞レポート 856
コルトレーンの音楽の基盤には、教会音楽があった。コルトレーンのことを語った人の言葉、人のサウンドと同じでも、同じフレーズは吹かない、問題に立ち向かう人。気にかかることがあったらすべてわかろうとした。どんなに自由に動いても、最後にしっかりベースの部分に戻っている気がする。途中のフリーで動く部分、ぶっ飛んでいて何が何だかわからなかった。ボクサーが試合の前にアップするようにコンサートの前は吹き続ける。とことん音楽に向かっていく姿勢。バイブレーションの具体的な形はサウンド。インドの音楽、確かに何か気持ちいい。教会で何かわめいている人とコルトレーンのSaxが重なる。普通の精神の状態ではない。いつも、よりよくなろうと努力する。よりよくならなければ次の日には用がなくなってしまう。野外のライブでSaxを吹きまくるコルトレーン、何か取り付いているとしか思えない。1番最後の曲、何か暖かい感じがした。
【決定版これがオペラだ】
指揮者の動き、ダイナミックでわかりやすい。セビリアの理髪師、言葉はわからないが、すごく陽気な感じが伝わってくる。とても早いフレーズをまったく乱れずにこなしている。すごい。蝶々夫人、すごく大きな感じで歌っていた。カルメン、言葉がわからなくてもこういうことをいっているんだろうなとわかる。伝わってくる。アイーダ、すごい人数が次々と出てくる。スケールが大きくて、ステージが狭く感じる。トゥーランドット、パバロッティ、最期の盛り上がるところが何回聞いてもすごい。ボリューム、すごく暖かい感じが伝わってきた。トゥーランドット、まわりの群集のウォーという盛り上がりがすごかった。
【パトリシア・カース】
『トゥール・ドゥ・シャルム’93~’94』スケールがでかい、凛々しい顔が迷いなど一つもないかのよう。足取り一歩一歩の足の爪先まで神経が張り詰めている。間奏の間に舞っている彼女に見とれてしまう。彼女の言葉より、「いつも自分にいい聞かせる。きっとうまくいく、あがってなんかいない。歌い始めると感動で心が震える、だってみんながそこにいるから。」はしごのもとから椅子へと向かったときの顔の表情にはっとさせられた。なぜだろう。次の曲になったらぱっと表情が変わった。生き生きしていて楽しそう。しっかりと拍手が鳴り止むのを待ってメルシーといっていた。そういえばいつまにか衣装が変わっている。
客席の光、キレイ。アップテンポの曲になって全体に動きがでてきた。シャウトしている部分なんかはどうやって出しているのだろう。そのまま力を入れる?感情を込めればできるのか?もしかしたらこの部分だけ喉に力が入っているのか。衣装を変えるのはそこで気持ちを入れ替えるのに役立っているのかも。まったく声の雰囲気が変わる。床に座り込み、水をすくい上げるシーン。はっとさせられた、キレイ。衣装を脱ぐときバサッと落としたりしない。手を伸ばして、もったいぶったように落とす。ぴたっと止まった部分、しばらく時間が止まってた。
『円を描いて続けていくようにフレーズをとることetc.』彼女の歌い方は円を描いて続けていくようにフレーズをとっている。しかも等速ではなく評表拍でぐーっとタメるように歌っている。シャッフルだけでなく8beatも同じようにとっている。これが彼女のフレージングなのだろうと思う。また、大きくフレーズをとるところでは円を大きくまたリズムも大きくとっているように感じた。しかし円のタメのスピードは常に一定になっていると思えた。さらに、ドラム・ベースレスで歌うとき、ぐっと後ろにタメている。リズムは大きくずれるが快かった。見事に崩している。声は、とても豊かだと感じた。甘えてしなだれかかるようであったり、突き放すようであったり…可愛い女になったり色っぽくなったり、果てはゴジラのようであったり。表情豊かな声だ。一本調子になるはずがない。
