一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

合宿3 29645字 1009

合宿3

 

○合宿後アンケート

 

 

結果の集計

 

0.メニューでよかった(上位5メニュー)()内は回答者数

No.1→13(5),19(4),11(3),18(2),21(2),5(1),6(1),14(1),17(1),20(1),23(1)

No.2→21(5),1(3),14(3),20(3),11(2),17(2),6(1),10(1),13(1),19(1)

No.3→21(3),19(3),1(2),2(2),6(2),22(2),5(1),8(1),10(1),13(1),14(1),17(1),20(1),24(1)

No.4→21(4),6(2),11(2),22(2),1(1),2(1),7(1),14(1),16(1),17(1),20(1),24(1)

No.5→23(4),1(2),6(2),16(2),20(2),3(1),12(1),14(1),17(1),19(1)

 

[メニュー一覧]

1a.ウォーミングアップ/1b.自己紹介ライブ/2.課題「Walk This Way」(全員)/3.課題「Walk This Way」(班別)/4.課題「At the Hop」(全員)/5.夜の鑑賞会/6.夜の課題(福島)

/7.朝のウォーミングアップ/8.課題「ニンナ・ナンナ」他全3曲(全貝)/9.昼のウォーミングアップ/10.課題「Walk This Way」(班別)/11.課題「ニンナ・ナンナ」他(班別)/12.課題「At the Hop」(全員)/13.各班別練習/14.課題リハーサル/ゲネプロ/15.花火/16.夜の鑑賞会/17.夜の課題(福島)

/18.課題リハーサル/19.発表会ライブA班/20.発表会ライブB班/21.発表会ライブC班/22.発表会ライブ「At the Hop」(全員)/23.福島コメントほか/24.フィナーレ/25.昼食会・歓談

 

 

ーー

 

1a.ウォーミングアップ

 

ラジオ体操のリズムにすら、のれない自分を発見。少しショックだった。

一番強く心にひっかかった曲は「ガンダーラ」。抽象的な歌詞だけど、その音色とテンポが見果てぬ夢を見つづけることの儚さを伝えているように思えた。

先生が「ことばが深まっていかなければならない」といっていたが、簡単なことではない。

一つのことばに何度も何度も出会って、想いをつめていくような時間のかかる作業だと思う。

歌が深まっていくには、ことば一つにどれだけ感じられるか、自分のものにできるかのように思う。

時代のなかで残ってゆく曲のなかには、必ずオーラがあると思った。

 

 

1b.自己紹介ライブ

 

空気を変えられなかった自分も問題ですが、今まで見た場のなかでは最悪でした。

短い時間のなかでしっかりとうまくまとめていた人もいた。のど自慢みたいだった。

やはり、観ている人に何らかの形でエンタテインしないとダメなんだなと思った。

内側にロールするものをもっている人が数人いた。

反対に声が出ていても、そういうものがない歌は死んでいるように感じた。

聞いていて、どんな人なのだろうと興味をもった。

音が柔らかくなったなと思った。

 

 

2.課題「Walk This Way」(全員)

3.課題「Walk This Way」(班別)

4.課題「At the Hop」(全員)

 

 

5.夜の鑑賞会BV通信添削テキストの揭示

 

さすがの解決ぶりに脱帽。全部、もって帰りたいくらい。ためいきが出た。

名曲ばかりで、嬉しくて切なくて悲しくなった。

 

合宿のなかでも別空間に感じる時間。今年は香がなくて残念だったが、白鳥恵美子の歌と雨の音をきいていたら海のなかにいる気分になり、心地よかった。表現というのはどこまでいっても自分自身の問題なんだと考えていた。いろんな人がそれぞれの想いをもってここに集まり、また違う想いを抱え帰ってゆく。

 

どのくらいのレベルで楽しむとか、どのくらいの深さで人とつきあいたいとかそんなものが歌やステージに出てくるように思った。今までことばを伝えることに必死になっていたけれど、ことばそのものが伝わるわけではないということに気づいた。そしてことばの意味を伝えてもしょうがないということも。そのことばの裏にどれだけ自分の想いとかイメージのひろがりがあるかで、ふくらみをもって伝わってゆくものだと思う。

 

だれもが使っている共通のことばはお互いを理解し合うためにあるものではなく、日々の生活がスムーズに流れてゆくために存在するように思う。何も込めれていないことばをどんなに投げつけても、何も伝わらない。かといってことば一つがそう簡単には深まっていかない。

 

自分が深まっていかない限り、ことば一つも深まっていかないように思う。ことば一つといえども、それを発した自分の深さが丸見えになってしまうことを考えると何とも恐ろしい。考えているのだか眠っているのだかわからないような時間だったが、海を見つめているように静かな気持になれた。

 

ことばのもつ力を改めて感じさせられた。

それを発する人次第で、薄っぺらくもなり、重くもなることばたち。今まで聞き慣れた歌ばかりだったが時代を超えて歌われてゆく歌には必ず心が入っている。それも歌い手の一人の思い込みや感傷だけではなく、作品としてより多くの人びとに語りかけてくる。

 

壁中に貼られた解説を読んでいて、自分のことばや歌との接し方はまだまだ自分のなかでしかまわっていないと感じた。というより自分を見つめ切っていないから消化されないものをいつも出しているように感じた。歌はそれぞれのヴォーカルにとって歌わずにはいられないものだったことが伝わってくる。

 

歌、音楽でもやろうかというものではなく、歌、音楽があったからこそ救われたというような人ばかりのように思う。自分の想いと生きている時代が一致しているのは、その人がその時代のなかでしっかりと根を張って生きているからだろう。

 

ことばの世界だけで伝えようとすれば、伝わるだろうが、かなり重くなってしまう。そこをふまえた上で音楽、歌になってゆくことで、より多くの人に伝わっていくように想う。

 

歌い手のなかに決して変わらない何かがなければ歌にしたとき、全て流されてしまうのではないだろうか。中心を捉えているからより突き放して歌える。ことばの深さをつかんだ上でこそ、より伝わっていくのだろう。それぞれの歌詞とあらためて接してみて、一つのことばの前で立ち止まってしまいなかなか先へいけなかった。

 

感動がたくさんあった。いつもと違う環境で聞くのはやっぱり違った。

 

非日常的な空間で音楽を聞くのは、とても心に残る出来事です。お風呂上がりにくつろいで、普段ふれないような曲を聞かせてもらえることは、とても贅沢なことだと思うし、軽井沢の一夜の思い出ともなっていました。

 

特に印象的だったのは、3年前の夏の合宿での鑑賞金です。

あの夜の雰囲気が、今でも心のなかに広がります。

自分のなかでも特別な合宿だったので、なおさらかもしれませんが。

 

人が来ないようだったら、瞑想室という名前を変えた方がいいのでしょうか(私は好きですが)。

できれば、全員で聞いた方が、磁場ができるし、合宿という雰囲気です。

 

 

6.夜の課題(福島)

 

一番やらなきゃならないことを普段やっていないということがよくわかった。

 

夜の余裕があるようで、ない。このくらいのペースが、2年間の基本なんでしょうね。

 

歌詞をあれだけ深くさぐったのは初めてで、勉強になりました。

 

あれだけの曲のなかからの4フレーズ。自分を見つめるいい機会だった。

 

こいつのせいで殆ど眠れなかったが、自分のある歌に対するこだわり、思い入れなどを見て分析するのもまた勉強。

 

知っている歌が多いだけに、詞の解釈を一歩つっこんですることの意味を考えることができた。

ことばのウラや行間にあるイメージやストーリーを読み込むことで一行の重みが変わる。

 

今まで、イメージのなかで、処理していたものが、いかに曖昧なものだったか、つきつけられた気がした。

 

書いているうちに、歌う理由や思い入れができてくる。

 

 

7.朝のウォーミングアップ

 

朝食前にそこいらを走ったり、筋トレしたり、柔軟やったのがよかった。

朝の空気がスゴク気持ちよかった。くわがたが背中にくっついててビックリした。

 

普段の発声練習で慣れたものでなんとなくやっているという甘さを感じた。

一つひとつの音に集中していない。

 

 

 

8.課題「ニンナ・ナンナ」他全3曲(全員)

 

「伝える」を考えたとき、いろいろと答えがみつけられた。

「あっ、こんなんじゃ伝わらないな、じゃあどうすればいいかな」。

 

「ニンナ・ナンナ」の声(歌)が印象に残る。

 

個人の課題なら「ニンナ・ナンナ」は選べなかった。

ピアノだけなので、詞と音からイメージをつかまないといけない。

自分の音楽的バックボーンがより問われる。

 

「ニンナ・ナンナ」について、この曲をやりたいとすごく思いました。

メロディがきれいだなと感じたことと、曲の知識がまったくなかったので、自由に歌うおもしろさがあると思ったからです。2番がなかったので、1番を2回歌う構成にして、あとは各人のしたいようにすることにしました。

