ステージ実習コメント
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【ステージ 夏 京都】
【新入ステージ】
【ステージ実習】
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【ステージ 夏 京都】
個人的にコメントをしていきます。
自分の時間も大切ですが、発表会やオーディションではないので、この時間のなかで、自分はこう聞いたというのを自分のなかにおいて聞いてください。
スタンドマイクがあった方が距離がとりやすい反面、手持ちぶさたでやりにくいこともあります。初心者はマイクを手にもった方がよいでしょう。
ライブ実習なのでマイクを使います。アカペラでやりたい人はそうしてください。このくらいの空間だからアカペラの方がやりやすいかもしれません。曲によっては、やわらかく浮かせたり、ファルセットを使う方がいいので、マイクは置いておきます。必要に応じてスイッチを入れてください。手持ちでもスタンドでも構いません。
実習コメント
最初の5人に共通していえることは、出だしに準備が整っていないことです。だから、だいたい2コーラス目くらいからが、その人の力だと聞いていました。
1番目 まず入り込み、最初の入り方として弱いです。曲が進行していない。言葉で止まっているということで、こういう曲の歌い方は、まず言葉をフレーズでしっかりつないでいってメロディか音の線に持っていく。あるいはフレーズがあって音の線のできているところに曲を持っていく。その形で言葉だけを読んで音楽に持っていこうとするのは、逆に難しいことです。
言葉をしっかり練り込んでいって、それがメロディに乗っていってフレーズに聞こえるというやり方でもよいし、そうでなければ最初からフレーズにを完全に自分で意図しておいて、そのフレーズを創ったところで言葉を置いていくというようにするかです。
あまり語っていく形にしていくと全体の大きな動きが止まってしまいます。歌にしていくことが大切です。流れのことです。
サビからは歌になっています。が、言葉の処理の部分でも止まってしまっています。
先のところは全然問題ないのですから、何回か繰り返し歌って4,5回歌っていたら、その言葉も止まらないで持っていくという感覚はわかると思います。
1番の出だしは難しいので、いつも2番の出だしを練習するようにいっています。☆
サビを歌った後だからとてもいい感覚で入れるわけです。でも勝負は1番の最初に決まっているのだから、1曲の出だしのところを2番の出だしの感覚で出なければいけません。そこで遅れてしまうと、この歌を聞かないと判断されますからそういう意味ではとても厳しいということです。
本当は、その前にはバンドがついてイントロが入るでしょう。だから、アカペラだとあわててしまうのです。何もない時にも、どこかで意識しておくとだいぶ違うのではないかと思います。その前に自分に音楽を流しておくことです。自分のペースに持っていくまでに時間がかかっています。
2番目、相変わらず多いのですが、手は上げない方がいいと思います。手の動きは難しくて、そこにどうしても観ている人の意識がいきます。最初の方から、フレーズが平坦です。同じようなフレーズが3つ並んでいる。フレーズには、わざと3つを均等におこうと決めたとき以外は、フレーズに強弱をつける。このフレーズに対して、次に上にいくのか下にいくのか、抑えるのか。何かつけなければいけない。それからこういう歌は、体の動きや顔の表情が欲しいと思います。
声には素直さがあると、聞いていましたが、せっかく物語があるのに2番から同じに聞こえてくる。サビの方はよかったしテーマも見えてきたのに、そこでやや押しすぎている。もっと楽に解放できるのではないかと思います。
フレーズの捉え方も、文章でいうと、ブロックがあって、そのブロックごとに意味のつながりがあるわけです。1番目に対して2番目はこうで、3番目はこうだというように。それが、小さなブロックがとにかく10個,20個バラバラにあるようにしかみえない。
もったいないのです。曲というのは、必ずABC,ABC…と並んでいます。だからCを歌い終わった後、Aがきた、そうしたらまたBCを聞き、またAに戻るということです。たとえばABCの3つがあって、そのABCのなかでまた3つがある、と聞き手が捉えられると大きく聞こえるのです。ところがどこに戻ったか分からない。どこを歌っていたのか、どこから最初を同じフレーズに戻っていたのかという具合にわからないといけません。バンドがあれば、楽になります。それを全部歌い手のなかでやりなさいということでなく、バンドのなかではバンドの役割があります。
