一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

鑑賞レポート 13399字 926

鑑賞レポート

 

ニューオリンズ・ライブ・ゴスペル】

 

使命感を持って歌っている姿が特に印象に残った。「ゴスペルは神の心、神の道を音楽に託して伝えるものだ」といっていた。神という絶対的に信じられるものがあって、その神を鍛えることが歌うという行為になる。ぼくは何を信じているのだろうと思ってしまった。何を信じ、何を伝えようとしているのだろうか。ゴスペルが世界中の多くの人に受け入れられているのは神を信じるその思いの強さから来ているということが大きな要因の一つだと思う。だから、ゴスペルについて語るときの彼らの言葉のなかには、よくスピリチュアルなものが出てくる。

「神に全てを捧げながら、教会で歌う」

「ゴスペルとポピュラー音楽とではコードの流れが違う。その違いをわからなければならない。ポピュラー音楽は個人的なフィーリングによる。ゴスペルはそういった個人的なものではなく、より大きなものからの働きかけでコードが流れる」

「ゴスペルは人から教わるものではない。自分の心のなかにある。人はそれを魂(ソウル)と呼ぶ。内なる魂、内なる神とのつながりがゴスペルである」

ゴスペルに限らず(というと彼らは反発するかもしれないが)、人間が創造した多くのものにも、多かれ少なかれそんな要素があるのだと思うが、信念の強さ、思いの強さがより多くの人々の心を打つのではないのだろうか。また、信念の強さは生き方にも反映する。

 

「ポピュラー音楽を歌って人気が出ている歌手ぐらいの才能のある娘はいくらでもいる。でもあの子たちは教会から離れない」信じるもの、というか価値観の違いなのだろう。人気が出て、多くの人にキャーキャー いわれることよりも、教会で神で崇えるゴスペルを歌い、感謝する方が彼女たちにとっては大切なのだろう。とても魅力的な活き方だ。信じているものを大切にして、感謝して、喜びを感じて生きる、そんな生きき方はぼくにはとても魅力感じられる。全身でのっている姿や全てを使って歌っている姿を見て、そのリズミカルな歌自身を聞いていたら、音楽ってやっぱり楽しいのだなあと思った。歌うことって楽しいのだなと。音楽や歌うこと自体に喜びがあるのだと改めて感じた。

 

やたらイカすギタープレイのかしまし娘のようなファンキーなおばさんや、エリ首をつかまれて(目が不自由なのだろうか)客席に飛び込まんばかりの勢いで歌っているおじさんの楽しそうな笑顔や、歌っている姿は本当にかっこいい。ああいうのっていいよなと思ってしまった。肉体的にも精神的にも、心の底から声を出しているように見えた。「牧師の説教を聞かない者もゴスペルは聞くよ」といっていたのも、とってもよくわかる。やっぱり、楽しくなりワクワクしてくるものが好きなのだから。

「音楽とは親から子へと伝えられていくのだ。家族のみんなで歌うと家族の絆が強くなる」との言葉も印象に残った。とても素晴らしい文化だと思う。ぼくの家庭も含め、知っている範囲で、家族全員で歌を歌うという家族は知らない。うらやましいぐらいの美しい文化だ。ぼくも家族全員で歌える歌を歌ってみたい。

 

 

 

ピアソラ

 

ピアソラの曲と出会うことによって人生を変えられたり、(よい意味で)強く影響をうけた人たちの演奏をたくさん聞いた。彼の曲には、他の人にはない、愛のやりとり、心の交流があるという。それは、演奏者だけでなく、聞いている人もわかりやすくその交流ができるといっていた。だからなのか、私は見ていて、何度か泣きそうになった。特に、アントニオアグリのバイオリンの音、あの音でもうダメだと思った。何てやさしくせつない音なのだろう。私の私生活で今いろいろなことが起きていて、このときは特に普通の精神状態ではなかったからなのだろうか。それにしても、普段タンゴというジャンルの曲をきかない私までもが涙してしまう曲、音、技術は上に書いた、わかりやすく心の交流ができるということを証明していると思う。いろいろな楽器で演奏していたが、今さらながら、そのそれぞれの1つ1つの楽器が、楽しそうな音や、悲しげな音を、見事に表すのだな、と思った。そこで、悲しい音と楽しい音はどうやってかえて出すのだろうと考えてみた。同じ音をひくなら、ドだったら1つの音にすぎない。それをたとえば、長くのばすことによって、はじめは強く、だんだんよわく、とかしていくと、動きというか、なみというかが出てくる。1音加えるとすれば、たとえば、ドレとやれば、少し明るくなるかなという気もするし、ドシとやれば、暗い感じになるのかもしれないということは、1音に長さをつけたり、音を加えたりして、動きをつけることによって、悲しいとか楽しいとかが表現できるのではないか。