 

よかったと感じたことは、自分と同じ箇所を違う人が歌うのを聞けたこと。それも何度も繰り返し聞き合えたので、フレーズの練られていくプロセスや、曲の解釈の違いなどを自分と照らし合わせて学ぶことができました。

4人ともそれぞれ違うタイプで、また実力の高い人もいたので、そのフレーズの決定的な違いは何だろうと、じっと聞き入っては考えました。

 

1フレーズであれば短くて簡単なようで、自分のよさを出すコツを知っている上での練り込んである集約度が違います。自分は、どうしてこういうふうに歌いたいと思ったのか、もっとじっくり考えるべきかもしれない。

 

あまり難しく考えてもバラバラになってしまいます。

本音をいえば、基礎力のある人が集まっているのだから、もっと個人のフレーズに力を入れるべきだと思っていたし、そのために、とてもよい材料だったから、もっと完成させたかった。

 

今回この曲を通して気づいたことは、今までハモリを考えたりすることは苦手だと思っていたのですが、そうでもなくなってきたということ(練習時間が限られていたので、一番簡単なものにまとまってしまいましたが)。

 

本番のできについて、よかったといってくれた人もいました。

聞き直してみないと、一体どこらへんがよかったのかわかりませんが。

一昨年前に比べると、進歩はしていると思います。

 

 

9.昼のウォーミングアップ

 

全員対一人のかけあい。人のまねできないことができないと。

受け狙いの宴会のようになってしまう。

 

 

10.課題「Walk This Way」(班別)

 

煮つまってきたとき、安易な方へ流れ(受け狙い)ふり出しに戻る。

 

 

11.課題「ニンナ・ナンナ」他(班別)

 

声の深さや、つかむことの重要さをひしひし感じる。

 

詩の朗読で前後の意味を考える(感じる)ことの大切さ。

 

 

12.課題「At the Hop」(全員)

 

13.各班別練習

 

いい緊張感で互いにチェックしあって、いいものができるときは、きっとこんな雰囲気だと思った。

 

「セレーナ」をやったのだが、声のコントロール(つかみ)と感情(キャラクターづくり)どちらも欠けてはならないと思う。

 

課題のポイントの捉え方の違いの指摘を受けて、引き締まった。

 

「Walk This Way」について、自分のなかで、どうにも消化しようがないのではないか、と思っていた課題です。英語の歌を個人的に歌ったことがないので、まず発音でひっかかってしまいました。

まったく感覚の入っていないものを2日で仕上げようとしても難しいし、普段やっている基本の上に少し応用を乗せるくらいでないと、台宿という場の3日間は無駄になってしまう、というのが正直な感想です。

 

私ほどこの課題を難しく感じた人はいないようでした。班の男性は楽々歌っていましたし、一番力を注いでいるようでした。私の例が特別だというのは甘えると思います。

このレベルではコーラスぐらいしかできないと思い、そうしました。かっこいい城までいけそうになかったからです。近頃とみに感じていることに、ここのトップレベルの人達と自分との音楽的センスの差があります。

 

前々から気になってはいましたが、みな外国(特に英語)の歌をかなりうまく歌えます。

人によってはネイティブ並みです。

多分、私との音楽的フィーリングの差は、外国語の歌をコピーしたり、歌い込んだりすることで身についてくるのかもしれない、と思い至ります。

 

自分としては、みんなのように外国語の歌を原語のまま歌う練習も必要だろうか、とはよく考えることです。

ただ歌えばいいわけではなく、言葉が伝わらない分、原語をスマートに処理する練習が必要になり、興味がないとなかなか難しいと感じます。

外国語で歌う場合、日本人にはたいてい歌詞の意味が伝わらないことになり、では一体私は何を表現し、伝えたいのだろうか、と考えてしまうとなかなか選曲する気になりません。

歌にはメッセージが必要である、と私は思っているので、その伝達方法としては、私にとって日本語で歌うのが一番ベストであり、もしそれを外したならば、どのくらいのものが伝えられるのだろうと考えます。

 

「WALK THIS WAY」結局、自分たちのやっていたことは文化祭のレベルの催し物のようなもので、自分たちが楽しければそれでいいそれが何より大切なことといってしまうような作品だった。

他の班の作品をみる暇はまったくなく、客観的に自分たちのやっていることがみえず、隣の人がおもしろいといってくれるようなその程度のものを作ろうとしていたのだと思う。

ステージや表現の厳しさ、鋭さが抜け落ちたところで楽しもうとしても、ここの場では通用しないということがわかっていなかった。

 

朗読「アディオ・アディオ」他の人の呼吸を聞くのと聞かないのとでは、自分のなかのふくらみや全体としての統一感がまったく違ってくることに気づく。

去年も朗読はやったはずなのに、何もわかっていなかった。

全体を通して、ひとりの人間が語っているように聞こえること。

 

他の人の呼吸を聞くことで、前後が決まってくる。

入り方、語尾の処理の仕方で、余韻がまったく違ってくる。間の大切さ・緩急。自分のパートをいおうとして準備していると、前後のつながりがまったくなくなる。

体にも入ってこない。他の人の呼吸とことばに自分を重ねていくと、すんなりとその詩の世界に入っていける。

このことは自分一人でどうにかなるものではなく、全員の呼吸や意識が一致したとき、初めて一つの作品になるのだと感じた。

 

よく聞くというより感じる。そして発してみる。その間でいいのか、次につながってゆくのか、何度もフィードバックして練り直す。

やっていて気づいたことは、ビークがビクになっていないとそのあと、落ちることができないということ、落ち着くにはその前に高みにのぼっていることが必要。

 

自分ひとりでやるのとは感覚が違う。どんなに声量を押さえても、最低のレベルの音量がある。自分の内にひいてしまっては伝わらない。

感情にひたっているものはべたついていて伝わらない。単純にことばをしっかりいうこと大きく出しても中身がまったくないものがある。

 

他の人の呼吸を聞いていないと自分ひとり急にそこで高まって出し、全体からみると浮いてしまうということがある。

呼吸を聞いていないというのは、自分がそういうことを意識することができて初めて気づける。

心地よい裏切りではなく、不快なものになってしまう出だしの大切さ。どんなに押さえて入っても、そこに凝縮されたもの、これから何かがはじまるというテンションの高さが必要のように思う。.

 

人の人が発したものに対して、次々と重なってゆく感覚。

ピークにむけて全員の気持ちが一つになってゆくこと。そして全員で落ちてゆくこと。

それができれば場の空気が変わってゆくように感じる。

 

最も勉強になったのは、朗読の「ニンナ・ナンナ」であった。朗読に関しての自分のなかで出ていた答えが根底から揺らいでしまった。間違っていたとは思わないが、甘さを痛感した。

悲しいからといって泣けばいいというわけでも、楽しいからといって微笑んだり、笑えばいいというわけでも、つらくて苦しいからといって、声のトーンを下げたり、暗くなって表現すればいいというのは絶対に違うと思っていた。

悲しみの表現だって、人それぞれ悲しみ方も違うわけだから、表現のしかたも千差万別でもいいと思うが、あまりにもそれって安易すぎるんじゃないっというのが自分のなかであった。

 

表現とは、人に見せるというのが大前提としてあるわけで、見ている人(客)に退かれてしまっては、失敗なのである。

自己満足で陶酔している自分を見せて、それで表現が成立するならば楽々であるが、だいたいは、客に寒さを感じさせてしまって終ってしまうだろう。

 

自分の考えは、もう一歩進んでみて、客が悲しみを感じる(悲しくなるのとは少し違う)表現とはと考えていた。

自分のパートは歌でいうならばサビの部分だ。

表現のしかたを決めてかかってもよかったが、全員でパートごとにわかれて順番でやってくるのだから、これもひとつの“団体作品”なわけだ。

起伏、流れ、タイミングいろいろ注意すべき点があるはず。

 

前前の人、前の人の流れを感じ、考えて自分の言葉を出さないと、それはただの詩の読み合いになってしまう。

これはある意味でセッション。そう思ってやったつもりだった。

いろいろ考えて、自分のなかにある絵を聞く人の顔にそのまま描けるような表現をしたつもりだった。

映像を見て、ひっくりかえりそうになった。ただのあれじゃー、棒読みだ。

頭でいくら考えてもできてなければ、何もしてないのと同じだ。ゼロからやりなおしだ。

 

 

14.課題リハーサル/ゲネブロ

 

「ニンナ・ナンナ」が、ヘたな劇団みたいで、いやだった。

気合いは入っていたが、やっぱり練習の方がいい部分もあった。

 

 

15.花火

 

最後の方に参加したけれど、楽しかった。

夏の夜の花火はいつもいいものだと思う。

 

 

16.夜の鑑賞会

 

