一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

合宿特集3 31203字 1069

 

 

 

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合宿特集3

 

アンケート

 

【合宿アンケート】

 

<1>曲目でよかった順に下記の<2>より番号を配入してください。(数字は下の枠内の曲番号)

No.1→3、2、1、4

No.2→7、1、2、3、8、4、6

No.3→8、6、1、2、7、5

No.4→1、2、3、4、8、5、7

No.5→2、4、3、5、7、6、8

 

1.「飛躍に向けて」

2.「今宵、星空」

3.「泣かないでアルゼンティーナ」

4.ピアフで選んだ曲

5.美空ひばり「お祭りマンボ」

6.美空ひばりで選んだ曲

7.カンツォーネ

8.フォーク、日本の歌

 

 

 

<2>選んだ曲目と、そこから学んだこと・感想[スペースに書ききれない項目は別紙にNo.をふって配入ください。

 

 

1.A-1「飛躍に向けて」

 

日本語でこのようなシャツフルのリズムを歌うときに陥りがちなこと。たてに、拍の頭に重心がいきすぎて、ギャロップのようになってしまう。

 

バンデラスの歌は8分音符が橫にスライドして三連符に近くなった感じがよく出ていた。はずんで歌おうなどと思ってはいけないということ。

 

「エビーター」と伸ばしたところ、最高に気持ちよかった。

 

自分はサビの頭担当で、最初のアタックがどうしても入れなかった。

 

ノリのよいリズムにことばがはまったときのスピード感、パワー、心地よさ、インパクト、英語と日本語の違い(日本語は遅れやすい)。

 

こういう勢いでもちそうな曲ほど、実は難しい。

歌である以上、ことばよりも伝わる表現をしなければならない。

その明確なイメージをもつことが大切であると感じた。

 

エビータをからかっている雰囲気をバンデラスは軽々とやってみせているけど、まったく簡単ではない。

 

 

2.A-2「今宵、星空」

 

下品にならず、この手の歌を歌うことのムズカシサ。

 

メロディの魅力(甘さ、美しさ、親しみやすさ)、リズムのためと軽快さが生み出す心地よさ。

展開部の感覚の切りかえ。

 

歌すべてに共通していえることですが、意図的であってはいけない。

自分が気持ちよくなれるレベルとしぜんに歌えるレベルとでは、月とスッポンぐらい違う。

 

2Dたったこれだけの出番なのに、すごい存在感があると思った。

入り方、もっていき方、リズム感は抜群だ。

前でためておいた分が気持ちよく、スコンと入って元のテンポに戻る。

爽快。

練習中に何度も聞き惚れた。

 

 

3.A-3「泣かないでアルゼンティーナ」

 

語りと歌の間には実は区別がない。

語るように歌うという意味ではなく、音程やリズムに秩序があってもなくても、それが音楽かどうかを決めるのは別の要素であるということ。

 

植松さんの音色は絶品。すごい。

 

美しく印象に残るメロディ。

ミュージカルのテーマ(エバの魂)の本質を伝えることばを生かしたフレーズ

(ゆったりとしていて高貴だけれど、あたたかく胸に迫るフレーズ)。

 

メロディが同じで、ことばのいろんなパターンがあって、別の曲のようになっていて、とても勉強になった。

曲やことば自体はただの形で、それを表現するのは一人ひとりの個性であると再認識させられた。

 

私はベタベタした歌い方をしていたんだとこの曲を歌ってみてはっきりとわかった。

そのせいで、躍動感がなかった。

 

 

4. Bピアフで選んだ曲

 

アコーディオン弾き」前半の語りからサビの歌へもっていくのが、とてもとても難しい。

歌になろうとするとき、ことばの勢いに一定の速度がついてくる感じ。その動力源となるのが感情か。

 

「恋人たち」メロディを教えてもらったときのフレーズが印象的で、それを思い出しつつ練習した。

 

神秘的な物語を語るような靜かで美しいメロディ。

サビはメロディがそのまま鐘の音のひびきの感動とそのひびきに込められた想いを表現している。

コードの変化の効果。

 

自分の今後の課題がつまった曲。ただ歌うだけではかんぜんに間伸びしてしまう。

「声のなかに何を詰め込めるか」で勝負が決まる。ゴマかしがきかない。

 

 

5.C美空ひばり「お祭りマンボ」

 

ひばりの解釈のおもしろさ、複雑さ、繊細さ、すごい。

勢いだけでも充分、楽しく盛り上がるのにそうせずに、とてもていねいに歌っている。

 

この歌のもつ粋な感じをまったく無視して、景気づけに使ってしまったが、それでもただの大騒ぎに終わらないためにはリズ厶が前のめりにならないよう、もっとゆったりと出すべきだった。

 

E班のお祭りの感じ。心に伝わりました。

人間の素の部分、しぜんな自分を取り出せる曲だと思う。

心が躍り、気持ちが熱くなることを伝えたい。

 

多くのことばをリズムにのせながらも、ばらばらにならずに音楽の流れが切れずに続いていて、最後のフレーズまで引っ張られる

 

