イベント【関西特別集中講座】1059
<1>メニューでよかった順に下記の<2>より5つ、番号を記入してください。
数字は下の枠内のメニュー番号
No.1→16、22、8、3、5、25
No.2→5、2、3、9、14、16、22、24、25
No.3→2、10、16、24、6、22、25
No.4→3、9、2、5、9、14、16、20、22、24
No.5→24、6、22、7、10、16、19
<2>メニューで学んだこと・感想[スペースに書ききれない項目は、別紙にNo.をふって記入ください。
■初日
1.導入、諸注意、課題説明
ふだんの自分を常にチェックする、根本的な姿勢を確認。
一般の人を含めての説明のため、基本に戻っての心構え体を握った息の位置をキープし、それに地声を乗せられるように
ことばの精度を高める
強弱アクセント
グループで人前で全力を出し、同時に人の体を読み込む等々
2.レッスン (今回課題曲のポイントとフレージング)トレーナー
歌がことばからかけ離れないこと。呼吸とリズムが合うこと。呼吸とリズムは回転し、はずみがある。踏み込むところを押さえる。感情の高まり、躍動感・生命感と一体化させる。
(設問2と6の回答)結局、ポイントになってくるのは、出だしとサビである。日本語と英語の違い、曲のタイプの違いによって、それらの捉え方も変わってくる。体を使うという根本には違いはないが、強く入った方がよい場合、たんたんといった方がよい場合など、出だしのフレーズにもいくつものパターンが存在する。サビにしても同じようなことがいえる。張り上げ気味の方がよい場合、大きくゆったりと歌う場合とさまざま。全体を何度か聞いていくなかで、どの形が一番ピッタリくるのかを判断していく力(このとき自身が出しよい適切なキーも決定する)を養っていかないといけない。どれだけ頭のなかで音・ことばをイメージできるか。そしてそのイメージしたものを作品として出していけるか。つかむ、放す、流す、押す、引く、膨らませる、速く、ゆっくり、強く弱くなどフレーズのつくり方はいくつもある。ひきつけれれない歌というのは、これらの数が少ない。いわゆる表現のファイル、引き出しがほとんどない状態を差すと思える。サビをサビらしく、出だしを出だしらしく表現するために、引き出しの数を一つでも多くもつことだ。
3.レッスン(ヴォイストレーニング)トレーナー
歌のイメージの伝え方。自分なりの思いの込め方を見せる。歌に自分が深く入りつつ、ひとりよがりにならずに強く前に出す。強いイメージ・思いをぶつけていくテンション。歌のイメージのつめ方のエッセンスを込めたレッスン。
今回は一般の方々も多く参加しており、大規模なグループレッスンになったわけですが、「トレーニングをやっている人とやっていない人の違い」というのが、同じ一言でも、わかってしまい、体と声が違うのに気づきました。だから何だというわけではないのですが、過去の自分とあてはめて、現在に至るまでのプロセス「どのようにして、今の状態になったか。過去の自分には何が足りなかったのか」そして、今の状態からこれからの道は「何をプラスしていけばよいのか。どんなことを目標に進んでいくか」とうことを考えることになりました。
4.ステージ実習準備説明 トレーナー
ステージでの姿勢について。ぎりぎりまで全力を出し切る。まわりを圧倒する強烈なイメージを用意し、伝えようとする。
5.発表会1 ステージ実習(アカペラ)
初めての発表もあって本当に楽しみだった。一人ひとりの特徴、音楽の世界が好みがうかがえた。引き込まれた人が何人も出て、見ごたえがあった。アカペラで他に何もない分、その人がむき出しになり、場を動かすのにより地力が必要だと感じた。
“何か”が伝わる人がいる。“何か”としか感じとれてないが、積もり積もって信頼になる。
6.レッスン(課題曲/表現、オリジナリティ)トレーナー
前半のレッスンをもとに、自分の歌を詰めるため、各自で練習。レッスンが本当に役立ったと実感。
〈表現ということに関して〉たとえば、「バカヤロー」と大きな声でいってみる。他人がそれを見るとそれは、「バカヤロー」ということばのトレーニングにしか見えない。表現する上では、これではだめで、「バカヤロー」といったときに、「バカヤロー」怒ってまた、悲しくて「バカヤロー」といったのなら、絶対トレーニングしているようには聞こえないはずだと思う。それならばトレーニングしているという考えを捨ててしまい、「深く声をとる」とかを捨ててしまって、表現する上では、本当にその立場に自分をもってきた方が表現できるのではないかと思いました。
7.課題曲キィ決定 トレーナー
他の人が決めている間、時間が空くので自分の練習をする。他の人のキイの決め方を聞いていて少しは参考になった。
■2日目
8.ウォーミングアップ(声の出やすい状態をつくる)(S)
強い息で吐き切りながら声を出すようにする。体の勢いで押さないように。ことばをひとまとまりでつかむ。一音一音までしっかりといえるように。「アオイ」「マリア」×3
9.レッスン(課題曲)トレーナー
その場での課題曲の練習・発表。予め準備した歌よりは、各自の歌いぐせがよく出やすい適当なキイ設定と急激な音の上がり下がりの部分の処理がキーなのは共通していえる。他の人の体の使い方も読み込んでみる。
