合宿特集1
【合宿実習記録】1069
◯開会あいさつ
その一瞬のために生きたってよいじゃないか、
人生だって一瞬なのだから―
かなり柔軟に個人の目的や力に沿ってプログラムを変えていくということで、
あえて班を小規模にしました。
班編成から割り当てまで、今までのやり方に沿いつつ、
こちらでやり方を全部決めてしまうと、いつもと同じような形になりかねないので、
今回はかなり動いていくと思ってください。
初めての方もいますので、概要を説明します。
ここは私が以前、講師をしていた尚美学圍の施設です。
ここでは8回目の合宿になります。
この第1スタジオをメインに、第2、3スタジオを練習の場とします。
いつも合宿は、3日で1つの舞台の打ち上げをできるようにしています。
お手元の資料にある通り、今回はミュージカル「エビータ」を題材にやっていこうと思います。
かつて「コーラスライン」「One」をやったときは、踊りの振り付けもしたら、あまりに楽しいだけで流れたので、その後、やめてしまったいきさつがあります。
前回も体の動きがビジュアル面にいき、音の面がおろそかになったので、今回は動きは最低限に押さえつつ、音によるストーリー立てを通します。もちろん余裕のある人は、振り付けたり踊ってもかまいません。
脚本を渡しますので、自分なりに使ってください。
脇を固めるのに、ピアフと美空ひばりとカンツォーネにフォークを用意しました。
曲数は、多くしました。
完成作品は、1班5~8名で、20分を予定しています。
◯資料の配布と課題Aからの説明
まず、研究所で伝えていることは、どういうふうに勉強していくかということです。
スタッフやトレーナー、まわりの人から学んでもらう、それから自分自身でも学び、自分の方法論をつくっていくのです。
合宿は班編成でそれこそ分単位で行動し、初めて会ったような人たちと合わせなければいけない。しかもアカペラです。いろいろな面で気をつかうことでしょう。
だからといって個人で練習してできることであれば、わざわざここまで来なくてもよいし、手間もかかります。
こういうなかで、自分がどれだけのことができるかというのを見つめるには、とてもよい機会だと思います。
私たちも時間が限られているので、パッパと進めていかなければならない。でも、舞台はいつもそんなものです。
極限で、整理して表現を詰めていくのには、最適の環境です。
さて、この土地、大日向という地名は、この辺に2つあるそうです。もともと大日向は線路の向こう側にあったのです。今はだいたいこちらの方を指します。歴史をめくると、戦前、貧困のために村をあげて満州へ開拓に乗り込みた。戦後引き揚げ、戻ったときには、新しい住民がいて住めなかった、そのため、県がこちらを斡旋したそうです。
そんなことを知っているか否かは、あまり関係ないのですが、物事はいきなりできたものではなく何事にも由来があります。貧困と戦争が、この村と村民の運命を変えたのです。
さて、結局、歌のうまくならない人、伸びない人は、何年もみてくると、その理由を自分でつくっているというのがわかります。一線を保っている人は、自ら、高いレベルで研究し続けていると思います。
どんなやり方でも、2年でどうこうなるとは思いませんが、機会があれば伝えていくこと、そこから学ぶことの方が大切かと思います。
それは、ライブやレコーディングなどでなく、こういうときにも、毎日の日々のなかでも、問われることです。
映像は、エビータ関連のものです。それを見ていようがいまいが構わないのですが、できるだけ材料を豊富にしてイマジネーションを働かせていきましょう。
エビータの資料のいくつかは、ネットから取り出したものですが、相当ありました。
いろいろな意味でよりよく学べる環境を整えています。
最近の若い人は、それを自分に組み入れて、より有利に活かすことがうまくできなくなってきています。
「エビータ」に関して、参考の本やCDやVTRはどこでも手に入ります。
研究とは何をやるのかというのは、いつも同じことをいっています。
同じ条件のなかで一つのことをやって、通用しないのでは全てダメなのです。
そしたら、何回も映像で見たり反省してみる。
すると何か取り柄が見つかった気になります。
人間は自分に対して一番甘いので、そこに救いを求めるのですが、ダメなものはダメと気づかなければ感覚は変わらないのです。上達しないのです。
皆が皆、ヴォイストレーニングをして歌い手になったわけではありません。
すぐれた人の練習を見て、誰かが、それをトレーニングと名づけただけです。
声は、日常的に使っているものです。
要はその人のなかの感覚からの問題ですから、その部分での鍛練と修正がもっとも大きいのです。
感覚が変わるというのは2通りです。
さらなるイマジネーションで変えていくか、自分の前の感覚を放棄するかです。
どちらにせよ、どのレベルの判断かによって、まったく違っていきます。
レッスンではその判断を学ぶのです。
これ以下では許されないということを身をもって知ることが大切です。
感覚を変えるのに、一番簡単なのは、場所や習慣を変えることです。
合宿にはそういう狙いもあります。
いつも1時間で片付けていることを3日間でやります。
より、作品として突き詰めていくプロセスを学ぶためです。
その代わり、時間での3日間やるのでなく、10年や100年のことを3日間に入れていきたいと思います。
曲も全部を歌うことが目的ではありません。いつものレッスンと同じで、そこにどれだけ自分の感覚に変化を起こせるかということが最終的な狙いです。
ステージもあくまでも結果の一つにすぎません。
それが次の3日や3年に伴うようにしてください。
感覚が変わると体がついていこうとします。そこでのギャップを身体トレーニングが補います。☆
その感覚がいい加減で自分の見えないことには、一所懸命やっていても正せないからオンしていかないです。
感覚を変える瞬間は、何かから訪れるのです。
その多くは、他の人や天地の声からです。
この前、代々木スタジオで「星降る今宵」をやったとき、今世紀最後の流星の話をしました。
スタジオに天体図まで貼りました。
誰もそんなことをイメージしない。
軽井沢なら星もよく見えるでしょう。それを見なければできないというのは、本当はダメなのですが、そうやってでも、メロディやことば、歌や演じられたものに、自分のイメージを広げていってください。
どうつくっていくのかをやりつつ、それをこの場では動けるのですから、どんどんと修正をかけていくことです。
他の人とやるのはおもしろいことです。
自分が柔軟でないかぎり、他の人に対応できないからです。その柔軟さは、ある意味ではイマジネーションと感覚です。そんなことをテーマにしていきます。
基本的には「エビータ」からの3曲で、そのうち1曲の一部分でもできればよいと考えてください。
正確に歌うことに捕らわれないでください。
読みながらでは、歌が入っていないと伝わらないでしょう。心が紙の上にいってしまうと、自分が感じたことをそのまま伝えるのに邪魔してしまいます。
踊りでも、映像を見ながら踊ろうというのでは、自分の感覚が自由にならない。
そういう意味で、メロディを組み換えようが歌詞を組み換えようが、構いません。
しっかりと表現に近づけていくことです。
最終的には音楽にして欲しいし、どこでも通じる表現にして欲しいです。
班は5つに分けています。やっていく上で調整をしていきます。
今からあなたたちが自分で行動する時間をとります。
今日は自由にいろいろなものを感じてください。
そして使用する全曲リストについてのアンケートです。
まったく知らないとかよく知っているとかいうことを記入してください。
その上で聞いてみたら歌えそうとか、自分には向かないなど、感覚的なところで評価し、自分との接点をつけてください。
◯曲の紹介
「エビータ」
エビータは、とても若くして亡くなりました。そのわずかな時間に世界と歴史に永遠にその名を刻んだ一人の女性の生涯の物語です。亡くなってからもあちこちに遺体が移され、1976年に遺体が家族の元に戻ったとあります。
これは、ある式典でプロ歌手が歌ったものです。
このようになったら、失敗だという一つの基準です。
班のなかで変えたければ、自由に変えてください。
