一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

参考文献引用箇所 「声と日本人(平凡社) 1039

 

<参考文献引用箇所>1039

(数字はページ数)

 

「声と日本人」(米山文明 平凡社

155○地の声 

受講者たちは第一段階では発声を離れて呼吸法を中心に学び、ある程度、会得した段階から少しずつ声をつくるところに進む。この発声に入る段階で、呼気の流れに乗せて各自、勝手に声を添えるように指示する。ことばではなく、単一母音(各自勝手の母音、曖昧母音でよい)、音の高さ、強さ、持続、音質とも個人の自由である。この場合「声を出す」ということを特に意識させないように、母音も明確な構音でなく、「ウ」でもなく「ア」でもないような曖昧な声(動物のうなり声のような感じの音)を乗せながら呼気を送り続ける。 

このようにして発せられた声の集合音は不思議なことに、なんともいえないような溶け合った音になるのである。老若男女、ジャンルも違う人々の声が音色や声の高さの違いなどは適当に混合されてはいるが、ベースになって支えている声というか音の基盤のようなものがあって、集合音全体に大きな安定感を与えているのを何回も経験していた。群読に欠けていた一点はこれだと直感した。

 

200○発声トレーニングの必要 

発声方法そのものに原因があって起こったトラブルは、発声の改善をしない限り、根本的な治療にはならない。 

医師はただ声の使用制限を強要するばかりで何の解決策も指示しない。

 

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前述した声の障害の原因の影響を最も多く受けているのが、この両職種の人々である。そして、私の診療所を訪れる患者さんも、数からいえば教師、特に幼稚園、小、中学校の義務教育に携わる方々の比率がかなり高い。

 

168○発声矯正トレーニン

①母音の多様化を工夫する(共鳴腔調節による母音性の工夫)。歌唱に際して五母音にこだわらずに、中間母音、複合母音の設定、あるいはより有効な母音への偏移。これは個人差もあるし、前後に置かれる語音によっての変動ルールを設定する研究。

②子音を効果的に強調するための音韻の変化、つまり別の子音の付加、あるいは省略。具体的方式については、声道の上下への調節や舌の上下、前後の移動、下顎の開き、咽頭腔の形、など構音調節の工夫などをはじめ、音韻学、音声学、作曲家、作詞家、さらに演奏者も加えた必要諸分やの専門家たちの協同研究が必要となる。

 

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運動生理学と運動心理学の緊密な連繋のもとに呼吸と発声の一貫した機能訓練をする必要がある。 

きわめて複雑な神経制御をもつ呼吸機能に発声機能を加えた中枢神経系、錐体路系、錐体外路系、その他の複合訓練法が求められるわけである。基本的な方針として、体の内面と外面の各部分の感覚の訓練、すなわち各種刺激に対する体表の皮膚、筋肉、関節などに生じた感覚と、一方で体内の深部近くに起こるし受容感覚とあわせて育成、増進させるために、原則として一つの動きを一定時間行なった後、必ず静止して体内に起こった変化を観察する時間をとる。

 

 別のオフィサーズ・クラブに行ったとき、「あなたは日本人なのになぜ日本の歌を歌わないんだ」と言われたことがありました。「あなたはブルースを歌う歌手だって聞いたが」って。『別れのブルース』は私の好きな歌ってわけでもありませんでしたし、気が進まなかったんですが、ともかく歌ったんです。歌詞を英訳してもらって兵隊さんたちに配って…。そしたらこれが大ウケ。熱狂的な拍手なんですね。意外な拍手に私もびっくりしました。それで自分の国の歌を自分のことばで歌うと、聴衆にはことばがわからなくても、何か胸にひびくものがあるんだなあって、そのとき初めてわかったんです。(淡谷のり子談)

 

○オペラの雑学

122 ゲネプロ[Generalprobe(独)]…ドイツ語のゲネラルプローベの略で、本場を想定した最後のリハーサル、舞台稽古。舞台に照明装置も入り、歌手も衣装、メイクをつけて歌う。英語のドレス・リハーサル(ドレリハ)も同義。 