課題曲「輝きながら」この歌で“歌っているとキイが高くなっている”ということを注意されました。そして、こういうリズムを取りにくい曲では、フレーズとフレーズのつながりにも気をつけなければならないし、スピード感もなくてはならない。いろいろと課題が出てきました。
10.レッスン1 トレーナー
ステージングの心得とマナー。全身で表現し、自分の世界をつくって観客を巻き込んでゆく。まさに全身とは指先、つま先まで一挙手一投足に神経を払い、また一人ひとりにまで伝えようとすること。表現者としての自負、客への奉仕というプロ意識。
ステージというのは歌だけがよければよいというものではなく(もちろん、これが最も大切である)、歌っているときの姿勢、目線、歌い出すまでの間、そして歌ったあとと、全てを見られている。堂々としていたり、一所懸命であると歌のできが多少悪くてもステージとして成り立つと思った。逆にいくら声がよくても、働きかけがないと、マイナスにしてしまうことになる。この時代、自分の姿がチェックできる便利な道具も手に入れることが可能なので、そういったものも活用してみるとよいと思えた。
11.個別アドバイス
12.個人アドバイス トレーナー
ステージの課題曲のチェック。技術面のことについては、No.9のレッスンと同様になった。声の揺れ・不安定さ、高音でしゃくり上げ、言葉をいい急いで、語尾の伸ばし過ぎなどがあった。キイ設定が高いと感じて変更。
13.実習(ステージ登場から歌い出しまでのチェック) トレーナー
同じ曲でいろんなキーの伴奏を聞きながら、出だしの音の高さとタイミングをはかる練習をする。
14.リハーサル
(通常グループレッスン(福島))イメージを伝えることについて。普段のレッスンのまとめの感じ。感覚と体の問題イメージをより洗練させ、それに体が反応できるようにする。人に与えるための自分の世界をそれでつくる。自分について考え、そこから取り出し与える努力を積むこと。
15.発表会リハーサル
本番さながらの様子を感じた。本番でよく聞かせた人は、振り返ってみても当然ながら、このときもすばらしい。このリハでは、ステージングのことも念頭におきながら、チェックする機会になる。
空気は伝わってきて、うれしくもあり、「くそ」とも思った。
16.ライブin KYOTO
最高だった。全身全霊の会心のステージ。いい歌を惜しみなく与えてもらって感謝したくなるくらいだった。
まず感じたのは安定感。絶対的な信頼関係が、はじめの2フレーズぐらいで結ばれてしまった。「これはどっぷり聞けるぞ」と思ってしまった。客が全員ステージの方に体重をかけても「よっしゃーこんかいー」と受け止めてくれそうな気迫が感じられた。フレーズの一つひとつにたくさん詰め込まれていると同時に、それがしぜんにそうなってしまうのかのように出てくる。とにかく、しぜんだった。Tさんが「球根」を歌っているときの印象は、大きく立ちはだかるその人と「地面が揺れている、揺さぶっている」と、そういう感じだった。それぞれのキャラクターが選曲などにも表われていて、見ていておもしろかった。
実力とは何かということをわからされた気がします。歌い出した瞬間に世界が広がりました。理屈とかでない歌の素晴らしさがありました。「もし、このライブがもっと充実した環境で行われたら、どんなにすごくなるのだろう」とか考えていました。だけど、こうやって与えられているばかりでは、いつまでたってもお客さんのままなので、何とか他の人に与えられるまで、もっとやらなければならないです。もちろん、よいものはどんどん取り入れていきたいです。
まずは、聞き手をじっとさせて、そして、一ヶ所でも「オオオッ」と思わせると、全部が引き締まる。それにしても、単純に「人間は素晴らしい」と思わされた。ありがとうございました。
迫力と感激と試合に負けたときのような悔しさ(野球をしていたので)で変な気分になって思わず涙が。
まず、自分とのこの圧倒的で致命的な差はどこから生まれてくるのだろうと考えた。しかし、それは、いたって簡単でやれているか、やれてないかのことだと思った。誰一人ステ-ジ上で苦しさを感じさせてはいなかった。声の名コントローラーだ。そして、必ず自分の勝負所をもっていて、それをしっかり聞き手にわからせて伝えてくる。あれも計算づくなのだろう。私のステージとは大違い。苦しさをさらしまくりの私の歌とは。
Sさんの「生きて~」(曲名がはっきりわからない)は、その歌詞が物語になっているみたいだったけど、そのストーリーが伝わってきた。それは、Sさんの力があってこそのものだったと思う。
次第に話は悲しい方向へと進んでいく。そして、歌い方も同じ方向へ流れていった。声をコントロールし、感情までもコントロールしているように感じた。あの歌には本当にストーリーの流れがあった。
詩の世界、雰囲気を声、体によって全身から放っていたTさん。「球根」を聞いているときは、Tさんのまわりいったいに時折うねり(強大な)のようなものを感じた。そのうねりに吸い込まれ、巻き込まれるように私の目はTさんに釘づけ状態だった。「世界は~」からサビに向かってのパワーというか、狂気じみてさえいた表現には本当に圧倒された。私の予想というか、期待を超えたものがビシビシ飛んできた。
