レクチャー【オリエンテーション】912
いろいろな人がいるようになり、それに応じるためにメニューがどんどん増えて、複雑になってきています。
しかし、単純にいえば、毎日、レッスンがあると捉えてください。
そのなかに、私のレッスンもあります。
それに補充レッスンがあり、さらに音楽の基礎として講座があるのです。
ここに出る人は1日3時間くらいで月に20日というように、全日制の学校のように使っている人もいます。
月に1回か2回の人もいます。
長くいて、個人レッスンと発表会をメインにしている人もいます。
やることがわかっていればそれでよいと思います。
そういうふうにして残れる人や、あるレベル以上いく人は、最初の1、2年に相当しっかりとやっています。
どのぐらい出ればよいのかというのは、一番の問題ですが、迷うくらいなら出られる限り、出てください。
主体的に、ここを選んだ人たちなので、自主性に任せています。
背伸びして選んだ人もいれば、プロの活動をやっていながら
もう一度、基本からということで見直しに選んだ人もいます。
いろいろな人がいるので、常にやりたいことを確認していくことで、ここが、活かせるはずです。
ということで主体的に利用するなら、なんでも対応できるようになっています。
逆に受け身的に利用しようとしたら、何も下りてこないところになりかねません。
どれだけ盗めるのかが才能です。
それに対して、いろいろな材料をおき、より可能性が大きくできるように対応させています。
研究所ですから研究をしていく人に“どうぞ”ということです。
本当にいろいろなものがここにあると思います。
他のスクールをやめた人も、ここでは救ってあげたいのですが、本人しだいです。
入ってきた人全てをおちこぼれないようにしようと思ったら、
誰一人、育たなくなるでしょう。
それで、誰かが救われるかというと、そうはいかないでしょう。
誰にもよくはならないでしょう。
自ら努力をしない人は、誰も助けようもありません。
初めてとか慣れていないからという人に対し、ここはどこよりも時間をみています。
必死でくいついてきてください。
研究所でめざすことのレベルを皆さんに合わせて落とすことはやっていません。
実際のところ、複雑な楽譜をよみなさいというように課題が難しいわけではないのです。
問うているのは、表現です。
10年で一人育てばよいと思い、始めたものの、私がみる分に2、3年に2、3人育っています。
大したものです。
ここで精神的に成長したとか学び方がわかったといってくれる人がいますが、
本当に育つということは、表現で結果として出してこそ、です。
どんなにトレーニングして、どんなに精神的に影響を受けたとしても、
それを音声の表現において、結果が示せなければ、ここでは何にもならない。
もちろん、あなたの将来や社会生活には、大いに役立つと思います。
とても単純には、レクチャーで私がみせることが最低の条件です。
たくさんの条件があるのではなく、たった一つの条件です。
まず、1フレーズもたせられること、その集まりである音声で表現した作品がいずれ価値をもつことです。
そのために必要なものがあります。
目先ばかりで捉えてしまうと、なんでこんなにぐちゃぐちゃだということになりますが、
それこそが必要なのです。
このカオスの場を形だけにしてはなりません。
シンプルに、音声で表現するという目的のためにあるのです。
2年以降も残る人が多くなってきました。
ここは敷居が高くなっていますから、すぐにやめる人は、少ないのですが、
精一杯やっていて、合わないとか、他にやりたいことが出てきたとかいうなら、それも選択の一つです。
しかし、人間、どこかで続けるということで、自分に対して価値をつけていかなくてはならないのです。
だからこそ、基準を厳しく示されるところが必要なのです。
自分のことを先に何かをやっていく人であると思うのなら、いろいろなものがストレートに降りかかってくる大変な環境の方を選ぶことです。
ここより厳しいところがあれば、移るのもよいでしょう。
そういうことで自分でも考え続け、克服していく、そして力がつく。その結果が全てです。
皆さんがここにきたのは、遠回りでも、後で大きく生きてくることを選んだものと思います。
ですから、中途半端にやらないように注意してください。
たとえば、古典を読みたいとします。全部、先生がやさしくて全て解釈して、現代語訳で読んでいく。
それは楽しむには、楽で楽しくてよいのですが、次に古典にあたったとき、また先生が必要になります。
講釈を聞かなければいけません。
