一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー  22546字  882

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レクチャー 882

 

レクチャー 3612  

取り組み方について

オリエーテーリング

 

 

レクチャー

 

2年間でどのくらいのレベルまでいけるかといったら、ピンキリです。

はっきりしていることは、トレーニングは、トレーニングによって身につくものですから、トレーニングしない人にはまったく身につきません。

誰よりもやっている人は、誰よりも身につくとは限りませんが、誰よりもやらない人が、誰よりも身につくことはありません。それは確かです。年月だけを経てないように気をつけましょう。

 

ここにきたら、表現に関しても、音に関しても、真剣にとりくみどんどん敏感にならなければいけないと思います。

今日は大きい声で音が聞こえただけしかというレベルだったとしたら、次にはきちんと分析できて、頭で考えるのではなくて、自分の感覚として読み込めるようになることです。

 

体を読み込むというのは、難しいことです。たとえば、野球の選手が三振したのを見て、私などは三振したとみえるだけですが、一流のスポーツ選手なら、ひじが少し落ちていたというようなことが言えるわけです。その再現もできるでしょう。同じレベル以上の人であれば、体と置き換えて感じているわけです。

 

 

歌い手をコピーしたいとか、それと近いレベルでやりたいとしたら、今のひびきというのは、どこでどうひびいて、どこでカバーして、どこで逃がしたけれど、ここでリカバーしたとすべて読み込めていないと、同じレベルのことはできないのです。

(だから、本当にすぐれたヴォーカリストは、ヴオイストレーナーの条件も兼ねるのです。)

 

「なんかすごいな」とか、「入欄が違う」ということであれば、いつまでもできないと思うのです。それを、最初から一番高い音のサビで歌えているところで読み込めというのなら、無茶な話でしょう。読み込めたら、あとは、それに対応できる体と声のコントロールがあればできるということです。

 

まず、低音で出だしだけでも読み込むことからやってみましょう。それだけでもとても難しいものです。身をもって、とてもシンプルにこなして歌にするのですから。

 

 

1フレーズ、これが伝わるかどうかです。この先を聞きたいと思わせるかどうかです。1フレーズ歌って、もういいやと思われたら終わりです。

そこがスタートで、1曲で3分間のなか、これの連続です。

 

技術が宿っているということは、感情を入れなくてもストーリーを思い浮かべなくても、ことばと思わなくても、「ラララー」というだけで表現を引き受けられることです。

ただ、それだけでは何も創られていないからもたないわけです。

もちろん、技術だけでも何もないよりは、もつわけです。

 

しかし、身につけるべきものは、技術のまえに、精神的な面です。

やがて身につく人は、会報などを読んでいるだけでなく、常に自分で発信していくでしょう。

創り出すこと、これは自分でみつけていくことです。

 

 

「結果をください」の世界ではないのです。でも「結果をください」という人が、多いようです。

結果だけをもらって、これほどおもしろくない世界はないです。結果だけを求める人は続かないことになります。

 

私の声やトレーナーの声をくださいといって、今日いくらか払ってもらえたとしたら、それでどうするのということです。つまらなくはないですか。

自分で磨いてきたものではない。人様がつくったものを買うだけでは、何もそこに込められないでしょう。他の人でなく自分で手間ひまかけ時間をかけてつくり出したものだから価値があるのです。

 

それは誰にも、まねできないし、自分が死んだら終わりです。

どんな金持ちや、どんな社長がここにきて、「100万円出すから声をください」といっても、売れないものです。それだけのものです。だから素晴らしいのです。

 

 

それを、作品にしていくのがアーティストの世界ですから、そこのプロセスを省きたいというのは、私にはわかりません。自分がいろいろと形に出てくるから、トレニングが楽しくて、たまらないものなのです。

練習がつらくて、などという人は、まだまだ、この世界に向いていないわけです。この世界に入ったのが間違っているといわれないところまでやることではないかと思います。

歌が好きでなくてもよいと思います。人前に出るのが好きだとか、人を幸せにしたいとかともかく、前に出たらウキウキするとか、そんなことでもよいと思います。

 

ただ、確かに人に伝えられる武器がないと、聞いている人は退屈してしまいます。

ここの練習も、今日はグダグダしてきて、少し退屈してきています。

他人を退屈させるのは、私は罪だと思っていますので、引き締めています。

いいときを過ごそうということで、ここを続けています。

 

 

Q.普段、話すとき、声については、何を注意すればよいですか。

 

日本人の場合は、声に限らず、すべてにおいて、魅力的であるように気をつけましょう。

そしたら、声も輝くはずです。

役者などは、舞台のトレーニングであれば、声を体のなかに入れ、そこから出すことに熱しなさいといいます。

 

しかし、日本の生活で「どこか遊びに行こうよ」と呼びかけられて、「えーぼくも」と、

体を意識して太い声で使ってトレーニングを出していたら、友だちを失いかねないでしょう。

日本人のコミュニケーション感覚のなかで、日常会話から直していくのは難しいものです。

歌のなかで直ったことが、話のなかで応用できる世界ではないかと思います。

 

 

Q.息を口で吸うのと鼻で吸うのは、どう違うのですか。

 

鼻でないと吸ってはいけないと、ことばで思っている人が多いだけで、実際に声をつかうとなったとき、鼻だけで吸えるかといったら、そんなことはないわけです。体が動いたら息が入るということです。

鼻から入るか口から入るかなどは、どうでもよいことです。吐いていたら入るわけです。

 

体内の気圧が低くなり、空気が吸い込まれる。息も口も両方、開いているならしぜんと入るでしょう。

鼻からばかり吸っていたら鼻がつまったり、風邪のとき、どうしましょうか。歌えなくなります。

 

ここに20年くらいのキャリアのプロの民謡歌手がいたのですが、その師匠が「鼻で吸うこと、口から吸ってはいけない」といっていたのに「よく見たら、やはり師匠も口からも吸っていました」と言っていました。

 

 

レーニングでのことばと実際が異なることはよくあります。

それは、ことばでの限界です。ことばや話されていることではなく、そのイメージ、ことばの端々から感じたことを自分のために役立てることです。

 

音楽や歌というのは、自分を解放するために、自由になりたいためにやるものですから、「こうしなさい」、「ああしなさい」とか、「今日はこれですよ」と、あまり言いたくありません。

親の強いた子供のピアノのおけいごとではなく、皆、選んで来ているわけです。

2年間でうまく身についていく人もいれば、あまり身につず3年目に気づいて4年目から伸び始める人もいるでしょう。その人の伸びる時期もそれぞれにあります。

 