Yさんには、とてつもない声・息のコントロール力を感じた。乱れとかズレとかが、まったく私には見えなかった。そのコントール力のうしろにそびえ立つ、大きな城が見えた。一曲しか聞けなかったのが残念だった。私も人にそう思わせられる歌を歌いたい。「もう一曲聞きたい」と。この今回の集中講座のなかで一番よかったメニューは間違いなく、私にとってはこのライブです。自分の発表会といえないのが情けないけど。本当に有意義な一時間だった。
■最終日
19.ウォーミングアップ トレーナー(声の出やすい状態をつくる)
もう一度、体の芯をつかんだ息での声をとり戻すためのメニュー。
母音の音や音の高さが変わっても声の音色が変わらないようにする。大きく呼吸をとったときの体の使い方。
20.直前リハ 出演順 全て参加できなかった人の準備 トレーナー
伴奏つきでのリハを本番前に一度やっておけてよかった。
出だしのタイミングとキイを外した。本番前に不安を残す。
22.発表会2(音響、照明、伴奏付き)
同じ曲でも人によってこれだけ違った曲になるのかと実感。歌の練り込み方、歌い方はまさに十人十色。聞かせる人はしっかりと聞かせた。そこから学ぶべき。ワンフレーズでも人を感動させられるので、どんな曲でも出し切ること。
やはり、ステージは目立った者が勝つ。いかに印象づけるかが勝負。
ステ-ジで何か「やろう」とすると、それは全部ウソになる。自分が歌い終ったあとそう感じた。他の人のリハと本番を見て何人か同じことを感じた。しかし、何かをつくり上げようとするとき、「やろう」としない限り何もできない。だから、練習の段階で何度も何度も「やろう」として、それに近いことが一回でもできたら、また、それを繰り返して詰めていって、体にしみ込ませていく。ものが飛んできたら目をつぶってしまうのと同じくらい、ある音やことばに対して体、呼吸、声が反応できなければ使いものにならない。
歌も結局あらゆるスポーツと同じくすべて反射神経で対応できなければならない。頭で考えているとその時点ですでに遅く、間に合わそうとすればするほど、変なところに余計な力が入って、「やろう」としていたことと似たようなことはできるが、それは繕っただけの大ウソとなってしまう。
一つの動作をすると同時に、もう次の動きに入っていないといけない。ボクシングなんかを例にとって考えてみると、たとえば、何連発ものパンチをひょいひょいと見事に全部かわしてしまうときがあるが、あの動きは明らかに相手のグローブなど見ていない。何か動物的なカンと経験だけでよけているように私には見える(実際には知りませんが)。そういう練習を何万回もやって反射的に体が反応するようにして、一つのパターンみたいなものを何通りも体に覚え込ませ、それをカンと経験で瞬時に取り出し、あとは体が勝手に動く、そんな印象を受ける。
歌も同じで、それぐらい体に入ってないとステージで出すことはできないと感じた。
自分のステージに関しては、頭で考えれば考えるほど複雑になってストレートに伝わらなくなるものだと感じた。歌うときは、やはり「気持ちよく声を出す」ということが原点で、それが底辺にないとベースのないまま上だけを飾ってしまったような状態になってしまい、安定感もなく、パワーもなく、ストレートに伝わらない。常に原点に帰り、声を出す気持ちよさ、快感を味わわなくてはいけないと感じた。
歌い方としては、息をまぜるならもっと徹底してまぜないと前へ出ていかないし、表現にならない。息をまぜる声にも勢いがないと、パワフルに歌うところへもっていけない。結局パワーダウンしたまま最後まで行ってしまったような気がした。全体的にもっと呼吸や声の流れを作っていかないと歌が止まってしまう。ささやかに歌うようなイメージの歌であっても、歌い手が大きく捉えていかないと客に届く頃には小さくまとまってしまう。自分のなかで歌をもっと大きくイメージすることが大切だと感じた。
23.総評/個別アドバイス(福島ほか)
予め自分との相対的評価だといわれ、今回、何をどう伝えようとしたのか表現の意図や歌の仕上げ方(歌との格闘・克服→消化して昇華)についてのコメントが参考になった。
「無難にまとめず自分のスタンスを前面に出す」「音の微妙な効果の違いを知り、つかんだものを出す」が印象的。
福島先生だけでなく、他の先生の総評が聞けたのがよかった。福島先生の「テンションアップで声量ダウン(小さくするというより“しぼり込む、密度を高くする”ということでしょうか)」ということば。
トレーナーの「歌を歌い変えるときは、それなりの覚悟が必要」ということばが「そうやな。」と考えさせられることがありました。
24.特別レッスン トレーナー
ことばの内容よりも音のイメージで捉え、感覚的部分をつくっていくこと。
言語特性(フレーズ感・線のキープ、強弱アクセント、スピード感)に乗りながら、フレーズを練り込み、感覚を強く出す。
耳を鍛える必要。英語だけでなく日本語の歌にも使えること。
25.特別レッスン(福島)