ただ、構成を自分で決めることです。歌にブロックがあって、それに対する構成があって、またAに戻ったのだ、というとこちらも聞きやすくなる。それが見えずにABCDEF…と来てしまうと、わけがわかりません。
いいたいことはだいたい全員に同じで、いっている人は目立っていただけですから、他人事のように聞かないでください。
リピートしていくということは、必ずオンしていかなければいけない。だから求めていくのでなく、取り出していく。「生きていく」で終わりましたが、その辺も素直でよいのですが、もう少しピークの点と降りた点にメリハリをつけられるような気がします。ただ、その辺になってくると好き嫌いです。しかし、ハードなものを要求するとそう感じました。
3番目 やはり出だしに関しては最初の人と同じで、乗り遅れている。リズムが細かすぎるような気がします。特に知っている曲に関しては、聞く側には入っていますから、そういうものに対して比較されてしまうので、大きな構成を見ることです。それから姿勢の問題。これはもう少し楽に前に出していった方がいいと思います。それからサビのHonestyの部分の一連の音程のふらつきが気になります。好みもありますが、ピタッと止まっていて欲しいところです。
一番に対して二番の入り方はよかったので、二番の入り方で一番が入れたらよいと思います。それから、アカペラだとどうしても、高いところになると体がついてこないためにテンポが遅れて狂います。
私はスピードの落ちたものは歌ではないと思います。人はテンポで聞いています。歌の場合は絶対スピードが大切です。声の完成度が半分でも、次に動きを創っていかなければいけない。次に完成しそうに感じられればよく、そこで完成させようとねばったり、ちょっとでもそこで止まってしまうと次の動きが駄目になります。動きが止まったときにはもう負けてしまいます。
スポーツと同じです。のっている時にはいいけれど、やられそうだと思った時にはやられてしまいます。そういう意味ではスピードはやはり崩してはいけない。特に高いところになると、体を使って歌おうとする人ほど体が使いにくいところで遅れます。これもバンドがつくと解決しやすいところです。
それから、マイクの使い方は、普通はまっすぐでよいのですが、もちあげたほうがうまく入るときがあります。いろいろと研究してみてください。響き方が随分と違ってきます。三番になるとテンポが少し落ちてきますね。集中力で押さえてください。
4番目 善し悪しはもう少し経ってからでないとわからないという感じがします。もう少し切っていくべきではないか、声の伸ばし方の好き嫌いはあるけれど、もう少し支えるべきではないか、と思います。だから上のフレーズでの進行に関しては判断を保留させてもらいます。
わからないということはよいことで、何か出てくるかも知れないということです。ただ、下のフレーズの支えに関しては音感も含めて、かなりあやふやです。体できちんと息を切れるようにしないといけません。もし息を切った上で音が不安定なものをねらっているのであれば、それはそれでよいのですが、それでも体で処理していくことが必要です。全体的にこういう曲は難しく、バンドがついた時にどう聞こえてくるかというイメージが、ギタリストやベースに誰がつくかということでまったく違ってきます。
だからよいバンド、これを生かしてくれるバンドとやれば、よいところにもいくだろうし、普通のバンドでやれば、あまりよくないのではと思います。最後の1コーラスに関してはよかったと思います。ただ、全体的な面での判断は保留ということです。
5番目 フレーズの最初の出だしが細切れでした。低音での錬り込みがもう少しできそうな気がします。それからサビにいくところです。やはり後半に関してはテンポやメリハリがやや遅れている。全体的にスピード、テンポ感というものに流れるような気がします。
1回で決めつけられませんが、呼吸がやはり流れていない。2コーラスのサビが1つだけよかった気がします。それぞれよいところを必ず見つけようとしているのではなく、私はよくないと褒めませんからよいといったところには自信を持ってください。(後略)
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【新入ステージ】
いつもたのしみにして見ています。日本の学校はどこもみな、入ったときが一番個性豊かで、出るときに同じ顔になってつまらなくなってしまうので、みなさんもそうならないようにしてください。教える方も悪いのでしょうが、そんなふうに教えられてしまう方が悪いと思ってください。