 

作曲家は自分の感情をわかりやすく楽譜にしていき、ある意味それがその人の作品で、演奏者はその楽譜を読みとって、悲しいところでは悲しさを、楽しいところでは楽しさを、その曲を借りて自分の感情を表現しているのではないか。メロディは感情をのせる道具なのだろうか。 今さらながら、こんなことを考えながら見ていた。音と音の間を聞く。というのが少しだけわかった気がした。エマニュエル・アックスというクラッシックのピアノ奏者がピアソラをはじめてやったといっていたが、曲をきいただけで、そのタンゴの世界と曲をきいただけで、そのタンゴの世界というか、アクセント、フレージングのちがいをすぐに理解して (もちろん、聞いてはいたと思うし、当然のことなのかもしれないが)演奏していた。ジャンルは違くても、一流の人は、そのジャンルのグルーヴを見分けられるのだと思った。 

 

ここではグルーヴ=グルーヴといえば、曲の決まった道すじ、と訳されていた。

興味深かった。小松亮太さんが、「このままでいいのか、と立ち向かう気持ちで演奏する」といっていたが、そういう勇気を与えてくれる曲なのだなと思った。でもどうしてだろうか、他の外国人の演奏とどこかちがう。見ていたら、私の体が固くなっていた。立ち向かう気持ちはよく出ていたと思う。ピアソラの曲は、心の交流ができる、といろいろな人がいっていたが、逆にいえばそういう曲の構成になっているのではないか。 心が通い合っていないと演奏できないといったら大げさかもしれないけど、そういうことなのだろうか。そしてそれが、作曲家の意志なのだろう。

 

 

マイルス・デイビス

 

印象に残った言葉(彼自身によるもの、彼の周囲の人たちによるものともに)を連ね、その後で自分の感想・考えを書いてみたいと思う。「彼は常に変化を求め続けた」「僕(マイルス)もあんなふうに音楽のプロになりたいと思った。ある黒人バンドのライブを少年の頃に観て)」「白人の音楽は体に入ってこない」「どんな音楽でも次々と過去にしていく」「(ホットハウス)のあの音にはどんな意味があるのか」「他のプレイヤーと違うことをしなければならない。側にいい見本があるのは幸運なことだった」 「ミュージシャンになるには常套句を覚えていないとね。決まり切ったやり方を覚えていればメロディは自然と湧いてくる」  「彼のプレイにはハートがある」「ルイアームストロング以降にトランペットの音色を変えた最初の人だった」「多くのプレイヤーを参考にして自分の音色を引き出した」「この楽器? 俺の声さ(It's my voice.)「彼のようにトランペットで歌える人はめったにいない」「好きなリズムがはっきりしている」「頭のなかで積み重なってくるリズム」「リズムはどこにでもころがっている」「一番気持ちよく弾ける曲を弾いた」「(マイルスのバンドの)みんな、新天地をこうという気持ちになっていた」「綱渡りをしながら音楽的実験をしていたよ」 「みんながいくらバラバラになっても、グルーヴを保って弾いていればよかった。マイルスがまとめてくれた」「But it is gone.終わったことだ。楽しかった。いま思い出しても震えがくるぐらいだ」「70年代にスタンダードを排し、ポピュラー音楽を取り入れた」「バラードを愛しているからこそバラードをやらない。彼はアーティストとして知っていた」「常に前に進まなければならない」「半年も前のことと同じことはやれない」「本能的な創造力」「常に変化しつつ前進していく」以上の言葉が印象に残った。