息→声→フレーズ→歌段階ごとの練習をしてのまとめ。「ステージで遊ぶための普段の勉強」、「歌は自分のものでなく、客に与えるもの」、「歌は原曲以上に自分で作詞・作曲する」を心に留める。
「最初は息で、それでだんだんテンションを上げていったところで、自分のソロを取る。」この上で自分のソロを取るということは難しいことだと思いました。自分のテンションはどんどん上がっているが、それと平行して、他の人のテンションもどんどん上がってくる。そのテンションが飽和している状態で自分を表現する。それは、おもしろく感じられ、すごくも感じられる。(表現できたらの話ですが)そして、テンションを上げていく過程で気がついたのは、このとき「テンションを上げるのには、相互作用がある。」ということ。
だけど、歌うとき、自分で歌うときは一人だけだ。トレーニングでは、そういうテンションの場に自分がいて、他人のテンションの高さを感じながら、自分もテンションが上がっていったのだが、ステージに立つときは、自分自身の手により、テンションを高めていかなければならない。
何やら、不思議な体験をした。頭は冷静だったと思うのだが、何かおかしかった。でも、ボヤけてはいるが自分という人間のイヤらしさや驕りを見た。
音を出したあとに、聞き手に「それで次は」と思ってもらいたい。福島先生が「たとえこの 愛が」とやったとき、ゾクッときた。すごかった。びっくりした。あんなこと、とてもでけん。でもやらんと。
このレッスンのときに先生が行なった「天の声、地の声」というものへの取り組みのなかで、私自身3つの今まで感じたことのない、私にとっては不思議なことを感じました。始めのほうでやった、まず、息をしばらく吐いて徐々に息の終わりのところを声にしていき、だんだん声の割り合いを大きくしていくという過程のなかで、自分でも少し驚くほど低い声が出ていました。息から声の移り変わりで、とてもしぜんに感じたし、その声がとても安定していたこと。
声・高さを徐々にあげていくというのをしてたときに、そのとき私が首に着けていたチョーカーの紐がとても窮屈に感じたこと。あきらかに首まわりが膨らんでいたんだと思います。よくトランペットやサックス奏者が息を吹き込んでるときに、信じられないほど首が膨らんでいるときがあるけど、極端にいえばあんな感じだったのかなと思います。その感覚を再現することはできないし、その意味もわからないけど普段は感じたことのない不思議なものでした。
ある程度、全体的に声のトーンが高くなってきたときに、一つの美しい声が私のなかに流れてきたこと。それは、あきらかに女性の声だった。とても統一されていて、どこまでも伸びて続いていきそうなものでした。あの場にそんな声を一人で発することのできる人はいなかったと思うし、あの声は皆の声のよい部分が少しずつ溶け合って、できたものなのかなと思ったりしました。しかし、なぜ女性の声だったのか。たとえるとオペラ歌手というか声楽家の声のような感じでした。私にとっては教会をイメージさせるような声でした。またいつかあのレッスンの続きをやってください。今度は集中力を持続させてみせます。
<3>レッスンについて
3-1 全体のメニュー構成について
とにかく内容が盛りだくさんで、充実しているのがよかった。構成は全体的に合理的だと思った。1日目に発表会、1、2日目にリハ、3日目に発表会2となっており、①毎日一回ステージに立つ機会があること。②1日目と2日目の各レッスンが最終日の発表会に向けて歌を仕上げるためのプロセスとしても役立つこと。③通常レッスンの総復習として節目になることがメリットになった。
発表会のあとにレッスンがあるのは、とてもよいと思う。
自分は振り返って反省したり、分析したりしないので。自分の力のなさを見せつけられて、やっと少しだけ動く。
でも、一年後、今回のような3日間は過ごさないようにしたい。
とてもよかった。一年間でトップ3には入る内容のある3日間でした。本当はトップ3に入ってしまうのは恥ずかしいことなんだろうけど。でも高い集中力を保てたことは、構成もよかったからだと思う。
3-2 印象に残ったメニューと感想
昨年実現しなかった先生方のライブ。今回みて、本当に感動してしまった。ステージ上のテンションのものすごさ。エネルギーが聞く者の方に向かって突き刺さってくる。
表現するとは、こういうことなのか。自分たちのやっていることとは桁外れで、ただ、圧倒されるのみ。終ってからもしばらく呆然とする。ステージで思う存分遊べるとは並み大抵ではない。エネルギーを送ってもらって元気づけられた。
ライブ、トレーナーレッスン。お二人のレッスンは、体の使われ方がよくわかる。
リハーサルを含めて、ステージ形式のものが4度あった。個人でやるのや、通常レッスンのなかでやるのとは違い、観客がいるという、とても緊張感のある場を多くもてたということは大変、勉強になった。人前に立ってやるということが何よりも力になるし、課題も見ててくると思えた。
それでどういくのかは、わからなかった“地の声”。
トレーナーレッスンで、歌での英語の使い方今までリズムにことばを乗せて、同じスピードで歌っていて、何か違うと感じていたのが何かわかった。スピードが一定でないこと、アクセントがアクセントになっていないことなど、もっと聞いて深く読み込んで自分のものにしたい。