Aは、バンドラスの「飛躍に向けて」とマガルティの「星降る今宵」、あとの曲は「泣かないでアルゼンティーナ」で3曲です。
マドンナは歌い方を全部変えています。
ベースとしては英語版で勉強していこうと思います。
曲数が多いので、時間をとりたくないです。
Bはピアフの5曲です。Cの美空ひばりの曲は、使い方次第でうまくいくかもしれません。
Eのカンツォーネは、メロディしか渡していないので、ことばと一致させることを一回さらいます。
前回の合宿も踏まえ、こういうことに慣れている人といない人とを班で分けました。
完全に二分してしまうと、初心者だけの班では動けなくなるので、何名かは回ってもらっています。
今回はピアニストもつけずにやります。
作品になりにくい班は、今回は個人の資質の問題ですから、重点的に正していきます。
人の入れ替えも考えています。
ABC班とDE班というように一緒に二分してやるようなことも考えています。もしかすると発表のときは、2つでやるかもしれません。
短い時間で物事を進めていくときは対立が避けられません。
そういうときは班長が判断して、他の人は従うようにしてください。
それで片付かないときは、班長がこちらに報告してください。
初めてきた人には、最初は何が何だかわからないと思いますが、こうやって2、3日目でまとまっていきます。
最初から決まった通りにやっていくものでは、大したことができないです。
だから皆さんの意欲と責任にあずけたいと思います。
とりあえず、初日は、課題をいくつか平行してすすめていきたいと思います。
〇発声トレーニング
スタジオが広いので有効に使ってください。
ラララ(ドドド)
ラララ(ミレド)
ガゲギゴグ(ドドドドド)
ハイ
課題のイメージをつくっていくことがメインです。それとともに自分の強いところや弱いところを知ってください。班のなかでいえば、自分の最も強いところを出して、弱いところや足りないところは、そういうことにすぐれている人に補ってもらい、一つのテーマに合わせていきましょう。
この課題に関しては深読みしてなくてもいいです。「エビータ」の脚本を渡しています。これを全うさせたいというところです。我々が芝居やコーラス、ダンスをしても全うなものにならないでしょう。それに変えて、ピアフや美空ひばりやカンツォーネを入れてみました。その力を組み込めたら、きっと素晴らしいものになるだろうという単純な置き換えと思ってください。
これらの課題が別々ではなく一つの課題として、一本通っているようにしてください。そこで自分のうまくいかないもの、ダメなものを切り捨てどう置き換えていくかが才能です。
皆さんが「エビータ」を3日間でできるとは思いません。だから3つの歌でよいのです。3つめの歌を5パターンで歌い分けたら、エビータだけで8つです。それでも通せますが、たぶん、そこまで同じ曲でもたせることはできないでしょう。役者をやるということではなく、音楽の方に何とかもっていくということで難しいのです。
最初は簡単に詞をやります。なるべく覚えてください。メロディやことばを忘れても、その人にプロの感覚があればその場で最もいいものが出てくるのです。そこをイメージや感覚でとらなければよくないのです。決まりきったことばでは全部覚えられないし、成り立たないのです。
なぜ皆さんの実力も顧みずに、これほど、たくさんのものを放り込むかというと、それによって自分が勝負できるところしか残らなくするためだからです。絶対覚えられないだけの曲数を与えたら、これまでと勝負の仕方が変わってきます。できるところだけで勝負するしかないでしょう。中途半端なものは全部捨てていくしかないから、自ら整理されるのです。
詞を見て一語一語正しく読もうとかいうのはベースにはなければいけません。
ですが、それは日頃のトレーニングで残り分をやってください。
この3日間では、今まで入っているベースに、ハッタリでも何でもよいから、プロの感覚をパッとつかまえて、何かをモノにしてしまうことを考えてください。そうしないと、ステップアップできないのです。へたな自分を抱えているから上達しないのです。
まず、「ハイ」だけでやってください。「ハイ」。
今の順番でフレーズをやってください。
声のなかでイメージを湧かせてください。
私はあまり顔を見ないで、これは使えるとか救いようがないとか、その働きかけから瞬間的にイメージします。班のなかで、音の面でみていくことです。ソフトな声とか高い声の人がいるというのを知るのも大切なことです。
自分のなかでも同じことです。こうして自分のよいところ、悪いところ、あるところ、ないところが班のなかで拡大され、見やすくなるのです。
何らかのイメージが伝わらないとよくないのです。ただ読んでいるだけでしょう。
声優教室をやっているのではありません。少なくとも私がなんとなく魅かれるようなイメージには一つも聞こえてこない。歌に入れない、歌ではもっとごまかされてしまうでしよう。
それからあまりにもバラバラすぎます。今、グループでやる必要はないかもしれませんが、少なくとも前の人の感覚や呼吸を踏んでおかないと入り損ねます。それが難しい人は切ってしまってもいいです。
最近困っているのは、ことばでいっていることを真底で理解してくれないことです。
前の人の終わったところから読むか、同じところを繰り返してください。
勝手に戻ったり飛んだりしてはいけないということです。
今やっていきたいのは全体のイメージをつくることです。共同作業でやっています。自分の味を出してくれないと、相互に判断もつきません。こちらも見えない。そうすると単に分担作業で終わってしまいます。
今はとにかく与えられたところでやってください。大切なことは全ての課題を含めて、皆が全部終わったときにたくさん強く残せるものを出せるようにすることです。お客さんがそれを何なのかわからなければ困る。
「アイドル」でもいろいろなイメージがあるでしょう。どのことばでも。そもそもわかっていっていないのだろうだと思います。深読みする必要はありませんが、皆さんのなかでイメージを一つ通して、それにくっつけていかないと。何も取り出せません。
前の人がやった感覚でずれたのなら、自分が戻すか、よりオンするか、同じことを繰り返して何かを供給するか、それを瞬時に判断して実行していかなければいけないのです。
今皆さんがやったものをこのまま発表にしたら、お客の方は何が何だかわからないでしょう。
統一したイメージ、コンセプトが必要です。ここまではやってよいが、ここからはそれているというようなものがあります。呼吸を大きく読み込んでください。
こういうことをやらせても、リズムやメロディもつかないと歌にはならないと思うのでしょうが、ここですでに器の9割がつくられているのです。そこにメロディがつけば、これ以上にはのりませんから、何かを支えに保つ必要があります。
今二ヶ所くらい、読み違えて2人の声が重なった。それはもう気持ちのコーラスになっていなければいけません。
ひとつの人間のなかにある「ここがこうきたらここはためをつくる」というようなものをものごとにする、音を音楽にするベースの感覚が動いていることです。その上で自分の個性からの計算がないと、歌の世界はできないのです。
メロディやリズムなどの決められたものを与えられて、それで正す勉強ばかりしていると感性が働かなくなってきます。全ての課題はいつも一つに通じていて同じです。どこが決め手のことばなのか、どこで間がとれるのかという呼吸を見せるのが構成や展開です。
これを曲のなかでやっていくともっと難しくなってきます。もう少し長く読む形でやってみましょう。同じでもよいし、2フレーズくらいでもよいです。今度は次の人がどこで入るかがわかりにくいです。でも感覚的にわかるはずです。
声の方向は私にでなく、自分から見て、大勢の方に向けてやってください。
班でまわしてパートを決めてください。
お互いに聞き合いながら、どういう味が出てくるのかを予想してください。最後の締めがしっかりとするとどこまでもよく聞こえます。毎回、発表を踏まえてどう伝えるかというところから、やってください。
使えないことに時間をかけている暇はありません。
歌い上げようなどと考えないでください。原曲と日本の声楽出身の人たちの歌唱を比べてください。
そういう処理の仕方しか知らない人の退屈さを反面教師にしてください。