音声で表現する舞台であるということを常に忘れないことです。ストーリーをつくるのもよいし、台詞をいうのも脚本を書くのもよいのですが、それはそれでひとつの能力に負うものであり、ここで実際やるべきことはそこまでやってきたことをどう出すのかということです。
内容はなんでもかまいません。その人がここで取り出せて音声で伝えられればよい。逆に脚本を書くことに9割の力を使って音声のことを全然やってこなかったとしたら、ここでの勉強になりません。
ここに来るまでになにをやってきたかということが前提です。しかし、ここでなにが取り出せたのかということしか誰も見てくれません。そして、学ぼうということなら、終わってからなにに気づくかです。終わってからが問題です。こういうことを繰り返していき、徐々に誰にも文句はいわせないステージができればよいということです。そういうものが出れば、私がここに出てくる必要もなく、今日はよいものを聞いたということで終わります。できるだけ私の出番をなくしてください。
研究所をきちんと使いこなすのは難しいことのようです。今までで私よりもここを使えた人は二人しかいません。
みなさんもこれからが勝負だと思います。ここは出会いの場ではあるし、みなさんともこれでレッスンを含め、何度目かの出会いなのですが、音声で表現する舞台である以上、音声で出会わせてくれなければいけません。
それではじめてスタートラインです。音声が伴うまではその下の表現の根っこを作っていく。たとえばアテンダンスシートを見て「この人はどんな人なんだろう」と思わせるくらいのものをあげていくのもひとつの表現でありコミュニケーションです。
全体的にいえることは、音楽や歌に逃げ込むなということです。歌うためにいろいろ捨てたというのでは出家みたいになりかねない。甘いです。歌うということは、現実のなかに突っ込んでいくことです。むしろ生き方が濃くならないと歌は出てきません。現実を生きている客の前で歌うのですから。
海外にいくとよくわかりますが、一人ひとり個性豊かにいろんな考えを持っている。それをつくるために生き、それによって生きている。舞台では「なぜみんなで、おまえ一人の歌を聞かなければならないんだ」と思っているような人たちを押さえ込まなければいけないのです。
みなさんは歌っている人だけが歌っていると思っていますが、みんな生活のなかで誰もがいるわけです。しっかり生きている人は世の中にたくさんいるということです。そういう中で人前に立って歌うのは技術やセンスがあることも当然ですが、それ以前のもっと大事なことがたくさんあるのです。
「歌がなにかを伝えた」と誰かがいっていましたが、その「なにか」を勉強しなければいけないのでしょう。それもないのに歌なんか勉強しても何も出てこないです。
歌は時代と共に変わります。一体なにが歌なんだということを考えなければいけません。音楽も歌もそれを伝えるための手段にすぎません。それを深く問い詰めることです。その「なにか」をつくるのにここを使っていってください。
出してもらったもののなかには、胸を打つような内容の話もありました。それはそれとして音声を伝えるという表現の部分でもっと煮詰めてくること、突き詰めることです。その繰り返しのなかにしか、表現と呼べる自分のものは出てきません。それを忘れないでください。
自分が3回突き詰めたと思っても、世の中にはには何千回と突き詰めている人がいるのです。そういう人たちと並べるかどうかです。
ここの場合は、まず自分を曝すことからやればよいと思います。隠していてもかっこつけていても仕方ありません。あまり他人とか自分とか区分けする必要もないと思います。他人というのはあくまで型であり、材料です。その型をふまえないと自分というものも決まってこないから逃げてはいけないということです。
これが一番みなさんの苦手なところです。いやな人から逃げる。気が向かない人とはつきあわない。だから勉強にならないのです。そういう人を取り込んでいくべきです。
世の中の人は力をつけて出てゆくのではなく、力がついているのに動かされて、他の人が出してくれるのです。ひとりでやっていけるものではありません。
コネクションとかそんなものではなく、その人にそれだけの世界が出ていたら誰だって、この人を他の人にも見せてあげたいと思うのです。それだけのものを作ろうとするから大変なのです。歌でもなんでもその道で何十年もやっている人がいるのですから。
アテンダンス1枚でその人の取り組みがわかります。みんな、学んでいたら、どこかでできていくと思っていますが違います。毎日やっていることが深まって形になり作品になるのですから、その毎日がないところに、なにもできてはこないのです。