日本語のもっている語感、語り口も生かしている。

 

どう表現するかとても考えさせられた曲でした。

自分の得意なパターンにもっていけない曲こそ、成長する材料になると感じました。

 

生理的にとても気持ちのよい曲だった。ワッショイ、ワッショイは本当に気持ちのよいかけ声だ。

 

 

 

6.C美空ひばりで選んだ曲

 

川の流れのように」歴史に残る名曲。美空ひばりさんのすごさを知りました。

あれだけ盛り上げて歌える力は素晴らしい。やっぱり気持ちが大事だと思いました。感動です。

 

川の流れのように」スケールの大きさを感じさせる曲。詞もメロディも壮大で豊か。

しかし歌ってみると、この歌の味を出すのは難しい。

「長い」「ふるさと」「でこぼこ道」などにフレーズで情感を込められるひばりさんのすごさを感じた。

 

川の流れのように」どうして多くの人はこの曲を歌うと、うしろに“美空ひばり”をしょってしまうのだろう。

そして、「すべてはよかったのよ」みたいな偽善者っぽい歌になりやすい。

妙に晴々しい顔になってしまうのが気になる。私はエビータは自分の早すぎる死を何度も呪ったと思う。

もっともっと生きたかったはずだ。それでも自分の寿命を甘んじて受けなければならない。

その重さというか、切なさも込めて歌いたかったのだが。

 

 

 

7.Dカンツォーネ

 

 

「虹の日々」イメージで捉え、それを心のまんなかに据えておくこと。

一つひとつのことばの意味に振り回される必要はない。

一方でキイとなることばを逃がさな

 

「虹の切々」歌詞がわからなくても、生き生きと伝わってくるフレーズの豊かさ。

サビでの高揚感。

感情の高まりとメロディの高揚感が一致する密度の濃さ。大きさ。

 

「心遥かに」実力がない。

真剣さが足りないと思ったし、息は吐けないし声も出ない。

お腹で支えていないからだよといわれたけど、支えるということもわからない。体がない。

 

エバ・ペロンーエビータの真実』のなかのセリフも頭のなかをぐるぐる回っていた。

 

芝生の上を歩きまわりながら、ひたすらことばで「あなたに恋をして~」を、呼吸も声もテンションも、つかめるまでくり返した。

本番では、やりたかったことの半分も出せなくて悔しかった。他の曲はどうでもよかった。この曲だけは伝えたかったのに。練習のときはもっと自分の呼吸で動かしていたし、間もとっていた。もっとことばも大切にしていた。「恋」「ばら色」「生き続けるの」「あなた」に、もっともっと息が入っていたのに。音程を気にしてこわごわと音をとっていたということもある。でも、音とりの練習をもっとすればよかったとは思わない。

方向は、よかった。詰めが甘かった。

もっと自由に音を動かしたかった。

本当は、エビータがペロンと出会うところ(力強い演説の前)か、最後の演説の前に入れたかった。

 

 

 

8.Fフォーク、日本の歌

 

「ささやかなこの人生」オリジナルの演奏は実にさっぱりと素朴だが、ていねいに詩とメロディをたどると、何かの真実に触れていることがわかる。

そこで得たイメージを曲のイメージとしてふくらませていく

(=演奏者の意図は一度はずして、裸の曲と向き合って自分のイメージをつくっていく)。

 

「夢で会いましょう」子守唄のような優しく美しいメロディと優しいことば。

イマジネーションに働きかけるような詞の力。

音色とフレーズのなかに込められた情感の豊かさ。

 

「青空ひとりきり」は勉強になりました。学ぶところが多かったけれども、ライブでの自分は映像では絶対見たくないくらいに恥ずかしい。

ただ頭で歌おうとすると、リズムもテンションもすべて壊れる。

その世界に(どんなお客さんの前でも)飛び込んでいけるようにするにはどうすればよいのか。課題は多い。

 

自分の人生を重ねて歌うとき、「入り込みすぎてはいけない」と考えていましたが、実はそうではなく、最高に入り込んでいて、しかも心が「ゼロ」の状態のとき、一番伝わるのではないかと直感した。

 

見上げてごらん夜の星を」エビータの最後のささやかな幸せだったと思う。

見上げてごらん夜の星を小さな星の小さな光がささやかな幸せを祈ってる」

小さなと、ささやかな幸せということばを、大切に歌おうと思った。

 

 

 

<3>下記のカリキュラムでよかった順に番号を記入してください。

 

(数字は下の枠内のカリキュラム番号)

No.1→22、1、3、18、10、15、16、21

No.2→1、16、19、22、2、4、12、15、21

No.3→21、16、2、4、6、7、13、17、20、22

No.4→7、16、21、4、6、9、13、20、23

No.5→18、3、5、6、9、14、17、19、20、22

(無回答2)

 

■初日  1.自己紹介ライブ/2.課題説明(13:00~14:30)/3.課題カンツォーネメロディ聞く/4.課題「飛躍に向けて」の練習/5.班別トレーニング/6.エビータフレーズまわし/7.夜の課題(ストーリーづくり)/8.夜の自主トレーニン

