レクチャー2
○「ハイ」のトーニング
○体のリラックス
○呼吸のトレーニング
○行きと声を結びつける
○胸のトレーニング
○基本の声の基準
○ベターな声からベストの皮へ
○基本の声のことばへの応用
○できるところを確実にしていく
○声への正しい判断
○プリミティブな感覚
○姿勢と感覚
〇日常のトレーニングの意
○基本のためのトレーニング
○最下音声と音の段階
○プロになるためのトレーニング
○メロディ処理
○オリジナルのフレーズトレーニング
○表現力で判断する
○歌と声
○外国のプロはずっとヴォイストレーニングをする
○同じパターン、声でしか歌えないのなら何曲やってもムダである
○プロのレベルの低さ、プロの音色を聞く
〇仲代達矢の声について
○「ハイ」のトレーニング
最初は音楽的な知識はいりません。楽譜が読めなくてもよいし、うまく歌えることも必要ありません。
すぐれていると思える人がいれば参考にしてください。
その人の体がどうなっているかということと、そこから出てきた声、表現がどう伝わるのか、というようなことを感じてみるのです。それは、基本を応用しているのです。
では、気楽に思い切ってやってみましょう。中途半端にやるとかえってのどを痛めたりします。
最初は「ハイ」だけです。これを「ハ」「イ」ととらえたり、「ハーイ」ととらえたりしないで、作品一つが「ハイ」です。
どこかで邪魔しないで「ハイ」というのを体も患も使って、大きく言うところからです。
立っても座ってもよいでしょう。やりやすいように、好きにやってみましょう。
遠慮しないで思いっきり全部出し切ってみてください。
それでも、レッスンには、充分に対応していないはずです。
遠慮するとそれこそレッスンのレベルが下がってしまいます。
「ハイ」と体全体で出します。ここで「ハイ」と出せる以上の声は、歌のなかでも出ないのです。
歌の最高音ぐらいに考えてみてください。
高くする必要はないです。高くしないでください。
高くすると、ほとんどの人は、体からはなれてしまって、響きだけになってしまいます。
高くではなくて、強くが大切です。
最初は、より強く大きく太くやっていくのです。そこに体を使うという感じです。
体で声をとらえ、コントロールして出す感覚を得ていきます。
そのときに力が入ると、いろいろなものが邪魔をします。部分的にひずんで響いてきます。
それをとっていくことです。
役者、声優であれば、このことがきちんとできるまで、これだけやっていてもよいほどです。
ヘたに歌ったりことばや発音の練習をするぐらいなら、体から声を出す感覚をつかむことの方が大切です。
「ハ」では、のどが開いています。
○体のリラックス
最初は、体が動きません。体が使えないうちは、なるだけ体を意識しないといけません。
トレーニングは、意識してお腹から息を使おうとしているのです。
もともとトレーニングは、しぜんなものです。
しぜんにできないから、しぜんなことをやって、強化して、それでしぜんにできるようにします。
だから、時間がかかります。最終的に力が抜けていることです。
スポーツを考えたらわかるとおり、最初は、何をやるにもどこか部分的に力が入ってしまいます。
それをとり、のどが鳴らないようにするということです。
のどにカをいれて、トレーニングするのなら、やらない方がよいくらいです。
体に力が入りすぎるのはよくありません。とにかく、のどに負担をかけないようにしていきます。
のどが痛くなる練習は、タブーです。
○呼吸のトレーニング
息を流すということをたくさんやってみましょう。
私がこのように話して息を使っているのと、同じくらい深い息が必要です。
日本人は、深い息を身につけるために体から息を出すということを、何回もやっていかないとなりません。
息吐きのトレーニングは、いろいろあります。自分のやりやすいものなら、何でもよいでしょう。
たとえば、ドレミレドで一オクターブに音を3回つづけるくらいまで続けても苦しくないくらいまで息吐きができるようになりましょう。普通の人には、きついと思います。
体調が悪いとか、体力が弱い人はセーブしてください。
途中でやめても構いませんし、2回に1回でもよいです。
ムリは禁物です。逆効果となります。
「ハッハッハッハッハッ」(ドレミレド)にあわせて吐いてみます。
力はなるだけ抜いてください。のどで浅い息をだすと、のどや口のなかがかわいてきます。
深い息というのは、最初はなかなかわからないものです。
体の横とか後ろの筋肉が少し意識して働くのなら動かしてみてください。
これも最初は動かないものです。何年も使っていると動くようになってきます。
こういうところが、息の支えです。声をキープして動かさないといけないというときには、お腹の力がものをいいます。
最初は、こういう条件がないから、トレーニングで意図的にそこを動かすことによって、常に動きやすくして結びつけていくのです。そういう状態ができるまでは、トレーニングには正しいということも間違いもないわけです。
レッスンに入る前の段階です。
息を出すトレーニングは、少しでも声になりやすいように、リラックスして息が使えるようになるために行うのです。これにじっくり時間をかけましょう。無理にやるとめまいがしたり、倒れる人もいます。
きついときは2倍か3倍くらいゆったりしたテンポでやり、自分で自分をコントロールしましょう。
そのうちその日の調子で、これ以上、出してはいけないとか、ここでやめるところというのがわかります。
わからないでやっていると、過呼吸でふらふらとして倒れたりすることもあるので、気をつけてください。
体を疲れさせることが目的ではありません。
あくまで一番よい状態を整え、その状態で、それ以前の課題をより正しくやることが目的です。
息とか体に関しては、使うほど強くなります。