やっていることは、厳しくありません。ここでの話や歌を聞かせたりすると、すごいことをやっていると思いますが、テキストに載せてある通りの基本的なことです。

ことばのフレーズや、「ハイ」「ララ」のトレーニングもしています。

日本人の耳や日本人の感覚よりも声に対して有利な感覚でとれるように伝えているのです。

 

 

実際のレッスンは、グループ中心で10人くらい、多いときは15人くらいです。ライブの感覚です。

そこで順番が回ったときに出せなければ、ライブとしては、失敗です。

ここでは、実際にマイクや照明をつけてライブもやりますが、練習もライブの感覚でやります。

 

だから「もう一度、直させてくれればできたのに」というのでは、よくないです。

そのとき、体と声の準備ができていないといけません。徹底して、自分が得られるようにやることです。それには、意欲的にやらなければなりません。

 

そのことがわかるために、充分な時間をとっています。参加者によっては、トレーニングより精神的な支えの必要性が優先している場合も多いようです。

 

 

ようやく、ここにくるまでに体を動かし、心して来なければいけないこと、

スタジオに入るまでに柔軟をして準備しなければいけないとか、スタジオに入ったら、一分でも早く用意をしなくてはいけないとか、そういう心構えがようやくできてくるようです。

そういうことができなくて、本当の力のつく人はいません。

 

ここのレッスンについていけないということは、ないでしょう。

楽譜が読めない人でも、音程やリズム感がよくない人でも、対応しています。

何によってわかるかということが、とても難しいのです。

 

いろんなことが伝えるのには、本当に時間がかかります。

毎回、一時間のレッスンで必要なことは全て伝えているつもりです。

それを受ける方が対応できるまで何百回も必要となるのです。

 

 

何かやるということを考えるまえに一人でできなくてはなりません。

それでも、10年に1人くらい育てばよいと思っています。

何となく2年に1人ぐらいずつ育っているようですから、よいペースだと思います。

 

そこには、世界で通用するベースがある、ということです。

だから、そういう意味でいうと、これでよいと思っています。

 

10年で1人というのは、1人がいたら、皆が伸びるからです。

その1人がいるために来るのです。

そしたらここも、真にライブハウスになります。

設備よりも人をしだいなのです。

 

 

 

なぜ日本人が日本語だと歌にならないのかについて、

私がやってしまうと、いとも簡単で歌と同じで、わかりにくいと思うのですが、それを知るのも学び方の一つです。

耳を鍛えるためと自分を知るために、グループ制をとっています。

グループでは、他の人の声と表現をたくさん聞けます。

私やトレーナーの声だけではなくて、参加者の声全てが材料で会報も材料です。

 

皆が出してくれたもの、すべてが材料です。これで、トレーナーも私も皆も学ぶというフィードバックを効果的にやっています。

ここにたくさんのもの、質の高いものを出してくれた人が一番、吸収できるということです。

アーティストの世界はそういうものです。

今まで、いろんな意味で私が叩き台を出していました。

それを超えて出せるようになってきたのは、ありがたいことです。

 

 

一般人向けに書くと、レベルを落とさざるを得ないから、つまらない本になってしまいます。

出版社は、売らなければいけないから、曲なども最近の曲に差し替わっています。

これからは、会報のように、自分のところでやろうと思っています。

 

 

 

 

何も考えずに「ハイ」と大きな声で返事をしましょう。

立ってでも座ったままでもよいから、一音でこの場を動かすのです。

 

ここは体験レッスンも見学もありません。単純なことをいうと、これからやるようなことがおもしろいと思えたら、ここに来ればよいということです。

「これ、なんでやるのかな」とか、「これは歌と関係ないや」と思う人はこういうことが大切だとわかったときに来てください。

 

話すことは話しました。話とはごまかされやすいものです。

「くるな」と醤われたらかえって入りたくなくなってしまったりするでしょう。

そうではなく何が目的でここに来るのか、何が欲しくてここに来るのかです。

それがないと、何もとれないと思います。

それが決まったときに、己を知りに謙虚に修行しにくるつもりにでもなったときに来ることです。

 

 

高校生やスポーツの経験がない人は武道などで、体を動かして真剣勝負する体験をお勧めします。

一瞬、油断したら、もう面をくらってしまうという集中度で感覚を磨いていくことです。

ステージの感覚、体のバネは、そういう体験がない人にはわかりにくいものです。

どんなにうまくなっても1曲くらいしか人前でもたないのがステージの厳しさです。

 

歌よりも体が、最初です。踊りとか、ジャズダンスとかでもよいです。そういうところで徹底的に体を解放して、その次に声、そしてことば、音程、音感を補強していきます。

耳ということでいえば、最初から、リズムや音感そのものに入っていった方がよいでしょう。

 

材料という意味で、ここで紹介するのは、あなたたちが多分、あまり知らないような昔の日本の歌い手や世界中の一流のヴォーカリスト、その国で女王、王様といわれるような人たちの作品です。

それを実際の材料にしています。

材料としては一流です。伝わるものがある材料があれば、一流になろうとする人にも伝わるのです。

本当にありがたいことだと思っています。いつも、感謝して作品を使っています。

 

 

何も考えずに、本当に「ハイ」と思いっきり言ってみましょう。言ったときに、他の人はその人の体を音で読み込んでください。耳と声、身体世界とは、そういうものです。

普段は、目の世界にいます。特に日本人は、目の世界で暮らしています。日本料理の美しさでもわかりますね。

これを真っ暗闇のなかで人間から出されたものが心地よく聞こえたり、インパクトを感じ、近くで顔を見てみたい、もっとよく聞きたいと思わせることが、音楽表現の第一歩です。

 

最初、自分で何ができたかという判断はとても難しいわけです。とりあえず、人のものがあんなものだったら、自分のは、こんなものではないかというようなことで基準をつけていくわけです。

 

大きな声と大きなイメージでやってみましょう。遠慮はしないでください。もっと大きな声が出るはずです。まわりをみて、声をおとさず、アピールしてください。

まずは大きな声で全力で出してみることです。それでうまくいかないのは、大きなイメージがないからです。大きく表現するということを感じてみてください。

 

 

「ハイ」

いろんな声があります。そのなかで、少しのどにひっかかったり、かすれるのは構いません。

しかし、「ハイ」と丸まってしまったり「ハーイ」と直線的に出てしまったすると、よく伝わりません。そういうのがどうやって出ているのかという体の原理が、徐々に読み取れるようになるわけです。