■2日目 9.朝のウォーミングアップD、E班材料出し/10.午前中、班別トレーニングA、B、C班材料出し/11.全体プログラムエビータ、ピアフフレーズまわし/12.午後、各班別練習/13.課題リハーサル/班別ゲネプロ/14.花火/15.夜の鑑賞会

■最終日 16.発表会ライブE班(初回)/17.課題リハーサル(午前中リハと仕上げ)/18.発表会ライブA班/19.発表会ライブB班/20.発表会ライブC班/21.発表会ライブD班/22.発表会ライブE班/23.福島コメン卜ほか/24.フィナーレ/25.昼食会•歓談/

 

 

 

 

ーー

 

■初日

 

1.自己紹介ライブ

 

本当はあの歌、歌ったら泣けるハズなのに。本当に入り込んだら涙でてきちやうのに、またもや中途半端で終わってしまった。不完全燃焼。

 

終わった直後は悔しくて恥ずかしくて“カア~”としていた。でもことばをかわしたりして、夕食の席ではシュ~となってたと思う。あの感じ、忘れちゃいけない。

 

頭で歌っていた。こうじゃない。もっと自分で出したいものがあるはずだった。

伝えたい聞いて欲しいという気持ちよりも、自己防衛の方が勝っていた。

何のためにここにきたのか、私はひどく後悔した。

 

印象にあまり残っていない。

自分を含め、一瞬でもあの場に何か残せた人はいたのだろうか。

 

 

 

2.課題説明

 

今回は“個人”に重きをおいているメニューになっているとのこと。

初めての私にとっては、とてもありがたいことだと思った。

自分の感覚と向き合ってみること。

 

 

3.課題カンツォーネメロディ聞く

 

(オリジナルの演奏を聞いたのはこのとき)正直、ピアノの音だけでは何のイメージもつかめていなかった自分を発見した。

オリジナルの演奏の豊かなこと、何とさまざまなイメージにあふれていること。

 

録音でメロディだけ聞いていてよかったと思った。

メロディを聞いて、「とても美しいメロディだ」と素直に感動できたから。最初から歌詞もつけていたら、「どう歌うか」とか「どうすればことばが納まるのか」ということにばかりできたから。

最初から歌詞もつけていたら、「どう歌うか」とか「どうすればことばが鬲まるのか」ということにばかり気をとられていただろうから。

 

声のないカンツォーネを聞く。

なんだか不思議な感覚だった。

 

 

 

4.課題「飛躍に向けて」の練習

 

ことばの段階でも課題が見つかる。声を前に飛ばす。

前の人の呼吸を感じる.。

 

キレのよさや踏み込みの深さで耳をひかれる人がいた。

ことばだけがまっすぐとんでくる人もいた。

これだけの大人数で同じことをやるとイヤでも聞き比べることになる。

 

ひょっとしたら日本語で歌うと、みんなミュージカルになってしまうのではないかと危惧した。

詞をとりあえずメロディにのせるだけで精一杯で、とても英語バージョンのノリに思いが至らない。

 

ここで参加者の声を初めて聞いて愕然とした。素晴らしい。

人それぞれいろんな見せ方があるけど、皆、とても伸び伸び表現していた。

自分もやる、負けてられない。

 

外国版の「飛躍に向けて」は、メロディに入っていくことばのスピードやフレーズの迪カやノリが日本のものとは違う。

ことば(English or Japanese)の違いもあるだろうけど、シーンの緊張感や迫力は、まったく変わってしまう。

外国版の歌のイメージをもって練習してみる。

集中力が続かないこととともに、だんだん首から上で歌おうとして、体から離れてしまう。

 

班別に並んでいたのでメンバーがよくわかった。

全員でフレーズをまわしてメンバーのなかで私だけ話にならなかった。

もうちょっと形にして欲しいんですといわれたけど、それもわからなかった。

 

体がつまっている。息も流れていない自分の体を実感。

 

 

5.班別トレーニン

 

慣れてないのでセリフだけでいいとか、はじめから班のなかで役割を狭めすぎて、その枠のなかでやろうという、創作とは違う方向にいっていたように思う。

出したからしぼるのと、決めつけの違い。

 

たった一つのフレーズをやるだけで、他の人と私の間にすごい差があるということがわかる。

どんなにそれっぽくやってみても、声の感じを変えてみても、まったくだめで、あたりまえであせった。

 

 

 

6.エビータフレーズまわし

 

短いフレーズでどう表現するか、何の曲のどこの部分を歌うかと、いろいろ考えすぎてしまった。

自分のとっさの判断力の鈍さを感じた。

 

レベルもあって、セレモニーのオープニングって感じ。

 

 

 

7.夜の課題(ストーリーづくり)

 

今回の試練の最大のものだったかもしれない。

このおかげで、自分のイメージが明確になった。

 

