一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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投稿  918

 

 

「ハリウッド女優になったOL奮闘記」

 

この世で「保証」を求めることは陽炎を追いかけるのと同じこと。幸せとは回りの状況が変わったから得られるものなのではなく、その人のものの見方、受け取り方なのだ。道端に小さな花が咲いているのを見つけて足を止め、その愛らしさを鑑賞して喜べる人と、次の目的地へ行くことで頭がいっぱいで花など目に入らない人との違いなのである。コップ半分の水を、もう半分しかないと思うか、まだ半分もあると思うか、そういった些細なもののとらえ方で私たちの日々の喜びの度合いは変わってくる。

 

頭から自分にはできないと決めつけずに、まずは自分にさせてみることが大切。

 

新しいことを体験するとき、多少の不安を抱くのは当然かもしれないが、だからといってそこで先へ進むのをあきらめてしまったら、私たちはその場で足踏みを繰り返すしかない。しかしなぜ不安を感じるのか。それは「もしかしたら失敗するかも知れない」という考えが頭をよぎるからだろう。そして多くの場合、私たちは失敗という言葉に否定的な意味合いだけを見るからだ。しかし、実際には私たちは失敗からとても価値のある教訓を学ぶことが出来る。

思い切って自分の考え方にしたがって突き進んだとき、いつも物事は発展的に進み、そのつど、私は自分の価値観が変わるほどの刺激的な体験をし、満たされるという素晴らしい感覚を味わえた。人は価値観や好みを持ち、それは人によって異なる。生活の中で優先させるものもそれぞれ違う。だから、人が何に夢中にな。っても、そのためにいくらお金を使っても、それは他人の私がとやかく言うべきものではない。

 

死に際に、「ああ、去年やっと家のローンを払い終えたからよかった。しかし、ずいぶんと我慢ばかりしてきた人生だったな。自分の思うことはほとんどできなかったな」と思い返す人生よりも「肩書きも財産も残せなかったけど、いろいろな体験をしたし、毎日よく笑った、楽しかったな」と思える人生を私は送りたい。

 

誰が何と言うかなんて考えては行けない。これは自分の夢であって、誰のものでもないのだから、人に同意を求めようなんて考えたとたんに、それはピュアな自分の夢ではなくなってしまう。どんなにばかばかしく聞こえるような夢でも、夢があることは素晴らしいことだ。そしてそれに向かって歩いているとき、私は自分が一番生き生きしているときだと信じる。成功を手にすることも素晴らしいことだが、成功にいたるまでの、努力、学習、経験は、その後の人生においてもっと素晴らしい値段のつけられないほどの財産となる。私は結果よりもその過程が大切だと信じている。「お地蔵さまの本』という中の言葉で「人生に夢があるのではない夢が人生をつくるのだ」

そのときそのときの自分をそのまま受け入れ、自分の道を進んでいくこと。たとえ、その道がどんなに細くても、自分の道があることは素晴らしい。そしてそこを人に借りた車ではなく、自分で組み立てた車で走っていこう。他人に借りた車はいつか故障して動かなくなってしまうだろうが、自分で一から造った車は、壊れたらまた一から自分で造り直せるからだ。

 

 

 

「顔」葉加瀬太郎

 

自分の作品を上手にプレゼンテーションできないアーティストが生き残ることは難しい。

 

表現したい小説を書きたい作曲をしたい、絵を描いてみたい、そんなふうに考えている人の多くは、よくこんな質問をする。「どうしたら作家あるいは作曲家画家になれるんですか」。だけど、そんなこと教わるまでもないこと。小説家になりたければ小説を書けばいいし、作曲家になりたければ曲を書けばいい。多くの人たちは勘違いしているように思う。「小説家」という職業についてから、「作曲家」という身分を手に入れてから、作品を作るのだと思っている。けれど、医者や弁護士とは違うのだから、「資格」が必要なわけではない。そこまで端に勘違いしていなくても、何か表現する前に自分をひとつの「方」にはめた調いと思っている人が多い。アーティストに必要な要素がいくつかあって、それを身につけるまでは表現できないと思っている。基礎を勉強しないと英語をしゃべれないのと同じで、いきなり表現してしまうのが怖いに違いない。それは順番が逆だ。勉強したり、先生を探したりするのはあとでいい。ほんとうに音楽で表現したいものを持っている人は、とりあえず人差し指ででもピアノの鍵盤を叩いて、メロディを作ってしまうもの。ピアノがなければ、鼻唄でもかまわない。そのメロディを人に伝えたいと思ったら、それから譜面の書き方を勉強すればいい。