トレーニングを行うのにふさわしくなります。トレーニングできる状態になりやすくなるのです。
〇息と声を結びつける
同じようなことを息と声で結びつけてやっていきます。
息で(ハイ)とやって、それを声で「ハイ」にしましょう。
息でやるときに、のどをあくようにしてください。なるだけ同じところでとっていくようにします。
このときのキーは、低声=話声域です。女性の場合は、自分が話しているところより、2、3度低いと思ってください。
男性はある程度しっかりと話している人とか、そんなに高くなく話している人はそのままでよいです。
大体1、2音くらい落とした方が体が使いやすいようです。
声が胸に入りやすいからです。男性は腹式中心の呼吸は、わかりやすいようです。
日本人の場合、胸声は男性の方がやや有利です。外国人の女性というのは、低いところで太い声で話し慣れているのですが、日本人の女性というのは、ほとんど声を浮かせているからです。
また、男性は日頃から胸式を使っていますから、差があります。
特に声を高めに話してきた人には難しいようです。
姿勢は、まっすぐだけではなく、体を曲げてやってみたり、寝ころんだり、自分が一番、声を出しているという感覚でできるところをみつけてください。
○胸声のトレーニング
声優やアナウンサー、ナレーターのトレーニングで悪いところは、先に表現をやるための発音で口先でつくってしまうことです。その方が滑舌がまわり動かしやすいからです。
しかし、それをきちんと戻して自分の息とあわせていくことが大切です。それもトレーニングでその息が段々深くなって体が使えるようになったときの声に合わせていくのです。
深い息が声にならないのは、胸のところで声をとってきていないからです。
男性ものど元の方でつくってきている場合が多いのです。頭声を使ってはいけないとか響かせてはいけないということではありません。
ただ、全身を楽器として考えたときに、首から上だけでやっているというのは片手おちです。
響かすということであれば、胸から、尾てい骨までも響くわけです。
そうしたらまず、全体が響くところまでやってみることでしょう。
そのため少々、歌からはなれても構わないのです。(スポーツの基本、トレーニングと歌との違い)
○基本の声の基準
ここにくるまで2オクターブぐらいで歌っていた人が、ここにきたら半オクターブも使えなくなるのは、基準の厳しさです。使えない声、応用のきかない声、コントロールのできない声、後で伸びない声は、基本になりません。
それで歌っているから、上達しないのです。
何回も歌っているのになぜベースがついてこないのかというと、基本のところを抜かして先にいっているからです。
基本のなかでも基本というのは、一つのことばを一つの体できちんと発するということです。
トレーニングの仕方として、これを少しずつ応用していけばよいわけです。
たとえば「ハイ」を同じポジションでとるというのが基本です。
「ハイ」の感覚で「ハイララ」と応用すると、この「ハイ」が基本になります。
○ベターな声からベストの声へ
あなたのなかで今、一番、声が出るところをベターな声といっています。それで体や感覚が鍛えられて、それらが伴いプロの声としてくるところをベストの声といいます。これには段階があるわけです。
最初は「ハイ」でも「ララ」でも何でもよいのですが、まずベターなところを必ず出せるようにするということです。そこ以外のことはやらないということです。
ベターな声そのものが、ベストな声になれば、それはオリジナルな声です。
今のよい声をよりよくすることをトレーニングの中心に考えてください。
昨日までよい声が出て、今日は出なかったとしたら、その声をとり戻すことだけに1日かかってもよいでしょう。その声がとれないときに、歌っても余計に調子を崩します。素振りのところで狂っているものを、いくら本番のバッティングで直そうとしてもだめです。そこは素振りできちんと直すのです。
素振りも何回もやっているうちに力が抜けてきます。腕や足ではなく腰中心に、段々と一つになって感じられるようになってきます。そのプロセスはいくら時間がかかってもよいのです。
○基本の声のことばへの応用
基本をくり返しやっていくとともに、後はことばとか音の高さとかを感覚的にとらえていきます。
「ハイララ」をそろえようとしたら、「ハイ」に対して「ララ」ということばを同じにしていくのです。
「アエイオウ」とか「カケキコク」と発音を正しく、全て覚えてもキリがないのです。
「ア」にもいろいろな「ア」あるわけです。そうしたら一番正しいものを一つ、とらえておき、それに他の音を全部入れていくということです。確実に「ハイ」でも「ララ」でもとらえて、それで応用力をつけていくのです。
「とおい」や、「つめたい」など、ことばのフレーズでは15文字ぐらいを1つに捉えてやります。
「つめたい」なら「つ」「め」「た」「い」と4つにしないで、「つめたい」と1つで入るということです。
日本語の音節4つという感覚をなくしていくのです。日本語では、4つあるからどうしても4つにわけていくという感覚(長さの等時性)を変えます。
それとともに音の高さと音色に注意します。
「ハイハイハイ」(ド、レ、ミ)と体の強さでコントロールして、音色をそろえていきます。これが「ハイ」の音色と変わってしまうなら、これをより太く強く大きくしていくことです。
要は、ある程度、できることをより完璧にしていくということです。
○できるところを確実にしていく
ヴォイストレーニングは、できないところをいくらやっても伸びにはならないのです。
基本の一声もできていないうちに高いところとか、難しい音程やリズムばかり練習させられるから、限界を早く作ってしまうのです。