 

残念ながらマイルスの音楽は、今のぼくにはすんなりと心に溶け込んでくるものではなかったが、彼自身の言葉・音楽・音楽に対する姿勢・信念・彼の周囲の人々のそれらは今のぼくが大いに見習い参考にすべきものが多くあった。まず思い浮かぶことは、なぜそれほどまでに常に常に変化し、前進しなければならなかったのか。アーティストとしての本能なのだろうか。いや、生きる生命体である人間の本能なのだろうか。疲れないのだろうか。ストレスが溜まることはなかったのか。彼は強い人間であったからそれが可能だったのだろうか。彼自身も含め、まわりの人があれほどいうぐらいだから、よほど変化しつづけたのだろうと思う。その変化しつづけることには、根底に流れる共通したものがあるのだろうか。あるとすればそれはもしかして彼自身の生き方そのもの。信念のようなものなのだと思う。前進や変化というものが聴衆のためのものだったのだろうか。あるいは彼自身がそうしなければ気が済まなかったのだろうか。答えを知りたいがわからない。ぼくには変化のなかにある不変があるように思える。でも、それがわからない。わかりたい。いつもオリジナルであるためには、常に新しいものを創造し続けなければならないのかもしれない。「白人の音楽は体に入ってこない」といっていたのは興味深い。彼自身の少年のときのことをいった言葉だが、まだ音楽的要素がなかった(と思う)頃に、既に音楽の好みがあったことになる。いやそれは音楽の好みというよりも、マイルス・デイビスという人間としての好みとでもいえるのではないのだろうか。根本的なもののような気がする。音楽というジャンルに限定されるものではなく、もっと広いいろいろなもののなかから彼が感じたものなのではないのだろうか。それは理性とか表面的なものではなく、細胞とか骨のズイとかが感じるものなのかもしれない。福島先生がレッスン中にいった「音楽とは骨のズイにひびくリズムだ」という言葉を思い出す。それは頭で考えてわかるものではなく、自分の心の奥底に潜む“何か”が知っているのではないのだろうか。(ちなみにその“何か”をつかみ、言葉などで表現するのは結局頭なのだと思うけど。)

 

「ミュージシャンになるには常套句を覚えていないとね。決まりきったやり方を覚えていればメロディは自然と湧いてくる」「多くのプレイヤーを参考にして自分の音色を引き出した」との言葉からは、マイルスがプロのミュージシャンとして他のプロミュージシャンを参考にしてまねし、プロとしてやていける基本というものを身につけていったのがわかる気がする。何もないところから、プロとしての基本があったのではなく、まず他者から学び、身につけ、その積み重ねと独自の探究のなかから、自分の音色というものを創造していたのだろう。ぼくはこのことから2つのことを学ぶ。こういったらこういくのが自然だ、というものが音楽にはあるオリジナルといっても、いきなりあるのではなく、初めは他者から学び、まねし身につけていくことのなかで、生まれ出てくるものである。前に述べたことも含めて、今の自分の課題が見つかった。

一流を聞く。そのなかで基本を身につける。それは一流のまねから始めることだ。そのなかで自分なりの音色を創造していく。一流を聞く。いろいろなものを聞き、自分の心の奥にある“何か”を見つけていく。それが自分が求めていくものなのかを考える。そこから自分が感じる音楽リズム指向を探していく。ぼくにはぼくの生き方から来るリズムがあるはずだ。でも、これは限定しナメて考えないで、いろいろなものとえり好みしないで取り入れていくこと。狭い考えにとらわれるとよくない。