 

声が心地よく聞こえるというまえに、鋭くてやわらかいというように、私が述べた条件が体のなかで無理なくできていることが大切です。無理なくできるためには、リラックスしていることです。でも、そうしたら最初は声にならないわけです。だから、その体の機能を整えるような強化トレーニングが必要です。

 

たとえば、私が今「ハイ」と甘っているところの息は、「ハイ」「ハイ」「ハイ」という深い息です。息で吐いてみると「はー」、声楽家でも、ポップスの外国のヴォーカリストならできます。「はー」という息でコントロールしています。CDでも聞いてみたら「はー」という深い息が聞こえるはずです。これが「ハイ」という声になるわけです。日本人なら、息は聞こえないものです。

そういう条件が、「ハイ」とか「ラララ」とかの基準です。

 

 

「ハイ」が「ハイ」とか「ハイ」とか、どこかで力が入ると「ハイ」「ハイ」「ハイ」などと、なります。わかりますか。「あっなんかにごっているな」とか「気持ちよくないな」とか、「のどや力だけでやっているな」とわかってくるはずです。

 

「ハイ」とやってみても、「ああ口先だけの世界だな」、「全身の世界ではないな」、「体からきちんとでて「いないな」とわかってくると上達します。声というのは正直です。

歌になると、いろんな判断要素がありますが、その線上に出てくるわけです。

 

「ハイラララ」

「ハ」「イ」と考えないで「ハイ」と「ララ」と同じに考えてください。「ハイラララ」を同じにすることは、トレーニングで基本的なことです。型があった方がよいというのは、それが最初は声の支えになるからです。「ハイ」「ララ」を同じにとります。

 

 

とれるようになると、声の芯がでてきて自由に動けるようになります。音楽に対応しやすくなるわけです。発声がみえたりわざとらしくつくった声は、本当の歌を宿しません。

 

表現ですから、なるだけシンプルにやらなければいけません。メインは、伝えることで声を出すことではありません。声そのものは前に出ていても、歌ではひっこまなければいけません。

その効果によって、表現を伝えるわけです。伝わるものが前に出てくるべきだからです。

 

「ハイ」「ラララ」だけで、なるべく大きな声でやってみてください。

早くやろうとして「ハイ、ララ」と、呼吸も全然あわせずにやっています。

最初に「ハイララ」とときちんととろうとしたら、速いテンポでは呼吸があいません。「ハイララ」と、こうなってしまいます。

 

 

呼吸が合うのをきちんと待って「ハイ、ララ」とやりましょう。それほどゆっくりやらなくてもよいですが、自分のなかでコントロールできていないといけません。つまらないようですが、基本というのはそんなものです。

 

ダンスでも柔道でも、「1、2、3 1、2、3」と正しくやっていたら、意識しなくても応用にコントロールできるようになります。それが基本です。何事もそうです。歌になったとき、しぜんと体と声が呼吸で勘いていなくてはならないのです。

 

単純に大きく出すということでいうと、ここで「ハイララ」というのを最大限、大きく出せる以上に、音量は大きくならないわけです。あたりまえですが、敵になったらそれが2倍も3倍も出せるということは、ないわけです。

 

 

「つめたい」

たとえば、「つめたい」ということばを冷たい感情でもよいし、水が冷たいのでもよいですが、「つめたい」と表現しようと思ってください。

日本人の場合は「つめたい」と声が全部、引っ込んでしまうわけです。

「かなしい」というのも、日本では「かなしいよぉ」と叫びあげる表現がないから、どうしても音声から引っ込んでいきます。

 

練習やトレーニングにおいては、なるだけ大きくつくっていくことです。声域でも声量でも、歌で使わないところまで大きくつくっていくのが、トレーニングの目的です。

声を実際に出すときや、使うときに、「つめたい」と声でとったら、今度は感情がこもりません。

日本人の感情の感覚は、少し違います。外国人の場合は、常に声できちんと前に出現することが身についています。

 

感情を込めると、のどにきたり声が荒れてしまったりするから、技術で支えるためにやるのが、ヴォイストレーニングです。

「つめたい」というのを単に置き換えても、表現にはなりません。声の練習になるだけです。

練習で発声よりも、ここが重視しているのが表現です。

ポップスですから、それが相手に伝わらなくてはなりません。声だけよくなっても仕方ありません。

 

 

次に、「つめたい」にメロディが入ります。キーはどこでもよいです。

短3度で3つの音がつきます。(ドレ♭ミレ~)

ピアノで弾くと、どうしても楽譜と同じで「つ・め・た・い」ととってしまいますが、なるべく「冷たい」と伝えたい通りに音を入れてみてください。

 

いきなり入ってみてください。キーもどこでも、高くなっでも低くなっても構いません。

どうしても、まわりの人や音に引っ張られ「つーめーたーいー」となってしまいまずね、これを強弱のリズムの感覚で捉えていくことです。

 

感覚を鋭くしていくと、どこかでそれをまとめて一つですという感覚を体が覚えてくるわけです。そういうことを、ここのレッスンのなかでシミュレートしていきます。

 

 

イタリア語で「エボラボボラボ」でも、単に発声で伸ばすのではなくて、「ラララーララ」とアクセントのつけ方や助かし方が大切です。

 

皆が思っているほど、外国人は歌を伸ばしていません。ことばを投げかけているだけで、どこかのところにきたらギューンと伸ばしているような感覚です。そこからどういう音色を出していくかというのは、最終的な歌のなかでの効果です。自分の音色を、声を動かせるところを探していかなければいけません。

 

音が大きくなろうが小さくなろうが、それが体で支えられていて動いている分には、その表現は活きているわけです。それが自分の体から離れてしまい「ラーラーラーラ-」となりだすと、表現として死んでしまうわけです。

 

 

そんな表現らしいものでは、3分間、続くことがどんなに退屈なものになってしまうでしょうか。おもしろくなっていく可能性はそこで閉ざされていくわけです。

最初から、そのことばかりやっていてもしかたないので、いろいろなことをやります。

結果的にいずれ「つめたい」と伝わるように表現ができるようにしていくことです。

 

まずは感覚を変えていくことです。日本語だとどうしても、「つ・め・た・い」と4つに分かれます。このことばだと、そこを一つに捉えます。5つも6つも装飾音や補助者のように入ってくるので、かえって動かしやすくなるわけです。

 