 

まず音楽性です。メロディラインとメロディラインをつなぐ有機性、そのなかの音程感のあり方などは、その歌手の音楽性の差異をはかる目安となります。たとえば音程です。「ソ」の音一つをとってみても、それが「ドミソ」の和音の「ソ」なのか、「ソシレ」の和音の「ソ」なのかで、その音程のあり方は異なります。そして、その「ソ」の次にどんな和音に移るのか、上がるのか下がるのかでも違うのです。よい弦楽器や管楽器の奏者と同じセンスが、よい歌手には必要です。 

演劇性においては、ことばに対するセンス、ことばの背後にある、ことばでは言い表わせない情感に対するセンスも大切です。しかも、これが音楽との関係において表現されなければならないのです。長調の明るげなメロディのなかに、無限の悲しさを秘めたり、短調の悲しげなメロディを、その悲しさを抑えて明るくさり気なく歌う、といったシチュエーションは、オペラにはたくさんあるのです。もちろん、芝居もうまくなければいけません。へたな人形劇のような芝居、学芸会に毛が生えただけのような芝居、少女マンガのできそこないのような芝居に出会うこともあります。 

 

教会や宮廷といったよくひびいて残響の多い室内で発達。 

共鳴のよい声を必要。声のひびきの純度を重視。 

日本人の多くは、のど・口から出ているところの音、西洋人は、反響している音を聞こうとする。 

日本人は舞台上で出されている声、西洋人は、客席にひびいている声を聞く。

 

100 アート・テイラー:いや、単に時代が違うっていうことだよ。すべてが変わってしまった。だから、人々の価値観も違う。私たちはいくつものバンドを経て、少しずつ自分の名前や評判を広めてきた。ところが、最近じゃ学校を卒業したばかりでもすぐに自分のバンドを組んでしまう。つまり、いつもリーダーばかりで下っぱの経験がない。私はコールマン・ホーキンス、オスカー・ペティフォード、たくさんのミュージシャンと一社にプレイしてきた。 

音楽を始めて40年になるけど、この時になってやっと自分のバンドを持つことができたんだ。でも、今までのバンド経験から何をどうやって処理するべきかよくわかっている。22歳ぐらいで自分のバンドを結成するのも悪いことではないが、彼らは私が知っていることを知らない。バンドを渡り歩き、苦労してマスターから技術を少しずつ盗みとる、みたいな経験がないからね。

 

103 うん、じゃあ、説明してあげよう。私がまだ若かった頃、初めてチャーリー・パーカーと仕事をした時、すごく緊張してしまった。すると、彼は「君がしなきゃならないことはすべてのスタンダードの歌詞を覚えることだ。歌詞がわかればプレイしている間に自然とその歌詞の内容を考えるようになる。つまり、曲の内容にそぐわないプレイは間違ってもやらないですむ」と言ってくれた。

 

121 シダー:そして大事なことは、ベートーベンみたいに譜面になって残っているわけではないから、ジャズは一生懸命に聴かなくてはならない。採譜をしたりして努力を重ねないと、絶対に弾けるようにはならない。だから、昔の新聞を読むようだ……なんてひどいまちがいだ。それは古い新聞じゃなくて、本のようなものだ。たとえば「風と共に去りぬ」は古い小説だけど、だからって読まれなくなることはないだろう? そんなことを言う人は、あまり頭のいい人だとは思えないね。私はむしろ昔のものは伝統的な大事なもので、できれば再現されるべきものだと思うよ。 

バド・パウェルアート・テイタムビル・エヴァンスハンク・ジョーンズなんかを研究していけば、正しい表現法を身につけられる。ハンクはまだ健在だから、直接聴けばいい。すばらしいスタイルだ。ビル・エヴァンスやバド・パウェルのスタイルもたくさんの人に影響を与えてきた。そもそも、私はミュージシャンの数だけスタイルがあっていいと思う音楽は人生みたいなもので、それぞれの違う性格、違う外見、違うフィーリングを反映しているから、そうなってあたりまえだ。そして、それが音楽の重要な要素になるんだからね。

