一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

課題曲レッスン2 12884字 1023

 

課題曲レッスン2

忘れな草

「セシボン」

暗い日曜日」 

「人の気も知らないで」

「貴方に口づけを」

「アリベデルチ・ローマ」

「夜は恋人」

「私の神様」

ガラスの部屋

 

 

 

忘れな草   勿忘草」

 

(「君にささぐ わすれな草を

(ドドレミーソミー ソミーソファーミドレー)」)

 

 ことばや音符ではなく、ベースの感覚が流れ、テンポ、音楽が流れていないとそこからすくい上げるところまでいきません。見ていると、しぜんな流れと違うところに力を入れているように思えます。もっと体にゆだねて、心をとり出し自由にやっていくことです。

 この歌によって、歌い手が解放されないと、聞き手も解放されません。それをフレーズの練習のなかでやっていくことです。自分が気持ちよくなれる感覚だけを考えることです。もっと自分が出したいように出すと結局、どうなるのかということを、徹底して考えないとよくないです。

 

発声法や歌い方に秘訣があるわけではないのです。自分のことを信じて、やりたいところまで全部やってみることと、そんなに間違わないはずです。間違うのは、ゆがんだ思い込みがあるからです。それは、アカペラで聞き比べてみればわかります。

 歌は見えないところ、聞こえないところで歌わないといけないのです。そのことが聞こえてこないといけません。声を出しているということや、歌おうとしているような心構えしか聞こえないということは、他のものが何もないからです。歌を聞いたときに、歌い手のなかにあるものを自分で置き換えて出すということです。

 

どれだけ一つの音をていねいに扱えるかということと、一方で流れとして、動きとしてどのように捉えられるかということです。自分のパターンをしっかりと読むことです。もっと変化に敏感になることです。それから、もっと前後を読まないといけません。

 歌は声量を出すわけでも、体を使うわけでもないのです。勢いだけでもっていく歌い方も、流れというものをしっかりとつかんだ上でやることです。力だけでもっていこうとしないことです。そこの切り替えができないというのは、しっかりと基本ができていないからです。

これはイメージのなかで正していくしかありません。間違った方向で合わない力の入れ方をしていると、音が動かず点になってしまいいます。

 

 

 音を動かすのではなく、音は動いていて、それを体を使って素直に出すということです。日々のふしぜんなトレーニングを結びつけていくのがこういう場です。歌をやるときに力んでしまうこと自体、ふしぜんなのです。

それはトレーニングをやるときに許されている部分的なことにすぎず、そのことが許されているわけではないのです。

 

 守りに入ると、テンションや気というものが閉じてしまいます。守りだけでは試合には勝てません。少々、危なくても前に出て、そこで勝負していくことです。前に出さないと、何も統一していかないのです。自分のなかで回っていくようになります。それはよくないです。前に出すことで自分のなかで回り出すのです。

そして、しぜんに整理されていくのです。スポーツだとよくわかるのですが、前に出ないから怪我をするのです。しっかりとした歌だったら、気が前に出ていくわけです。そういうことが、トレーニングによって狂っていくようでは困ります。前に出すことで、完結していくと考えた方がよいと思うのです。

 

 もっと曲を感じることです。感じないうちに出さないことです。ポップスに関しては、自分が気持ちよいということに素直になれば、そのときの声は決して、つっかからないはずです。

変に発声をつくっていくと、体の動きが乗れずそれていってしまいます。型というのは、感覚のなかで動いているもののことです。

 

 

(「忘れえぬ この花を そっと

(ソ♯ソ♯ソ♯ド♯ーソ♯ ソ♯ファ♯ミファ♯ソ♯ ラーミ)」)

 

 歌い手が自分を出すのには難しい曲です。しかし、アカペラではよい勉強になると思います。どちらにしろ声を統一しないと歌えない曲です。伸ばしたい音で「お」や「う」や「い」が入ってきます。

その処理を誤ると難しくなります。だからあまり大きくしないことです。もう少しリズムをつけ、ことばや音のチェックをしてみてください。心や音などをいろいろなパターンで感じることが大切です。

 

 

 

 

<セ・シ・ボン>

 

 体をうまく使えているときは、リラックスしていて、集中力が高まっている状態です。武道と同じで、人間本来の力を生かせれば、信じられないような力が働くのです。腰のところから無意識に最大の力が働いてくるのです。