今考えると、本質、目的からそれたところで頭を使っていた。

ハリキッていたのはいいが、空回りしていた。

常に何が一番大切なのか感じていなければいけないと思った。

 

一番の問題は「お祭リマンボ」をどこに入れるのかということだった。

エビータの人生に一体どう入れればいいのか、誰もはっきりしたことをいえなかった。

民衆の声として、最初にもってくるのがまとまりがよいということでそうなった。

「お祭りマンボ」を最後にもってきたいとか、「歌えバカども」を最後にもってきたいとか、男性の出番を増やしたらどうかという意見もあったけど、そうしていたらエビータの力強さが出なかっただろうと思う。

あさってが本番だということをわかっていたので作業は早かったけど、何もかもをノリでやりすぎた。

いくらストーリーができたとはいえ、次の日までにエビータ像をつかんでおかなければならなかったのに借り切った映像を熱心に見ていた人もいた。

 

 

 

8.夜の自主トレーニン

 

作品に集中して取り組んだ。

与えられた作品を「泣けるまで聞く」と福島先生がいわれていたのをヒントに取り組んだ。

泣けない、泣けるまで聞く。

 

第一セミナーで坐禅。呼吸が深くなると、体の輪郭がはっきりしてきて気が安定してくる。

 

 

 

 

■2日目

 

 

9.朝のウォーミングアップD、E班材料出し

 

形に仕上がっていないが、テンションが違う。

ここまでの作業の過程が違うということか。

 

人前でできるような状態ではおよそなかったが、このような有無をいわせぬタイ厶リミットがあると、直前の練習が驚くほど明確な焦点をもち、はかどる。

 

やっぱり軽井沢の朝は気持ちいい。

「軽井沢」だからっていうか、緑一色だからいい(もちろん実際は違うけど)。

昨日までのいつもの朝と違って、近所の人のことも気にしなくていいし、思う存分、走ったり息吐きしたり、ストレッチしたりできた。

これが「理想の朝」っていう題名の朝を満喫した。

 

材料出しは、なるほど、このようになるのかとイメージしやすくなったけれども、自分の班に戻して考えてみたときには、困ってしまった。

 

完全な勘違いと空回りで、素直さのまったく感じられないステージになった。

いつも終わってから気づくのでは遅すぎる。空気を読む力をつけなくてはいけない。

 

「まったくよくないのです。構成にとらわれすぎている。エビータ像があるのは一人だけです。」といわれた。

私は映画も見たし、CDも聞いたけど、いつも好き、感動したで終わってしまうからできないんだと思う。

人には何もいえないくせに、自分のなかのエビータは誰よりも魅力的だと思っている。

これでは子供の空想癖と変わらない。

表現をするんだったら、もっとそのエビータの輪郭をはっきりさせて、そのイメージに向かって声を出さなければならない。

 

材料出しは思い出すだけで不快。ベタベタ、ネバネバ歌ってしまった自分に反省。

ウォーミングアップのラジオ体操は、とても気持ちよかった。

 

 

 

10.午前中、班別トレーニングA、B、C班材料出し

 

D、Eを見たあとだと、ちぐはぐだったり空回りしていたり、気持ちのズレが前面見えた。

 

よかったと思う。素直に心のなかに入ってくる。

自分の得意なところをうまく出している気がした。

C班は、それぞれの個性よりも全体の構成を優先していた。

 

“材料出し”の意味、勘どころがよくわかっていない。

自分のフレーズが今回の作品、ステージとして使えるかという方向で捉えられず、“何か”出さなきゃという焦りばかりがあった。

 

カーテンのドレスを身にまとって、“これ貸してあげようか”そう、ステージ実習だってそうだ。

 

先生は「個人がどうつめていくか」ということをいわれたように思う。

私は、自分自身に対しても、班全体に対しても、これでいいんだろうかという、もやもやした気持ちが消えないままだった。

自分のフレーズとエビータとの位置づけができていなかったからだし、構成そのものも納得、理解できていなかったからだと思う。

 

不安や恐れは顔や体の緊張となって現れるのだと思った。

 

 

11.全体プログラムエビータ、ピアフフレーズまわし

 

このプログラムすら、息抜きと感じるほど、班別の課題練習はめくるめくハードさで進んだ。

 

“人のふりして我がふり直せ”ということばが身にしみたのは、帰ってきてからだった。

そう考えると、フレーズまわしは本当に勉強になるのだと思う。

 

 

 

12.午後、各班別練習

 

この時点でやっと構成が定まる。班の皆の賢明な省略と集中の判断に感心。

何を捨て、何にこだわるべきか。

今できること、すべきことは何か。選択と迷うことなき実行。

本当に皆、素晴らしい人たちだった。

 

トレーナーに「君たちのレベルでは、一人でもたすのはあと3年かかる。一人ずつ歌(フレーズ)をまわすのではなくて、一人が全部、歌ってもいいんじゃないの」とアドバイスをいただく。その通りだと思った。

私が、この3日間で個人として向かいあえるのは、1フレーズか2フレーズが精一杯だと、改めて認識した。

 

 

 