すると、それで歌も退屈しないし、シンコペーションなどのリズムを感覚として、楽譜のなかでより心地よくずらせるようにしていくことも自由にできます。楽譜から、あまりはずれてはいけません。

 

 

 

Q.このような練習も含めて、体がつくられていくのでしょうか。

 

たとえば私は、皆と一緒に息を吐いてもクラクラときませんし、もっと強く長く出せます。

心肺機能を高めるために、恵だけを吐くトレーニングや腹筋のトレーニングなどがあるのです。

息を「ハーハーハー」といくら吐いても疲れない人がいて、一方で3回くらい吐いたらクラクラとしていたら、同じトレーニングをやっていても、身につく速度やレベルが違ってきます。

 

ここでやることは、息のトレーニングから表現です。

走ることや柔軟までは、ここの限られた時間ではやりません。

自分でやれることは自分でやっておくことです。

年齢は、関係ありません。ですが、10代の体であることが好ましいでしょう。

全てに体力や集中力が問われます。

 

20才すぎた時点まで、何もやった体験がないのなら、本当に本気で何かやりだしましょう。

それが、発声よりも歌よりも、ステージに関して、必要なことを知ることです。

たとえばロックのヴォーカリストが走りまわっているステージで、そのあとをついて走れるかということです。そこで走れない人には、同じステージはできません。

観客より気力がないといけません。特にポピュラーの場合は、そういうところが、そのままステージにでてきます。そういう意味で、いろんな補強が必要です。いや、大革新、大化けが必要です。

 

 

ここでは、声に関すること、声の周辺のことを中心にやっています。体づくりの間だったら、エアロビクスや武道などを、自主的に取り入れてください。

ここの考え方はシンプルで、私やトレーナーが、できることしかやりません。

他のところでできるものがあれば、他でやってください。

 

レーニングジムはどこにでもあります。走ることも一人でできます。そこまでの設備は、ここでは用意していません。

グループレッスンのないときに、ここを解放してヴォイスジムをやっています。

トレーナーが来れないときにも、柔軟をやったり、自分のトレーニングをすることです。

 

時間をどのくらい自分で使えるようになるかがトレーニングの成果に関わってきます。やらない人には、やれとはいいませんが、やる人の邪魔をしないでください。

毎日のトレーニングでいうと、息を吐くというのは、危険が少ないことです。

高校生には、ここに来るのが2年くらい後になってもいいから、息だけでも体に流しておくと、半年くらい先にいけるかもしれません。

私がやったことは全部、基本的に呼吸でコントロールするしかないのです。声そのものは、直接コントロールできないからです。

 

 

Q.腹筋や駆け足がうまくできません。体を鍛える努力はしていますが。それと、声を深くする現象というのは関係あるのでしょうか。

 

声を深くするというのにも、いろいろとあります。たとえば、体のなかに声のひびきがこもって前に出てこない場合、日本人は暗い声のときにフラットするようにとってしまいます。明るくするというのは、印象面のことで発声で音色を明るくすることとは異なります。

 

フラットしても、よほどずれていなければ、そんなに歌のなかでは影響はしないはずです。

音楽が入っていて、それが一つの感覚として出ていたら、それが音にヒットしてでてくるからです。音程が乱れるとか合っているかわからないのは、音楽がやはり聞けていないわけです。耳を鍛えることからやりましょう。

 

声はこもらせず前に出すことです。しかし、平たく落としてはいけません。そのためには芯が必要で、それをとるときに一時、押しつけがちになることがあります。

 

 

基本的に自分が気持ちよく聞こえているものを、気持ちよく出すわけです。

そこから外れていたら、どこかおかしい、自分で変だな、いやだと思わないとおかしいのです。感性が、まだ高まっていないということだと思います。

 

体のことに関しては、ここもいろんな人がいます。しかし、医者の専門範囲のことは、お医者さんに相談した上でプログラムしていくことだと思います。無理をすると喉に負担がきます。

特に、喘息など呼吸器官のことは歌や演劇をやる場合には、最初に問われることだと思います。

 

個人でレッスンしているより、現在の参加者の耳の力から考えるとグループから始めた方がよいということで、グループを中心にしました。音程やリズムは昔はなかったレッスンです。初心者の人が多くなったので、おいています。皆の要望に合わせて必要なサービスを拡大してきたために、レッスンが増えたのです。

 

 

アーティックなものですから、その当人の目的と表現意欲と、それなりの忍耐力がないと、やったからといって必ずしも何かが得られるわけではありません。

逆にいうと、他の学校で10しか得られないことを100、200と、ここでは自分でどんどん勉強している人は、得ています。

作品鑑賞でも、その気になれば、無限にみれるわけです。

 

そしたら、少なくとも皆の世代のなかでは誰よりも世界を知っているヴォーカリストになれるわけです。

レポートを誰よりも書けば、それだけで一つの差になります。

 

ここのなかで誰よりも書くというのは大変なことです。一つだけでもナンバー1になれば、自信がつきます。どれだけやったかというのが、ステージの自信を支えます。

そういうものが得られるように、利用してもらいたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

【とりくみ方について】

 

ある声をとりだそうと思ってそれがすぐにとりだせたら、はじめてそれをちょっと変えてみるわけです。それがいつもでない。調子のよいときはできるけれど、そうではない。そうならほとんどものにならないわけです。

 

これは何もプロとして歌えないのではなくて、トレーニングのなかでも、ものにならないということです。トレーニングということは、最初は、やっていることと関係なく調子よいときと悪いときと波がある。これがだんだん高いレベルになり、どんなに調子悪くてもこのへんでだせるとなってはじめて実際の活動も成り立つし、トレーニングも成り立つわけです。

 

そういう意味で、基本のことをまず練習することです。

歌というのは音楽です。音楽性の材料として、ここはいろんなものを与えています。

 

 

聞こえてくるものの表面をとるのではありません。ほとんどの場合はそこで歌うことを考えますから、その歌形をとっていくのですが、どんなヴォーカリストであっても絶対に、ここはふまえないといけない、それをはずしてしまったらもう音楽ではないというような本質な部分とか動きがあります。そこをみることです。

 

何でもルールがあります。そのルールというのは譜面で表わせるようなものではない。声があったら歌えるかというと歌えないです。

音楽性ともう一つ大切なのは、自分です。これはその体と結びついています。

結局、自分の呼吸に歌をあわせる。自分の呼吸で送り出すということをやってみる。

 