付随していることだが、一流を聞く中で基本を学びとっていく中には、音の流れ、リズムの流れも含まれる。自分の感覚でしっくり腑に落ちるようつかんでいく。以上を学んでいこうと思う。また、ヴィジュアル的に印象に残っているのは、トランペットを吹いているときの姿勢と演奏中の顔つきだ。スタンダードをやっているときは、直立不動というかまっすぐに立って基本の姿勢をくずさないで吹いている。坦々と演奏しているように見える。あの姿勢が一番息を吹き込むのにいい姿勢なのだろう。その紳士な姿がスーツにとってもよく合っていてかっこいい。ポピュラー音楽をとり入れるようになって、前かがみの姿勢になったのはどうしてなのだろうか。ファンキーを表現したくなったのだろうか。また表情も興味深い。ニコリともせず、目がギラギラしている。動物のような目は強烈な印象がある。静かに、でも激しく燃えるという表現があてはまると思う。人それぞれノリ方があるのだなと思った。 

 

 

 

[ナッキン・コール]

 

ナタリー・コールのお父さんだということだ。親子2代歌う人。ナタリー・コールはこの声を聞いて育ったのか。どうだっただろう。口のまわりグニャグニャ、特にこの人グニャグニャな気がする。どうしてこんなにグニャグニャなのだろう。それでもって口もデカイ。もうそこから出てくる声を想像してしまうような。たとえばこなれている声とか。何かもうまったく違う。圧倒的な感じ。高い音に限らず下あご下げて歌っている。ソフトな声。曲がそういう曲なのだろうか、ヴォリューム出していない。出やすそう、という感じでもない。「HOME」低音のひびき、中間音のひびきが凄く出ている曲。 

そしてそれはこの人のよさが生きている印象を与える。前の曲よりこの曲でこの人に会えた気がする。得意な低音のひびき、ひびかせ方、バランスいい全体のなかで、これ以上ひびかせない。みつめて歌うスタイルにあった曲だ。チョビッと入る飾りのようなピアノの音も生きている。多けりゃいいってもんじゃない。「Because」中音・低音少しだけ前の曲より高い音にいく。少ない音の動きが多い。ピアノに歌をバトンタッチする。ホントこの人のピアノは歌っている。最後の「レイン」少し高い音だが、低い音も含んだ不思議な美しい音。深い広がりのある最後の「レイ「ン」。1つの音がこんなに残るのか。「Because」少し今までより音高い。ソフトに均等にしている。キンキンしない音、つまった感じを与えない音。体もう斜めこちらに向いて、その姿勢くずさないでいる。スタイル。まったくいろんなスタイルがある。皆の動き小さいけれど、ピアソラの楽団の素晴らしいピアノとまた違うけれど、バネのようにひく。でもたたいている感じはない。「Always you」腹が映ってない。それより上、どこにも力が入っていない。何て美しいメロディーだろう。低音は前に来る。高音はどこに行っているだろう。わからない。「Little Girl」アップテンポ声のなかにアップテンポの晴らしい声。そして美しいメロディ。リズムがある、既に。「ネイチャプ」素晴らしい声。そして美しいメロディ。息全部声にしない。息との割合が場所場所で違う。世の中には本当に素晴らしい声があるのだなあ。

 

 

 

[サラ・ヴォーン]

 

自由自在。高音の何て艶やかなそしてヴォリューム。素晴らしい。「You're Mine You」ドミソドドミたとえばこれくらいの音の動き、そのまままるで一音みたい。どこがどうだとこうなるのか。音の捉え方、感じ方が違うのだろうか。ド→ド、高いドから1オクターブ下のドまったく音同じ。何一つ変わらないで聞こえる。それも余裕を持って。この人の体は筒だ。ドラム缶のようにコンサートで思えたが、そしてホール中が震動していたが、そして私も足下から.震動したが、やはりこの人は他の人と違う。まったく違う。太い息、線なんかじゃない。のどの太さのものが流れ出てくる。体ののどの奥のものすごく奥の方から。どうしてこうなったのだろう。深ーいところから次から次へと流れてくる。他の声の素晴らしい人とまったく違う。どうしてそうなった。どこが違う。高音の方がヴォリュームがあって表情があるってどういうこと。「You're Not Kind」ダラララダラララ刻むような感じなのになめらかに聞こえる。そう仕上げた。少し今までより低い音が多い、そこから高音にいったときの方が、ダダダダディアダン、言葉より美しい、言葉は難しい、でも言葉と音が出会ったときは新しい命になる。一曲のなかでいくつかの色がないだろうか、この人。何かが他の人とまったく違う。