皆さんはもっとよいところをもっているので、それを生かしてください。
◯「飛躍に向かって」
自分がここなら勝負できるというところを勘を働かせて捉えてください。表現ができるところを1、2回聞いている間に選んでください。慣れないうちは、当たり外れもわかりません。他の人のを聞いて、そこで勝負ができているとかいないとかも見ながらも、自分がやっていたらどうなっていたかというシミュレーションを早くできるようにしてください。
人数が多いときは30人いれば30分の1しか時間が与えられないです。
残りの29の時間をどれだけ生かすかというのが大切です。
自分なりにまず心の入る1行を選んでください。
台詞のなかでも随分と差がありました。ただ台詞だとまだ差が小さなものです。歌になってくると、一目瞭然です。それは与えられた練習時間ではなくて感覚の差だと思ってください。
メロディが間違っていたり、ことばがうまくとれない場合とはまったく別に、伝わるものと伝わらないものという基準があるのです。特に今まで伝えられていない人は、それは力がないということですが、その人たちはそれがわからなければ、どんなにがんばってみても、どんなに声を出してみても、そのままではダメなのです。
要は今のが音楽になったかどうかです。歌になったかどうかというのは、私はあまり問わないようにしています。それはいろいろなもっていき方があるからです。歌は応用です。情感に甘え訴えると、心が打たれることもあります。しかし、音楽になるかならないかははっきりしています。
さきほどよりもそこに何かがつけ加わったかということです。ほとんどの人はそこでたくさんのものを落としているだけです。メロディをつけて歌にした瞬間、歌が死んでしまうのが、日本の多くの歌です。
初心者でも声だけで何とかもっていけていた点では、練習にはなっていたのですが、今の歌はほとんど練習にさえなっていません。そのことをしっかりと見つめていくベきです。わかっている人は自分にもっていないものを知り、もっている人の何かを盗んでいけばよいでしょう。それに対して倡をぶつけていくかをとことん考えれば変わりません。努力をしてよい作品になっていくものです。
ただ、そのことがわからない人はそれをわかろうと、何らかの感覚をそこに入れていかないとダメだと思います。何もない人は聞いた通りになってしまいます。聞くから聴くへ、とくに初心者は急がず長くやり続けて正していくことですが、長くいるのに上達しない人は問題をつかみ直すことです。
たとえば、この曲に日本語を当てはめることはできるはずです。外国語の方を聞いて、それに日本語を当てはめるのは、とてもよい勉強法です。日本語のままだと悪いくせをまねてしまうからです。まねようと考えないで意味やイメージを当てはめて、ことばをつくりかえるというふうに変えてみてください。
日本語での歌唱はあのように歌い上げ、他の曲になるともっと鼻につくような、中途半端な技術だけを見せているようなところがあります。それはおかしいです。でもある意味でいうと、そのことで技術っぽいものを伝えて、もつようにしています。本来の正攻法での勝負の仕方ではないのに、それがわからなくなっているのが、問題です。
劇団などは伝統の色に染められるからです。公演に間に合わせるため、基本がくずれていくのです。
ステージは何をやってもよいと思いますが、基本のトレーニングでそれをやってしまうのなら、ここでは評価していません。
◯ピアフの曲 美空ひばりの曲
感覚は相対的なものですから、より速いものを聞くと速くなるし、どんどん切り換えられてしまうのです。トレーニングの切り換えに対応する力をつけます。しかし、レッスンは、感覚を絶対的にもっためにあるのです。
音楽は1秒のなかにどれだけ読み込むかという世界ですから、歌のなかでも多くの大きな切り換えが必要です。それが個性です。どんどん自分の気持ちを切りかえなければいけません。まして1曲が終わった後の次の曲は、まったく新しく蘇らせなければいけないでしょう。
野球選手でもプロならスランプといっても1シーズン棒にふれませんね。どんなに長くても1、2ヵ月で立ち直っていかないと翌年はありません。そういう人は修羅場を踏んでいるので、他の人が5年たって気づくかどうかということを何試合かで気づいては直していかなければいけないのです。
感覚も体も直します。解説者が指摘することは同じですね。そのことが悪いのはわかるのに、でも治らない。それは、やはり自分でしか直せないのです。解説者がいうような簡単なことではない。その直し方は自分で知っていくしかないわけです。つまり、すぐれた人は、自分へのフィードバックが、人よりすぐれているのです。
◯〈カンツォーネ・メロディ曲〉
カンツォーネのメロディだけを聞きます。それに感じたことをことばにして詞に入れます。こういうことは誰でもしていると思いますが、こうして新しい感覚の出会いを意図して起こしているのです。
聞いたことのある曲も初めての曲もどこを自分が美しく思うのか、気持ちが伝わるように思うのかを感じてください。音楽になってくると伝えにくいところがあります。そのまえにそういうものを深く感じてください。
ここから曲数を限定します。いつも自己紹介ライブで実力を見ながら、私は毎回、メンバーのレベルをみて、脚本を直していましたが、よく考えてみたらそれも課題として、本人にやらせたらよいのではないかと思いました。
選曲やフレーズを選ぶのも音楽への感性と自分を知っていることが問われます。こちらで最低条件をつけますので、それに対して自分のやりたいように一晚考えてください。
そのなかで理想的なものと現実的なものの接点をつけながらやります。
班のなかで自分の力を加味してやっていくと一人よがりになるのを防げます。
本当に力のある人であれば「私が一人で歌うのだ」というのでもよいわけです。
むしろそういうふうに引っ張ってもらいたいと思います。
声や体を使うことばかりしていると、肝心なメロディや場のつくり方や感覚が鈍ってしまいます。そこまで皆さんはまだ同時にできません。
班によって力の差がありますが、班の人数が少ないので動きやすいでしょう。班のカの弱いところは力のある人をどう生かすかを徹底的に考えてください。とにかくステージとしてよいものをやった方が経験上よいからです。それを均等に同じ時間でやって、お互いのテンションを下げたらしかたないでしょう。通用する人の通用するところしか通用しないのです。その部分を生かしてください。
一つの曲を覚えるのが、やっとという人が、3日でこれだけ覚えるのは大変です。そういう人たちは少ないところで密度濃くやった方が実際の勉強にもなります。そういう状況を厳しく把握してください。
あるものを使い切り、ないものをつくり出して新しい「エビータ」をつくるということです。
◯初日、夕食でのコメント
準備をした人はたくさんやってもよいのですが、そこから絞り込んでください。たとえ、準備をしていなくてももたせることができる人に譲ってください。
何人かの人を選んでそこで作品の核を生じさせ、そこに2、3人で一言でも1フレーズで足して、とにかくプラスプラスで重ねてください。退屈したところに退屈を重ねてはマイナスになっていきます。
今日の課題に関しては自分で自由に考えてみてください。自分の案と違う構成になったとしても役立つはずです。映像を見てイメージを温めてください。
まったく慣れていない人は班長と相談して、量を限定してそこを確実に仕上げるようにしてください。課題の数は多いように見えますが、余裕はあるはずです。アカペラでやるため呼吸や音程が狂うとかいうところも少ないはずです。班の人数も少ないので、すぐに決まっていくと思います。しかし、作品としてすぐれたものにするということは忘れないでください。
ステージもシンプルで構わないのです。音の世界で成り立つようにしてください。絶対的な条件としてはメロディという音の流れが入っていて欲しいということですが、ついていけない人はことばだけでもよいです。つなぎに無理があればナレーションをつかってください。
要はつながって見えればよいのですから、そこに意味を考えたりことばのつじつまを合わせようとか物語をしっかりと収拾つけようなどと、頭の世界で考えてしまうとできなくなってしまいます。音楽の世界はそんなものではなく、とりあえず出して変化させ、つなげるのです。やりながら、考えるのです。
