一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

「いのち(全身)を使って考えること」ほか 12535字 981

 

「いのち(全身)を使って考えること」ほか  981

 

「いのち(全身)を使って考えること」

「無防備でいること」

「気づきのヒント(2)」

「気づきのヒント(3)」

「気づきのヒント(4)」

“プレBV座の現状”─Simple & powerへの原点回帰を

 

 

「いのち(全身)を使って考えること」

 

 

1.いかに学んでも、自分で考えることなくしては、実践に役立たない。

 

2.頭から足の先まで使って生きているつもりで、頭も体も大して使っていない。

 

3.生き生きしている人と、心楽しめない人がいるが、悩むのは、どこかの機能に欠陥がある。

人間は欲があるから悩むというが、欲がなくては、進歩もない。

欲で悩むのでないから、欲をなくす修行はいらない。

ものの考え方が間違っていないか疑おう。

知恵がうまく働いていない。つまり、知恵を出す機能が欠けている。

頭は知恵を出す機能があるのに働いていない。

だから、考え方を正すことだ。

頭の先だけで考えているつもりにならないことである。

 

4.自分を救うことが他人も救うこと。

自分を救うとは、自分の悩みをなくすことである。

 

5.悩みをなくすには、何かに夢中になること。

たとえば、自分の仕事(=歌)に夢中になるとき悩みは消える。

なれないのは、その仕事がよくわかっていないから。

仕事に興味がもてないのは、そのことの勉強が、まだまだ足りないから。

 

6.夢中になるほど好きなのは、いのちが喜んでいること。

嫌なことは、いのちに有害だから、手を打って解消する。

そのために知恵を出す。

知恵は、いのちが出す。

いのちに好き嫌いはなく、意識がことばで考えて、イメージするから間違う(妄想)。

いのちの上に我がのっている。我がいのちを痛めている。

 

ゴミをとる(逸脱)と元の姿が現われる(現生)。

いのち―仏である。

 

仏道を習うというのは、自己を習うなり」

「自己を習うというのは、自己を忘れるなり」

 

 

 

Q.幸せになりたい

 

A.幸せは、足元深くにしかありません。

まだ、他にあると思っているのですか。

 

 

Q.他の人より歌が好きではなかった。

 

A.他と比べるものでなく

あなたのなかで他のものより、

何か少しでもひかれたのなら、

それが大事です。

 

Q.ステージが恐い。

 

A.一自分が傷つくことを恐れては

傷ついた人の前で歌えません。

 

 

Q.トレーニングがきつい。

 

A.この苦しみは、自分に何を得させるための苦しみなのでしょう。

自分の苦しみは、ぜいたくな苦しみです。

 

 

Q.もう少しあとでがんばりたい。力がついてから発表したい。

 

A.スポーツは年齢制限があり、歌は一生などいっていたが

何にでも終わりがあるから、煮詰まる。

あと などない。

すべては、今しかない。

 

 

 

「無防備でいること」

 

横尾忠則さんが直観やヒラメキで感じたことを絵で伝えるとき、次のようなことを述べていた。

 

自分の考え(コンセプト)から自分のアイデンティティを証明するために使うのは、自分には役立つが、相手の意識や魂の進化に必要ない。理解したところでおわるような芸術は、何日ももたない。ただの欲。

ところが、直観やヒラメキで肉体で表現されたものは、ことばや論理を超えた力が働く。それには、子供のように無心、無我夢中になることが必要。それで本人がまず解放される。「上手に」とか「人に影響を」というまえに、「自分は何か」を問う。