どんなすぐれたヴォーカリストをみても、そこから勉強することを勉強しないとできません。ここには一般の人なら、聞こうとも思わないようなもの、知らないものも材料としています。それを知るだけでも大きなアドバンテージでしょう。

 

 

しかしそれだけ聞いていればよいわけではなくて、自分のなかで、いろんな音楽を結びつけ身につけることです。継続して、いろんなものを聞いたり、あるいは実際に、自分の声で歌ったりしたときに、どうなるのか、求めることです。

 

そういうことを何年もやったときに、今まで聞いていたつもりのものが全然聞けていないことに気づく。もっと違う聞き方がある、あるいはもっと自分につながる聞き方があるというのがわかってくると思うのです。

 

だから同じ時間に自分にあわないもの、何でこの音楽を聞かないといけないのかとか、嫌いだとか思うものも入れていく。学べる要素があるということです。

 

 

ヴォーカリストのなかにもいろんなヴォーカリストがいて、学びやすいフレーズから与えていきます。まずはシンプルなものからです。シンプルに歌っているものは、今の流行ではない場合もあります。しかし、勉強する場合は、そちらの方が大切だということです。

 

レッスンというのは、そういうのをとりいれながら、実際に私やトレーナーがどういうふうに聞いて入れたかを伝えています。

音楽ですから、この歌は感動しないといけないとか、この歌詞はこういうふうにとらえないといけない、そんな理屈はなくてよいのです。しかし、道筋がないとその世界に入っていない人にはわからないのです。

 

材料として与えられたときに、いわれたことを肯定しなくてもよいのですが、まず、そういう聞き方をしてみてください。世界の人たちが受け入れてきたから、その音楽が残ってきたわけです。

自分は全然感動しない。そういったときに白紙にして、もしかしたら5年10年もっと聞いていったら、そのことが自分でもわかるかもしれないぐらいでとらえてください。これは大切な学び方の一つの方法です。

 

おもしろくないと思っても、自分より感性も声の技術もすぐれた人が、どうしてそういうものを聞き、そのように表現するのかを考えましょう。それは、内部の感覚を読みとるのに、よい方法です。

自分の好きなものは確かに心地よいし、聞かされたものでは好きでも何で感動するかわからないかもしれません。

しかし、それはあなたの好みで決まるのではない。そうではない世界があり、自分で学べていなかったり、今まで入っていないがために経験していなかったゆえに、心を動かされなかったものかもしれません。

 

サッカーを知らなければリトルリーグでも感動する。そういうプレーもあるでしょう。でも、それは一所懸命さや直にみて、熱に浮かされていることが多く、本質的なものではない。見物人やファンはそれでよいのです。プレーヤーは、そこでは育ちません。ワールドカップをみて海外に留学する中学生もいるのです。そこと競う力をつけることが必要ではないでしょうか。

 

どこでも深い世界があります。すぐにわかるということではないです。

そういった材料をたくさん体のなかに入れるということが、音楽の勉強になります。

入っていないとでてこないからです。それだけ入れてもらうのに、初心者が2年間で到底充分とは思えません。

 

 

 

Wのレッスンがあります。これは、楽譜、楽典、音楽の基本となるものです。よく楽譜なんて読めなくてもよいではないかといわれますが、話せる人は文字なんて書けなくてもよいというのと同じです。

書けた方がよいし、読めた方がよいでしょう。

 

音楽を伝えるのはとても難しい、言葉で伝えるのも難しい。さらに楽譜で伝えるというのも同じです。それでも自分がそれをやる立場になったときに、こういうものがあるとおぼえやすい、勉強しやすいということです。

 

逆にいうと2年間で確実に勉強して身につくものというのは楽典であったり、あるいは音感、リズムなどの本当に基本的な要素です。そういうものはやった分だけ身についてきます。

 

 

声というのは最初よくわからないもので、わかってきたということは身についたことです。体には限界があり、毎年、急に強くなっていくわけではない。そういうことでいうと伸び悩む。同じ2年間あればこのぐらいやっておこうというふうに考えてよいでしょう。

 

右手一本でもピアノぐらい弾けるようになればよいです。たとえばピアノが弾けるというのは、踏面が読め、リズムがとれるということ、それで音は間違えません。

声の場合、音がわかっていても、さらに自分の楽器である体を調整しないといけません。

 

音程などが苦手な人はこの機会にキーボードをやってみるとよいと思います。ピアノの個人レッスンもやりましょう。それを作品にしていく場として、ここもあります。

ほとんどの人は、ステージでやらないといけないわけです。音声で表現していくわけですから。

 

仮に人前にでないとしても、そのつもりで歌わないとよくないわけです。

そういうときに力がでないと困ります。

基本というのはトレーニングですから、力以上のことをやるとばらばらになるわけですが、どこかで統合され、それが結果としてどうだせるのかというのをチェックします。

 

こういうところにいるとトレーニングばかりやっていたら何かうまくなってくると思いがちです。そうではないです。こういうふうにやりたい、歌いたいという意図があって、それに対してトレーニングが結びついてくるわけです。そうすると1ヶ月単位ぐらいでチェックすることは大切です。

 

 

ここの基準の一つになるのがステージ実習です。

最初はここにでてきて3分ぐらい自分の好きなことを話すわけです。

音声を表現することで、舞台の大切なものを学んでください。

 

まずはテンションです。何にもなくてもテンションが高いだけでも3分ぐらいもちます。これがないところでどんなにうまくても伝わらない部分でもあります。

 

本当にうまくなろうと思ったら、素人とプロの違いを知ることです。それは集中力とこれを支える体力に負います。集中力がないと完全にコントロールして、前にだすことはできません。

それから音の世界の動きを知る。これは音楽性に関係します。こういったものを自分だけではつかみとれないだろうというので、こういう場があるわけです。

 

 

音をつかむということは簡単なようで一番難しいわけです。

そういうところから自分が何をしたいのかとか、自分がどう歌うのかと、自分をみつけていく。

 

ここでは順番をおっています。1年ごしに繰り返していきます。毎日、自分でそこのやり方だというふうなものを勉強していくのが、よいわけです。

ここでできることは1/10、1/100ですが、核心にあるものです。

 

ここでやっていることを本当にできている人というのは、その10倍も100倍もやっています。1冊の本から10冊ぐらい自分でよみとる。1つのメニューから自分で気づいていく。

これがどのぐらいできるかというのが、歌とか音楽という前に結局、伸びていく才能です。

 

 