およそ、第3~4幕くらいでできるはずです。マガルティは2回出てきます。「エビータ」では、「泣かないで」の歌が何回も繰り返されていますね。なぜでしょう。「アルゼンティーナ」に関しては何度も歌詞を変えて出てきます。それがテーマです。
そういうものを踏まえながらどうつくるかということです。大胆に切ってよいです。
作品として人や気持ちを浮き出させてください。そこからどういうふうになっていくかということです。
一つの曲を全員でやるのも練習ですが、これだけの人数がいますから違うものをやりながら、同じ土俵に立ったときに他の人のものも勉強できます。課題は23曲ありましたが、実際に使われたのは、10曲もなかったです。
ちょっと横で練習しているのが聞こえたりするだけでも参考になるはずです。
発表よりも練習で人の心に残すことも少なくありません。
作品は明日、全体として見ないとどうなっているかわからないでしょう。
「エビータ」をやるのではなく「エビータ」でやるのです。
今は、バラバラ材料としてこういうものがあったときに自分たちのセンスや個人の武器を合わせて、命を吹き込んでおくこと、そうするとこう動いてくるというのを出すためです。
この前の合宿は順番を決めましたが、今度はアカペラであれば「エビータ」のなかにどの順で他の曲が入ってきても構わないです。ことばやメロディも変えるか、そのまま入れるのか思案のしどころだと思います。
今日の作業は班のなかでのある程度の方向づけと、個人のなかでのイメージを膨らませることを中心にしてください。
ーー
〇材料出し(2日目の朝)
慣れていない人は自分のことだけ考えてください。それから今までの合宿も頭で考えている人は失敗しています。いくら考えても感じていなかったり心が伴っていないものはよくありません。
大切なのは感じること、それを出すことです。頭を使うことではありません。頭を使うのは帰ってから使いなさい。ミーティングが好きなのですか。それをやりにきたのではないでしょう。それは必要最低限やるだけです。やるべきことは自分のことをやること、それができていないのにどんなにミーティングしても何にもなりません。合わせてみたってとんでもない作品ができるだけでしょう。
自分のことがたった1人でもたった1曲でもしっかりとできたら、その班はそれで充分にもつのです。その責任をあいまいにしてしまうと誰も何もできないで終ってしまいます。力が出せないのは頭を悪く使うからです。個々に発明することの方が大切です。
特に長くやってきた人ほど頭を悪く使ってダメになってしまっていることが多いのです。逆でしょう。トレーニングは頭を使ってよくしなければいけないのです。
誰もトレーニングをしたい人や頭を使った人を見たいのではない。その人が感じたことを出してください。今、ここでどんなものが出るかわかりません。でもいつも白紙にしなければダメなのです。思い込みと考え方だけが先にいってしまわないようにします。考えるのはよいです。何が本質だとか筋だとか、自分の表現するのは何かとか。でも考えることから入ってしまってはよくありません。感じるところをなくしてしまうのなら、それていきます。もし本質を出すのであれば考えるのではなく、感じるようにすることです。
そのために、D、Eの途中のプロセスを見せます。
3割くらいはよいところがありますが7割は悪いところが見つかるはずです。悪いところを増幅してしまうのは、力のない人たちです。
合宿でいつもいうのは、何も正確に完成させようとやっているのではない。要は一瞬だけ何か違う感覚を得にやって来るのです。でも、材料が与えられてしまうから、それに捕らわれでしまう。それを使うべきなのに使われてしまう。それならその辺の劇団のワークショップに出ていた方がよいのです。
お互いにコミュニケーションとるのはよいのですが、それを頭と頭でやっていても理屈の世界になってきます。そうすると心のなかに何も入ってこないでしょう。お客さんが見たいものや伝わるものとはどんどん離れていきます。それで失敗している人はいつも失敗しています。だからビギナーの方がよいものを出せたりします。
課題を多くするのも頭を使うためにそうしているのではなく、こんなにたくさんあったら、頭を使ってもできないので、切ってしまうためにそうしているのです。「いっていないでやってみろよ」ということでしよう。でもやっている時間もないから、本当の力の差がストレートに出るのです。
全部で勝負はできないから一人一ヶ所しっかりと出す。それが二ヶ所も出せたら相当よい作品になります。6人のグループであれば12ヶ所、今までの合宿で12ヶ所どころか4、5ヶ所よかったところはほとんどありません。誰か一人がよいものを1、2ヶ所出してくれたからもったというようなのが、ほとんどです。それが、私たちの最低限の基準です。
お互いのプレーをしっかりとやることです。勝負できるところを断片として出すのが、材料出しです。組み立てを考えるのはそのあとからで充分です。その組み立ても頭で考えてもしかたがない。
「エビータ」の本質などではなく、人間の本質をつかむのです。「エビータ」には一つの悲しい場面、楽しい場面、死んでいくところなどがありますね。歌にも必ずどこかが入っているものです。
それが心で入っているものがあれば、メロディで入っているものもある。あるいは感じとして入っているものもある。だから「エビータ」の誕生の場面だから誕生の歌だ、というわけではないのです。誕生のなかにある喜びの感情が同じなだけで、別に誕生でなくてもよいのです。
大切なのは自分が仮説してきたことが、実際に舞台でやったときにあの人も同じことを考えていた、感じていた、その共感です。そこから、「でもこれでは通用しない」などと深さのレベルでシミュレーションをかけ、確認していくことです。
頭を使うのはイマジネーションを膨らませて、この脚本ではうまくいかないとか、表現がダメと思ったときに直ちにそこで訂正をしていくためで、そのことは即座に現場でやっていきます。アイデアを出すゲー厶ではなく、使えるものを活かすことです。
午後に組み立ての順番を変えるとしても、この午前中は自分のワンポイントを出せるというところをやってください。ほとんどの班で考えていることは現場でやらなければわからないということです。そんなことより自分のイメージを膨らませておいたらどうかということです。そこでパッと、違うフレーズや呼吸に対して、どのくらい柔軟に対応できるかというのは、一番深いところでつかんでおくしかないのです。
共同でつくり上げるのは楽しいかもしれませんが、それはあくまでも舞台のなかでつくり上げるものでなくてはなりません。それを予め、フィードバックすることです。
だからあまり頭だけにもっていってしまわないでください。頭でやることは昨日やってもらったはずです。それを実際正しかったかそうでないかは、現場に出してみないとわからない。ここに来てみて現実が降りてきます。
そして必ず限界があります。どういうふうに取り組むかは舞台で考えることです。だから音楽をもう一度つかまえ直すこと、場と空間、時間を組み立て直すことです。それを頭のなかでやるのはかなり難しいです。今は白紙にしてD、Eを見てください。案外慣れている人でもあの程度なのかと目安にする。それだけの力がない場合も、どこで勝負するかはもう少しわかってくるはずです。
あなた方が逆にやりやすいのは勝負できるところがないといっては語弊がありますが、いくつも選べるほどできようがないからです。動かせる人がたくさんいると、一つの作品としてまとめるのがとても難しくなります。それぞれが何でもできそうで、どれもできないというメンバーなら、できるところをとるしかないでしょう。だからたぶんバラバラに出てくると思います。
そこで3割はよいところがあるといえるのが、D、E班です。
そういうところを、特に自分の歌うものと同じならやはり使えないなとかこうすれば使えるのではないかとか、感覚の部分での検証をしていくことです。
ことばとしてはつながっていなくてよいです。舞台はどういうことなのか、わずか20分のなかでも2分でも一つの盛り上がりがあって一つの集結があって、それが後で見聞きした人の何かイメージに残ることです。気持ちのつながりが必要です。
