一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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【最後のストライク】

 

「道」

長い人生にはな

どんなんに避けようとしても

どうしても通らなければ]

ならぬ道というものが

あるんだな

そんなときはその道を

黙って歩くことだな

愚痴や弱音を

吐かないでな黙って歩くんだよ

ただ黙って

涙なんか見せちゃダメだぜ

そしてなあ

そのときなんだよ

人間としての

いのちの根が

ふかくなるのは

 

「本音」

人間追いつめられて

はじめて本音を吐く

その時どんな本音を

吐くか それが大事だ

(元広島カープ津田恒美投手が大切にしていた詩)

 

 

「必死で練習してました。あれだけ練習する投手も珍しかったです。とにかくすごかったですよ、やりだしたらはんぱじゃなかったね。よく走ってたし、筋肉トレーニングなんて延々やってましたから。お前プロレスラーにでもなるんかいと、からかわれるくらいやってました。そういうふうにして、津田の150キロのストレートは生まれたんです。ただ単にね、150キロは出たんじゃないんですよ。板前さんがね、朝の仕込みから始まって、夜の調理まで、いろんな手間をかけてお客さんに料理を出すでしょ、津田のストレートも同じです。朝早くから誰もいないスタンドを走って、人の何倍も筋力トレーニングして、気持ちをぎりぎりまで高めて投げてたんです。あれは立派な商品ですよ。たとえボールになってもね、お金を払って観にきたお客さんを満足させるくらいの力がありました」

(元広島カープ達川光男捕手)

 

 

 

「僕のトルネード戦記」(野茂英雄)

 

・「アメリカはチャレンジする者に対してはすごく親切な国、男気ある者に扉を閉ざしたりはしない国」

 

・「もちろん渡米したばかりの頃は、僕もいろいろ考えたことがあります。メジャーでの最高の結果と最低の結果と。ここまで来てメジャーで活躍できなかったら、ホントにシャレにならないし、家族には相当な迷惑がかかってしまう。でも日本の中で現状に満足することが、どうしても嫌だった。メジャーという場で、どうしても自分の力を試してみたかった。未知の将来を不安に思うより、「メジャーに上がれば、それができる」そう思っていました。でも、何度もいいますが、僕は、たった10勝をしにアメリカに来たわけじゃないんです。これからもずっとメジャーで投げ続けるんです。僕のメジャー挑戦は、今年始まったばかりなんです。

 

・メジャーでの記者会見でも、「フォークはどこで習ったんですか」という質問があって、僕は「日本には、フォークボールを教えてくれる学校なんてありません」と答えたんですけれども、ホントそうなんです。握り方とかの基本的なことは、人から教わることが出来ますけど、その後、自分のものにするのは、まさに自分自身なんです。感覚というものは、どうやったって個人差があるし、教えるほうだって言葉では説明できないんですから。よく「フォークを投げすぎると肩やヒジが壊れる」といって、投げさせない指導者がいますが、でも僕はこれは間違いだと思います。「ケガするからやめろ」といって、結局芽が出ず、プロに行けなかったら、自分が後悔するだけ。僕だったら、「フォークを多投しても壊れないからだを作れ」というでしょうね。誰だって、少しでもレベルの高いところで野球をやりたいはずなんだから。

 

・社会人時代、当時、チームのエースから、「打たれても、エラーがあっても、マウンドでクサって“もうアカン”という顔をしちゃいけない。ガックリと肩を落とすのもダエースが感情を顔に出すと、すぐ野手やベンチに伝わってしまう。そんなことじゃ味方の信頼は得られない。だから常に、どうすれば味方から信頼を得られるかということを、考えながらグラウンドに立て、いつも堂々と」

 

・僕はプロになって6年になるわけですが、いまだにこのアマチュア的な考え方が染みついています。だから投げる試合には全部勝ちたいし、一球たりとも手を抜きたくない。1シーズンを通して、数字の辻つまさえ合っていれば給料は減らないだろう、なんて考え方は僕には出来ないんです。また、そうした今の考え方を変えようという気持ちもさらさらない。だから読者のみなさんには、僕の一球一球が、野茂英雄の表現であり、作品である、と考えてほしいと思います。これが、僕のピッチャーとしての大きなこだわりなのですから。

 

・たとえ若い選手であってもプロである以上、自分のトレーニング法は自分で考え、自分で経験し、いいと思ったことは貪欲に取り入れる―そして、その過程で成長していくという姿勢を持ってほしいということなんです。

 

・プロは自分で考え、自分にとって必要なことを取り入れていくものなんだということを僕なりに示したかった。

 

