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音信
(前略)
一つひとつが感動し、教育されていると感謝し、実行に少しずつ移しておりましたところ、この度、この福島様の本を手にし拝読致し、感動致しております。
5月27日、手に入れてから毎日、毎日、くり返し読む毎に動悸を覚えるほどでございます。毎日、持ち歩いているバックのなかの手帳にも、大切な言葉を書き込んでございます。
すばらしいどの頁を開けても、どの言葉を見ても、これは本ではない。「宝物」、たった1cmほどの紙綴りの束、定価わずかのpaper綴りが、こんなに人を勇気づけ自信をもたらしてくれる、広範囲にわたっての教えを解りやすく、読みやすく、そして人の心を熱くさせられる、本当に感激でございます。くり返し読み返しております。
早速に感想を、と思っておりながら、日々の雑忙に追われ、今日となってしまいましたが、この素晴らしい宝物をもとに、もっともっと多くの教訓なる福島様の本との出会いを求め、幼いときからの夢が、これからでも達成できたならと心に強い欲望と燃える気持ちを発します。
もう遅いかもしれない。どこまでできるか、何ができるか、今、これまでの年月、眠っていたものを起こし、古いものを脱ぎ捨て、新しい義を求め、義に近づき、信念を曲げず、振り向かず、思いっきり飛び越えて、目標を設定し、乗り越えたい。一度限りの人生、明日はないかもしれませんが、明日への希望を持って、生活していきたいと思います。学歴もなく、文章下手で、よい言葉が出てまいりませんが、大変、恥ずかしながら、とにかく自分なりに感じた心をお伝え致したく、思いのままペンを走らせました。
数多くの方々からのお便りが舞い散り、私のような者の1便は届くでありましょうか。でもきっと、通じていただけること信じております。どうかこれからも益々、多くの人のために、私のような人間のために役立つ著を出版され、社会のため、多くの人のために御活躍なされますことを、心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。
「私は、2年間、がんばりましたので、悔いはないです。発声だけでも学べればよいと思っていたので、考えていた以上に、いろいろなことを吸収させていただきました。今は、満腹に近いです。
でも先生は、もっとたくさんのことを教えてくれようとしていたようで、先生には悪いことをしました。それから、生徒に賭ける先生の思いというのは初めからしっかりとわかっています。安心してください。
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先生のステージは素晴らしかったです。淚が出ました。
テレビで見る日本人アーティストのステージがとても陳腐に思えました。
先日、何気なくNHKの番組をみていたら、歌のトレーニングに共通して考えられるようなことをいっていた。大脳と小脳について。大脳で繰り返し、繰り返しやったことは、頭のなかでイメージ化されて、集中していることなどは、眠っているときにも脳は考えている。そうしていくうちに、小脳に移っていく。そうすると体が勝手に動くような感じになる。簡単にいうと、こういうことなのだけど、こういうことというのは、トレーニングを毎日続けていくうちに体ができて、いつでもその動きができるようになるのと同じことなんだと思った。そして、こういうことは、毎日やることが大切で、12時間集中してやるとよいということだ。あまりやりすぎると、かえってストレスになってしまうらしい。それも、福島先生の本に書いてあることと同じである。