 

 

 

イサム・ノグチ】 

 

イサム・ノグチの彫刻は、日本庭園に似 た趣があった。だけど、ただまねしたという陳腐さはなく、そこに生きていて、流れを生みだし、空間と融合している。できあがった作品に触れる人々を想像しながらつくるという。それによって作品は、進んでいくものになるのだと思う長い年月を見越して作品の時間の経過をも含めつくり上げるのだろう。イサム・ノグチは、日本庭園など、自然・芸術などは体全体で感じるものだという。そこの空気を感じ、時間を感じ、においを感じたりするのだろう。イサム・ノグチの作品に、日本庭園のもつ、空気落ち磨きが失われていないのは、そこを見極め大事にしたからだと思う。歌でも、そこは間違ってはいけないといわれるところ。めざすところ。エルサレムでもノグチは、すぐ察知したという。エルサレムの空気を吸い肌で感じる。ユダヤの民が安住の地として選んだそこに、自分自身をおとしこむことができたのだろう。そして安住の地を体全体で感じとったのだ。作品を生みだすとき、作品とその枠組を考えるといった。枠組みとは絵でいうところの「がく」だという。どういうことだろう。ある-線を越えないということか。でも、巨大な公園じたいを彫刻ととらえ、彫刻という概念に新しい風を吹きこんだ人だ。絵のがく、空白だったのか、忘れたが、絵の世界がそれを超えて無限の世界へ広がるものとしての役目を果たすこともあるという。

 

○わくがなければ、どこにくぎりをつけてよいか見る側に不安を与えることもあるかもしれない。

○作品を作品としてまわりと調和させるために存在することもある。

○TVやステージでの枠組みといったら、テレビのまわりのふちと、ステージの舞台ということなのだろうか。そのわくのなかで最大限生かせる空間を考えるのだろうか。やはり「わく」とは制限なのか。

○枠組みを制限ととらえないとする。枠組みが違うだけで作品の印象がガラッと変わることもある。

歌であったら、枠組みとは何だろう。枠組みとはその作品をつくりだすときの材料だろうか。その材料を使うことによって作品を考えていく。作品を考えることによって材料が決まる。その材料を使って最大限に生きた空間と時間を生みだす作品をつくり上げ、思いもよらない劇的な現象をも引きおこす。

 

ノグチは、新しい表現方ノグチは、新しい表現方法を探り、水を1つの手段とした。テーブルのように磨かれた石に穴があいていて、そこに水をため、あふれた水が石のテー)ブルを覆い、鏡のようになる。その鏡に映る石だたみ、壁の模様と神秘的な世界をつくり上げる。この少ない材料のなかで、空間を無限のものにしていった。水に波紋がたてば、また別の表情をみせる。またあふれた水の広がる割合は、完璧でないのがよいという。自然に見えるようなのが、完璧でないことが、見る側にかえってさまざまなものを与えるのではないかと思う。味わい。趣。あと、芸術家は独裁者である、といった。考えてみると自分の納得のいくまで、自分のめざす作品を完成させるため、あくなき戦いを続け独裁者にも感じる。ノグチは隠さないともいった。そこの空間のもつ、よいところを隠さずとりだし、作品として加えると。歌でいつもいわれていることと同じだと思った。作品をつくりだすとき、自分の感じたものを基に、あくなき戦いを続けるのだ。 

 

 

 

【ジャズの掟】

 