・ある日本の若い記者が、僕に「野茂さん、日本復帰は考えてますか?」と訊くんです。僕は「これから大リーグで頑張っていこうという人間に対して、その質問はないでしょう。そんな気、あるわけじゃないですか」といいました。すると、その記者は「いや、僕もわかってるんですけど、上の命令なんです。ホントは訊きたくないんですけど、ウチの上の人間にはバカなのが多くてね」なんて、シラッという。だから僕はすぐにいい返しました。「あなたには記者のプライドというものがないの?もしそうだったらここにいる意味がないじゃない」と。それと日本のマスコミの人は、ああゾロゾロと集団で行動するのでしょうか?まるで金魚のフンのようです。大人数でゾロゾロとロッカールームにまで来て、誰かが質問するのを待っている。そして誰かの質問にが口を開くと、やにわにメモを取り始める。それも肝心なことは書かないで、どうでもいいことばかりメモしている。この習慣、何とかならないものでしょうか。ホント、世界中のマスコミで、金魚のフンのように群がっているのは日本のマスコミだけです。彼らはしばしば「今の野球選手には個性がない」といっているようですが、ひとりでは何の行動もできない自分たちのほうが、よっぽど個性がないじゃないですか。それに、もし記者のプライドというものがあるのなら、ライバル紙の記者たちとベタベタしたりはしないものです。お互いにプロなら、コメントを見せ合ったりしないで、自分で汗水たらして取材すべきでしょう。アメリカの記者たちは、みんな奇異に思っていますよ。

 

・あるテレビ局は選手が裸になっているときに、ロッカールームに平気で入ってきて、裸のシーンを撮っていました。いっておきますが、ロッカールームというのは選手がくつろいだり、精神集中をしたりする場所なんですよ。それなのにズカズカと入ってきて、人の裸を勝手に写していく。逆の立場だったら、どう思いますか。

 

マイケル・ジョーダンのように、一瞬一瞬が、最高のパフォーマンスで、プレーを見ているだけで、「ああっ」と思わずため息が出てしまう。ちょっとでも目を離したら大切なものを見失ってしまう。そういう緊張感を僕もお客さんは神経を集中しすぎたため、何もすることができない。そういう状態をつくりだすのが、本当のプロなんだと思うんです。(森本)

 

 

 

【「ドジャー・ブルーの嵐」野茂英雄

 

・僕は日本でやっていた頃から、登板が決まると、ひとり頭の中で相手打者の打ち取り方をシミュレーションするクセがついているんです。

 

・野茂はレギュラーシーズン、28試合に登板し、2982球のボールを投じた。そのすべての試合が野茂の「作品」であり、出来不出来はあっても貴賤はない。何よりも彼が素晴らしいのは、アメリカ大リーグという夢の空間をキャンパスにして、個性あふれる作品を仕上げたことである。

 

・あらゆる技術革新は常に、過去の常識を打ち破った者によってもたらされるのである。

最近、日本のプロ野球を経験することなく渡米し、メジャーリーグを目指す選手が多くなっていますが、その先がけはマック鈴木なんです。挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも挑戦せずして成功はありません。何度もいいますが挑戦しないことには始まらないのです。メジャーで通用するかしないか、それは誰が判断するものでもなく、実際にアメリカへ行って野球をやってみて初めてわかること。たとえば、ピアザのような選手と巡り合って一緒に練習して、一緒にうまくなっていくということだってあるかもしれない。環境との順応、チャンスとの巡り合わせ、というのは100人いれば100通りあるわけですから。

 

・「ちょっといい成績をあげたからといって、それに満足したり妥協したりするのは僕の性格に合わない」

 

・昨年のオールスターゲームジャイアンツのマット・ウイリアムスは足を骨折して試合に出場することが出来ませんでした。出たのはゲーム前のセレモニーだけ。足を見るとギプスのようなシューズを履いていました。それでも彼は、ほかの選手よりも2時間以上も早く球場にやってきて、トレーニングをしていたんです。ギプスの巻かれた足でウエイトトレをしたり、自転車のペダルこいだり。オールスターゲーム前だというのに、一生懸命リハビリに努めているんです。これにはホント、ジーンときました。

 

・夢を抱いたら、それを何とか実現しようとするのが人間です。だから僕は、自分が抱いたメジャーリーグ挑戦という夢に対して、それがただの絵空事だなんて否定的に思ったことは一度もありません。メジャーリーガーになるんだという強い意志さえ持っていれば、いつかはきっと叶う夢だと信じてやってきました。

 

