一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

投稿・おすすめアーカイブ 3711字 958

 

投稿  958

 

 

この間、NHKでアフリカの砂漠の海岸で漁をして暮らす人々のことをやっていた。

どういう生活をしているのか興味が湧いてみてみた。彼らは、海をながめてイル力を持つ。イルカが魚を追ってくるからだ。そして、イルカがきたら漁をする。そして、また海をながめているのを待つ。彼は、電気もガスも水道もない。だが自然と時間と人の心があった。それを見て自分も小さい頃川で友達と泳いだり虫を採ったりしたときの気持ちを思い出した。だが、そんな彼らの生活を文明というものによって壊されようとしている。食糧不足により国が魚を食べるように指導し、それまでほとんどの人々が口にしなかった魚を食べるようになった。そこで業者が村に魚を買いに来るようになった。そして、金を求める人々が村にやってくる。その人々は、漁の仕方がわからないため魚を群を逃がしてしまう。そこで昔からいる人々と争いが起こる。これは、自分たち人間が繰り返してきたことだと思う。これもしようがないことなのだろうか。彼らは、子供が生まれると1日中歌う。歌は即興。そして、自分が一番興味を持ったのは、太鼓。これしか楽器はない。が、しかし、それはロックのドラムと同じビートだった。彼らは、誰からも教わっていないだろうし、楽譜もないだろう。それは、彼らの体のなかに流れている。それを見て、自分はビートの原点を見たような気がした。本当に素晴らしいものを見たと思う。

 

最近、昔以上にTVの歌番組を見るとムカつくようになった。それは、外国人と日本人は体のつくりが違うからああいう声は出せないとかいっているのが頭にくる。それは、自分から見ると言い訳にしか聞こえない。そんな連中が“アーティスト”などと呼ばれている。どこに1本の筆で太い線と細い線をかき分けられない絵描きがいる。

自分は、高校で普通科学コースという特殊なところにいた。そこで美術史という授業があり、マネ、モネ、ルノワールゴーギャンゴッホなどのドキュメントビデオなどを観た。天才と呼ばれる彼らも、名画を模写した表現を学んだりしている時代もあったのだ。なのに、あの連中はそれをやらない。どこがアーティストなんだ。なぐりたくなってくる。とにかく海外で活動したいという気持ちが、日ごとに強くなっていく。

 

福島先生がこの間の新入のときに、「人のついてこないところまで深めることが大切」とおっしゃっていた。新入懇のできが思い出したくもないくらい最悪だった私には、すごく考えさせられる言葉だった。私は、人のついてこれないほど練習しただろうか。歩いても追いつかれるほどの練習だったのではないだろうか。これからは「人のついてこれないところ」を基準にしたい。

 

トライスラー・トップス、Cocco、グレープバイン、日本の若手でも、イイ曲つくる人がいるいる。しかし彼らにもすこし歌唱の説得力があればなぁとは思う。そう、くるりの「虹」はすごく名曲だと思う。あの歌に必要なのは決してダイナミズムでなく、しかも強い意志のある繊細さ。

 

美空ひばりを聞いて思うこと。言葉がすごくクリアに伝わってくる。意しなくても入ってくる。歌を楽しんでいるのがすごく伝わってくる。彼女のライブの客はよくない。おとなしく聞け。聞いてろといいたい。しかし、歌は大衆そのもの。昭和と共に生きた彼女、そのカリスマ性を想う。

 

ダンススクールで講師が生徒にいっていた。狭い部屋で練習していると動きが小さくなってしまいます。少しでも広いところをイメージして大きな動きをしましょうと。これは歌にもいえること。イメージの力で大きくしていける。

強い意志のある繊細さか。

 

あれが最低ライン。という福島先生のコメントを聞いて、京都ライブ、京都レッスンでの最初の4小節で感動が生まれた、という話を思い出しました。みんながめざしているものはそこなんだ、という目標を改めて思い出しました。たくさんのステップがある。省略するとガラガラ落ちてしまう。舞台は私が今まで見せてもらったPre.BV座のなかで最も洗練されていて素晴らしいと思いました。細かいところまで神経が行き届き、ああ引き算だろうなと想像しました。一歩スタジオに入ったときから、完全にライブハウスでステージ実習など1mmも思い出せませんでした。すごい力だと思います。まったく新しい空間を創り出す。こういう風になりうるんだ、と。

 

 

