一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン録  【Holidays】16664字  863

レッスン録  863

 

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レッスン課題曲

 

【Holidays】

 

 「いつも何かを求めすぎて疲れてる」

 声の表現ということでいうのであれば、今は歌の前の台詞(せりふ)ということでやっています。でも、ほとんどの人は、ことばを読んでいるだけです。少なくとも聞き手というのが聞いてあげるのでなく、歌い手が歌ってあげるのですから、当然、表現が耳に飛び込んでいかなければなりません。それがベースです。

 

 そして歌はその音の変化した上にあるのです。だからよりインパクトが強くなければならず、体も必要です。今、歌の前に、言葉だけをやっていますが、言葉でも相手に伝えるために、それだけ体も使わなければいけない。逆に言葉で処理できないものを歌で正しくは処理できません。

 

まず体からきちんとした声を出すことです。できないのでなく、やっていないだけです。それをやらないことには何も変わっていかないのです。

 

 

もう少し短くしましょう。

正しくいうことに意味はないのです。

題材を読むことは中高生でもできますから、それだけなら、何年、やっても何もならないです。

 

「いつも何かを」だけやりましょう。1つにすることです。「い・つ・も・な・に・か・を」では、自分の体のなかでひらがなを音に置き換えて読んでいるだけです。何も動いてこないし、何も表現できません。体も息も必要ないわけです。前もいったとおりトレーニングが成り立つにはそこに必要性を与えていかなければいけない。必要性のないものは身についてこないのです。

 

 あごは上げずに引くことです。最初は自分の声がわからないので、録音して聞いてみると共に他の人の動きをきちんと見ておきます。

 体で使えていません。体を使えないのが悪いのでなく、体を使おうとしないのが悪いのです。そこで体が使えないのに、歌になったときに体に入ってくることは絶対にありません。

 

 

 私は話すときも、無意識のうちに必ず腰で支えて全身の動きのなかで声を捉えています。声というのは、一種の力で出ていくものですから、後で声が宿ったらどう使っても自由ですが、今は当然トレーニングとして意識して変えていかなければなりません。できなかったら意識して変えていかなければならない。それで最終的に感覚が変わらなければいけない。感覚の変わることが中心です。

 

 他の人のを聞いて(ああ、この人はここでやっている)というのがわかってくれば、自分の出した声を聞いてみてわかるようになります。体で読み込んでいくというのもそういうことです。それから声に肉をつけていかなければいけない。地声というのはそういう声です。結局、声の支えているところがあって、そこでいろいろな音色が出てくるわけです。

 

 「いつも何かを」という歌い方はきれいかもしれない。でも、そこからの発展性がない。発展性がなければ、そこで歌ってみても通用するのかということですぐ判断するのです。皆のやっていることはトレーニングですから、可能性を大きくするためでなくてはいけません。今の声のなかにたとえ高いところがとれない、大きく出せない、発音がうまく回らないといったところがあっても、後で伸びていくところを直感的につかんでいかなければいけない。それが根本です。

 

 

 今、完成させることは考えなくともよいが、体としての表情が出てこなければいけない。最終的に顔の表情も出てこなければいけない。先に形をつくってしまうと体がついてきません。

 

 素振りでいうと、手先でなく腰で振ったのだということが大切で、最初はそれで打てても打てなくてもよい。打とうと考えてしまうと今はそれでは動けません。同時には使えない。ある程度慣れている人はそれを前に出していくことを考えていく。

自分のなかで「いつも何かを」と響いていることはどうでもよい。最初はそれを意識してとっていくのですが、それが出てきたら、今度は外に自分の声が伝わっている先のところで捉えなければいけません。

 

 要は聞いている人がどう聞くか、聞き手にどう伝わるかというのが問題です。自分のなかでどう回っているのかというのは基本としての問題です。最終的にどのような聞き方をするかというと、それがどう空間に働きかけているかということなので、自分でコントロールしていかなければならない。それから、いろいろな人を聞いてみてわかりますが、いつもここだけでやっている人、もう少し開いてやっている人、体からきちんと入る人、それによっても違ってきます。

 

 

 もう一度「いつも何かを」をやってみましょう。

ひらがなで開かないこと。特殊ないい方ですが、「いつもおー」「何かをおー」と日本語はどちらかというと開いていきます。これを閉めていくのが、基本です。

ひきしめていく。始まったところにきちんと戻る。

 

英語というのは全部「吐息先行」という流れで、息がこういう流れで、その中心のところで強アクセントをとります。これが拍になって戻っていく。だから「い・つ・も・な・に・か・を」という感覚はない。「タータ、ターオ」こんな感じです。

 