ギターソロや管のソロのとき、ギタリストや管はそのままの立ち位置で、彼女は相変わらず中央にいる。やりすぎかとも思ったが、それで場のテンションを下げていない。彼女の空間を満たす幅の広さを感じた。また、歌い出す前、スッと姿勢を正したとき、胸のあたりが鳥カゴのように、つまりは背中が胸の方にぐーっと反っていた。レッスン中姿勢を教わったとき、“鳥カゴのように”という言葉が出た。これがその言葉の指している姿勢なのだろうか。試してみた。背中が痛くなった。しかし、まだまだ試してみる価値はありそうだと思う。しかしながら、無茶な姿勢でも変わらぬ声が出ている。なるほど、とも思う。
【ビートルズ】
この4人の、一体何が当時の世界中の人々の心をつかみ、そして、時代が変わっても今だに語り継がれ、多くの人々が聞いているのだろう?シンプルな声・シンプルな歌・シンプルな演奏・コード進行、4人のうち誰一人として、いわゆる声のきれいな美声の持ち主はいない。ライブのでであろうか、マイクがよくなかったせいであろうか(向かって左側のマイクは彼らがシャウトするたびに首を横に向き、とても歌いづらそうで気の毒だった。ぼくの方が気になってしまった。あれは完全なる音響さんのミス。昔のNHKの箱形のマイクでもあんなにひどく揺れはしない。余談だが。)、それほど歌のうまい人もいないとぼくには思える。考えてもわからないし、時代背景をリアルタイムで見ていないので(この映像のとき、ぼくは赤ん坊だった)、よくわからない。
そこでまったくのぼくの憶測で話を進めることにする。あくまで私見であるので、その考えにとらわれてはいけないと自らに戒めながら。
歌うために、いわゆる見本の声というものがあって、その声を“つくる”ためにトレーニングをする。見本の声の通りに出せる者はいい声の持ち主と呼ばれ、その美声で見本(楽譜)通りに歌える人は歌がうまい人と呼ばれた。
だがビートルズ4人の歌声はいい声でもなければ、4人は歌のうまい人でもないと思う。その詞(ことば)・その曲の持つイメージをダイレクト・シンプルに具現化しようとしている若者たちだった。あの声がいい、この声がいいとかあの声を出そう、この声を出そうとかいったことではなく、詞や曲やリズム・情動・感激・感動を表現しよう・伝えようとしたら、その声がひとりでに出てきたという感じに見える。だから声が聞こえてくることは聞こえてくるのだが、もっと聞こえてくるのは“歌”そのものだ。歌の世界だ。だから声はきれいでなくても、歌はうまくなくても、すごく感じるものがある。情感がある。心にひびく。心に届く。それが当時の世界人の人々、そして現在までも世界中から支持されている要因なのではないのだろうか。自分たちが受けたインスピレーションや感じたイメージ・世界を自分たちの声で表現する。ぼくにはこの4人がそう見えた。
何か自分のなかに希望らしきものを感じている。ぼくのきれいでない声で、うまくない歌で誰かに何かを伝える・与えることができることがでいるのではないかという希望だ。世界でたった一つしかないこの声を鍛え上げて、素晴らしいもの・美しいもの・人間の営みの感動を伝える努力を積み重ねていけば、ぼくの歌に心動かされて喜んでくれる人がいるのではないのだろうか。
Yu先生のことば「自分の声は世界中でたった一つ。その声を愛して下さい。」を思い出す。「人間には誰でも可能性がある。自らを愛し、自らを育てていけば、必ず功成る」。そんな気がしてまた努力しようという気持ちになっている。とにかく今は具体的な努力が大切だと感じている。理を踏まえて行動することが大事だ。いらない自分を常に壊しつつ、地道に歩みたい。そして次の世代の子供たちに自らを信じて努力を積み重ねることが大切なのだといえる自分でいたいと思う。もっと謙虚で素直でいなければと思う。
【キャスリーン】
キャスリーンを見ていて一番感じたのは、一流の人はみなそうかもしれないが、あんなに長く息を吐いている(声を出している)のに、ほんの少ししか息を吸っていないように見えること。大きく声を出しているところでも、ほんとに最低限の、少ない息をほとんど声にかえて、最大限に生かしている。もちろん腹筋がきたえられていて、息も思うように吐ける上でできることなのだと思うが、息を声に変える効率が高ければ、そんなに息の強さなどいらないのではないか、と思わされてしまう。息をうまく声に変えることもどこかで気にしながらやっていかなくてはいけないなと思った。