瞑想ルームで音楽を聞きながらいろいろ考えた。

この場にいることをじっくり感じたかった。とてもいい時間だった。

「アディオ・アディオ」の聞き込みを中心に。ビルラすごすぎ。

どう自分なりにおとしこむか。

 

 

 

17.夜の課題(福島)

 

創造力のなさを痛感。歌い手の世界はこういうところからも生まれるというのに。

 

「すごい男の歌」は、あれでよかったのかどうかわかりませんが、楽しく考えさせてもらいました。

“2フレーズの組み合わせ”や“ストーリーを考える”も、なんとなくイメージしかしていなかった。

詩の世界を「心で捉える」って感じで、勉強になりました。

 

「すごい男の歌」この課題に関してだけではないが、今回のメニューはどんな目的をもって接する、

取り組むかによってまったく違う結果になってしまうと感じた。

 

受け狙いの歌は人を笑わせはするけれど、「楽しかった」というレベルが作品をつくる楽しさにはならないように思う。どうしても伝えたいという想いが欠けてしまうのではないだろうか。

 

聞き慣れた歌だし、のりもいいので雰囲気にはしりがちだが、このフレーズを全力で伝えようとしたらかなりのテンション、集中力、体力がいる。どんな歌にしろ、それを本当に伝えたいのかということを自分に問わなくてはと思う。

 

徹夜して(半徹夜)考えても考えても眠さと頭のなかがごちゃごちゃで、何も出てこなかった。

ショート寸前、爆発しそうだった。

 

「アディオ」の解釈を書いたことで、ばらばらだった詞が一つのストーリー、世界になった。

「すごい男」の課題は「あきれた男」になってしまい課題の意図を汲み取れなかった。

 

自分の歌(詩の世界を)をギリギリまで煮つめること。

本気でやらなければ、本物は出てこない。

 

先生にいわれる前にやってて、あたりまえのこと。

それは次の日、身に染みてわかった。

 

2行作詞するだけでも大変。一つのことばも疎かに扱うべきでない。

 

 

 

18.課題リハーサル

 

トレーナーのアドバイス「このなかに俺も入っていきてえ、と思わせる。そういう顔をする」が勉強になりました。

 

 

 

19.発表会ライブA班

 

全体的にカラ回りしている印象を受けた。体全体を使っている人、あるいは、使おうとしている人と、まったく使えてない人、そのイメージのない人と体を使っているつもりになっている人と大きく分けて3タイプいたように思う。一番見たくないのは、体を使っているつもりになっている人だった。

ベース(土台)のないところには何も乗ってこないという感じがした。しかし、思い切りのよさは感じた。

 

この班にいる人の課題が明確に出ていた。心の動きやはみ出してしまうところを初めからカットしてしまう形だけの薄っぺらさが出ていた。出すというよりも整えようという方に気が向いていたと見える。

 

当人たちの力に連動性がなくてバラバラ。1+1は2、3にならなくて1のまま。

自分が見習わないといけないていねいさはもっている

 

「Walk This Way」なかなか考えていると思いました。でも一人ひとりのフレーズが短すぎたのか、誰が何をしているのかよくわからないうちに終わってしまった気がします。

自分に与えられたフレーズを機械的に処理しているような感じで、あまり印象に残りません。

 

カンツォーネの3曲についても、フレーズのまわし方が「Walk This Way」と同じような感じで、モグラたたきのモグラみたいで、全て同じ人のように見えました。

忙しいばかりで、ほとんど個人が浮かびあがってきません。

場もだれてしまっていたと思います。C班のように、楽しくさせる方にばかりいくのも問題があると思いますが、お客をどうしたらひきつけておけるかという工夫も必要だったと思います。

 

 

20.発表会ライブB班

 

客席を毅然と見つめることを心がけた。

人柄が出るなあと思った。

A班よりも、勢いがありました。「Walk This Way」でのダンス的なまとまりも、工夫してあったと思います。

楽しめました。その後どんなふうだったのかが、ちょっと思い出せません。

「すごい男の歌」でも、何人かよかったような人がいたと思います。

 

 

 

21.発表会ライブC班

 

ゲネプロとは明らかに違っていた。浮き足立っていた。不満。

個人の存在感の違いを感じた。

3グループとも、練習でできていたクオリティは出せてなかった。

皆の本来の力からいえば、無難に流れていった印象。自分に関しては、統一されず、バラバラだったと思う。

いろんなことをやろうとし過ぎて、力が分散されてしまった感じがする。

疲労がたまって、体も声もまったく、いうことをきかなかった。

男と男と出会う現場。

 

 

 

22.発表会ライブ「At the Hop」(全員)

 

歌は気持がイイときほど、くずれてゆく。

課題に対して鈍すぎると思う。ステージで自分が楽しむことは大切だけど、それは何かを人に与えた上での話であって、ステージではしゃぐこととはまったく違うと痛感させられた。

なんか、この3日間のいろいろなものを吐き出した感じ。

 

 

 

23.福島コメントほか

 

先生方の100分の1も自分のことを評価できない。

観察眼を育てなければ。

 

 

 

24.フィナーレ歓談

 

とっさに詞が出てくるってすごいことだ。

頭のできが違うのか、ものごとをまとめるクセをつけているのか。

解放された気持ちのなかに3日間の思いが込み上げてくる。

“3日間で1フレーズ”抱きしめたかった。

課題の意図を摘み表現できた者は、未来が拡がる。

最後、締めようとする福島先生を押しのけて登場してすいません。でも出たかった。

ドラを鳴らす福島先生が印象的だった。

自分のことばがかえってきて、おもしろかった。

皆、疲れているなと思った。去年よりもメニュー自体は少なく感じたけれど、自分も含めてかなり疲れているなと思った。

例年よりも盛り上がらなかった。

福島先生の声が、ざわめきのなかでもはっきり通って聞こえてきた。思わず耳を傾けた。

 

 

ーー

 

<3> レッスンについて

 

 

◇全体のメニュー構成について

 

もっと時間があればは、全員が思うことでしょうから、いいとして、1分も本当に無駄にしたくないと思えるほど、ギッチリしてよかったと思います。

「WALK THIS WAY」は、とても難しい。少し選曲に難有りと思う。

HIP HOPをもっと知った人に選曲させた方がよかったのでは。

すべてが終ったあと、こういうことをやりたかったのかと理解したが、最初はとても流動的だなと思い、ついていくことがなかなかできなかった。

ちょっと、メニューが多すぎる気がした。初めてだったのでハードだった。

量的にもハードだったけど、内容も今の自分にはけっこうハード。

 

 

◇印象に残ったメニューと感想

 

朗読。構成や表現など、一番多く意見が出た。

感性や解釈の違いがいくらか見えた。

「WALK THIS WAY」「待ちわびて」「すごい男の歌」

福島先生の自分でタイトルをつけるということばが残りました。

自己紹介ライブのような、準備するまもたいしてなく、ステージに立って皆(客)に何かを与えなくてはならない場の恐ろしさとある意味での楽しさと、無力さを感じられたことです。

2フレーズ回し、たった10秒でもほとんどわかる。

そこに集約させるだけの理由や必要性が本当問われてた。

福島先生のレッスン。あの空間で聞くと、歌の流れを感じる。

それぞれの歌い手が、独自の世界を創り、それは人にはまねできないものだと思った。

 

 

 

ーー

 

<4> 全体(レッスン外で)での感想

 

 

セミナーハウス(部屋、食事、場所、他)

 

最高の環境。

食事はおいしかった。釜飯もおいしかった。

おじさんはやさしかった。

食事もおいしかった。

部屋も広かった。

ありがとうございました。

自然が美しかったが、自分にとらわれすぎていると、外の美しさを忘れてしまう。心の余裕をもつことが大切だった。

 

 

◇印象に残ったできごと

 

食事のときの福島先生のコメントがけっこうおもしろかった。

2日目に所用で東京へ行き、夕方、スッと飛んで帰ってきた。正直、参った(感嘆)。

 

 

◇気づいたこと、学んだこと

 

「ネバナラナイ」世界じゃない。全部、自分次第。けど、まわりに人がいる。どこでも同じだ。気を使え。

京都と同部屋で、彼らの「起きてから寝るまでヴォーカリストという姿勢がとても刺激になった。

遊んでいるように見えても、やっている人はやっているし、やってない人は何もない。

 

 

 

ーー

 

<5> スタッフへのワンコメント

 

福島先生

 

いつも奥の深い課題、奥の深いことばを投げてくださっているはずなのに、浅いところしかくみとれない。今回は、特に恥ずかしい思いばかりしていました。真摯に受け止め、自分のなかで何をすべきか、というところへ落として考えるべきだったと思います。

いろいろと歌と、音楽と(その他も)勉強させてもらって、ありがたく思っています。ラストの「AT THE HOP」で体を動かしてのっている氏は印象的です。

奥が深いのに、幅が広い。

 

