レクチャー 942
【レクチャー】
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レクチャー
研究所は、私自身がいろいろと定められたので、ヴォイストレーニングに理想的な環境を、意図してつくってきました。毎回、直しながらよいところを残し、悪いところは工夫して改良しています。
皆さんが勉強される上でのヒントがたくさんおいてあると思います。
歌を教えるということは、できるだけさけています。
それなら、カラオケを指導されている先生に学んだ方がよいでしょう。
ここでやっているのは、音声で表現する舞台についての学びです。
役者、声優などもいて、やりたいことは人それぞれで、声にすることを中心にしています。
声になったものをどう使うかは自由です。
ヴォーカリスト志望でない人も声とその使い方を聞いてください。
一人ずつ何かしゃべってもらいます。
今日やりたいことやって欲しいこと、あるいは、今まで自分でやってきて疑問に思ったことを話してください。
実際にここで、いろいろなトレーナーと接するとよいと思います。
相性もあるし、自分の目的に対してのアドバイスなども多様な観点から聞けるでしょう。
トレーナーにも、発声法や呼吸法のことをいい過ぎないように気を付けさせています。
まず相手が自分自身を理解する時間を待つことです。
それがきちんとできて、取り組めるには時間がかかるものです。
ポピュラーに大切なのは、役者と同じで耐える声です。どう使ってみても声が消耗しないこと、同じことをくり返せる強さです。
トレーニングは、何を目的にするかということです。
ここは日本人の常識や価値観と違うところがあるので、説明していきたいと思います。
歌が目的なら、発声や声域が広がっても、歌が上達しないと意味がありません。
カラオケのやり方は2、3年で効果は上がるかもしれませんが、所詮そこどまりです。
ここでやっているのは、基本です。
たとえばサッカーをやりたくなったとき、町内のスポーツチームに入るか、プロの指導者のところへ行って基本をミッチリとやるかです。それは、その人の目的、価値観によります。
ここは、ここでなくてはよくないという人のために設けています。
トレーニングというのは、楽しくもわかりやすくもないのです。
会報を見てもらえばわかる通り、一所懸命やっている人ほど苦労しています。
他でできない苦労をきちんとさせること、年月をきちんとキャリアに変えることを意図しています。
ここで歌を教えないのは、先生の土俵のなかに入るだけではよくないからです。
歌い手は、その基準を勉強しなくてはいけません。
役者のトレーニングも、音が波としてとんでいくのは、歌と同じです。
ある一つの音を1秒か2秒で人をひきつけて感動をさせる力というのは、共に求められることです。
これは人間としての発声原理を正しく使っていくことが必要です。
日本の政治家や講演家などは、塩辛声、ダミ声です。
その一所懸命さで心に働きかけることもできますが、酷使していて聞きづらく舞台向きではありません。
もちろん、世界共通のものでもありません。
理想は、体からの合理的な声で、それは、純粋に楽器として使いこなせるものです。基本があって、それをどう応用するかは、その人のスタイルやお客の要望によります。
基本からは変わっていくのです。
ここで行うトレーニングは、必要度がない人には身につかないでしょう。
身についた人には価値があるというより、身につけようとして、その年月を送ってきたことで身につくものです。
結果として出せるようになったから価値が生じるのです。スポーツや武道に通じます。
日常のレベルで、どこまで声を捉えるかということに目的自体はおいてません。結果として日常に反映すればよいのです。
アイドルやタレントというのはルックスやタレントとしての才能において、やっていけるだけのものをもっています。そこの部分と、音声を表現する舞台というのは、異なります。
音声の世界というのは真っ暗な世界で聞こえるものです。
皆さんがみているステージというのは、目で見て、働きかける部分が多くなってきているのです。
だから、音だけを磨きなさいということは、ここではいいません。
でも、ここが本当に与えられることは、音声のなかの世界です。
楽器演奏者だと必ずもっている世界ですが、声ということではかなり高いレベルです。
努力もしない、努力していてもそれが明らかに足りない場合は、才能以前の問題だと思います。
まずは、量をやることです。
こういう世界は自分で選んでいく分野です。この世界にふみ込み、とどまることを選び続けるということです。
それをやってきた人たちだけが、ステージに立つ資格があるのです。
他力本願にならないことです。
参考になる声については、日本ではあまりいないというか、日本語の問題も絡んで、わかりにくいのです。
外国では、基本ができないで活動している人はあまりいません。日本人のハンディキャップとして、日常のレベルでの違いが大きくのしかかっています。
私が先生だと思って、ここに来られるようですが、ここにいる人全て、仲間も、先生です。
創造的にレッスンを受けると、その人次第で、そうなります。
表現活動をやっていくということは自分を研究していくことです。
歌がうまい人は世の中にたくさんいます。でもほとんど研究をやっていません。
業界でやっていける人というのは、歌がうまい人ではなく、タレント性があったり、ルックスがよかったりする人だからです。音声の力で、本当に歌でやっている人というのは、少ないですね。
アメリカでは、ヴォーカルというのは、プ口の分野ですから、何才であろうとキャリアを築いています。
ここも、20代の前半で終わったらつまらない、一生やりつづけるものとして研究をしています。
教育は、精神的な問題です。教え方にも、価値観という精神の問題があって、そこを組んで芸術というものが生まれてくるのです。ヴォーカルも同じです。
ヴォーカルスクールというのは、歌える人が歌えない人に歌い方を教えるところですから、何か生まれてくるはずがないでしょう。ただうまく歌えるようにすればよいと思っているのです。うまく歌えても、人には伝わらないのです。そうではなく、音声で人を動かしていかなくてはならないでしょう。その違いは、とても大きなものです。
ここは、一ヶ月、ほぼ毎日、使える体制にしています。地方から来る人も多いので、月一日で、できるだけ多くを得たい人もいます。月に一回ここに来て、チェックすることからでも学べるようにしています。
私は、学業をやめてまで、ここに来ることをすすめていません。
よほど自分が強ければよいのですが、ほとんどの人は、どこにも所属していないことに対して不安になります。
力がつくのは、後々のことですから、力がつくと確信をもってやっていかないと、挫折してしまうこともあります。自分を追い込んでみるのも、気分にすぎないくらいでは、もたないのです。
クラスとか学校との競争でなく、相手は世の中すべてです。
後悔することはなくても、それが逃げになってはいけないと思います。
なまじの覚悟では歌と学業、歌と仕事を一所懸命やっている人たちに負けてしまうのです。
ここのよいところは、プロダクションに入るためにやっている人が少ないことです。
「洋楽を歌うために英会話などの勉強がどのくらい直結してくるか」ということは、確かに問題です。
ここでも昔は、外国人の教師をおいて英語をやらせてみましたが、歌にはあまり関係ないようです。
歌の英語とは少し違うからです。
「バンドの音量の問題」は、特にギターなどの音量はヴォーカルに合わせて下げないと、生の肉声が電気の力にかなうものではありません。
「地声が苦手」
地声でやっていないので出ないということです。
やるだけやって使えないというのは別ですが、未経験なら問題はおきません。
