一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

「場を最大限、活かす」 1051

 

 「場を最大限、活かす」1051

 

 

 自分一人では、音や声への判断力を磨くにもなかなかわからないものです。

まして、自分のオリジナリティや表現ということは、

人のまえで、できたら、即興のなかで判断する機会が欲しいものです。

 

何が価値かを知るには一人ではできません。

それには、人前で芸になるのに足るテンションが不可欠です。

10人くらいでも「あの人のは何かよい」と感じたり、

「あの声は、どうも」とかいうのが、わかりやすいからです。

 

 自分の声や歌は、鏡を見るようにはわからないのです。

何十回も聞いているうちに、慣れてしまいます。

もともと自分の感覚で出しているのですから、その粗も聞こえなくなってきます。

 

たまにプロの歌を聞いて、自分のものは「よくない」と思っても、なぜかはわかりません。

多くの人は、「すぐれていない」のを「違うもの」として比べて学ぼうとしません。

 

 一流の人の条件は、自分を高い位置から客観視して、

誰よりも厳しい基準をもち判断して、修正できることです。

三者的に聞くことができないと評価は成り立ちません。

そこを客観的に見ずに上達はありえません。

 

他の人達を全部厳しく評価できるようになってきたら、

自分に対しても、それがどのくらい当てはまっているのか、

どう変えればよいのかが、わかってくるのです。

すぐれているものを厳しく評価することから耳を鍛えていくのです。

量をこなし、厳しい感覚のもとで、すぐれたものを入れていくのです。

 

 

個人レッスンでは先生と一対一で、限られた課題や細かいことのチェックをするのはよいのです。

発声が伸びても、それをどう歌や舞台につなげるかがわからないなら、

自分に必要な発声も結局わからないということです。

そのためには、いわれるまま、うのみにするのでなく、

そのことばをイメージとしてつかむための仕込みが必要です。

 

それには、量をこなせるグループもよいと考えます。

複数のトレーナーや他の研究生も研究材料にとれます。

 

ただし、その場のテンションが低いなら、グループレッスンまったく逆の結果となります。

そこが最大の問題、両刃の剣です。

つまり、各人の高度な要求と、それに見合うとにくみ姿勢が必要なのです。

そうでないと、チームプレイではないヴォーカルの場合、ただの慣れ合いになりかねません。

 

 

表現の場というのは、結局、人前に立って問うわけです。

「人前に出て、上がってうまくできませんでした」では困ります。

グループの場合は、自分の練習を自分のステージと考え、他の人は客にするのです。

 

まず、そこで何か人と異なるレベルのことができない限り、どこにも出ていけません。

そこで、プロがきてもまねできない何を創造しているかが問われます。

 

 日本のアーティストでも、たとえ声の力がなくとも、

「この曲を歌って」といわれたら、それなりの自分のフレーズのアレンジにできてしまうでしょう。

それはやはり、自分の音楽や歌のフレーズをもっているからです。

いろいろな音が入っていて、それをとり出せるのですから、普通の人ではありません。

そういう経験を積めるように、勉強をするのです。

 

 発声は、武器にもなるし、それに接することで、他のこともわかってくるという条件の元に有利なものです。

強い武器やたくさんの種類の武器も、その使い方を知らなければ意味がないのです。

 

 日本人の場合は即興でやっていないから、自ずと甘くなりがちです。

覚えたものを正確に再現するのでなく、常にそこで感じたままに創造するレッスンが必要です。

 

 こういうものを読み、いろいろなことを勉強していこうと、まじめに思っても、

やれるまでは、下積みなのです。

できるようになるために何が足らないのか、

これはやってみては、何が足りないのかを知ることを

くり返していくしかないのです。

 

学ぶことは、たった一つ、そのことなのです。