一番できるところだけをとにかく徹底してやると、気づかないうちに次の音ができてくるものです。
キーによって音質が異なり、区別されてしまうのは、力がないからです。
一つに捉えたら、同じことになるはずです。
たとえば「ド」の音が完全にできていたら、「レ」の音は半分以上できます。
「ミ」の音は3分の1ぐらいできるはずです。そうしたら次に「レ」の音をより完全にしていけばよいのです。
そういうところをそらしてごまかしてしまうとよくありません。全て同じ考え方です。
○声への正しい判断
声そのものに関しての判断は直感的なものなのですが、常に可能性のより大きなところを求めてください。
ここで使っていたらこの声は大きくなっていくとか、高いところもやがてこれでとれるだろうというところから入っていきましょう。
要は今よりも自分の表現をしっかりと支えられる確実性をもつ声をめざすのです。
そこは一番難しいところです。
声のよしあしや技量は、よく聞いていくとわかってきます。
最初2、3ヶ月みていてもわからない人でも、半年ぐらいみると大体わかるのです。
それは主観的なものではなくて、誰がみてもそれはよいというのがあるからです。
○プリミティブな感覚
最初の段階でのトレーニングが難しいのは、本人が体や心を楽にして集中してトレーニングができていないからです。もちろん、トレーニングのシミュレーション自体に慣れていない場合が多く、発声練習の形でやると声の出ない人もいるからです。
1曲歌ってみると、よい声が出ることもあります。
声は緊張感とか覇気、自信までが、実力として出てしまうからです。
プリミティブになって、理性をなくして声を出すトレーニングがあります。
そういう状態に近いような形で、自分で出したときにこれは心地よいとか、これが伸びそうだとか捉えていきます。今はこれでは歌えなくとも、これでやっていくとしっかりした声が、音楽が入ってきそうだという感覚になればよいのです。
○姿勢と感覚
姿勢のことは、最終的にはどんな姿勢でもよいといっています。ただ、習得するときには基本的に学んでいく方がよいのです。
日本人の姿勢というのはあまりよくありません。あごが前に出て、要はあぐらかいているような猫背の状態になりやすいです。
体を腰から曲げてやるのもよいでしょう。半年ぐらい立てば自分が好きなようにやればよいということで、形としては定めていません。声がうまく出ていて体が動いているときがよくて、これは個人差があります。
要は内部の感覚を正すことです。
体の一番大きく働くところは、お腹の横とか後ろです。声楽家でもよく動きます。これは特に高音とかロングトーンでやるときの支えになってきます。何か表情を入れたいというときには、声をしっかりと握って前に放り出すことが必要です。
これは役者さんでも同じです。「ぎゃー」と本当に叫んだら、のどに負担がきます。だから、体で支えるのです。のどに余計な負担がくるところをとればよいと、考えるとわかりやすいはずです。
トレーニングを行うことで、体と声とは結びついてきます。
日頃から、腰の横とか後ろを使っていくと、何年も続けるにつれ、しぜんとそうなることが早く整います。
トレーニングは意図的に使うのです。使ったからといってすぐにのどをはずして声が出るのではないのですが、使おうとして意識したらそれだけ動くのです。すると声を出したときにも、動きやすくなるということです。
日常生活だと、なかなか動かないのです。普通に声を使うには、その必要性がないからです。
体がなかなか動かないときは、動かすために体を曲げるのもよいでしょう。
腰の中心にその感覚をもっていきます。
立ったときに日本人の場合は、胸の位置が下がっていますから、これを上げてください。
お腹を出したり、そらすのではなく、胸を持ち上げるということです。肩は落とします。
肩と首との間の部分、胸の横の部分を押すと、大体の人が、痛がるのですが、こういうところには声帯に直接関係する筋肉がついています。これを動かしたらどうなるということではないのですが、そこがリラックスできていないとのどに疲れがたまりやすいのです。
肩をまわし首を動かして、凝りをほぐしておくことです。
音楽をする前に楽器をきちんと整えます。自分の体を知って、どういう体操をすればよいのかを組み立てることです。歌うことよりも、歌う前に瞑想やヨガをするように、自分のノウハウをもつことです。
〇日常のトレーニングの意識
たとえば今から2週間後に400メートルを泳がないといけないとしたら何を考えますか。
食事のメニューや、毎日何をすればよいかなどについて決めていくでしょう。
その日になって、ぱっとできるとは、絶対に思わないでしょう。
それと同じようなつもりで計画を立て、常日頃から心がけていかないといけません。
○基本のためのトレーニング
姿勢は胸の位置をあげて、おしりの穴をしめ、太股を内側に入れるなどといいます。こういうことは力を働かせるとき、たとえば力仕事で何か重いものを持つときに働く力の方向と共通しています。腰骨が前側に出る感じです。横とか後ろがはっていると、うまく動かなくなってしまいます。リラックスして、上半身を自由に動かせる感じにするのです。
あごや首が前に出ている人が多いのですが、首をまっすぐにすることです。一番よいのはあごをひくことです。自分が思っているよりもあごは出ています。だから胸を上げて引きます。
視線はまっすぐか、少し上ぐらいをみましょう。
この姿勢を保って声を出すというのは、慣れないうちは、けっこうな重労働です。
日頃から姿勢のトレーニングをきちんとやることです。
体を前屈する姿勢で、背中が丸くならないようにまっすぐにしてください。ヨガとか体操やっている人たちはスーッとまっすぐになるのです。
その状態で息を「ハッハッ」と吐くと、横とか後ろが動くという感覚がわかると思います。