本当に深く優しい人にしかできないこと、いえないことばがあります。それがあるからどんなコメントも安心して聞けるのです。

私はまだ先生のこと、異次元人だと思えている。

たまに飲むジュースも、トイレも今回、食事もすべて、人間っぽくみせるための計算。それくらい、素敵で今までかなり緊張していた私は、それと闘うのも問題だと思っていました。

それでもそれを解きほぐしてくれる先生をたくさん見せてくれましたが、前にすると胸がいっぱいになる。ーいつか追いつき、追い越したい。

 

その代役のきかない存在に深く感謝しています。(まだ、あっちの次元に戻らないでください。)

そのときに、改めて感じたことは、先生の存在感とことばの説得力です。

ともすれば、すべて、うのみにしてしまいそうでした。

先生の感じていることの果たして、何十分の一自分は感じているのだろう。

今に見てろって感じです。うわはははは、いってしもうた。

とにかく無事帰ってくださいという、健康などに対する気遣いがうれしかった。

先生の声を聞いていると、ものすごい深さを感じて、この人はものすごい人生を歩んできたんじゃないかと思った。捨てること、断つことを知っている人だと思った。

厳しさとやさしさと、おかしさがあった。

 

 

 

 

トレーナー

 

必要なことを必要なとき、厳しくバシッといってくださいました。

甘えを許さない態度が励みになります。

 

いつも“キッ”としているので、いい感じでいつも緊張できて助かります。

ダレると、とことんまでダレるので。いつもニュートラルに(初心)に戻してくれます。

 

いつも目が気になります。いろんな表情があって、いろんな意味がつまっているように思えます。

ことばにしなくても、伝わるような感じで、集中カを感じます。

 

いつものようにガツンといわれ、より課題が深められた気がします。

それまでは、ただとりあえずやろうとしていただけだったと気づきました。

 

そのいつでも厳しい表情に繊細な情感をすぐ呼び覚ますことができるのが、不思議に思ったこともありましたが、立ち会って頂いたレッスンのなかでの笑顔は真剣さのなかのものでしたね。

常に闘い続ける姿に刺激されっぱなしです。

 

正直、軽井沢に来てから少し皆、浮かれているような気分があったと思います。

アドバイスを聞いていて、これは、ふだんのレッスンと一緒だと思えて気が引き締まりました。

 

今回は歌も聞けず、課題にも参加せずで残念でした。なのにその存在感はさすがです。愛してます。

 

立っている姿から、すごい厳しさが伝わってきます。

いうときは厳しくいうけれども、その裏に音楽や私たちへの愛情が感じられます。

 

表情がいつにも増して、厳しく、険しく感じました。

だらっとしてしまいそうな気持ちが引き締められました。

 

日々本気でやっている者がもつオーラを感じる。

絶望を知る者のやさしさを感じる。本気でやってこられたのだろう。

 

姿勢のよさが際立っていました。

それは単に姿勢だけじゃない考え方やどう過ごすかということが、今出てきているように、今まで2回の合宿のときとの変化として感じました。

 

優しい人なんですね。本当は、私は知ってたつもりですけど。

 

 

できの悪さをおちこみがちな私たちを暖かく導いてくださいました。

ステージとしていかに見せるか、私たちより考えてくださっていました。これじゃいけない。

 

エッセンスがたくさんつまったメニューだったと思います。

このメニューを組むのにもたくさんの時間をかけてくれたんだと思います。

 

うちの班の「WALK THIS WAY」がどうしようもなかったときにいろいろとアドバイスをしてもらって感謝してます。本当にていねいに説明される方だなあと思いました。

 

実は、控え目な見守りお姉さんタイプなのかなとコンビで思いました。

あのファンキーな色使いの服装。内なる気の爆発を見てみたい。そんなステージングが想像されるのです。

 

「WALK THIS WAY」の班での作品をまとめる途中いろいろなアドバイスをいただきました。これに関しては、私どもは、若い連中がいろいろなアイディアを出しましたが、センスのいいものばかりではありませんでした。そのちょっとへんなところをうまく修正できるようアドバイスしてくださいました。

 

コンピみたいでした。ふたりともすごくかわいかった。

ハツラツとしてた。皆を和ませたり、のせたり、潤滑油になってくれた。

ふたりの笑い声がすごく心に残ってます。“AT THE HOP”でのDANCEも“プリティそしてグット”でした。

 

体を見れば、この人は歌えると思う。

 

その笑いは、場を明るくするなと、つくづく思った。

いつも、テンションが高く、笑顔でOpenで積極的なところを見習いたいと思った。

 

録音の回転数を落として聞くとは、参りました。

たいへんな課題、ありがとうございました。

 

 

常に何かを求められている感じがすごく伝わった。

私たちの歌に消化不良を起こしているような様子がみてとれた。

できればのせたかったけど、自分でのってた。くやしい。

 

球のように駆け回って(バス追いかけて)(踊って)(シャウトして)いるテンションを初めてみた。

ステージのクールさただようではなく、誰かがいってた“かわいいをみた。

 

踊っているのと、ゴロゴロしているのと、花火がしたいといっていたのが、とてもチャーミングで素敵でした。

 

「AT THE HOP」で踊る姿が可愛かった。何だろうな、あれツイストダンスかな、

とにかく私には苦手で馴染み薄い分野なので、屈託なく踊る先生が羨ましかった。

 

いつも、この合宿では、やさしく笑っていたような。それがとても安心感を与えてくれた。

 

ここ何ヶ月で、どんどん最初、私が合った頃から、変わってきているとすごく思う。

ぬけてく感じというか、言葉ではうまくいえないが。歌に対しても人に対しても繊細な感じがする。

 

 

ピアノをひっぱらなきゃならないのに、ピアノにひっぱられている場面が多々あった。これじゃいけない。

 

「花火しよーよ」っていっているときと、ピアノを弾いているときとはまるで別人。

「セレーナ」は、ピアノのおかげで感情が入り込みやすかった。

へたな歌でもしっかりとピアノがきれいだったので、無事おわりました。

 

できるピアニストの体。

 

こんな、おもしろいキャラクターの方だとは失礼ですいません)知らなかった。

すごく親近感をもってしまった。

「AT THE HOP」を何度も弾くのは、大変だし、弾けるのがすごいと思った。

 

今、できることは何なのか。より向上するために、形としてできうる限りのことをするために、どうすればよいのか。つのステージをつくるために、完全な完成のあり方を示してくださいました。

 

全体を見つめる真摯な視線とそのコメントに、私たち後輩に対する厳しさだけでなく気遣いまでも感じさせられました。

 

合宿の少し開放的な雰囲気に決して流されずに、常に冷静な視野から的確にコメントいただきました。

 

私たちが一所懸命だというだけで、本当に一所懸命アドバイスしてくださる。

皆さん、自分に期待してくれているからこそ、アドバイスをくれる。

期待に応えたい。気持ちも、結果も。何よりも応えたいのは、自分自身の期待。

「絶対ということではなく」という説明。

 

 

 

ーー

 

<7>

 

7-1 今回の合宿の目的

 

とにかく、キツネ(歌)に会いたかった。かけらだけでも、欲しかった(見つけたかった)。そして、自分のバラの花も。

 

自分に何ができて、何ができていないのか。自分がどこまで「人」と「場」を動かすことができるのかを知ることでした。

 

好奇心、何が起こるのか、何ができるのか、どういうキャリアになるのか、自分が行ってついていくことができるかどうかのチャレンジとして。3日間という短い期間でどれほどのことができるだろうかと焦って、最初はかなり迷ったが、やはりこの台宿は貴重な体験になったと思う。

 

自主的に、意識的に物事を動かすこと。グループでにしろ、個人にしろ、人前でステージでパフォーマンスをすること、創ることに必要な要素は何なのか。頭を柔軟に働かせる。全力で取り組む。ためらったりしている余裕はない。

 

まわりも見る。経験しても姿勢、意識にしても身体にしても自分がいかにステージという場所で何をしたいか、ヴォイストレーニングをすることで自分はどうしたいか。

 

今いる場所をよく確かめて、変えていけるところは、進んでいけるところはどこかをしっかり把握していないと、ただ自分の無力さに打ちのめされるだけになってしまう。

これから自分がどう生きていきたいかも含めて、そのへんのこともよく考えていかなければと思う。

 

とかくすればマンネリ化してしまう日々の生活、それによって鈍くなろうとする感覚に新しい風を吹き込むことが第一。あとは、個々のメニューからどれだけ多くのことを学びつかめるか。

 

他の人、普段のレッスンとかでは、会えない人に会いたかった。そのなかで、自分と比べ、自分を客観視できると思ったから。(これは、そういうチャンスをねらってたというのが、今回一致していると思うから)でも、特に何も考えずに即、申し込んでいたというのが、正直なところ。