感性を磨くには、観察、よくみることから始めることだ。

体で描いたものは、絵の息や墨にのりうつっている。

そのエネルギー、パワーを感じることが、見ることであり、感じること。偉人の字には、パワーがある。

見つめているうちに、相手やその相手が、体でつくったものとの間に交流ができ、情報が伝わってくる。

これを返して交流する。これは、ことばを超えた思い、情念のようなもの、そしてそのものの実体や全体がみえてくる。それが感じること。

無防備でいることですべてのものが聞こえ、すべてのものがみえる。何かにとらわれていると、他の音が聞こえない。それができないのは、恐れがあるから。

常識、一般の通念の拘束、それから解放され、肩のカを抜くこと。

好き嫌いは単に感情、欲得、値段、他人の評価などで決めていることが多い。

見られたくないものをどれだけ吐き出せるか、である。

 

宇宙と一つになって歌とともに生かされていること

心が体を動かすようになる

 

この秋は、雨か嵐か知らねども、今日のつとめの田草とるなり(二宮翁)

 

 

 

「学び方のヒント(2)」

 

1.学び方については、もしプロを目指すのであれば、誰よりも学べていなくてはいけない。

上達したければ、上達する学び方が必要だ。

この内容については、再三、同じように述べているが、

さらにこうしてくり返さないとわからないようだし、

わかってもやらないなら変わるはずもない。

やって通じなければ、学んで変わらなければいけない。

 

2.レッスンに出ること、提出物を出すこと、

少なくともまわりと同じペースでは、まわりの人よりうまくならないのはどこの世界も同じである。

たくさん出ているのは、よいのではなくあたりまえ、出ない人は自らチャンスと学ぶ機会を失っている。

 

3.同じことの繰り返しが基本である。

くり返すことでより深め、確実にしていく。

できないのを知ったら、その前の基本を克服しなくてはできるようにならない。

 

4.好き嫌いで判断するのでは、伸びない。

伸びる人は、嫌いなところ、つまり弱点を克服しなくてはだめということを知り、

嫌いなレッスン、トレーニングを自ら望み、挑んでいく。

 

5.本当に小さなプライドで動けない人が多い。

いったいあなたの何が、それほど何かを与えているのか、

誰にも気にされていない存在の軽さに対し、あきれるほど大きな自尊心、

これらは自信のなさの裏返しにすぎない。

自信はやってきたことでしか、つかない。

人に踏み込まれたくないなら、ステージなどできるわけがない。

 

6.大きな勘違い、他人の歌も自分の歌も、まったく評価できないままでは、何年たっても何にもならない。

場に出てこないのでは、どうしようもない。

その耳でどうやって音楽を生み出すのか。

聞くことも、歌うことも、絶対量が足りない。

歌うまえに聞き込み、感じ方が足りない。

それでは2年いても、2ヵ月分もできないのはあたりまえだ。

 

7.うまくなる、ならないのまえに、自分にとって、これ以上できないところまでやっているのか。

どんなにとれない時間のなかでも、このことを選び続けた結果が、自信となり、顔に表われる。

そうなってきているのか。

 

8.まわりがやっていない。私からみたら、そういうあなたもまったくやれていない。

だから、他人が気になるのだろう。

週1、2回のサークル感覚では、何も身につかない。

まず、できないというまえに、わからないというまえに、やれることをすべてやったらどうか。

誰でもできることなら、どんなプロでも尊敬を勝ち得ることはない。

誰もができないことをやり、やがて誰もができないレベルでやれるようになる。

 

9.まずは2年間、誰よりも使い切った人になる。

その一日一日を他の人の何倍も活かせた人であって欲しい。

活かせないうちはすべてに積極的に顔を出し、自分を活かすためにどうすればよいかにとりくみましょう。

そういう人しか残れない。残らない。

とりくまない人に明日はない。

残る理由も価値もない。

 

10.他のスクールでも先生でも同じだが、上達した気になりやすいところは多いが、

上達しやすいところなどはない。他に頼るところで、すでに負けている。

その負けをしっかりと捉えて勝っていくことが肝心だ。

自分が吸収できないのを、力をつけて乗り越えていくのでなく、

吸収しやすくしてもらおうと考えてはいけない。

 