・しかし、メジャー・リーガーたちの日常を知るうちに、彼らは超人的なヒーローではなくて、誰よりも努力を重ねて生きるひとりの人間であることに気付いたんです。彼らは、練習をよくしていました。時間の長さを競ったり、上からいわれるがままにする日本的な練習ではなくて、自らのためにすすんでやる練習を黙々としていました。チームの中心選手であるピアザは、巡回コーチと一緒に、地味なキャッチングの練習を延々と続けていたし、エースのマルチネスは登板のない日には汗をしたたらせてグラウンドを何往復もしていました。彼らの汗や表情からは、'メジャーリーガーとは常に上のレベルを目指す、妥協することのない人種なのだというプライドが明らかに見て取れました。

 

・足を骨折していて出場不可能な選手がギプスをはいたままオールスターのセレモニーに参加し、満員のお客さんにきちんと挨拶をしたのです。日本なら、ちょっとした故障でもオールスターを辞退することがよくあります。しかしメジャーリーガーにとっては、ファン投票で自分が選ばれたということが何よりも勲章なのです。また、選んでくれたファンのために、自分がセレモニーにだけでも姿を見せることは当然の義務だと思っているんだと思います。自分がスターであることを誇りに思い、スターであることの責任を果たす。言葉にすれば簡単なことですが、それをごく自然にやってしまうところが彼らの凄さなんです。

 

・ディビジョナル・シリーズがドジャーズの敗戦で終わった直後の、ロン・ガントのひと君「キミのおかげで、メジャーリーグは救われたよ」こんな素晴らしいセリフが、なぜ自然に出てくるのでしょう。普段から、自分が選ばれた人間であり、メジャー・リーグという文化を支えているんだという自覚を持っていなければ、絶対にいえないセリフだと思います。

 

・新人王表彰式の時のモー・ボーンのスピーチもそうです。「今の若い選手は、もっと古い選手を尊敬しなければならない。私がこんなところに立てるのも、元はといえばジャッキー・ロビンソンがいてくれたおかげなのだ」こういった哲葉の端々から、彼らがベースボールをひとつの文化だと考えていることがわかります。野球選手を単なる職業、金儲けの手段として割り切っている者などいないのです。

 

 

~以下、江夏豊氏と二宮清純氏の対談から抜粋~

・野茂はメジャーで投げた3000球ものボールの、ほとんどすべてを記憶しているというんです。寝る前にいつも、あのボールでよかったのか、あのコースでよかったのかということを、脳をスクリーンにして復習する。たとえ三振に切って取ったボールであってもはたしてそれがベストだったのかということをきちんと検証する、と。マウンドでは、あれほど大胆に振る舞いながら、じつはものすごく観細な神経の持ち主なんです。

「打ち取ったから、ああよかった」これで終わってひと安心していたら、それ以上の進歩は期待できない。なぜ打たれたのか、なぜ抑えられたのかということを、ピッチャーはひとりきりになった時に考える。(江夏氏)

 

・オレは入団2年目に村山実さんから「メモを取れ」といわれたのがきっかけやったけど結局、引退するまでの18年間でダンボール1箱分くらいにはなった。内容は思いついたことを落書きみたいに書いた。打たれたボールのことや、その前後の組み立てのことやあるいは打たれた時の精神状態こととか。(江夏氏)

 

・ピッチャーという生き物は、18.44mの空間にプラスして、43.2cmのホームベースの幅で、どのような表現をしていくか。生涯、そこにこだわっていくものやと思う。

 

 

 

「野茂とイチロー 夢実現の方程式」

 

・競争の激しいメジャーの中で、それなりの成績を残していくには、並大抵の自己管理ではやっていけないのはわかる。そういうメジャーの選手たちの姿を目の当りにして、野茂は何かを感じ取っているのだ。それは、近鉄時代、浴びるほど飲んでいたアルコールを一切、口にしなくなっていることや、タバコを吸わなくなったことからもわかる。コンディション面で、野球にプラスにならないことは、すべて排除する姿勢がそこにある。

 

・「メジャーの選手たちの間には、一緒になって何かをやろうという気風はないんです。日本では何をやるにも団体行動、団体の和を乱すなんてことをしたら、連資任ということになりはしないかと思うけど、アメリカは個人を優先させるんです。やるかやらないかは個人次第、ゲームで力を発揮しさえすればそれでいいのです。そのために、何をしていようが個人の勝手。でも驚くほど、自分たちの体のケアをしている。キャンプでも、町のスポーツクラブを借りて、ウエイトトレーニングとともにケアのトレーニングをやっていますから」つまり、全体の棟はわずか2時間ぐらいだが、その前後にある個人の時間を非常に大切にしているのだ。

 