Swing Timeでは自分のリズム感のなさを感じた。ジャズとかブルースのような、お互いのかけあいで成り立っている音楽にあこがれる。でもそれは、お互いに正確なリズム感が回っていてこそ成り立つもので、本当に体のなかにリズムが流れていないとできないことだとわかった。自分は体を動かして必死にリズムをとっている段階。ズレないように集中していても、いつのまにか、ウッタ、ウッタと聞こえていたものが、タッウ、タッウになってしまっている。ドラムソロのところなんて、早すぎてこっちはわからなくなってしまっているのに、あの人達はしっかりとリズムが聞こえている。
これからいろいろな音楽を聞いていくことで、この差がうまっていくのだろうか。
オーティスは、一つ一つの言葉のインパクトが強く、何かを伝えようとする力が伝わってくる。伝えることがメインだから(それはあたり前だけど)音にはのっているけれど、言葉が第一で、言葉だけでも十分に伝わると思う。それにリズム、メロディをつけることで何倍にも増幅されているのがよくわかった。こうでなくては意味がないんだ。言葉で伝えることが第一であることを再確認した。言葉で伝えることがまだ全然できていないのに歌おうとしていることが、そもそも間違いなのだろう。自然に言葉で伝える練習をもっとやっていこうと思う。
【ティナ・ターナー】
すごいパワー、ほとばしるエネルギー。聞いていて涙が出てくる、なぜ。このあいだ「TINA」を見たことも影響しているのかも。かすれた声は魂の叫びみたい。スポットライトが上に、天に伸びる。ギタリストを二人抱き寄せて、Sexy、楽しそう。踊りまくる、シャウトする、パワー、パワー。でっかいスタジアム全体がゆれる、跳ねる。ティナのステップは面白い。シャウト、すげえ、この人、体がものすごい。歌い終わった後のすごくうれしそうな顔、いい顔をしている。客を静める、後ろに下がらせる、事故が起こらないために。笑った声、深い。激しい踊りをキープできる体力。客と一体のステージ、飽きない、次から次へと、これでもかと楽しませてくれる。あ、ワイヤレスに持ち替えた。客の方に出てくるな。やっぱりそうだ。オーディエンスとの掛け合い、楽しそう。ピアノの人、いい声している。最後の曲でステージ袖からでてきたティナ、すごくかわいい表情してた。
バンドネオンを初めてアップで見た。あんなにいっぱい押すところが付いているんだ。すごい汗をかいている。音が重なって絶妙のアンサンブルですごくいい感じ。ピアノの人がバイオリンのソロを聞いていてうなずいていた。バンドネオン、空気の出入りが見てわかるだけに、フレーズにおける呼吸の面で勉強になるかも。しっかりと伸びきった後に一気に空気が追い出され(そこにスピード感がある)大きな流れをつくっている。バンドネオンと一緒にピアソラも呼吸している。バンドネオン、ピアノ、ギターが自由に動いていてもベースだけはしっかりとリズムをKeepしている。ピアノの音の粒がしっかりと揃っている。一つ一つの音をすごく大事にしているのがわかる。何がなんだかわからないけどすごい、引き込まれる部分がある。チェンジオブペース、ゆったりした部分から、一気に加速する。その変化でグイッと引っ張られる。決して間延びしない。
【マリア・カラス 】
朝10時に音楽院にいき、最後のレッスンまで他の生徒の声を聞いていた。誰でも一つ取り柄があるもの。チャンスを見逃さない目を持っていて、音楽と声で何かをやり遂げようとしていた。準備に2週間あれば充分?そんな短い期間でいいの?でも逆に考えれば彼女のような天才的なソプラノでもそれだけの期間をかけるということ。演技がわからなければ音に耳を傾ければよい、作曲者がすでに考えている、いろいろ考える必要はない。