こういった方が体が使えるのと、単純になるということです。だから「いつも何かを」を1つに捉えればいいのですが、できなければ2つでもよい。ただ6つに捉えてはいけない。ましてやそれを8つや10つくらいにならないように単純にやった方がいいということです。

 

 

 実際の歌の表現とヴォイストレーニングの違うところは、実際の歌の表現のなかには、いろいろなノイズや音色が入ってもよい。「いつも何かを」このような表現が好きであって、歌にそういうイメージがあるのならそれでも構わないわけです。

ヴォイストレーニングというのは一番どまんなかに球がきた時にホームランを遠く打てるところをやることです。外角にきたときにバントでも何でも塁に出せばよいというのは結果の世界、試合の世界なのです。

 そのときにはそれなりに対応しなければいけません。対応できる力、変化できる力をつけていく。そのためにどまんなかで完全に打ち返すことをやるのです。どまんなかばかりやっていて外側にいったら、ついていけないのは基本ができていないということです。応用できる可能性は常に持っていなければいけない。

 

 それと共に、ヴォイストレーニングのなかで「これはいえていないのだ」という判断を自分でつけていく。ものすごくシンプルです。どこかが邪魔しているのは、きちんと取り出せていないからです。それは録音を聞いていれば自分でもだいたいわかるはずです。今は自分が出して同時にやっているからわかりにくいのですが、歌い手はそれをわかっていかなければいけない。

 もっとスローな曲でしっかりモニターを見てヘッドフォンで聞けばいいのですが、プロでもそうやらないとなかなか聞こえない。自分の声を知り尽くしてからでないとわからない。ただ、いずれそのことはわかっていかなければならないことです。

 今はそれを体の感覚、空間や表現のベースの雰囲気のなかでやっていく。「いつも何かを」と出して、今「に」が強く入ったと思ったら、その「に」のところだけを正していく。正しい練習にすることです。その正しい基準ができたところに「いつも」を合わせていく。こういうことを修正かけていくのです。

 

 ヴォイストレーニングというのは自分で修正をかけていくことです。こちらもある程度方向づけをしていきますが、「ダメ」といっていると全部できなくなってしまいます。とにかく自分の体を楽にしてみて、息を吐いてみて、できるところまでのことを出していく。

 一番大切なのは集中力です。それがないとコントロールできない。いつも私が悪い見本をやる時には顔を曇らせて、どこかを部分的に片よらせて使います。気を抜いたら部分的に力が入ってしまう。だから何十年もやっていても上達できない人というのは集中できていない。きょろきょろしながらやっている。そういうのは、鈍いわけです。

 これは性格がどうこうというのでなく、スタンス、覚悟の問題です。ステージは鈍かったらよくないです。人前に立って何かやるというのは、お客さんよりも勘がよくて鋭いことをやって、そのことを皆に見せるという人でないと続かないわけです。タレントさんでも同じです。それは慣れていくしかないし、慣れていかなければならない。鍛えなければならない。それなのにより鈍くなるようなことをしていては絶対によくないです。

 

 

 たった1つのなかでどこが一番いいのか悪いのかわからない。それができなければもうやめて、「ハイ」「アオイ」を練習しようという比較の基準をつけていくというのは今の練習の1つのやり方です。

 

 では、「ハイ」から入ってみましょう。「ハイ」「いつも」「なにかを」全部同じところで。その時間が違うのは、全部正そうとしないからです。歌の場合スピードの方が大切ですから「ハイ」といった中に全部を入れていく。腹話術のように考えてもよいしょうす。体を同じように使う。体と声をつなげていく練習です。よくわからなければ自分がリラックスした状態なるだけ変なところを働かせないということです。

 「ハイ」の後に「いつも」か「なにか」のどちらかをつけてください。

 

 「いつも」を選んだ人は皆失敗していますね。個人差というより「いつも」が難しいのです。「イ」「ウ」「オ」全て前に出にくい言葉です。「ア」「エ」が深くなって「イ」「ウ」「オ」がもっともっと深くならなければとれない。だから単純にいうと初心者には「イ」「ウ」は難しい。ふつうの日本語を使っている人はカ、サ、タ行も外に開きやすくひっかかりやすいです。「ダ、ゲ、ゴ」を使っているのはきっかけがとりやすいからです。「ハ」もそうです。お腹を使えて声が出やすい。要は自分の耳を磨いていけばいいのです。

 「いつも」が3つに聞こえる人と、2つか1つに聞こえる人がいます。これはその人の意識や感覚の違いです。どれが間違いということではないのですが、今やってほしいことは1つにした方がそれだけ体がいっぱい使いやすいということです。

 

 

 特に女性の場合は最初は男性よりも大変です。これは日本では女性が太い声を出さないように育って声をつくっているからです。それはできないのでなく、使っている回数が少なかったということです。男性のなかでも個人差があります。ここに入ると大きな声の出る人と2年経ってようやく出てくる人と、それはそれまで使っている声の個人差です。そこの部分も1つの要素です。