自分が次のスタジオに向かって芝生を歩いているときに、いったい誰のどのフレーズやどの音が自分の耳に残っていたか、考えてみればよいのです。それが残らなかったらそのお客さんは二度と来ないわけです。それがキャラクターなどの要素の場合もあります。それは抜きにして、目をつぶったときに何が残るかを、ただ、やはり目は開けてみておいて欲しいです。それに代わる自分が何を出せるかを見つめるのです。
グループ作品ですが、グループのなかでの調整にあまりに時間をさいてしまうと、ただの同じ共同製作になってしまいます。それは3日間でやるのは難しいです。だから個人のものをしっかりとっくり、それをグループで最低限一本通してください。
皆さんのなかではまだ漠然としているでしよう。影響されすぎる必要はないです。彼らとは違う形で出したらもっとよいものができるはずです。彼らのプロセスを見て、どうやってよくなっていくのか、逆にどうやってダメになっていくのか。それをしつかりと自分のなかで見ていけばよいと思います。
今回は、自分の班以外に4つの違う班が見れるわけです。比べるにも、しっかりと自分の班のものをつくることです。そのなかで何が価値なのかをみましょう。班のなかでの勘違いも随分起きるはずです。それで勝負できると思ってやったのに、そのために転んでしまったとかいうこともあるでしょう。それはどれでもよいです。3日間通してシミュレーションです。
しっかりと音を聞き、心で受け止めること、それで心で感じたことをしっかりと音につないで出すことの部分が絶対に必要です。ことばや順番を間違えたりというのは、何ともないのです。ところが、ほとんどの人がカラオケと同じで8割方そちらの方に努力してしまいます。そんなことでの失敗は起きないレベルにすること。そんな表向きで問われる形ばかりの完成などは求めていないです。
10名くらい初めて参加の人がいますが、日頃のレッスンと同じです。それが3日間になって、いつも1時間のうちの15分くらいしかやらないことが8時間くらいに膨らんでいるくらいに思ってください。頭でやるのですが、頭を切らないということがどういうことなのかを知ってください。録音をよく聞き、しっかりと一つずつ気づいていくことです。今までは1曲1曲で聞いていた。自分の好きな曲や合う曲、歌えそうな曲を聞いていたでしょう。今回は「エビータ」というテーマに対して、そのなかの何が使えるかということを自分の音の世界で考えるのです。
バイオリニストがこの曲を弾く場合、どうするのかというようなことを考えるということなのです。ピアニストでも楽譜を渡されたら誰でも弾けます。それをどうつなぐかということを考えるまでもなく、ミュージシャンは、やっているでしょう。4曲、あったら、その4つをどういう気持ちで弾くかは、全部違うはずです。曲のなかでも違うはずです。そういうことをしっかりと捉えて、作品をつくる方が大切です。
たくさんの材料があるのでわかりにくいかもしれません。それは頭で考えたらできません。難しいと思うのは萌で考えるからです。頭を切らなければ結びつかないです。本当は昨日の時点で、この課題が一つになるように結びつけて欲しかったのですが、それはよほど慣れている人でないと難しかったようです。
再三ですが、やってはいけないのは、それを頭で考えて、どんどん難しくしていくことです。歌で歌われることは本当にちょっとです。愛や死や悲しみや喜びのことぐらいです。
だから、もっと単純になるはずです。それぞれに表向きに違っているだけだということです。シャンソンに美空ひばりやカンツォーネにエビータなどは表では絶対に結びつかないでしょう。でも見る人の心はピアフを聞いて、感動して涙を流すのと同じ心で、カンツォーネでもエビータでも涙を流したり、喜んだり元気になったりします。それぞれの曲に感じる一つの心があります。そこの部分をなんとか取り出して欲しいというのが今回の課題です。その部分を純粋にどれだけ前に放り出せるかということです。
まず、放り出すことから考えて欲しい。一人で複雑にやったものを班にしてもっと複雑にしてしまったらこなせなくなってしまいます。そうしたら「エビータ」の3曲だけをやった方がよほどよいでしょう。「エビータ」で8曲やってしまうともたなくなるから、他のもので補充するのであり、他の曲を入れたために難しくなったりバラバラになったりしてはしかたないのです。
つかんだものがそのまま出るには、個人がどれだけそれを心でつかんでいるかということになります。一人でつかんでなければ絶対に出ません。そういう見方でやってください。特に個人作業に力を入れてください。
ようやく曲がわかって、どう出せばよいかという意味づけがわかったところでしょう。
グループのコミュニケーションでは、3時間も話していてもダメなグループにダメで、余計に悪くなってしまうのです。一人のすぐれた個人の感覚の方が正しいからです。かなりすぐれた人が集まっても自分の感性をキープし、それをしっかりと示せなければそうなります。
個人で聞いてみてよいものがグループになるとダメになるのは、頭を使って帳尻を合わせようとするからです。それぞれのよいところが全部吹っ飛んでしまうのであれば、一人ずつやってもらった方がよいわけです。
しかし、他人のいい加減さに妥協して自分のよいものをくずしてしまう程度に、確信も説得力もなければ、所詮、力がないということです。
よく、後で自分はわかっていたようなことをいう人がいますが、できなければ、示せなければ、まったく力がないという証明に過ぎません。内にいくら力があっても外に出せないなら、内に力がなくて外に出せない人よりも可能性はないということです。勘違いしないでください。
自分の体のなかにあるいろいろな感情をコントロールする、あるいは取り出すということが難しいのと同じように、グループというものの感情や底流にあるものをとり出して、誰かが自分の口、足となるわけです。
私のやっている仕事も同じです。これだけの人数を作品にしていく。結局出来が悪いというのは自分が悪いということですから、自分の手や足がどこであって、それに役割分担をつけてみて、その価値を取り出せるようにすることをしているわけです。
個人の体の感覚の制御は、他の人と一緒にやってみたり他の人を動かすということでやってみるとわかりやすいのです。感じていなければ自分も動きにくいですね。他の人はもっと動かしにくいでしょう。でも人は他の人を動かしてやっていけるのです。歌は、他を動かすパワーで成り立つのです。
何かを気づいて欲しい。自分たちの班がやるときに、3日間で仕上げるにはどこを切り捨てどこを生かすかくらいは、合宿に何回か来ているとわかります。それは普通の作品のつくり方とはちょっと違い、このなかで限定されている場と時間で、配分するのです。
2日目の午前中でこの辺までのぺースを、できるできないは別にして、意図しておかないと、3日目のお昼の発表会には到底間に合わないです。
ミーティングをしているのを見ていると、いったい時間がいつまであると思っているのかわかっていません。1週間後とか1ヵ月後の公演ではなく、明日やらなければいけないし、今日の夜にゲネプロなのです。
そんなところまで上がってこない枝葉の問題でケンケンガクガクやっていて時間をロスするのは、鈍いとしかいいようがない。そんな時間はありません。
使えるものをパッと見つけて組み合わせてつないで、そこを練り込むことで精一杯です。でも使えるものは個人がしっかりやらないことには、わからず、使えない。求めているのは、個人の強さの部分です。誰のどこが生かせるかは、そこからでないとわからないと思います。若干長くいる人なら、カンツォーネやシャンソンのバックが入っているので有利なはずです。
こんな感じでゲネプロが行われて、我々がコメントをして修正していきます。材料出しの段階でどうこういってもしかたありません。
とにかく自分の世界をしっかりと確立することです。歌もことばもメロディの世界も全部表現の世界として捉えるのです。それが心や魂といわれ、自分のイメージとなるものです。脚本や台本も一つの世界として完結しているわけです。でもそれをステージで出すには、そこの場での条件や役割、メディアの限定、映画や演劇などのぞれぞれの型、つまり限界がかかってきます。