11.基本はプロの感覚、プロの体、これはそんなに生やさしいものでない。

そのことに気づいたところから、スタートである。

一つひとつのレッスン、ステージ、アテンダンス提出、感想、鑑賞レポート、

こちらが100をのぞんで1000を返そうとする人しか伸びないのに、

10か20形だけ提出して、やった気になっていないか。

なぜ、真摯に伸びようとしないのだろう。

機会を充分に活かさないのだろう。

素朴な疑問である。

 

 

12.とにかく、ここ2、3年の、歌ではなく、トレーニング水準と意識の低下は、

歌を趣味でやる人の増加のせいかとも思う。

どういう目的でここを使っても構わない。

しかし、もし本当に上達、本当の意味で力をつけたいのなら、

しっかりと場に出て感じていくことしかない。

人との間において、変わらなければ上達はしない。

 

いること

続けること

働きかけること

 

すべてにおいて、私はプロの3倍はやろうと思い(きっと今の皆の平均レベルの十倍以上にはなると思う)、

また迷ったら出ることを自分に課してきた。

ここのあるレベル以上のメンバー(総数が100人でも400人でも、いつも同じ十数名だが)も、

きっとそうであったと思われる。

今は、私だけでなく、そういう人たちとも直接、現場で接しているのに、

これ以上、どうできるのだろう。

 

考えて欲しいのは、ノウハウやレッスン以前に、それにとりくむ姿勢だ。

毎日、いや毎時間、分、秒の感覚がないのに、時間で扱う歌が身につくことはない。

そして、それをここで今やらなくてどこでやるのかということだ。

やれている人はやったからという理由、唯一、その理由で身についた。

やっても身につかないのは、自分を変えるべき場に出ないからだ。

 

13.私は、年頭あいさつで1時間半、話した。

小賢しい頭で判断し、場に出ないのは、機会を逃している。

(リライトしておくが、生の声と会報と本はまったく違う)

いったい学ぼうとしているのは、誰なのか、私なのかあなたなのか。

どうも、いつも私らしい。

 

もう一度、よく考えて欲しい。

今の状態は、うまくなれないというより、うまくなる方がおかしいと思える。

アテンダンスの字数も質も、ひどく落ちた。

不思議に思うのは、たかだか2年間で先輩たちのステージも

みられるチャンスまでおいているのに、なぜみないのだろう。

 

同じ場で自分よりたくさんやった人の舞台は、次に自分のやるときの何よりの参考となる。

しかも、同じ条件で、似た曲で、マイクを使わないときさえあるのだから、

自分との差を知るには一番よいはずである。

 

私やトレーナーや先輩に関わらず、同僚、仲間でもよい)が何かするとき、

その人の人生において、大切な一瞬がもたらされる可能性がある。

なのに、それさえみなくて、何もわからないから何もできない、

できないことさえわからない。一度や二度でわかるはずがないし、

こういうことでわかったということは、できたということだ。

 

レッスンもトレーニングも、よくみることが第一だ。

やっている人やまわりの人もみないで何が身につくのか。

上達する人は、先輩や仲間のプレーをみて、

そこからすぐれたもの、すぐれていないものを通し、

すぐれているとは何か、そのためにどうすればよいのかを学ぶのである。

 

そういうイベントに観客としても参加しないというのは、

この世界に自らエントリーをやめていることだ。

これに優先する何があるだろうか。

 

 

14.時間的にも金銭的にも大変なのもわかる。

わかるというのは、あなた方がスタートラインにさえ立っていない一般の人だからだ。

歌や声の厳しさをスポーツくらいに捉えられないからだ。

本気でとりくむということを知らないからだ。

 

伸びたければ、覚悟が必要だ。

うまくなれないのは、本当にそうしようとしていないからにすぎない。

時間は過ぎていく。

 

たった2年さえ生かせずに、その先があるのだろうか。

全力で学ぶ環境を活かし、自分でつくりあげる。

アーティストの生活なくしてアーティストになれまい。

 