 やっていない人は切り替えていかなければいけません。切り替えていくとは新しくつくっていくのでなく、今まで自分がそれでいいと思ってのどに邪魔させて楽に出してきたことを、今度はそれを体に戻して、きつくてもきちんと出していく。それにはそれだけのパワーが必要になります。

 音域のことより音量、声量から入っていってほしい。音域、声量のとれているところから音域がひろがっていくという形をとった方がよい。そうでないと前に出てこないので直しようがない。口のなかでやっていても、合っているか間違っているか問えないのです。声の出る人も、先のことをやっていかなければいけないと思うのです。

 

 「ミレミレドレミ ミファミレドレー」これで「いつも何かを 求めすぎて」です。「いつも」が邪魔なので「なにか なにかを」にしましょう。そういう置き換えは自分のなかでやっていけばいい。それでも難しければ「な」を「ア」にして「アイアオ」という形にしても構わない。ただ、母音よりも子音の方が出しやすい人もいます。「アイ」というよりも「ハイ」という方が出しやすいなら、それでよい。これを「ミ・ファ・ミ・レ・ド・レ・ミ」と聞かないで「ミー レー」だけで聞いて欲しいのです。

 「ミ・ファ・ミ・レ・ド・レ・ミ」で歌えるかも知れないけれど今やりたいのは歌よりも声の基本のことです。そうするとなるだけ単純に捉えた方がいい。「ミファミ」(なにか)の音を「ミ」(な)ととってしまって「なにか」を同じところで捉えればいい。どうしても我々は歌となるとメロディをとっていく。そうではなく強弱でとっていく。そのときに「ファミレドレ」と聞こえていても「ミ レ」とこれだけで捉えます。

 

 私がそういうやり方をとっているのではなく、外国人の感覚がそうなのです。それは強弱で進んでいます。そのなかの強いところをより強くとっていくことで、音程を含めてしまうのです。だから音程をとるという感覚はあまりない。とろうとしたら間違う。とれていないといけない。音感というのはあります。「何かを」(言葉)「何かを」(音感)このくらいの感覚です。これは一般の日本人の持っていないところの感覚です。持っていないだけで持てないわけではないのです。そこを直していくというより、新しく順応していけばいいのです。

 

 

 これは日本人が英語をしゃべっていてもうまくならないのと同じです。何となく通用するためにはとにかく強いところは強く出し、後はいい加減でいいわけです。日本人がきちんとトレーニングして、「なにかを」を全部いわされます。逆に向こうなら「ミー」といって、そこに「なにかを」と入れてそれでいい。

それ以上はっきりといってはいけないのです。強いところをより強くいうために、強くいわなくていいところは全部ぼかしてしまうのです。それは言語の感覚の差です。

 自分のキーで1つの音で「ハイ」「なにか」をやりましょう。

 

 あまり顔が前に出ると、のどに響きやすくなり体の支えがなくなります。日本語は実際の歌い方ではそうなりがちですが、(歌ではだめといいませんが)今の練習では「ハーイ」「なにかー」と抜かないことです。感覚の違いですが、ふつう日本語はそう強くは使わないです。人前で話すときは使うかもしれませんが、仲間内でしゃべっているときは絶対に「なにか」と強く出さずに「なにかー」と抜いていきます。入れるとき、ぱっと入れられるところをしっかりキープしておくことと「なにか」の「か」をきちんと切れるところがあります。それも口で切るもでなく、体で切れるところです。それで体のなかで呼吸を覚えていく。実践的なやり方だと思います。

 

 今の私の呼吸は「~ハイ~なにか 」です。「ハイ~なにか~」だと乱れます。これでは自分の呼吸を考えていない。自分のなかに呼吸があってそれを体で準備してイメージする。これを入り損ねたら「ハハイ」となってしまう。遅れても「ハアイ」となってしまう結局、日本語は頭で切り出そうとするため、遅れるのです。

 人によって呼吸があります。一番とりやすいところがあります。その呼吸の大きさのなかでつかんでいく。それがつかめたら、こんどはリズムやテンポに対応できるように呼吸を変えていかなければならない。早く歌おうと思ったらその前に早く呼吸をとらなければいけない。呼吸が全部決めていきます。それが最終的に全て呼吸で発声するようにといわれていることなのです。

 

 

 では音をつけましょう。「ミファミ」。自分の出しやすいキイでよいです。ここで「何か」(言葉)をいっていながら「ミファミ」をとどこかでイメージする。「なにか」といっていても、音楽がついて伴奏がそうなっているから「なにか」(ミファミ)となってしまうという感覚です。