慣れていないと、声量も出ないし、コントロールもできないのは、確かです。
すぐ裏声で歌ってしまうのは、特異なことです。
ミュージカル、合唱も含め、日本の音楽教育のもたらしたものです。
ここで、2年、しっかりと学んでいる人は、もうトータルでは10年ほどやってきているようなものです。
ここのステージにまだ一般の客を入れないのは、ヴォーカリストにもっとバラバラな個性が強く出てこない限り、ここの色が規定されてしまうからです。
自分を掘り下げないと、つまらないものです。
日本のお客さんは耳がこえていないので、基準がすぐ変わってしまうのです。
ストレートな声を聞かせられても、日本のお客さんはピンとこないのです。
それを形で整えてみせているその辺のヴォーカルスクールより、よほど難しい。
その分、楽しいのです。
ここで私は、月200~300曲、年間で3000曲以上、聞きます。そのなかで残る曲は10曲くらいです。
すごいものは、2、3曲、それに出会うためにやっているようなもののです。
それが、3年続けてゼロになったときは、私はここをたたむつもりです。
ここに来る人が伸びないと仕方ありません。
しかし、こう歌えとか、ああ歌え、とかいうことはいいません。
基準をもって、そこで達していないことだけいいます。
学ぶべき場で、歌い手を甘やかしてしまうのは、よくないことです。
結局は実力です。本当は、音声の世界に対して評価していかなくてはいけないのです。
ところが、評価できる客がいないと、どんなに技術が身についても、音の世界の評価を得られない。
その人が伸びるプロセスを楽しめる客こそが人を伸ばすからです。
そうした客も育てているつもりです。
まずは、その人のスタンスです。自分の声をどう思い、どうなりたいかを明確にイメージすることです。
そして、そこにどのように応用するか。
基本トレーニングというのは、最終的な目的がないと、判断できないものです。
ここはカリキュラムもクラスも形だけです。
入って何ヶ月目かくらいというので、レッスンの目的に応じて、分けているだけです。
それぞれの人において、聞く能力や発する能力も、まったく違います。
この後、レッスンと同じようにやっていこうと思っています。
これが一年を通じて行われていると思ってください。
ここでは日本で、最高レベルの研究生を持ちたいし、そういう人が最高の演奏ができたときにアドバイスするためにも、自分を磨いていないといけません。表現、創造ですから。
いいたいことをいってもよい、こっちもいいます。
他のスクールと違うのは、ここでは30代で歳がいっているとはいわれないです。
ここでは30代からはじめる人もいます。
だからといって、居づらい場所ではないはずです。
コンセプトがまったく違うからです。
最初のきっかけはなんでもよいのです。歌いたい、そうなりたいと思って歌いはじめる、それでよいのです。
しかし、勉強するときに考えなければいけないのは、まず自分がどこにいるかがわかることです。
これがわかって勉強している人は少ないのです。
プロの歌は、どの部分を切りとっても、それぞれに緊迫感があって、表現が込められています。
だからプロです。
それを自分におろして、判断できる基準が必要です。
何をもってよい悪いを決めるかですが、ほとんどの人は好き嫌いでやってしまうのです。
それでは、上達しません。学んでいくプロセスで、そういうことがわかってこないとなりません。
人間の体というのは、基本のフォームがきちんと整えば、より働くところがあるのです。正しくとり出したところに出てきたカというのはその人のものになってきます。それが基本です。
でもヴォーカルは、そういうことがわかりにくいのです。
芸術ですから、好きなことを好きなようにやるのに誰も文句をつけません。
でも、もし、うまくなりたいのでなく、真に上達したいなら、すぐれているものとそうでないものの違いを知らなくてはなりません。そうでないと、トレーニングをやるところに入れないです。
基準があって高いところから見ていたら、自分がいまどこにいて、次にどこに行かなくてはいけないかがわかるはずです。そこにギャップがあるからトレーニングが成り立つのです。
ほとんどのヴォイストレーニングがダメなのは、このギャップを明確にしないのです。
基準がすごく甘いのです。
その判断というのは簡単です。聞く人の心が動くかどうかです。
その人のものがあるかということです。
音の世界は、案外とシンプルです。
プロとしてやっている人のどこがプロなのかをきちんと分析してください。
全部の要素がプ口ということでなくとも、どこかがプロであればよいともいえます。
絶対に他の人に対して、差をつけられる、すぐれて深いところを持つことです。
自分の世界を表現できる一曲をもっていないといけません。
あなた方が好きなアーティストたちに近づくのではなくて、彼らと並んだときに異なる自分を出せればよいのです。つまりプロの人達の個性を学ぶのではなくて、その奥にあるものを学ぶのです。
自分をなくしてはいけません。
芸事は、自分をつきつめていかなくてはならない世界です。
伸びていく人は、基本をやっています。
必要としている分以上に身につけているのです。
多くの人が伸びないのは、そうした覚悟がないのです。
そんな人に対して、教えられることは、間違えないように歌いなさいと、その程度にすぎません。
その人がそれだけのことをやっていたら、まわりの人が助けてくれます。
当人がやったかやってないかの問題が大きくて、トレーナーの教え方のよし悪しではありません。
それは、顔つきにも現れてきます。
歌の世界では、日常生活にないものをつくろうとしているわけではありません。
日常のなかで起こることをダイジェストしたものが歌です。
そういう凝縮された意識のなかでしか、トレーニングは成り立ちません。
トレーニングはなんでもアリ、ということではなく、基準が必要です。
ヴォーカルは伝えること、人を動かすことに一所懸命にならなくてはならないのです。
そのために声や思いが必要になります。
そして歌をもっと深く勉強することが必要になるのです。
トランペットでもピアノでも音楽として伝わらなくてはいけません。
外国人は日本人が苦労している問題を、苦労しないで楽しんでやれます。
それは基本条件を持っているからです。
日本人の限界に、音声を聞く客での限界というのもあります。
客が期待したら、そうしなくてはいけないところも出てきます。
外国から全てを輸入した頃はともかく、今はなんでもできるはずです。
なのに、その後、あまりにストレートすぎては、伝わらないから、情感を込めてみたり、スローテンポにしたりしているのです。
どういうヴォーカルがよいかというと、こちらが予期しないような歌い方をしてくれるというのが、私のヴォーカル像です。本当のプ口というのはそういうものだと思うのです。
皆が期待してくる以上のことをやらないと、その活動は続いていきません。
世界のヴォーカルは、日本人と違って、音で表現するということをやっています。
それだけ純粋に音をとり出して表現しているのです。
歌い手も聞き手も創造しています。
日本では舞台を飾らなくては、もたないし、ビジュアルも入れなくてはいけません。
5000台のスピーカーのなかでは、ヴォイストレーナーは不要です。
音をとるピアニストも不要でしょう。コンピューターで音程の下がっているのも直せるのです。
プロのなかで、ここが人を動かす部分なのだとわかることです。
そこでも自分はこうやりたい、というのをつくることです。
ヴォイストレーニングというのは、そのための基礎づくりです。
プロの感覚があるということが大切です。これはピアニストやギタリストと同じく、ヴォーカルが音色のなかで勝負できるのが技術です。一音、そして、その動きです。