それで息を3回吐いて1回休みます。腰の位置を中心に下げ上半身だけ起こします。
そのときに頭が上がらないようにします。
そのまま座ったり、まっすぐ起こしてみたら基本の姿勢になります。
立ち姿勢を保つのは、難しいのです。立つと、自由にできる分だけ、いろんなところが動きやすいからです。
そのときに気をつけてほしいのは、息を吐くときに腰の横とか後ろが少しでも結びついて動いていくようにするということです。そこで、体の強化のトレーニングになります。
体を曲げた形で声でとったときに、首から上に安易に響いていないようにしましょう。
最終的には響いてくるのがよいですが、まず胸にきちんと入っていないと、のどなど、いろいろなところが邪魔してしまうのです。
それならば一時、上を使わず、それで声を出してみることを試みるのです。無理に上に響かせようとすると、のどに負担がきて、のどがせまくなってしまいます。
発声というのは、のどをあけることを覚えていきます。あくまで声をだすときに、のどに力が部分的に入らないということです。
素振りは、腰が中心です。そこから余計なところに力が入らないようにフォームを整えていきます。負担を全身で受け止めて体の中心でコントロールできるようにします。
歌の場合も同じです。ひびきだけに頼ると、大体の人は先にのどをしめてしまうわけです。
だから、ある時期まで肩から上はない、首もついていないとイメージしてみるのも、よい方法です。
首が太くて体にめりこんでいるような歌手がいますが、ああいう感じで、のどとか首がないという意識になればよいのです。
体の中心に声があるのだと感じてください。腹話術みたいに出してみます。
「アエイオウ」でもよいでしょう。
歌にはならなくても、声のチェックとしてはとてもわかりやすいからです。
発声を肩から下で二度まとめるという感覚でとらえます。
「ハイララ」と、胸に声があるという考えです。胸の中心に口があるとイメージします。腰に支えがあって、そこからの力で胸から出ているとします。すると、体の使い方がとてもコンパクトになります。
体を使うということも、このように一体になって声が出ているということから、体を使っていくことになるわけです。ほとんどの人は、胸が動いて、のどから声出ているわけです。これはよくないです。
これらのことばは、あくまでイメージです。イメージですから実際の医学(解剖学)上、のどが開くということではありません。そういうものを会得してきた人がみんな体で声を出すとかのどで使わないとか、そういうことばをいっているのですから、練習のプロセスでは、そのイメージの方がよいと思えばよいわけです。
体を曲げて、そこで「ハイ」と、それだけやってみてください。1年くらいは、出た声よりも声を出すときの条件、息がコントロールできる、深くなっている、体がそういうふうに変わっていることが成果だと思ってください。実際、歌がうまくなるというのは後の問題です。今まで使っていない部分の体を鍛え、コントロールすれば、もっと使えるはずの全身を、早く歌にしたり、ことばにしたり、声にすることで限定してしまっている人が多いのです。最初にやるのは、それをはずすことです。試合ばかりやりたがる人はあとで伸びません。
子供の頃、大声で「わー」と叫べたのに、大人になるとそれをまったく出せなくなってしまうのを、このようにして、戻していきます。1音でもよいからそこで「ハイ」と体からいえるのだったら、それを1オクターブまでひろげてからやるのが歌というぐらいに、発想を逆にして考えてみましょう。
そして、確実にシャウトできるように、しかもそのときにのどを使わなくてもできるようにしていきましょう。
それに対応できる体を、何年でもかけてでも、つくっていけばよいのです。
するとそのときに息も深くなり、呼吸機能も伴ってきます。そして、体の条件が整ってきます。
声を出すことで体をつくっていきます。あるいは息を出すことで体をつくっていくのです。
最初は、声と体は結びつかないでしょう。ところが体というのは絶対に間違ってはいないわけです。間違っていたら生きていないでしょう。息も狂っていないはずです。息が止まっていたら死んでしまいます。
そうすると、息を声にするところから狂うわけです。きちんと声をとれないのは、息が浅いからです。
息を声にすることを「声たて」といいます。何も用意しないで、いきなり「ハイ」とやってもうまく声がとれないでしょう。それがプロの声に聞こえる人はほとんどいないでしょう。
しかし、プロは無意識のなかで、その声を用意しているわけですから、その状態をつくっているわけです。
その条件を備えていくのです。理屈で覚えるよりも、体とか息がもっと強くなればしぜんにできていくのです。
それを早めるためにトレーニングをします。
今のロックの歌い方は、「ウ」「イ」なども浅い発声に限定され、発音も不明瞭です。音は届いて出ているようにも思えますが、そこで音量もでなくなるように押しつけて固めてしまうのです。
歌はそうなりやすい傾向がありますから、それを1回、素直な声になるところまで戻して行うことです。
体を曲げて「ハイ」といってください。あまり響きをつけなくてもよいです。
「ドレミ」と上がっていくほど体がいるというぐらいに考えてください。
深い音色がないのは、そういうことをやってこなかっただけです。
体が使えないのではありません。体が使えたら出るのです。
音がかすれていたら、すべてよくないということではありません。
それがしっかりとした息になっていたら、変に響かせて出ているよりもよいのです。
要は、完全にコントロールできる声なのかどうかということです。
だからイメージを変えてください。
「冷たい」と心から表現できるところで「つめたい」ということです。