プロのトレーニングとプロの意識なくしてプロになれまい。

ここの場は世界中のどこよりも、あなたたちには必要かつ、わかりやすい場である。

一人でこの環境を手に入れようとしたら、時間や金がいくらあっても足りないと思う。

 

 

15.ここにおいているすべてのイベントは、レッスンであり、最低限のノルマである。

好き嫌いでとっているだけの人は、そのとりくみで得られるもののマックスが、

カルチャー教室くらいであることを知って欲しい。

他のスクール、アメリカあたりでも、年間400時間はレッスンにあてている。

それを4〜8年でやる。

うまくならないのは、歌や声への畏敬、それをやる自分への誇りの欠如である。

 

 

16.身につかないでやめていく人の大半は、何もできないのにわかったつもりになってしまった人か、

この場に出るという最低限の努力をやめたため、わからなかった人である。

それは吸収できなかったというよりも、出続ける努力をやめてしまった人だ。

 

そんなに簡単に吸収できるものなら、日本中、皆、歌える人ばかりだ。

日本では10年やっても、一般の人より悪い声をしている人ばかり。

ポピュラーも声楽家も、プロ、アーティストとはいいがたい。

 

学ぶということは、それほど難しいのに、どうして、そんなに簡単に1、2年で判断してしまえるのかわからない。

とにかく、理屈なしに感じていくことを続けて、身につけたければ身につくまでやればよい。

わからなければ、わかるまでやればよい。

できなければ、できるまでやればよい。それだけだ。

 

 

17.ここは、自由だから難しいといったが、

出なくともよいからといって、出ないを選ぶか、

だからこそ出るを選ぶか、

日々、この選択か時間が、あなたを助けるか、だめにするか。

 

その別れ道だということに、まだ気づかないのだろうか。

いくら今ここでといっても、他人の青い鳥をあこがれ欲する人たちには、

盗めないものだから尊いとしかいえない。

自分でつくりあげるから、すばらしい。

 

それは、ここがあなたからみて、どうであるかより、

あなたがここに何を与えられるかということからだ。

ここを世の中だと思って欲しい。

同じことなのだから。

 

 

18.少しでも何かに気づいたら、これを再び読んで欲しい。

 

 

19.私は、これ以上やれないところまでやった。

凡たるために、本当に必要なもの、欲するものは人の10倍やれば手に入ることを身をもって確信した。

その時間を誇る。そうして変わった体や感覚が、いつも私を助けてくれる。

入っていないものが決して出てこないことも知った。

入れる努力できる学ぶ環境をつくった。

 

一流のアーティストたちの学び方や環境について研究して、少しずつわかってきた。

彼らの10年を20年かけて学びつつあると思っている。

また、あなたたちと出会い続けることで、もっといろんなことがわかりつつある。

本当におもしろい。

 

1を2にする学び方を知ったら、100の器用な人も、1000の一流という人も、やがてわかってくる、

追いつける、超せる。

そうならないとしたら、彼らがそれ以上の努力をしているという理由のためだ。

 

だから、自分をもってあなたたちに示す。

これ以上、やれないほどにやりなさい。

自分の好きなことなのだから。もっとやれたという悔いは残さないことだ。

才能や素質ではなく、すべてやったかどうかだけなのだ。

 

 

20.自分との戦いである。

やれている人は、自分の生きる糧を得るために、

ここにくる時間も人一倍かける。

私もそうだったし、今もそうだ。

 

生じ才能っぽいことがあったために、努力せずだめになった人は、どんどん消えた。

やれた人は、ここにいようと出ようと、世の中ともやっていける。

代々木がなつかしく、心のホームグラウンドとなる。

地球がふるさととなる。

そして、他の何事にも打ち勝っていくだろう。

 

 