もうひとつ、「型」を持たないと表現するのが怖いと思う理由があるとしたら、そこれは人からの評価を気にしてしまうことじゃないだろうか。「表現したい」と思うのは、自分のためでしかない。どうしようもなく、自分の中から表現する何かがあふれ出てしまったときには、他人にどう受け入れられるかなどと考えている余裕はない。プロも最初は自己満足からスタートする。音楽も絵も、まずは自分が気持ちよくなれるものを作らないと意味がないと思っている。

 

残したメッセージに力があれば、百年でも千年でも、人々の心に伝わり続ける。何を作るにしても、「自分が何をいいたい合のか」がスタート地点。その思い入れに本人が意味を感じていなければ、ほかの誰にも伝わりはしない。だから、ひたすら自分の気持ちに素直になるべきだ。自一部分が表現することが目的なのだから、自信がなければ、他人に見せたり聴かせたする必要もない。他人の評価など気にせず、未来の自分自身に向けて残すメッセージだと思えば、素直に表現できるはず。

 

アーティストは外からの刺激を取り入れて、それをじぶんのフィルターに通すことで新しいものを生みだしていく。オリジナリティが問われるのは、自分の中からアウトプットするとき。

 

どんなことがあっても集中力を持続できる人間だけが、アーティストとして生きていくことができる。そして、それが心の底から好きでなければ続けていくことはできない。

 

ひらめきは、神様からのプレゼントのようなものだと思う。そのプレゼントは努力していない人間のところには届かない。突然メロディが頭の中でなりはじめるのは、ずっとそれを探し求めてきたから。たとえ一時間で作った曲でも、そこにいたるまでには膨大な時間を費やしている。多くのアーティストは「完成度を高めたい」という気持ちと「作品をたくさん世に出したい」という気持ちのあいだで、常に葛藤しているのだと思う。

 

ほかのアーティストの作品が力を与えてくれることもある。

アーティストは、そうやって無理にでも気持ちを奮い立たせないと前に進めない生き物だと思う。

ネガティブな気分になったとき、いちばんやってはいけないのは、立ち止まってしまうこと。立ち止まって冷静になると、必要以上に慎重な姿勢になる。走り続けていれば余計なことを考えずにチャレンジできるのに、いったん止まると勢いがなくなり、次に働きはじめるまでに時間がかかってしまう。

 

テンションを落とさないためには、いつまでも走り続けるしかない。そのためには、ときには嫉妬心という形、ときには賞賛の言葉という形で、いろいろな人からエネルギーを供給してもらうことが大切。どんな仕事でも、前進する原動力を与えてくれるのは「人」でしかないのだと感じる。

 

アーティストには、自分の好きなものにこだわる頑固さも必要だと思う。その一方でオープンマインドの精神も忘れてはいけない。

 

人間の好みというのは、外部からさまざまな刺激を受けながら変わっていくもの。意地を張っていると、可能性を遮断することになる。ときには、昨日まで大好きだったものを「こんなのおもしろくない」と否定する勇気も必要じゃないだろうか。そうやって否定したものを、何年かたってまた好きになることもある。

自分を感動させることができないような人間には、人を感動させる芸術など作れるはずがない。

 

 

 

ルチアーノ・パヴァロッティ 友人が語るその素顔」

 

「大きくなったらぼくもテノール歌手になります」と少年パヴァロッティは言った。ジッリは父親のようにやさしかった。「えらいね」と耳元でささやきながらも、こうつけ加えて言うことは忘れなかった。「歌の道はらくではないよ。いつでも新たに出直すという気持ちでいないとだめだ。勉強に終わりはないんだっていうことを、いつも忘れないようにしないとね」。少年は尋ねた。「先生はどれくらい勉強したんですか」。「たった今も、きみは私が勉強するのを聴いたんだよ。今終わったばかりだ。きょうのところはね。私はまだ勉強中なんだ。わかるかい。」

 