「私の基本の音は」ジャズの特徴4拍子のなかに3拍子がある。ようなときがあるウラ大事ズラシのリズムリズムの特徴としては、たとえばバウンスリズム。シンコペーションとバウンスリズムはいろんな曲にもの入っている。ウラもジャズ以外でもある。でも4拍子のなかの3拍子はそれ自体しっかと目で見たのは初めてだ。確かに入っている。何かが出てきた、うねりだろうか、不愉快じゃない。音として。リズムのとり方、たとえば3拍は「しぶや」たとえば5拍「おかちまち」。とてもやりやすくそしておもしろい。切り口を変えて新鮮を出した。難しくなったら楽しい何かを「リズムは慣れ」曲のなかでリズム変える(タイム・モジュレーション)即変えるのではなく、乗り替えポイントトランジション。普通曲のなかではどうだろう。「テナこといわれてその気になって」の部分がそうか。変わりますのサインだ。スタジオに来ている人とプロが共にやってみる。山下洋輔曰く「レッスンじゃない、下克上」「バトル」リングの上だ。彼自身がいつでもそうやって、やってきたのじゃないのだろうか。「寝る前にやれ」自分でどんどんハーモニーやメロディを作れ、眠くてもやってみるかモード」コード進行を考えない演奏。白だけでああいうメロディ。ドリアンモード。たとえばドリアン。普通のコード だけ「レ」から始まるとシになるがbつけない、そのまま。即興でやってみる。コツはDの音を意識してあげる。そう、まるで底でうなるような感じ。できそうな気にさせてくれるところが実にいいところだ。Jazzって型はあるけれど、それはカチッと1mmも動かせないものでなく遊ぼうと思えばさまざまに動ける何かを持っている。果てしなく遊びに行く人もいるだろうし。不思議。どっからそういう力を得た。本当は音楽ってみんなそう。自分が勝手に型にはめているだけ。世界では「あなた。の基本の音は何ですか」という会話になる、という。「中心音」それをさぐっていく。それが共通する、和音コードの考それが共通する、和音コードの考え方は少ない、という。私の底流で鳴っている音。私の中心音。はっきりと聞きとれる最下音という意味。でも中心。モードは奥が深い。Jazzはその風体が何かムズムズして広範囲な感じがあり楽しい。まったく一緒に音とっていけなかったけれども。その基本にあるものがそう感じさせるのでは。 

 

 

 

【写真家沢田教一】 

 

「写真がその人自身を語っている」。全て体から出たものは自分を正直に現してしまう。写真も、歌も。34才で射殺される。射殺。尋常じゃない。戦場。何年写真をとっただろう、何枚写真をとっただろう、枚数より年数よりもっともっともっと写真をとりたかっただろう。そんな気がする。戦争が澤田に追いついた。いずれは起きること」どういう意味。写真のこと。そして殺されること。しかしやはり殺される。他者が一人の人間の終わりを決める。何の権利があって。権利があって決めるわけじゃない。殺されるから。それだけじゃない。人の心に棲んでいる魔物。それが顔を出さないで済む人生。試される人生。私はどうするだろう。確かに生きた人々を思い出せるだろうか。ねぶたのリズムだ。血のリズム。どこまでも続く道。どこに続く道。「写真のなかに澤田のまなざしが見える」「よい写真には光のなかでの会話がみえる」「そこにあった苦痛を感じることができる、深い敬意を払っているのが見てとれる、人間に対して。人間に対する物語、戦争が何をしたのかがわかる、戦争に対する人間の感情の物語。」それが彼の写真。1936年2/21、6人兄弟の長男として青森市に生まれる。昭和11年だ。学校の級友の証言「おこったことない。いつも笑っている。澤田9才のとき次女がいろりに落ちて火傷で死ぬ。身近に死の経験をしている。9才で死を考える。私とまったく違う。13才新聞配達のお金でカメラを買う。そして初めてのショットが和裁する母。父でなく母。なぜか。名門青森高校に入学。同窓生に寺山修司。彼曰く「澤田は相手にのめり込んでいく男」。2度の早稲田受験失敗。青森に帰る。当時三沢基地は活気にあふれている。結婚することになる田沢サダ女史と出会う。11才年上の女性。しかし彼女の目に同じ年にうつる。20才で30才に見える人。澤田氏のなかの何がそう人に思われるのか。何か。結婚してから教わること多かった。生活の知恵を。彼女が澤田から。基地で働きながら家族写真でアルバイト。人間を撮っている。子供も大人も撮っている。人に関心がある人だ。グラフ氏との出会い。「澤田氏を仕込もうとした。夫の人生はカメラ。写真技術教えられるだけ教えた。学びたかっていた。」学校じゃない。学ぼうとする人間と与えようとする人間が出会っている。夫人と共に上京、東京で独立したい。UPI通信に入社。青森恐れの写真、毎日デイリーニュースに掲載。UPIサイゴン支局では焼身自殺する僧。「サイゴンで働きたい」写真家になりたがっていた。できることを証明したがっていた。こういう人もいる。自分でとりたがった。ここが大事な単純なところだろう。どうしたいか。出かける機会がある度に。決まりきった写真じゃなく、すぐれた写真をとれることを証明したがったか。とりたいのではなくとれることを証明したい。自分が前面に出てくる。意識の上で。でもできあがった写真は違ってくるだろうか。自分では澤田氏の写真に証明したい言葉は読みとれない。でも自分を知っていた人だ。そういう意味で。「そこで起きていること、そして人間に興味関心があった」。

