一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン録 8592字 973

レッスン録

 

レッスン1

いつもトレーナー方から、報告をもらっています。

特に初めてのクラスの人からあがっている問題には、一つずつ答えていくつもりです。

 

 

たとえば、「発声を身につけるよい方法」や、「声をきちんと出すためにはどうすればよいのか」とか、「声がきちんと出ているかわかりません」などの質問が多いのですが、答えに困ります。

スクールなら私の本で読んだようなことを話して満足してもらえるでしょう。

しかし、それは答えではありません。

 

質問することはよいと思うのですが、「1回、2回のレッスンでうまくなろうという考えなのでしょうか」という疑問がくるような質問はあまり意味がありません。

こういうところに入ってからやるというときには、頭で考えてはよくないのです。

何のために本を読んだり、理屈を考えるかといったら、雑念や知識を捨てるためにあるのです。

人は何をするにもいろいろなことを妄想します。何も知らないと考えてしまうのです。

しかも一人よがりに考えるから必ず間違えます。

 

たとえば、皆ができないことでトレーナー方ができることは、自分は何できないのかと考え、きっと技術や方法を知らないからと思うのです。「だから、どうすればよいのですか」となるのです。

そんなことではありません。

歌は、シンプルなものです。聞いた歌も1オクターブしかありません。誰でも1オクターブの声は出るはずです。

 

 

頭からはいることも、形からはいることも構いません。

ここで本を渡すのは、全部覚えて、全部捨てなさいというような意味です。

人間は計算が働いている限り、何もできません。

スポーツをやってきた人は、どの程度やってきたかにもよりますが、わかると思います。

 

頭で考えたことというのは、分析することです。高いレベルにおいて調整する場合に、どこが原因なのかということを考えてみて、それに対して分析し、それをカパーする。

正しいことができた人が、それを正しく使えないときには、何か勘違いしてしまったり、余計な本を読んだり、先生について余計なことを教わったりしたときには、誤りですから、調整で戻すことができます。

何が正しいのか、正しくないのかをいつもいっています。

 

ところが、その条件がない場合、そんなことをやれた感覚もないし、その体もない。そのときには、正しい、正しくないということは通じないのです。

プロの野球で、バッティングフォームがどうこうということを、少年野球を半年や1年くらいの始めたばかりの子に、そこで正しいとか正しくないといわれても、わかるはずがないのです。

別に間違っていません。間違ってはいませんが、どんなに正しくやってもまったく通用はしません。本当のことをいったら、正しいも正しくないもなく通用しないということなのです。

 

 

頭で考えてしまうと、そこから、悪い方向にしかいきません。

あなた方のコミュニケーションでは、お互いに「あなたの、ここが悪いから、こうすればよいのではないか」とかいえる関係にはなっていないからです。音楽の話題になっていれば、まだよいでしょう。よくないのをほめあっているなら、それは研究所ではありません。

 

レッスンに関してことばで分析していくようなことをやるために、本質からどんどん遠ざかっていきます。

レッスンの評論家気どりは、悪い学び方です。頭ばかりでかくなって、実際やれといっても、何もできなくなり、ただ、長くいるだけになるのです

 

皆の先輩にも、たくさん、その手の人はいます。作品で示せないから、いろいろあってもよいのです。

でも、やはりそういうことのわからない人は、もちません。ぐちるのです。

私は、その人のためにそういう仲間に入らないほうがよいといっているだけです。

別に人間のなかでやっていくことですから、人間に対して何を働きかけるかということで捉えていったほうがわかりやすいのです。

 

 

一番まずいのは、おしゃべりで勇気づくということでやれていない人がやっていないのを知り、あの人もやっていないから、少しはやっている自分もなんとかなると思っているのです。どんぐりから抜け出すべきところで、長くどんぐりであるための群れをつくっているのです。あなたの意欲や練習に誰もついてこれなくなって、ようやくスタートラインなのに何をやっているのでしょう。

 

とにかく、本当に考えて欲しいことは、変わるということは、感覚を変えることで、これは条件を変えることでしかできないのです。これには、時間がかかります。ただ、感覚というものは、時間ばかりかけてもだめです。そのことをきちんと心で感じて、受け止めるということをやらなければいけません。発声法とかの問題ではありません。

 

たとえば、今の人の歌を聞いて「何か共通するな」というものから学ぶより、ジャズやゴスペル音楽よりも、カンツォーネなどは、共通しているという面では、わかりやすいはずです。その共通しているところがあって、それができないのをきちんと認めることからです。

 

 

その感覚がないのか、それに対する条件がないのか、できていかないときは、よく考えていくのです。

条件がない場合はしかたありません。腹筋したり、腕立てしたり、息吐きをしたりして、整えていくしかありません。体は、やった人はどんどん有利になっていきます。

 