21.歌を選ぶということでなく、自分の人生を選ぶということであろう。

歌や声を求めるのは、その一つの手段にすぎない。

本当に自立する、

自分の人生を自分で選び、立つための楽しみとしての試練だ。

歌や声をやめたら人生が楽になることもあるまい。

 

サラリーマンも自営業も何でもきつい。

力がないからきついのなら、力をつけるしかない。

でも、自分の信じるものに従って生きるのは、命を輝かすためだろう。

それは、業界やここにあるのでなく、自分の足元にある。

 

自立していない人が、ステージに立てるのは日本くらいだが、

それをチャンスと捉えるのなら、それもよい。

他人に動かされるのでなく、他人を動かす人となることだ。

そのために自分を作品をつくる手間を惜しまぬことだ。

 

22.ピカソの作品はピカソとあった。

私は、ずっと幸せだったし今も幸せで、

この人生にも出会った人にも、

ここにも君らにも、感謝する。

 

だからこそ、本当に自分の身につけていって欲しい。

ここからも、ここの人からも、学ばず学べず、何もみずにやめて欲しくはない。

おまえらはこんなとこで、

いつまでこんなレベルで何をチンタラやっているのだ

というような歌やステージをみせて、立派に出て行って欲しい。

 

 

23.そのためにレッスンに出る勇気をもつこと、

2、3年まえまで上達した人たちは、ここのすべてに関わっていた。

私とも月に5~8回は顔を合わせていた。

 

今は、私に代わる人もいるから、その気になれば、もっと学べるだろう。

2年すぎて、関わらなくなるのは、本人にそれでやれる気があるのだから、

ステージでやれていたらよいだろう。

しかし、2年でちょこちょことしか関わらず、

ここで学んだなどと吹くのはやめて欲しい。

 

力がないのに好き嫌いでやるのは、ど素人、逃げているだけ、どこの世界もそう、

力がつく人は、死中に活を求める。そんな人がどれだけ少なくなったか、

私が2、3年まえまでは、自分と同じか、それ以上やっていると感じる人は、このなかにも何人かいた。

今は、トップグレードにしか見当たらない。感じない。おびやかされない。困ったことだ。

 

マチュアがプロよりもやらなくて、プロになれるのだろうか。

今の私の方が成り上がっていこうとするあなたたちよりも

質のよい学び方ができるのは当然だが、

案外、量や時間でも勝っているのではないかと思えてしまう。

今も、リードを許してどうする。

 

 

24.私の方が書いている。アテンダンスも、CDや映像をみるのも、

今の君らのほとんどの人より多いだろう。

少なくとも昔の私は、その時期、世界の誰にも(今でこそいえるが)

負けなかったとはいえなくとも、第一線級のトレーニングをやっていた。

だから、声や歌に不安はなかった。

自分でここまでやれる以上のことはないという時期を過ごしたからだ。

 

私は、本を60冊くらい書いたが、

20代のトレーニングの日々の方が、

よほどハードであり、たくさん書いていた。

いいたいことは、私をおびやかすくらいでないと、

どこにも出ていけないということだ。出ても、続かない。

その基準として、私はここにいるのに、しっかりやればどうかということだ。

 

 

25.なぜ、うまくなりたい人が、こうもレッスンを粗末にするのか、

歌や声にデリカシーがないのか、最大の疑問である。

 

今、ここでやらなければ、いつかどこかでできることはない。

時間はすぐに過ぎていく、一秒一秒をキャリアにしていかない限り、

人生は、あなたの無限の可能性を開花させずに終わってしまう。

 

毎日、本気でやっている人だけが、自分の花を咲かせる。

レーニングをやっているつもりで、根を枯らすのでなく、深い根を。

いつも問いなさい。

人前に出て、自分を問う、一人で問う。

 

もっと真剣に、わからない自分でなく、それを言い訳にやっていない。

できるようにわかるようになろうとしない。

その自分を恥じること。

もっと悔しがり、もっとがんばりなさい。

 