・球界には、かつて天才といわれるプレーヤーが何人もいたが、もって生まれた素翼を切り売りしていた人が多かった。人並みはずれた筋力や体格を持っていたり、地が強靭だったり。だが、そういう選手たちは概して努力をしない。逆にいえば、人並み以上のものを持っていたから、それほど努力する必要もなかったわけだ。

 

・「ぼくの生きてきた道は、いつも人の声に対しての反発だった。一生懸命にやってきたときに、どうせプロになれないだろうといわれた。それに反発して本当にプロになった。ダメだというのならば、よーしやってやろうと思った」

 

・「個性的とか利己的とは思わない。自分を殺してまで、相手に合わせる必要はないでしょ。上の人からいろいろいわれたからと、納得もせず、それをするなんてナンセンス。自分に合ったと思えばやればいい」

 

・「ぼくって自分のいったことを守らないっていうのが、ものすごく嫌いな人間なんです」

 

・「何も考えなければ、進歩はありません。いろいろ思考するから、新しい壁にぶつかっていく。いつまでも同じところには、ぼくはいたくない。変わらなきゃも変わらなければいけないんです。

 

・「その人が入ってきて、キャアキャアいわれるようじゃ、まだまだダメなんですね。なんか、みんながホーッという溜め息をつく。全体がピーンと張り詰めた張感に包まれるというかそれがスーパースターなんですね」

 

・「全てのスポーツにおいてそうですが、パワー、スピード、リズム、それらのバランスが高いレベルでミックスされてこそ、プロのアスリートだと思います。そんな選手がアメリカにはいっぱいいる。

そしてまたアメリカの選手はスタジアムでプレーを見せることにすべてを賭けている。だからプレーを離れたときの私生活は見せようとしないし、それぞれ個人の責任で行動している。個人というか、個性を大切にしているというところがたくさんあるように感じました。日本はチーム全員が一緒に動いて食事まで一緒にする。ところがアメリカのプロスポーツの世界は、全員の行動はバラバラだけど、プレーの場になれば、集中力を発揮して見事にまとまる。これが本当のプロだと思うんです。ただ団体行動をしていればいいというものじゃない」

 

・「このとき、実感しました。まだ、メジャーに入ってやれるなんていう体力はありませんよ。ぼくがメジャーでやるなんて、おこがましいですよ。でも、自分自身、課題がはっきりとわかっただけでもよかった」

 

・「プロの本当の姿は、戦いの場で、いかに集中力を持って、自分のプレーをファンの前で見せられるかということ。だから、努力している姿や汗をかいているところは、人前で見せるものではないと思うんです」

 

「王さんはすごい打者だということはぼくらにもわかります。あの迫力はそばにいるだけで伝わってきます。一つだけ好きになれなかったのは、一本足で鍛えている姿を、マスコミの前に見せたことです。居合抜きや、荒川さんの家に通っている姿は人に見せるものではないように思えるんです」もちろん、王選手の人格とか、技術について、軽視しているのではない。「プロはその過程を見せるものではない」というのが、イチローの信念なのだ。ファンに見せるのは、常に完成品でなければいけないというわけである。同じ考え方のチームメイトと部屋で人知れずスクワットをやり、体を鍛えている。イチローは平然とこういってのける。「ぼくは鍛えているとは少しも思っていません。やるのは当たり前で、それが日課になっているだけなんです」

 

・いろんな世界の一流の人に会う機会があった。それなりに違う世界を垣間見ることができた。が、頂点に立った男たちが一様に考えるのは、周囲の期待に応えようとして余計なプレッシャーを感じるより、まず自分のできることから入るという素朴な行為だ。

 

イチローのプロ意識は体を動かしているときだけに限らない。仲間と食事に行ったときでも同じだ。みんながビールを頼んでもイチローは一切アルコール類はロにしない。オフの間は乾杯の時などにはビールに口をつけたり、気分がいいと2、3杯は楽にいけるのだが、キャンプに入るやまったく飲まなくなってしまう。その理由が、いかにもイチローらしい。「アルコールって、一杯飲んだだけでその人の人格を変えてしまうんですよ。そんなのを飲んでいて体にいいわけがないじゃないですか」野球にプラスになるかどうかをすべての判断基準に置いている。

 

・体が出来ていれば、技術の微調整はいくらでも出来る。

 

・「こっちのスーパースターには教えられることが多い。単に成績がいいとか、年が高いとかいうだけではなくて、スーパースターとして受け入れられ、ファンに認知されるだけのサービスもちゃんとやっているのがよくわかる」

「プライベートなことには答える必要はないし、見せる必要もない。だけど、ファンを前にした仕事場ではきちんと対応したほうがいい。ゲームの話ならぼくはするよ」(マイケル・ジョーダン談 マスコミ)(森本)