午前中にやって欲しいことは自分のしっかりと出せるところをつくり上げるということです。今のチェックはこのなかでどれが通用するかということです。そして、次にやることは、それを伝達させるためにどう組み合わせればよいかという、変化の部分です。今聞いてもまだごちゃまぜですね。それでもどこが使えるかを判断して、さらにそれが「エビータ」なのかどうなのかに向かっていくのです。
基準でいえば、kさんの「虹の日々」は使えるが、後は、s君の「真夜中のギター」とss君の「見上げてごらん」の1フレーズくらいです。後はエビータのテーマとまったく関係ないところで歌っているでしょう。材料出しだからしかたがないのですが、当人たちがよほど意識をもっていかないと結びつきません。
たとえば井上陽水の歌をドラマにどう使うかは自由なわけです。そのときに井上陽水の世界なのだとその顔と名前がアップで出てきたら、このドラマは滅茶苦茶になります。コマーシャルでもそのなかの何かのシーンの歌いたいところの部分のところに、それが応用されなければいけないし、ドラマでも同じです。
皆さんがドラマや映画を見たとき、より心に働きかけるためにそういう曲が使われているのです。だからそれがテーマ曲になったり、あるいはテーマ曲と莒われなくても、その部分に合うから演出家などが選ぶのです。
ビールのCMで「ヴォラーレ」(ジプシー・キングス)が使われています。これもそういう使われ方をされています。
判断としておいて欲しいのは、その人のなかで昨日書かせたようなことでの意味づけができていなければ、働きかけられないということです。頭のなかで意味づけができていても難しいことです。
「アコーディオン弾き」はもたないでしょう。全員でやった方がよいでしょう。他のものをわけてください。
これを2人でこなすには無理でしょう。後は午後に見てみないとわからないです。
「エビータ」の進行に即して使えるかどうかの判断をしていって欲しいということです。それは歌詞やメロディがどうこうということではなく、そのなかにあるイメージ、心の部分です。自分の世界で魂や心をしつかりと出していたら、それは今回の「エビータ」のような全ての感情が入っているものに関しては、どこかに当てはまるはずです。曲が合う合わないというのではないレベルにおいてです。それを合わせる必要もないです。しっかりと自分の一番奥にある心や魂を出せば、どこかにぴったりいくはずなのです。
それをどこにやるかというのは次の判断が必要ですが、そういう修正をやっていかなければいけません。イメージをもっことと、それを与えられたところにどう変化させていくかです。そのためには柔軟な心がなければいけません。頭で考えていくと失敗します。そこから進めなくなります。まず自分が感じてくれないと困ります。その結果として処理できなければカットするしかないです。
そうでないと「エビータ」のテーマ自体を崩してしまうことになります。何で違うドラマがここに入ってしまうのかとお客さんは思うでしょう。あくまで「エビータ」でつないだら、1、2、3でオチがつくところ、より明確に見せるために、他の曲の効果を入れるのです。それは自分がわかって取り出して、班で共有してやるというスタンスでやって欲しいところです。
2日目の朝一番で何もできていないところで、チェックすることはあまりないのです。こんなぐちゃぐちゃのものが作品をまとめているのだなとわかります。同じ観点でいうのなら、曲に振り回されていて、自分の心や魂のところに結びついていないのです。勢いがあるのでそれでつなげてしまっていますが、形が先行してしまっています。
ナレーションをやるのがよいのかどうかも、今の段階では判断できませんが、構成してしまったのでがんじがらめになっています。それは一回壊した方がよい。まず気持ちの出せるところを考えてみることです。今回の課題は単純です。気持ちの出すところが1、2、3とあるとしたら、そこにしっかり出して間をつなげばよいのです。
だからEにもいえますが、Dがまだダメなのは、エビータ像が明確ではないことです。要は皆さんの考えているエビータとそのドラマが一体何なのかがよくわからないのです。曲のところで降り回されているからどうしょうもないのですが、本来は曲が「エビータ」に向かっていかなければいけないのです。それができていない。
だからもう一度エビータの人生の年表でもしっかりと読むことです。それで気持ちを出すことです。たとえばそのエビータ像に少しでも辿りついているのは、植松さんだけです。「恋人たち」と「落ち葉の恋」の1フレーズくらいは何とか使えるような気がします。
「フレディ」でも、たとえばエビータ像があるとしたら、そこにおじいさんと出てくるのが、なにもそれがペロンということをいわなくても、何かしら一人の人生のなかでそういう出会いがあって、そういう人のためにそこの場面で歌っているということが、客に伝わるものです。まず当人たちがそれを理解していないとよくありません。そういう面でエビータ像に働きかけたのが、この人だけで、あとは何も考えていないのです。
曲を変えるのはよいのですが、原曲を踏まえていかないとあやふやになってしまうでしょう。全員が個々に思い込んでいる曲でつくっていくと、とりとめがなくなってエビータが最後崩れてしまうのは、あなた方が変えるからで、曲が変化するのを待たなくてはなりません。
原曲にある程度忠実で、一部を変えるというのは構わないのです。構成を立てて、はめていけばよいと思ったのでしょうが、それがかなり邪魔しています。その頭を外さなければよくありません。まず皆さんの気持ちの出せるところをしっかりと出すことです。それをどうつなげばよいのかを考えていくと、「エビータ」のなかでも勝負できる曲とできない曲が出てくると思います。
「エビータ」のあの3曲はどれもテーマになる曲です。どれを繰り返しても、間に何かを入れていって20分か30分ならもたせられる曲なのです。その辺も班によって違ってくるでしょう。
打ち込みのリズムを作っていますが、それを使うか否かも班にまかせます。
A、B、C班のために、これから練習するときの一つの方向づけとして、何が目的であるのかを示していきます。
「エビータ」を通じてやるのであり、「エビータ」そのものをやるのではないけれど、エビータ像ははっきりさせてやらなければいけません。それが皆さんにとっての何なのかは私たちはわかりませそこは自由ですが、イメージの深いところに行くと結局「エビータ」でも「オイディプス」でも「ハムレット]でも同じなのだということです。
自分の作品をつくってくださいということは、自分の気持ちをしっかりと出さないとつなぎようもないということです。あとは配分したり切り捨てたり、ソロでやったり合わせてみたりしているなかで、かなり切り詰められてくると思います。全部を歌うと40分くらいになるので、それを25分くらいまでに切り詰めていってください。
一番簡単なのはテーマを3回くらい繰り返して、その間だけもっところの1フレーズをつけていくことです。でもそれだと、つまらないものになりそうなので、それぞれの思惑も入れながら全体の作品としてまとめてみてください。
声の力や歌の力ではもっていけない部分があります。音楽の構成を1曲のなかでも考えなければいけないし、全体の配分のなかでも考えていかなければいけません。むしろ自分が舞台をやるときに6曲、15曲歌うときにどう構成をたてるのかというようなことから問うものとなるでしょう。
その辺を踏まえて、D、Eは、まず自分自身でありつつ、見極めていくような作業をしてください。材料もまだ出揃っていないので、ある程度昼に絞り込んでいくというように考えてください。Dも声がよい状態ではないので、明日、最悪の状態にならないようにしてください。そういうことで音響を使うようなことがあってもよいと思います。
イメージでつなぐ勉強をしていってください。前と違って声を大きく出して練習していくというよりは、しっかりとスタンスを決めていくことです。決めるところで決めるのを、形から考えるのではありませんが、何幕ものにするのかをまとめていってください。上演しながら考えていってください。
構成力というよりも、そのなかの気持ちのつなぎ方のところで、誰のどこの部分がどうつなげるかと考えるとよいと思います。
