一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン感想 7742字  927

 

レッスン感想  927

 

1日の始めにストレッチ。朝はなるべく体が早く起きるように、歩くときも歩調を少し早めにしたりする。そして、ヒマさえあればブレスをする。横腹(横隔膜など)をなるべく柔軟に動くように少しずつ調整しておく。始めは“シュー”という感じで。その後、1拍ずつ“シュー シューッ”と。体が柔らかくなってきたら、のど(声帯の辺り)で母音をつくり、そのままホワホワした息を出すように息吐きをする。あくびが始まる瞬間ののどが開く状態の感じで、体を使って息吐き。このブレスの調整は、ヒマさえあればやる。習慣にしてしまう。 

 

 

声の練習 

出し易い音(私はド)でアー、アーと、 ポジションにハマるまでやる。 

出るようになったら、同じくアーで、アーアーアーと3回ずつくらい1音ずつ上げていく。Gまでは比較的出し易いので、響かない音で、無理のない音域でしばらく続ける。(もちろん低音も音はきちんとその音にヒットするように意識する。(ズリ上げなどしないように。)そのあと、上野音を1音ずつ増やしていく。少し響いてしまうが、Bはかなりこの形だと辛いが辛い音域はそのまま辛いまま、5分くらい続けてみて、テンションを上げる。 

 

アから、他の母音につなげる 

やはり出し易い音(上とやり方は同じ)でアエイ、アエア、アオア、アウア、アアア。エアエア、イエイエ、ウオウオ、ウアウア、アエアエ、エイエイ、イアイア。 (一通りの組み合わせをやる。そのなかで、苦手な組み合わせは何度も繰り返す。ノドが締まってきたりしないように、苦手な音の場合その言葉のあとにアをつけて感覚をつかむ。)これらをドレドレドーで上下させたり、ドミドミドーでやってみたり、5度くらいまでやるときもある。 

それまであまり無理な音域は使わないが、この辺でテンションを変えるため、Fより上の音で練習を始める。一気に高い音域で無理をしてみることを続ける。~この辺で休憩~ 

アエイオウ、 の上下をやり、今練習している課題曲で苦手とする言葉などの練習。(しばらく言葉になれるため、大きな声で棒読みのような感じで。) 

 

鼻毛が伸びるのは悪い空気を吸っているからだ。歌えないのも不潔な理由があるからだ。自分の鼻毛は自分で切るしかない。 

 

基本の質をよくしてくことで出てくるものがまったく違ってくると思う。すぐに形となってあらわれなくてもこつこつとやっていくこと。課題が何なのかということをきちんとつかみヴォイストレーニングと歌を結びつけていくこと。今までの私のトレーニングはやはり歌に結びついてなかったように思う。声が以前より太く強くなったことでの変化はあったが自分で組み立ててつくり出していたわけではない。表現の土台となっている基本の部分を聞ける耳を養うと共に自分の出しているものがどうなっているということを一つずつ確認していくこと。

 

ちょっとやそっとで身につくとは思っていなかったがやはり甘かったように思う。これから先どれだけのことを詰めていけるか続けていけるかだと思う。声に関しては深いところで安定してきてどの声を使うなんてことで迷わなくなってきた。ただ調整の段階で体がこなれてなかったり深いところにはまってうまく声が出ないということがある。今までは体の内の感覚ばかり気にして声が前に出ないということが多かったが、これからは出ている声がどう なのかというところで判断をつけていきたい。今日はヴォイスジム(2)のメニューをやったが自分の課題を持って目的をしっかりと把握していないと、ただ流して終わってしまうことがわかる。自分のメニューにしてもそう多く入らない。10くらいのメニューで質をよくしていくことを考えていく。変化を持たせるため違うメニューで同じことをやるというのは必要かもしれない。 

 

1音目をしっかりと握ること。「ハッ」と吐いた息に声を一致させる。スタッカートのトレーニング。 

このとき注意すること 

深い息を吐けているか。 胸に押しつけられたように出してしまうことが多い。 

上半身に力が入っていないか、腰回りだけの動きでおこなうこと。

息と声の一致が甘く、息もれすること が多い。探って出している。 

輪郭のある息、声を取り出す。横に広がってぼやけないようにすること 

鋭さ、強さを意識すること。歌のなかで1音目の入り方は重要。そこはいつも聞かれているところと思う。次につなげていくためにもきちんとつかめるようにすること。 

 

「ハッ」を「ハイッ」で行う。「ハッ」に「イ」をつける感覚で一息で提えること。 

ハイッ、ハイッ、ハイッ 

自分のテンポでは体が戻りきらないうちに次へ行くことになるが、スピードに慣れていくことも必要だと思う。

一呼吸で捉えること。 

ギリギリの呼吸では入りきらないのでイメージを大きくしてそのなかで捉えること。 

 