ステージングがよかった。
私はライブを2ヵ月に一度くらい行なっていますが、思いあたるフシがあったので、きちんと拍手・お客さんの目を見て伝えようと思います。伝えようとしなければ伝わらない。
3-3 不要のメニューと感想
初日の課題曲キイ決定。必要なのかどうか迷うところだが、個別に決めるものなので2日目などにロビーが混むから順番を決めてBスタで個別アドバイスと合わせてやる方が効率的と思う。
ステージ実習の後、トレーナーに簡単に総評してもらったが、やはり自分の発表がどんなふうに受け止められたのか知りたいので、キイ決定のためのまとまった時間を、ステージ実習の個別アドバイスにまわして欲しかった。
3-4 ステージで印象に残った人(どのメニューで)
発表会1、2のFさん。ベテランの人々の期待通りのインパクトは当然として、今回、特にFさんが光っていると感じた。ステージ上ではずっとテンションが途切れることなく、シンプルにストレートに全身で表現しているところが、よく伝わってきた。聞く方があえて聞きに行こうとするまでもなく、力強さに圧倒されてしまう感じ。ああなりたいものだと感銘を受けた。
〈課題曲「サボテンの花」〉Nさん:独自の表現を出し切っている。
Fさん:澄んだよい声で聞いていて素直に入ってきた感じ。
〈発表会〉Fさん:シンプルでストレートによく伝わってくる。飾り気がなくて却ってよい。
Fさん:歌に彼ならではの雰囲気が漂っている。
Uさん:ステージ実習・自由曲、発表会2。
Fくん:レッスン ステージ実習、発表会2。
〈課題曲「サボテンの花」〉Mさん:Kさんが昔好きだった日本のバンドのヴォーカルに顔も声もにていて、ちょっとうらやましいという想いも少し生まれたけど、それ以上にそのとき、自分の体を変えたいと自分を確立したいと思った。
Fくん(発表1、2):素朴なキャラクターと素直な声がピッタリマッチしていて、その世界にひき込まれた。声に表情がある。Kくん(発表2):とてもストレートな歌だった。まっすぐ入ってきた。声が力強く、説得力があった。Mさん(発表1、2):とにかくダイナミックだった。インパクトは一番あった。どっしりと構えていて、スキがないという感じがした。前に出そうという気力が伝わってきた。
今回、歌のうまい人、声のよく出ている人、音感のある人は何人かいて、耳に飛び込んできた。しかし、何か訴えかけてくるものはあまりなく、その人がこっちへ飛んでこなかったというのが印象である。何か声はきているんだけど、その人はずっとステージの同じ位置に残ったままという感じがした。(これは私の個人的な好みの問題もあるが)。そんななか学んだことは、作ったものは一所懸命な素直さの前には、かなわないということ。勝つには相当な練り込みをやった上で作ったものではなく、しぜんな状態にそれがなったときであると思えた。そこまでできていないのなら、ストレートに出した方が聞き手は気持ちいいんではないのだろうか。歌として聞こえてきた人は、フレーズがことばがぶつ切れ状態にならずに一つのかたまりとして流れている。それとサビがきっちりとサビとして働いているし、全体にメリハリを感じ、一部だけで捉えず、一曲として捉えているから、いわゆる歌になって伝わってくる。
ステージ実習、Fくん:セイリング、素直なサビの盛り上がり。皆も好感をもったろう。前は、万身の力、込めるばかりだったけど、じょうずになった。Iさん:アメリカから帰ってからか、前からそうだったのか変わった。
Mさん:メニュー22、Nさん:5、Sさん:22、Fさん:5、14、Tさん:22、Yさん:2、14、Mさん:5、Tさん:22、Kさん:2、10
発表会1では、Uさん、Nさん、Tさん、Tさん。
発表会2では、Nさん、Kさん、Mさん。
5.ステージ実習、Fさん:やわらかい歌い方、すごくていねいに歌っていた。聞いていて安心感があった。
22.発表会2、Nさん:ステージで落ちついていて、存在感があった。
BV座のとき「stand by me」を歌われた女の人が、自分なりの歌につくりあげて歌いあげようとしていたことが大きな差だった。
ステージ実習:Iさん。
発表会2:Fさん
全て発表会2で~Kさん:好きな歌い方、好きなパフォーマンス、完成したように感じた。Nさん:好きではない歌い方、パフォーマンスなのですが、一番思い出すのはこの人です。
Fさん:好きではない歌い方、パフォーマンスなのですが、伝えようとされているのが、よくわかった。
Fくん:いい歌はわかりやすいというか、素直に歌を聞くことができました。歌っているときの目線もこちらをしっかりと見ていて、客席に向かって歌いかけている感覚が伝わりました。
Uさん:しぜんな感じがした。無理なく自分の色のある歌だと思いました。
Fさん:まっすぐに飛び込んできて魅き込まれてしまった。
Tさん(発表会2):ワンフレーズ(サビの一回目の「君を~愛せばよかった」の部分)Tさんは、いつもわりと激しく歌うけど、今回も全体的にそう感じたけど、その激しさのなかで、ふと現れたサビのワンフレーズのなかに入り込んでいたように感じた。とてもリアリティーがあった。