あくまで最終的に「エビータ」でやってもらわないと困ります。世界の曲を何種類も聞いたみたいで終わってしまうとつまらないし、お客さんも訳がわからなくなってしまいます。イメージを明確にすることをやってください。一人の人の一つの生き方のなかに全部の歌になる部分があります。こういう人たちはすべてが歌になるような人生を送っているわけです。そういうものを自分の人生経験や映画やいろいろな表現の世界からもってきてつくり上げてみてください。
全体の時間を1時間とって、その後は各グループでまとめあげるようにします。実際には、期日や時間が迫ってくると、どうしても先に形をつくらなければとあせると思います。けれど、この3日で研究所をやめるわけでないでしょう。そしたら、ポイントの置きかたは違ってくるはずなのです。あとで生かせる3日間にしようと考えたときに、やはり、ここでとことん根っこの部分を勉強しなければいけません。
これから皆さんの作品を見ていくと、きっと今と同じことをいわなければいけないと思います。だから、よく頭に入れておいてください。
たとえばこれはF11で「悲しき愛のテーマ」です。このことを歌えるヴォーカリス卜がいたとした場合に、どう変えればよいのかということではなく、ここに何が入っていてそれをどう救いあげるか、何が欠けていて、何かを加えるのか、自分のなかにどう思い浮かぶかをメロディ、リズム、情感やことばも一つのヒントにしてください。国を超え時代を超え、そこで通用するものは何なのだろうということです。プロのもつべき要素はそういうものだと私は思います。
「エビータ」の曲のところに入れて、違和感のないように歌うことが本質的なことをしっかりと取り出すということです。これはどんな曲でも合う合わないはあります。見て欲しいところはイメージを歌っているわけです。
よく研究所で伸びる人、伸びない人という話をします。伸びない人はともかくやりたがるのです。子供を見ていたらわかりますね。とにかく「打たせて」とバッターボックスにいって振りまわしていて、打てなかったら「またやらせて」ともっと悪くなってしまいます。できる子は遠くから見ていて、それもうまい子が誰かを知って見るわけです。自分でイメージしてそのイメージが入ったときに、ようやく動いてやってみる。やったときに自分のイメージに体が合っていなければ、体を合わせなければいけません。感覚やイメージが狂っていたら、それはよりよいものを見て正していかなければいけない。
そういうところからいうと、いろいろな人がいますが、砂漠に水をやっているような人も多いです。それはどこかで時間をかけて変えるしかないと思います。感覚を変えないとどうしょうもありません。それでしか本当の訂正はできないのです。
感覚のところで変わっていたら、声がかすれたり多少出なかったとしても、それは致命傷にはならない。ただ感覚の鈍さは、声の鈍さにそのまま反映します。音感やリズムの問題もそういう中にふくまれて、トレーニングをやればよいというわけではないと思います。
「君をうたう」
声を壊したりするのも同じですが、こういうものと競合しようとか張り合おうとかして声を出してもしかたないのです。声を出すことが目的ではないのです。いつもいっているように伝えることが全てであって、自分でどんなに汗をかいたりやったなという気持ちがあっても、要は伝わったかどうかだけです。ですから、伝わっていないことが、不快感にならなければいけないのです。壊していく過程が楽しいというのは先に来るべきよいものを迎に入れるためです。よいものであればよいものであるほど自分の心身の状態がよくなっていくでしょう。
ただ、トレーニングの段階では何かを意識的に引き受ける場合もあります。歌や音楽になったときには、スポーツでのへたなトレーニングのような疲れ方は絶対にあり得ないです。それでは無理がきます。繰り返しもできないし脱力もできない。ということは、次の肝心なときに瞬間で感覚に応じて力を働かせることができないということです。
声量を出すなということではないのです。それを自分のなかから、体の力や充実感ということではなく、放り出されたものがどう動くかというとても難しいことで問われます。わからないかもしれませんが、どこかで切り換えていかないと、自分が出したからといって、誰かが聞いてくれる世界ではありません。自分が何かをそこで動かさなければいけない。そうするといろいろな制限がかかってきて、だからこそ、全てが定まってくるはずです。その辺にできるだけ敏感になってください。
「去りゆく今」
ていねいに表現するのには呼吸のていねいさもカも必要です。ところがどんどんやっていくにつれて雑になってくる人が多いのです。力を出すことが目的のように思っていると当然雑になっていきます。それも本人の好みです。ただ、歌の世界からは、かけ離れていきます。完全にコントロールするために発声やトレーニングや歌を覚えることが必要なのです。
ていねいでないものはおかしいと思えばよいのです。心が通っていないからです。もちろんある時期、体を使うのもよいかもしれません。しかし、それは、部分的トレーニングであることを忘れてはいけません。
「ガラスの部屋」です。
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〇材料出しB班
(同じコメントはカットしていきます。
午前中に関しては、私の方で途中で切って、問題を明らかにしていきます。皆さんにとっては舞台慣れの意味もありますので、やれるようにやり、難しく考えないでください。)
最初に見ておいて欲しいのは、イメージの作り方です。他の4班と共通しているところもあるし、バラバラのところもあります。それなりに自分たちのエビータ像を固めてくれなければ困ります。とにかく生きているフレーズがものすごく少ないと思ってください。たった一つでも、あるいはまったく違うようなものをいっていたとしたら、それが活きていたら生かしたいと思います。そうでないと発表会で7~8割は死んでいるフレーズになります。だからあまりよくならないのです。生命を出すことが条件です。
では、はじめましょう。
いろいろな切り方があります。ただ、どの切り方も許されてしまうとしたら、その人がしっかりとっかんでいるからで、それができている人もいますが、全体的に詰めが甘いのは否めません。
それからできていない人に関しては、自分のやれていないことを知って欲しいのです。気持ちがそこで凝縮するとか集まってくるとか、それが放されるとかいうものが何もないところに、どんなに声を使ってみても、それは上辺に撫でているだけのものです。発声を勉強するのもよいかもしれませんが、何もなりません。
もっと単純なことでいうと、ヴォイストレーニングだけをやって、ヴォーカルになった人はいないのです。自分の歌をつくり上げる過程のなかで、心から音声に変えることをマスターするのです。それと違うような変な逸れ方をしてしまうのは、トレーニングの病気みたいなものです。感覚が鈍くなっているのです。だから構えやためが必要です。
そのことがうまく声にいかなかったのは見えます。心はあるけれど技術がないとか、ことばでやってみれば伝わるけれど歌でやるとずれるとか、でもそこに何かしらのひっかかりがあるのです。そのひっかかり自体は、当人が気づいて直さないとしかたないです。歌になるといきなり歌声できれいに歌うという日本人の捉え方はおかしいと、あたりまえに考えていけばよいのです。歌がどう構成されているかということです。そこには、呼吸が必要です。
「冷たい言葉聞いても~」
これは、気持ちがつながっています。そこに伸ばすとかそんな感覚がないのは、心や呼吸がそうなっているからです。それを他の人がどんなにまねてみてもできないのです。それからここから変わっていきます。
コードがメジャーに移って、1オクターブの上昇が難しいです。感覚を大きく切り換えた後にも感覚の切り換えを何回かやっています。それは技術としてファルセットが出るとか声を回せるということではなく、感覚で切り換えです。
音楽は常に感覚の切り換えをやっています。それが素人のレベルを上回れば、失敗してもうまく聞こえるし、音に当たらないとかリズムが逸れたというレベルに甘んじると、普通の人並みの感覚以下になるのです。それは磨いていくしかないのです。それをまったく解決しないでどんなに発声練習をやっても何百曲やってみても、次元はアップしていかないです。それは切り換えができない問題です。
「アンケ・セ」