音をつける、半音ずつ上げる 

のどが開いてきたことによって体で捉えることがわかってきた。 

ポジションを変えずにより息を入れていく。 

今はこの半音の繰り返しを強化してや っていきたい。 

一体どのくらい掛かるのかわからないが1オクターブを目標にやっていくこと。出るところと出ないところの差がこれだけはっきりしているととにかく身につけるしか道はないと思う。

音が上がったとき、力を入れないこと。 

腰だけで捉えること。(要注意)) 

 

終止「ハァー」息、声、腹でできるということが今一つわかっていない。

フレーズのなかでは流れてしまうか突然切れてしまうということが多い。は切っても息は流しておくという感覚をしっかりとつかむこと。そのためにはのどが開いていなくては。 

のどで息を止めていることが多い。 

フレーズでは語尾にいくほど息が細くなり止めるというより流れてしまうことの方が多い。 

短くていいのでできる感覚をしっかりとつかむこと。 

息をおそるおそる出すのではなく、しっかりと吐くこと。太く、強く、鋭く。

 

 

ピークをつくる(ヴォリュームをつける)

これは歌のなかではまったくできないに等しいがやっていこうと思う。最近になってようやく息をより吐くことでヴォリュームがつくということが見えてきた。以前はただ声を出すことにしか目がいっていなかった。 

短くていので「ハァー」という息、声でヴォリュームをつけるここと。

横腹、背中の筋肉を押し出す感じで。

より強く押し出してみる。横に広がった息、声にならないよう 

 

「ハイッ ラ ラ」 

今まで<ラ>という音を発するとき日本語の<ラ>の感覚でやっていたように思う。自分では<>の感覚でやった方が深くとれるし、体も使われると思う。日本語の感覚だとどうしても淡くなってしまう。 

腰でキープしたまま息を流すこと

息の線上に乗せること。

1番目はしっかりと出ても2音目のラになるとだらしない音になってしまう。 

息の上にのせていく感覚は見えてきたが、このメニューは質をあげていくというより最近のことをやる段階のように思う。 

 

ヴォイスジムでは響きをとるメニューがあるが、どうもこの響きというものがよくわからない。自分の声が深いところにはまり身動きできなくなっているときもあれば、心地よく出るときもある。プロの声を聞き、響きのある声というのもわかるのだが自分の声となると今一つ判断できないでいる。自分の感覚と耳でわかってゆくしかないのだろう。最近はのどが開いて(もっとよい状態が訪れるのかもしれないが)体で捉える声、感覚がわかってきた。これからこの声を使っていく中で表現を考えていきたい。1オクターブが〜にはいっている感覚は今はわからないが方向性は見えてきた。歌の大きさがまるっきり違ってしまうと思う。

 

2年間のトレーナーのレッスンを受けてきて感覚というものは直接取り入れることはできないということがよくわかった。自分で感じて気づいたことでしか身になっていかない。これはどのレッスンにもいえることだろう。大切なことは小さな気づきを見のがさずにつかんでいられるかということと、いつかそうなるのではなく、今その感動をつかむと思ってトレーニングすることだと思う。トレーニングを続けるほどによりよい状態を知り、今もまだ途中なのだと思う。自分がよりよくなろうとすればなってゆくのだろう。トレーニングしたことで変化したともいえるけれど、それ以上に考えていることで、体が変わった気がする。何かに強く心動かされたとき、声がストンと深いところに落ち着いたり、こんちくしょうと思ったときにより芯ができてきたりそんなことの積み重ねのような気がする。人間の体、声。本当に不思議でおもしろい。 

 

ある本を読んでいてこういうことが書いてあった。「想像力を逞しくするには日常いちいちの事柄に全身で真面目に取り組むという生活を送るしかない」と。考えてみれば、この世はわからないこと、知らないこと、不思議なことで溢れているのに知識さえあれば全てわかっていると思い込んでしまう。言葉一つにしても漠然と使っているし、疑いもしないことが多い。本を読んでいて自分自身が曖昧にしているところに立ち止まるとなかなか前へ進めなくなる。1歩進んでは調べ、考えの綴り返した。でもそれをやらないときっと何一つ学べやしないのだと思う。疑問もなけりゃ発見もないわかりやすいものだけの受け入れわかりにくいものは遠ざける。このことはいつも心に止めておいた方がいい。

 