 

26.あなたが、声や歌を愛しんでいないなら、

そこから人に愛を与えることも、

自分を祝福することもできない。

 

 

27.学び方を学びなさい。

声や歌を通して、真摯なまなざしで、ステージにふさわしい自分をどう磨いていくのか、

あなたの考え、感じ方、そして何よりもやってきたことが、

あなたの声、歌、ステージ、そして人生をつくっていくのだから。

 

 

28.真実は、人一人ひとり違うものだから、あれこれ押しつけたくない。

しかし、日本人や日本語と同じように、そこに入っているがために、

みえないものは、みせていこうと思って、この場をおいている。

 

あなたよりも、きっと時間もお金もなかった、能力もなかった。

そんな服も着れなかったし、喫茶店にも入れなかった。

それゆえ、与えられるものを得ることを知った、

 

その私の人生で、

与えることで、何事も切り開けるものだということ。

それゆえ、与えるものをもつ、努力すること、

それがないときも、

人の前に出る努力を怠らないことを肝に銘じておいて欲しい。

 

 

29.自分の考えがある、自分が正しい、自分のやり方がある―

じゃあ、あなたのまわりがそう働いているか、

あなたの思うように、まわりはともかく、あなたはできているか。

できていたら、まわりは動くはずだ。

当のあなたは、こうしてあげるでなく、こうして欲しいとしかいえないではないか。

 

個性や自分の考えのないことさえ、わからない人が増えた。

世代や価値観の違う人と深く交われないからだ。

ものごとを深く極められないからだ。

好き嫌いだけで生きているから、体をこわす。

 

人は、一人で生きているわけではない。

声や歌を選ぶのは、皆と生きるということだろう。

人に与えて生きる。それは、与えられることだから、同じなのだ。

私がこういい続けるのも、

多くの偉大なる先人やあなたたちの先輩が与えてくれたものをたくさん預かっているからだ。

あなた方にでなく、彼らに責任があるからだ。

 

 

30.人に頼らぬこと。業界の言われるままに動く。

声も音楽も何も入っていないなら、ポップスヴォーカリストの軽薄さは、

そのまま自分にも通ってしまうから要注意だ。

 

心を動かさず、技術の器用さを競うばかりで、お墨付きを求めて、

本場から(いつまで本場というのか)出場停止をくらった日本の声楽家たち、

賞もとれぬのに、出場数だけは誇る。

日本のオリンピック選手団も、皆、同じ時代、同じ日本に生きている。

そこと同じような群れにならないようにしよう。

 

一人ひとりが誇れるだけ自分になってくれたら、私もここを誇ることができる。

私にとっては、ここが足元だし、ここで聞こえる歌や声が、私の歌や声なのだから。

それが、こうして発言する理由である。

ともに、おたがいの命あるかぎり、今は、ここの命あるかぎり、励もうではないか、ね。

 

 

Last

ここには一握りだが、

自分の歌を歌える人がいた

歌おうとする人もいる

 

人の絵をまねして、

売っている人ばかりの世の中で、

これは大変なことかもしれない

 

私は彼らを誇る

彼らとともにいることを

幸せに思う

 

その作品が真実である限りにおいて

 

 

 

 

 

「学ぶためのヒント(3)」

 

最近の日本は、やはり特殊で偏っているように思う。

いつの時代も、そういわれるものだが、ここ10年ほどのように、

愛や夢やポリシーのない状況は史上まれなことではないか。

 

それは、次代を啓示してきた音楽業界にもいえる。

日本と音楽、表現をしようとしているところにクロスしているところの

あなたたちにもいえる。私にもいえる。

 

そういうときは、自分を知るーそれがスタートだ。

あたりまえのなかにいて、その特殊性と偏向性のみえぬことが最大の問題だ。

空気の汚れに気づかなくては、それを駆除できない。

自分の汚れも同じ。突き放してみるしかない。あかにまみれて、あかを落とす。

 