ここでパッと引きつけてしまうという新鮮な感覚は、何でしょうか。それは声量や技術でできることではなくて、譜面を渡されピアノが弾いたものを聞いたときに、果たしてこういうイメージで処理しようと発想したり、最後にどうおとそうということをアイデアを出してつくり上げているかということなのです。
それを頭で考えても自分のことにおろしていなければいけません。自分の色が出ていたり自分のことが出ている歌い手はいますが、必ずそういうパターンをもっています。それが自分の色です。ただ、その色に染まって訳がわからなくなってしまう場合もあります。そういうときはよりすぐれたものをしっかりと聞いて正していくことです。
どんなに古いものであっても国が違っても、興味がもてるとか新鮮に聞こえるというのは、それなりのレベルでできているものなのです。そこから学べるものはとても大きいと思います。
歌が何をいっているかとかいうことよりも、全体として伝えるべき大切なことがあります。それは一つの音から一つの音にどう動かすかということの組み合わせで表れます。
もう一曲聞きましょう。初心者はとにかく自分が動きたがるのです。無理に動かしてもしかたないのです。動かないよりは動かしていた方がよいというだけです。動かしたというだけで勉強になっているという錯覚を起こしやすいのです。
「失われた愛を求めて」
こういうものも好き嫌いがあると思います。そういう中で自分がどれだけその気になって入り込めるかです。おもしろそうとか気持ちょさそうというものは、絶対に握っていなければいけないことです。
小さい子にたとえると、人が何かをコントロールできることは楽しいことですから、ラジコンか何かを買って、突っ走らせてバンとぶつけて、壊れて喜んでいるというのは初期の段階です。これは声でも同じです。でもどこかでそれをうまく、自分の気持ちのよいように遠隔操作していこうということが働くでしょう。次に楽しむために、壊すまいとするでしょう。
そこで主体と客体と別れていくのです。歌でもそうです。自分のものでなくそこに放り出されたもので、そのラジコンの車のような声をいかにうまく扱うかです。電波はいわば呼吸です。
ある種一つのコースがあって、ゲームでもやっていればわかりますね。苦手なところほどクリアできたときは、自分の感覚だけで動かしています。そのときはやはり手で動かすのではなく、感覚的にそれを読んでいて動かす。音の世界ですからそれが見えにくいのは確かですが、こういうテクニックはある程度必要です。
心のものをそのまま気持ちよく伝えようとするところから学ぶことはたくさんあります。イタリア人は比較的そういうところは単純に出ています。勉強してまじめに歌い上げたということよりも、何か知らないけれど楽しくやっていたら歌になっているとか、いうのでよいと思うのです。
食べるとか寝るとか同じ次元で捉えることです。そうでないところで勉強して頭でっかちに技術が目立っていくのは、日本人のよくないところです。勉強の仕方はいろいろあると思いますが、楽しむことです。
だんだん皆さんに聞かせる時間を与えるカリキュラムをつくっていこうと思っています。耳コピーができないなら、半分以上コピーのレッスンにした方がよいでしょう。
全体の実力が随分衰えてきたのには、いろいろな要素があります。
よく聞かないで歌っても歌がもつようになってしまっているのがよくないのでしょう。感覚を磨くためには耳で入れて体で動かすしかないのです。
残りの30分でやりたいのは、1フレーズ練習です。今回は自由曲ではなくて歌を決めます。最初はエビータのなかからやりたいところをやって、フレーズをとるという形です。1フレーズをやったらその感覚を読んでください。やってみることで何か気づくことがあると思います。一巡したら次の課題にいきます。
2番目の課題は「お祭りマンボ」です。
ではD、Eから出てきてやってください。
ピアフでいきましょう。なるべく耳で聞いてください。
〇フレーズ表現と全員での返し
わかりやすいですね。1フレーズのトレーニングでは自分の感覚を現すことに専念します。他の人に簡単にコピーされるようにやってはいけないのです。だからといって表面を変えてみたところでどうしょうもありません。すぐれた人なら、軽くコピーできます。プロがコピーできないものを出すことです。そのことをわかってください。
少なくとも自分のやりたいことを呼吸で示し、音感とリズム感があれば、そこに歌として合わせるにも楽です。誰でもできるようなことをやっていてもしかたありません。自分のフレーズは他人にはまねのできるものではないのです。
しかし、ここではそこで他の人にコピーさせると音楽になっていて表現として統一性をもっているから他の人が入りやすいし、返ってきやすいです。よいフレーズほど声がまとまって一つの渦で返ってきます。それは共通します。返ってくるのは自分のよりもよくない。自分の呼吸や感覚で歌い上げているのですから自分のものなのだからです。
そこまでいっていないフレーズ、歌として示していないフレーズは返そうとする人が迷うのです。だから他の人が合わせやすい人はうまい人です。それを出していかなければいけません。
その1フレーズでていねいに声を扱えることなしに、1曲は歌えません。それをつかまないうちに目先を変えても自分で自分をごまかすことになります。
自分がわからなくなるので上達しなくなるのです。大切なのはとてもシンプルに指し示し、それがシンプルに戻ってくればよいということです。
また他の人のものを聞いてみると、1ブレスでできているかどうかとか、こんなフレーズのとり方があるというのが、お互いに学び合えるでしょう。どの歌であれ共通の部分があります。それをないがしろにしたまま声のカだけで先にいってしまったり、リズムで走ってしまったりしているようです。
ためなければダメでしょう。人が力を働かせるものは同じです。ピアニストでもたっぷりためてからスタートし、音にためます。バッターでもためて自分のフォームをいかに再現できるかという状態に保ち、あとはその場の感覚に応じて変じます。そのスタンスを歌のなかでとっていくと、通用するところとしないところがわかると思います。
後半に関してはいろいろな意味でまとめていかなければいけません。無理に長くっないでいかないことです。班によっては勝負できるのはこの1曲しかないのであれば、それを3回使うとかいうやり方もあります。どこかに走ったままで「エビータ」が終わってしまったら困るのです。ゴールに戻ってください。最初はこれがいいたくて、次にはどうで、最後にはこれというように一つの何かが終わったという実感を残してください。
そのために余計なものを入れないことです。言い訳するなといっているのですが、余計なナレーションやかけ声や形だけの入り方や盛り上げはいらないです。そういうものがいるのかいらないのかを判断し、最小限最大の効果をあげるように使っていかないと、まどろっこしくなります。
演劇ではないのでその場面をはっきり伝えるということまでする必要はないです。心のところで出したかったものをどうつないだかを見たいだけです。それを妨げるようであればカットしていってください。
ゲネプロは30分ですので、20分でできるようにまとめておいてください。
単純にいうと、スタジオでやっていても誰かの声はひきつけるし、誰かの声は聞きたくないでしょう。それは声の質だけではなく、そこにフレーズがついて歌を出しているかということです。
そういうイマジネーションを膨らませるために映画をみたり、資料を調べたり何をやろうとその人の勝手です。たくさんやった方がよいのですが、研究や調査活動をやるわけではないでしょう。それをやるのもあくまで感覚が取り出せる部分に限定してやった方がよいでしょう。それは使えないとまったく意味がないからです。使えるように勉強していかないと袋小路になります。
だから全部の人に映画や資料を見た方がよいということではなく、やってみて、それで足りなければ読み込めということです。その足りないということがどういうことなのかというと、読み込みが足りないのでなく、感覚が足りなくてできないのです。そういしたら現場のなかの感覚で、出してはフィードバックしたり相互に見合って変えていくしかないでしょう。もちろん、出せるもののない初心者には読み込みが何よりも大切です。