13.課題リハーサル/班別ゲネプロ

 

先生の一言一言で班が揺れ動く。

これだけの気持ちの揺れを、なぜステージでは表現できないのだろう。

こんなにも気持ちが動いているのに。

 

先生に「エビータはどこにいったのかわからない。前半がぽんぽん流れて広範は少し落ち着くが、つながりが見えない」とアドバイスをいただく。

私自身も、自分のフレーズがストーリーのつながりのなかで、とてもいいにくいと感じていた。

歌っている本人がやりにくいのだから、見ている方はもっと見苦しいはずだ。

自分が歌いやすい設定にもっていくことも必要である。

 

一人ひとりが何とか自分を表現しようという心が、なんとなく同じ方向に向いてきているという印象をもった。材料出しのときの雑さは半減した分、勢いが少しなくなったような気がした。

このバランスがとても難しいと感じた。

 

自分のことで頭が一杯。他者に対するいたわりのない自分を再発見。

ボロボロだった。

 

 

 

14.花火

 

東京に戻って気づくことだが、本当に一日中バカみたいに集中しているので、こういうちょっとした息抜きはとても大切。

 

線香花火のか細さと湿っぽさが自分みたい。

セミナーハウスで大声張り上げてたのA班だったかナ。

 

なぜかこみあげるものがある。昔を思い出すのか、みんなの無邪気な笑顔や笑い声が胸を突き刺す。

私が失くしてしまった何かがそこにあるような気がする。

 

 

 

15.夜の鑑賞会

 

とても気分をリラックスできた。

上田正樹の曲が印象に残った。

 

3人のエセ坊主が楽しかった。気が向くと歌い出すあたりがよかった。

お香とロウソクの独特な雰囲気が好き。記憶に残る光景。

 

こんなに気持ちがいいとは思わなかった。

夜の課題がなかった分、楽しむことができた。

本当によかった。

 

あの建物の造りとろうそくの明かりがマッチしていて、不思議な空間だった。

 

3人の修行僧が座っていて、不思議な空間でした。

暗闇で歌を聞くと懐かしいような、がほどけて泣きたくなるような気持ちになりました。

 

瞑想の音楽(どんなだったっけ)ウトウトした。

ガンジーに扮したガタイがよかった。

 

大の字に寝ころがって目を閉じて、全身の力を抜き、人目を気にせずリラックス。

上田正樹の歌で、涙がポロポロ止まらなかった。

 

ろうそくがきれいだった。お坊さんが3人いて、妙に似合っていた。

みんなで音楽を聞けて幸せだった。

火をみつめながらプリントをパラパラとめくってエビータのことを考えていた。

ときどき表紙のエビータをじっと見て「泣かないでアルゼンティーナ」「心遥かに」のことを考えていた。

何とかやれそうな気がした。

 

大変に贅沢な時間。静寂と音楽と月に感謝。

 

 

 

 

■最終日

 

16.発表会ライブE班(初回)

 

圧倒された。音域は大変そうだったが、しっかり歌としてまとめ、場の空気が変わった。

吸い込まれるようだった。

 

歌は聞いている間、自分が冷靜に戻ることがなかった。

別世界に巻き込まれた感じでいた。

1(いち)伝わるということは自分では10(じゅう)解釈していなくてはいけない。もっとかもしれない。

 

発表に感動した。エビータ云々より世界が見えた。

 

うちの「柱」として唯一のライブであったのだが、聞き惚れてしまった。

 

E班の発表は2回目よりこっちの方がよかった。

kさんはすごくしぜんに雰囲気をつくり出し、演じている。

エビータのミュージカルということでは一番まとまっていると感じた。

 

感動しました。朝から泣いてしまいました。

 

歌がセミナーハウスの空間を満たし、動かしていた。

「美しい乙女」の胸のときめきと、「さようなら」というときの呼吸が確かにそこに在った。

他のメンバーも集中していて、作品としてまとまっていた。

 

スゴクきれいな声でエビータを演じてた。

トレーナーのいっていた「間(ま)」ってこーゆーことだったんだ。

一人であれだけのことができるもんなんだって教えていただいた。

 

さわやかさはもちろんだけど、感きわまっているのを見て、そうさせる熱いものがあったのだと思って心中、複雑だった。

 

やはり、声、フレーズ、すべてにひきこまれる。

あれがどうでといった理屈抜きで、いいと思う。そう思う感覚を、感覚のまま大事にしょうと思う。

男の人たちもいるからか、いい顔をしていた。

 

歌。設定も確かに主役でしたが、あの空間の本当の主役になっていた。存在感がある。

 

音の流れの伝え方がじょうずで、聞いていて気持ちよい。

アルゼンティーナのフレーズが心に残る。

 

 

 

17.課題リハーサル(午前中リハと仕上げ)

 

まるでレッスンでのフレーズまわしのようで、やわらかさまで死んでしまっているとの指摘を受け、“頭を切ルということがわかるはず”ということば。

もっと動いて、ついでいきたかったと思う。

 

 

 