それは先生の解釈でしょう。自分の力はつかず、いつまでも自分のものとはならないのです。
知識は、増えても身にならないのです。
自分一人では何もできないなら、いつまでも人前に立てません。
目的が、自分で読んで楽しむということなら、渡されたものの注釈本を買ってきて、訳で読んでいればよいのです。しかし、そのことで将来、生きていくというのなら、辞書を引いて関連語句まで調べて、参考文献があればそれにも目を通して学んでいくわけです。
そうしているうちに、次のものが与えられたときに自分で取り組めるようになります。
前に調べたものや関連した勉強で、それをどう自分でとり組めばよいとか、どの資料みたらよいとか、どの辞書に載っているということなどがわかるわけです。
それをくり返していくうちに、何十冊目にもなったら、そのうち初めて、自分なりに解釈できる、何かいえるようになります。自分の創造的な解釈、そして、自論がでてくる。
つまり自分で読めるようになり、自分の考え、思想もでてくるわけです。
これは何も学ばず、あてずっぽうで、誰にも通用しない自己流で読むのとは違います。
だから基本を学ばないといけないのです。
歌は誰でも歌えるものですから、単に歌えるということでいうなら、皆さんの今の段階でも、それなりのものは歌えるでしょう。それと、本当に必要なものを得るために長期的に学ぶためのは、まったく違います。
トレーニングというなら、オリジナルな声、体から出てくる声を身につけることです。
それ以外のつくられたものを認めないということではないのですが、それ以外でつくられたものは、一段、高いレベルからみたとき、ひきつけるだけのものがないのです。つまり、通用しません。
当然、ポップスのアーティスト、音楽の世界というのは、どこかがブロであればプ口としての活動ができますから、自分が作曲のセンスがあり、声はこの程度で、曲の方を活かしていこうというなら、それでよいわけです。
ここは、やった部分で変わっていくことを元としてやっています。
オリジナルな声で、声域、声量に関わらず一つの作品としてきちんとつくれるようなオリジナルのフレーズを獲得していきます。
いろんなレッスンも、すべてその二つに集約されていると思ってください。
レッスンに出て、その関係づけを皆さんのなかでつけていくようにしてください。
学び方は学ばないと、なかなかわからないものです。
スポーツの世界以上に音楽を最初から判断するのは難しいわけです。まして、歌、さらに声となるとなおさらです。
会報を今の皆さんが読んでも、10分の1も読めないと思います。だから書籍にしても売れないし、出版社も出してくれません。
でも、なんとなくわかったり、読めた気分になるのです。
わかっている人はそれを体で読み込みます。その文字をイメージして自分の体で試していくということを勉強の手段としてやります。そしたら、文字やことばも使えるだけ使う方が勉強としてはよいのです。トレーニングしなくてはならないなら、それをより確実、効率的に進めるためです。
音から、直接、与えられたらよいのですが、それだけでとれる人は日本でほとんどいません。
直接、音がとれる人とは、音程がとれるといったレベルではありません。
音を聞いて、それを体にすぐ入れられる、それから声にして、しかも歌、音楽をつくるのは、至難です。それをつくれるという人、これがヴォーカリストの条件だと思います。
今の心地よさや過ごしよさより、他の条件も整っていなければいけません。
すると、どうしても多くの皆さんが学んできたやり方では足りません。
自分で書いてみる、目で見ることより、耳で聞く声やフレーズでのマップを想定してみる、図などでそのイメージが伝わるものは、そういう説明をしますが、もちろん表し切れません。
スポーツと同じで、実際わからないことばを使ってもよくないですが、やむなく、たとえのことばや図を使います。それは、正解ではなく、トレーナーと皆さんの間や皆さんのなかの共通語や基準にすぎないのです。体から体へ伝えて、はじめてわかるものです。
どんなメソッドでも、絶対にそれが正しい、間違いというのはありません。
それを使う人との関係において、変わります。10とれる人も1しかとれない人も、ときには、マイナスになる人もいます。
ともかくも育ってきたら、正しくなります。
皆さんにもそれぞれ自分の方法があり、叩き台みたいなものは、いくつか出せるでしょう。
テキストも読んでも大したことではないのですが、練習と同じ、できることはすべて行えばよいのです。