「なにか」といっているとき「ドソド」のように音程が飛んでいないのでやりやすいはずです。「なにか」に体して「ミファミ」なのでその分、少し体がいります。

そして「な・に・か」と分けないこと。むしろ「にか」や「か」といっているところに「な」をつけるくらいです。「な」につけるくらいの感覚です。

1つにいっていることですから、分けていくとそれだけ体が使いにくくなります。今の皆にはそんなに複雑な使い方はできません。とても単純にとりだしましょう。「なにか」か「ハイ」の後に「なにか」(ミファミ)をつけてください。

 

 引かないようにしてください。「ハイ」「なにか」。これは同じ力を使っているから、当然ながら1つの音より3つの音、1つの音より3つの音程の方が大変なわけだから、その分、力が集散してしまいます。

だから「ハイ」で20の力を使ったと思ったら、「なにか」は3つだから理屈(密度)として30の力を使わないと同じことはできない。まして音の高さが違うとなるともう20くらいつけ加えなければならない。だから「ハイ」をより大きくいっておくか、そうでなければ「ハイ」よりも2、3倍の力を使わないと今やっていこうとしている同じ音質は出せないと思うことです。単にとるだけなら体を使わなくてもとれてしまいます。それをやっていたらどんどん薄まっていく。

 今は濃いことをやっていかなければいけない。慣れていないうちは、あまりのばさないことです。「なーにーかー」とするとそれだけ体が必要です。それだけの体は普通の人にはない。だから「ハイ」「ハーイー」せいぜいこのくらいのなかに「なにか」(ミファミ)を入れていく。

 

 これは前にもいいましたが言葉の練習をするときに「ハイ」「アオイ」であって「ハイ」に対して「ハアイー」と伸ばすのではない。同じ感覚のなかに言葉を入れていく。そうしたら同じところでとれます。そのように感覚を変えていく。これは慣れないと難しいことです。うまい人は必ずしも声量があるわけでなく、声になるポジションだけをきちんと取り出しているのです。

 声にビブラートをかけて聞かせなくても「なにか なにか」でいい切ってもよいのです。余計なことはしないことです。それをしてしまうと完全にコントロールできないからです。リズムや音程が狂ったり、あるいは聞いている人に不安感をあたえます。

 ヴォーカルは声量を取り出すのではなく、自分の声の確実なところの声のものを取り出して、それをどう並び変えるかという世界ですから、なるだけ余計なものはつけないことです。それは基本の原則です。今度は「なにか」(レドレ)にしていきましょう。「を」(ミ)をつけても構いません。「なにか」だと2度、「を」を入れると3度の練習になります。 

 

 

 ピアノやまわりに合わせるとどうしてもはっきりと区別して歌ってしまうのですが、なるべく合わせて歌わないようにしてください。

 この辺のことはおくれていてもできてくることですが、最初に感覚が必要です。そこは自分できづいていくことです。体がうまく使えていないことは自分で意図て正していかないといけない。

 外国の人には当り前の感覚でも日本人にはかなり離れた感覚です。言語が違うくらいの感覚です。それがベースになってくるところです。「なにか」といっているときに言葉が飛び込んできて、「なにか」(ミファミ)としたときには音としてとびこんでくることです。

 

「ミファミ レドレ」も「ミ」「レ」という感覚です。これができれば3度くらいの感覚を持っているということです。何でこんなに簡単なことができないのかと思うかもしれませんが、難しいことです。

 「ミ レ」「ハイ ハイ」をやりましょう。

「イ」をいわないこと。喉を開けるとはそういうことです。喉になるべく負担をかけない。いろんなものが鳴ってしまうのでなくて、できるだけ音を正しく取り出して腹話術みたいにやる。ここで捉えてもここでは絶対使わない。ここの線上でやる。これはクラシックでもポップスでも同じです。この線上のなかで動くのはいい。それが「ハイ」と開いてしまうとよくないです。

 

 音がフラットしていますが、とりあえずそれはおいて体から声が出せることが大切です。どちらかというと体に入れてしまうのでフラットしてしまう。それは表面に出ていないからです。

一時、声をつかむトレーニングのなかで体を使おうとすると全部フラットがちになってしまうことがあります。これは体を意図的に使うと外に出ないからです。☆

 

 

 最終的には外に前に出さなければいけません。それで同時にできないから、体で覚えてしまうのがトレーニングです。部分的なことをその目的でやっていればいいのです。しかし、それが中心のことだ、それが歌だと思ってはなりません。

 最終的に「いつも なにか」(ミファミ レドレ)をつくるのですが、その前に「ハイ ハイ」(ミ レ)をやる。できるだけ高低差で考えないでください。高低は強弱に置き換えて最初の方に少し体を入れないとひいてしまいます。2つ(「なにか なにか」)をとりだしましょう。

 