ポッブスで使える声か、使えない声かという判断基準は、表現に耐えうるかどうかです。
それを100回やって狂わないということです。
少しでものどを痛めるように無理にやっていたら、必ず狂ってきます。
日本でブルースなどを歌っている人たちのなかには、のどをつぶしてやっている人もたくさんいます。
それでは、歌ったあとガラガラになるし、バラードでも声になりにくいでしょう。
状態が戻らないのはよくありません。普通の人並みに声が出ないとしたら大問題でしょう。
向こうの人は同じことを100回やってもできます。
単純に考えていきましょう。「ドレミ」で「ミ」までしかでないとしたら、そこでよいのです。
個人によって、使いやすい声域に差があります。
○最下音声と音の段階
こうしてみると、声のトレーニングを正しく行うには、これまで歌っていた感覚を一度忘れないと難しいでしょう。声を低く下げて一番低い声を、私は「最下音声」といっています。これはしぜんと深い息になっていきます。
このときに、無理に音をとろうとしてしまうと、のどが動いてしまいますから、そのまま音にならなくとも完全に深い息に戻していけばよいわけです。
本当に深い息というのは、そこでは出ません。止まってしまいます。だからその前のとこまでやります。無理に音でとろうとすると、全部のど声になってしまいます。
のどを使うことになってしまうからよくありません。
無理にのどを押しさげていくと、上の響きがさがっていきます。これは胸を押しつけているのでよくありません。
音楽のイメージでいうと、低いと半音の音程の階段がせまいものです。
低いところは狭い幅の階段なのに、高くなるにつれ広がっていくわけです。
なるだけこの差をなくすということです。
たとえば、低いところ、話声域で「ハイハイハイ」(ドレド)のとき低高低というイメージはありません。
同じ音質での「ハイハイハイ」になります。
ところが音が高くなってくると、「ハイハイハイ」(シドシ)とイメージが開いていくのです。
半音あがるごとにきつくなるのです。
体の使い方としては、最初は上にいくほどがんばらないとできません。
体ができていると、がんばらなくてもできるようになってきます。
同じ音色がキープできます。
しかし最初は体をたくさん使わないと同じことができないと考えてください。
そのために音の高さによって、音色を変えないことです。
○プロになるためのトレーニング
プロとアマチュアのメニューに違いはありません。
しかし、アマチュアがプロの人たちと同じレベルになろうとしようとしたら、同じメニューを楽にできるわけがないでしょう。
テニスの試合でも、もしプロとやってアマチュアの方が疲れないですむとしたら、それはまったく試合になっていないわけです。
プロと同じところをプロよりも疲れないで、汗もかかないで歌えるということは、同じレベルでやれていないのです。それゆえに上達していかないということです。
歌の場合、プロが1フレーズ出すのに体を使い、息を使い、精神集中してやっているのに、アマチュアは、声を音とリズムだけ、あてて楽にやれたつもりになっています。
もし同じレベルの表現をするのなら、どこかでそれ以上のことをやらないといけないのです。
体も集中力もプロ以上に必要なのです。
できた人は体にノウハウが宿っていますから、軽くやれているのですが、それをやっていくプロセスのおいては、自分の体をより使うことで鍛え、引き受けていくのです。
トレーニングというのは、プロでなければ、調整トレーニングではなく強化トレーニングをやる必要があります。
つまり、状態でなく条件をつくっていくのです。これは、負荷トレーニングになります。
要は、トレーニングは5年、10年と歌ってもできないことを、早くやろうとするのですから、負担がこないとおかしいということです。その負担は、のどでなく体で引き受けます。
もちろん、時間をかけた方が確実にできます。
しかし、スポーツと同じで1週間に1回やってみてもしかたないわけです。
毎日毎日、体にたたき込んでいかないと変わらないのです。体は毎日やってこそ出てくる相乗効果があります。
だから区切りをつけながらも2年間たってどこまでいったかを知り、次の2年間の目的を定めます。
だらだらとやらず、けじめをつけていくことです。
音楽を聞きながら、頭の中声でのイメージを変えて、それで思いっきり声が出せるようにしていくことです。目的は、その感覚と体をつけていくことです。体は待つしかないわけです。
それはやっただけできるところですから、必ずやっていきましょう。
それをやらないと先にいけないのです。
トレーニングですから、やらない限りできていかないわけです。やっていると量が質になります。
もちろん感覚が磨かれてからのことです。
〇メロディ処理
「つめたい」ということばを思いっきり体からいってみてください。
自分の声を出すことばかりでなく、他の人を聞きましょう。それはとてもよい勉強です。
「つめたい」というのが1つで聞こえてきたら、体に入ってきているわけです。
早口ことばのようなトレーニングを最初からしない方がよいというのは、声と体を切りはなす傾向があるからです。声がないのに「つめたい」と口先でつくると体が動いてこなくなります。
声をことばにしたら、今度はことばを音にします。そして、少しずつ音楽の世界に入ってきます。
そうなったときにも、ことばで出していた表現を殺してはいけません。
「冷たい」といえていたのが、「つめたい」となると死んでしまうわけです。「つめたい」といっているところが歌う結果、ことばでの表現が死んで、そのかわり何も遮る要素がそこに入ってこないなら、歌わないで語っていた方がよいでしょう。音楽のもつ表現力は、ことば、つまり国や民族を超えるものです。もっとパワーアップしなくてはなりません。