 感情を込めることを意識した瞬間に感情はこもらなくなり、二流のものになります。

 

体やのどに部分的に力が入るのは、よいことではないのです。ただ、トレーニングでは、そうならざるを得ない時期もみます。声を深くしたり太くするときに、プロセスとして意図して結びつけていくことが必要になるからです。その声は伝わらず、力を忘れたときにそれができるようになればよいというのが、型の覚え方です。

 

 型というのは、外側から捉えやすいですが、その内部で働いている感覚を正すのが型の役割なのです。 まず、体慣らしからやりましょう。体をリラッックスさせて、息を吐いてください。

しぜんにできればよいのですが、そうでないうちはある程度意識づけてやってください。本当はピアノもない方がよいのですが、音と一緒に吐いてください。重心を下においておくとよいと思います。

 

 

(「ハイ(ことばで)」)

 

 体の力が足りない人が多いです。そのために上半身に力が入り過ぎています。そうするとしぜんな声の世界が妨げられるので、歌うときに色づけがそのまま出てしまうのです。一回それらのものを取り去って、背中から胸の真ん中あたりにポジションをとってみてください。加工をとると、自分では小さい声に聞こえますが、遠くまで聞こえるのです。これがあとで応用のきくナチュラルヴォイスです。

 

 のどに響いていると、耳にもよく響くので大きい声に聞こえます。これは余計な負担がかかっています。安定はさせやすいため間違えます。日本の多くのクラシック歌手のように、そこで止めてしまったらダメになります。正しいことは最初からできないのですが、ポップスの歌手はどこかで感覚として切り替えてやっていくわけです。

そうでなければ、クラシック歌手をめざすつもりでやるのもよいのです。それがどこかを、見極めていきます。何回やっても狂わないことと、耐久性があること、それがないと、練り込んでいけないのです。

 

 息が回らないうちに、急いで出しています。アタックするところも違っているようです。「ハ」と「イ」をわけないで、一息に「ハイ」と出してください。軽く体を動かしてから、声を出すようにすると声も出やすいでしょう。体と声の結びつきが意識的について無意識に捉えられるようになることが大切です。

同じ音色でなるべく太くとってください。若干こもるように聞こえるかもしれませんが、その方が素直です。

 歌に入っていくには、どこをつかんで、どこを放しているかということからスタートすべきです。それは日本人の苦手な部分です。つかむときは、深い息で捉えます。

 

 

(「セ シ ボン

(レレ♭ド)」)

 

 ルイ・アームストロングなどはよい見本です。のどは開いて、ひずませていても音色をとりシャウトが深いところになるのでもっていけます。すぐにこういう歌い方は勧めたくありません。

のどの状態が完全にコントロールできるようになってから、やることです。フレーズの前から息が流れていて、それに声を乗せているのです。息が出ているときには、のどの状態は開いています。

 

 

(「セ シ ボン だきしめてる

(ドシシ♭ ドレミレドドラ)」)

 

 表に現れてくるものだけをまねているのでは、何年たっても変わりません。アクセントというのは拍ではなく、音をどう動かすかというベースのルール上にあるのです。そこは、基本としてはにぎる部分のところです。だから放したときに動きが出てきます。

 

全部を線でとっていくと動きは出てこないし、点でつなげていってもよくないです。どこかで自分の意識で測っていくものです。「セ シ」では、いっていないのと同じです。実際に声には出てこないので、読み込むのは難しいのです。

 

 「だきしめてる」の「る」のところで、アクセントをとるのは、難しいので、「しめ」のところで、一回、置き直してみるとよいでしょう。「 ボン しめ る」くらいの感覚です。

 

 

(「セ シ ボン だきしめてる 胸できくのよ 甘いことば

(ドシシ♭ ドレミレドドラ ドレミレドドシ♭ ドドドラミレー)」

(「夢のようなこのとき

(ファソ♭ラ♭ーファミ♭レ♭ードシ♭シ♭ラ♭)」)

 

 しっかりと歌に入り、そこから出すということでの感覚が足りません。こういうものから、とれるだけ材料をとることです。それはもっとも勉強できるところです。自分の心に感じるところです。

自分が歌うときには、自分に勝負できるところかどうか考えて、それ以外は捨てればよいのです。足りない分は、自分のあるもので補っていくのです。

 