全部読む、全部考えると、それだけでは仕方のないことがわかります。
それで落ち着けば、自信になります。
他の人よりもやっていくことで、古い知識を体を通し聞き直させるのです。
とりあえず、まず今あるもの、身に入っているものをだすことです。
できないといっても、できないからこそ、やるしかないわけです。できているつもりを除くことが第一の関門です。
これからも、いろいろな本や方法が出てくると思いますが、ピンとくる1ページ、あるいは1行のなかから、どれだけ勉強するかということが勉強の仕方です。
100冊読んでいる人が、10冊、1冊読んでいる人より、すごいわけではないのです。そういうことができるようになるために、すべて読む方が早いということです。☆
ピンとくることが大切なのです。これは学ばないとわかりません。
トレーニングの2年間も、何日きたかでなく、たった一回でもどこまで深い世界がみえたかなのです。
私の本も多くなってきましたが、昔は1冊もなかったわけです。
だからといって育たない、伸びなかったというのではないと思います。
材料として利用できるものがあるのなら、何でも利用していけばよいでしょう。
会報も何もないよりあった方がよいということです。
選べることは、豊かさです。
自分が身につけたいのであれば、それ相当のことをやらなければいけません。
このなかで、一番線習するのはあたりまえのこと、
ここのなかで一番、練習していたら、悪いところにはいかないはずです。
できる人はもっとやっています。
どんなことも身につくまでに相当、時間がかかります。
どこかで覚悟を決めなければ、ということです。
本当の本気です。
ここは、カルチャー教室でも、お弟子をつくっていく家元制にするつもりもないです。
ここのレベルを超えていくのが、当然であると思っています。
どこのスクールでも先生並みにさえ、人が育っていません。先生をお手本にするなら当然でしょう。
先生のレベルを超えられないとしたら、最初の基本の勉強の仕方と努力の継続に問題があるのです。
どのくらい声が出るか、どんな声が出るかわからないなかでやり初めても、声は出るようになるわけです。
誰もが出るようになるなら、誰でもやっているし、誰でも出せるわけです。
ところが、普通の人は、それをものにできないのです。
だから、そういうトレーニングを重ねているかが全てなのです。
歌が好きな人、歌のために日夜、練習している人はたくさんいます。
でも、ものにならないのは、声も音楽もない。
その基準を知ることが難しいのです。
感覚というものは、どうしても抽象的でわからないことが原因の一つでしょう。
そこで、いろいろなものを聞いてみたり、比べて分析したりする作業もしていくわけです。
それは、レッスンで教えてもらうことでなく、皆さんができることをすべてやらなければいけません。
理想のレベルのレッスンであれば、レッスンのなかで勉強をするというのではないのです。
自分で勉強した結果をレッスンで出しにくることです。
そこで精一杯のことをやれれば、次の課題がレッスンのなかで自分でみつかるわけです。
こういう学び方をしていかないと伸びていきません。
自分の全能力を使うということを前提にしてください。
それでやってもまったく足りないから学ぶべきことがあるのです。見えてくるのです。
芸事の場合、スポーツではありませんから、強制したトレーニングはできません。また、いたしません。
皆さん自身が、やらない限り何も出てきません。変わりません。
気力やテンションの問題は、あとあとまで問われることです。
どんな技術や声ができてもそれが使えなければ、実際の舞台では伝わりません。
体と心を使いきるということからスタートです。
歌の場合は、それが30分、60分と使えたらよいというのでなく、3分間で凝縮して出していきます。
だから、声がきちんとコントロールできないといけません。
そのまえに、そういう体をもっているか、そういう状態をつくり出せているかが問題です。
1秒のなかで、音声に相手が感動するくらいのものを入れておくことができるかです。それをコントロールしようと思ったら、気力も精神力も、体の力も要ります。
そのへんは、スポーツや武道の方が、体験としてはよいでしょう。
ことばで飾り、いろんなところに逃げられるものよりも、勉強になるように思います。
それから、仕事や勉強以上に、歌を選ぶと、自分のやってきたことがムダなことであったり、遠回りなことであっても、全て活きてきます。生活、というより生き様が歌一曲のなかにすべてみえてきます。