音楽によって助けられるのでなく、まずことばをきちんとより伝えられなくてはいけません。声よりもことば、ことばより音楽の方が仕事量が大きいということです。
それだけ体と精神とを使わないと、同じ時間内で表現力をキープできないのです。
音程も、リズムも伴ってついてきます。いろいろな要素が入ってきます。
それを1回全部体で引き受けて、きちんとだしていく上に音の変化、流れをどうつくっていくかということです。
セリフも同じだと思います。
「つめたい」(レミファミ)というところに、メロディをレミファミとつつけると、音を伸ばし置き換えて、それから高くとる人が多くなります。この条件を全部いれるから、難しくなってしまうのです。
ですから、なるだけ1つの条件だけしか変えないことです。寸法(長さ)も変えない、声の強さとか大きさも音域も変えないようにします。「つめたい」に対して、まずメロディだけおいて「つめたい」を1つでとらえることからです。体を使って「つめたい」といい切ります。
自分で好きにキーを定めてください。それが歌になると自由度が増えます。どのように「つめたい」と歌ってよいのです。もちろん、そこでのセンスのよしあしの判断はあります。
それを最大限、人に伝えるために、歌のなかでいろんなことをやるのです。10の体の力があって、それをもとにして、力を抜いてうまく発してもうまくいかないのは、この10を30や50にしてやらずに、配分していくからです、
そんなに分散させたらできるわけはないのです。
まず、同じ質量での表現ができたら次のことをやればよいわけです。
たとえば1つの音(ド)で「ハイ」といえるとします。
「ハイハイハイ」(ド、#ドレ)、この3つぐらいは、そろうとします。
それを「あなたのあいが」と日本語の感覚を離れてことばを音として発するわけです。
「ターターター」という音に対して、「あなたのあいが」で1つです。
これは、この3つで1つの感覚の上に、3つに分けておいているわけです。
「ラーラーラー」の音色は変わってはいけないということです。
「ラー」「ラー」「ラー」となると、つながらなくなってしまうわけです。
「ハイラーラー」という基本で、音楽に使われることを放さないことです。
歌と声との結びつきをきちんとしておかないと、いくら声楽をやって歌っても発声だけが出てきてしまうわけです。それでは歌になりませんから、こういう結びつきをきちんとキープしておくことです。
それから、体と息と声を結びつけて行うことです。
その上で響きとか高音にいくのです。
同時にここを徹底してやるのに、2年、本当は5年でもかけてほしいところです。このレベルを満たさず歌ってしまうと、普通の人の場合は大体それてしまいます。
「ハイラー」も、腹話術のように考えてください。
音の感覚とポジショニングと体の使い方を勉強することです。
○オリジナルのフレーズトレーニング
日本人の男性であれば、ドからのドまでの1オクターブは、同じポジションでもつように勧めています。
女性は、もう2音ぐらい低くてもよいと思います。
ところが大体の人は、すぐに「ドレミファソ~」と上に響かし抜いていくとり方をするわけです。そうしたらもう2、3音であごが出て、あてないと歌えなくなると決まってきます。
こういうとり方をして、誰もが同じ声とフレーズになってしまうのです。
日本人の歌い手が、一人ひとり声質は違うのに、歌うと同じようなフレーズになって似た歌い回しになるのは、他人のを聞いてそれにあわせようとしているからです。それは自分の体を読み込みにいっていないわけです。
それでも、どうにかこなせる人は、そのまま10代でデビューすればよいでしょう。
しかし、一般には無理がでるだけで、やがて伸びなくなります。
また、そのレベルで普通の人が歌えてもデビューできないでしょう。
昔だと歌い手というのは、耳もよいし声もでる人でしたから、聞いていたら、うまくなっていたのです。
一流の人の歌を聞いてください。
たとえば、演歌は、日本語をきれいに処理している感じにつくります。ただ、体から歌う人は少なくなりました。
北島三郎さんとか細川たかしさんなどは、顔にも響きます。森進一さんは、声量はなくとも声質からいうとブラックゴスペルに近いような歌い方です。
声が出ていなくとも、完全に声と息をコントロールして、声ではなくて息で聞かせられる、日本では数少ない歌い手です。
日本人のプロの場合、ヒットの1曲はともかく、ほかの曲は、雑な場合が多いです。
大体、1番の出だしのテンションが2番の頭までにもたなくなっています。
デビューしてしまうと、そこをピークにだめになってしまう人も多いようです。売れ行きでなく、歌唱力のことです。それは、インパクトとバワーをキープしないため体の支えが崩れてしまうからです。
レッスンに使っているものは、古い曲が多いです。昭和30年ぐらいから40年代ぐらいの歌が多いです。弘田三枝子さんとか梓みちよさん、今陽子さんなども歌唱力があります。
こういうのは、ボリュームを大きくして聞くとわかります。
「二人でお酒を」のところも、大きなフレーズを使っています。体が入って息が入って、しかも日本語が処理できているのです。そういうところこそ勉強になる部分です。
「わたしはしっている」(ドレドミファソランド)
これで半オクターブです。これが表現できたら半オクターブできたということです。このことに2年間かけてもよいのです。歌うということのための基本デッサンです。
誰でも1オクターブならみんなとれるのですが、下のドと上のドを同じところでとるとなると違ってきます。
歌になるかどうかは、マイクが入って伴奏が入り、その人の雰囲気にもよります。ほとんど日本人の場合は、基本的な声の使い方ができていない上に歌にしているのです。歌の力にもいろいろとあるからです。