人それぞれ何かしら考え生きていることと思うが、何を悩むか、考えるかということは大切なように思う。考えていてもしようがないようなことをあれこれとこねくりまわしていたりする。いろんなことが振りかぶってくる中で一人すっきりしているそんな状態になれたらなぁと思う。あることを実現するために他のことが自然に自然に遠く遠く遠ざかっていくという感じです。自然に自然に自然に自然に他の一切のことが遠く遠く遠く遠く地平線のはるか彼方へしりぞいてしまって自分と一つの目的地だけがあってそれはずっと先の方にあるきれいな輝く何かと近くされるのですが、だからこそそこへ行きたくてすいよせられるように心が向いてしまうのです。そして一切のものが人のことや小さなつまらない物事や移り変わりやすい現実がときには恋まで遠心力のように遠くへ行ってしまうのです。風通しがよくて一人なのです。 銀色夏生

 

何気なく発した言葉が人間存在のどれくらい深い領域から出てきたかによって決まる。そして、驚くべき合致によってその言葉はそれを聞くものの同じ領域に届く。それで聞き手に多少とも洞察力があればその言葉がどれほどの重みをもっているかを見極めることができるのだ。 シモーヌ・ヴェイユ

 

規律、集中、忍耐、最高の関心。どんな技術であれ、それに熱睦したかったら、自分の全生活をそれに捧げなければならない。少なくとも生活全体をその技術の修線と関連づけなければならない。 エーリッヒ・フロム

 

 

 

 

おすすめ

 

ジョルジュ・ムスタキ

コンサートに行こうって決めてから、ベストをひさびさ聞いてみた。初めて映像見たときはインテリ風のイメージ。これがシャンソンなんだ、自然体で、しゃべっているのか、歌っているのか、ほとんどわからなくて、フランス語自体、ため息言葉で艶っぽい。方に力入れずに、精神的な言葉が紡がれていく。日本のぎょうさんな、口先の、あれがシャンソンではなかった、だせーって恥ずかしくなった。もうやめた、やめた、死ぬまで鼻歌さえくちずさむもんか、でも待て、接待にカラオケは欠かせない、ばばあになってもちんたら歌うなんて耐えられない、ギリシャの格言人生で歌えないのだけが不幸だと。ふん、結局封印しきれないってことか。白いつなぎのムスタキは、尼僧のようだった。世俗の塵を身に受けて、払い落とせばお坊さんになるの。お隣はフランス情勢で、日本人の私は横で口ずさむ彼女になじめないでいる。GW過ぎてから、日常に飲み込まれて、地獄に堕ちろって自分に毒づいていた。久しぶりに開演前の高揚を味わっていた。17から放浪生活BIGな女性達の寵愛、ああスケールが違う。

 

フレディ

トリビュートビデオでGUNS N' ROSESが「Knockin'on Heaven's Door」を歌っているのを見て買ったアルバム:

APPETITE FOR DESTRUCTIONはいい。(といっても「Knockin'on Heaven's Door」は入ってない)個人的に6.「PARADISE CITY」が大好きです。声が個性的でよいと思います。

 

松井大典

NHKトップランナーにファッションモデルの松井大典さんが出演されていた。美しい歩き方をするために、体の必要なポイントだけに力を入れたり抜いたり、動きに合わせて意識的に行っていると知り驚いた。ごく自然な動きではなく、日々のトレーニングにより作り上げているのである。他、以下の言葉をさらりと語っていた。

やれば何でもできる 2今は過程 3自信はない、あるのは10%の勇気 今、どんな自分でいたいか

 

東儀秀樹

NHKの番組「課外授業へようこそ先輩」に雅楽奏者の東儀秀樹さんが出演されていた。“雅楽の音色は自然のなかの音を使っている”ということを子供たちに教えておられた。皆で近くの公園に行き、自然の音を探す作業を行い、子供たちの心が自然に溶けた頃合を見計らって“ひちりき”を吹いていた。実にゆっくりとしたテンポで「うさぎ追いし」「ふるさと」を演奏している姿に気負いはなく、ほのぼのとした気分になれた。先日はNHK.BS「真夜中の王国」にも出演されており、西洋楽器のヴァイオリンと合わせていた。日本古来の音色のよさと、ジャンルを超えた音楽活動の素晴らしさを知った。

 

マコーミック

先日、NHKトップランナーという番組に、フットボーラーのアンドリュ•マコーミックさんが出演していた。日本人選手の弱点について興味深いことを語っていた。1個人の練習量が足りない残り10分の集中力が足りないとのこと。徹底して、自分を信じて、一人でやり続けることの大切さと、最後まで気持ちを切らずに取り組む姿勢が重要であることを学んだ。