 歌い方に正解はありません。ただ、音楽においては、優れているものといないものがあるし、表現においても同じです。まず、本人がしっかりと自分をもっていることと、それを音楽として成り立たせることです。

 皆さんは、まだお客さんのようです。主体的に全部を自分で引き受けないとよくないです。

ステージになったら、引き受けるだけでは間に合わないのです。

 

皆さんの声も、リズムも音色も、感覚としてはまったく出ていないのです。感覚が出ていないのなら、何も出ていないということになります。自分のもっているものと、与えられたものとの接点をどうとっていくかということを考えてください。

 

 

 サッチモの歌は、1フレーズでも完結しています。しかし、それが次のフレーズを読み込みます。それはなぜなのでしょうか。つまり、本人が歌っているということなのです。皆さんが彼の感覚で声を出しても、わめいているだけにしか聞こえないでしょう。しかし、そこから修正するためにもまず出すということが必要なのです。

こういう人たちは、何をやっても正解になってしまうのです。それはなぜかを考えて欲しいものです。

 

しっかりと楽譜通りに正確に歌ってもあまり働きかけないのは、その部分で合っているとかいないとかいうことを問題にしているからです。たった1フレーズでよいから、表現とするためにどれだけの集中力がいるのか、体の準備が必要なのか、そういうところから入ってください。ステージや歌を、自分で引き受けるということはどういうことなのかということを考えてみてください。

 

 その人のなかに、それだけの要素が練り込まれていることが大切です。合っているかどうかよりも、それが出せていないのでは、合っているという判断もつきません。入るとはどういうことなのかを、勉強してみてください。

 

 

(「どうぞ 1人で泣かないで、忘れかけてるかなしみを

(シミソファ♯ミソミファ♯ミドレシ シミソファ♯ミソミファ♯ミドレシ♭)」)

 

 音程、音感が大きな問題です。W検で高点数が出ている人も、リズムはリズムだけ、音程は音程だけのトレーニングをしてきた人で、それがあたっているからといって、ポップスにおいては、どういうことはないのです。歌のなかに本人の音感やリズム感が出てくるかということが大切です。

 こういうフレーズをやったときに、どこをどうコピーし、アレンジしたかということがわかっていかないといけません。慣れていない人は、イメージではわかっても実践できないのです。そこで、揺らいではいけないのです。

 

 同じ間違うにも、よい間違い方といけない間違い方があります。それがその人に音楽が入っているか、いないかということを決定するのです。その人の音楽観も出ていると、こちらから、単純にこうしなさいということはいえないので困るのです。しかし、一般のお客さんがわかるような過ちは犯してはいけません。

表現さえ出ていればよいという方が、余程甘いかもしれません。だからといって音の感覚が悪かったり、リズムが狂っているものは本当に働きかけないです。呼吸や声がどんなに整っていても声が大きく出せてもよくないです。そういう要素が高いほど厳しくチェックされます。そこがアンバランスだと、プロの世界ではひどく聞こえてしまうものです。

 

 特に音感というのは、音楽のなかで一番はっきりとしているものです。ヘルツという数字として出てくるくらいです。次がリズムです。テンポはアカペラでもなければ、そうは狂わないでしょう。それに対し、フレーズや音色ははっきりとは出てきません。単音でソルフェージュで勉強できないことです。

こういうレッスンのなかで慣れていくとよいでしょう。よく聞くことと、聞いた通りに出してはずれているかいないか、ということが自分でわかることが大切です。そうでないとヴォーカルはできません。自分のなかで処理できることが大切なのです。

 

 

 私のレッスンでは、今はあまり聞かれないような曲を参考に使っています。これに慣れると音をとるのも楽になるはずです。相対的に難しいものに慣れると、簡単なものがより、深く見えてきます。それで無理なら楽器を学ぶことです。

 W検ではどうしても、声が細くても、読譜とリズム、音程の練習を行儀よくしてきたような人が高得点をとってしまいます。しかしその声は、実際の演奏には、あまり役に立たないのです。そういう人は特に、まず徹底して出してみることです。サッチモのように出したら、のどを壊してしまうでしょう。

壊さないようにできるようになったら、次にそれが音楽に落ちてくるというようにしていくことです。

そのためには、その人のなかに音楽性や、音の進行を決めていくものがなければならないのです。グルーブ、フレーズ、音色が欠けていてはなりません。

 