発声練習でも、その声が人に伝わるものであることが条件です。ただ、声を出していたって仕方ありません。そんなところから歌が出てくるわけがありません。
感覚ができてきたら、声という楽器を磨いていくことです。1時間でも、3分間でもよいからすごいことができる人というのは、あたりまえの人ではないのです。
ステージ慣れよりも、基本をきちんと身につけることです。
ヴォイストレーニングというのは、声を出すことではなく、声が常に出せる状態に整える、キープすることです。声楽との共通点は、一回、日本人であるということ、日本語ということも切り捨てることです。
日本語の問題は、重要視しています。しかし、あくまでトレーニングということで考えて、成果の上で、音声でわかりやすい方法を、ここはとり入れています。
声楽と違うところは、ポップスは息をふくめて表現することです。
声楽は考え方として、母音中心でひびかすということにおいて、日本語に近いのです。
日本人は20才まで悪いヴォイストレーニングをしてきているのに対し、外国人は20才まで徹底してよいトレーニングをしているのです。その差に気づき、埋めていくことです。外国では日常において、すべて音声は自分を表現する手段です。
表現の本質というのは自分と他の人との差を拡大してつけることです。日本人はそれが苦手です。
文化の違いというのがとても大きいのです。
言語のことでいえば、日本人は、高低アクセント、向こうは、強弱アクセントです。
こういうものが全て歌に表されてしまうのです。
日本人は日本人の歌を歌えばよいのですが、現在、日本のポピュラー音楽はすべて向こうのものを受けていますから、向こうの感覚や音色、音楽感が必要になってきます。
大きくは、まだ、そういうパターンになっています。
そうでないものの誕生を期待したいものです。
自分が何を歌いたいか、そのためにどうすべきかをわかっていきましょう。
トレーニングは深めるほど難しいです。どこまで厳しくチェックすることができるかでしょう。
それができないと、自分でチェックができないと思います。
入っていないものは出てこないです。英語の勉強にしても、入れないと出てきません。しかし、その入れ方にしてもいろいろあるのです。
トレーニングというのは、試合をして足りないものを補うためのものです。
ヴォイストレーニングの場合、外側だけでなく、声帯という見えないものを感覚だけで助かさなくてはいけないから、難しいのです。
そのイメージをどこで捉えるか、ということがヴォイストレーニングのメインになります。
トレーニングというのは部分的に強化して、それがしぜんになるまでやって力をつけるものです。
基本のトレーニングとステージは別なのです。
根本にある感覚が直らないと、音程もリズムもとれるようにはなりません。
間違いが生じるということは、その人がそこまでしか感党できていないからです。
音に体が反応できないということからして間違いなのです。
音楽の世界をもっと入れなければならないという場合が多いのです。
ここではいろいろな音楽をなるべく体験してください。それが栄養です。
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実際にここを利用するにあたっての心構えなどを話します。
プロも初心者の人もいますが、関係ありません。
問題は、どのくらい伸びていくかという伸び率です。
自分が少しくらいやってきたからと、やっていない人を見下すようなでは、伸びません。
やってきたらやれるのはあたりまえでしょう。
うまい、それでもやれないことが大きな問題だということです。
そこをどうして考えないのでしょう。
音大生などにも、そういう傾向が強く、そんな人は、何をしていたのでしょう。
自分を見ない人ほど、人をあれこれいいたがる、その分、伸びなかったのです。
ここでは、その誤りを繰り返さないようにしてください。
続けなければ何も身についてこないということです。
そこにいることです。まわりに認めさせていくことです。
場に出ない限り、自分は変わらないのです。
自分で変えられるくらいのことであれば、それは当然、自分でやれているわけです。
でも、こういう場で続けることさえ、今の人たちは、大変なようです。
2年間というと、ずいぶん長いように思うかもしれませんが、
こういうことにおいては、本当に基本の基本ですから短すぎるのです。
プロの感覚が身につくことやプロの体が身につくことは、2年間ではありえません。
ただプ口の感覚というのはいったい何なのか、プ口の体というのは、何なのかがわかることです。
足りないのがわかれば、その後、身についていきます。
大切なことは、伸びていくということです。
それさえあれば、出ようがここにいようが、ここの目的としては達成されるのです。
いつも三つ伝えています。一つは、前に出るということです。後ろに隠れないということです。
これは我々の仕事、役者などもそうですが、人前に出て何かをやるのが仕事です。
たとえば、今日は出たい、出たくないというときに、出ない方を選んでしまったら、そこでもう終わりということです。そこで、どこまでがんばれるかということです。
まわりから、出てくれといわれなくとも出なければ、仕事はなくなります。
プロの人でも、そういう立場の人はとても少ないですから、ましてや無名の人であれば、自ら前に出る姿勢が必要です。
入ったばかりの人はよく「まだ力がついていないから」「まだ準備ができていないから」と言います。
そんなことをいっていたら、10年たっても、準備が万全といったことは、ないのです。
むしろ力がつけばつくほど、悪条件におかれます。まわりのレベルがあがるからです。
皆さんの場合、2年間は、ここのスタッフがきちんとつくったステージの上でできます。
自分でやるなら、それをすべて自分で引き受けなくてはなりません。
ともかく、無理難題に間に合わせなければ、なりません。
そういう力をどこかで蓄えなければいけないのです。
それは、トレーニングの時期に蓄えるしかありません。
とにかく前に出ることです。一番、基本的なことです。
本当に伸びていくために、まねしないということです。
まねしていることに関しては、評価を与えていません。
音楽というのは、誰かの影響をうけて、誰かの歌をコピーしながら勉強していきます。
絵でいうと、模写、デッサンのようなことをやります。
それは、知るためであって、創っているのではないのです。
そうやっていることが気持ちがよかったり、自分にフィットするように思ってしまい、自分のキャリアのような錯覚に陥るのです。
絵や彫刻の世界でいうと、それは誰かの作品をもじっただけですから、価値からいうと、ゼロです。ゼロどころか、盗作ということです。
歌の場合、難しいのは、まねしていることが、本人にはわからないことです。
こういう場に出てきて、出して欲しいのは、その人なりの新しいものです。
他の人の歌だと伝わらない。何かおかしい。
どこかアンバランス、しぜんではないということです。
三番目は、群れないということです。群れないというのは、仲間内でなく、できるだけ自分と異質の人間、作品に接することです。自分があまり好きではないと思う環境へ挑むことからやって欲しいということです。
そうでないと、だいたい音楽的にも傾向が似て、同期に入ったようなところでつながります。
それは、地縁で、才能縁ではありません。そういう関係では、3年もたったら、夢を追いかけている人は、ほとんどいなくなるでしょう。
ここには、今、入門科から④までのクラスがあります。
力の差は、ここまでが入門から3まで10としたら④のなかでの力の差が10から1000くらいあるといった感じです。
ここでの2年間で、うまいとかへたとかいうのは、関係ありません。
こんなところで群れて、皆でがんばろうなどということでできるようなことではないのです。