 

122 もちろん。ただ一つだけ私が異議を唱えるとしたら、それは基礎のない発展だね。基本のテクニックは無視してはいけない。土台となる基礎さえあれば、いろいろなことを試みて音楽を発展させていくことができる。つまり、新しい音楽を創造するには、まず楽器のことはよく理解していなければならないということだ。(土台となる基礎。それが4ビートだ。)

 

 

○ファルセット・イン・ペット

148 イタリア人の先生、力を抜け、力を入れてはならぬ―そればかりで十数年がたち、そしてそれで終わってしまった。 

B氏のレッスンは、のどをやわらかな息の流れでマッサージする方法で、これは声楽上、最もやってはいけない方法。 

第三の目を中心にした「顔面(マスケラ)」で“音を薄くとる方法”であった。 

“顔面でのファルセット”をイン・ペット(胸に)まで下ろしてくる方法を知らなかった。(「スーパー発声法」江本弘志 音楽之友社

 

 

○呼吸の法則

106 その吸うことと吐くことのコンビネーションは、歌手一人ひとりによって微妙に異なります。彼は、その一人ひとりの差を聞き分けながら、そのなかに共通する「歌手の呼吸の生理」を模索していきます。一人ひとりの歌い方や呼吸が微妙に違うのに、そのなかに、ある種の共通する生理があることに彼は気づいたのです。アリアのカデンツァ(最後にある即興性に満ちた華麗な超えの技巧のみせどころ)にあるフェルマータ一つみても、その伸ばし方も、そこへ向うスピードも歌手によって異なるのに、じょうずな歌手には何やら共通する法則があるぞ、と彼は思うのです。 

この法則を知ることによって、彼が単なる伴奏ピアニストから一段昇格して、コレペティトールの仕事をしたり、合唱指揮を受け持つようになったときに、その成果が現われてきます。このタイミングでサインを出したり、このテンポ運びで歌わせれば、相手が上手に歌うぞということを彼は試してみます。練習ピアニストのときに思った、ある「呼吸の法則」を、ここで彼は、たくさんの相手に実験してみます。どうすれば、それぞれ個性の異なる歌手が上手に歌えるか、コーラスが上手になるか、彼は実地に試し、ある確信に至ります。どうやら彼は「呼吸の法則」に気づいたようです。 

実は、この「呼吸の法則」は、フレージングとアーティキュレーションという音楽表現とそれを具体的な音にするときの技術的ノウハウと、密接な簡潔をもっているのです。この法則を認識しながら、彼は自分のオペラ解釈を確立していくのです。 

慣習的なテンポを覚え、呼吸の生理の法則を手中に収めた彼は、いよいよ本番の指揮者になり、観客の拍手喝采だけでなく、出演者すべてにも「彼の指揮は歌いやすい」との支持を得るのでした。 

こんなストーリーが、あらゆるオペラ・ハウスのなかで生まれていたのですが、今では、この伝統は失われつつあります。コンクール出身の指揮者が、突然、下積みもあまりないままに本番に登場するのです。では、彼らはどうやってこの「呼吸の法則」を知るのでしょう。もし、その人が鋭い感性と共に謙虚な学習姿勢を失わなければ、少々乱暴ですが、本番を通じて模索しながら「呼吸の法則」を覚えていくのです。 

今世紀のイタリア・オペラの指揮者最大の巨匠と呼ばれた人に、トゥリオ・セラフィン(1878~1968)がいます。彼は一見(聴)、何の変哲もないオーソドックスな音楽づくりのように感じられるスタイルのなかに、あらゆる音楽的バランスと造型性、感情を込め、しかも、すべての歌手に最高の「呼吸」をさせたのでした。歌手にぴったり合わせた伴奏のように見せていて、実は、すべての歌手はセラフィンという巨匠の掌の上で遊ばされていたのです。 

オペラの伴奏は、あらゆるスタイルに精通していれば、決して難しくはありません。しかし、本当に素晴らしい「伴奏」は、決して多くはないのです。(P105)