どう生きてもよいが、ここで学ぶ人には学べるようにさせたいと思い、ヒントを与えている。

ステージでは空気を変えよ、動かせといっても、空気のみえぬ人に、それはムリだ。

歌は、空気をとりこみ、それを吐いてつくる。呼吸で動かす。

 

なぜ、自分が格好つけてやったステージをみて、

かわいくもない赤ん坊のじゃれている姿やガキのケンカと同じことがわからないのだろう。

 

同じ画面で同じ音量ですぐれたアーティストをみていないのか―。

自分のかわいさは、芸にならない。

それども歌も声も、自分の個性とやら好みだけの一人よがりのなかで、

何かをつくりあげているつもりなのか―。

 

勘の鈍さ、基準のなさ、感性のなさ、それをよしとする風潮一妥協といい加減さ、

気分だけの実体も実力もない自己アピール、

芸術や表現とやらのカケラもみられぬ、甘ったれた生活。

絵を描けば、「誰でもピカソ」。

 

それでもやれてしまう、村や身内のなかで、やれてきたから、

自分で自分のをみてよいと思えば、変わることも上達することもない―。

どうしたら、人並みで人のまえにしゃしゃり出て、いばったり自慢したりしゃべったり、

そこまで卑屈に情けないことができるのだろう。

 

ここは、キャンパスのコンパではない。身内の集まりではない。

誰も絵を描かないから描いているあなたは画家というのか。

 

ここでは、皆、歌っている。だから、歌い手か。

すぐれたものを表現したいがゆえに、トレーニングをするのではないか。

 

 

 

 

 

「学ぶためのヒント(4)」

 

Q.疲れている、やる気が起きない、行く気にならない、やりたくない、

他の人のようにできない、自分だけ、ただ、まったくできていない。

よくならない、耳もレッスンもトレーニングも嫌い、

でもやめたくない。どうすればよいのでしょうか。

 

A.やめたくないなら、やめなければよいのです。やめたければやめればよい。

自分の歩んだ道を、人は戻っていくのです。

少ししか歩まねば、すぐに戻れます。そこで寝ころんでも、休んでいても、自由です。

 

でも、時間は流れ、年齢は、とっていくのです。若さは、失われていきます。しかし、それは、もっと大きなものを得るためです。魅力的に年齢をとりたいと思います。

人に対し、何か与えられる人になりたいと思います。

誰にも何もできず、皆に足手まといな年寄りになるのは嫌です。

 

どこに戻っても、人は、また歩まなくてはならないのです。

ステージや歌について、まわりと比べるのは、自分を知るためで、自分がだめだから、あきらめるためではありません。自分は死ぬまで自分で、あきらめてもついてまわるものです。

どうすればよいのか、知るためです。

 

どんな人も、より高いレベルからみたら、だめだったから自分を知り、超えていったのです。

そこで踏みとどまったのです。動けるまで待ったのです。そして、動いたのです。

他人と比べる必要はありません。

 

多くのやれているつもりの人は、他人のものに乗っかって、

やっているつもりになっているだけです。

10年も経たないで、やれなくなります。

そのまえに、やらなくなります。

 

何もないことのわかったあなたは、これから自分でそれを知り、

つくっていくことができるから、彼らよりもずっと先にいっているのです。

まわりの人にわかるところまで力をつけることは、大変です。

だから価値があります。自分を生きるから、大変なのです。

 

あなたは、あなたでよいのです。その体や心をいつくしんでください。

そしたら、きっと、せっかく生まれてきた自分の体も心も声も大切にしてあげなくては、と思います。

そこから何かが始まります。

あなたの心臓も呼吸も、あなたがどんなに疲れていても、

やる気にならなくても、一刻も止まらず、あなたをいつも支えているのです。

 