朗読になると1つの物語が与えられます。それは、ことばで限定されるわけです。物語はおもしろいからみんな聞く、あるいは有名な人の作品だから聞く。

それだけではよくないです。それが聞こえてくるだけだと、10人がやっても同じ作品からいろんなものが聞こえる人と、全然おもしろくない人がでてくるわけです。

 

人と比較する必要はないのですが、ポップスのオリジナルというのは、誰もやらないことをやることということで誤解されているのです。同じものをやったときに別の形にでてくるものがオリジナルです。☆

 

そうすると課題というものをきちんと設けてやった方が勉強になるということです。課題とは型です。自分の好きな曲を勝手に歌っていたら誰も否定しません。しかしだから何なのだということになります。

すると学べないわけです。ところが同じ課題をやると自分はこう歌ったけれど、あんな歌い方もあるのかと、いろいろ気づいてくるわけです。そして、はじめて差や違いが音のなかでわかるのです。

 

 

ここでやることは完成ではないのです。プロセスでやることです。

レーニングの場で思い切ってやるということは、次に何を学ぶかということを自分で気づくためにやるわけです。ですから積極的にでてください。

それが面白いとか面白くないとか、できるできないとか、そんなことも捨てて、前にでて自分をオープンにすることです。

 

いつもレッスンのなかで気をつけるようにいっていることは、まず前にでるということ。人の後ろにかくれないということです。何か学ぼうとしたらそのときには自分を活かし切ってください。

まわりのことを考えなくてもよい。

 

唯一、時間は約束事です。たとえばレッスンでも一番にやるというのは、なかなか大変なことです。最後にやる人よりも厳しいことを任されます。

それをきちんと引き受けていく勇気が力です。

そこからやれなくなる人が多いのです。そのうち初心を忘れてしまう。それはみんなにとってもマイナスなことだと思います。

 

 

別に歌でなくてもよいのです。存在感を音声で残していく勝負です。毎年、何百人以上の人と会い、5年前、10年前でも覚えている人もいれば、2年にもなるのに、覚えてない人もいます。

自分の世界が確かにあるということ、人と接するところで何らかの存在がだせるということが大切です。

 

ただ、これが目立てばよいとか、おもしろいことをやればよいとか、のりよくやればよいだけではよくないです。そこからでてくるいろんな迷いをつきつめていくことです。音声で表現するライブの場でこういう基準でみられていると思えばよいのです。だからライブハウスやカラオケでやるのとは違ってくのです。

 

まねで終わらないこと。人と同じことをしないということです。隣の人と同じことをしないことです。同じフレーズでも他の人がこうやったからと、そのままをとってしまうのでは、あなたの意味がないわけです。

それがつまらかったら、大体はつまらないですね。自分はこうやるのだというのをみせつけてください。

 

 

つまらないとやめる人は、つまらないなかで、もがいて何かをつかもうとしている人ほどのこともしていないのに、自分でもさしてつまらないこと以外出せてもいないのに、何もつかもうとせず、また、どこかで同じことを繰り返すか、あきらめてしまう人です。少しキャリアがあったり器用な人に多いのですが、ろくなものではありません。☆

 

声に自分の作品を問うことです。基本のまえの基本の条件は、声がでないとか音楽が勉強できていないからできないではないのです。姿勢がないからできないのです。それの上にはじめて音楽が宿ってきたり、声が宿ってきたりするわけです。

 

何もなくて誰でも表現はできます。私は絵も彫刻もできます。ただ、素人です。その表現の核心にあるものをより確実に人に伝えるためには、技術が必要です。

 

 

最初は、何かわからなくてもいろんなことをやってでてくるのをまつ。それを一歩進め、自分で考え出していく。日本の学校教育を受けて、ここにくるとカルチャーショックがあるようですが、だからこそ、こういう混沌を楽しめる人になってもらいたい。

そうでないと舞台やっていても、つまらないでしょう。何事も他人まかせになりがちです。

 

だから群れないということです。こういうところにくるとすぐに、ここで説明したことを人に確認したりしているようですが、わからなかったら、それを言った人に聞くことです。

長くいる人たちがいろいろいうのに、まどわされず、自分で判していくことです。

わからなければ迷えばよい。そんな時間があればトレーニングをやればよいわけです。

 

ところがそんなことが日本の社会で一番難しいです。

ロビーでたむろして、仲間意識で存在感、帰属感を感じることに生きがいを見いだすかのようになる。

そんなことだから、他のところではまったく通じないのです。

 

 

伸びていく人は1人でコツコツとやっていきます。

基本のトレーニングはみんなでやったら伸びていくということはないのです。

 

できなくて、それをトレーニングでなく、ぐちをこぼしたい人が一番まわりに話すわけです。どうも、こういう世界はみんなそうのようです。

でも、それは無駄なことです。

ここでは、自分の作品で問う機会があるのです。しかも、毎回レッスンごとに、実力があればできます。

 

私のいいたいことは、私のことは、このステージで聞いてくれと。それしかない世界です。

人が多くなって場そのものが変わるのです。どう変わるかは、あなた次第です。

 

 

余裕があってプロの世界で遊んでいるのならよいのです。

こういう研究所というのはそれをやるところまでのプロセスです。

そんなときから、これが終わったらどこかに遊びにいくとか、今日どう歌うのかを考えていないのなら、まだこの世界に入っていないわけです。

 

真剣勝負の場です。それに対して、仲間外れにされる感じがあったり、誰も声をかけてくれないとかいうようなことがあっても、あたりまえでしょう。

必死にやっている人に声などかけられない。

 

そういう万年ベンチのなかに入るより、誰にも相手にされないからこそ練習すればよいわけです。

歌で示すことです。

そこを間違えないでください。

ここに来ているとかみんなと一緒にいることで、何か身につくということではないのです。

 

 

 

 

オリエンテーション

 

ここでやっていることに関していえば、かなりキャリアがある人がいらしても、そのキャリアは、あてにならないことが多くて、今まであまり不便はしてきていない。

この人はできそうだから、初心者と一緒にやっていたらレベルが合わないという問題も、ほんとうに起きていない。

 

順調にそういう活動をしてきた人ほど、来ませんから、何か声に問題が出たり、基本的なことができてなかったりして行き詰まってくる場合が、ほとんどです。

 

ここで、学び方をエッセンスとして、お話します。

とにかくスタンスに迷ったら、ここは、音声で生、ライブで表現しなくてはいけない舞台に対してのことをやっていると思ってください。

 

 