もう一つ、感覚を出すためには、その状態を出さなければいけません。自分で感じもしないのに、自分にその感覚もない人が、体がどんどん強くなったからといって歌が出てくるわけではありません。

呼吸くらいだったら、インターハイや国体に行ったレベルのスポーツやっている人だったら、相当にできます。声楽家がやっているよりも、よほど強いものを持っているでしょう。

でも、その状態に、はいらなければいけませんし、声で音楽を奏でなくてはなりません。

 

スポーツの状態と、ある意味では似ていても、歌をやっていくとなると楽器が違います。

体操をやる人が、水泳がうまいわけではないということと同じように、それに特化した目的に対応する感覚や体があるのです。

その状態をつくりこまなければいけません。心もです。

 

 

ある意味では、基本トレーニングを繰り返していったら、何か知らないけれども、徐々に上達していって、歌がうまくなるとか、声が出てきたら歌がうまくなるとか考えるのでなく、まったく逆のアプローチが必要です。

それが考え方です。

本当のもの、一流のものと共通のものを自分で感じていて、それが声として出した瞬間、自分から歌が出るか出ないかということです。

 

ここの2年間のレッスンというのは、何か月やったとでは関係ありません。

一瞬をつかめるかどうかなのです。

2年経った後に、その一瞬を確実に出せることをやっていくかということで、そこで並みの人とは違ってくるのです。

並の人間で、並の感覚でしかない人でも、それだけのものをいれていったら、違ってきます。

 

速いものばかり聞いていたら、普通のスピードがゆっくりに聞こえてきます。感覚というのは、そういうものです。自動車も自転車に乗っていれば、速いと思いますが、新幹線に乗っていれば遅いと感じるように相対的なものです。この相対的な中で作っていくしかないのです。

質問を先生方にすることはとてもよいことです。ただ、ことばのやりとりで終ってしまわないことです。それでは何の意味がありません。

 

 

チェックできることもあります。たとえば、音程だけをチェックする、リズムだけをチェックするとかいうことが、あたりまえの並レベルにできていない場合は、あたりまえまでチェックすることはできます。

しかし、そこに自分のリズムを作っていくとか、音の感覚をつくっていくというのは、感覚の勝負です。

ここに出せない限りしかたありません。

 

何もできないからだめということではなく、ある意味、簡単なものなのです。

簡単にやらないと、難しくなって、できません。

そのために、簡単なことができるような感覚と、簡単なことがすぐできる体を宿すことしかありません。

それは頭のなかでやっていても仕方がないということです。

 

作品のなかに、2年どころか、6年、10年やっていけるすべてのものが、はいっています。それを感じられるようになることです。すぐに、感じられるわけではありません。「古い歌だな」「こんな歌い方は、したくない」「重々しいな」「つまらないな」と思うかもしれません。でも、声のことを勉強しようとするのだったら、世界で認められたものを無条件で認めましょう。

 

 

その声のなかに何の共通の要素がはいっているのかを感じてください。

欧米のものが多いですが、南米やアフリカのものもあり、国も違います。こういうものが、ポピュラーのなかで、その国を代表して通じています。

人間の体も同じです。

 

日本のものを区別しようとは思いませんが、結局、日本のやりかたでやって、日本のロックでやれている人はよいのですが、そうでない場合は、一段下がったほうがやりやすいということです。

人間の体のところまで突きつめていったほうが、楽だということです。

 

今の歌い方で、JPOPのなかですぐれたものにするというのだったら、それはそれで認めます。

こうやっているものでも、そこからそれている人から見ると、プロは、ある意味だとすぐれています。

ちょっと違うように見えても、かなりすぐれているわけです。それをまねできるかというと、難しいところはあります。

 

 

演歌などもそうです。ベースのものがあって、それを上に響かせてみたり、演歌っぽい処理をするというところは、要はできる範囲が大きくなってくると、近いこともできるようになります。しかし、本質はまねられないところにあり、それは自分のものをおくしかないのです。

 

若いうちからこういうことが、ぱっとできてしまう人もいるのです。そのときにどちらをとるかといったら、まず、場でやればよいのです。ぱっとできなければ、器を大きくして違うこともできるようにしておいて、そのこともできるようにしていくことです。

 

 

基本のトレーニングはそれをやっていく上でできないところからやります。たとえば100人はいってきて、1人には効果があり、99人には効果がないというやり方は、とれません。

効果があるやり方は、聞くことからやります。それを感じることをやらなければいけません。

心のなかで組み替えることが必要です。

 

プロが歌ったときに、原曲とはまったく違うものになるのです。しかし原曲のよさは全てどこかに残している。深い理解が必要です。その組み替えるものがその人のなかにはいっていないとできません。それが感覚です。

似たように歌っている人とはまったく違います。

組み替えたものを瞬時に出せる体が必要条件です。あまりバラバラに考えてもしかたありません。

 