養成所というのは、どこでも、そこの全員がやっていけるようになるのではありません、
まして、ここの場合は、オーディションがあるわけではないし、推薦や選抜して入れているわけでもありません。
時間と少々の覚悟があれば、誰でも入れます。
ですから、ここに入ったこと自体は、何のアドバンテージにもなりません。
皆さんがここを選んだということであれば、とことん活かしてください。
ここに選ばれる必要はなく、自分で選んだ以上は、選び続けるということです。
これが前提です。そうでないと、伸びません。
ライブなどでおたがいに交流するより、こういうことがわかるまで、一流のことをできるだけ入れていって、プロの感覚やプロの体に近づくことが優先です。
まわりにふりまわされ目的とまったく違う日々の送り方をしているのでは、伸びるわけがありません。
伸びる人は自分でやることがあるから、さっさと帰り、そうでない人が群れるのです。
その一員になるのではなく、離れるようにしなさい。
毎年、10%ずつ伸びていったら充分です。
誰かに対して追い越す、ということではないのですが、そのうち追いつき越せます。
それを妨げるのは、こういう行動の部分です。
だから早く伸びるべく考えや行動のベースの部分を身につけてください。
自分の世界をもち、上のランクで競い合って欲しいと思います。
ここの場合は、年に1、2曲ですが、世界に並べても恥ずかしくないような歌がでてきます。
ここのなかでは、年に3000曲の歌が歌われているわけです。
5クラスありますから、私は、それぞれのステージで30~40曲を聞き、
月に200曲以上をここで聞いています。
私は、できるだけ、皆さんと同じ見方を取り入れてみています。
1年から1年半くらいの間は、そこまでの曲数までは、聞けないとは思いますが、皆さんの先輩などの参考になるものなどは見せています。
そこから何を得ていくかということです。
そのことを勉強するために、前にもいったように基準、それから、その基準を満たすための材料、条件とか状態とかいろいろなことが必要です。
プロの人たちやここでのライブの歌を聞いたら感動した、とよくいわれますが、私からみると、それは最低限の基準です。そういうなかでそれ以上のどういうものが出るかということが決めてです。
ライブに二年で24回、出ても、基準を高くもっていないと、見たときに安易に感動する。
それの何がよくと何が悪いのかということが、はっきりいえないということは、自分に対してもそういう評価ができないわけです。
歌で、音程、リズムが狂ったなどというのは、カラオケのレベルでもおかしなことです。
ここでやっていくような身体をつくっていく、感覚をつくっていくというようなことで、そういうものがトータルとして生成されているかどうかです。
いろんな順番をとります。音程やリズムのトレーニングもあったりする。その一つひとつに意味があるのではなく、その人の体に入って何か表現したときに、それを感じさせずに出ていくものとなっていることが大切です。そこまでやってはじめて、意味をもって出てくるわけです。
自分をみる基準をきちんとつくっていくことです。そうでないと、安易にまねになってしまいます。
プロの人でも、これが自分の世界だと、そればかりやりますが、聞いている人たちが感動できない、何かやってきたということは、わかるのに心が動かされない。それは、上部だけで嘘っぽいからです。
それをベースにきちんと受けとめることです。
さして特殊な場ではありません。ただ正直な場なのです。
人間が集まっている場のなかで、何も起きてこない。ということは、それは伝わっていないということです。
一方で、それが伝わっている人が何人かいたり、そういう曲が聞くことができた人もいたりするでしょう。
その場や時間が、人によって、がらっと変わるわけです。
でも、万人に共通して起こることもあります。
それを起こしていくのが、皆さんであり、ヴォーカリストや役者を志している人です。
レッスンでは、私に限っては事細かに教えません。トレーナーに任せています。
材料を出して、皆さん自身が感覚で捉えていったり、体にあてはめたりしていく。
「1年たっても自分の呼吸が正しいのかどうかわからない」では、何も意味がなかったのかというと、違います。
正しいか正しくないかということであれば、そのことをできる体になっていない以上、それは正しいとはいえないのです。でも、間違いではありません。単に足らないのです。
腹式呼吸の勉強ということであれば、この場で教え、1日で営業マンが学んでいる腹式呼吸くらいのことはできるわけです。でもそれは、続けないと身につきません。歌や表現の世界では、役に立ちません。
結果論ですが、教えていることは、感覚と技術です。これは、天才的な人がやったことを、普通の人が、感覚はどう、体はどうと、分析し組み立てたものです。
技術的に分けて受けとめるしか理解しがたいので、いろんなことを部分的にトレーニングをしていきますが、それが統合されないうちは、なかなか使えません。結果的にそれができているというのが正しいのです。
先生が発声して、のどの上にあてるようにいいます。その先生は、10年も15年もそのことをやってきて、できているから、あたっているわけでもなく、できているのです。それを普通の人はあてようとして、細かくチェックしたら、すべてダメなわけです。でも何回も何回もやっているなかに、今の声が近いといえる瞬間がきます。あるいは、今の感じのフレーズです。それは、他の人のフレーズではなく、その人の体や呼吸にあったフレーズです。
その感覚を自分のなかで積み重ねていくしかありません。一流の人のバリエーション、パターン、こなし方、ステージングのようなものは、たくさん入っている方がよいです。そこで正される、自分で邪魔しないことです。
でも、それを組み立てていっても、すぐには自分のものにはなりません。
自分ときちんと対面していくということが、初心者には難しいのです。自分の音楽、自分の歌というのはいったい何なのだろう。それを、わかっている人というのは、日本の場合、なかなかいません。
そういうことをまわりからいわれないので、誰かに似ていたらうまいといわれて通ってきた人がほとんどだからです。そういう人の方が実際には大変です。
それがわかったあとに、それを今度は、自分の歌とか音楽にしていくということは、今までの方法をなくさなくてはなりません。
画家は、どんなにイメージがあったとしても、絵にしていかなくてはならない。そこに技術がいる。
イメージを現実化していく。その二つのことをきちんとやっていくのです。
何を勉強したということは自分でまとめておかなくてはいけないのですが、それはあくまで、頭で学んだ、知ったということです。知ったということと、わかること、ましてできるということは違うのです。ーただ、記録は、道標となります。ですから、トレーニングを記録させています。
知らなくてもわからなくてもよいから、できたらよい世界です。
できないから、少しわかろうとする、わからないものを知ろうとする。
レッスンに出て「あの人はすごい」と認めたり、同じステージの上で「あの人は一つの世界をもっている」と、結果として、そういうことを自分に対比させてしか、自分に武器がないことさえわからないものです。
それが出たときに、その人はどれだけのことをやったのかということがはじめて、みえるわけです。
それなりにできる人は、相当なことをやっている。すごいことをいろいろとやっています。
量は当然ですが、いろいろな方法を使い、いろんな形で、自分のメニューを組み立て、いろいろな感覚を働かせているのです。
ここに来てレッスンに出るというのは、自分のメニューをつくるためのきっかけを得るためです。
レッスンだけで何かがあるのではありませんが、そのレッスンのなかで、トレーナーが与えられるものがあるのです。