だから、人との出会いが大切なのです。今日のこの場、課題を何とか片づけようと思って、簡単な掃除のように思えばそれはそれで1日終わるし感動もしない。このことに全力を傾けてきたら、この場も課題も生かせる。その取り組みの差については、私にはどうしようもないです。
場を置いているといっているとおり、価値をつけるのはみなさんです。自分の足元をきちんと掘っていくとともに、立っている場所を大切にしなければよくないです。ここを大切にしてくれとはいいませんが、そこをいいかげんにしたり踏み込まなかったりしたら、その人はそこでとどまってしまう。それで才能がなかったと言い訳をつけることになる。
歌い手は選ばれるとみんな思っています。でも、まず自分自身が選ばなければどうしようもありません。歌という恋人がいるのなら、その恋人がこんなに愛してくれてありがとうというくらいに、そのことを抱きしめて生きているのかということです。そういうことができるという意味で選ばれるものだと思います。
どんなに歌が好き、歌で人を幸せにしたいと口でいっても、それは毎日の生き方からしか出てきません。今日、この場にくる、こないとか、アテンダンスを書く、書かない、2行でやめる、いや10行書いてみる、そういうひとつひとつが全部闘いです。
すべて人の時間と空間のなかで行われることです。それを決めるのは、全てあなたの生き方、考え方、そして実行する力なのです。
そのプロセスを経て、ある一瞬、3分間与えられたときになにができるかということが結果としてついてくるわけです。言葉より声の方がわかりやすいとも思いますが、声だけあっても仕方がない。その声を使う精神的な働きかけの方が大切です。先に述べた「なにか」とはそういうことです。
音楽を内に入れることです。ほとんどの人にとって音楽とか舞台は外にあり、そこまで登りにいかなくてはならないものです。確かに舞台は華やかで非日常ですが、映画にしろ舞台にしろ歌にしろ、日常のエッセンスのピークの部分が脚色されているだけのものであって、まったく何もないところから出てくるのではありません。毎日の過ごし方が大切です。
歌が得意で大好きな人はたくさんいます。でも本当に人前で表現するような仕事を続けていきたいのなら、一度歌とか音楽を徹底して疑うことです。それで初めて第一歩になります。「自分には歌しかない」というようなことは10歳の子供でもいえます。そのまま生きてきてしまったことの方が問題です。
「歌をとったら残らない」ではとってみればよい。残らない自分てなんだということをきちんと踏まえないと逃げになりかねない。現実から逃げるために選んだ歌とか音楽などでは、絶対に現実に働きかけてはきません。研究所に籍をおいているだけのカラオケファンです。
仲間内には働きかけもしやすいでしょう。居心地のよい場所で歌とか音楽をそういったものとして扱うだけなら、
「今日ケーキ作ったから食べてよ」と配り歩いてたべてもらって喜んでいるのと同じです。
ただですから誰も文句をいいません。
それはそれでよいと思います。
トレーニングばかりやって、ケーキを作って失敗ばかりしていても誰にも食べさせずに一生終わるよりはよいかもしれません。
それは、どこかで出していかなければならないのですが、そのなかでなにが変わってくるかということ、人との違いをきちんと見つめ、自分の勝負できるものを創り出していかなければいけません。
ここへきた理由もここをどう使うかということも、なんでもよいと思います。ただ音楽も歌も、最初からそれがうまいとかすぐれている人がやっているんじゃないと見ていて思います。
最終的には表現するものがある人がやっているのだと思います。
劇団の主宰者でも、そうでしょう。歌おうか、でも観客には動きの方がわかるだろうということで踊りを選ぶ。そのことが好きで好きで、という人はあまりいない。
つまり、どちらが主体でどちらが手段かということなのです。そうでないとかっこいい歌をそれなりに歌ってみるだけでなにも伝わらなくなってしまいます。
歌に出会ってこないといけなません。歌を聞いて感動して素晴らしいと思って、じゃあ自分も歌おうと考える、そこまではただのお客さんと同じです。
サッカーというものを知らなかった、ゲーム見たらおもしろそうだ、これからサッカーをしよう、というのと同じで、それは歌ったり表現する人の条件ではありません。
世界中の歌を聞きそれをすべて自分流にアレンジして、人前でやってみたがなにか足りないというところが、やっとスタートラインなのです。歌だってサッカーだってなにも知らなかった人がうまくなっていくのは当然のことで、そのレベルのものはスタートライン以前のことです。