18.発表会ライブA班

 

歌う姿が印象的。

ちょっと暴走気味。

 

形、でっちあげようとしたのがわかった。他人のふりみて、である。

観客はそんなところをみたいのではないこともよくわかった。

 

幕がなく、場面だけがサーッと過ぎた感じでわかりやすかったが、それだけ。

人間の力関係が、でこぼこして見えた。

 

アクが強く、とにかくインパクトがあった。

個人的には歌が印象に残った。

 

全体として引き気味で、なんとか前に出そうとしていたが、なんか力ずくで空回りしていた感じ。

 

直前まで、先生に「みんなのいいところが死んでる」といわれて、それはもっともなことばと思ってしまった。たぶん、客として見ていたら私もつまらないと思う。

それは、個々の力不足(経験不足という意味で)でしょうがないと思っていたが、やはり構成や各自の認識に問題があると思った。

この際、後悔したくなかったので、気になるところはすべて発言して、直せるところはみんなで直した。

 

エビータ、エビータのかけ声は、吹き出しそうになるくらい笑えた。

飛んでステージのまんなかに出てきたときは、もっと驚いた。

 

 

 

19.発表会ライブB班

 

存在感

 

世界に他のメンバーが入っている感じだった。

 

見えていなかった。学ぶというより単なる観客になってしまった。

班内の雰囲気のよさのようなものが外に出ていた。

 

すごく目立っていた。みんなで歌うときよりも一人で歌っているときの方がよかったと思う。

声がよく、カンツォーネの歌「私の神様」も伝わってくるものがあった。

 

存在感、ゲームメーカーだと思えた。ステージを楽しんでいた。

自分をしっかり出せていた。何かのなかに入っているように感じた。

 

中心にまとまりよく見えた。途中、それていきそうになっても、カバーしていた。

 

一番印象に残ったのは「人間なんてラララ~」を全員で歌ったシーン。

みんなの人間観が垣間見れて、とてもおもしろかった。

ただ「エビータ」としてのまとまりは、感じられなかった。

 

存在感。何かを背負っているという感じがした。

 

コンビ。まったくタイプが違うのに、妙にいい味を出していた。

 

 

 

20.発表会ライブC班

 

集中力の欠如。自分でも、ぎごちなさを感じていた。

一人ひとりぶつ切れで、しかも浅い。イメージが補足小さい。

 

一番よかったと思うのは「友よ」だ。声質が独特で、聞いていて伝わってくる。

個性が一番でていたと思う。グループ全体としては、もう少し勢いがあればよかったと思う。

 

個人個人、いいものをもっている人が多いようだったが、それがうまく出ていなかったし、かみ合っていなかった。

オレンジのTシャツの女性がよかった。

 

「今宵は星空」の手拍子をはじめとして、何となく雰囲気で固めてしまっているような印象を受けた。

声が安定してきている人は特にリズムの感覚にもの足りなさを感じた。学芸会的な感じ。

 

まとまりがあった。サンタ、サンタ、エビータのフレーズが印象に残っている。

 

 

 

21.発表会ライブD班

 

声は独特の印象があり、男性3人もテンションがあった。

両手が同じように広がっていたのは何かおかしかった。

 

一人ひとり、1フレーズ1フレーズ、効果を蓄積している感じだった。

 

スカッとする声、長く聞いてみたい声でした。

「フレディ」のフレーズは心に残りました。

力強い中にある繊細さ、格好いい。

 

「お祭りマンボ」の声、気持ちよかった。

真剣な表情、声、振り絞っているところ。

 

 

 

22.発表会ライブE班

 

歌がよかった。

ハマるところはすごく引きつけられる。

個のカで舞台がもっというのを実感できた。

 

一人ひとりに深みがあっておもしろかった。集中力と感覚の深さの違いを感じた。

世界を共有している感じがした。

 

勢いに圧倒され続けた。個々の色が見えるし、それがメリハリになっていて飽きなかった。

個人の呼吸が集まるという状態を見せてくれた。

 

一人ひとりの個性がはっきりしていて、「エビータ」ではないけど一つの作品としては他の班よりレベルが高かったと思う。

「お祭りマンボ」、「アコーディオン弾き」が印象に残った。

 

一番聞いてしまった。伝わる声。

ことばの強さ、感情があり余るほど入っている。見習いたい。

でかくて太い、安定している。

 

「お祭りマンボ」などで男性チームの勢いと声の力を生かしていた。

音程に不安のある人もいるのに、全体として自分のよさを出してしまうステージでの強さを

 

大きく舞台らしく使っていたところ。

でかい人だなあ。そうか、舞台はこう使うんだって。

 

男の人ばかりでも、エビータとして成立しているのは、さすがだし、舞台とはこういうものなんだという感覚に触れさせてもらえたように思う。

皆さん、声(声量)が出るので、それに頼り過ぎているかなという面も、少し見られた。

 

反射神経はすごい。どんな状況でも自分のものにしてしまう不思議な力をもっている。

素直さが伝わってくる。表現力もおもしろい。

 