同じ一人の人です。トレーナーが上にいて、皆さんが下で教わっているということではありません。
同じ輪のなかで、同じ課題をやってみたときに、皆さんの方が与えられるものが大きくなれば、レベルがあがったということです。
他の人より声が出ない、うまくいかない、初心者の人は皆、そうだと思いますが、まったく気にする必要はありません。1、2年で追いつけなくても、いつか追いつけばよい。自分で得たものは、かけがえのないものになります。
その人がすごいステージができたときに、私たちは何もできない、ただ見て感動するだけ、すべて、その人のものなのです。
ということは、その人のなかに、それだけのプロの感覚、あるいはプロの体がない限り、出てきません。
それは、ここのやり方とか私がいっていることで変わるものではありません。私が死んでも、その人はきちんとそういうことができるのです。私が死んで、だめになったというのでは、それはいったい何だったのかということです。
ですから、自分の身につけていくことです。それでなければ、通用しません。ステージでは一人です。
いろんなプロの人たちがまわりにいてくれても、自分が出せない限り、その場というのは、次にはなくなります。
ここの場合は、そのプロセスは大目にみています。
プロっぽく聞かせてくれなくてもよいから、冒険、実験をしていって、自分のことをより知って欲しいというようなスタンスでやっています。
ライブをやっていたり、CDを作ったりしている人もいますが、そんなことで、それがよいとか悪いとかいうことでもありません。自分にとっての問題です。
自分がどうありたいかということ、それがいつになるかわからないけれども、将来的に手に入る方向に進んでいって欲しいということです。
まねをしないというのは、なかなか難しいです。生活も同じです。
こういうところで勉強になるということは、たとえばここで全てのレッスンに出ようと思ったら、出ることもできます。月に1~2回しか来られない人もいます。
このことで差がつくということよりも、そのレッスンをやったあとに、その人独自のやり方をどれだけとれるかということで差がついてきます。
私たちが言う通りやっても、他のスクールに比べたらまったく違うことをやっていると思うのですが、やり方は個別のものになるはずです。ここのなかでの差というよりも、目的は、すぐれているという部分に近づくということです。
極端な話をすると、他の人がやっているところをやめる、やっているのに合わせてやっているだけの人は、どこにも出ていけないということです。個性、自分というのもそうでしょう。
他の人と違う感じ、そこにどこまでこだわるかです。
そのことに10しかこだわらない人と、1000こだわれる人がいたら、1000こだわれる人にしか出るの資格はないでしょう。他の人が線習だと思っていることを1000回やっても足りないと思っている人でないと、ものにgしていけません。全てその人の必要に応じて、起きてくることです。
ここでいっていることは、必要度がその人の人生における歌を決めます。これに関しては、他人の人生を、私たちが左右するわけにはいきませんが、それでもなるべくよい出会いをさせてあげたいと思っています。
ここに来なければ接しようとしなかったような世界中のミュージシャン、いえ、そこに限らずアーティストや職人たちをできるだけ紹介し、そのなかのアートに出会わせたく思っています。
20世紀のなかでもこういうことが起きているとか時代の古いものも、本質的なものなら何でもOKです。
どんなに必要度があっても、情熱とやる気だけで夢がかなうかというと、自分に入っていないもの、足りないもの、欠けているものは出てきません。歌を歌ってみて、ほとんどの人は、緊張感がなく、メリハリがなく、だらだらしているのです。その速度で体と息が入らなければ、どうやってももたないのはあたりまえです。
その感覚が入ってなかったり、その感覚に対応できる体がなければ、当然のことながら、そういう演奏の世界に入れないわけです。1秒だったら、0.1秒のなかにどういうものを感知して、そのなかにどういうものが入れられるかというようなことを、音と時間のなかでやっていくわけです。
初心者はいきなりはできません。最初は見えたり感じられなければいけない。それからそういうものに慣れて、より速いもの、よりメリハリのついたものを聞いているうちに、しぜんとそういうものが入っていくのです。
もっとハイグレードでやりたいということであれば、1曲がここで紹介されていたら、関連する20曲を聞いていく。
1曲を10人で聞いていく。それは日々、すべて勝負だと思います。他の人と勝負するのではなく、自分との勝負です。
ここにあるものを使い切って欲しいというのが一番です。使い切ったら、5年もたたないうちに、私程度にはなれます。使い切るというのはどういうことかというと、すべて求められる以上のことを行うことです。
提出するものがあります。これを10分の1、100分の1のパワーでできるぐらいになってください。
伸びない人というのは、やらなくて伸びないといっています。伸びている人はそんなことはいわずに淡々とやっています。その人のやりたいものに対しての真摯な姿勢が出てきます。
力や才能の差でなく、今までそれだけの時間をかけてやってきていないだけです。
ただ時間をかけるということではなく、他の人が1行で若くのをやめているなと思ったら、そこに3行、努力する、それだけです。自分は書かなくてもいいや、そんなことを頭で考えていられるから、そんなことで迷うのです。
二年で24回のステージに全て出るのも、あたりまえです。それを引いたり迷うことは、それを当然の仕事として出ている人に遅れ、追い越されていきます。
少々できていても3年4年たったら、抜かれていくわけです。新しい人もどんどん出てきます。
時間というのは、きちんと使えば助けてくれます。しかし、それは、自分が学べる人間になって、学べる環境をまわりにおけるようになって、はじめて助けてくれるのです。
もっと一所懸命やっている人は世界にたくさんいるわけですから、そういう人たちよりやらなければ、逆に時間が自分を殺すことになります。どんどん可能性がなくなっていく。歳だけとっていく。体力がなくなります。やる気もあとで起こそうと思ったら大変です。だから、引いたらいけないのです。
年齢は、私はまったく気にしていません。でも時間の意識がなければ、音楽は時間のなかで扱っていくものですから、生活のなかでそういうものが入っていかないでしょう。
過剰にあふれていなければ、ステージをみたときに、普通の人でも大変な思いをして生きているわけですから、そこでそれ以上のものを与えるというのは無理な話です。
ここで最初から大変な人は、慣れていって欲しいと思います。ついていけない、うまくできないとか、自分けできないとかは、どうでもよいのです。
それを知って、ここも受け入れているわけですから、一緒に対策をいろんな形でとっています。
皆さんのために用意されている場です。
そこで、できなかったら悔しがって、きちんと勉強していかない限り、単に通っていただけで何かがついてくるということは、この世界に限らずありません。そして、それは何も押しつけられないのです。特に体や感覚を変えていくものはそうです。本気になって楽しんでもらえればよいと思います。
基本の基本に戻ります。皆さんが歌いたい歌とか、こういう声を出したいというのがあっても、皆さん自身の体の原理、あるいは呼吸という根本的な働きから、音というのはいったいどういうものなのか、それが働きかけるというのはどういうことなのかということを知ることです。
自分の体とか、自分が実際にそういうものを出して、まわりの人たちにどう伝わっていくのか、そういう部分から感知していくことです。