ゴールデンウィークでカラオケ大会に招かれたときの映像を見せるのは、そこに見習ってほしいと思ったからです。彼らと比べて、どうなのか、素人と比べても、ここが負けていないか、ということです。
歌を歌いたいとここに来たというあなた方が20曲くらいのレパートリーもないようだからです。
今ここで歌って、といわれて、なぜ10曲も準備がないのか、これは他のどんな世界でも考えられないことです。早くスタートラインについてください。
プロ意識があれば、一つのものを与えられて今日お客がくるなら絶対にペイできるだけのものを出そうと練り込んで用意します。そうでなく、学校で教えてくれるところだと、ここをとらえたら20年やっても30年やっても、カルチャー教室の発表会の歌にしかなりません。
みなさんどうぞ見てください、がんばりました、というものしかできない。友達か身内ででもなければお金を払って見てくれません。
この辺のことをいうのは、意識の持ちようで大きく変わることだからです。逆にその意識や考え方を持たない限り、変わらないところだからです。
身体を変えるとか歌をうまくなれというのは、急には変わらないから時間をかければよいのです。
会報にも書きました。
でも、私からコメントがこないという。コメントくださいではなくて、コメントせずにいられないものを出さなければいけないことでしょう。もっといえばコメントなど必要ないくらいの表現を出せばよいのです。私を相手にするのでなく、超えていってください。ここのトレーナーは踏み台です。
当人がやるだけのことをやっていないのでは、なにをいってもなんともならないのです。10回素振りやってみたので見てくださいと、そんなことで成り立つ世界はありません。
私はそんなところで優しくしようとは思いません。
私がその気にならないということは、あなたがそれだけ引き出せていない、ここを使いきれていないのです。
それだけのものをその人が持ってこない限りどうしようもありません。本当にそこまでやってきたのか、まずやってから問わなければいけない。
そんなことをいうと、わからないから教えてもらいにきていると開き直る。そもそも、人に尋ねるというのはそれを自分が精いっぱいやって精一杯出せたときにできることです。そういうことは安易にまわりに求めない方がよいと思います。
主体的にやらないとこちらも最終的な判断がつけられません。それはみなさんの可能性を限定しないためです。限定してよいなら判断できるのです。だめだ、どうしようもないと。これくらいの気持ちでこの考え方だからこの程度だろうというのは簡単です。
私はみなさんには期待していませんが、人間ひとりの可能性には期待しています。一人の人間が一つの世界や一つの国さえひっくりかえしてきているのです。だからそこを限定したくありません。
まず自分でやるべきことを精一杯やってくる、それ以上にできないことまでやっている、それが前提です。あとは自分の声とか顔とか演奏を作っていけばよいです。
トレーニングをしていればいつかどうにかなると思っている人がいるのですが、どうにかならざるを得ないトレーニングをやらない以上変わりません。本当にうまくなろうと、本当に変えようとしているのでしょうか。今やっているかを常に自分に問うことです。
ほとんどの場合は、量と集中力と優先順位、これが、そこそこにできている人たちと比べてもまったく足らないのです。
それから歌と音楽に出会ってほしい。いろんなものを見ていて思いますが、自信をつけるにはそのことに対する絶対的な量と執念が必要です。どれだけそのことに精神をかけてきたかということでしょう。
単純にいうなら、人に与えていればよい。歌とか音楽とか難しく考えなくとも、人を心地よくさせてやればよい。そのときに手段として、歌が得意なら歌えばよいし音楽が得意なら音楽をやればよい。
人に与えるということには、人から受けることが必要です。それは私やここということでなく、もっと広く現実のなかにあります。ただ、このフィルターを通すと少しはわかりやすいはずです。それがこの場でしょう。
わがままに自分の世界でやっているとなかなか理解されません。しかし、すぐ理解されるようなものは大したものじゃないと思います。それには深みも力も足りない、それだけのことです。
だから勉強し研究しているわけです。そのプロセスでなにができているかを考えればよいと思います。
外国人と日本人の一番の違いというのは、向こうの人が何かをやるには、その必要性があるということです。必要があるから身につく。日本人はみな欲しているようだけれど、本当の意味では、ほとんどの人にさほど必要性がないのです。それを問うところからです。