 ポップスの勉強の仕方は、人の数、歌の数、フレーズの数だけあると思います。自分自身で自分の欠点や長所をふまえておくことが大切になります。慣れで解決できる部分もあります。しかし、トレーニングをしていく上で、感覚が犠牲になるのでは困ります。慣れても身についていかないと、どうしようもありません。

 W検のレッスンは半年受けても、あと半年を受けなかったら、学んだことも全て忘れてしまいます。染み込ませる時間が大切です。定着させて、何も考えないで出せるようになるためには、より時間と量が必要になります。そうしないと使えません。

 

 「セ シ ボン」の捉え方をどのようにイメージするかということと、どこで支えているかということを知ってください。発声法や技術に関しては、最も技巧的だといわれるクラシックでさえ、そんなものを超越して歌っているわけです。すべてに共通するものがありますから、その見えないところを見ていくことです。そのときに頭で計算したりしたことは、すべて間違いになります。

 

 

 

 

暗い日曜日

 

 

(「胸に(ことば)」)

 

 自分のなかで心と体をしっかりと開いておくことです。今やっているのは、個性の前の部分の、人間としての体と息と声というものの原理を働かせることです。そこを計算するのではなく、しっかりと取り出すということです。

 

(「うでに あかい(ことば)うでに あかい

(ラララー ドドドー)」)

 

 「うでにあかい」で一つに捉えてください。それをそのままフレーズにしていきましょう。音符を置き換えているだけでは、表現が死んでしまいます。音楽の一つひとつの動きにはルールがあって、ことばとはまた違う動かし方があるのです。しかし、それに合わせて音をとろうと考えるのは、よくありません。まず一つに捉え、動き出すのを感じることがその前提です。

 

(「恋のなげき つぶやいては

(ラララ ドドド ミミミラララー)」)

 

 どこが歌なのか、何が歌なのかということに気づいていってください。それがないと、基本をやれないまま、どんどん先にいってしまうのです。優れた作品に対し感覚の部分でどのくらい歌になっていないのかというギャップが見えないと、本当の練習にならないのです。課題が見えていないと練習も成り立ちません。

歌の場合、一回取り込んでから出さないといけません。だから基準を身につけるのです。声がないというよりも、音楽をしっかりと入れていくことを最優先していってください。入れたものは、待てばやがて出てくるものです。

 

 

(「ただ ひとり むせびなく くらい 日曜日

(レ♭ド シ♭レ♭ドー シ♭レ♭ドシ♭ソ♭ー ファファファー シ♭シ♭シ♭ー)」)

 

 1オクターブ、同じ声で歌えるところから、その感覚のなかで自由に動かせることを問います。ことば、音程、リズムの世界よりも、音色とその使い方から気づくことです。形が見えてしまうとつまらなくなるので、身が形をとるようなところでやってください。どう動かし、落としこむということです。

 

(「つかれはててかえる私 もういないあんただもの

(ミ♭レ♭シ ミ♭レ♭シ ミ♭レ♭シ シ♭シ♭シ♭ーミ♭ラ♭ソ ♭シ♭ラ♭ソ ♭シ♭ラ♭ソ♭ ファファファー)」)

 

 音程はとれても、メロディ処理が形だけになっています。たてに動かさないといけません。どう動かしていくかというスタンスが見えない気がします。

 いいたいことを音色にし、どう呼吸で処理するかを考えていくべきです。

 

 

 

 

 

「人の気も知らないで」

 

 押し寄せる感覚のなかにことばが落ちていくという感覚で歌っています。今の日本人はリズムが先行していても、リズムも本当に入れ込んでいるとはいえません。

 

(「涙かれてもだえるこの苦しい片思い

(レ♭ミ♭ファ-ソ♭ミ♭ド レ♭ミ♭ファソ♭ーミ♭ド レ♭レ♭レ♭レ♭ーレ♭ミ♭ミレ♭ラ♭)」)

 

 このフレーズのなかで、低音から高音まで、揺らしたり、音階を飛躍して使ったりしています。やるべきことは、それに全部対応するというより、そのなかですべてが同じに感知できるように体や声の条件を探っておくということと、その音色がどのように動かされるのかという2点しかないのです。

真ん中をぐっとつかんで、その本質だけを前に出していくような捉え方をしてください。

 

