表現のヒント 901
1.歌とブレスヴォイストレーニング
イメージを声にして出す。声をイメージすることに、
感覚に体(声)を対応させる点で共通する。
ただ、トレーニングはそのための手段であり、ヴォイストレーニングは、
それのつながりを100パーセント確実にするために行うものである。
そこでの試みはデッサンであり、自分を知り、自分の可能性を広げておくもの。
それに対し、歌での表現は、感性の抽出であり、
ギリギリに表現を高めるために絞り込まれたものである。
それは、そこで自由に感じたままに変化する。
(日本のヴォーカリストのステージが、おしゃべり(MC)や構成、演出に負うのは、
歌にそこまでの表現としての対応力がなく、トークの方にまだあるからと思える。
客も歌い手も、古い形式のなかに囚われている。)
2.表現の本質
1)生命力、立体感
2)人に働きかけ、それを動かすもの
感動は、ただの満足、ストレス解消でなく、聞く人を楽しませるだけでなく、
その根底にあるものをゆさぶらなくてはいけない。
それに触れると人々は人間の強さ、美しさ、可能性を信じられるものと感じ、
深くいろんなものに気づく。
そして、生命力をよみがえらせ、さらに自ら行動するよう動くようになる。
リアルになる。
そのときのイメージ、理論を与える。
原動力とパワーを与える。
手段としてのツール(声)を与える。
それが、ブレスヴォイストレーニングであり
なぜ、アーティストがカリスマとよばれるのか
また、そこに群れる人を育てるのか。
ステージをしているものへ
レッスンのリーダーとなっているものへ
レッスンに来ているものへ
それを問いたい。
どんな歌でも、聞いて、すぐに自分のフレーズで作品にしてしまうトレーニングを
つまり、自分の内的世界を何らかの外の刺激で音に化し、出していくことです。
この場合は、他人の歌を使いますが、このときには、次のような勉強をします。
また、これがあなたの作品のよしあしを決めます。
1)聞いた歌の働きかけ、詞、メロディ、リズム、構成、アレンジなどから、
もっともすぐれたところ、見習うべきところ、変えてはいけないところ(ルール)を踏まえる。
(ないときは拡大し、自分の世界や他のすぐれたアーティストの感性から補い、読み込む)。
2)1と逆に、すぐれていないところ、変えるべきところを見つけ、自分のスタイル、呼吸にそってよくする。
3)1、2のバランスを本質的にとり、自分の表現したいものに、自分の音楽性やスタイルを最高の割合で適合させる。
そして、あなたしかできないすぐれたフレーズとして、作品にする。
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秋季講習コメント☆☆
【関西集中レッスン発表会ライブ評】
60秒の想い、まじめ、ひたむきさの強さにありがとう。
ここのライブでよかったのは、1年半前、プレBV座のベストメンバーでやったとき以来だ。
毎月、プレBV座やライブ実習でちらほらよいものは出ているが、
いくつか出てくると、やはりその効果は倍増するのだろう。
私が頭が下がったのは、ピアフ演じる美輪明宏氏の舞台以来である。
トレーナー3名の評も、「おもしろかった」「感動した」「うらやましく思った」と、
皆、同じ感銘を受けたようだ。
最近では理屈が多くなっている。やっていないがための逃げ口上ばかり、
トレーナーは「そんなこと、これしかやっていないのにできるわけない」
「やらなくてできたら奇跡だ」「やっていないからできないだけだろう」
といいたいのを押さえている。
自分の鈍さ、やっていないことを先生たちやレッスンの進め方のせいにする
頭でっかちの人たち、できないあなたたちが足らないのに、
それを「足らなくて何が悪いんです、どうかしてくれるのが先生でしょう、もっとやり方を考えてください」
などといいたげに、自分のトレーニング態度を省みることもない人までいる。
私自身は決して、接したり教えてくれた人に、こういうスタンスで対したことはなかった。
