一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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今まであまり聞かなかった音楽に出会えるようになったこと。ここで勉強を始めて、音楽の聞き方が変わった。言葉、声を大切にしたいと思うと、その点を注意してよく聞くようになる。今まで歌を聞いていた状態は、言葉、声よりも、サウンドの一つとして音色みたいな感覚で聞いていたように思う。そのときは歌を懸命に聞いているが、最近の自分の耳に比べれば、そんな感覚だ。だから以前は歌詞が耳に飛び込んでこなかった。だから、後々“あっ、こういう詞だったのか”ということが多かった。が、今ではしっかりと言葉が聞ける。歌、言葉に集中できるようになった。なので、音楽の好き嫌いもなくなった。それよりも、歌や詞の好き嫌いというものに変わった。

 

その瞬間に、死ぬほど生きてやれ 。

 

自分のいる風景 。

 

最終的には自分を責めるのでなく前に進む力に。

自分で自分を信じられなくなったらおしまい。 

夢を見続けられなくなったらおしまい

何があっても自分を信じ続ける

何があっても夢を見続けられる

こんな私を見ていて下さって本当にありがとうございました。 

どこかに落っことしてしまった生きていることへの感謝の気持ち、

よろこびの気持ちに新たに出会えるたび、

それはきっと今日、今まさに自分の思いを聞いてもらっていること 

このことが、このことこそがそうですね。こういう大事なことが。 

ありがとうございます。 

人を支えて下さる方ですね。 

凄いですね。 

自分で自分を下げていっている間に、遼くに行ってしまった。

歩いていないから距離ができてしまった。そうしたのは自分。 

いうことでなく行動が結局その人。 

 

肉体でロックする。心から叫ぶ。

俺がまだ右も左もわからないガキだった頃、ラジオから流れる本物のロック。

彼らの叫びは幼い心にも、言葉にも伝わらないのに、感動と、不思議な感覚をもたらした。

それから20年近くたち、俺が肉体で魂から叫ぼうとしている。

そして、俺は、産業音楽にケンカをふきかけようとしている。

この20年で、音楽の世界は変化した。 

質の悪い安易な音楽が商業という怪物によって広げられた。

そして、本物が評価されないどうしようもない状態となってしまった。

俺は怒っている。

ルックスから、音楽を飾りに使っている連中と一緒にされる。

何だってんだ。そんな連中を俺がつぶしてやる。

本物の力を見せてやる。

これは戦いだ。やれない、できないという言葉は必要ない。

魂から叫ぶ。そして、俺がロックを復活させる。

本物を知らない、今のキッズたちのために。

 

研究所の近くにある喫茶店で本を読んでいる。だけどいつもなら落ち着いてコーヒーでも飲みながら(今日はレモンティーだが)ゆったりと過ごせるはずなのに、今日はまったく落ち着いて本を読むことができない。近くの席に座って話をしている4人男女。そのなかの1人の女性の声が妙に耳について気になるのだ。なぜか彼女の声がぼくの気持ちをいらいらさせる。どうしても気になるから、本を読むのをあきらめて彼女の声に耳を傾けてみた。声(話し方)にまったく抑揚がない。まるで文章を読みしているように機械的なしゃべり方をしているのだ。他の3人はまだ感情がこもっているようなしゃべり方なのだが、彼女の声だけは、どんなに気持ちが入っていてもまったくそうした感情が声にあらわれていないのだ。これがイライラの原因かと思ったが、彼女の場合は話の内容が雑談であっても常に他人を説得しているかのようなしゃべり方をしている。しかも会議で発表しているような堅苦しい言葉遣いで。

「こんなしゃべり方をする人とはつき合いたくないなぁ」と思いながら彼女たちの話を聞いていると、どうやら声優志望の人らしいどうりで発音がはっきりしているわけだ。そういえば以前もここで本を読んでいると、バンドマンらしい人たちが、「ヴォイストレーニングを受けると、皆同じような声になって気持ち悪い」というようなことを話していた。「きっと彼女がそうした声の典型なんだなぁ」と思いながら、残ったレモンティーを飲み干す。

確かにヴォイストレーニングを受けることで機械的なしゃべり方や歌い方になるのなら、ヴォイストレーニングなんて受けない方がましだ。そうした意味から、感情の表現を重視する、ここのヴォイストレーニングの存在は、自分にとってかなり大きなものになっている。とはいえ、そうした素晴らしいトレーニングを受けている自分は、感情のこもった歌い方、しゃべり方をしているだろうか。発声にこだわり過ぎて、いつの間にか機械的な声になっているという、大きな「落とし穴」にははまらないように気をつけよう。もしかしたら片足がすでにはまっているかも。 

 

時間のあるときと、そうでないときの取り組み方が違いすぎる。乱れる。まったく同じようにやろうとは考えていないが、これだけは絶対やる、と考えてから一日を過ごし始めていない。何度も、何度も、何度も書いた。自分の仕事とその納期を考えないで一日を漠然と過ごしている。これでは何も積み重なっていかない。 

どうしても10時頃に眠くなってしまって、考えないで一日を終えてしまう、ということが変えられない。早い時間は苦にならない。遅い時間に声を出そう(息吐き、声)と思っても無理だ。そして、ゆっくり落ち着いた振り返る時間を持っていない。たとえば、4時~5時、体操・呼吸・走る。5時~6時、表情・読む基本、ととりあえず決めてしまうことはできるわけだ。声出すときは、たとえば10分くらい走ってくればすぐとりかかれる状態にしておく。 