ここには、年間100人以上の新顔がきます。本当にここの必要性がある人はどれくらいいるのでしょうか。まずは、表現への覚悟がいります。命賭けて、そのことが必要だといえるかでしょう。
海外ではなまじ歌っていて殺されることだってあります。ひとつの言葉で銃弾が飛んでくるようななかでやっている人もいたし、いるのです。
音声は自分の武器になる代わりにそれだけ自分を危険に曝すことにもなる、その責任感を持って彼らは生きているのです。そういう中で感覚を磨いている。
それを、きれいな音を聞いて、きれいな声を出したら歌になると思っているような人が同じレベルで対応できるわけがないのです。
表現はひとつの覚悟なり生きざまだと思います。そこにいないからできないのではなくイマジネーションの問題です。
ステージでは、口説いてください。一番よい表情というのはその人によって違います。なにもにこにこ笑っているのがよいということではありません。表情とか色気、なによりも勢いです。音声である以上それが届かないと仕方ありません。材料をどう活かすか考えていってください。
あまり外に何もかも求めないことです。自分のなかできちんとやっていったものが、こういう場とか人と出会うところでどう現れていくのか。
そして自分をもっと楽しむことです。毎日をそのレベル以上に生きているのかの問題です。
歌い手は本当は失敗しないのです。歌で失敗する歌い手は歌い手ではないです。日本の歌い手でもみな同じですが、失敗して愛敬になるくらいの信頼感をお客さんと結んでいなければ、所詮舞台などもちません。
正確に歌うというのは、結果としてそうなっていればよいことであり、それが目的ではないのです。もっと生身にならなければいけません。
そういう意味で自立してほしいと思います。自分のなかで立つ、その立っているところが世界の中心とまでいかなくとも、少なくてもそこを大切にしないところになにかあるなどと思わないことです。
働きかけをすること。働きかけるには自分のなかに核をもたなければいけません。音楽の世界には動物的な鋭さが必要です。人間も動物です。本当に危機に立ったら、そういう精神状態になるし、それなりに説得する声も出るのですが、守られたところでやってしまうからです。何よりも鈍いとよくないです。神経のもち方と配り方です。
自分のなかで回っていて自分しか見ていないと飛んできたものをよけることもできません。自分がなにに心動かされるのか、それをどういうふうに伝えるのかもっと突き詰めてください。伝えるのに必要なものはほとんどの人がもっているのです。ただそれが声の技術とか呼吸のところで足らないだけです。それは待つしかありません。
あとは日々の過し方です。普通の人は1ヵ月に何回も美術館にいったりコンサートを観たりして楽しんでいるでしょう。でも人前に立つ人の準備としてはそれではぜんぜん足りないのです。自分が出力するためにたくさんのものを組み入れてください。そのための材料としてここを使いきれるようになってください。
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【ステージ実習】
どう評価するかというのは難しい問題です。私の言葉は材料に考えて、自分のなかで今日の目的はこうだった、その目的に対してどうだったということをきちんと見ていってください。
ここにいらしたときの状態もプロセスも一人ひとり違いますから、他人とくらべてどうこうというのではありません。
そんなに悪くはないと思います。でもよくもありません。なにをもってよいとするかは難しいです。力任せにやっていますが、いまの時点でからだをつけて歌おうとしたら不自然になってしまう部分があります。
人前に出るライブのようなときとは、分けた方がよいでしょう。
ステージ実習はライブとの中間に位置しているので、自分の状態がどうできているかを示すことが中心になるでしょう、しかし、この後、ライブ実習のようにピアニストがついたときには、今の状態ではひとりで空まわりしてしまいます。エンターテイメントまではいいませんが、観客のことも考えることです。観客不在にしないということです。
録画を見るとか鏡の前で歌ってみて、動きの止まっているようなところを外側から直すようなことはやってみてもいいでしょう。少なくても歌っている場合は、観客には、手の動き、顔の動き、目線など全部見えています。
そのなかである1点をきちんと凝縮させていくことです。ひとりで勝手ににやっているという感じにならないようにしてください。
今のまま声や息を握っていけばそこから凝縮して響きも出てくると思います。