ここは先述した通りトレーニングをやった分、伸びていくという共通のものにおとしてやっています。素質があったり、教え方に合う人は伸びて、そうではない人は伸びないというやり方は誰にでも通用しません。そのためには、体のところからトレーニングをしていくことが基本です。
日本人でも、千回も2千回も正しく歌っているとそうなってくるはずですが、声の芯と深い息が欠けているため、声の制限内でまとめることにたけてしまうので、うまくなりません。
原因のひとつは、声を高くすることを急ぐからです。
声を体に練り込んで、ましてや動かそうとトレーニングしていたら上達します。役者でも素質がある人は、必ず深い声ができてくるのです。音楽的にとらえるまえに、声でとらえていくところで、その基本の条件をよほどしっかりともっていないと、歌のレベルで使える声はできないのです。日本では政治家やエアロビのインストラクターの声も悪いでしょう。きちんと使い方を知らないと荒らしてしまうのです。
「ひとりっきりでいたから」を「ターアァーターアァー」という感じでとらえてください。そこでことばをどう動かしても構いません。音声処理をしてそこで基本だけでも通用するようにしたいものです。トランペットも「ターアァー」というところで、音色をどういれるかということが表現です。それは楽器の完成度と楽器の使い方によります。楽器をやっている人はそういう感覚があるのですが、日本のヴォーカリストは声が楽器の音という感覚があまりないようです。
楽器をやるように、「ピーイィー」という音色をどう展開させるかというところに一番凝ってください。演奏家であれば、音がとれているとかとれていないとか、そんな次元でのことではないのです。表現ということでは、これは最低限の要素です。
そういうことを解決するためには、基本的なこととして、「ハイハイハイハイハイハイ」の声さえ、そろっていないとできないというのはあたりまえです。
「ながいあいだひとりで」は役者でベテランなら、「ながいあいだひとりで」と体からことばでいえるようになります。そのように体からとらえた方が早いとは思うのです。
「ながいあいだひとりで」(ミミミミソファファ)は3つの音の流れのなかにあります。「ひとりっきりでいたから」レレレレファミミ〉を続け、「しぬほどさびしくて」(ソソソソシララ)までいえたら、半オクターブだから、この半オクターブは卒業です。簡単そうでも難しいのはここです。
○判断する
ことばにメロディをつけてやってみましょう。「ながいあいだひとりで」といってください。音程よりも表現を失わないことです。音程やリズムは、耳の問題ですが、そのまえに体の問題が大きいのです。
感覚とリズムがそれだけ入っていないとすぐに動かせないのです。これは音程練習やったり楽譜が読めたら解決することではありません。音を正しく声におきかえることは楽譜を読んでいったらできるとしても、これでは歌ではないのです。
基本の勉強も早いうちに表現から入りましょう。体を使う表現というと、難しいようですが、日常の生活でも何かを強く伝えないといけないときは、体を使っているわけです。
子供が「おかあさーん」といったときには、どこかに強アクセントとフレーズがついて、たとえのど声になっていても息がかよって、体が働いているはずです。だから人々が振り返るでしょう。
しかし、10回同じことはできないし、3分間もたせるだけの力はないのです。それをトレーニングで可能にしていくのです。
少なくとも、まず一瞬そのことができることが大切です。子どもの叫びにも劣ってしまう歌は一体何なのだというふうに考えてください。
体や息というのは表現である限り、自分から離してはいけないのです。バンドがついて爽やかであるというのは、それでよいと思うのですが、歌の世界の基本というのは、「ながいあいだひとりで」といったとき、これを音色でどう動かしていくかということです。
基本でいうと、伝えることの要素が体にどのぐらい入っているかということです。特にトレーニングの時期においては、それが歌としての完成度はなくてもよいわけです。要は、小さくまとまっていかない方がよいということです。
歌はまとまらないといけないのですが、基本のトレーニングでは、小さくまとめて動かなくなっていくのでなく、あとでいろいろなものが入る器をつくることです。あとでいろいろな可能性が出てくるように、なるだけ大きく作っておくという方が大切です。
「ながいあいだひとりで」とは、マイクをつけたら誰でも歌えるわけです。ただ、それでは将来性がないのです。それを細かくしてまとめていくことはできますが、本場のヴォーカリストの前で歌ったら、パワーという問題だけでも番外でしょう。体を使って、体と一致しているかということが中心にないと伝わりません。
これを応用して、ヴォーカリストのフレーズからとって勉強しましょう。
こういう勉強法はどんどん自分でやれるはずです。
声の芯というのは声のポジションのことで、感覚で動かせる声を正しくとることです。
「声の芯と響きの関係」は、声の芯というのは「ハイ」が声の芯で、「ラーラー」が響きます。イタリア語などの音楽的なことばでは、このような感覚でそのまま歌に入っていけるのです。
ラップも、音色をリズムという強弱だけで動かしていくのです。ラップをトレーニングするのもよい方法です。
「声の抵抗をもつ」というのは、声立てのときのイメージです。浅い息がひろがるのが、日本人の歌の悪いところです。向こうの人の歌のあとに、日本人の歌っているのを聞いたら、浅く軽い響きなのですぐわかると思います。低音部が欠落しているのです。
日本語というのは語尾が伸ばせないので、ばっと切れません。外国人が話しているみたいに、ぱっと入ってぱっときるというような感覚が元々、日本語にはないのです。語尾を「ひとりで」と浮かしてしまうのが特色だからです。浮かしてしまうがために、次に「ひとりっきり」と入りにくくなるわけです。むこうの人たちは絶対それを息からはずさないのです。これは、言語の感覚からの音楽的処理との違いです。