それだけに、その頃からまわりの環境に恵まれつつも、長くやるほどに頭がでかくなり、体で支えられず、いつまでも本当の意味で上達していかないのが、こういう人たちばかりだったことを知っている。
今、考えると、よい反面教師だった。
だから、注意しているのに、その耳をもたないからお手上げだ。
(本来、こういうところには、自ら学ばない人は来てはいけないのだ。
自分の鈍さをたなにあげ、対応できないからやり方をうんぬんいうのだろうが、
そのまえに対応できない自分を省みることだろう。)
特に、1年そこそこいると、わけのわからない後輩などが入ってくるせいか、
したり顔してこのように考え方が変わっていくのは、おどろくほどだ。
そういうのを何度もみて、そういう人たちは正しく道を進めず、一人よがりの歌い手や表現者に堕ちていった。
この国では、若くして成功したプロでも、自己満足のうちに、かつての知名度にのみ支えられ、客商売にしたステージとなるのをみたら、わかるだろう。
日本は、環境が甘いから、才能のある人ほど不まじめになりやすい。
その傾向は、今回の舞台でもはっきりとみえる。
主役をとれたはずなのに、脇役にまわった人たち、
君たちはどう歌っても一般の人とやるくらいのステージではもつ。
だからといって、それで終わってはもったいない人たちなのだよ。
盛り上げてはくれたが、勘違いせず、自省をお願いしたい。
そういう人は、いろんなバックグラウンドやフレーズ処理、器用さもみえたが、どこかしら形が浮いていた。
それに対し、まじめさ、ひたむきさ、本気一それの伝わるステージは最強であるということを改めて感じた。
これは、年齢やキャリアと、さほど関係ない。
だからヴォーカリストは、10代でもデビューできるのだ。
自分の近くで、自分ができない、自分よりやっていると、感じさせる人、年月や技術などではなく、
その人の創り出す作品を通して熱い想いが伝わってくるのに触れられるのは、大きな喜びである。
「こんなにやっている奴がいる」
「いったい、これを出すのにこいつはどれだけやったんだ」
「ここに入って、一日も休まなかったんだろうな」と、
こんなにシンプル、こんなにストレートに、こんなにたくさんのことを伝えられるのだ。
これまで何度も確信してきたことが、普段のレッスン上で実行されると、
やはり目からウロコ、心にグッときて、胸にこみあげるものがある。
たった60秒のワンチャンスを最大に活かした
その力、テンション、普段の心構えに、その努力に、
私は、素直に頭を下げたい。
もっともっと聞きたかったし、抱きしめたかったよ。
今日、勝ちえたものは、すべてあなたのものなのだ。
もちろん、君らを育ててくれたトレーナーにも、
まわりの研究生にもお礼をいいたい。
このように、本物の歌や音楽は、たとえ片鱗が示されるだけであっても、
へそまがりでどうしようもない私の心まで満たし、
素直に、そして、こんなにも元気一杯にしてくれる。
ありがとう。
でも、これから始まるんだよ。そこまでは誰もがいった。
その気持ちをもちつづけていくこと、それがこれまでの何倍も大変なことなんだ。
これまでも、何度もこういう熱い思いを抱かされた。
そして、何度も、こういう人たちが変わってしまうのに裏切られた思いで幻滅させられてきた。
でもやはり、またこうして、改めて夢をみさせてくれる。
人の力とは、偉大なものだ。
このひたむきさ、まじめさが、ずっと続きますようにー
より厳しく気高い世界をめざして、と祈らずにはおられない。
研究所は、私の身体のようなものだったから、
昔、私が自分の身体が声や音楽を自由にできず、
一つひとつ直していったように、
ここもすべて高めていこうとしていた。
今は善悪もなく、なまけものも同居させられるくらい、
余裕も生まれ、人間のよいところだけでなく
悪いところも抱え込むようになり、
そして、ますます動きは鈍くなった。
しかし、人は、自分が望み、やったところにいるのだから、それはそれでよい。
そこに一つかみでもしっかりとやっている人たちが、
ここの心臓として働いている以上、私は安心している。
共に人生を楽しみ、輝かそうではないか。
欠けがえのない自分の命なのだから。