その人の精神状態から思っていること、毎日の生活、その勢いみたいなものも出てきます。
だから日常の生活に張りがなくては表現になりません。
高い意識や志が必要でしょう。舞台になったときだけ、それが人並み外れてすごいものが出てくるわけはありません。今までそういう経験をしたことがある人は、それをそのまま活かして、そういう経験が足りなかったという人は、トレーニングのとりくみ方において、他の人を超えて欲しいと思います。
ここで一番、勉強してみてください。いろいろな可能性が開くと思います。
たかだかこれだけのことですので、めげず乗り越えていってください。
はじめて声を出す人や歌う人には、大変かもしれませんが、研究所は自分をさらすところ、恥をかくところです。
そういうことに関しては大らか、かつ寛容です。いや、誰も気にしないし、みてもいないでしょう。
できるのにやらないことに対して厳しいのです。
それを認めるとお互い、いい加減なレッスン、いや、つまらない人生になります。
できないことに対しては、まだやれないわけですから、仕方がないわけです。
それは練習にもならないし、声を痛めるし、勘を鈍くしてしまうだけです。
歌をなめるだけの軽験にしかならなくなります。
だから、できることだけを、より確実にやるということを徹底してやっていくのです。
そこに対して、どのくらい集中できるかということが問われてきます。
ここで一つひとつやっていることは、それなりの意味があって残ってきていることです。
だから、それが学び方だと思って、自分なりにふくらませて、ものにしてください。
日本人は、ドリルをこれだけやりなさいといわれて、そてをやったのが勉強になると思っています。
ドリルのつくられ方やドリルでどう考えていくかというのが勉強です。
そのドリルを自分でつくれるようになることが力です。
誰かが与えたものは、そのままではノウハウにはなりません。
ここにノウハウがあるのではなく、ここにそういう心意気がある人が集まってきたからこそ、そこで使えるより高いレベルの材料があるのです。
ただ最初から高いレベルの材料は使えないから、それを砕いて簡単にして与えています。
使っているものは、レベルの高いものです。
歴史的にも世界的にも、人間が人間に働きかけてきたようなものを使っているのです。
一流から学ぶ、そこを知っておいてください。音声の表現を学ぶことにおいてです。
あなたの活動していくところは、今の日本や世界ですが、
ここで使うものは、そういうものに関わらず、人間のなかに基本が入っているものです。
これは、100年たっても変わらないものです。
これまで出てきたポピュラーの歌手を学んでいくだけでも充分です。
人間が一生かけて、一人のヴォーカリストを追ってやれないだけのものがあります。
ただ、一人のヴォーカリストしか使わないと、人によって得られるものがかなり違いますから、
いろんなものを比較対照しています。
そういうなかで自分の位置づけもできてくるからです。
つまり、世界の最高のアーティストと同じ土俵で学ぶ場なのです。
そういうヴォーカリストだけではなく、皆さんの仲間のなかでも同じ課題に対してどう表現しているか、
どういうものをやっているかということをみると、早く自分がわかってくるでしょう。
全ては、自分の考え方、捉え方、感じ方、そこでの器の大きさしだいとなります。
できるだけなるだけ大きく捉えてください。
レッスンは形です。その実の部分は、自分のなかで気づいていかなければいけません。
自分で精一杯出したときに、その感覚を得ることを何回も経験してください。
1年のなかで何回かは出ると思います。次はそれを確実に取り出せるようにやっていくということです。
レッスンに出る人はやたら出るし、出なくなる人は出にくくなってきます。
人数が多い少ないとか、時間が長い短いとかはどうでもよいことです。
他の人のことはともかく、あなたが一人の人間である自分として学べるために、
ここをどう活かしていけばよいかということを徹底して考えるべきだと思います。
たくさんこられる人も、少ししかこられない人もいますが、
一人で音声表現の生の舞台をやってみて、価値が出せるようにすること、
それがベースにあった上に、歌や音楽になり、バンド、照明、音響技術を利用しててきます。
何も特殊なことをやっているわけではありません。
表現は生きるのに必要な技術です。
特殊なことをやっているのは、今の日本の音楽業界の方です。
それは実力や才能と別にデビューが決まっている人の集客やCDの売り上げを埋めていく作業です。
