レッスン録 983
【「Holidays」】
皆さんの自己評価をもらいましたが、半分くらいが、おかしくなっているのではないかと思いました。
正しい評価の感覚はとても大切です。ここの評価はどうでもよいのです。
正しい評価をするためにここがあるのです。
これは、夏木マリさんの曲ですが、皆の半数は、体や楽器としての、条件をある程度もっています。でも、表現力に関して、違い過ぎるのです。これはスタンスの問題です。
ヴォイストレーニングというのは、そもそもいらないものです。いらないものをやるのは、最終的に自分がイメージしたものに、体が対応できないからです。実際の現場で求められる声には変化も多く、その変化に柔軟に対応できるようにするために、わざわざヴォイストレーニングをするのです。基本というのはもとに戻れなければ応用にも使えません。ところがヴォイストレーニングで、変化で押さえてしまっている人が多い。これが大きな問題です。
聞こえてくるものを判断するときに表向きのままやっていたら、変わらないというところから直していかないといけませんそこで変わってもそれはまねです。
たとえば、3分の2の人がフレーズにスピードがないです。これは読めと変わりません。大切なのは、そこをわかる感覚づくりをやっておくことです。
ここでは息、声を充分に使えといっていますが、歌というものは、それが目的では「ありません。しかし、プロセスとしてそういうものを聞き、読み込む勉強がひつようであって、しかし部分です。ブレスヴォイストレーニングの発声が画一、固定、固くなってしまうとしたら、それ以外に何も自分で勉強していないからです。自分で修正しなくてはいけないのです。すべて、息や体の強さに頼ってやってはいけないのです。2~3年以上やっているなら、それではいけないのです。
皆さんのほとんどが、2次元でしか捉えていません。夏木マリさんは3次元くらいで捉えています。アティテュードが、まったくできていないということです。要は、聞いている人間に心地よく伝え聞こえなくてはいけません。
ただ、ぶつかっていくだけでは子供のけんかと同じで勝ち目はありません。
人が聞きやすいということにこびる必要はないのですが、結果として聞きやすくならないとおかしいのです。そのためにスピードやテンション、切れ、といった変化に対応できているということが大切なのです。ポジションの深さや、声を見せ合っているのではダメです。見せるために呼吸をしていると、歌も壊れてしまいます。
この曲は重ねていかなくてはいけません。それをまえからうしろまで一方的に押し切ってしまっては歌にはなりません。
作品というのは立体であり、生命感がないといけません。それなのに平面的に、死んでいるように聞こえてくるというのは、トレーニングが空回りしているのでしょう。だから、固定してしまってはいけないのです。
歌うときのリラックスというのは、崖から飛び降りるようなものです。風呂に入ってするような、リラックスではないのです。そこで歌はバランス感覚で、とっていかなくてはいけなのですが、そのことにもっと勘を鋭くしていかないとダメです。
最終的に、その人の音のなかでの、イメージが、まったく見えないのです。それに近づいているとか、構成している、という人もいます。その他の人はヴォイストレーニングをやっています。トレーニングが見える歌は最低だと私は言っていますが、切りかえが大切です。トレーニングはあくまで、部分のものです。フレージングのなかで、できなかったことをやっていくのです。
トレーニングをやることによって、スピードや、テンション、切れを出すことができないなら、やらない方がよいです。
ゲームのなかでうまくゲームを支配するには、ゲームの外に立たなくてはいけません。
彼だけが勝者です。これは難しくて、合宿などでも私は4次元に立つから、中に入ってしまっても出られます。空間時間のなかで、演じている自分を見なくてはいけない。そうでないと、自分が見えません。
自分のなかで感じることや起こることはとても大切です。トレーニングではそれを意識づけてやっていかなくてはいけません。
しかし、実際に歌に近づいた場によっては、外に出たものに対して厳しいチェックをかけることです。体がついている声だったら、正しいわけではない。伝わる声が正しいのです。
ここで、声が大きいことや、体が使えることができる人が評価されているとしたら、おかしいです。今のポップスにおいて、そういうことは関係ないし、役に立たないくらいです。もちろんクラシックになってくると、少し違ってきます。
それは、何もないよりはあった方がよいということで、音楽や歌から見ると、たった一つの条件にすぎません。あくまで、四次元を知るための入り口として必要なのです。
体のことは、少しずつ改善されていきます。それよりも、感覚と変化のことに勝負をもっていくことです。自分のなかで起きてくることを、固定しないようにしてください。
あくまで基本というのは、応用して戻れることに意味があるのです。
何が自分に足りないのかわかることが勉強なのです。足りないことがわからなくなってきているのなら勉強方法が間違っています。あるいは、求めて待つことです。