舞台に出るのが怖いといっていても、いったん舞台に立てば別人のようであった。こういうのは舞台に立つものなら当然のことなのかもしれない。彼女は他人からの反応が全てだった。意外な感じがした。もっと強引な人(私生活においても)なのかと思っていた。彼女の声、あまり好きではない(特に高音)けれど、それでも何か引きつけられるものがある。悲しい歌声、悲劇のヒロインという役ばかりで、一度こっけいな役が回ってきて喜んだといっていたけど、やはりこの人の声は喜劇よりも悲劇という感じだ。ジュリアードで教鞭をとっていたというのも初めて知った。そのときも再び舞台に立つため、自分の練習をかかさなかったという。それだけ音楽に舞台にかけていたのだろう。
【Yes Song】
『1つに決めなくていい』まるでオペラの始まりのようだ。バリバリのオーケストラ。ピッコロ?何か浮いた声。総量のなかで足りない感じ、声・量じゃない質が。演奏は?ギターが音のばす。キーボードの和音が底流のように流れる。抑制された美しさの音。ビョーンとひいちゃいけない、フォワンフォワンと出す。一枚紙をおいて出しているような音。不思議な感じ。こういう音達にこういう声か。最後のチャチャチャチャチャーはどうだろう。カッコイイ?グッとこない、今は。どういうイメージの曲?声をまさに楽器の一つとしてみているのだろうか?でもヴォーカルのマイクボリュームもう少しあげた方がいい。ハーモニーになってやっとバランス保てる、全体の。ドライアイス?まったく見えなくなちゃった。かなりはやい流れ。霧が立ちこめる、じゃない。霧が流れるだ。何だろう?君は何を感じる?といわれているよう。ぼくは先に行っているよといわれているよう。山の頂で神と交信するか?稲妻も走る。イメージのなかで遊ぶ。誘ってくれる別の世界へ。楽しい。ここも音がホワンホワンしている。このフレーズ中国の音階?に似ている、リズムも。
船出だろうか。船は滑るように進む。まだ岸が見える。手こぎからモーターへスピードアップする。何人かで乗っている船だ、何人だろう?1回切った。前後同じなのにそこで新鮮になる。どこにいく船だろう、未来に行く船、いやが上にも進んでいく感じ増すドラム。中国の楽器のような音。使う音も。おもしろい。演奏している本人にイメージが確固としてあるからこちらに何かしらかが伝わってくる。細かいドラム。ドラマーは腱鞘炎にならないのだろうか。見ている方がなりそう。トゥットゥッカトゥットゥツ、ギター2音押さえてるんだろうか。おもしろい音だ。しかし、しっくりしない声。ギターのウーンというおもしろい音。かわいらしいコーラス。全体は荘重なのに。こういう組み合わせもあるんだナ。なぜこうなる?声質か?高みまでいった、落ち方が気持ちいい。普段の歩きに戻った感じだろうか。体のなかの緊張が溶ける音だ。揺らす、揺らされた音の美しさ、上昇させていく音、神様のもとに連れていく音、嗚呼。死者に会う、あなたの頬を撫でる人は?神?何を思っている?あなたは素敵で美しいままだ。素晴らしい曲。死者に会わせてくれた。
生ギター、アコースティックギターの音色の美しさ。トゥルットゥルッの2人のズレの楽しさ。クラシックギターのロマンティックな激情。五臓六腑にしみわたる音色。遊ぶ単音の楽しさ、トレモロとの対比。この全体の流れのなかでこの部分、際立つ。アクセント。優雅で美しい。2本のギターを絡ませる。ベースの音が上がった、少しテンションが上がった、少しずつだ。ベースの音はこういう風に働くのか。ピアノ水面のきらめきのような、音が転がる、コロコロ輝きながら。弾み始めたときに走り出す。ステップを変えている、ジャズ踊りたくなった?そしてドラマチックに。「音」あらゆる音が入っているんじゃないだろうか、音を愛している人達。あれはラグ・タイムピアノのようなギターだなあ。全部やって全部あるのがYes。こういうのもありか。韻を踏むようなリズム。好きだ、こういういろいろあるの。どうして好きなんだろう。一つに決めなきゃいけないのが嫌なんだろうか?決めなくたっていいんだよネ。楽しい。楽しい音、音楽。正に。堪能する。