 こういうところで歌ってしまわないこと。そうするとどこかわざとらしくなります。「なにかなにか」といっているのを素直に聞ければ、それを基本として後で応用できる範囲が広くなります。そこにその人の歌(音色)が出てきます。実際それがせりふでも歌でもいいわけです。

 なぜ今体の原理から出そうとしているのかというと、原理から正しくやった方が音域も声量も後で伸びるからです。今まで2オクターブくらい出ていたものがここに来て1音しか出なくなるのは今までの基準が甘かったのですから仕方のないことです。それでは単に音に届かせるだけで演奏はできないのです。

 

「ミ レ」「ラー ラー」。コードやアルペジオなどの楽器の練習と同じです。「ター ター」このなかに音楽をやどらせていく。下手な人は全部1つずつ弾いています。うまい人は「ンーター」という感覚で弾いています。ドラムでもリズムが自分のなかにあって、それが表に出ているだけです。

 「バシャバシャ、あ、ここはバババだ」と思って叩いていたら絶対にそのリズムは出てこないのです。歌い手も同じで、自分のなかでイメージしていなければならない。と同時に本当は出てこなければいけない。ただ出てこないものはトレーニングで直せますが、イメージできないものは絶対に出てきません。だからイメージすることもトレーニングし、それも音を表現していくことも同じです。表向きにはちょっとした差ですが、裏にはかなりの差があります。

「ミファミ レドレ」。体の使い方としては先ほどと同じです。音としては少し複雑になります。最終的にはこのくらいのフレーズを持たせる力が必要になってきます。「何か」といってみたら、このメロディがとれていたくらいの感覚で、メロディ処理ということです。

 

 

 整えていく条件は「ハイ」をオクターブ同じところでとれることです。要はその音を聞いてそこでそのままいえる。ハッと息を出して体を使ったらそのまま言葉や声になる部分。そうでないとシャウトなど響かせたりする部分を扱えなくなります。日本人の場合、喉を外していると声に鳴らないから喉を閉めたり響かせます。歌の場合は上でいろいろなものをつくって補っていきます。でもそれは基本のことをみないで、体がこれだけあるのに使っていないからなるのです。

 役者でも声の出る人は出ています。けれど最近の役者はのどを守って、声をそらすやり方をしています。それは本当の意味でいうと喉声なのであまりよくない。声量も出ない。とても不自然です。力が弱くなっているわけです。息を流すこと。それからそれを声に結びつけることです。

 女性の場合は無理に高い音や伸ばす音をとろうとせず、とにかく役者と同じくらい言葉で投げかけられるようにして、言葉のなかの音の世界を自分で判断して自分の体がどういうふうに動いているか。最初はかなりその日の体調や声の出方にも差があると思います。それをなるだけ安定させてください。全身運動ですから全身で捉える感覚をつけてください。

 

 私と合わせてやるととれるのに自分1人だととれなくなってしまう。体を忘れてしまう。最初のうちはしかたないのです。

 声に腰が入るというのはわかりにくいです。歌になったときには、腰を入れなくてもただ単に声をとるだけでできてしまうのです。でもそれはここに来なくてもできたことですから、ここでやる必要はないのです。ベースがある上にそれを身につけていくのはいいのですが、ベースをつくる方が今は肝心です。後で伸びるところをやるのです。

 最初のきっかけがつかめないから、半年~1年は、大変です。「ハイ」から「なにか」に移るとき、変わってしまう。そのように声を使ってきた生活の方がずっと長いからです。それはしかたない。ヴォイストレーニングを続けるのは、20年悪い癖をつけてきたら直すのに20年かかりますが、日本人はあまりしゃべっていないのですから、そのしゃべった量くらい正しく聞いてしゃべっていれば直るのです。☆2、3年外国に行けば基本的なものは使えるようになる。そのレベルのことでいいのです。それが絶対的なものではありません。

 

 だから1つの言語を覚えるくらいに考えていくといいと思います。暗記や読み書きをするのでなく、聞けていえればよいのです。これは語学の力というよりも音声の力とです。耳で感覚をとってイメージして、そのとおり体が動く。だから外国のテンポの早い曲や伊仏の曲を聞いて、何をいっているのかわからなくとも、乗って行けないのはまだ耳がそれに対応できていないのです。

 全ての言語に対応できるのは難しいのですが、それでもある程度のスピードに置き換えたらやっていけるはずです。

 それさえが最初はほとんどできない。日本語くらいのルーズな言葉でないとコピーできない。だからその面でも外国語から入るのは1つもやり方だと思います。熱心に単語を覚えるのではなく、自然と耳で聞いたものを口できちんといえるように反応をつけていく。イメージできること、聞けること、それから聞いたことを実行できる力を持つこと。それができないのならイタリア人のように息が深いししゃべるのも深い体をつくること。その辺が一番やってほしいことです。