いつもバンドでやっている人は、ピアノだけでやると難しいと感じるでしょう。ビアノでやっている人は、ピアノなしでアカペラでやると難しいと感じるでしょう。誰しくなっている分、本人がバンドやピアノに頼っているわけです。
使い切る姿勢というのは、バンドはバンドで、ピアニストはピアニストで使い切る、使い切れるだけの力なり感覚なり、体がその人に合う呼吸にあるのです。
それがマイク、バンド、ピアニストに助けられてしまうのではだめでしょう。
ここのピアニストはプロですから、皆さんが最初歌うと、ピアニストのプロレベルの演奏を邪魔することになります。5分5分では困るわけです。皆さんが、ピアニストが曲に対して感じたり、お客さんの心を動かして気持ちよくしたり元気を与えたりしている以上に創りあげることです。
ヴォーカリストがいても、ステージを支えているのは、ピアニストやバンドの場合が多いです。相乗効果で、両方でやっていれば、まだよいのです。
自分で主体性をもって一つの世界をつくり上げないと、人前に立ち続けるというのは、なかなか難しいことではあります。
スタートラインは各々違うと思うのです。
自分でやってきたと思う人は、一度白紙に、原点に戻ってください。ここにいても同じです。1年やった、2年やった、また原点に戻る。原点に戻って、より深く、より厳しく、基準をつけ、自分の評価をして、また足らないものを材料で補っていって、伸ばしていくということです。
今まで音楽や歌をやってこなかったということは、どうでもよいです。
要は、伸び続けるということです。
そういう人は、まったくやっていないので、最初は伸びます。
ただその先のことをみていかなければということです。
1年や2年というのは、そういうことを本当に感知できて、本物がわかった、外国に行っても外国人のプロレベルのオーディションの審査員ができる、そこまでわかれば、それを自分に突きつければよいのです。
それがまったくみえなくて、先生にいわれるままに動かされているくらいだと、自分の出したいものが定まらないとです。20代はそういう基準を勉強していく。
舞台というのは人前に自分をさらしていく場ですから、できなかったり調子が悪かったりすると、やりたくないかもしれないけれど、そのことで、左右されるくらいではなりません。
ここでいろんな課題がわからなくなったら、常に音声で表現する舞台だと考えて下さい。
生の舞台ですから、自分がやっていこうとしたら、逃げるわけにはいかないわけです。
逃げようと思ったら、いつでも逃げられるわけです。
今日、来なくてもよかったかもしれない。明日も逃げられるかもしれない。昨日も逃げられたかもしれない。いつでもできることを、今やる必要はないでしょう。
人として生まれたからには、表現していくことです。伝えていかないといけない。
自分で、きれいな花を描いて、きれいな写真を撮っていても仕方がない。
それを、誰かに投げかけないと始まらない。
グループレッスンの場は、そういう意味ではいろんな人がいます。
まわりをヴォーカリストをめざしている人だと思わず、自分のお客さんと思っていればよいです。
その場で自分以外は、自分のお客さんになると思っていればよいのです。
初心を貫ける人は、本当に少ないです。単に音楽だけに接するつもりの人は世の中たくさんいますが、与えるということなるとまったく違うからです。与え続けないと、舞台はできなくなってきます。
音声については、好きな曲は聞いてきた、好きな曲は歌ってきたかもしれない。でも、何か足らないと思ったから、こういうところに来られたのだと思う。そしたら、その何か足らないということをきちんと聞けるようになって、それを自分に与えていきましょう。そうしない限り、進歩はありません。
変わっていかなければいけない、すぐれているものに変えていかないといけないということです。
いろんな授擬があります。できたら、好き嫌いで判断しないで出てください。
好き嫌いでやっていると、伸びません。嫌いだけどあれは学べるというようなものに積極的に関わることです。
合わないものには皆、いきたがりません。だから、否応なしに「変だけど、何かおもしろい」と思って聞き続け、研究していくと力になります。教えるとか与えるというよりも、皆が吸収すること、自分で自分なりにとっていくということです。
質問することは、まったく、構わないのですが、「わかった」「わかりません」で成り立っていくものではありません。むしろ、わからないものがわからないまま伝わって、わからないまま自分から出て、聞いて感動する人がいればよいのです。理屈の世界ではありません。
「わかりません」という質問でも、自分の質問でない質問が多いのです。
「外国人は皆、日本人より声量があるのに、プロの歌い手にならないのですか」それがどうあなたと関係するのかということです。自分の質問を出してください。その質問をして、自分が何かを得られるようなものにしていってください。
一般的な質問をされでも、その人にとって何も意味がありません。
「外国人」とか「一般の人」でなく、すべて「あなた」「自分」という主語をつけてください。
一般論をいっていても仕方ありません。
自分で吸収していってください。わからなくてもよいと思っていてください。わからなくても、体が何かで感知しながら、トレーニングをくり返していく間に、「あっこれだ」とわかってくることがあるはずです。
会報を読んでいても、わからないことばがたくさん出てくるでしょう。わからないと思うのです。「わかった」と書いてくる人もたくさんいますが、そんなに簡単にわかるものではありません。こういう世界では、わかったということは、できたということです。
自分がトレーニングをやっているときに、「あっこれか、この感覚が、あそこでいわれたことだな」と感じるものです。
私の本を渡しているのも、順番も定めないで渡しているのも、書いてあることを全部頭に入れて、それから忘れてしまいなさい、そしたら浮き上がってきたものがある。あるいはそういうものをヒントに自分がつくり出したことばとか感覚だけが、本当に皆さんをステージで支えていく自信や力になる、ということなのです。
私のことばなど一ヶ月ですべての本を読んでおけば、まわりの人に質問されたら、答えられるくらいにはなるでしょう。でも答えたってしかたないでしょう。皆さんがステージで実現してみせれるようになることです。その手間暇を惜しまないところとして、ここがあります。
自分でやっていると、何か空まわりしているとか、たくさん曲も聞いているし歌っているのだけれども、どこかポイントが定まらないというときに、そういう材料や基準をもってやると、もう少し整理をつけていくことができるでしょう。わからないままでもよいのですが、これは核に近いな、これはそれているものだな、という、感覚とか感性の部分で得ていくことが大切です。
最初からいっておきますが、人それぞれ、伸びる時期も違います。最初によくて、そのままで終わってしまう人もいれば、2年ぐらいまったく鳴かず飛ばずだったのが、3年目くらいから上がってくる人もいます。
そこには、今の皆さんの体の条件も入っています。
音楽を表現する材料として使って、いろいろやります。
すべての曲を、すべて一流のアーティストみたいに歌う必要はないです。そういうアーティストがきても、「あの人と同じことはできない」という部分をつくればよいのです。
できないところは、作家や陶芸家などと同じで、出す必要はないのです。
歌でも聞いていたら、ヘただなと思う。それは歌がへたなのではなく、へたな部分をカットするということに気づいていないのです。自分が勝負できるところだけを集め、歌をもって、30秒くらいで場を湧かすことです。
こういうことが、とても大切です。
感じた通り、浸り切って歌えば何とかなるというものではなく、そこに一つの論理的な裏付けが出てきます。