もちろんセンス、キャラクター、タレント性については勉強になります。
プロデューサーの考えも、日本にそれだけ声の出る人はいないし、それだけのステージをできる奴もいないし、カバーするしかない。いくら売れなきゃいけないというのがあるのです。
そんなところからはじいていくというやり方が、よい音楽であるわけはありません。
目のまえの10名が感動したら50名、500名になる。他の人の力を借りられないときは、
自分でメディアに関しても考えていかなければいけないのです。
そういう面でいうと、変わったことをここでやっているわけではないです。
一人のアーティストが、表現するのに至るプロセスを与えているのです。トレーニングの方法やメニューの是非など問われるレベルを超えているはずです。☆☆
他のところで何回かのレッスンで素通りすること、ここでは、そのことだけに何年もかけているのです。
そこにこそ、意味があることを知っていく。
他のスクールで1時間に2、3曲レッスンするのに、ここは1曲のなかのたった一つのフレーズで1時間も2時間もレッスンするところです。
そのレッスンで得られたリズム、音の感党、ことばの動かし方、体の使い方、息と声、自分の音色、オリジナリティ、そういったものが入って、それで初めて何かが出てくるときのベースになるのです。
昔と比べて、皆さんに音を入れていく時間を多くとらなければいけなくなりました。
楽譜を与えて、そこから音楽が聞こえてくるというのは、今の日本人にはほぼ期待できません。
ただ、演奏家は、それが仕事です。
それを自由にやろうとしたら、自分の意志も心も体も、きちんとコントロールできていないとなりません。どんなによいイメージがあっても入っていなければできないわけです。
ただし、ほとんどの人に関しては、イメージから入れていかなければいけません。自分がつくるための材料として音や声を聞いてきていないからです。
そういう感覚を得るのに3分間の1曲は無理ですから、たった一つのなかからやります。
いろいろなレッスンがありますが、やっていることは一つです。なるだけ飾りとかごまかしの部分を抜かしてシンプルにしていくことです。
シンプルでいつでもどこでもできるようにきちんとつくることです。
いろんなステップにありますが、そのステップにこちらが与えていく材料を活かす。
どちらかというと、こちらが待っている状況です。
優先順位でいうと、半年から1年間は体.をつくってください。
ここで1時間、集中力が失われないよう気力をつくっていくことです。
それと体力をつくっていくことも忘れてはなりません。
さらに体がそういうふうに動けるような状態をつくっていきます。
要は、発声や歌のなかで練習するのではなくて、発声ができる状態や歌を完全に歌える状態をつくるまでに時間がかかるのです。それが瞬時にできるように覚えていかなければいけません。
総じて、呼吸が永遠の課題です。なぜかというと、最終的に呼吸でしか声はコントロールできないからです。
声楽家は呼吸のコントロールがいかに難しく大変というのがわかっているから、そういうのです。
それができたときには、発声はできてきているものです。
声を出すことや発声することが目的ではないのです。
目的は、体を心と一つにして使うのと同時に、歌になるように表現するということです。
あるいは表現したら歌になっているということです。そういう感覚を踏まえていくことだと思います。
最初は、こちらが待っています。何をどうしたいのか、それを示してください。
個人レッスンもグループも、皆さんの体が変わっていかないと何もできません。
固さが抜けてやわらかくなって、音が入ったらすぐ音がはねかえってくるくらいのバネがでてこないと、本当のレッスンは成り立たないからです。そこまではレッスンの準備です。
スポーツをやっていた人は、わかると思うのですが、毎日続けても、基本を実感するのに半年から1年くらいはかかるでしょうか。大半の人は1年かかっても、それができないわけです。
他人事ではなく、本当に難しいことなのです。
逆に、それができたら、音楽は楽になり、降りてくるわけです。そういう状況をつくるためにあるのが、基本のトレーニングです。息を吐いたり、柔軟体操をしたり、そういう部分が中心になります。
レッスンのなかでは、少し先のことをやっています。
いろんなレッスンがありますが、一つのことに気づいていくために言葉を使い、いろんなフレーズでアプローチをしていくことです。皆さんのなかで声が宿ってくること、声が完全に使えることです。