一日を流さないで見るために、どこでその時間を確保するか。どのくらい時間かかるだろう。今日できなかったことできたことを明日につなげていかなくてはならない。振り返ってからごはん。おあずけ。振り返らないと晩御飯食べられないのだ。 

 

音楽の決まりごとの勉強をまったく計画していない。これは曜日でやろう。でも忘れる、繰り返しやらないと。でも、これは夜中でも大丈夫。 

洋画のいい声にひたる、というのができない。土曜、日曜に入れ込んでいこう。 

明日のことを考えてから晩ごはん。お預け。

自分の映像、いやでも見て聞く日、入れ込んでいく。 

限定しないこと。電車のなかで息でフレーズを勉強できること思い出すこと。家で声を出せない時間だってできる、ということ。 

 

まずやろう、必ずやろうという気持ち、持ち続けること。一日終えるまで。あきらめちゃ駄目。必ずできる、と思って取り組もう。休みたくなったら区切って終えてしまってからゆっくり休もう。

どんな仕事も全て始める前にだいたいこれくらいで仕上げようと決めて始めよう。

体がそう動くから。

 

紅白歌合戦で感じたこと(ところどころ観た)

武田鉄矢】あの人の「語り」はさすがに味があった。情況からしてもこの歌(母に捧げるバラード)を演じるにはこれ以上ない場面だったろう。最後のサビに入る一瞬、画面一杯になった彼のあの一瞬に魂をみた。原爆のようにバッと光って他の全てのマイナスを消しにした。この人の人生がこの一瞬のためにあったのじゃないかと思えるような衝撃をぼくは感じていた。

和田アキ子】「アムロが出た後の消化試合的ムードをぶっとばすような激唱」とプロレス雑誌にさえ書かれたステージ。魂が歌を超えて飛んできた。強い部分も、弱い部分も含めて、素っ裸の人間・和田アキ子を見た気がした。生声を聞いてみたかった。

北島三郎】ちょっと新鮮だった。難しそうな歌。

【森進一】パワー健在。

【キロロ】すごく素直な歌。

【ダ・パンプ】通常のライブでどんなことやっているのか興味ある。

【TMレボリューション】なんか気になる。

西城秀樹】かっこいい。

 

 

 

おすすめ

 

 

ハーブジェフフェリー

「BABY BOW YOU PLEASE COME HOME」高音、下あご下げようが上あごあげようが口のなか平常時より広くなっている。「WHEN I WRITE SONG」高い音、サビでなければうすい、無理して出さない、音楽なのだから。「SOLITUDE」余裕、オクターブ下がってもひびく場所同じ。尻切れとんぼのような終わり方。 

 

サミー・デイヴィスJr.

シンプルさ、清潔感。無駄のなさ。1本の線が見える。何よりも、聞いていてすごく歌いたくなってくるほど、歌の楽しさを伝えてくれる歌声。悲しい歌、淋しい歌、静かな歌、楽しい歌、どんな歌でも、最終的に何を伝えるかって、歌の楽しさ、よろこびを伝えるものではないかと思うようになった。

 

NHK教育手話ニュース845

“ニュースをお伝えします”の“お伝え”の意味がよく伝わるニュースだと思う。ときどき、詩も手話でやっている。

 

ローリン・ヒル

ライブ に行ってきました。1曲目が思いがけずアカペラでのゴスペルでした。まわりの音がないぶん、彼女の声を存分に楽しめました。高音の伸びのよさ、そして力強いラップがかっこよかったです。 

 

フランク・シナトラ

コンサート「フランキー、ライザ、サミー競演」を観た。皆さん、各々鋭い個性があり、なぜ魅力があるのか、どこが並外れているのか、勉強になった。中でも、サミー・デイヴィスJr.、マイケルジャクソンの歌とパフォーマンスを軽々表現している姿は圧巻であった。決してまねに終わらず、自分のものにしていた。リズム感、歌い出しの切り込み方など、しっかりとした基本の上に成り立っていたまた、長年で培ったものと思うが、客とのコミュニケーション(トークによる笑いの取り方)も絶妙だった。高齢になっても声は若々しく、生涯歌が歌えるということは素晴らしいことだと思った。 

 

「ポピュラー・ミュージックのためのヴォイストレーニング」福島英(リットーミュージック)

知りたいこと、必要なことがうまく章でわかれていて、そのなかでまた細かい項目で解説、トレーニング法がある。読むたびに、目につく項目が違うので、自分のできていないところを確認できるバロメーターになる。 

 

声楽家をこころざす人へ、発声の基礎とトレーニング」グラハム・ヒューウィット(シンコーミュージック

ここで学んでいること、福島先生の書かれる歌(またはトレーニング)に対する考え方に近く、うなずける部分がたくさんある。声楽家寄りなところもややあり、そのなかで、響きのトレーニングの項目をよく利用しています。 

 

「会報」 

これは、もう、読みごたえあり過ぎ。始めの頃は、読んでも理解できなかったが、最近では“そうだったのか”とか“そういうことか”と、つながるようになってきたので、まんべんなく読める。他の人の書いたコーナー“このクラスで学んだこと”も、とても学べる。ヒントもたくさんある。