よくわからないようなやり方をしていた人もいましたが、私にはわかりすぎるものの多いなかで、よくわからないものは、この時点では、よいものだと考えています。
いまはまだそれぞれバラバラですが、器を大きくしていくプロセスとしては仕方のないことでもあります。ですから歌やステージとしては評価しませんが、トレーニングのなかで1音2音で引っかかっているところを1オクターブ半で出そうとしたら、ばらばらになるのは当然ですから、それでいいと思っています。
ただ、逆に自分の嘘の部分というのは、なかなか気づきにくいものですから、他の人を見て、その嘘とは一体何なのか、それに対し自分の作品を見て、なにがものになっていて、なにがなっていないのかをきちんと詰めていってください。本物とか本質とかと、あまりいいたくありませんが、それは考えていった方がよいと思います。
音声からいうと日本の歌は、私にいわせれば役者さんより嘘つきです。なぜ歌に命をかけている人が歌ってそうなってしまうかというと、それを許容する文化があるからでしょう。それを正しいとは思いませんが、別に間違いでもないと思います。自分なりに握っていってください。
ここのトレーニングの「ハイ」「ララ」というのは革新的なことでもありますが、みなさん自身がより大きい世界を作っていくためには、さらにもっと革新的なものをトレーニングのプロセスで同時に作っていくべきです。一流の画家は、必ず自分の手法というものをもっています。トレーニングしていくと必ず自分の手法というものがともなってきます。
なにもここのトレーニングや声楽のトレーニングが正解というのではなくて、自分の手法をここの材料から作っていくのです。自分が表現したいことに対して、もっと鋭くなることです。
今、大変なのは、声の重さに息や体が対応できていないことです。こればかりは待つしかありません。待つしかないものに対しごちゃごちゃいっても仕方ないです。
ステージ実習の年12回のうち1回出せればいいというくらいに大きく考えてください。1回1回勝負はしなければなりませんが、一喜一憂しなくてよいと思います。
スポーツのことを考えるとわかりますが、力任せにいくのは限界があります。今、力まかせが許されるのは、そのなかで気づき、より効率的に力を使う方法を覚えるためです。
他の人の嘘をきちんと見抜いていって自分のなかの本質的なもののより本質の部分をつかんでいけば、新しい方法、自分なりの方法ができていきます。ここでのことは材料として自分のなかでより自分の体に合った方法をきちんと作っていくことです。
体や息はどんなにあっても充分だということは絶対にありません。20年30年やっている人がまだ足らないといっているわけです。ただそれをやるのは、コツをつかむためなのです。
今みなさんがやっているのは大振りですが、それは小さく振って当るためにももっと大きく振りなさいということです。もっとシャープに振るため、きちんとミートするためにやっています。大きく思い切り振ることが目的ではありません。最小限の力を使ったとき体と心を忘れないことができればいいのです。 初歩の段階では心と体を入れるために思い切りやる必要があるだけです。それをやらないと生身にならないからです。力を働かせるために力を抜くことを覚えていくということです。
今精一杯、歌っていても、ほとんどモノトーンです。言葉も生きていないし展開もしてこない。業界の人などが見ると、力任せに荒っぽく歌って音楽性もなにもないと思うようなところが出てくるのです。
それはまだ両立できません。もっと音楽的にしよう、歌にしようと思って、そちらに方向を向けていくことはしておくべきです。
プロの歌い手には必要な条件です。みなさんはそこをもっと踏み込もうとしているのですから、一時期どんどん歌から遠ざかったり音楽的でなくなるのは、許容範囲内です。体から息をつけてやろうとするところにリズムはのってこないし音程が不安定になるのはしかたないのです。それができていれば歌になるのです。いまはそこのぎりぎりの接点をつけていくことをやらなければいけないと思います。(もちろんその人が、表現や歌が何たるものかを感覚として捉えていられたらということです)
体が働いているのはいいのですが、心の動きが見えないことが気になります。心の動きがその時間のなかに現れることが展開あるいは響きになってくるのです。
歌はだいたい1オクターブ以上ですからトレーニングの「ハイ」「ララ」に比べ、ポジションは変わってしまいます。そのなかで勝手に響きが出たりします。それも否定するのでなく、一度肯定していかなければなりません。ポジションが変わるのが悪いのではなく、要は音色がどうなっているか、それがどう聞く人の心に働きかけるかで決まることです。