ジェイムスブラウンライブ、1階は、オールスタンディングで、始まるまで少々長くして2階にしとけばよかったと思った。前座の女の人がジャニス・ジョプリンの“ベンツが欲しい”などを歌っていたが、声のパワー体からあふれるダイナミズム、躍動というか、というこり迫力。J.Bは、四捨五入して70とは、とても思えない衰えを知らないパワーで、一流というのは40年、50年とやっていけるものだと感じた。このベテラン陣は、さながら劇団のという感じで、構成もパターンがあるらしく、きっとラスベガスのディナーショーでも同じ運びをしているだろうと思た。昔のスターは、名前そのものが呪文のようで、専属のMCの人も来て盛り上げる。立派な体つきに派手な衣装。アーティストというよりもエンターティナーなJB一座は好きだ(自分が所詮、コンサート育ちでないことに一抹の淋しさを覚えなくもなかったが)。
学びの状況「ことばを一つに握る(一つにする)」ということについてトレーナーのレッスンでは頻繁に扱われているこのテーマ。どういうことなのかよくわからなかったので、練習中はとりあえず、「浅い息を使わない」、「喉をしめない」ということだけはどんなときも気をつけ離さないでおこうと思ってやっていた。その2つ以外の基準とは何なのだろうというのが、課題だった。
あるレッスンで、クイーンの「てをとりあって」という歌の―「When I’m gone,no need to wonder if I ever think of you. The same wind blows.」という部分を使ってフレーズを回したことがあり(そのときのテーマも、一つにするということだった)、そのとき先生は「この歌詞の意味わかりますか。普通のテンションじゃ入れませんよ」とおっしゃったので、「一つにすることには、感情の大きな伴いが必要なのかな」と思っていたら、一ヵ月後のレッスンで、またある曲で歌詞のテーマが死についての部分を使ってフレーズを回していたときに、先生は「死についての曲ですが、だからといって悲しそうな感情をフィードバックして歌おうとしたりするところに、そもそもの間違いが生じるんですよ。私だって死が自分に差し迫った経験なんて特にないんですよ」とおっしゃったので、「んんんん~、1ヵ月考えていたことは、的はずれていたのかな〜」等と悩んだりしていた。
リットーミュージックの赤本の「ことばのトレーニング」を録音をかけながら繰り返していた(ちなみに録音で「私たわしを乾かしたわの部分が“私、私を乾かしたわ”になっていますよ。気持ちはわかる。)そんなことを繰り返しているうちに、ある日突然、前述の2つの基準の他に、新しい基準を見出すことができた。それは、ことばではうまく表現できないのだが「自分の体から出ているのが感じられないような声(第三者がだしているというか、どこにも引っ掛からないというか)」であり、「一つのフレーズを歌っている間は、筆の汁はすずりでつけかえない(なんじゃそりゃ)」というようなものである。特に後者に関しては、感覚がはっきりしてこなくなったときは、口笛を吹いてみるとはっきりする気がする。一フレーズを一気に書いた口笛と、音の高低に合わせて一回一回風をつけかえた口笛(口の形とかで高さを調整する口笛)は、如実な違いがある(トレーナーがレッスンで使用されていたリベル・タンゴを口笛で吹いてみたのが、気づくきっかけ)。この感覚が芽生えてから、蛹の視野で飛ぶ、とか、すぐ前しか見えないような運転はシナイ、とかいう意味もようやく飲み込めた。新たな基準を加えてことばのトレーニングに励んでいるが、これからまだまだ基準を加えていく必要がある、ちなみに、現在の課題は「声の線」。
「体(息)」についてレクチャーで、私が福島先生にした質問は「息をオモイッキリ吸おうとすると、左の背筋は広がる感じがするのですが、右が広がりません、どうしたらよいでしょうか」というものだった。毎日毎日なぜか考え、今、出ている結論は「自分が右肩が前に出る姿勢が固定してしまっているので、左右均等に体が使えない」というもので、その歪みの正体操みたいなものを模索してやったり、特に急ぎのようでないときは、左手でものを書いてみたり、その道の人に治療法に関して話を聞いてみたりしている。そのかいあってか、レクチャーの頃のようではなく、右の体も使えるようになってきた、しかし、まだ呼吸がいまいちスムーズでない。やはり何かが引っ掛かっている感じがする。そういえば自分は中学の頃に右肘に外傷を受けて以来、右肘が完全に伸展しないのだが、それが理由かもしれないとも最近思っている(ちなみに肘と肩はバランスをたがいにとりあっている)。まあ自分の体だ、気長につき合っていこう、私なんかより肉体条件の悪いけど、すごい歌手だってたくさんいるだろうなどと自分を励ましたりしている。