彼の友人であるF1レーサーのニキ・ラウダはニュルブルク・サーキットの大事故で命びろいをした後、日本で三度目の世界チャンピオンの座を手に入れるのを目前にしながら、それを断念した。視界をぜロにするほどの豪雨が彼を思い止まらせたのだ。このレーサーは記者団に、「ときには恐怖を感じる勇気を持つことも必要だから」と語った。

 

「怖くなんかないときはないし、怖いと感じるのを恥ずかしいとも思わない」

 

「生きてきて、ぼくはたくさんのものを手に入れた。この人たちはこんな僅かなもので喜んでくれるんだ。ちょっと疲れて手が痛くなるくらい、なんでもないよ」重要なのは、ぼくがだれも押しのけないで、今の地位に、それがどういうものであるかは別にして、ともかく到達したということです。なかには、聴衆に好かれようと必死になる歌い手がいるけれど、ぼくの場合、ぼくの方がお客さんを好いているんです。ほかの人との違いは、たぶんこれに尽きると思う。お客さんが喝采してくれれば、それはうれしい。もしそうしないとすれば、それは、ぼくにわずかな拍手の値打ちしかなかったってことですよ。

 

「時間はきちんと守るし、厳格です。歌い手の中には、十時半からリハーサル、ということになっていると、劇場に来るには来るけれど、まだちょっと歌える状態ではないからと言って皆を待たせ、三十分経ってからようやく舞台に上がってくるような人が多いんです。彼の場合は十時半と決められたら、きっかり十時半に、一分の狂いもなく歌い始める。その時間には舞台に立って、しかも本番さながらに歌うんです。だから当然、彼がキャストとして加わっていると、だれも異議も申し立てたり、延期を申し出たりすることはできなくなりますね。規律というものがあること、そしてそれには従うべきであるということを、パヴァロッティは身を持って教えてくれます。彼がいると、リハーサルがいつも引き締まった雰囲気で始まるんです」

 

「出番がオケだけのときにも、彼は十四列目の座席に腰を下ろして、われわれのリハーサルを何時間でも聴いているんです。あれだけの大歌手でありながら、スコアがどのように音になっているかをあそこまで注意深くフォローする人に出会ったのは初めてでした」

 

ピアノのルービンシュタインがもう九十歳になっっていたときのことですが、彼にあるジャーナリストが尋ねたんです。「先生がそこまで聴衆を魅了することがおできになるのは、どうしてなのでしょう」。ルービンシュタインの答えはこうでした。「私よりも腕の良いピアニストがおそらく千人いるだろう。しかし、心、気持ちを、余すことなく音楽に注ぎ込むのはほんの2、3人しかいないよ」。私は演出にもロをはさむことがありますが、歌い手に言うことは決まっています。「内に持っていあるものを、残さず出して、人物になりき「ってください」

 

各々独自の方法を見いだすべきなのだから。カルーソを模倣しようとしたテノールはたいてい声をつぶす。自分以外の人間と同じように歌うことなど、絶対にできるはずはないのだ。個性というものをないがしろにしてはならない。ほかの人の声を真似しようと試みるのは、大いなる過ちだ。

 

ブーイングにどういう意味があるか、おわかりになりますか。100回のレッスンにも、どんなに時間をかけた発声練習にもまさる効果をあげることだってあるんです。自覚の足りない若手が、聴衆の反応に出会って姿勢を正し、もっと勉強しなくてはいけないと思い至るきっかけができることだってありえますからね。

 

 

最近テレビに出てくるいろんな神技を見るたび、この人たちはいったいどれくらいトレーニングしたのだろう~と自分の甘さにきづいてしまう。(神技=神技トレーニング)

 

口に出さないだけではなく、心のなかの批判もやめること。

 

人間は誰でも心の底にしいんと静かな湖を持つべきなのだ。田沢湖のように深く青い湖を隠し持っている人は話すとわかる。二言三言でそれこそしいんと落ち着いて容易に増えも減りもしない自分の湖。さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖。教養や学歴とはなんの関係もないらしい。人間の魅力とはたぶんその湖あたりから発する霧だ。あなたは自分の湖をもってる?(茨木のりこ「みずうみ」より)

 