 

 

 

7-2 今回の合宿の成果

 

人と呼吸を合わせることの難しさ。総合的な舞台としての客観的な目の高さ。

 

自分のなかに強さも弱さもあるということがわかった。

これは班長という立場を通じて実感したものもあるけど、作品のなかで生きていられるという強みみたいなものは得られた。

 

C班メンバー全般を見て、体を使って発声することに迷いがなくなった。

迷っていたことが目で明らかになった。私、個人への大きな収穫。やったぁ。

 

気合いが入った。気合いを入れ直すことができた。視野が広がった。

シビアになった。(これからも停滞しないように。)

 

 

 

7-3 合宿中、メニューから学んだこと

 

本当のタイトルをつけること、歌詞の解釈、あれだけ深くさぐることは今までしていなかった。

登場人物の気持が手に取るようにわかる。あれだけのことばのなかにすごいドラマがあった。

 

初心を忘れず、思い切りやるという原点を常に握っていなければならないということ。

歌やステージに対して、ここに生きて、ここで死ねるのかというところまで常に自分を突きつけて、追い込んでその上で答えを出さなければ、ここにくる意味がないということ。

空気をもっと感じなければいけないということ。

 

締め切りがある、というプレッシャーのなかで、だからこそ)集中してひとつのものを作品として練り上げていくそのプロセス。心と体のもっていきよう。

 

自由度のあるメニューに対して、方向性を決め、ステージを想定して正していくことの重要性。歌詞。

 

歌の世界をとことん考え、味わうこと。ワンフレーズのなかに、どれだけの情報を込められるか。

 

集団で一つの作品を作り出すとき、集団でやっている意味がなければならない。

2フレーズの課題のときに、福島先生に、ボタンを押すと動く人形のようだといわれたこと。

 

歌詩を捉えること、貼り出された、歌詩の解釈を読んで、情けなくなった。

今までは、歌詩を読んで浮かんでくる映像を追いかけることしかしてなかった。

最低でもあそこまではしないと、その映像も明確にすることはできない。

 

 

 

7-4 合宿中、トレーナースタッフから学んだこと

 

見ている角度がまったく、違う。メニューの目的、完成から逆算した距離など、仕上げることと過程の意味をしっかり示してくれた。

 

ある程度まで歌をつめてゆくと、それ以上進まなくなることが多いので、一つのきっかけになればと思いました。

 

適切な指示と迅速な対応と判断力。

 

“気持が大切”そんな生半可なことじゃない。

根にある“歌う理由意志”をどこまで深く揺るぎないものに育てられるかだ。

 

いろんな物事に対して自分の判断基準をはっきりもつということ。

完成までのプロセスのイメージをはっきりさせる。そうでないと動けないと感じた。

 

どう歌いたいのか、どう弾いて欲しいのか伝わってこないと、ピアニストも弾きようがないし、観客にはなおさら伝わらないということ。

 

サポート的な数々の助言、また振る舞いは、空気の流れを変え、新しいノリを生じさせた。

 

作品をつくるプロセスにおいて大きく意識のもち方が違うということ。多くを語らず、自分の作品に全てを込める。怒られてやるなんていうのは子供で、何かをつくり出す土俵の上で話せるようになりたいと思う。

それには人が働きかけるステージをやっていかなければならないのだと思う。どのレベルでやるかということではなく、常に高く、厳しいものをめざしていけばいいと思う。楽しむためには何が必要か。

 

基準をもっているので、間違いをはっきり指摘できるということ。私は、何か違うな、と感じてもまわりが盛り上がったりそれなりの雰囲気ができているとき基準がないと指摘することにためらいを感じる。自分がやるときも迷ってしまう。その差は大きいということ。

 

〈印象に残った言葉>

福島先生:「いつも100%出さないと次はない」

「アイディアを出すことが皆の迷惑、かえってマイナスということに気がつかない」

「その時間を楽しく過ごす」「制限しているから限界が見える」「心がそこにない」

「皆はそういうけれど、どうだろう。いや。やっぱり違う。いや、やっぱりそうだ。」

「よりよくしていこうと、心を一つにする」

トレーナー「先生にいわれたことをうのみにする。変だ、ということを感じられるよう、感性を磨いてください」

「心を開いて、解放させてください」

「一人に、でなくまわりで協力してあげて」

 

目、耳の基準をどんなときも保つ。

 

 

 

7-5 合宿中、仲間(参加者)から学んだこと

 

結局、自分のペースでやっていた人が一番、強い。

どれだけ自分のやり方に忠実でいられたかというのも、結果としてみるべきだろう。

てんてこまいしていた私は、それで終わったように思える。

 

一曲を3、4人で歌うこと、とても勉強になった。

自分とはフレーズの置き方が違ったり、たぶんこんなふうにしたいんだなっていうのがわかったりして楽しかった。

 

人をみて自分を知るということ。

 

それぞれがそれぞれに闘っている。だから、私も私のやり方で闘っていく。

 

C班の練習がいつも楽しそうだったのが、印象に残った。

歌を自分を場を楽しむ、ことを知っては、自分を出すこと。

自分を主張しない人は芸術家にはなり得ない。まずは、自分のカラを破ること。

 

元気、パワー、エネルギー、気合い、笑顔、想像力、創造力。

 

あったかどうかといえば、何もなかった。

そんなこと、合宿中考えたこともなかったことに、また自分の鈍さを痛感した。

次回は、こういうことをしっかりとふまえて作品にしていきたい。

 

 

 

7-6 総括 結局この3日間、何ができたと思いますか

 

成したことはない。ただ、必要なことが本当に身についていないということは心から思った。

まずは、課題を得なければならないことを知ることができた。小さな成果だ。

 

私的には、“人生最大の思い出”ができたと。

(主体的に動いて出したものは、今回のライブが初めてでした)でも、これから永遠に重ね塗られる、“人生最大の思い出”の一つが。

 

自分の歌とは、いったいなのか、その答えが私にはよくわかりません。

音楽を聞いて、生き方が前向きになったり、大切な何かを発見することがあって、そんなときは何かを与えられているわけです。

今回の合宿で何か与えられたかわからないです。

確実にいえることは、与えられたことの方が多かったことです。

 

福島先生やアドバイザーの方たちにとって今回の合宿がいい勉強になったとは思えません。

もっと与えなければ互いに前にいけないし、もしかするとアドバイスする気もなくなってしまうかもしれません。せっかく生きているんだし、ほんの少しでも自分の足跡を残したい。その気持が今の自分の全てです。

これからもずっとそれを大切にしていきたいです。

 

7の月に人類滅亡どころか、この世への一杯の幸せ感謝を感じた。それに溺れるようではまだまだ子供で、それを自分という生命に、どこまで価値のある投げかけに変えられるのか。

ノストラダムスはそういっているようでならない。それを忘れることこそが“恐怖の大魔王であり人類は滅亡へと歩むのだ”、と。

 

歌を対照ではなく、自分自身そのものと考えることの重要さを知った。

そのためには、自分や歌、人間やその他全てに対する深い関心と洞察力がカギになってくる。

 

自分のなかで、できないんじゃなくて、やってこなかっただけだということが明確にわかった。

 

 

 

7-7 今後のレッスンへの課題

 

はだかの自分を1フレーズに入れていくことを考えながらやっていくこと。自分の中身を前面に押し出していく。

そうでなければ伝わらない。自分と曲との融合。

一曲、1フレーズに対して、合宿でやった手順を踏んでみること。

妥協しないこと。

鈍い感覚を変えていく場・材料として、レッスンを主体的に利用すること。

レッスンで学んだことや課題をあいまいにせずに、常に具体的にしていくこと。

 

 

7-8 今後のレッスンへの期待、要望、改良点

 

(甘えだとは思うが)レッスンの前に、そのレッスンのねらいが何なのかを示してくださると嬉しい。

自分のもっている課題とそのレッスンの目的とをどう組み合わせるのかを考えられる。

 

主体的でないと置いていかれることがはっきりとするようなレッスン

(事前の準備が必要だったり、毎週連続して掘り下げていくテーマのはっきりしたレッスン等)

 

 

 

<8>ライブ発表(リハーサルのときの曲は“リハーサル”と入れてください)

 

 

8-1 自分の曲について

8-1-1選曲理由

 

直感で選んだのだが、結果としてリズムの感覚を深いところで感じられる曲で、ことば(詞)が自分のイメージに訴える曲で3切りとったフレーズのなかに、一ヶ所密度が感じられ、そこで伝えたいと思える曲であること。

 

 

8-1-2練習のプロセス、難易

 

曲も大きいし、メロディも難しい。そろって、音程が弱い。

それぞれに“正しいこと”となって出てくる。曲に対して、自分は見えるんだけど、相手はまったく見えてない。言葉でも歌でも伝わらない。自分にもっと力があれば、相手も気づけたかもしれない。