レクチャーを聞いたり、本を読んだりするとわかったような気になって、ここにきて、次にいこうとするのですが、これは、困ることです。

わかることとできることの違いを埋めるのがトレーニングです。

 

芸事であればサッカーをみていて、なんかできたような気になって、近所でチーム作ってみてボールを蹴ってみたら、ああ何かサッカーらしいと。多分、シュートして、そう思うのでしょうね。

そのらしいということとプロがやっていることというのは違うわけです。

 

レクチャーで話したことが仮に2年でできたら、大したものです。そんな人は0、1パーセントもいません。

でも、そこを最低ラインのベースにおきたいということです。

皆さんのなかには目標が高い人もいれば、そうではなく、今までマイナスだったからなんとか人並みにしたいという人もいます。

 

 

比べるのでなく自分が伸びるということが大切です。伸び率、要は、他の人と比べてみて、自分が一番できていた、などというようなことはどうでもいいことです。

人生での勝負ですから長いとはいいませんが、たかだか2、3年、プロをやって、うまいといわれて、そのまま、横ばい、落ちていくのなら、ここの意味がないわけです。

 

どんなに一番下手で、2年たってなんにもでなかった、でも卒業してみたら、そのことをふまえてしっかりと伸びていた、その方がよいわけです。

ここのなかで一定の効果をあげていければ、これが一番よいのですが、あまり効果とか合理的に身につけていこうとか、考えると失敗します。

 

ただでさえ、頭が働いて、これだけのことをやったらこのくらいいくはずだと、何か計算がある。そこをなくしていく。これは意外と大切なことです。

 

 

〇自己流の限界

 

ほとんどの人にとってもっと入れなくてはいけないことは、後で伸びる材料です。

独りよがりでやっていく人とプロでやっていける人というのは、大きく選っています。

 

独りよがりというのは、最初、上達が早いです。でも、どこかでピークがきて、そこで止まります。

ここでいうと1年半くらいです。思い通りに一所懸命やるから、その時、がっと伸びる。他の人のいうことを聞かないから、それだけ自信を持って伸びるわけです。ところがそこから伸びなくなってしまう。

 

基本をやる人は最初、伸びないです。むしろ悪くなることも多いです。☆

あたりまえのことですが、基本というのは、最初、体の使い方とか息の吐き方とかですから、そんなことは歌と直接関係ないようだし結びつかないからです。ただ、そこの力がついてくると歌がよくなるのです。勉強ばかりするより旅に出る方が成長するのと似ています。

 

 

あるところまでいかないと、見えない場合がほとんどです。

ほとんどの人が、停滞したところで伸びないのです。

プロに比べて、自分は下手だとそんなことであきらめてしまうのです。

結局、それだけのことで終わってしまうのは、自分で見えたところまでしか行けないからです。

 

ずっと自分にオンして伸びていくために、ここを使ってほしいと思います。

最初に他の人よりできてなかろうが、同期の人より、できていようができながろうが、そんなことどうでもよいわけです。そんなところでの競争ではない。

 

そこからどうなるかということが問題であって、最初からうまかったけれど最後まで変わらないというのであれば、結局なにもここで身につけなかったということになるわけです。

 

 

ここは徹底した基本をやっています。

つまり初心者にも対応しているが、世界の一流、どんなプロ中のプロがきても対応できるだけのものがあるということです。

 

レクチャーで「つめたい」など、いくつかの例で出してます。

2年たって、たった3音で3度のたった1フレーズでも、同じようにできる人は、そうはいません。

最低ラインの基準になるのにクリアしていないで、先のことばかりやっていては伸びないのです。

 

年間100人くらいでも、その条件が2年間で満たせる人は、ほとんどいないです。それだけ基本は難しいものです。しかし基本がきちんと身に付いた人でないと、そこから伸びない。

だから、歌を歌いたいということでも、役者みたいにセリフを表現したいということであっても、それからアナウンサーでもレポーターでも、あるいは、人前できちんと話せるようになりたいということでも、同じことです。

 

 

違いは、応用の方向と基本の精度でしょうか。

ですから、違いをきちんと埋めていく。

わからないこともたくさんあります。わからないから研究所を創って、わからないから人と交わりながら追求しています。

わからないものをわからないままにきちんと認めて、それをきちんと深めていくように努めています。

 

大体は、一番わからないのはあなた自身で、あなたがどうしたいのかということです。わからなくたって、伝えたら相手がなにか受けとめたと、そういうことでもいいわけですね。

すべてがこういうふうに書ける、こういうふうにしゃべれるという世界ではない。そういうことで表現できる部分というのは、1パーセントくらいです。わずかなことです。

 

氷山であるとしたら。これが(先端)がでるためにこれだけ(下のほとんどの部分)が必要です。そこは見えないんです。

 

 

ここでいうと、ここでのトレーナーをサンプルにしてもよいでしょう。

人の前に立っている人というのは、ここを見て、たった1つか2つのフレーズを聞いて、何か与える力を持っている人たちです。

そうでない人は、私は認めません。

 

腐書きがあっても、どんなキャリアがあって、コンクールで優勝したことがあっても、今ここでできなければ、意味がないわけです。そういうできている人、伸びている人と自分とは、何かが違うわけです。

 

まねしなくてもよいですから、きちんとその距離を見極めることです。近づくっていう考え方はしなくていいですから、そういう人たちの持っている共通の要素をどんどん自分のなかに取り込んでいくと考えてください。

 

 

歌がうまくなりたい、ヴォーカルをめざしている人はきています。

歌がうまくなることの前提というものがあって、それは今までも言いましたけれど、入れ込むことです。

入っていないと出てくるわけがない。

本当の意味で必要性がないのに、それが表現として、あるいは舞台として成り立つものではない。

 

だから最初にやってほしいのは、一見、無駄かもしれないですけれども、器を大きくつくることです。

そのことを2年きちんと続けて欲しい。

学び方も、日本人はなかなか苦手なもので、クリエイティブでない。

与えられることに対して、応えてゆけばよいということになりがりですけれども、表現することです。

 

本当のことでやっていきたいのであれば、創造することです。これは芸人や職人の世界と同じです。ここで与えられた一つの刺激を受け取って、どこまで自分のイマジネーションで膨らませて、作品にするかです。一つひとつの取り組みが問われます。その辺が、芸事です。

 

 