お笑いの人でも、馬鹿な役をやっているようにみえても、冷静に、もう一つ自分をみる目があります。
「このセリフはここで切らなければいけない」とか、「ここはもう一言、いったらいい「な」と、瞬時に反応できる。音声の世界ですから、歌も同じです。
ピアニストが、一番と二番のちょっとしたところを弾き分けたりする。それで、自分の感覚がそれをより生かすために、どうなっていくかというようなことをやっていく。その気になり切る人は、成功する。
おもしろいことなのです。
ただ鈍ければ対応できない。いろんなことに気づいていって欲しいと思います。
ここはたくさん書かせています。書かせると基準がとれるからです。書いたら上達するとはいいませんが、書くことも一つの方法だから、全てのやり方をとってみたらよいということです。
やれることは、全部やってみてください。損はしません。こんな無駄なことをして、自分はとても遠まわりしたと思っても、それが全部生きてきます。
特に他の人がやらなかったこと、続けられたいことは、自信になります。
2年間で、歌は認められることはなかったけれど、会報の記事だけは誰よりも書いたとか映像だけは誰よりも見たとか、何か一つでも自信になるものを得て欲しいと思います。
一つのフレーズ、たとえば「ハイ」だけは誰よりも大きな声でいえるとか、そんなことで何になるのかといわれるかもしれないけれども、それ-つを出すにも、200人、300人もいても、4年も5年もいるような人たちがいるなかでもは大変なことなのです。
自分は一番やっていると思いながらやっている人が、今まではいました。そういう人たちをライバルにしてください。
ここなどは度外視して、世界で一番やっている、一番環境が整っていてお金もあって、よい音楽環境のなかでやっている人たちをライバルにしてください。そういったものは、お金とか時間、年齢とかで働かされるものではありません。イマジネーションです。イメージの力です。
基準、材料を学ぶには、時間かかる。レッスンでも時間がかかります。
このようなものは、イマジネーションがあれば、いろいろ今までやってきたり感じてきた、それから「ああやったからうまくいったんだ」とか「ああやったから自分はうまくいかなかったんだな」というような経験が、生きてきます。そういう意味では、総動員させるということです。
私たちはなるだけたくさん、材料をおいています。
ロビーにスポ根マンガがあったり、会報のバックナンバーがあったり、すべて材料です。
たとえば「新入ステージ」だったら、今までのメッセージも載っています。今までいわれてきたこともあります。
私は同じことを言うつもりはありませんから、全部出して残しています。全部、皆が知っていても構わないのです。知らないより知っていた方がよいものに関しては、どんどん知っていってください。映像作品も同じです。
私が一人で勉強するのに、ここがないとしたら、かかるコストは大変な額です。
毎月、たくさんのものをここで購入しています。それは全てレッスンで使い、皆さんとシェアしています。
レッスンからいうとサブです。
レッスンそのものに対して、トレーナーそれぞれの人たちが10年以上かかって、学んできたものが入っています。そこから大いに学んで欲しいと思います。
吸収できないとか難しいとかで、考える必要はありません。
基準がきちんとあって、そこに対してアプローチできることを大切にして欲しいです。
自分がわかるように教えてもらって理解しやすいことばを使ってもらって、それで手取り足取り教えられてしまうと、そこですぐできた気になってしまいます。決して先生よりうまくなりません。
そこに関しては、私が最低ラインになるように伝えていきたいと思っています。
自分たちの基準を下げることはしません。
私のコメントは、かなり辛辣かもしれませんが、少なくとも、その人がプロで通じるか、そこで表現をきちんと出せているかということに対しての基準で、はっきりしています。
テレビのオーディション番組の審査員のように、おだてて満足させません。
後で伸びなくさせてしまうことはしていません。
最初の半年間に関しては、その人なりの取り組みでよいとは思います。
私はできるだけ大きな器を、ここがあろうがなかろうが、通じるものを求めたいです。
自分がどこでも一人で立ったときできるように、です。
基準が明確であり、そのあとに何をすればよいかがわかること、そして、時間をかけたら、伸びていけるという体制です。大きな器をつくっていくことです。歌がすぐに歌えるようになるとか、どこの部分をどうやればよいということよりも、そんなことを考えなくても、そこへ立つ人ならそうなってしまう感覚、ベースを入れていくということをメインにしてください。
わかりにくければ、3つ、考えてください。
音声で表現する舞台。ということで、問われている場です。
そのためのレッスン、材料を並べ、邪魔するものは、どんどん切っていく。意味がないものはやらないです。
皆さんの姿勢としては、前に出る、まねしない、群れない。こんなことをいってみて1年くらいたってみると、こういうことをきちんと守っている人は、それほどいないでしょう。
その人がきちんと自分に自信をもってやっていると、こうなりますが、うまくなりたいとか焦ってしまうと、誰かのまねをしてしまうのです。これは本人がそう思っていないなら、無駄な時間になってしまうのです。
せっかくご縁があって、きたのですから、うまく利用してください。
これからいろんなレッスンで、いろんなものに出会っていくと思います。
私に対してもトレーナーに対しても、何でも質問してください。ただ、その質問の答えがすべて、ことばで返ってくるわけではありません。ことばで返ってこないときもあると思います。それは、そういうふうにした方がよいだろうと私たちが考えることなので、無視されてもめげないでください。
ことばで返ってこないことについて、質問しても構いません。
早く皆さんの音声の表現と舞台で出会わせてもらいたいと思っています。どんな顔をしていても、どんな体をしていても、どんな声をしていても、その人が舞台に立ったときが一番、魅力的であるように願います。
音楽が好きとか好きではないということよりも、舞台で輝いている。
それが、すぐれているものとして、取り出されてくるということです。
今までこういうことに関して、時間をさかなかったり努力しなかった人は、この2年間、徹底してください。誰もそこまでの2年は過ごせなかっただろうということをやってみてください。
時間だけでは、ないです。学生、社会人と、いろいろな状況があるのでしょうが、ここでは、どうでもよいことです。24時間の使い方、暇だったらヴォーカリストになれることなど、絶対ありません。
中途半端にやらないで、そのなかの意識で最優先して欲しいものです。
自分のおかれた環境のなかで、最高の努力をしていれば、伸びてきます。逃げていると、いくらでも言い訳がいえます。まわりに合わせないようにしてください。
ここにいる人が皆、すぐれているわけではありません。
あなたと同じ一般の人です。よくわからないで入ってきた人もいます。
そういう人たちがレッスンに出ないからと、そんなことをここで注意するのも野暮ですが、中途半端な人たちに、引きずられないようにしてください。
やっている人は一人でやっています。それは2年3年たって、舞台でわかってきます。
どちらにしろ舞台でわかってしまうことですから、常に自分が人前に立つ、その資格を得るために、普通のままではいけないということを念頭に、毎日を送っていってください。
本当に一日一日の勝負です。一瞬一瞬、一時間一時間。
こういう話を聞いてみて、それをどう理解してどういうふうに生かしていくかということの積み重ねです。