逆に相手から自分にないものが見えたかもしれない。

ものすごいエネルギーをもった人が集まって、1/4の唄しか出てこないのが、もどかしかった。悔しかった。

 

 

8-1-3オリジナルのよさ

 

ラップのリズム、構成。激しいだけの曲でなく、盛り上げたり、おとしたり、いろいろな動きが見えた。

カンツォーネ、ことばを読み込む感覚。ついていけないすごさ。

 

変われないことに対するある種、やすらぎを感じているような雰囲気。

静かな絶望のなかですら、そこに居つづけることによって平安であろうとする。

人間のある側面の真実を感じる。

 

8-1-4作品としてのしあげ方、方向、構成(ねらいとして)

とりあえず人のフレーズの呼吸を感じながら自分のフレーズも出すというところまでで、この作品の世界観をどんどん膨らませていくようなことができなかったと思う。

平面的な感じは残った。立体的なものを瞬間的には感じられたが。

 

 

 

8-1-5自分が加えた価値(結果として)

 

勢い、気合い

 

素朴さ。素直さ。

 

意思(意志)を見せること。しかし、まったく足りなかった。

 

自分がひっぱれなくちゃいけない。仕上げなくちゃいけない。

多分、それがそのまま出ていると思う。

全部、こわしているのは、自分だと思う。

“心をひとつに”“正しいこと”をものをつくるのに必要なことをみました。

 

 

8-1-6リハーサルで気づいたこと

 

空間に、聞き手に、自分が向かい合うときのふっと解放されるような感覚を感じた。

10秒のなかでさえ、集中しきれず入り込めず、そのぶん計算や迷いが入り込んでしまった。

 

ボロクソいわれるかと思ったけど、意外と好評だったのはなぜか。

あたりまえのことだが、時間をかけたものはできがよく、かけないものは悪かった。

 

全ての動き、声、一つひとつに意思をもってやらないと、そこにすきができて見る側にすぐ、わかってしまう。

 

 

8-1-7発表会で気づいたこと

 

映像を見て全体的に思ったのは、その音楽やリズム、曲のイメージに対応できていないという感じがした。音声的に気になったのが声の張りの部分です。

高い声を出すとうことではなく、これもイメージの問題だと思います。

ことばにするのは難しいですが、とにかくキレが悪いという印象を受けました。

ステージ上だけで盛り上がっていて、前に飛んでいっていないような気がしました。

 

自分のことでいえば、課題の意味をわかっていなかったということがいえると思います。なぜか笑いをとれなきゃいけないという気持ちになっていました。

合宿中に考えたものはほとんどがナンセンスなものばかりで、とてもこうゆうステージで発表するようなものではなかった。合宿を終えてから、もっといい盛り上げ方があったということに気づきました。

全体的にも、自分ほどではないにしろ、そうゆうところがあったような気がします。これは深く反省すべきだと思います。

 

悪いノリが出たような気がします。第三者が見ていないからいいようなものの、外へはとても出せないレベルのものという気がしました。

今回の合宿全体を通して、先生方もいっておられましたが、よいものと悪いものを判断できるセンスが必要だと感じました。

 

時間がたっぷりあればすべてのアイディアを試して確認することができるかもしれませんが、そんな状況はほとんどないだろうから、瞬時に判断できなければならないと思います。

そのためには、よいものを体験し続け、自分のセンスを磨いていくしかないだろうと思います。

 

皆が皆によりかかっていたんだと思った。ミスは連続するし、テンションも低かった。

誰も戻せなかった。

 

呼吸。集団は特にそれが、顕著に出る。

アカペラは特にわかりやすかった。じょうずとかへたではない、

それこそ本当に感覚の問題だと思った。

 

 

 

8-2 他の曲について

 

8-2-1歌曲として印象に残ったものと理由(曲、歌詞、ヴォーカリスト)

 

SOMEDAY「佐野元春」佐野さんの曲はあまり聞いたことはないのだけど、彼のこれを歌った気持がなぜか伝わってきて自分が熱くなったから。

 

「僕たちの失敗」森田童子

 

「セレーナ」何回も聞いて、何回も歌ったので。

「Walk This Way」森田童子「ぼくたちの失敗」、ミスターチルドレン「Tomorrow~」、徳永英明「壊れかけのRadio」、中島みゆき「時代」

 

「セレーナ」ジルダ・ジュリアーニ。ヴォーカリストの力と、それ自体のもつおもしろさの相乗効果で圧倒的な魅力を放っている。

 

ゴダイゴの「ガンダーラ」。「ガンダーラ」という地名の響きから、そのおもしろさを狙っただけの曲かと思っていたが、それだけではなかった。

 

「セレーナ」自分のパートは一部分しかなかったが、自分の精神的苦しさのピークに達していたときに何度か練習していて、何かがポロッと出る予感がした。

 

「約束」衝撃的だった。あんなにも「歌」を感じさせない歌があるのかと思った。朗読の延長線が歌であることをこういうことをいうのかと実感できた。ことばを練り込むとはこういうことか。

 

「約束」初めて聞くわけではないが、泣いてしまった。ヴォーカリストのことば、感情を伝える力を感じた。

「ニンナ・ナンナ」メロディが美しい曲。古いレクイエムのように魂の奥に訴えてくるメロディの力を感じた。

 

 

 

ーー

 

8-2-5今回のような合宿の試み(意図)とその結果についての感想

 

一人でやるより、ずっと積極的に取り組める。

煮つめていく時間がいつもよりずっと早い。

普段の自分の足りないところがよくみえる。

結果として、より自分の姿が明確にみえる。

 

人に会うこと、自分をもつこと。

自分の信念を貫くことなどをすごく考えさせられ、自己嫌悪に陥った。

 

“何かを一定以上の時間をかけて集中的にやる”ことで、肉体的にも精神的にも強くなれる。

それは自分にとって財産であり、前に進むための活力源でもある。

 

歌だけでなく、生きることを学んだと思う。あと学び方を学んだ。

 

 

 

<9>その他

 

9-1 秋に(続)を行うとした場合、参加されますか。理由

 

チャンスがあれば全部、使いたいから。

得たものはすごく大きい。自分を見直すチャンスだし、裸になれるチャンスだと思うから。.

気合いが入るから。自分に対するモチベーション。

大勢のなかで同じ課題が与えられ、そこで何ができるかということが問われると思うから。

この3日間で、学んだこと、くいの残ったこと、生かしたい。

新たな気持ちでやり直したい気がある。

初めての合宿のため生きなかったことを、この感覚、忘れないうちにやりたい。

何か学べる。参加することに意義がある

いやなことをさけていては学びはない。

もっと多くの経験をしたい。

あの環境におかれるのはとても気持ちがいい。

次は作品で印象に残りたい。

 

 

 

9-2 次回にやりたいことをあげてください。

 

共鳴

今回のフレーズのように、いきなり与えられたものをいかに自分のものにできるか、ということがやりたい。

できれば個人単位でやりたい。

ミュージカルというのもやってみたいです。

演劇。全身を使って。

 

自分だけの1フレーズを提示できるようにしておきたい。

声の動かし方、かけひき(声と楽器の)、「フレーズとフレーズの」。

 

曲に自分たちオリジナルの詞をつくることや、できたに曲をつけてみること。

5分間泣きつづけること、笑いつづけること、怒りつづけることなど普段、働きかけがないとできないことをやりたい。

何年か前にやっていたという瞑想もしてみたい。

 

“個人個人が取り組み、発表する”メニュー。

(歌、ヴォーカリストとして)台宿という時間・空間を利用すれば、より音楽の世界に埋めるメニューもつくれるのでは。

 

朗読、歌のプロセスを煮つめたい。

ことばに音をつけ、動かし、フレーズにしていくことを徹底してやる。

 

ことばを自分のことばとして伝えることを徹底して追求するメニュー。

ワンフレーズを作品とする。(今回抹消化となってしまったため)日本語以外の曲があってもよいと思う。

音声として伝えるということをはっきりとつかみたい。

 

全体でやることはそのままでも、少し減らしても、もっと個人戦をやりたい。

 

デュエット

 

 

 

9-3 その他に伝えたいことがあれば、「感想」など

 

《「メニュー」の意味をわかってできただろうか、まず課題考える。》

「WALK THIS WAY」理屈じゃなく息を吐きまくることによって、体・リズムがつながりそれが音楽のこの曲の楽しみに初めてつながる。音楽のために息吐きがある。

「At the Hop」上の踏まえた上でのハーモニーの楽しさ

「ニンナ・ナンナ」メロディに捕らわれないことによって伝えたいことを伝える。自分が何をどう伝えたいかを明確に捉え、捉えようとし、そして意識する。そして出せたか自分で考えることと、他の人が投げてくるボールを受け取ることをバラバラにしないで、中心では一つにしたものをどれだけ出せるか、あるいは思ってもみない自分に気づけるか。もちろん、他の人が投げてくるポールを楽しまなかったらできない。かたくなに守り通していたら会えない。