 

 

 イメージ感覚は直せば直りますし、直そうとしなければ直らない。基準のつけ方も厳しくしてしようと思えばなりますし、甘くしていこうと思えばそうなります。

今日くらいの課題は4度です。半オクターブを2年でできれば充分だと思っています。後の2年で1オクターブがのってきます。要は音楽のなかでの半オクターブは1フレーズ、4フレーズや8フレーズ、サビならサビ、出だしなら出だしを全部支配できるわけです。そうするとその感覚が入ってきます。

 1オクターブ欲しいのは歌のなかで1オクターブ正しくとれたら間違わないからです。半オクターブとれても高い音になると違う音が出てきて、間違えます。だから1オクターブが本当は欲しいのです。ただ支配するフレーズの練習であれば半オクターブあれば充分です。そのキーに持ってくれば自分の表現がそこに出せるし、そこでどう動かすかということがわかるからです。歌は1オクターブ半の世界です。それは大変ですが、歌の方はいろんな飾り付けができます。なんでもあり、です。

 でも呼吸でコントロールしていないのはよくないです。自分で何がでるのかわからない、或いは自分の音色をイメージしていないのはよくないです。トレーニングは全てを求めていけばいいのですが、歌になったらそのなかでいろいろな材料を選ばなければならない。選んだと同時に取り出せてなければならない。だから感覚と体を対応させていくということ。感覚を勉強するということです。

 

 本当にちょっとの違いだと思うことがものすごく大きな違いなのです。その積み重ねです。それを5年も10年もやっているのです。そういう意味でいうとポップスより声楽の方がわかりやすいところもあります。声楽はよい声の人がきちんと体を鍛えていけばその線上にもってくることができます。

 ポップスの場合は全部ありです。だから自分の武器が何なのかを知ることです。たとえば「このリズム感は絶対他の人はとれない」、それでやるのならそれだけでもできる。音感だけでも同じです。ただその感覚が人よりすぐれていなければよくないです。どこも武器のない人が一番困るのです。なんでも歌えるけれど「あなたの武器は」と聞かれたときわからない。

 まず、そこを見つけていくこと。それは飽くなく続くことで面白いことです。今やっている声の素振りは、それがどういう形をとっていくかを自分でイメージしていくことです。こういうレッスンのなかで磨いてほしいことは、勘です。「先生がいったから正しい。(正しくない)」ということでなく、そのことが自分の感覚としてわからなければいけない。

 

 もしかすると先生が間違っても自分のこれが正しいと思えるくらいの感覚を磨いていくこと。最終的には全部勘で判断していきます。音楽がパッと聞こえてきて、そのフレーズをこう出たいと思ったら、動かすべきかそうでないべきかを0.1秒くらいのなかで判断して、次のベースをつくっていく、その積み重ねの世界です。

それをやれる力があってやらない分にはよいのですから、やれるだけの感覚をつけていく。だから基本やヴォイストレーニングは後で使えるものばかりをやるのでなく、使わないものも含めてなるべく自分の能力、可能性を広げておくのです。その上で音域や長く伸ばせるものを使わないのは構わないのです。

 だから大きくやっていくのも小さく使えるため、強くやっていくのも弱く使えるためです。弱く出す練習ばかりやっても、絶対に弱く表現することには使えません。

 

 

ヴォイストレーニングの考え方は、一つのトレーニングをやっていたらあることはできるけれど、私がやっているようなことはできない。逆にブレスヴォイストレーニングそういう人達のやっていることもできる。そうしたらどちらもできる方をやっていくことです。

 そういった中で歌になったとき使わないところは捨てていけばよいのです。

 だから自分のステージングと歌は少し違います。ヴォイストレーニングばかり考えていても、よくないです。自分のステージングを考えて、それに足りないことをヴォイストレーニングにおいては何なのかということを知り、先生方や他の人と比べて補っていくのです。

 

悩んだときはレッスンにきたくなくなりますが、そんなときこそ、いろいろな人の声やフレーズに接することが大切なのです。本当の意味では、言葉を聞くこと、次に音として聞くことはできていないのです。だからまず、他の人の声を読み込めるようになっていくこと。すると後で自分の声に対するきちんとした判断を持てるようになっていきます。

 

 効果が出ないと思った人は相談してください。場合によっては個人レッスンをつけようと思います。グループ対応では理解できない人もいるからです。

 頭で考えてわかることでないというのが、なかなかわかってもらえないようです。本当はそこにいて勘を働かせれば、身についていくものなのです。

 

 

 