 バタバタと微調整していては、歌は前に出てきません。複雑にしていかないことです。この程度でもきちんとできれば、1オクターブが使えるということですから、大変に強いのです。

雰囲気だけで聞かなければ、こういう歌はベースのトレーニングになると思います。

 そのままの声を出していけば、正しい声になっていくのに、皆さんのほとんどがその周辺でバタバタしているように感じます。

 

 

 

<貴方に口づけを>

 

(「もえあがる 恋の火を しずめて

(ドドドレーミレー シ♭ドレドー ラ♭シ♭ドシ♭ー)」)

 

 ことばや音の高さ、メロディから、早くフレーズの方に入って欲しいです。そのためには、フレーズの行き先をしっかりと感じておくことです。先に大きな枠組みを捉えてしまうことです。サラ・ヴォーンなどを聞けば、瞬間的な処理能力がないとダメということがわかると思いますが、それは、最初は少しずつ慣らしていくしかないのです。速読や速聴のようなものです。

 なるべく頭を使わないことです。頭を使うと分析、批判的になり複雑になっていくからです。感覚的に全体をパッと捉えて、細かいところは繰り返す中で修正してください。

 

(「あなたの手に(ことば)、

あなたの手に

(ドドドレーミレ)」)

 

 たとえば、「あなたのー手に」というところなどで、フレーズを出すことです。そこで体を使わないと、表現も成り立たなくなります。どこで体を入れるかは、最初は意図的に探っていくしかないです。 

「手に」のところで支えられるかどうかが問題なのです。皆さんは止まれないし、踏んばれないので、そこに何かを込めることができないのです。「 たの」や「手に」は、母音だと、「あお」「えい」です。練習ではいえても、音程がつくとやれなくなります。

 

 

 

<アルベデルチ・ローマ>

 

(「たとえ異郷の空遠く 今夜ははなれていこうと

(ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ーミ♭ソ♭ミ♭レ♭レ♭シシ♭ ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ーソ♭レ♭ーレ♭-シシ♭)」)

 

 素人のような新鮮さというのだけでは、もたないです。三年以上やっているのなら、何かしら人ができないことをできるようになっていかないといけません。

コピーの練習は、コピーしているだけ勉強にしかなりません。すぐに音がとれなくてもよいのですが、順番が回っているあいだに、自分で修正できないとよくないです。それを口先だけで探っているように思えます。

 

(「いつか星もかがやき リラの花ちる今夜よみがえる思い出の

(ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ーソ♭ミ♭ーレ♭レ♭シシ♭ ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ーソ♭ミ♭ーレ♭レ♭シシ♭ ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭ーソ♭ミ♭ーレ♭ーレ♭シー)」)

 

 音はとっていても、リズムが入っていないのです。ここはビギンのリズムが入っています。

ビギンがとれなくとも、そこにあてはめていくことです。

 

 

(「夕やみしのびよる 石だたみの上に

(レソーソソラソファソーソー レソ-ソソラ-ソファミ♭ー)」)

 

 ことばでもっていけるところは、ことばとメロディの間をぎりぎり、どこでとればよいのかをつめていきましょう。「夕やみ」という前に、リズムや呼吸を予めとっておかないといけません。

 自分の歌を吹き込んで、うまくできたと思って、あとで聞くとダメだったというのは、アマチュアです。自分でひどいとそのとき思っても、聞いてみると、それなりによいと思えるようになってはじめて、力というのはついているのではないかと思います。

 

もちろん、それを客観的に見る目というのを、もっていなくてはいけません。 たいていは、同じような過ちをやっていきます。たとえば、フレーズの頭にばかりアクセントをおいてしまうというようなことからもわかります。だから余計なものをとっていくというのは、難しいことなのです。

 微調整して直るようなものではないときは、何も考えないでフワッとできたときの感覚で捉えていくしかないのです。そこまで叩き込んでいくことです。レッスンではよいものを聞き、自分の深いところで何かが正されて、そこから出したところで何かしらよいフレーズが出てくるというようになって欲しいものです。

 

よく聞き、心で受け止め、体を開いて、体がそれに反応できる状態にすることです。

 どんな課題曲でもよいところを認めて、歌や歌い手の何かを好きになることです。それが前提です。こういう歌を自分の風景や体験としてつかめることが大切です。それができるのが、歌い手です。

 

 

 

「夜は恋人」

 