 

「フレーズ」自分を最もよく見せられるものを選べるか、その基準をもっているか、そのなかに自分をどう出すか、どうしようとしたかできなくても。瞬時に練習でも、リハーサルでも、本番でもそこに聞き手がいるときに集中したものを出せるか。

「セレーナ」曲が展開していく、それを感じて理解して音として表す。

「すごい男の歌」短いフレーズでも意味のないフレーズはない。いつでも作り手がいる限り、そこに意味が「伝えたい何か」の意味があり、そこをどう捉え、そして自分はそこをどうしたか。

 

何をすべき、何をするためのメニューなのかをまず自分で考える習慣をつけること。そう意識すること。

歌詞を覚えられないなら、今までやっていない方法をやること。ex.“全体の流れを絵で描く。”“歌に取り組む最初にまず歌詞を覚えてしまうことをおく。”“期限を決めて聞いてもらえる場を設定する本番前に。”

歌詞の解釈で動かしようのないところを自分でつかむ、つかもうとする。途中で変わってもOK。自分の出したものに心は入っているかを一つの基準にもつこと。自分はどうしたいかを離さない。そして具体的に工夫してみる。練習する「ことば」の少なさ、聞く素晴らしい「ことば」の少なさ

 

ものまねなのか、そこにいこうとしているか、自分を見つけようとしているのか、自分を出そうとしているのか、そういう基準をもつ。

聞き取れないものは聞き取れるまで開くこと。

歌詞で意味のないものなどないことを知るべき。どんなものでも、そこをはずしたらくずれる。

 

ステージは息が体が基本。でも形が本人に与えるもの、見る者が感じるものがどれほど大事かを一回注意を受けたくらいで伝えることができなくなった。せめてその思いだけでも伝える努力を惜しむべきでなかった。私にとっても見つめることと伝えること両方が必要だった。見つめることだけに入っていった。後ろに下がった。

 

考えて、出して、たたかれて、たたかれないでよくなれるならこんな楽なことはない。たたかれて痛いより、感じれなくなる、考えなくなる方が一番恐ろしいことなのに。ぶんなぐりたくても私が年上だから、単に遠慮しているだけだということを知っておくべき。(気持ちの上での話)あの時間は何だったのだろう。それだけは嫌だということをどう伝えたらいいか、から始まった3時間「工夫したこと、こうしたい、ということはわかる」ただそれだけあれ以上暗くなれないくらい、暗くなった。

なぜ、ああなったのだろう。時間をかけることが逆にいく、とはどういうことか、何がズレているのだろう。このなかに一つ私の大事なことが含まれている。あの時間のその時点での結果は出なかったけれども、同じ時間での捉え方、銃みへの戻し、具体的に変えてみることそして他人への思いの伝達。歌への捉え方の違い。

 

合宿反省会を終えて、自分なりの合宿での成果と、これからのことを書きたいと思います。結論としては、自分なりに確認はできた合宿だったと思います。今回の合宿で自分がやりたかったことは、自分の絶対的なところみたいなものがあるなら、それは何なのかということを確認したいということでした。結果として、確認はできたように思いますが、それをものにしていけるかというのは、日頃やっていく中でしかわからないところもあると思います。日頃、馴れてきた感覚を全部捨てて、より厳しく自分のこれからを見つめる必要があると感じました。

 

これは去年の合宿でも感じたことですが、群読をやったとき、今回では朗読をやったときに、呼吸や問や、強弱、アクセント、押しどころ引きどころ、などの感覚的なところで、自分は感じているけど、人は感じてなかったところ、自分にはみえていたところ、そういうちょっとした細かなところでの人との違いなどが、自分のものとなって表現につながっていくのだなということです。それは声でも同じで、声も自分のもつ絶対的なものの一つだと思うので、その音色にしても、そのタッチにしても、いかに自分がそこに詰めているかというところの差で違ってくるんだなと思います。

 

去年やった群読では、そこのイメージを共感できる人がいたりしたので、やりやすかったのだと思いますが、イメージをもつということは、特別に歌や、演劇などをやっている人でなくても、普通の人でももっているものだし、何年もやっているから身についているという問題でもないと思いました。でも、それをどういうふうに描けるかとか、どういう音として出せるかということは、普通の人ではできないことなのだと思います。それを自分の表現で、どういうふうに伝えたいかというところで、自分なりのものをみつけていかなくてはいけないと強く感じました。

 

たとえば、今回の課題だった「セレーナ」では、体「セレーナ」ってどこなんだ。南の方にある町で、赤い花畑が広がっていて、青い空と海のある町、ふるさとともいっている、ここで自分なりの町のイメージをもつ。「あなた」と「私」との関係はどうだったのかとか、なぜ別れてしまったのかとか、そして今はどういう関係なのかとか、これから「私」はどうしようとしているのかとか、こういうことの自分なりのプロセスがものすごく大事だと感じました。そういう肉付けがあって、はじめて自分の歌になるんだと。日頃やっているうちに流してしまいがちな、薄まりやすい部分のように思います。

 

自分なりのイマジネーションでどんどん肉付けしていくうちに、それが持ち味になったり、ここの深さが人との差となっていくんだと感じました。これは日頃のトレーニングにフィードバックしていかなければいけない部分だと思います。でも、このプロセスというのは、あくまで歌全体としてみた自分の世界づくりのことで、最終的には、こういうプロセスを経て、その世界を音として、自分の声で出せるためにやるわけで、音楽として取り出すということを目標にしなければいけない。

 

「セレーナ」ということばの音のイメージ、音の切れ込み方、動かしかた、間、強弱、スピード、ことばの練り込み、これらを自分の呼吸と一致させて、人前に投げ出せるところまで作り上げること。ここら辺が、最近の自分のライブ実習やステージ実習で、うまく一致して出せていない部分だと思います。

 

英語の曲などでは、いくら内容を詰めていても、それを音で取り出すところで崩れてしまうと、ただ何か英語の曲を歌いました、というだけで、結局、声だけ出ていて、何も伝わらないということになる。自分のなかで空回りして終ってしまいます。それをいちいち言葉として説明しなくても、自分のイメージした音としてそういう音が出せれば、しぜんと呼吸を伴ってきちんと音楽になっていくのでしょうが、その場合、もっと違うプロセスが必で、英語の場合は発音よりもっと体を使う意識というか、体でつかんで放す感覚や、リズムや、呼吸の流れでの自分のグルーヴ感などをいかにきちんと握っているかという、より体を使った「音の取り出し方」ということになると思います。

 

要はそういう実際のプロセスのなかで、英語も日本語もどこの言葉も関係なく、自分はこう感じているんです、自分はこう出したいんだ、という思いが声に乗って人の心を突き抜けるところまでいけばそれでいいことになります。だけど、一生懸命、声に乗せようと思っても、それだけじゃ音楽にならないから、こういうプロセスの積み重ねが必要なんだということです。より自分の思いを音楽としてストレートに届けられるように。

 

合宿で確認できたとしても、日頃の積み重ねがないと自分のものには、ならないと思うし、そのプロセスがみえたのなら、あとは、やるしかないです。どんどん日頃から深めていくしかないです。それも人前に通じるところまでです。(日本人だけじゃなくて、いろんな人種も含めて)。そして人との差が明らかに出てくるまでです。そうなってはじめて自分の歌というものが、区別できてくるんじゃないかと思います。それは自分がいかにその歌の世界を出したいかということになるでしょうが、結局それを出した人の世界が深ければ深いほど、歌は切ないもの、刹那的なものになり、ふっと一瞬で消えてしまいそうなのだけど、聞き手の心にはしっかりと残るものだろうし、薄っぺらい世界の歌ほど、時間だけ長く感じて、人の心には、何も残さないものだと感じます。

 

自分のやりたいこと、やっていきたい歌は、間違いなく前者だし、もう一度聞きたい、見たいと思わせられるものを自分のなかで深めていくしかないのだと思います。ひとつ反省点として、これは合宿中だけのことではなく、日頃の自分の意識の問題なのですが、特に研究所とか、まわりの人とかは関係なく、自分の意識をもっともっと高くもっていかなくてはいけないということです。それは、しっかりと人前でやっていくのだというプロフェッショナルな意識だろうし、自分がこれからどういうことをやりたくで、でも今はこれしかできないけど、絶対、次につなげてやるというような意識をきちんともつことです。

 