一人ひとりがすごい存在感だった。

 

皆が皆、すべてをやろうとしてしまったために、個々の存在感が薄れてしまった。

 

 

 

 

 

23.福島コメントほかに

 

足りない部分はイマジネーションで補うということが、はじめてわかった。

イマジネーションと集中力。

 

最近、先生のコメントの意味が本当に理解できるようになってきた。

 

すべての人に当てはまることをいわれる福島先生は、さすがだ。

自分の意識、イメージ、ことばではわからないことをことばで諭してくださった。

 

明日からが次の勝負という意味合いのことをいつもいわれるが、今回が一番それを強く感じた。

力不足でなく感覚の差を、否応なしに感じた。

 

やっぱり福島先生は福島先生だと思った。やっぱ辛口コメント。

でもそれが刺激になるんだ。まだまだだってわからせてくれるんだ。

 

講評のはじめに“息吐きも2年過ぎてからのスタートで~”ということば、

 

「おてんとさまと会話して自分と向き合ってみたらいいですね」という一節が先生のコメントのなかにあったが、その通りで、ごちゃごちゃいっている前に、私はもっともっと自分と向き合わなければならない。光を照らしてすべてを見なければならない。

 

“与えなければ救われない”重い一言がズシリと残った。

 

 

 

24.フィナーレ

 

「歌え馬鹿ども」、まさに三日間このフレーズにつきる。

迷っている人は一人もいなく、最高のフィナーレだったと思う。

こんなフィナーレは当然、初めての経験である。

 

 

 

25.昼食会 歓談

 

外で晴れているときに食べたので、とてもおいしかったし気持ちよかった。

 

天気がよく、外での昼食は気持ちよかった。

 

軽井沢の風は、やわらかかった。陽射しは少しきつかった。

虫の音は心地よかつた。

背中に感じた草は、いいにおいがした。

 

 

 

<4>レッスンについて

 

♢全体のメニュー構成について

 

カンツォーネ、フォークなど選ぶ曲数が多く、バラエティがあってよかった。

 

 

 

◊印象に残ったメニューと感想

 

材料出しの時点で他の班を見たのはプロセスの差ということで学ぶところがありました。

 

材料出し。あまりにもグチャグチャなステージだったので。

 

 

 

 

◊印象に残った人(どのメニューで)以下、氏名は略

 

フレーズまわしなどで彼の声と手振りがとても印象に残る。

 

エビータのフレーズまわしで。密度があった。

 

「飛躍~」のフレーズまわしでのフレーズの踏み込みのキレのよさが耳に飛び込んできた。

 

ライブで。よくもわるくも(B班ではダントツの存在感)。

 

エビータのフレーズまわしの1フレーズが印象に残った。声の力がすごい。

 

自己紹介ライブ、発表会ライブ。

 

声だしのとき、以前より声が太くなっていたので。

 

 

 

◊その他に印象に残った人(できたら理由も)

 

ファッション、色へのこだわり、ポリシー。あそこまで貫けるのはスゴイ。

 

E班の面々。こういう場名における賢さ。

自分がやろうとすることに対してクリアであるから、ムダなことにグジャグジャしない。

楽家としての賢い態度。勉強になった。その上私は、愛までもらってしまった。

 

いつもこの人の歌は安心して聞ける。E班全員、みんないい人だ。

 

自己紹介ライブ。声質のよさと強い個性を感じた。

 

エビータでした。

やはりあのセリフが忘れられない。

 

発表会前に鼻血を出して、それをしっかり本番のときに「笑い」の一部にしてしまうところがスゴイと思った。

 

自己紹介ライブで。ほんとに歌が必要なんだなと感じさせられたから。

 

どのレッスンのときも、存在感がある。

 

 

 

 

<5>ライブ発表会

 

 

(1)自分の曲について

 

1.自分の選曲とその理由

 

「虹と雪のバラード」エビータの存在がアルゼンチンに希望と発展をもたらしたことを示す。

「星降る今宵」恋をしたときの、世界が魔法に包まれた感じが印象に強く残っているから。

 

「心遥かに」1日目にメロディを聞きながら日本語の歌詞を追っているときにいいなと思った現実の私の感覚に置き換えてみて、これを伝えたいと思ったから。

 

「私の神様」エビータの年表、伝記を読んでいて、この曲がステージに必要だと直感したため。

見上げてごらん夜の星を」渡された曲のなかで自分に一番合っていると思ったため。

星、夜、エビータが自分のなかでつながっていたため。

 

 

2.練習のプロセス、難易度

 

プロセスの方向違い。準備段階での違い。

合宿に対する姿勢の違いがすべて。

 

「虹と雪のバラード」では、エビータの全盛期での成熟した感じを出そうとした。

「星降る今宵」では、ロマンティックな空気をつかもうと考えた。

 

まわりの資料から歌に入ることは、とても有意義だ。頭で考えがちだが、何もわからずにことばやメロディだけ追うよりは、よほど楽だ。

音だけで作品をつくろうなんていう生意気な考えを改めたい。

 