始まるまでは、長いのです。いつ始まるかは、人それぞれです。

でも、もうあなたは始めているのです。

生まれたときから、ただ生きているということも始めたということも、

自分でつかまなければ、ないのと同じなのです。

 

こういうときは、ここでやっている人や映像をみていればよいのです。

たくさん歩んだら戻れなくなります。戻りたくなくなります。

歩んだあとに、自分の道ができていくのです。

だから、のろくともゆっくりでも、自分の足で歩まなくてはいけないのです。

 

誰でも今いるところから、出発するしかないのです。

やめたくない心に、頭や心がついていくのに、手間どっているのです。

 

自分が思っている自分は、デッサン力のないあなたが、

昔、描いたへたな絵のようで、いやだ嫌いだと、わめいています。

そんなことばにとらわれるのでなく、自分の内なる声、ことば、心、体の叫びを、

しっかりと聞きましょう。

 

あなたは、すばらしいあなたになりたがっている。

だから、なりましょうよ。

 

 

 

 

 

“プレBV座の現状”─Simple & powerへの原点回帰を

 

ここの抱える問題は、プレに集約される。つまり、毎年、2~3名は、あがっていた出演者が、ここのところ、あまり変わらない。やめる人が少なくなったので、支えられているものの、発足時のメンバーと、ほぼ同じである。だからといって、プレのレベルもまったく上がっていない。つまり、各人のキャリアからいうと、落ちているということである。

 

プレが、ライブ実習など他のイベントと大きく異なるのは、研究生とはいえ、客として料金をとっていることである。そこに立つもの、立とうとするものに、どれだけ、その自覚があるのだろうか。

今のままでは、ただ自分たちよりキャリアがないとか年齢が低いために、あるいは、明日を夢みて学べるものを盗みにくるために、レッスンの延長として出ている客がいるために、ステージが成り立っているにすぎないともいえる。

 

アーティストであるのに、熱烈なファンもつかないとか、客を動かせないのは、すべて客が悪いのでなく、出演者、プロデューサーサイドの責任である。

そこで、そんなステージをするのが、おかしいのである。

客がブーイングしようが、途中退出しようが、自由であるが、

ここは、そういう意味では守られている場である。

それは、他の日本のステージと同じく、甘えにつながりやすい。

 

ともかく、明日もまたきたい、友人をたくさん誘ってみせたいと

思うようなものには、なっていない。

客が楽しめない、心を奪われない、何かに触れたり、気づかない、

そんなふうに客が育たないステージなら、やらぬ方がよい。

 

ときに心打つ歌も聞こえるし、そこにいると、その人の心に伝わる歌もある。

しかし、技術や発声だけの歌が、つまらない内輪で評価されても、

そこでしか通じないと同じく、キャリアや年齢が、慣れや歳月によって伝わるのは、

やはりサークルのイベントにすぎないといえる。

 

どうしてたった2年たったくらいで、皆パワーダウンするのだろう。

志のないステージは、不毛である。

 

問われるのは、いつも今、そしてこれから何をつくっていくのかーに秘められたパワーであろう。

出演者は、ステージと客に、感謝する心をたてまえでなく本心でもって臨んで欲しい。

客としての役割に甘んじているレッスン生も、

生の音楽を生身の人間から聞くのはどういうことかを学んで欲しい。

 

プレBV座は、ステージ実習やライブ実習と同じであってはならない。

内容もなくディスコよりひどい騒音、ガラ声に、音の世界もなく盛り上がるお客の勝手し放題、

バンドにそえもののヴォーカリストのライブの多いなか、恵まれたこの聖域が、

それゆえ閉ざされたサークルにならぬよう、

我々はすこぶる警戒をし、厳しく自省しなくてはいけない。

 

次回より、しばらくは、もっとシンプルにスポット一つで作品を浮き出させていきたい。

装飾もやめる。レッスン場を人一人の力でおもしろくできずに

ライブというのも、おこがましいからだ。