本来、音楽のメッセージとは、音色、フレーズで感性・波動を伝えるということだとは思いますが、対日本人であるなら、別に日本語以外の言葉を使う必要性はさほどないと感じます。昔はもっと音楽がわからず、私にとってメッセージ=日本語詞の内容でした。今でも私のなかで、詩はかなり大切な要素です。自分の心から掛け離れているものは歌えません。でもこういう考え方だと、なかなか音楽力は身につかないようです。以前は人の音楽を聞かないで。歌から聞こえてくる心を聞いていて、言葉をとおして心が伝わってこないものは切り捨てていました。そういう、私が反感をもったり、切ってしまっていた人に限って音楽性が高いらしい、というのは最近気づいたことです。なぜこの人はこの歌を選曲したのだろう、とその人の価値観みたいのを聞いていました。

 

音楽の研究よりも価値観の観察をしてしまっていました。外国語で歌うことによって、外人のスピード感、フレーズ感を再現しつつ、オリジナルのかっこよさに乗っからずに自分なりの表現をするのは、かなり難しいレベルだと思います。自分の表現を飾り、ごまかすために使う、という結果になりかねません。しかし考え方を変えてみて、世界の人に自分の表現を発信するとなると、対外人であれば、その国の言葉、もしくは最低英語で歌えるようにはしておく必要があると思います。

 

外国語で歌いながら、その民族の歌い方をまねず、自分流に歌うということです。それには、歌えるだけでなく、その言語をある程度話せなければ、上手くは伝えられない気がします。知らないうちに、まねになっている可能性があります。この辺を詰め始めてもいい時機かもしれません。

 

日本語の歌しか歌っていないデメリットは、歌詞の意味や、自分の気持ちに忠実に歌おうとすると、語尾を抜いてしまったり、言葉を柔らかくおきたくなってしまう、という点です。そうすると、音楽的というよりはワンパターンになってしまう。洋楽を聞いたり、選曲で取り上げても、練習する際は日本語なので、フレーズの自在な感覚より、自分のパターンに陥りやすい。やはり突然英語は難しくても、イタリア語でならどうにかならないか、試してみる必要性を感じます。以上のように考えてみれば、私ほどこの課題を一所懸命やらなければいけない人はいなかったと感じます。

 

自分の足りないところに気づいても突然ばっと変われないし、更には合宿の3日間では、ちょっと難しかったかもしれません。実際今でも、もしどうしてもリズム感やノリを取り込まなくてはならないのなら、もっと心を打ち込めるような、他の国の他の曲でやらせて欲しいし、自分の好まない表現方法をあまりとりたくないです。

 

C班は班長を中心に、かなりこの課題に力を入れていました。演出にもだいぶ凝っていたと思います。それなりにおもしろくできたようでよかったとは思いますが、自分がしっかりと参加できなかったからつまらなかった。それに参加できても、個人的にあまり興味を感じない内容と方向性でした。これは私の見方であるので、それなりに見ごたえもあり、音楽も聞こえてきてよかった、という多数の意見はあることと思います。

 

自分の呼吸をはずさなくなってきたこと

力いっぱい(声の限りに)歌わなくなったこと

自分なりの舞台での緊張感の雰囲気がつかめてきたこと

 

音色による音声表現で、自分の世界を創るイメージがつかめてきたこと5生きた言葉、フレーズを以前より細かく考えるようになったことなど。合宿の発表会での舞台意識と、通常のスタジオでのステージ実習やライブ実習での意識は違ってしまうようです。その時々の課題にもよりますが、合宿で何かを表現できたかもしれない、と感じたときは、自分が出すものに対して迷いがありません、自信がまったく違います。何かを出せる、という確信みたいなものがあります。普段のステージ実習では、逆に自信がありません。下手なのも完成していないのもよくわかっていて、これ以上どうしたらうまく歌えるのだろうと悩みながら歌っています。

 

合宿という場では、自分がまわりに比べて歌が下手だとか、実力がないとか考えている暇がありません。与えられた課題のなかで、どうしたら自分らしくよいものが作れるか、ひらめきみたいなものをつかまえ練り込んでいく作で、時間を有効に使わなくてはなりません。練り込み具合は、通常のステージ実習の課題曲の練習と比較してみても、日々の練習の2日分くらいにしかあたっていないので、完成からはほど遠いはずです。それなのに合宿での方が何かを現せるのなら、普段の練習の残る2週間以上、私は一体何をしているのか、ということになります。私の場合詰めの甘さというのは、自分の歌は本当にこれでいいのかという不安感から、直前までの集中力の高め具合に支障をきたしていく部分もあります。またたぶんステージ実習と合宿では、観客も聞いている部分が違うのでしょう。

 

ステージ実習(あるいはライブ実習BV座)では、聞き手はかなりシビアで、その聞き方のなかに、ある一定以上の実力とそれ以下とを、はっきり分けるというのがあります。それが空気を通して伝わってきます。一所懸命だけでは難しいです。合宿は、その人の現在のレベルは置いておいて、その人間がこの場を通して何を表現したいのかが問われます。だから感動を与えることが誰でも可能になってきます。これは私の勝手な思い込みで、こんなふうには分かれていないのかもしれません。でもそのため、合宿ではあまり自分を心理的に追い込まなくなります。自分らしいものをつかまえられれば、無心で追求することができます。また、完成していなくてあたりまえという前提条件があること。チーム編成になっているため、独りぼっちで敵前にさらされるような恐さが少ない、というようなことなどで、かなり心理的負担が減っているようです。こんなふうに場によって認識を変えている結果、通常のスタジオの舞台での表現意欲と、合宿でのはりきり具合が目に見えて違っているなら、毎回合宿から帰った後、つきあっていただいた人をがっかりさせていると想像がつきます。

 

私の問題点の一つに、自信のなさからくる集中力の欠如があります。理想の自分と現在の自分にあまりにギャップがあるためです。道を求める人は誰でもギャップを感じるものなら、私だけ特別甘えているわけにはいきません。でももう少し実力がついてくれば、変わってくるとも思います。これまでの合宿で学んだことは、集中力の高いときの感覚と、捨て身で表現する感覚です。年に1度の合宿で、元に戻ってしまうように見えるのはこの点なのかもしれない、と思います。ただ、自分のしていることに自信がもてれば、いつでも取り出すことのできる感覚です。自信がつくのを待っていたらいつになるかわからないので、自信がなくても取り出せるようにする必要があります。いままでの合宿で私ができたことは、おおむね音楽ではなかったといえると思います。でも去年と今年に関しては、他の人の力を借りながら、音楽の方に移行してきていると思います。

 

発表会ライブ総評 今年の発表会は全体的に言えば、個人が見えづらかったという印象でした。私自身が知らない人が多かったせいもあるかと思いますが、A、B班にはあまり印象に残ったというような人がいませんでした。C班に関しても、「Walk This Way」でのまとまり、フレーズの自在さはともかく、それ以外の、本来自分自身や音楽を表現できる課題に対して、手を抜いている感じが大だったと思います。その人の強み、個性を感じる瞬間があまりなかった。

 

「Walk This Way」、カンツォーネ3曲、個人のワンフレーズまでも全体のなかに埋もれてしまっている感がありました。構成の問題がかなりあると思います。毎回何かしら、感動を与えてくれる人が今まではいました。それは、上手下手にはまったく関係なく、その人の心が鋭くこちらに迫ってくるという感覚です。

今回の合宿では、C班の、楽しいノリのいい押しの強い音楽の演出は、印象的ではありました。しかし全体をとおして心を揺さぶられる泣いてしまいそうな感動には出会えませんでした。

 

個人的に今回の課題は、カンツォーネとワンフレーズ以外は嫌いでした。私は毎回合宿での舞台に、他の人の表現や自分自身の表現から生み出される感動を求めているので、それをあまり生み出さないであろうと感じられるものに一番精力を傾けたくはないです。感動を生み出すことができないのなら、わざわざみんなで、特別な場所でやるべきことではないと思っています。

合宿に参加することの意義は、何かをつかむ生み出すということと自分を新たに発見するということだと思います。人の表現したものに感動して、自分自身に気づくこともあれば、自分自身に感動することもあります。そのためには、課題の中身も大切になってきます。

 

人が感動するためには、一所懸命やっている、超人的なことをやっていることよりも、メッセージが大切であると思っています。メッセージのないものは、どんなに着飾り、リズミカルにし、華やかに仕立てたところで心を揺さぶるものまでにはなり得ないと感じます。メッセージの質にもいろいろありますが、何も考えていないけどテクニックのあるものよりはましだと思います。

 

今回の課題は、まだBVに来て間もない人ほど、本質が見えずに躍らされてしまったような気がします。またC班のできについても私なりの見方でいえば、楽しさは生み出せても哀の部分について、全体的に心の本質まで踏み込めていなかったから、表現に深みがなく、本当におもしろいと思う作品にはなり得なかったと思います。1回見て、2回目見たいとは思わないからです。感動を伴わないものは、どこかがうさんくさいのだろうと感じます。楽しいだけでは駄目だと思います。