 課題に入りましょう。

(「泣いてしまったけれど

(ファシ♭ードドレ♭ミ♭ファ レ♭ラドシ♭ー)」)

 

 めちゃめちゃですが、よい線をいっていると思います。今は思い切りふって、そのなかで自分を出すことです。自分のコントロールできるところでは、いくらまとめてみても伝わりません。やりにくいところが出てくるのは、力があちこちに入ってくるからです。そこで力を抜くという方法もありますが、もう一つは、より早く力を入れるということです。より力を入れると、今の力は抜けるわけです。同じことです。

 

 強化するのは、力をつける方向に向けておくためです。ピアフは、ことばをつかんで動かしているだけで音楽になっています。ことばイコール音のレベルで処理するのは楽器としての一つの理想的な使い方です。皆さんも、どこまで楽器というものの完成度を求めるかということを追求してください。体の動きや、心の動きからストレートに出てくるものを大切にしてください。

 

 日本人の場合、そういうものが日常にないことが問題です。ピアフは歌っていません。読み捨て、吐きすてているだけですが、でもそのなかに彼女のなかに深く宿っている音楽が生じてくるのです。それは彼女のなかに彼女の音楽があるからです。

音程をとりにいったり、ひびかせたりはしていないでしょう。しかし別の意味で、声そのものを揺らしていくことによって音を生じさせるということをしています。その一番、根本の感覚は、すべてのヴォーカリストがもつべきものだと思います。

 

 

(「あの人と別れた夜は 泣いてしまったけれど

(ファミレーレドシ♭ラ ファミレーレドシ♭ラ ラレーレミファソファレ♭ミレー)」)

 

 まず、前に出すことです。前に出しながら、動かし、ねばることが必要なのです。放さないことです。その辺が見やすい歌い方だと思います。 音が高いところやサビに入るときなど、自分の体が足りないとテンポがおちます。

そうしないともっていけず、盛り上がらないのでしかたがないですが、感覚的なスピード感は速くしておかないと、いつまでももっていけないと思います。 

わかりにくくなったら、どこにピークをもってくるかということを考えてください。あまり音程の複雑な動きに視点をあてないで、線だけで捉えてください。

 

(「なぜって なぜって やさしく抱かれていると 悲しいことはみんなきえてしまうの あの人の

(ラララー シ♭シ♭シ♭ー ラーレ♭ーレ♭レ♭レレレレー レレミーミミミファーファファーファソーソミソラー ファミレードシ♭ラ)」)

 

 そのフレーズを代表しているものをすべてとっていくのです。そうすれば、ピアフが見ていた音の世界のいくつかは見えるし、どういうことがやりたかったのかということも、少しずつわかるでしょう。

 シャンソンにもジャズのようにアドリブで動かせる部分があって、否応なしに歌い手のものが出てきます。ピアフのそれをまねるのではなく、自分にとってのそれは何なのかということを出していって欲しいのです。それは、技術とはまた違うものです。その人の体や心に一致したものです。

 

 

 声のこと、楽器のことはまだまだやる必要はあると思いますが、問題は音楽性や感情移入、表現ということです。歌うときに音のことや、音程、リズムについて考えていたら動けなくなります。 

動かせていないフレーズというのは、楽譜のように横に平面的に見えます。もっと放り投げなくてはいけません。単純に音を捉えているだけでその音になっている。単に出しているだけのようで、その音は他に動かしようのないほど、きちんとはまっている。それを見つけるためにも、自分で大きくイメージして出していくのです。

 

 練習のときは、大きく捉えなくてはいけません。ピアフが一所懸命、歌っているのだから、皆はその十倍くらいの大きさで出して捉えないといけません。 

声が体から出るようになって、そのことがだんだん有利になってくるはずなのに、気持ちやテンションが下がることによって、まとめてしまう癖がついてしまうのが普通です。そうすると先に進めなくなります。

 

 頭でっかちになって体を出し惜しんでいるように感じます。こういうときはもう一度しっかりしたヴォーカルを聞いて、それをストレートに捉えてください。もっと純粋に声を取り出すことをやっていくことです。

関西でも、声の芯の上にそういった加工が乗せられている場合にはうまく聞こえるのですが、芯をなくしてしまうとその上に乗ってくるものは計算で振りつけたものにしかなりません。

