ロスとパリで
このあいだ、ロスの学校を見てきました。
先生は、とても元気で、皆さんによろしくといっていました。
また、呼ぶ予定です。
今回の目的は、その音楽活動を見に行くことでした。
皆さんに書いてもらった意見やアンケートを手渡しておきました。
行くときにシンガポール航空に乗っていたら、
隣に具合の悪そうなおばさんがいて離陸して三十分くらいで
ワーッといってひっくり返ってしまいました。
そのとき私は、生理学的なのどの機構についての本を読んでいたので
医者に間違えられたりしたのですが、、、
外国へ行くと必ずそういうことに会います。
ロスについたら、その運転ですから、
なかなか街につかないのですね。
学校のあとに教会に行きました。
一万人くらい入る教会の一部ををかりて、
二十人くらいを教えているのです。
三時間ほどそこに拘束され、聖書を読みました。
そこの会誌を読むと
「ーーさんが神に召されました。」
とか書いてあるのです。
ここには神に召される人はまだいないと思いますが、
教会と似たことをしているような気もしました。
一生信仰を支えに生きるということは、
教会を家とすることで、すごいことに思えました。
本日は「谷間に三つの鐘がなる」と「私の神様」をやります。
教会の影響をすでに受けていますね。
ドライブの道中、
「神様、神様」ということをよく聞きました。
それで自分が試されているのだという気がします。
彼女は教会に着いたら、
「無事に到着できて神様ありがとう」といっていました。
私は「何が、これだけ間違えてありがとうだ」と思うばかりです。
私から見ると、不自由な神様だなぁ、という感じですね。
しかし、信心深くなるということはよいことです。
私の神様は肝心なところではずすので、
ここ一番というときにはずされると、あてにしなくなるから強くなります。
でも彼らも同じなのです。肝心なところではずされても、
それは、そのくらいで助かったとして
逆によいところがあると、
全部、神様のおかげ。
自分の責任で受けとめ、信じられるように神様を守っているのですね。
つまり、逆のことにみえても、同じように生きているのです。
今回は、飛行機と車で本当に疲れる旅でした。
今度、ロスで何かやるときは、皆もその車に乗せたいと思います。
自分で信じて、自分で決めることの大切さを知るでしょう。
帰りは、シャトルの方がよいと思います。
私は、タクシーで空港に戻りました。
アメリカの現状はといえば、どこでもお金の話です。
テレビを観ていても、クイズで正答したら、
司会者が胸のポケットからキャッシュを手渡します。
日本も金銭づくになってきましたが、
まだパネルにしたりしてワンクッションおいていますね。
アメリカの共通のスタイルというものが見えます。
教会に行っても寄進の話です。
全部ビジネスでやっていくのがアメリカのよいところであり、
悪いところなのでしょう。
日本人だというと利用されてしまいますね。
組まない方がよいともいっています。
たとえばスクールの日本人向けの教師も、教えていることは悪くないのですが、
日本人がそれをあまり吸収できないでいる、という現状ですね。
英語のレッスンですしね。
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正月、私はパリにいたので、ここでの「歌い初め」はやりませんでした。
年頭に講座をやるので、観にこれる人はきてください。
フランスにいって、今回思ったことは「怖いなぁ」ということでした。
セーヌ川や、古い教会などを見るたびに、
これまでに聞いたシャンソンが聞こえてくるのです。
冷えた石の通り、両脇の建物に声が響きます。
鉄柵で囲まれています。
ヨーロッパというのは、歴史としても
怖いことばかりですが、
こういうことは、発見でした。
同じ曲をこのスタジオで聞くとまったく怖くないのです。
地下鉄に乗ると、バイオリニストやアコーディオニストがそばで演奏しています。
それだけ音楽が日常になっている国と、
日本とではまだまだ差がありますね。
楽器では日本も負けていないのですが、
ヴォーカルに関しては、
ホントにリトルリーグのようなものですね。
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