それに心や体がどうついてくるかで決まるのは、トレーニングにおいてでしかないのです。真面目にトレーニングしていたら、胸に手を当ててポジションを確認しながら歌いたくなるのでしょうが、そこは破らなければいけません。出たもので勝負していくのです。
ポジションが変わったとか声がかすれたからといっても本当は問題ではありません。むしろそれを力で押さえつけようと思い込んでいることによって歌の方が死んでしまうことを恐れるべきです。響こうが違うことが起きようがよいのです。歌のなかではそれも魅力になります。
調子を崩したとき戻すためのベースとして基本は必要だということです。歌っていくと狂います。1番で狂ってきたら2番の頭で戻せなければいけない。狂いを拡大させないためのベースをもっておくのです。力まかせにやるということは疲れ、狂いを拡大させてしまいます。
それから、大きな曲ほど解釈をきちんと正しくしてこなければいけません。自分なりに解釈し自分の方向にもっていく前に、そのままでは歌にならないので、見本を聞いたり楽器で弾いてみたりしてどこがどう働きかけるのか、どういうものが流れているかをきちんと解釈してから練り込んでこないといけない。ふたつの作業が絶対必要です。
「『小さなたびだち』という曲はあなたにとってなんですか」と聞かれたとき、言葉でいえなくてもよいですが、どこかにイメージや想いが入っていないと、歌ばかりやっても、もともとないものは伝わりません。これは本当に徹底して考えてこなければよくないです。
体のほうが考えなくても対応するようになってくれば正確になってきます。そこまで追求することです。まだ自分でも曖昧だったら、まずこれでやってみようというものを詰めてくる。それがどうだったのか、伝わらなければ解釈を変えてみる。何度も何度も崩すこと、それを恐れないでください。
言葉、音楽が飛んでくるというのは、その歌い手がそこを聞かせどころとしてきちんとからだのなかにもっているということです。声は飛んでくるけど言葉は飛んでこない。やはりどこか欠けているのです。 本当の個性は1度自分を殺したところに出てきます。自分はこうなんだ、ということばかり思い込んでいてもよくないです。力でやるのではなく、イメージと感覚です。
音楽を伴わせること。伝えるということをもう少し考えてください。技術や体力だけいくらつけても、心と体が動かなければよくないです。いろんな歌い方がありますが、自分との接点のつくところは絞られてきます。それがその人のフレーズになってきます。歌は本当に集中したら、体ではなく心、神経が疲れます。そういう練習をしなければいけません。その基準を甘くしないことです。
正しいとは、ひとつにつかんでいることです。そしてそれを再現できること、心と体が最高の状態でそうなることです。このような状態のときにでてくるものはよいものです。その状態をなかなか作れないから大変なのです。そしてそれを裏切ったところに出てくるものと妥協しないこと。妥協したらいくらでもつくれます。
伝わるときは、相手が動く、その動きが自分でわかります。自分が1点に集中し客が1点に集中できるようにもっていくのです。気持ちが離れそうになったらそこでパワーを入れ音を動かし、惹きつけるのです。音と空間をどう使うかということを勉強してください。
自由曲は自分だけの解釈に歪みやすいので課題曲の方が最初は勉強になると思います。他の人とも比べられるし、他の人の意向や感覚も読み込みやすいからです。力の代わりに心、神経を使うことです。あるものを出し切れば課題は鮮明になります。力が出せないのはよくないですが、力を出すしかないのならそれはよいのです。それから表現は流すのではなく止めるものだということです。練り込んだ中に浮いてきた声はよいのです。これは声が浮いてしまうこととまったく別のものです。
1曲のなかで全部をとることはありません。その時間のなかで1点くらい真実の瞬間が出たらそれを自覚していくことがいまの課題です。やり終えた後に課題がおちてくればいいと思います。
やっては壊すことを繰り返し、守りに入らないことです。今あるものでやりつくし、壊していきましょう。
みんなどこかで決めつけて固定してしまうのですが、音声とはもっと自由なものです。形にはまるとそれが自分のものだと思いやすいので、その辺を常に意識することです。
人数の多いライブでは、飽き飽きするほどの曲数を聞かなければならないのですが、そのなかでも働きかけてくるもの、早く終わってほしいもの、いろいろ出てくるでしょう。そういうところを勉強の材料にしてください。