【宮下富実夫】
『不自然さ』ライブのタイトルに胡散臭さを感じながらも少々の(そして大きな)期待から観に行き、そして案の定というか、失望した。最悪。音色の発表会としかいうほかはない曲。人工的という他はない不自然さ。途中に挿入される海や山のビジュアルだけの方がどれだけ感動できるだろうか。これを“ヒーリング”というのだから苛々してしまう。どこぞのカルチャー・スクールのような話をくっつけて、それがいったい何?という思い。「癒されたと感じる人は既にそれ以前に癒されている」と誰かがいっていた。単にそれを気づかせるための媒体にすぎない、と。その意味でいうなら、まったく癒されていないのか?つまりは自分自身の問題なのか。もっともっと自身を見つめ、深い出合いや優しさを発見すべきだろう。話のなかでこういう言葉があった。信じてみたい。―外に求めるのではなく、内にある―
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【イタリアの食と街と人と~】
ブレッサローネというところは、スイスと似ている気がした。ジローさんの友人しかつくらない、モミの木のミツというのがあるらしい。何にかけるのかな?野菜のマリネと、やぎのチーズ。(北イタリアの太陽にあたらない人達にとって、生野菜はぜいたくらしい。)ウサギ肉は、鳥肉に似て、サッパリしている。2人の会話を聞いていると、語尾を上げていて、丸みがあって、柔らかいひびきだった。ヴェローナというところは、ロミオとジュリエットの伝説の街だという。造りがロマンチックで、素敵なところだ。アレーナ・ディ・ヴェローナは、かつて闘技場だったところで、オペラ・コンサートが開かれていた。12時を過ぎても、みんな帰らずごはんを食べる。パンつくり、上から押し付けるのではなく、粉を手前から押すように。指ではなく、指の付け根で、くるくると伸ばす。野菜売場では、色彩豊かな商品の数々。イタリア人は形のよさとか、並べ方とかは気にしていないという。トスカーナ地方のキャンティ・クラセコー(ワイン)はいく種類ものぶどうを混ぜて、ブレンドしているという。ぶどうは20~30年のものが多い。生産年から3~4年で飲み頃になり、華やかな味になるそうだ。手摘みで、香りを失わないようにする。グラスを回すのは、味と香りを混ぜるため。300年近い歴史を誇る肉屋に、生ハムが沢山吊されていた。白いカビがサラミの完成を見極めるPoint。
ナポリ人はうるさく、オーバーアクションらしい。チーズ入りの菓子パンがたくさんあって、アイス・コーヒーならぬ、コーヒー・シャーベットがあった。トリッパ=牛の胃袋をボイルして食べるおやつがあった。歯ごたえがあっておいしいらしい。香水の偽物を売っている出店も多いので注意。ナポリのピザは手だけで伸ばしていく。マルゲリータはトマトソースでバジルを使ったシンプルなピザ。ここでは、まきを使って高温で3分くらいで焼く。薄くてパリパリだけど、中身はモチモチというのが彼らの好みらしい。ビトントでは、生の魚を。コンクリートに打ちつけて筋を切る。ウニやタコなど生魚を食べるのはイタリアでも珍しいらしい。ジェラートのブリオッシュサンドとコーヒーのグラニータ生クリーム添え、おいしいらしい。シチリアといえば、お菓子が有名でイタリアの中世は甘い味だったということだ。
日本でもそうだったが、砂糖は高価で、富の象徴。アーモンドや、ピスタチオも有名。フルーツ形のお菓子、やがて、やがて、全土に広まる。海辺は材料も新鮮で、日本からも買い付けにきる人がいる。ヴァストジラルディというところでは畑はないけど、みんな自分の楽しみで、ワインをつくっている。ワイン、チーズ、サラミは定番。友人宅のはしご。手づくりの料理でもてなす。陽気な人達、とにかく楽しそうだ。以前、占い師に手相を見てもらったら、「美しいものを見たり、おいしいものを食べたりするのが好きでしょう」といわれた。それは当たっている。私のなかにも、イタリア人と共通するものが少しはあるらしい。