できるだけこちらも皆さんの要望に応じたものも取り入れていこうと思っています。
皆さん自身も、それだけのことをやっていないと、なかなか希望通り、叶わないのは、世の中と同じです。
だからまずリピートすることを習慣づけてください。
2年間くらいまでは、誰でもやるのです。誰でもやるといっても、やらない人も多いです。
ここで2年間でやろうというつもりの人は、ある程度、やっています。
そこにONしていかなければ、次のレベルにいけません。
ONしていくためには、次のステージに基準を使うことです。レッスンのときにもいいますが、自分ではなかなか勉強しにくい世界です。皆さんが一所懸命やってくれると、まわりの人からもいろいろなヒントを得ることができます。
音を動かすだけなら誰でも動かせます。その動かし方がすぐれているから音楽や歌になるのです。
そういうことに敏感になってください。
街を歩いていても、音の世界で捉えて自分の体からの声でどうなっているのかということを感知して、そういう住人になってもらえれば、一つの世界が開けてくると思います。
いろいろな人がいるので、いろいろな考え方はあるかと思います。
意見はいろいろ出してもらって構いません。前例を踏みながら改良しています。
皆さんが入ってきて、皆さんの意見があれば、それも取り入れながら、より皆さんに役立つようにここにしていきたいと思います。
あなたがいていろいろなことをやっている中でここも使っていくということです。ここを使うというよりも、自分の人生を考えてください。いろんな人たちがいますが、日々、慣れてていくと思います。
皆さんが吸収しやすいようにしていくことを考えなくてはいけないのですが、わかりやすくするとかことばをやさしくするということではありません。強烈に皆さんの体に入れたり感覚を呼び戻すということを、どうやっていったらよいかということを、レッスンで試みています。
ほとんどのレッスンは、一回完結制ですので、そのなかで自分がきちんと反応できたり、あるレベルのことを示せたら、相当なところにいっていると思ってくれてよいです。
自分のレベルにそぐわないレッスンもあると思います。
基本はそこからも身についてきます。
息を吐くだけを1~2ヵ月やって、次は声を出すのだけを3ヵ月でと、基本のことをやりながら応用をやっていく、ステージをやっていく、それで足りないと思ったら、もっと基本をやるのです。
ここを利用してのライブをやってもらうとよいです。それで客が満足していれば、それはそれでよい。自分のなかの価値観や魅力がなければ、そこで満足できるお客とのコミュニケーションがメインで動くのであれば、それもよい。そこで何か足らないとか、もっと何か欲が出たときに白紙に戻す。どういうことが足りないのかということを見るのです。そういう感覚や体は、ここで参考にしてもらえればよいと思います。
歌が違う、声が違うということよりも、感覚と体が一番、違います。そこは活字や話にならないところです。
いろんな意味で補充として、イベントとか、他の先生に来てもらうときもあります。
時間や金銭的な事情もあると思いますが、できるだけ利用してください。
せっかく2年を過ごす場ですから、その2年で終わってしまわないで、それが次につながるための2年になり、人生へつながるものにしてください。
自己投資という考え方で、ここだけでなく、いろんなところに時間とお金をかけて、それを自分のものにしていくことです。できなかったとか落とされたからもういいやと諦めるのではなくて、そのことが、とても大切なことなのです。そこで気づけということです。他のものも、いろいろ使える可能性があるのに、それだけ投げうってきたのでしょう。時間も同じです。
よくこういう道に入ると、自分は、ものになるかどうか知りたがります。成功するからやるというものでもないと思います。ある意味では、遊びで趣味にもなるものです。人生のよすが、道楽です。
真剣にやる以上、ものにして欲しいと思います。
それは、皆さんの環境との関わり方になってきます。とりあえず、悔いのない2年間を過ごしてください。
うまくならなくても、できなくてもよいのですが、もっとできたのではないかとか、もっとやれたなとか、あのときああすればよかったなとか、そういうことが残らないように。
人生のなかの2年間として全力でやれば、後々、生きてきます。
自分に対して負けないことです。他の人に対しては、いろんな人がいますから、かなわないなという人がいるかもしれません。今にみていろと思えばよいのです。
自分がそういう毎日を過ごせるかどうかです。
簡単そうにみえますが、そういう生活ができるのは、幸せなことでしょう。
このなかでも、一人か二人になるのではないかと思います。
ステージに出たら、そういう人は気迫が違います。それで差がついてしまいます。
技術や発声などが、かすんでしまうぐらいの何かを身につけて欲しい。
今までそういうのがあった人はそういうのを出して欲しい。
今までなかった人は、今後のトレーニングで自分の体も変え、表情も変え、意志や気力も変えるチャンスとしてください。自分が好きで選んだものなら、がんばっていくことができると思います。
ここのレッスンは、自分たちがやりたい、好き嫌いでいう、好きなものばかりがふりかかってくるものではありません。皆さんの感覚や体を磨き上げるために必要なアーティスト、作品を紹介します。
大体は、皆さんの好みには合わないかもしれないので、少々覚悟をしてください。
それは優先すべき順番です。自分で楽器で弾きたい曲と基本トレーニングの課題は違いますね。
自分が見たいもの、やりたいものは、見るなとはいっていません。自分でやっていってください。
本をたくさん渡されて、わけがわからないところもあるかもしれませんが、活用できるものから活用してください。1「基本講座」一冊ぐらいしかなかったにときに比べ、今は20冊以上ありますから、20倍くらい伸びる、そんなことではありません。
当時の人たちは、ページ数を暗記するくらい読み込んでいました。今の人たちは、たくさんもっていても読まず、トレーナーに「書いてある」といわれる。
受ける方の活用次第だと思います。何でも活用できるものは活用するのです。いろいろなものがありますから、何でも自分で生かすことです。
ともかく、がんばってください。中には、接点がつきにくいという人がいますので、ーヵ月たったときにもう一度、会って、「こんなつもりで入ってきたのではない」、「今の自分が欲しいものがないではないか」、「身につけ方がわからない」などということがあれば、方向づけをします。
3ヵ月目くらいまでにトレーナーともカウンセリングがあり、ここのレッスンと接点がつくようにしています。
すぐに舞台があるので、楽しんでください。ここまでどれだけ準備ができて、その場でどれだけテンションを上げられて、そのあとどのくらいそれを完成、反省できるかというのは、勉強には一番よい方法です。
一年たったらステージ、というよりも、慣れの舞台のようなものですが、そこから自分が舞台に対してどれだけ努力できるかということを問うていってください。
自分でそういう生活をして初めて、自分の声にも敏感になるし、まわりの声にも敏感になるし、体調についてもわかるようになるし、どのようにすれば声がよくなるか、どういうことをしたから失敗するかということがわかるようになります。
人前に出る仕事ですから、人前に出ることに慣れ、そこで何かできるということを楽しみにしていってください。
楽しくするためには、それなりに準備しないとなりません。場に出てください。
出続けるということが本当に大切なことです。
出続けることが楽しくなるように、まわりの人たちの時間を自分の時間に変えてしまうくらいの気持ちになってやってください。
レッスンを使い切ってください。そこで学んだことから勉強していってください。