息を吐くことに関して最近大きな変化があった。今までは息を吐くときの(あるいは歌うときの)"痛み”、“抵抗”みたいなものを、背中に感じていたのだが、3週間前ぐらいから、体の前面下方、よくテキストに書いであるような、下腹部のあたりに矢印が集まる感じに変わった。実は、昨年の10月頃から、歌の足しになればと思って武術太極拳をやっている。そこの先生に指摘された姿勢の癖みたいなものを直そうと思って日々気をつけているうちに、この変化は訪れた。姿勢に関しては、福島先生のテキストに書かれていること、武術の先生、あるいは武術関係者、著者らがおっしゃっていること、健康法の本の著者らがおっしゃっていることが、ほぼ完全に一致しているのがおもしろい。
「正しい姿勢とは、あごを引いて首を伸ばし、頭のてっぺんで天を突き上げ、足の親指にカを入れて土踏まずで地を押しつけ、胸を持ち上げて胸部の筋肉を左右上下に伸ばし、肩の力を抜き、肛門をしめて、尻を後ろへ引っ張って筋肉をしめ、腹筋を上下に強く引き伸ばす」、ちなみに体が変わった瞬間からしばらくは「まだ動かない体が邪魔をしている」状態にあると思う。これからは、この状態をなじませて、「さらに強いベルトやシャーシに交換していく」作業を怠るまい。
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おすすめ
「LEISLENOIR」(スペル)という曲。とても悲しい気持ちを含んでいて、でもそれが熱く伝わってくる感じ。
「You are so beautiful」
NY.Broad wayミュージカル「Bring in DA.FANK,Bring in PANOZSE.」
谷地恵美子
描いているマンガで“明日の王様”というのを読んだ。舞台役者になりたい女の子が主人公なんだけれど、相当、取材しているんだろうなというくらい演劇の世界の人がどういう生活してて、どんなこと考えながら毎日暮らしているのかが描かれている。ストーリーからは役者ってすごいなと思うし、本そのものからは谷地さんてすごいと思った。
「ガメラ3」
公開されます。ガメラはゴジラより人気がありません。しかし、映画の作品内容としては、ガメラの方がゴジラの数100倍すぐれています。これも金子監督のプロフェッショナルな仕事への執念です。プロである人が、プ口らしい仕事をするから「ガメラ」「ガメラ2」があれだけヒットしたのだと思います。「ゴジラ」という名前におんぶしてもらって、なまけて作品をつくりつづけたゴジラ製作者にみならってもらいたいものです。きっと、金子監督は「ガメラ3」でもすごいことをやってくれると思います。そして「踊る大捜査線」の記録をぬりかえて、怪獣映画を子供の映画とタカをくくって見てない人たちの足を映画館に向けさせてもらいたいものです。
メイシーグレイ
奇妙な声のアーティストのCDを購入しました。かわいいこのかわいいというのは、ちょっと微妙なのですが人間のちょこっとした機徴のかわいいです。どっかのおばさんが、お隣から思いがけず、おいし~い林檎をたくさんいただいちゃってホントに喜んでるとか、そういうところにも隠れているかわいいです。裸の、子供っぽかったり、わがままのところだったり、いたずらするときの気持ちだったりのところをそのまま、くすくすとハートに持って、でもしっかりと大人なんだよね、っていう不思議な音楽。曲がとてもいいのもあって、いくらでも食べられてしまう。最初よく聞き取れなくて、しばらくほっておいたくらい変わった声。耳に入り込んでしまえば、ぐるぐるまわる。音が彼女自身であり、自分と遊んでいる。シリアスなのに、どすんと腰はおろさない。でも軽くも薄くもない。いい奴。そっけなくみえるのに、わざとそっけないのだけど優しい、でも世話好きかもしれないし、ねえどんな奴という音楽。おいしいものをみつけたとき、食べさせて感想を聞いてみたい人。