フレーズの空回りではみずみずしい感性や、生命力のようなものが伝わらなくなるのです。

そうしたら歌になりません。

 その年(その時代)、その年(歳)の歌い方があると思いますが、単純に体に放りこめるところをもっておくことが大切です。

 

 

 

○ジャズになったシャンソン

 

 勉強になるのは、シャンソンをジャズに取り組むときにどのようにシャンソンを生かしているのかということです。それを意図的にやった場合もあるし、自分のスタイルで強引にもっていって変えてしまった場合もあります。しかし、そういう人たちを動かした最も基本的なものは何かから、とらえていきましょう。

 

 たとえばサッチモは、トランペットでの演奏からヴォーカルに入るときに、何をおき変えているのでしょうか。

 ヴォーカルはある時期、声のことしか聞かないことが多いのですが、他の楽器も合わせて聞いていると、いろいろと幅や深みが出てきます。何人くらいでどのように演奏しているのか、ということもわかってくるわけです。ヴォーカルはそのなかの一つのパートから、バンドの人たちとセッションをしていくわけです。

 

 日本人はバンドで音楽のできているところに歌をはめこむだけです。ヴォーカルの力をまったく無視した音楽のつくり方をしてしまったために、誰が歌ってももつ一方で、誰がきてもその人に合わない音ということになってしまうのです。そこが向こうのプロデューサーとまったく違うところです。

向こうでは、ヴォーカルが入る場合は、いうまでもなくヴォーカルをメインに出してきます。ヴォーカリストに合わせて曲づくりをします。

 

 本当の意味で勉強になるのはそういうところです。まず原曲を聞いてみましょう。カンツォーネやファド、ナポリターナなどは原曲に忠実に歌われています。そこから勉強してみてください。

 

(「セ・シ・ボン」、「枯葉」) 

イヴ・モンタンシャルル・アズナヴール、ベコーと並んでオランピアを満員にできる歌手の一人でした。かなりポジションも深いですね。

 

 

 

「私の神様」

 

 その場で立って、左右の横の人が気にならずに歌えるくらいの間隔をとってください。

神様をテーマにやっていこうと思います。音楽の神様に出会ってもらいたいと思います。音楽性に関するポピュラーの真髄に神様から迫ってみたいと思います。

 

 ことば、音、メロディがきちんと結びついているものを取りあげます。全体的な構成や、展開を大きく捉えてください。それから、イメージ、ことば、メロディのつき方について考えてみてください。

よい歌詞のついているものをそろえました。音楽とことばの音関係がよいのです。音楽性をもっている訳で、ヴォーカルの立場で見ても、文句をつけられないものです。特にメロディそのものは、美しいものです。

 

 

(ピアノで「谷間に三つの鐘がなる」「私の神様」)

オルネラ・ヴァノーニ「アンケ・セ」

 

メロディをよく聞いて曲も感じをよくつかんでおいてください。

(「落ち葉の恋」)(「アンケ・セ」)(「ガラスの部屋」)(「虹の日々」) 

 

メロディの展開が美しい曲はどうしても音域がやや広くなってしまいます。最初にちゃんと歌えても、あとがついていかないことになりがちです。歌を覚えるよりも、メロディアスに違うことを感じてもらえたらよいと思います。

 

 

 

ガラスの部屋」 

 

だいたい覚えたようなので、頭からサビのところまで流してみましょう。

構成としてはこういう感じです。

 

(「真夏のつゆに消えた 愛の命短く ほほえみを残して 別れもつげずに 一人きり/ガラスの部屋のように はかないきらめきよ もろくも散りはてた ひとときの夢よ くも散りはてたひとときの夢よ/思い出をしずめて 流ていく川よ 何を求めて生きていくのか 二度とかえらぬ幸せ

(ラシシドドシラドドーファ ソララシシラソシシーミ ミファファソソファファミレーレー レミミファファーミレドー ミミレドーシー/ラシシドドシラドドーファー ソララシシラソシシーミー ミファファソソーファミレーラー ラ♭ラ♭ラシシラシドー/ラドードドドードシラドードー ラドードードドードシラドー ラシドーレドシラーラシドーレドシラーラシドーレレドシーシドラシー)」)

 

(「虹の日々」) 歌うときは、各自でことばを動かしてください。

サビのところが合わないようですね。間奏のところは待ってください。

 

(「失われた愛を求めて」)