今、そのことができるのであれば、すでに歌えます。今そういう体をもって、イメージをもっているということ、それはあまり期待できません。日本人には本当に稀有なケースです。
そうであれば、それができてくるように、体や息の状態をつかみます。音楽を聞いても最初はリズムや音程や声域でしか聞けないものですが、少しずつ声と呼吸で聞いて、これだけ自分は息が吐けない、息を完全にコントロールできないというところから、行うことです。
声域、声量を伸ばすのには、その感覚が必要になってくるわけです。
完全に息や体がコントロールできない限り、単に高い音にあてたり大きくワーッと何ホーンでるかに挑戦するようなことは、音楽にまったく、結びつかないことです。のどを痛め、間違っていくことです。
○テキストの使い方
テキストをどの順に読んだらよいのか。
いくつかありますが、順に一通り読んでみればよいでしょう。
レッスンで気づくことがあれば、それがどこにのっているかは知っておいてください。
私がレッスン中に使うことばもわからないことは、テキストや会報を読めば、イメージはわくと思います。
「そのことば、わかりません」と質問がくるのですが、イメージから出てくることばなので、その人の体を直接読みとるか、イメージをとっていくしかないです。
わからなくても何回も聞いていると、あるとき、「あ、このことなのだ」と自分ができたときにわかります。もちろん、ことばだけわかっても、歌にはねかえってこなければ仕方ありません。また、他の人ので比べると理解が早いでしょう。
○理解度とは何か
たとえば一つのフレーズのなかで声がどう動くかを、1時間かけて、例を出したり音楽を聞かせたりしています。
同じことはできないにしろ、少しずつことばで説明するのをなるべく控えていきます。
初心者は先生のことばが多いとわかった気になりますが、あまりよいことではありません。
レッスンの進め方が最初の人と2年以上いる人と違ってくるのは当然です。
実力の差というより、学び方の差です。つまり、感覚とそれを体現できる体の差なのです。
3、4年いる人は、それなりの理由がないと残っていないから、それなりにいろいろ理解していて実現できてきているのは確かです。
特に耳に関しては、鋭くなっているという見方をしてもよいと思います。
たぶん、音楽なかでも歌の耳をつくることは、今の日本でここ以外では難しいと思います。
○グレードについて
月に1回発表の場で変えて、このときに、評価の基準を示しています。
なるだけ、休まないようにしてください。
無理なときは、音源を送ってください。
日を変えてやることもあります。
○クラスについて
一緒にレッスンをやるメンバーです。
時間帯によってはメンバーが似通ってきます。V(1),V1を、略して1としています。
○何回でればよいのか。
1、2年目はとにかくたくさん出てください。3年目くらいからセレクトしていくとよいと思います。
○その他
掲示板をいつも見てください。
○トレーナーについて
声楽の分野からも入れています。
ここのレッスンはどんな意味があるのかを解説を入れながら、実際に、ここで学んだ人からのアドバイスとして与えています。これはとても勉強になることです。レッスンのリーダー役をお願いしています。
○発表の場について
2回目までは新入に、3回目からは、ステージ実習に出て、課題曲と歌をやります。
月に1回です。
2クラスから3カ月に一度ピアノとマイクをつけた演奏とリハーサルがあります。
○音源など
皆さんが手に入れられないようなものがあるのですが、手に入れられるものは自分で勉強してください。
見たらレポートを出してください。
○Wについて
声が身についても、音感やリズム感がないと、歌になりません。
ですから、Wは、音楽の基本として欠かせないものです。最終的に音大くらいの人の得たことはもっておいて欲しいと思っています。
Wは、正しさの判定でわかりやすいので受けてください。
それによってWグレードを変えています。検定を受けるまではW(初)に出てください。
(L)は、歌唱レッスンでキィを定めたり、音を正しくとり、歌をピアニストのアドバイスで合わせておきたいというときのレッスンです。
(CH)コーラスです。音の考え方(音と音を合わせるとかコードなど)も大切です。人に対して心地よい音を心地よく出しているから伝わるわけです。本当の歌であれば、ことばがきちんと自分のなかでいえて、音として声が出ていることその音からことばがなくても、音程やリズムを伴い歌になっていくわけです。そういう感覚を磨くためにも、CHに出てみてください。