「いつも何かを」

 言葉の部分ですから、役者と同じで、声が前に出なくてはいけない。それが第一条件です。ヴォイストレーニングを意識して声を体のなかに入れようとすると体が鍛えられるし、声もとれるかもしれませんが、そのままの声です。言葉になったときはもう少し言葉の表現の方に持っていった方がよい。それをやるのなら「ハイ」と息を吐いている方がよい。応用するのなら構いません。

 もう1つは、声をとる前に回してしまう。すると体や呼吸がついてこれず、タイミングがとれなくなってしまいます。そうでなくてきちんと戻してやる。腰を意識する。腰が回ったと思ったら振れているという感覚です。だから随分と感覚的に違うのです。スケートで脚で滑っているのもピッチャーが手で投げているのも腰が入っているのとは違う。

 歌の場合はいろいろなところで響かせたり、エコーをかけたり、いろいろな応用例があります。今やっていくのはできるだけシンプルに捉えていくことです。そこに声楽以上の体をつけていく。だから声が出ているところで変化させて言葉にする。それにメロディがついたくらいで、音楽となるよう体、息、声のところをしっかりつける。

 

声が「ダー ダー」と出る。それに「いつも何かをが」がついているような感覚です。だから「い・つ・も・な・に・か・を」と捉えないこと。そうすると全部口先でつくってしまい、何か違ってしまいます。つくりすぎなのです。それを1回体に戻す。とても単純なことですが、役者の学校でも「いつも何かを」と全て、体でつくってしまって、声を喉にかけないようにしています。そうすればそのままでよいというわけでないのですが、体でそれを引き受けなければいけない。

 まず声としてとり出せること。それから日本語と英語の違いについていいましたが、ポイントをしっかり持つ、拍になるところを中心に動かすのです。呼吸のなかでつかむところに芯を持つ。向こうは子音を1つの音として独立した音を発せられます。そこで何か踏み込むところをもち、その捉えるところの前後の音はかなりあいまいでよい。

 「ハイ」は正にその練習です。「ハ・イ」とはいっていない。「ハ」と入った時に「ハィ」とつく。「ア・オ・イ」などとわざわざ区切っていかない。向こうの言語は、区切っていくことよりも声を動かしてその次の動きをつくることが優先されるのです。それを呼吸で動かすから、そこに拍ができてきて、4ビートになるのです。言語自体のフレーズがそのような形なのです。

 

 表現の根本は、同じです。落語家でもメリハリをつけて話します。

「いつもなにかを」といったときに、そう捉えて欲しいのです。なんでもよいです。「い」や「つ」がいいにくければ、「も・か」「も・な」「も・お]でもよいです。そのなかで「いつもなにかを」をいってみます。全てを強くいえなくてもよいのです。ーどこが1つきちんと入っていて声が取り出せる、あるいは最初に声が出ていて「ター ター」というのに対して「いつも なにかを」がついていればよいのです。

 「ハイ」「いつも」「ハイ」「なにかを」でやりましょう。それで「ハイ」より広げないでください。

 普通の人がやると「ハイ」より「いつも」「なにかを」を長くしていきますが、「ハイ」のなかに入れてください。やっていることは単にバネみたいにポンポンとはじいているだけです。

上や下に響かせることは関係ありません。出したら、その時につながっているという感覚です。あまり熱心にトレーニングすると、中ばかり気になって、そちらに全て神経がいってしまいます。あくまで出たものに対して問うていかなければなりません。

 

 

 「ハイ」の時に「イ」で広げないこと。日本語は「アオイ」など「イ」で広げていきますが、必ずフレーズとして元のところに戻してやる。基本は必ず戻らなければいけない。「ハイ」といって次に「ハ」と入るとき、同じところに持ってこなければいけません。広げるとどんどん浅くなって声が出にくくなります。

 

 感覚的なものですが、力というものもそういうものです。

 水泳は、腕を水に入れたあと、ポイントからポイントまでは思いきり掻く。普通の人の何倍もの力で中心線を掻きます。あとは全部、脱力して休ませているのです。次に使うがために休ませる。だから、また同じようにかけるのです。

力だけで泳いでいる人は疲れてすぐにほとんど腕が働かなくなってしまう。

「ハイ」「ララ」も音楽も同じです。そのために間や伸ばすところがある。踏み込んだらそれを自分でとっていく。一番使えるところだけを使って取り出していくということです。

 

 自分が何ができているのかは、このくらいの空間が一番わかりやすいと思います。まわりにきちんと伝わることです。最初は自分のなかに声を求めていけばよいのですが、だんだん外に出した声に求めていかなくてはいけない。声で表現を伸ばして取り出せるようにする。

感覚を変えること、磨いていくことをすると同時に、それに対応できる体をつくっていかなければなりません。

最初、それは一致しません。だからある意味では、選んで取り出すことが必要です。歌はそれをさらに展開させて構成しますから、もっと高度なことをするのです。しかし、今はそれに応用が効くように基本の部分を100回やっても狂わないように、あるいは100回どこでもにできるように基本をやるのです。