大切なのは、自分の頭でとことん考えること。今の自分を限定せず成長していけるのだということに目をむけること。私自身他人や書物の言葉を使って大きなことをいっていたことがあったし、そのことにさえ気づかず今思うと恥ずかしかったりするが、全て成長していくための失敗と思っている。自分の経験に基づいた言葉を使うことによって<私>という一人の人間が形となって訴える歌がなぜ芸となるか。たぶんそれは歌う人間と数が一体となるからではないか。歌が見ても、声が見えてもだめで、一人の人間を強烈に感じ生きている人がいる、そういう存在感があることが大切のように思う。私が私でいることにこだわり続けることから。

 

「前に出る」「エイ」とか「アイ」とか景気よい声出しからやったせいか、やりやすかった。音程を変えていく発声も、いつもはピアノを聞いて合わせようとやっていたところを、今回はまず思い切りよく声を出してみて、それからピアノを聞いて、それから合わせよう、というふうにやってみた。なので、ちょっとバラバラだったかもしれない。音程が合っているかどうかわからない、というときはあってないことが多いということだから外れているのが多かったのだと思うけど、この方が練習にはなると思う。

 

誰かも同じようなことを聞いていたけど、どちらにしても(合っているにしてもいないにしても)、しっかりとした声を出してみた方がわかりやすい。出さないとわからない。練習にならない。歌につながらない。意味がない。そう思っていても、出ないときは出ない。気持ちが声につながっていることをすごく強く感じる。音がとれているかな、とれていないかなみたいな迷い。すごくはずれていたらはずかしいとか、他の人に迷惑しないかとか、そういう気持ちが声を出すときに見事なほどマイナスに働く。妨げる。気持ちを変えるような声のトレーニング。声を変えていけるような気持ちのトレーニング。「前に出る」ことの大事さ。出してみてはじめて、いいか悪いかわかる。どう変えていいかわかる。それでやっと、トレーニングになるのだと思う。 

 

「力の抜き方、入れ方」体で声を支える感覚とか、のどを開けて声を出す感覚とかそういうのをつかむためにきっといろんな人がいろんな方法を試して、いろんないい方で表したりして、そういうメニューがいろいろあるのだなと思う。上半身をダラダラしながらのあーは、今回はあまりうまくいかなかったけど、声そのものも力の抜けてしまった感じだけど、この方法をもっといっぱい試して、力を入れるべきところに力が入って抜くべきところにも力が入ってしまったときにその抜くべき力がうまく脱力できるきっかけになる方法になると思う。あーとやってダラダラすると、あ、ここにヘンな力入ったってのがなんとなく感じとれる。首を振る(傾ける、回す)もそうだけど、効果的な方法だと思う。能の歩き方の方は今度はどこに力が入っていくかを感じるということで、一緒にやってよかった。足(脚)が、下がってくる体の重さをゆっくり徐々に支えようとするように、お腹の力で声を支えている感じをつかむ。お腹。首じゃない。頭でわかっていても、体でつかむのは難しくて、それをつかもうとするヒント。「かっ」と息を吸ったときに、のどが開くのもおもしろいと思った。 

 

現在のままの自分でいいのか。そのフレーズのなかに自分はいるか。歌い手がその歌をどう感じ、どうこうとしているのかが見えないのはおかしい。いわれる通りなのだ。歌のうわっつら整えるだけなら、なぞるだけならここへ来る必要なんてないのだ。課題をそれらしくこなすだけなら、ひとりカラオケBOXで歌っていればいいだけの話だ。何をしに来ているのだ。ここへ何をしに来ているのだっけか。現在のままの自分でいいのか。疑え疑え疑え疑え怒れ怒れ怒れ、ちくしょうくそったれ、俺やってやろうじゃねえか思い知れ。

 

サビに入る瞬間感覚の切り替え。「サビだから盛り上げる」のは違う。

展開上、「どうしようもなく盛り上がっちゃう」、そこがサビなんじゃないかという発想。なるほど。 

 

子供の頃から慣れているのよ それでもたまに寂しくなったら 2人でお酒を~ 

詩をまったく理解せずに発してしまった。これだけの行を書いていただけでもわかるだろう。明らかに「それでも」を境に心境が逆転している。自分も含め、皆のフレージングはサビで全力を当てたいがために前半を小さく押さえ込んでいるように見えた。これが「サビだから盛り上げなきゃ」感覚。声量・音程は後からついてくるもので、感情から働いていないフレーズは全てがバラバラに浮いてしまう。「ミソを溶いたから味噌汁です。」といって差し出すようなもの。