ある意味では、上に立つしかないのです。その状態が作れない。

それは、条件がつくれないからです。

条件には時間が必要ですが、状態だけでもできることがあります。

 

 

音楽を大きくかけて、聞くのは、音から体を捉えるためです。

家ではそんなに大きな音では聞けないからでしょう。

音楽をかけて、その状態のときに、ここにでてきたら、一歩、前進です。

 

一瞬でも近いことができる。それでよいのです。

あとは、それをなんとか3分間、もたせる。そのことが大変なのです。

下からくみ上げていってできていく世界ではありません。

 

1曲歌って、わずか一瞬でも誰をも振り向かせようというところからです。

その次元の以下のもので何をやっていても意味がありません。

サッカーの練習で、ボールの行ったところに皆で追いかけていくようなサッカーを何年やっても勝てないことと同じです。どこで見るかということです。

 

 

ここでやっていることは、いろいろと分類しています。

ここは、スタンダードなポピュラーのものや外国で有名なものばかり使っていません。

 

自分で借りられるのは、自分で借りて自分で見ておくことは、勉強していく人にとって、絶対的な条件です。

ここで接するものが、せいぜい10分の1くらいになるように10分の9です。

見ていかなければいけません。

 

ここで接するのは、私が何万曲から選んでいるものです。

毎月、私は100枚ほどのCDを聞きますが、そのなかの1枚なのです。

それだけでも、ここは、10倍以上の価値があると思います。

 

 

まず、接点をつけることです。いつもレッスンでやっていることは、たった、1ヶ所、1フレーズです。

1フレーズから接点をつけるには、そのときに全てわかっていなければいけません。

こういう人たちのものも最初、全部聞いてもよくわからなくても、どこか1フレーズわかればよいのです。

その深さが大切です。

 

皆がここを出てから、上達していくようになりたいのであれば、この深さをきちんと捉えていってください。

いろいろな人が優秀で、歌を歌うのに伸びないというのは、まわりに対して自分はできると思っているからです。

プロだったら、こういうことができてあたりまえなのです。そこでうぬぼれてしまうと、結局、自分がそこで得ていたもの以上の深さが得られないのです。

 

少なくとも、こういう作品の人たちが持っている条件として共通のものがあるのです。

そこから学ぶべきものは、ものすごくたくさんあるのです。

だからといって、一人勝手にやり始めてしまうと、どんどん浅くなってしまうのです。

客がわかっていないので、ちょっとうまければ何をやってももちます。

そのステージングを上達と思ってしまうのです。

それでは本当の意味で、あるレベルで判断できる大人の心は動かせません。

 

 

徹底して強いものが必要になります。

その強さの部分を1コーラスで接点をつけ、1分間で1オクターブの歌としてもっていくことが必要なのです。1分間で1オクターブなら、誰でも歌えるのです。

そこで何が違うのかをどこかで感じることからです。

 

 

「高い声をとるためのよい方法はどうですか」

よい方法というのではないのです。

武道だったら、いろいろな技があって、1つずつマスターしていって総合的にできてくるのかもしれませんが、ファミコンではありませんから、この技できめるとしても、その技だけを出していくわけではないでしょう。

 

「声がきちんと出ているかどうかがわかりません」

人に聞くのではなく、自分で感じられないといけません。

感じられないとしたら、それは出ていないのか、感じる心がないからです。

 

ヴォーカルというのは、自分で決めていく仕事です。自分で判断していきます。

ただ、少し補助できるというところは、我々がやっています。

適切な材料で気づきやすくしています。

それに対して皆が体を委ねて大きくしてくださいといっていくものではありません。

そういうやり方では、少なくともポップスでは、何もでてきません。おかしくなってしまいます。

24時間自分と一緒にいるのは、自分しかないのです。

 

 

朝こんな調子だったけれども、もう30分くらい練習したら、こういう調子になるとかいうことくらいは自分でわかっていないと、何もできなくなります。

まずは、自分の一番よいところをその日の練習で出すことをがんばってほしいのです。

うまく出ないときにはレッスンにでないでしかたありません。

一番悪いときで通用するようにならなければいけないのです。

その差が最初は大きいと思います。その差を捉えていってください。

 

いつも1フレーズくらいしかやりませんが、歌わせないのではなくて、まず、そこでわからないとどうしようもないからです。歌えるということでは、誰でも歌えるのです。

ただ、それが、ステージとして耐える表現になるかならないかです。

音声だけでステージといっているから難しいのです。

それには、音声だけに対応した耳が必要です。

それから、感覚です。いろいろな発見がありますから、一概に決めないほうがよいと思います。

 

これは、あるヴォーカリストの10代の頃の録音です。

こんな程度では当然ないのですが、これでも通じてしまうのです。

しかし、それをやろうとしたら、とても難しいのです。それが何かということを知っていくことです。

 