 

 

「つかれてる」(ドレミソミ)

 いろいろなやり方がありますが、「つかれ」までは入れておかなければよくないです。「ター」といっているくらいです。あとは個人差です。「てる」とやりたい人もいれば「てーる」とやりたい人もいる。ただ「て・る」と分けないことです。なるべくその前の音のなかにフレーズを「つかれ」だったら「れ」で「て」を、「てる」と入れる。この「て」を強く出そうが弱く出そうが、体の使い方は変わらないのです。

 最終的には、この場合は弱く出した方がいいのでしょう。実際弱く出したときに「れて」を同じところでやります。いろいろな持っていき方がありますが、やってはいけないのは「つかれ/てえる」というような形です。これでは音の流れが全部壊れてしまいます。だから基本的に練習すればよいのは、「つかれ」ととって、これより大きな線で「てる」をとって、「つかれてる」とここまで入れておきます。これが基本のイメージです。

 

 でも実際に歌うとあまりよくないから、おくだけにして、それをイメージさせる。絶対に「ドレミ/ソ・ミ・」にならないことです。「ミソミ」「れてる」この3つの置き方です。どこでためるか、「れ」でおくのか「て」でおくのか。いろいろな表現があってよいと思います。

「れ」でためるのが普通です。そうすると「て」が楽になります。「て」でためてもよいです。ロックをやっている人は高い方でためる方がやりやすいでしょう。体を使えるので、高いところで弱くするのが逆に難しいですね。

 

 

ではやってみましょう。

この辺になってくると自分のイメージ通りできていれば、どれがよい悪いはないのです。個人的にどういう歌い方があっているのかということと、イメージのセンスの善し悪しが出てきます。ほんの少しのばすとか、ほんの少し語尾処理をうまくやるかで大きな違いも出てきます。

 戻りましょう。「なにか なにかを」(ミファミ レドレミ)。「いつも なにかを」「求めすぎて」でもよいです。そこまで歌うと「つかれてる」の歌い方が決まってきます。他の人からもよいイメージを受けてください。

 だんだん音程が聞こえなくなるのはよいことです。それだけ声を動かせるようになってきたということです。これでできたと表やめてしまう人も多いのですが、これを300回、1000回とやって自分のフレーズをつくっていかなければいけないし、より知っていかなければならないのです。微妙なコントロールで歌の作品はよくも悪くもなります。   

 最近はそのようなところは問われなくなってきています。そこで力がつかない。半オクターブ使って、比較的やりやすいのはシャープもフラットもつかないからです。

 

 「ミファミレドレミ ミファミレドレミ ドレミソミ シソラ」

(いつも何かを 求めすぎて 疲れてる holidays」までいきます。

 

「なにかを」

 不快だ、おかしいと思わなければいけない。それで直していくのが正しいのです。「レドレミ」は平均律です。「ハイ」からとってでも「なにかを」でもよいです。大きくとってください。

 今やっていることは歌そのものというより、後で歌い分けていろいろ変化させていけるところの基本のところです。それ以上にここでは変化させることはしませんが、したいように自由にしてよいと思います。自分が、でなく音が動きたいように、です。

 「いつもなにかを」(ミファミレドレミ)が難しければ「ミー レー」。ここに「なにか」(ミ)「なにかを」(レ)でもよいのです。若干違ってくるでしょうが、感覚的には同じにとりたい。持っているところではなるだけ「タララ ララララ」でなく「タララー タララー」のなかに音を生じさせて、言葉を活かしたまま言葉が歌になるプロセスをたどっていく。イメージとしてはそういうことです。

 

 本当は1年くらいこのパターンにとどまって「なにか」のいろいろな組み合わせ「なにーか」「なーにか」などをじっくりやっていけばよいのです。あまりに難しくてやりにくいということなら、まずイメージを持たなければいけない。自分のイメージで声とその声を使って線にしたフレーズを取り出すことができるというのが前提です。そのイメージもここで勉強していると、こんなイメージもあんなイメージもあることに気づくでしょう。研究所はそのためにあるのです。

 

 世界のアーティスト達はいろいろなイメージを持っています。それをまねする必要はないのですが、それだけいろいろ自由にできる。あんなこともやっていいのだと教えてもらう。我々のイメージは乏しいですから、アイデアが必要です。

音楽を聞くときにリズムがよいとか声があるということよりも、同じ体になって、同じ声が使えたとき、どのくらいイメージが違うのか、なぜ、そういうイメージをもてるのかを感じていくことです。

 

 次のところまでやってみます。

「いつも何かを 求めすぎて」(ミファミレドレミ ミファミレドレ)