ことばとして聞こえる人、コード感のある人、フレーズ感のある人、ぶつぶつとことばの切れない人、こういう人たちが結局は、歌に聞こえていたと思う。
<4>講座中、仲間(参加者)から学んだこと
各人が自分なりの表現をするのにどのような仕上げ方をするのか、グループや発表会を見ていると参考になる。自由曲なら自分の好きな曲、得意な曲、特徴のよく現れる曲を歌うのだろうし、課題曲なら同じ曲の練り込み方が各自の方法で味つけされ、いずれにしても各々の音楽性・方向性を見て取れる。
その人の表現内容が、その技量・センス、体の条件としっかりと合致して心地よさを感じられるか、判断し、自分に置き換えてみることで、自己表現というものを考えていくことができる。
素直であるということの大切さ。成長するということの原点はやはりこれなのだろう。素直というのは字の通りまっすぐなことだ。だから素直な歌、素直に歌われた歌はまっすぐに人の心に届く。シンプルだ。人間の頭は複雑で、いろんな加工や飾り立てで物事や真実を見えにくくすることができる。しかし、それらをすべてイメージ(心)で捉えようとするとき、加工されたものや虚飾されたものを人は決して受け入れようとはしない。というより、それらのシンプルさを欠いたものたちは人の心のなかに入ることができないのだ。せいぜい記憶として残るぐらいで、心のなかまでは入り込むことができない。もしそうでなければ、とっくに真実などこの世から消えうせていただろう。
これだけ飾り立てられた世の中にもまだ真実を叫ぶ者が存在しているということはそういうことだ。その真実は誰の心のなかにも存在する。私の心のなかにも確かに存在している。しかし、それを取り出し、表現するのはひどく難しい。「こうしようか」とか「こう思われたい」とか心の浅いところが働いて邪魔をする。真実は心のずっと奥にある。素直でいること、これが一番大切だ。
自分に何かをくれる人は、やっぱり普段の生活で意識している。
よかった人は数カ月前のレッスンで、すでに「あ、この人変わった。気持ちが前へ向かっている」と思わせている。それが大事な大事なこと。
<5>総括 結局この3日間、何ができたと思いますか
これまでのレッスンで教わったことを基礎からステージのことまで、エッセンスを凝縮して、一通りのことを総ざらいできた。
ステージに立つことで、現状の自分がそこでどの程度のことができるのか、できないのか知る手がかりになり、今後自分に必要なこと、不必要なことは何か考えさせられた。
他の人、各々の表現の意図・方法・個性といったものが参考になった。
できたというより、次の課題、音楽、レッスンへの取り組み方などの考えが変わりました。
<6>今後のレッスンへの課題
体に入れる音楽の絶対量を増やすこと、そして自分の表現がどんなイメージとなって人に伝わることになるのかもっとよく知ること。今回、体力面、音楽面共に地力が足りないことを改めて実感。これまで体の条件を整えることに注意がいきがち。ただ、それが他の人と同じレベルにまで戻すには、人一倍必要なため、それと同時に音楽表現上の自分というものをもっと意識していくこと。声さえ出れば歌えると勘違いしないこと。
サボテンの花の入り方、半拍目の入り方の難しさ、これで気を取られ頭のなか真っ白になり、全部がだめ。今後どのようにすればよいかは、身に染みてわかりました。とはいえ、今後もレッスン受けたのを出そうとすればメチャメチャになるかもしれません。これが私は勉強だと思っています。とても恥ずかしい思いをしましたが、『98.11.関西集中セミナー』は私にとって、今後の私の進み方を気づかせてくれたセミナーでした。
「状態」を体験することはできたが、しっかり固定して取り出すなんてとんでもない。条件を与えられて、そろえてもらって、ちょろっと出てくる。自分で条件をそろえて、音楽が降りてくるようにする。<7>今後のレッスンへの期待、要望、改良点、その他に伝えたいこと
「一年たって同じところに立ってみて、自分がどう感じるのか。」というのは、どれだけ年数を経ても、おもしろいものでありたい。“基準”として、大きくそびえていてもらいたい。レッスンを与えている、成り立たせるトレーナーの方の力は、すごいものだ。トレーナーレッスンは「大きさ」を感じる。海みたいだ。
今回の集中講座は、仕事が挟み、割り込みスケジュールがきつかった。けれど、それとは比べものにならないくらい、よいものをたくさん得た。今は、このとき得た、たくさんの愚かさ、未熟さをバネに、トレーニングに、没頭している毎日です。
課題曲「オリビア」は、知らん曲で、好かんものだったから、苦労した。何にも感じないし、感じようとしない。ほぼ毎日、へたくそ、ギター・キーボードに合わせ音をとっているくらいで、中身のない練習(こんなふうに呼べるもんじゃない)になってしまった。結果は、そのまま表われ、ひどいデキ、へたなカラオケ止まり。気持ちもなけりゃ、ヴォイストレーニングの効果すら出ていない。ただ、テンポもアフタビートたたいているだけで、リズムがブレスの流れに乗っていないカスに終った。