「ハイ ララ」で、「ラ」というのも、「ハイ」とを同じポジションにきちんと戻します。レガートには、「ガギグケゴ」を使います。これは比較的、深くとりやすいからです。
「ラララララ」の「ラ」を深い位置でいえる日本人は少ないものです。のどが働いてしまいます。それに対して「ハイ」とか「ガゲゴ」は、胸に入りやすいから使っています。
「カ」「サ」「タ」行はやりにくいようですが、個人差もあります。
○歌と声
プロヴォーカリストと同じ土俵でチェックするには、見本によいヴォーカリストの作品を選ぶことです。
「あおい」でも、「タクシー」でも、30分間くりかえすなど、同じことをやってみればよいでしょう。
そのときに見本の歌の高さにあわせるのではなく、自分が一番出しやすいキーで出します。
それができたらあげていくのです。
のどをしめるようになったらやめます。そこはできていないから待つしかありません。そこでできないことばかりが問題だと思ってやってしまうから変な発声を覚えてしまうのです。くせをつけて歌っているのばかりを聞くと、自分の正しい声もわからなくなるのです。
最初は音域よりは声量重視です。声量や音色が半オクターブでもきちんとできたら、歌う音域は1オクターブ半くらいになるでしょう。音域だけをいくら1オクターブ半、2オクターブにしても、音量や音色がだせなかったらプロのレベルで歌えないのです。ピッチャーでいうと、声量はスピード、声域はコントロールです。
声量というのは大きく出せばよいということではなく、きちんと声の芯をつかみ、音色を動かせるということです。
基本の力は繰り返しによってつけていくしかありません。これがなかなかできないのは、できていないのに先にいってしまうからです。最初のメニューだけで3、4年やる必要があるのです。基本から地道にやっていこうとするなら、時間をかけてそのやり方のほうが早いし、確実だということです。
1年たったら体がそれだけ強くなり2年たったらそれだけ息も吐けるし、腰の力も強くなるということで、何か新しいことができる可能性が広がるからです。
声の足りないところでいくらレパートリーをもっていても、それは深まってこないで、変なくせが余計についてしまったり、おかしな響かせ方をしてしまうだけでしょう。
オールディーズ、カンツォーネ、シャソン、ラテン、ゴスペルを聞いたら、ヴォーカリストというのは声があってこそヴォーカリストということはわかると思います。クラシックでも同じです。
今の日本の状況、特にここ10年の状況はとても偏っています。タレントを歌わせて、ヴォーカリストと考えているようです。みなさんがそういう方向でなく、自分のヴォーカリスト像を研究、研鑽していこうとするなら、研究所もお役に立てると思います。ここがそういう人たちが集まって、そういうことをやるところだからです。
タレント志向でデビューしようととか、プロダクションに入ろうとすると、宝くじに当たるみたいな可能性になってしまいます。というのはトレーニングできちんと差をつけられるものは、人前で壁を出せるのですが、そうではなく得たものというのは運みたいなものです。ルックスがよいとか時流にのっているというのも、デビューできてもそれで終わりです。もともと伝えるべきものとその手段としての技術がない限り伝わらないのです。
日本のヴォーカリストはそういう活動なので海外に対しても通じていません。私は20年、30年たったときに消えてしまうようなものはあまり意味を認めないし、興味もないのです。基本のあることの上にしか芸は成り立ちません。
タレントさんとやれば宣伝できるといわれますが、きちんとした声で歌ってもらわないと、恥を出すことになります。そういう人たちは器用ですから、声にそこまで時間をかけてくれません。それがなくともやれるからです。
それなら本当に声の力を求める人とやっていった方がよいでしょう。
歌である限り、私は時間も空間も超えないと意味ないと思います。10年どころか1、2年ぐらいで消費されてしまうもののくり返しは、自分の人生でも無駄だと思っているからやらないということです。
タレントさんは、その時流でうまく使われ消費されていけばよいと思うのです。しかし、一人の人生からいうと、声や歌は一生抱えていかないといけないものです。いろいろといじられて変になるより、自分できちんとやりたいことをやって、自分の体や声を変えて、それを財産にしていくことです。それは決して誰にも奪われることはありません。
ここは歌を歌うこと、ロックをやること、バンド組むこと、ステージに出ることそんなことも原点から疑っています。基本をやるためには自分への考証が不可欠です。何で今でも30年前にできたバンドの組成で歌わないといけないのでしょうか。それのどこがポップスでロックなのでしょう。
時代も違うでしょう。新しいことをやりましょう。その新しいことを、自らプロデュースしていくことです。
きちんとしたプロの技術を宿している人たちが表現できるところをつくろうと思います。従来にないものをやろうとすると、普通の人が黙りこくってしまうぐらいの完成度や勢いがないと、通じません。そういう新しいものが外圧や肩書き大好きのこの国で理解されていくためには、まだ、相当時間がかかると思っています。
(参考)
声 呼吸 体
音 音楽 感覚
音 1音 音色 変化 音量
歌 連続性 フレーズ 流れ 声域
(2音以上)
(以下略)
〇外国のプロは生涯ヴォイストレーニングをする
○同じパターン、声でしか歌えないのなら何曲やってもムダ
○プロのレベルの低さ、プロの音色を聞く
○仲代達矢の声について