部分的なことは自分で組み入れてトレーニングしていかないといけません。それから、2年目を過ぎたら自分の弱点に目をつけていくことです。音楽のルールをふまえていくことが課題になるでしょう。
どの分野でも、お客さんの前に立つときは、客よりも勉強していること、もっと勘が鋭いことや、より変化に対応できること、それらを見せるのが芸人です。では、終ります。
何ごとも人まえで問うては、反省して、勉強していくのが一番早いと思います。一瞬でイメージ通りに動かせている人はどういう意識で、何を見て何を入れておかなくてはいけないのか知ってください。
音の世界で難しいのは、自分のなかの声を聞かなくてはいけないということです。その声の先にある聞く人に対して、自分の感覚を伝えなくてはいけません。判断基準が自分のなかだけで閉じてしまってはいけないのです。
個人レッスンなどの難しいところは、それが先生との間で閉じてしまうことです。よい声が出ていることと、現できていることとはまったく違います。ポップスの場合は、歌の勉強をするとき、ことばがわからないかもしれませんが、勘で捉えていってください。バスケットでもコートのなかで動こうと思ってもいけないのです。その外にいて、全体がどう動いているのかということを見ている目を同時にもたないと正しく動けません。外からみる目がないと、基準もできてきません。歌というのは入っていけばいくほど、自分と一体化していきますから、外から見えなくなります。しかし、そこで第3の眼を感じるのです。
それができたら、自分の持っているものから選んでそれを取り出す練習が必要になってきます。この曲は五番までありますが、リピートすることでより気持ちよく聞こえていかないといけません。最初から統一して、まとめてやっていこうとすると、低いレベルでまとまってしまうことになります。ヴォイストレーニングでは、自分の歌のイメージや構成があって、こう出したいということに対してついていけないからこそ、基本をより固めるというトレーニングをやります。
声域、声量は一つの条件です。ないよりは、あった方がよいのですが、それはトータルで仕上げるための部分的なものです。
表現力についての問題は個人の感覚に負うしかありません。こういうレッスンも部分であって、中心ではないのです。中心はあなた方が決めていくしかないのです。部分的なものを最終目的、中心にしないことです。
フレーズを回すとき、スピードについていけない人は、そこから練習しない限りずっとそのままです。
(「いつかふたたび すべてをすててとびたつの
(ドレミーレドミソーミ ミファミレドレミ ミファミレドレー)」)
グループでやることのよい点は、違うやり方がいろいろ見えてくるということです。違う表現形態を持っている人もいます。心地よく聞こえてくる人もいます。聞いたらすぐそれが出せるという人は、それがスタイルになっているというより、どう出せば聞き手に伝わるかということを知っているのです。
表面的なことよりも中にあるものを見ていってください。まず働きかけてくるものと、そうでないものを見極めていってください。そのことに厳しくなっていくと、長くやっている人の感覚がわかってきます。いきなり一流の人の感覚をまねろというのは難しいからです。
まず、作品に対してイメージをつくれることと、やったことが自分でわかるということです。できていると思っても、できてないことは多いです。自分を知っていくことが大切になります。まねするのはダメです。
(夏木マリ「ホリディ」)
変化をおこしていくことです。変化をおこすためには保てないといけないのです。
昔のなかに入っているはずの音楽の感覚も、さらにきちんと磨いていってください。
人前に立つ人は、客よりも感覚が鋭くないとこなしていけないと思います。どうすれば音楽になるのかというと、音楽になるものをきちんと組み合わせていかなくてはいけないのです。声のピースの構成です。それを自分のなかで完成図としてイメージをもつことです。難しいのは、イメージを音程やリズムではなく、音のフレーズに変えていくことです。
それから、あまり細かく刻みすぎないことです。「人はなぜかしら」、「いつもなにかを」を一つずつくらいでとっていくことです。相手に放り投げるようにやってください。強くやろうとか、感情を込めようとすると、違うことが起きてしまいます。おきること自体は問題ないのです。おきたらより強い線で引っ張ればよい。それを一つにしていくことです。しかし、その流れからはみ出して戻せなければ失敗です。
「ハイ」のなかに「すべて」ということばをいってしまうくらいで捉えてください。「す・べ・て・を」ではなく、「てを」くらいで捉えるのです。音のなかで、音をきちんと動かすということを捉えていって欲しいのです。とても単純な音の流れを、まず歌にしてしまうのです。そこに、ことばがついていく。だから、ことばよりも、優先させるものがあるということです。どこかにアクセントをおくとやりやすいでしょう。
(「せめてもう一度
(ドレミファーミドレ-))
ドレミファーミードレーという音を頭に入れておいて、アクセントをつけていきましょう。