ベット・ミドラーの“When a man love's a women”を練習していた。これが、なまじ好きなぐらいじゃ“soul”がでない、グルーブ感も出ない。アカペラやから、更にたいへん(できる人は関係ないやろけど)ぎりぎりまで練習したけど、歌っていうより、ただ叫ぶだけの別なものみたいだから、別の曲に変えたけど、今からしてみればどれにしろ同じ。曲が何にしろ、練習している奴は奴で、それだけのものが出る。私の結果が、ああだったから、あれだけのものだった練習しかしていないだけ。だから、今からヴォイストレーニングをするから、これで終わりです。
発表会後の先生方のコメント。力の入りすぎ、空回り、ポイントぼけ、イメージ不足、基本のデッサンが弱い、歌いかえることによって、その人本来の表現になっていない。そうだったなと思う人が何人かいた。私自身も含め、シンプルで素直な表現。難しい。
私に対する福島先生のアドバイスは的確で、自分でも準備不足だったし、煮詰め方があまかったと思う。今までいつか自分らしい表現ができると、今の自分をこわしたいと思いつつ、無難にまとめ、終らせる結果になる。事実、私は必死でやっているといえる自信などない。歌だけでなく他のことに対しても、受け身の姿勢。精神的面、気持ちに問題がある。今年が終ろうとしているが、頭に描いたこと、イメージしていたものがあまり実行できなかった。期待は他人にするものでなく、自分にするもの。心と声の煮詰まり度を100%にしていきたい。今回の集中講座に参加した人たちから、いろいろ感じ、学べ、考えさせられた。
福島先生のコメントで、好き嫌い、好みの問題だといわれている人たちは、やはりそういわれない自分たちよりもすごいと思った。すごいとは、いろいろな要素を含み、そういうけど、基本的に息を感じられるかどうかのところなんだと思う。今回の集中講座で、前回でもそうだったけど、だからなおさら、痛いほどに息を使ってない自分に気づいた。どうしようもない。
〈歌うこと〉なぜ歌うのか、自分に問いかけてみる。それは他人(ひと)には見えないものが私には見えるからだ。でもこれは特別なことではない。皆、それぞれ違う人生だ。だから誰でも自分にしか見えないものがあるはずだ。それを伝えたいから歌うんだ。それが自分を伝えるということだ。この世の中はわからないことだらけだ。自分のこと、地球のこと、宇宙のこと、死ぬことはどうゆうことなのか。私は自分が死ぬときのことを考える。この世におさらばするときだ。わけもわからず生きてきたすべてにだ。生まれて、立ち上がった。愛されて、叱られて、遊んで、笑って、恋して、泣いた、そのすべてにだ、すべてにさよならだ。どんな気持ちだろう。考えるだけで死ぬほどせつなくなる。でもいつか必ずおとずれる。だからそれまでに歌うんだ。自分を残すために、自分を伝えるために。私にとって歌うことがすべてだ。誰が何といおうとすべてだ。だからこういう以上、伝わらなければそれは死を意味する。言い訳はいくらでもできる。でも伝わらないなら、答えはひとつだ。お前は死んでいる。魂が燃えていない証拠だ。世の中は変わらない。アーティストがいくら叫んでも変わらない。だからこそのアートなのか。地球もいつか終るだろう。遠い未来か、わからない。人の歴史も記憶もすべて消えうせるときが来る。そのとき、愛は残るだろうか。もし残らないなら私は歌わない。この宇宙のどこか片隅で愛だけはきっと輝き続ける。私はそう信じて歌う。この思いが届けば世の中もきっと変わる。歌は鏡だ。自分のすべてをありのままに映し出す。まだまだウソだらけの自分だ。真実の自分、この命消えるまで探し続けるだろう。その記憶が歌なんだ。メロディとリズムが私の命そのものだ。止まったら死ぬときだ。リズムが走り、メロディが動く、生きているならあたりまえのことだ。私は歌いつづける、この命続く限り、この世に生まれたせつなさと、この世に生まれた喜びと、永遠の愛を信じている自分を。
「君のほほえみ壊さぬように、ただ私は暮らしたい。君の涙を汚さぬように、ただ私は生きたい。君が心を閉ざさぬように、ただ私は伝えたい。こんな時代だ、流されぬように、もうこの手を離さないで」
本番では、ひたすら真っ白で反省もなかった。Fくんはまじめさがすごく共感を呼んでいたが、後半のメンバーのを聞いて、歌とか声とかは、新大陸にとりにいくのではなくて、自分の内にあって、シンプルですごいんだけど、すごくないというか、まったく別物ではないということ。
〈司会進行について〉トレーナーのアナウンスが格好よかった。
3日間、この場を用意して頂き、ありがとうございます。特に、最後の「福島特別レッスン」での“地の声~フレーズ”というものは、初めての体験でしたが、素晴らしいというか、心が安定するというか、特に日常では考えられない空間でした。「あれをレベルの高い人たちがやるとどうなるのだろう」という好奇心が湧きました。
〈司会進行について〉一人ひとりの名前を大事に大事に呼んでくれたと思う。トレーナーに名前を呼ばれて、気合いが入った。
〈スタッフについて〉今回の講座では、トレーナーレッスンを受けれたことが一番、私としては印象に残っている。先生の表現者としての精神的な部分の心得などを聞くことができ、本当にためになった。そして、そのことばは、BV座のライブで、たしかに先生の体から放たれていた。