成功とは、よく笑い、大いに愛すること。賢者に尊敬され、子供の親愛を得ること。正当な批評家に認められ、友人の裏切りに耐えられること。美を賞賛できること他人の長所がみえること。見返りをまったく考えずに奉仕すること。夢中になって遊び、笑い、高らかに歌うこと。自分が生きていたことで誰かが幸せであったことを知ること。これが成功したということである。(ラルフ・ワルド・エマーソン)

 

個性というものは伝統の上に生まれるものである。ここまできた道筋、歴史を知ったあげくに自分で発見する。どうやって作るか全て知った上で、飛躍しなければいけない。型だけでやっている人は、いつまでたっても型だけで終わる。そこから何も盗んでいないし、別の言葉でいえば型を身につけている人はそこから自由になれる。自分のものが作れる。型があるからそれができる。型ってありがたいものなんです。能も陶芸も型を徹底的に身につけた上にそこからはなれ飛躍できたときに本物になれる。(加藤唐九郎)

 

 

 

 

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おすすめ

 

美空ひばり

どんなジャンルの曲を歌ってもそこには必ず「葵空ひばり」が存在する。他の誰かが歌えばそれなりにその人の味が出るのだろうが、そんな生やさしいものではなくもっと強く人に印象づけるものがある。それは一体何なのだろ。音の奏で方なのだろうか。多彩な音をもっていてさまざまな表現力を持っていてでもそれがバラバラな印象を持つことなく「美空ひばり」という一人の歌い手に行き着く。今のわたしにはこのことが疑問符のまま。

 

亀渕友香

ゴスペルのグループ(Voja)というのをつくり、NYで歌う、というようなドキュメントをやっていた。そのグループの人たちが歌っているのを見ると、とても生き生きしていて、楽しそうだった。日本人がゴスペルを歌うことの疑問にも、人間はみな同じ、という答えが見つかった、といっていた。技術的にはまだまだでも、それを歌う心があれば通じるのだといって亀渕さんは涙を流していた。グループの人も、感情が高ぶってきて、普段なら出せないような高い声も楽に出すことができたといっていた。表現をする、ということは、その場をつかみとって、流れていくものなのだろうと思った。そして、技術よりも大切なのは、心、表現すること、なのだと思った。

 

ヌーノ「スキゾフォニック」の「クレイブ」

サビの気迫がものすごい。私には今、片思いの人がいて、遠いところにいるから電話でしか話せないのだけど、そんな気持ちとシンクロしてしまう歌。シンプルだがとても大好きな歌だ。赤ん坊の泣き声のようにただ素直に伝えている。どこから歌がやってくるかということが単純にわかる。

 

「SOUL TO SOUL」

映像に出ていたアムワというまじない師。これは絶対見た方がいい。すごい。半即興の声+パーカッション、バスケットダンサーのような身のこなし、迫力、“気”。

 

ナット・キング・コール

「アフター・ミッドナイト」彼の声はとにかく深くて渋くてしかも甘みがあり優しさがある。自分にとってはわかりやすいというか、すごく参考になる声だ。

 

美内すずえガラスの仮面

少女漫画だからバカにしていたが、とんでもない作品だった。偏見は私を狭くする。まず、劇の稽古やシーンで見せるマヤの感情移入には鳥肌が立った。自分が演技するのではなく、その役になってしまい、その劇のなかで「生活」しているのだ。なりきってしまってもマヤはマヤであり、マヤなりの解釈の上でなりきってしまうから、オリジナリティが役に埋没することなく、強烈な印象を私たちに与える。「ガラスの仮面」のなかで行われるその劇まで私たちに魅せてくれる。つまり、その劇一つとっても芸術だと思う。