ビョークは人間に恋しているといったが。メガネをかけて自分は見ている気がする。浅い。自分のものさし。いつまでたっても見えてこない。疑うことか。興味関心も恋に似ている。人間の何に魅かれるのだろう。UPI通信の人は反対する。理由「アメリカの戦いだから」よくわからない。結局押し切って行く。パナ通信の岡村昭彦氏に出会う。香港で。「どうぞ私の部屋に遠慮なくいらして下さい」という岡村氏に対して「展覧会に出すための写真をとりに行きます」と答える澤田氏。展覧会に出ない素晴らしい写真というのはある。でもとにかく澤田氏は出したい。そういう欲望。ただとりたい、というのだって欲望。いろんな欲望。ベトナム旧正月。「テト」。花が咲き、あんなに美しいのか。ずっと続く戦いの写真と悲しいほどに対照的だ。これを踏み荒らして殺しあうのだ。人間はそういうことをする。何のため。かしこさとほどとおい。新年を祝う人々。葉っぱを燃やしている。すぐまわりの人に尊敬されるようになる。彼のなかの何かがそうさせる。7月サイゴン支局員としての辞令おりる。ティム・ペイジ:写真家。当時ベトナムで20才。世界を見て来るといって10代で世界をまわる。目が泳いでいる。なぜ。私の目が泳ぐときと同じだろうか。「一番興奮するのは戦争。生と死の境界線を行くのは啓示。12回手術をうける」気が狂う一歩手前、戦争。彼は興奮した。境界線、断がいに立つと神が出てくるか。しかしボロボロの体だ。なぜ彼はここにいるのだろう。その目で、その目に何が映るのだろう。初めてベトナムにきたときからその目のはずはない。何かを見た目、何かを見ている目、戦争とは何なのだろう、澤田氏の目と何かが違う。

なぜ彼はここにいるのだろう。特に彼の部屋は殺ばつとしている。心はいったいどうなっている。澤田氏はここで仕事仲間から疫病神と呼ばれる。一緒にヘリコプターに乗り込むことがわかると相手が降りたり。落ち着きと仕事に対する尋常じゃない姿勢。何日だってくっついてくる。

「学ぼうとしていた。とてつもない勢いで吸収していた」。

そしてこのときとった写真は全て公表できた。あの写真、とられたときの様子を娘に話して聞かせている。「手を引っぱって助けてくれて催涙ガスにあたっていた目をぬらしたタオルでぬぐってくれた。」