3日間の集中講座を終えて、率直な気持ち、テンション高く臨めていたのは1日目だけであった。ステージ実習の課題曲・自由曲についてはベストとはいえないが、これまでの自分の取り組みのなかでは、最高の量と質でやれた。だから、やり込んできたぶんは出せたと思える。体がしびれるような張りつめた緊張感のなか、作ってやろうというような嘘は少なく、まっすぐな形で出せていた感触はある。この2曲がどれだけ聞き手の耳や心に飛び込んでいったかは正直わからないが、少なくともそういう思いはもっていた。単純に思うのだが、やったらやった分しか出ない、だから、やったらやった分が出てくるということ。量をやればよいというものではないが、100回なら100回、1000回なら1000回分の成果はある。それは今回のステージ実習で強く感じた。あとはそこに深い質が入ってくれば本当の意味のトレーニングとなっていき、自分の表現が少しずつ出てくると思う。今後、定期的に行なわれるステージ実習に対しては、そういった姿勢で取り組みたい。
ステージ実習が終ってホッとしてしまい、緊張感が緩んでしまった。本当ならここで一つ断ち切り、気持ちを締め直していかないといけないのだが。しかし、もちろん各メニューに対しては真剣だったが「場を変える」「空間を動かす」というようなテンションの高さをもつことができなかった。その原因は前述のこと以外にもあった。それはまず、日頃のトレーニングのなかに覚悟のようなものがないこと。そして、無駄口が多すぎた。そんな場合ではないはずなのにとても情けない。結局これらは毎回のレッスンでもいえることで、どれだけ本当にここを使い切っているかどうかとういことです。月3回、当然1回ずつお金がかかっている。しかし、それを高いものにしてしまっている自分自身で、目一杯、毎日のトレーニングを行ない、ここのレッスンをアーティストの意識をもち、臨んでいれば決して高いものではない。要は人任せになっているからそうなってしまう。自分で動かそう、変えていこう思いが心の底からわき上がってこないかぎり、いつまでたってもこんなことの繰り返しである。だからレッスン内容についても何の意見もいえない。
ブレスヴォイスのレッスンのなかには、本当の取り組みを行なえばそれだけ身になり、返ってくるものがあると思う。いくら教える側がそれを出そうとしても、私にその準備・意識がないことには何もうまれてこない。やれといわれるからやる。出ろといわれるから出る、それでは結局、何もならない。いい加減、こういう姿勢は改めないと。何のためにここに来るのか、何をしたいのかをもう一度、自分自身に問いかけてみる。与える側、出す側、発信する側の人間に早くなっていきたい。こういう状況をもっと恥ずかしいと、情けないと思って猛省しないといけない。
ここはアーティストを志す者の集まる場であるということを忘れてはいけない。この3日間で一番必要だと感じたことは『覚悟』、これにつきる。ステージで人前で何かをするというのはどういうことなのか。結局、歌の場合ステージの上に立ったら、歌のうまさ、声、リズム、音程etc.ではなく『人前で何かをする状態』に身も心もなっているということ、これが一番である。たった3日間では一所懸命そうなろうとしても、つくった形あるいは緊張しているというだけのものしか出せないと思った。日頃からの意識がそうなっていないと出せるわけがない。人前でこれから歌う人の姿、状態ではなかった。ヴォーカリストは歌い始めれば、その空間をその人の力で何色にも変えてしまうだけの力をもっていないといけない。トレーニングの段階できっちりと練り込み、自分の世界をつくり上げる作業をしてこないと、その場しのぎでどうこうできるほどの甘い、浅い世界ではないということ。
「うまく歌えること=人が感動する」ではないと思った。作ったものは作ったもので。ストレートではないから本当の意味で人の心をつかむことは無理である。何かをしたらよいというものではなく、それぞれにしぜんで意味があり、必要だと納得させるレベルのところで出していかないと、空間は、場は、そして観客は動かないと思えた。いくら声が出るようになっても、歌を間違いなく歌えたとしても、それだけではそこまでである。そこまでと、それ以上では想像する以上の違いがあると思う。日本のヴォーカリストも声の点は別としても、こういう点ではこのレベルで勝負しているから1回のステージに何万、何千もの人が集まるのだろうと思う。今回、ステージングのメニューもあったが、確かに最低限のマナーは必要であるが、一番大切で学ばなければいけなかったのは、このようなことだったんだとと強く感じた。本当はすでにこんなことはわかっていないといけないことだが、終ってからではあるが気づいたということを大事にしたい。
レッスンや本、会報のなかで、息を吐いてばかりいても「ハイ」ばかりやっていても、人を感動させる歌が歌えるわけではないというようなことがいわれているが、しかし、それらは、息や「ハイ」などをとことんやり込んだ上で、身をもって知らないといけないことで、単純にそうなんだと納得をして、その通りだというような取り組み方は、上辺だけの頭だけの理解で終ってしまう。
ステージの差は、覚悟の差、全力度の差、これにつきる。自分のステージなど誰も期待していない。向かせるしかない。