ぼくはまたカタチばかりにとらわれていた。(たまに)(なったら)のポイントでテントの歴根をどんな風にふくらませられるか等と考えた。それは一番大切なことではない。(それでも)の部分はいわれた通り力強く艶やかにうねっていて、「中心でつかむ」という感覚がわかるような気がした。ぼくは力づくな感じで真っ平らに押してしまう(広がってしまう)。感覚の違いをベースからも感じとることができる。なるほど、この曲のベースラインは特にわかりやすいアレンジになっていた。 

 

ゆれていた君の瞳はめぐりまた夏が来て~

サビの部分で音程差があった1とくらべ、まったく差がないこの曲。でも確かに声の張りというのか、奥行きが変わっている。たとえばひとりごとをつぶやくのと、少し離れた人に呼びかけようとする瞬間では明らかに身体の状態が違う。サビでの感覚の切り替えというのは「技術」ではなくて、極めて自然な「感情」なのだな。ところでこの曲、言葉を意識したらすごくぎこちなかった。ステージで無意識に歌えるくらいに身体に叩き込むのがトレーニングの意義。再認識。この歌、ぼくははじめて歌ったが、すごくその世界に溶け合える感触があった。心象風景かな、単にスタイルかな。 

 

先生が「ハッハッハッ」とカベに向かって息を吐くのを実際にやって下さいました。先生の腰のまわり(後ろの方)が風船のようにふくらんでいました。すごいなという驚きと、早く近づきたいという気持ちになりました。でもあわてずに着実にがんばります。

 

サラ・ヴォーンの呼吸の大きさ、息の深さを感じる。自分のなかでの大きいところ、コントロールできるところで体験する。オリジナルそのままのリズムやフレーズは無理。自分のテンポ、タイミングを知る。グルーヴ感と理解する全てに体を入れるのはもたない。どこで抜いてどこで入れるかよく聞いて、いろんな場所で試してみる。リズムがとても大事だということがわかった。

Be-bup-lulaのリズムを変える前と変えた後では、ぜんぜんノリが違って、歌いやすかった。いろんなジャンルのリズムを体に入れることで表現する曲の幅を広げたいです。サラ・ヴォーンの声は、本当に聞いているだけで自分の息や期間が影響されてしまう。どこまでも深く強くなっていくようだ。 

 

声を出すという基本の行為を自分の体で確認し、声出すよろこび、解放感、他の人との声のアンサンブルを集中して感じることができた。自由に歌えるよろこび、うたがもつ不思議なパワーを感じたように思う。声というのは生き物であること、他の人の声と合わさることで変化するものであること。

まわりの声があまり聞けなかったのでもっと聞けるようにすること。息を吐くことが声になることをもっと認識すること。フレーズをリレーしたときは、ほとんど音楽にならなかった。地の声というのをやったとき、教会で歌などを歌っている感覚を受けた。味わったことのない不思議な感覚で、とても興味深くあらためて声のもつ素晴らしさを感じたように思う。いつも音程をとることに必死になっている自分から解放された。 

 

 

【クリスマスライブ】

最前列はききました。下手な発声練習よりもトレーニングになったかも。私がやったら間違いなくピアノが主役で声が飛んでこないだろう。今回のライブではビアノの音が聞こえずに声だけがきわだってた。集中力が一番だって思った。やっぱり引き込まれるのは自分の世界ができていて入り込みながらも客側に訴えたい気持ちが届いたとき。あの場所は魔物がすんでいると思う。他のどのステージよりもこわいと思う。シャウトしたとき、声を振り絞ったときはやっぱり血がかけめぐった。ほどよい緊張感で歌っていた方はステキでした。やっぱり色気と勢いでした。音色の統一の難しさを実感しました。できる人ほど、歌うことの大変さも感じました。客としての視点で観ることができなかったので楽しむことはでいなかったけど、勉強になりました。歌っていないのに体も頭ものども疲労してしまいました。 

 

クリスマスライブでのトレーナーのステージには感動しました。とても日本人の声とは思えないほどの迫力があった。(

 

トレーナー二人の歌を聞いて、涙が自然と出た。すごかったです。あそこまで、訴えきれるっていうか、今まで積み上げてきた自分の全てをさらけ出すっていうか。生まれて、生の声で、ここまで感動したのははじめてでした。表情からして、いつものトレーナーではなくまったく別の人(それが本当の自分かもしれないけど)が歌っている感じ。すごくかっこよかったです。間奏とかの間も意識がおちないでその歌の世界に入っていて、歌っているときは、ひきつけられて他のことを考えるひまもなく、その歌っている時間がとても短く感じた。自信があると、前に、私たちに歌ってくれている。あれだけの声を自由自在に取り出せたら最高だと思います。