 

 

 

レッスン2

 

いろいろな先生に、いろいろなところのレッスンをやってもらっているので、私はそれを統合することにしています。また、世界の新しい情報を入れています。

最近、月に1週間は海外へ行って、観ています。どこへ行っても行くとびっくりさせられるくらいパワーがあります。

 

ここでは、皆さんそれぞれ目的が違いますが、私の基本的な考え方というのは、外で歌って足りないと思った分、トレーニングをしてくださいということです。

キャリアがなくて、ここに入ってきた人の場合でも、練習の仕方は考えるべきだと思います。

長期計画を立てるのにも、二年で基本を捉えていくというのは、どういうことなのかを知ることからです。

 

特に初心者の人にいいたいのは、たとえば野球を最初に始めた頃には、バッティングなどでも数をこなせばこなすほど一時、どんどん悪くなっていくのです。うまい人と、へたな人を踊りでも何でも、比べて見ていたらわかるのは、うまい人はピタッと止まることです。バッティングを例に出していきます。

 

 

基本ができている人というのは、フォームに対してピタッと止まるのです。そして、間や呼吸とします。

まず自分のフォームがあって、出たときにどれだけくずれないかです。

バットが泳いだなどといいますが、ゆらいではいけません。スタンスを自分で変えて、自分のフォームのほうに、持ってこないといけません。

 

そこにコーチがいたらうまい奴を見てこいというでしょう。打ちたいのはわかる、皆さんもここへ来たら歌いたいのはわかります。でも、自分が見えないところでは、ムダ玉しか出ません。

もちろん自分でできることは自分でやれということです。

こういうところに来てやらなくてはいけないのは、まわりにうまい人がいるので、彼らがどう感覚していてどう出しているのかを見ることです。それを自分で握れないことには、そのレベルにいくのでさえどうしようもないのです。

 

フォームも持たずにただバットを振り回すより、まず観ることです。うまい人、ポンポン打っている人がいったいどんな構えをして、どういう感覚、あるいは形でやっているのか、きちんと見るのです。

来るボールにあてるのではなく、素振りをやることから始めます。そのときにうまい人の後ろでまねしてやってみます。それで、何かわかったら、そこに出てやってみるのです。すると、わかったつもりのことがなくなります。

 

 

まったくあたらなくてもよいから、入る前によく見ることです。自分の体の条件で、まわりに左右されないフォームを作っていくことです。そればかりやっていても、よくわからなくなるから結果から問うのです。

この三つを繰り返していくことです。

歌うことより、聞くことが大切なことだと思います。

見るより聞いて、自分が思った以上に音の世界があること、人間の声にいろいろな種類や使い方があることを知り、どれがよいのか、悪いのかをわかっていくことです。

 

ここでかけた曲から何を学べといっているのかを考え、次に自分のフォームで、どう出せばよいのかを考えるから、それをやってみるのが、レッスンです。

それで、瞬時にできているか、できていないかを判断することです。

自分がわからなければ他人のものを判断しましょう。

 

自分はバッターボックスに入って、振って、いくら打っているつもりでも、打てていなければ何もできていないわけです。10バーセント打てても、プロとしてはまったく通じないでしょう。中学生でも野球部の4番なら、かなり打つでしょう。

 

 

音楽や歌というのも、そこまでは誰でもやれるのです。その球はどこまで飛んでいるのか、正しく打てているかどうかさえ最初はわかりません。そういう中からのスタートです。だからもっとしっかりと見ていくことです。

歌い方や、発声や呼吸法と考えると、いつまでかかるかわからないのです。感覚と体を変え、プロのものにしていくことです。

バットを10回くらい振って疲れてしまうというのは、集中力がありません。トレーニングをやりたいために100回も200回も、疲れるためにやっていてはフォームを壊していきます。

 

覚えておくべきことは、正しく学ぶことです。考え方や発声法や歌い方などの固定観念を取り除くことです。小さな子でさえ、音声で人を感動させることができるのに、そのことさえできなくなっている大人というのは、いったいなんだろう、勉強してきたものは、いったい何だったんだろうということから、しっかりと考えましょう。

今やっていることとの接点をつけて、出口と入口をはっきりさせてください。

 

最初に軽く体を動かして課題に入っていきます。私の課題はできるだけ上のクラスと共通させていいます。皆さんのレベルに合わせない方が、何ができていて、何ができていないか、わかりやすいからです。

わからなくとも、わからないからこそ、大切なことがそこにあるのだと思ってください。すぐにわかるような世界は所詮、大したことはありません。

課題の曲を通じて、リズムや音感を学んでください。皆さんに抵抗のある曲もあると思いますが、同じ歌の世界から学べることはたくさんあるのです。

 

 

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