たとえばスポーツで目標が2年後の試合だというのであれば、それに対して、目標として強化すべきことやレベル、程度で、カリキュラムも決まります。

強制的に走らせたりとか、そういうことはできますが、こういったものは、自発的な意志で取り入れていく。人によっては時間がかかる。それも見ていかなくてはいけない。

 

1カ月目にみんな同じライン、というやり方ではない。人それぞれのやり方もあり、いろいろなレッスンもあり、相性もある。

同じレッスンを受けていても、わかる場合とわからない場合、あるいは分わかった人、わからない人もいることです。そのできも、その判断も、それぞれでしょう。

 

とにかくひとつにくくれないくらいあるわけdす。

なぜなら同じアーティストは二人と存在しないからです。

 

 

体育会系の限界は、命令されたがること

プロセスより結果を出したがること

 

 

〇キャリアとして年齢をつむ

 

 

年齢のいっている人、今までなにかやってきた人であれば、やってきたこと全て、使えます。

うれしかったこと、悲しかったこと、辛かったことにも、無駄をしたことやまったく意味がなかったことのなかにこそ、いろいろ入っているわけです。

 

そういうものから得てきた経験を、なるべくうまく活かしてください。

総動員させて取り組んでいくことです。

自分の環境、そして生まれてからの歴史を総動員しての勝負です。

 

知識の世界ではないです。頭の世界だったら、新しい知識を覚えることぐらいでできるのですが、身体はそうではありません。

すでに必要なもののいくつかは、入っているわけです。

まず入っているものを全部、取り出さなくてはいけない。

使い切ってください。

 

 

いったい自分のなかになにがはいっているのか。

使い切らないと足りないものもわからない。

 

歌は誰でも歌える。簡単なものです。

でもすごく歌える人は、全然違う、次元の異なる歌い方をする。

そこの差っていったいなんなのか。

 

だれでもサッカーもバスケットもできる。でもそこでプロとして活躍する選手は違う。

映像で何回見ても感動できるような技をやっている人は、バスケットを形でやっているわけじゃない。もっと器として大きなものをもっている。そのなかで、表面に現れたものがスポーツの試合です。

 

 

こういったことを受けても、ここで自分の創造的な作業が行われなければ、まったく意味がない。

アンケートで問われて、その答えを書いてくるだけではしょうがないわけです。

問いをつくる方の立場でみることです。

 

映像を見て、これを知ったというのも、ひとつの勉強です。

だが、体の条件、感覚の条件を変えなければよくはならない。

 

うまい人というのは、大切なものを抽出して作品にする。

その人から大切ものを抽出して自分の作品にする。

すぐれているもの、そうでないものをわかるように示していく。

いろいろな曲、一流のもののなかから共通しているものを取り出していく。

 

 

 

3つのこと

 

<人の前に出ること>

 

〇感性を豊かにもっていても、人前に出て示さなければ伝わらない。

自分をさらしていく。

 

〇つらいことをつらい歌にしてはいけない。

入り込んでいたのでは、ただの自己陶酔。

セレクトして抽出し、高めた表現を出していく。

いろいろなことを昇華し、出していく。

音声でそれをやっていく。

 

〇音声でやっていくことは、難しい。

楽器をつくるところからやらなくてはいけない。

調律して演奏していかなくてはいけない。

自分の演奏でなくてはいけない。

色は目で見える。

プロでやっていく人は、音も見えないとできない。

自分の声/魅力/よいところ/すぐれた表現を取り出したとき、

プロとはどう使っていくかがわかっていく。

そのことが大切。

 

〇レッスンは思ったこと、感じたまま出していく

そのことがうまくいかないとき、

その“思い”に身体が対応できるようにすることである。

 

〇自分がただ気持ちよいということでなく

客観的に、今、自分が何をやっているかをみつめ、

きちんとやることに向かっていないといけない。

 

〇100回やったら100回同じようにできること

〇トレーニングは、音色の世界で出会うためのもの

〇ここには、時間があれば誰でもこれる。

しかし、まだはじまってはいない。

 

 

 

<マネをしない>

 

〇入ってやり切る。

自分の方へ持っていくこと。

マネからはいってもよいが、それを目的にしない。

常に動めいていること

何が起こっているか、試すのはよいが、同じものは必要ない。

より自分を知るために同じことを得て深めていく。

 

 

 

<群れない>

 

〇一人で静かに深めていかなくてはいけない

それしかない世界。

〇1パーセント出せる人は、99パーセントを一人でやっている

身につく人になる。

〇感覚を変えるトレーニングしてくること

今日やれることは今日100パーセントやること。

よいものがはいっていれば、100パーセントやれば、足りないところもわかる。

〇全身でやっても伝えられない、通用しないことを自分でわかること。

〇人との共同責任や外的要因ではない。

すべて自分の責任。

他人と相談してレッスンに出ているようでは終わっている。

 

〇ここでは細かいことはいっていない。

あなたのステージ(歌の世界)については口を出さない。

〇映像に音に何も学べないところから聞く力をつけていく。

テストに出るから勉強するのではない。

〇どうしたら成功するのか、できないのか、

言葉で説明できるものではない

〇言葉のいいかげんさや視覚効果、照明などでごまかさない。

何もないところで、どれだけ問えるか。

〇認められている人たちは、何があるか、どこが同じか、

何が見えているか、そこをみていくこと。

 

〇逃げ道をつくるのは自由、

一回勝負のもの。

自分がステージに立ったときは誰も助けられない。

〇ここで与えられるのは、刺激で素材、

皆と同じ世界のところから、

絶対に違うものが自分のものとして出てきたときにわかる。

〇揺り動かす体験・必要、

その先にビジョン、出たものに対しての責任を持つ。

持っていけるようにすること。

〇どんなに間違っていてもやりぬけばよい

徹底的に間違うこと。

いい経験となる。合理的にやれるようなことではない。

 

〇大勢のなかの一人ではいけない。

自分を中心に。主体的に自分を出す。

〇何時間くらいやるものですかという質間の無意味さ

好きな奴は、時間があればやっている。

〇芸の世界やっているということは2~3年でわかったと思わないこと

やっていくプロセスを自分がおもしろがり楽しむことができるか

〇感謝の気持ち、たくさんの音楽や人と出会った歌

〇ここで出会ったのに、それでつるんで、

自分のいる場やいた場を悪口いうのは情けないことです。

〇素直であること自分に何かがある、

もっと大きなもののために、それを捨てなくては得られない。

〇アイドルグラビアデビューと同じでよいのか。

〇継続しかない

どれだけやったのか。

〇一万人の頂点に立つだけのことをやる。