「2、3年に1回きた。布地やお金を持ってきてくれた。だから澤田氏が亡くなったという話は他人事なのに悲しく思えた」と。こういうものかとられる人間ととる人間の間は。全てのとった人とこうする。納得のいく写真をとらせてもらえたから。たくさんとる人ではなかった。注意深く見て音を聞いて、待つ、見つめる、撮る。ていねいで、どんなにすぐれているかを確信している。自分の才能に自信を持っていた。他人の目にもそう映るほどだったということ。死者が近すぎてとれないことがある。実距離だけじゃない。目の前のことを頭のなかで心のなかで再構築できないとき。戦争では一人死者が出たとき一人だけですんだ、という。二人死んだときを考えるわけだ。そりゃそうだ。でもかけがえのない一人。この世にかわりの人はいない。500体の遺体が放置されている。わかるか、わからない。そこに写真を撮るためにいる、というのが難しい。一人一人確認していく。死体に敬意を払いながら、静かに。その動作のなかに全てがあらわれることがある、という。しかし、やはり普通の神経ではできない。マヒされるかさもなければ狂うか。でも戦いのなかでも大人が自殺するとき子供は笑うのだ。なぜ笑える。今を見ていない。明日を夢を見る力があるのだ。それも立派な力。戦場のこわさは心の慢性化。死に対して。生きることに対してじゃない。やっぱりすごいところ。終わりない戦いに思えてくる。銃の音の間隔5秒。ししおどしじゃない。人を殺すための銃。やっぱりわからない場所だ。次の瞬間殺されるかもしれない。そこで写真をとるのか。なぜここだったのだろう。フエ王城跡、蓮の花が咲く掘。ここも戦場だった。500人中114人が負傷。美しい夕日だ。戦いの最中でも夕日はあんなに美しいのだろうか。

UPI通信サイゴン支局のなかで管理職。内部にチラチラ見える人種問題。業績を残したのにもかかわらず白人並みには扱われず、でも日本に戻れば業績関係なく単に日本並み。給料の話。サイゴン再赴任にあたって銃の携帯をすすめられた。でも「日本人だから持たない」。プノンペン国道2号線。胸と背中に打撲、ライカもなし。3人で一緒にいて2人死んで生き残った女性。何年たっているのだろう。亡くなってから。でもまだだ。人は安い。生きていて重い。あたりまえ。でも亡くなって重くなるとき。結局積み重ねる送料は全部ひっくるめれば同じなのだろうか。できればやっぱり生きているうちにのたうちまわった方がいい。帳尻は合うのかもしれない。取材される人が想い出しながら言葉を失って涙している。「とってみたい写真、軍服を脱いだ人々」。そう、戦地でさえ、その合間に鮮やかな横顔の少女をとっている。そのまなざしは同時にあったのだ。そしてとりたいという意志つぼみがひらいたような鮮やかな初々しい少女の写真。死ぬ、ということはそこで全てが終る、ということ。全て。何にもない。愛も憎しみも喜びも悲しみも怒りも嘆きも苦しみも。彼は生き方を自分で選んだ。動きに迷いはない。心は34才。年数じゃない。学んでとって学んでとって。順風満帆じゃない。妻の流産も経験している。何もいわない。でも死を知っている人だ、体で。でも幸せであったと思いたい。一枚の写真をとり終わった後の彼の表情には、はっきり幸せが読みとれる。他のものがそこにあってもなくても幸せを自分の手でつかんでいる、そういう一人の人間。もちろん彼を支えた数え切れない人。そしてその人達も彼に今だって支えられている、と思う。人として生まれて、人を幸せにして、自らもそれによって幸せになる。これ以上のことはないだろう。そして人と人との不思議な循環。どう生きるか。幸せになるために自らのみこみ、のみこみ、のみこみ、のみこみ尽くしそして手にできる幸せ。彼は立ちどまっていない。前へ、前へ。生きることはこういうことか。かなしいか、おびているかかなしみが。かなしみをおびない「生きる」があるとしたらその分誰かに、どこかに負わせている。それともかなしみを忌み嫌っているのだろうか。一番大事なことは一つだけ。しかし、初めてだ。幸せだったのじゃないかと想像にしても思えたのは。それは何から判断したか。決め手は一枚の写真。澤田氏がとった写真でなく澤田氏をとった写真。とる喜び。今の私にないもの、欠けているもの。歌う喜び。なぜ欠けている。プロセスを踏まない。なぜ踏まない、眠い、じゃあ無理だろう。眠さと喜びと眠さをとっている、ということだから。彼は喜びを選んだ。選んだから結果手に入った。歌う喜びほしいのだろうか、ほしくないのだろうか。頭でなく体で。これを嫌な質問と感じる、ということはどういうことだ。やめる、無理することはない。無理は続かない。