あと、練習のシーンがものすごい。目標はただ、演技すること。金とかそんなものじゃない。じゃなきゃあんなハードなことできるわけがない。金が欲しければ東京大学に入ってしまえばいいだけ。入ったあとは、そして金が入ったあとは、無限の夢を持つ。つまり、芸術に無限のハードルを作れば、やるべきことが必ずできてくる。それをただやればいいだけ。目標は形がはっきりしているものじゃなくて、もっと深いものにする。将来につきたい職業が夢だなんてばかばかしい浅はかな考えじゃないか。あと、マヤと亜弓の対照性。マヤは天才。亜弓は努力家。でもまわりからは逆に見られている。亜弓は幼少の頃から親の七光と呼ばれるのが悔しくてものすごい努力をして、人前ではそのそぶりさえ見せない。始めからできていたようにできてしまう。マヤは技術が未熟だが、それをカバーするにありあまる強烈な印象を与える。亜弓がコルトレーンで、マヤがモンクだ。この二つの要素はかなり重要だ。才能がなければ、つまり求めるものがなければ努力しないし、本当はマヤみたいな人はありえないから(いたらものすごい) 、マヤ的要素も、つきつめなければ出てこないものだと思う。まあ、少なくともへたくそでもなりふりかまっていちゃだめだと思うから、えげつなさが出るくらい自分を出さなければいけない。まとめれば、夢は自分に課した障害、課題であり、(できないから夢という)それを乗り越えるための努力を必然的でなくてこそ初めて何かができる可能性がある(できるとは限らない)ということ。やらなければ可能性はない。そんなことを考えさせられた。

 

ヘレン・メリル・ベスト・ワン」

このアルバムはあの名曲「枯葉」を歌っているアーティストを探しているうちに見つけたものだが、ジャズからスタンダード曲(ボサノヴァのスタンダード「イパネマの娘」これも以外というか自分が今まで知らなかっただけなのだが)いろいろな人が取り上げている。「禁じられた遊び」などとにかくいろいろな曲が入っている。

 

美輪明宏さん「人生ノート」

なかでエディット・ピアフのことが書いていた。「自分が死んだらどれだけの人が誰が涙を流してくれるかを考えてみよう」というところでピアフの葬式は多くの人が涙したという。今でもピアフに会ったことのない人でさえ、その歌でしか知らないのにピアフの話をしていて涙するフランス主人の人がいるという。それだけ愛されてきた人。それはその生き様だけでなくピアフが多くの人のために真剣にいつでもステージに立って歌っていたからだという。ピアフの歌が人を癒すということを知っていた彼女はいつでも真剣歌っていた。生き方はすごく大切だけどそのこと、内容というよりもそのなかから出てきたそこから出てくる歌の何かが人を感動さす。すごいことが肩書きのないところから出てきた一人の人がおこすことができる。

 

ニュース23「溶けるアート」

人の形をとって氷の像をつくり、そのなかにいろいろなものが入っているというものなのだが、最初の氷の美しい像がだんだん溶けていき、色がつき(中に入っているものの色)中のものが出てくるようすはものすごく衝撃的でした。(言葉ではうまくいえません)

 

課外授業ようこそ先輩」元巨人の中畑さん

“自分はここにいる”という表現手段として、大きな声を出すことの大切さを説明していた。大声で元気に明るく指導されている姿に、小学生が徐々に影響され、殻に閉じこもっていた姿が変化していく様子が興味深かった。遠く離れたグランドに座り込み、そこまで聞こえるような大声で、子供たちに将来の夢を叫ぶよう指示していたが、それに応えて「中畑さんを超えるゾー」と叫んだ子がいた。中畑さんはすごくうれしそうだった。はっきり、よく伝わる声を身につけることの大切さを学んだ。

 

ロバート・ジョンソンコンプリート・レコーディングズ」(CBSソニー)

歴史的な重要な作品だと思うが、そんなに構えず聞いています。こうしたブルースには、おもしろくするための仕掛けや作意がほとんど感じられないが、聞くほどにその良さがわかってくる。時代や録音状況(1930年代、家のなかでマイク1本で録音)を考えると音質も素晴らしくよい。

 

99.9パーセントの人々はゆるやかに自殺していくにすぎない

ある本でこの言葉と出会い考えた。私は99.9パーセントの人間か。それとも0.01パーセントかと。人生も歌も踏み込まないと生きてこないな。

 

ソニー・ロリンズ

「音楽は社会的なメッセージを持っていなければならない」ということを1929年生まれの彼が発言していたので少し驚いた(どちらかというと若いミュージシャンが考えていそうなことだと思ったので)。

 

新井英一

新井さんがたった一言、「ハイヤー」「ハァー」「ヘイ」と声を出すだけで目が熱くなりました。イメージ・風景を伝えるとはどういうことかを見せてもらい歌を知らない自分を知りました。