一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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投稿   858

 

中華の料理人の人が弟子に「客の人生のなかの一膳をお預かりするということだ」といっていた。たった3分間でも、聞く人の人生の時間を預かって聞いてもらっている。、

 

トレーナーが「バシッと打つ」といったとき、長嶋監督のことを思い出した。当時現役バリバリ、巨人の中心だった長嶋選手にある記者が訊いた。「長嶋さん、バッティングのコツは何ですか?」長嶋「きた球をバシッと打つことです」記者「…」。今日のレッスンの内容とはまったく見当違いな話なのかもしれないが、そういえば長嶋選手はバッティングで大切なのは力ではなくスピードとタイミングだといっていた。そこから「バシッと打つ」という言葉が出てきたのだろう。

 

ここの前にダイダイだろうか、大きな実をつける木がある。街路樹にしてはめずらしいと思って見ていたのだが。今日見たとき、上の方の枝が折れ曲がっているようで近寄って見てみた。それは判らなかったがたくさんの新しい実をつけているのに気づいた。この冬も大きなダイダイ色の実をつけるのだろうか。ふと、幹にフダが掛けてあった。「この街路樹は歩行者の通行の妨げになるため7月下旬に伐採いたします」…「お気づきの点がありましたら、こちらまでご連絡下さい」私は何もいえなかった。たくさんなった実、そのあおい実を一つ持って帰ることにした。

 

『「自分のため」というバックグランドを持って自分のテンションを自ら高めていくことは何かを成し得るには必要なこと。』(平尾誠二

 

心を静めよう。

 

ちょっと力を抜いてみる。

 

昔のポップスが好きです。当時の人は歌がうまいとか声がどうとか、そういったまじめな理由ではなく、間の抜けた歌詞が単純に面白いからです。海外の曲に日本語の詞をつけたものは特にすばらしいです。(へんてこさが)

今回のレッスン、曲名が知りたかった曲が入っていたのでうれしかった。レッスン後に確認させていただいたところ「GO!GO!レンタカー」というタイトルでした。おそらくレンタカーでデートすることがとてもカッコよかった頃の唄なのでしょう。近所のCD屋を探しましたが入荷していないとのことなので、秋葉原に捜しに行く予定でいます。

 

有線放送で昔のポップスだけを流すチャンネルがあります。有線放送に加入している職場で働いていたときはいつもそのチャンネルばかり聞いていました。忘れられない曲がたくさんあります。「マッシュポテトのリズムで木魚叩けばイェイェイイェイ」という、悪い薬でもやりながらつくったとしか思えない唄もありました。途中で「鉢巻きした鯨がタコを背中にのっけて踊っているんじゃないか」という歌詞が登場するのです。こうなると水中クンバカも空中浮遊もどんとこいであります。だいたいマッシュポテトってなに?

もっとも「ルイジアナ・ママ」などの有名な曲も、日本語の歌詞をまじめに読んでみれば相当すっとこどっこいなことを歌っているのです。でも素敵。こうした過渡期の音楽(日本の音楽はいつまでたっても過渡期かもしれないが)が復刻されていつでも聞けるというのは、けっこう幸せなことだと思います。少なくとも私個人としては。

 

人間の持つエネルギーについて。エネルギーというものは出し続けているとあるときふっと一段階上のランクへいける気がする。今までそこに達するのがとても大変だったのがあたりまえになる。そしてまた次のレベルをめざす。ティナ・ターナーなんて信じられないようなパワーを持った人だけど全力で自分のエネルギーを出し続けてきた結果なのだろう。出せば出すほど増えてゆくなんて人間にしかできないことだ。出し惜しみせぬこと。

 

戦場で花を摘んでいる女の子がいるっていう噂を聞いて私は軍隊に志願したんだ。どちらが勝とうが負けようがどうでもよかったから軍服がカッコいい方を選んだよ。彼女が花を摘んでいるという地域は激しい戦闘が繰り広げられるってさ。今、兵士達はもう何のために戦っているのかよくわからないみたいだ。いやむしろ最初から理由なんてあやふやだったのかも知れないね。彼らはただ殺しているだけさ。私もその血の流し合いに参加した。―そして銃を撃ちまくりながら彼女を探したんだ。だけどあたり一体薙ぎ倒された木や瓦礫、死体―そんなものが燃える炎や火の粉や黒い煙やらで彼女はおろか一輪の花すら見つけようがないんだ。兵士達にも聞いて回ったけど誰一人彼女を見たことのある奴はいなかった。だけど皆彼女のことを知ってたよ。それでも―だから―私は彼女を探しているんだ。

 

 

 

 

 

 

おすすめ

 

 

ミゼレーレ

鳥肌が立ってしまった。パヴァロッティ〜ズッケロに移行するときの、ズッケロの引き受けるテンションと、一音目の出方、すさまじいです。大音量で聞けば聞くほど、鳥肌の数も増えるというもの。パヴァロッティの声楽的な発声(これは誤解を生みやすい表現ですが…)が大きさ深さともに迫力で空気を振動させてきたあと、前方にある一つのものに向かって一直線に語りかけるようなズッケロの歌いだし。その後も二人の力の均衡が楽しげに大いなるゆとりを持って展開し、魅了してくれる。

 

佐渡ひろしさん(指揮者)

出演している番組を見たのだが多くの人間が彼の何にひき込まれるか、音楽のよさもわからない年寄りが何にひかれるか。やっぱり何かにかけている情熱、あつさが音楽を通して、言葉や行動を通して伝わっていくのだと思う。私にはまだ音楽を通して人に何かを伝えられていない。どんな人間も真剣に学ぶと目が輝いてくる。彼の話を聞いている中学生の瞳が本当キラキラとしだして驚いた。魚がくさったような目はだめなのだ。

 

「やすし・きよし」の漫才

映像をレンタルで全巻見ました。私は最近の漫才を見て笑うことはまずないのですが、彼らのは無条件に笑ってしまいます。細かい分析(たとえば横山やすしの身のこなしは、演劇人も絶賛するようです)はおいといて、「見る者の感情の蛇口を全て全開にする」ようなところがあります。これは、私もめざすスタイルの一つです。彼らのネタ自体も決して秀でているとは思いません。ネタを文字に起こして読んでみたとき、それだけでは特におもしろいとも思えないからです。そんなときに、福島先生の本のなかの言葉が思い出されます。「感動のウラには必ずパワーが支配しています」恐るべきパワーで、日頃の練習により築かれた精密機械のようなシステムを稼働させる(しかし、「練習」という言葉は、微塵も感じさせない)結果、あのような結果が生まれると思う。「キャリアや前歴なんかは、結果を出した後の裏付け証拠となるだけ」という横山やすしの言葉は、私の好きな言葉です。

 

アメリカの音楽のルーツをたどる旅

それで初めて地元の教会でのミサを見た。日本の合唱団とはまったく違ってみんな手拍子で合わせるというより思い思いに叫んでいるという感じだった。子供も大人のように体をゆらして歌っている。歌というより叫び。自由になれ幸せになれという叫びだった。びっくりした。けど感動だった。本当に自由だった。ドラムも入っている。よく感覚の違いといわれているけど、あれを見るとなるほどと思う。体が動くこと、手を叩くこと、歌を歌うことが自然だった。表現、いいたいこと、伝えたいことがある人たちだった。