 

 

3.自分の作品の完成度

 

映像を見て感じたのは、ちまちましている。

大きなものがなくて細かく小さく、いくつも断片があるだけで一つになっていない。

全体として(フレーズ→歌→ステージ)捉える。集中力も足りない。

 

 

 

4.今回のテーマに対しての作品としてのしあげ方、方向、構成(ねらいとして)

 

「星降る今宵」では今考えるとエビータとの関わりをよく考えなかった。

三者をその気にさせたエビータの魅力ではなく、ただ恋をした歌としか捉えていなかった。

大失敗というか、わかっていなかった。

 

あくまで、エビータの3曲を柱として、音として一人の人間の真実をつなげていく作業。

 

 

 

5.班や作品に対して、自分が加えた価値(結果として)

 

思い込みと閉鎖性でステージを切り離した。自分の果たすべきをわかっていない。

それは自分を殺すことでなく、少しでも生かすこと。つまり感覚が小さい。

 

とにかく一人ひとりが表現しなければならないということ。

ゼロになること、そしてしぜんであること、素直であること。これからの課題です。

 

 

 

6.材料出して気づいたこと

 

先生の選曲が、エビータとつながるものばかりだと思った。

時代が違っても通じる人の思いがあること、世界が違っても同じ人生があること。共感。

 

何人かで声をそろえて斉唱するときと、メロのときとでは少し狙うべきものが異なるということ。斉唱ではそろった声をひとかたまりとして音楽をつくっていくから、まあ声をそろえることが大切だが、ソロではまわりのことよりもまず自分がしっかりと音楽の気持ち、音楽の体になつてから音楽をはじめなくてはいけない。

 

雑にまとまったものは、そのまま雑にしか人の心に届かない。

歌や芸術は自分が考えているより、もっともっと繊細なものであると痛感させられた。

 

 

 

7.自分の班のリハーサルで気づいたこと

 

今の百分しかこの世に存在していないということ。

過去、未来すべてを捨てる。自分を深く深く見つめ、“ゼロ”になる。

 

 

 

 

8.発表会で気づいたこと

 

(2)他の人や他班、その曲について

 

1.他の班の材料出しや練習、プロセスで気づいたこと

とりあえず、それぞれの「個」が前提にあって、その上で作品を個性している。

 

材料出しのときと、エビータのなかに組み込まれたときとで、あまり差がない。

説明されなきゃ意味の通じない歌が多かった。

 

学芸会じゃないんだから、決めた段取り通りにちゃちゃとやらなくたっていいんだよ。

ソロのときは自分のなかで音楽の機が熟すまで待ってたっていいんだよ。

その時間は決して空白にはならないから、だいじょうぶだよっていって上げたくなった。

 

本番でいきなり出せるのでなく、材料出しの時点でエッセンスとなるものが出ていること。

とにかく出していって通用しないものを捨てていくというプロセスの違い。

 

D、E班などを見ていて、やっぱりいくら頭で考えててもやってみないと何も変わらないことがわかった。

頭でいろいろ考えるよりも、まず声を出して形にしていく。D、E班に、そんなことを教わった。

 

結局、歌=人間なんだということが、とてもよくわかった。

 

 

 

2.他の班の発表会で気づいたこと

 

劇の構成などは見えた方がよいが、一人ひとりが伝えるものを出していけば、伝わる。

逆に、伝わるものが出せないと退屈する。

 

結局、先生のいうように自分らしさの出る人のたくさんいるところが一番、印象に残るし、班でやったことを覚えていなくても人のやったことは覚えている。自分の個を生かせる力が必要。

 

歌がいい人は、存在感がある。

 

存在感のある人はステージに足がついている。

D班、E班は伝えるためにそこに立っていて、前半では立つことが目的で形をつけているような印象だった。

 

「舞台とは何か」ということを、わかっている人とわかっていない人(感覚としてもちろん私はわかってないのだけれど)の差が極端だと思った。観客に向けて発せられているもの(フレーズ)と、自分のなかだけでまわってしまっているフレーズがある。

 

人間、空気その他すべてのものに感謝し、愛せているか、実はすべてそこに答があるような気がした。

そういうことを感じさせる人には、心を動かされる。

 

A、B、C:みんな課題をわかっていないし、ステージにするってこともわかっていない。本当にやらなきゃならないことが後まわしにされたなという感じ。夏も思ったことだけど(いえなかった)、次の日にゲネプロだってことわかっているのか。本当に仕上げようと思ったら1ヵ月でも足りないことを2晩で人前に出せるものにしなきやならない。それを考えたら本当に大切なところしか残らない、そこに絞るしかないはずだ。

エビータ像、エビータの人生、人の一生、そういう方向にもっと個人でつめるべき。

E班は、一人ひとりがすごい存在感だと思った。

 

自分の世界を手放せた人がいたのだろうか、と今思う。

 

 

 

3.歌曲として印象に残ったものと理由(曲、歌詞)

 

「悲しき愛のテーマ」音を聞いてすごく心に残った。

音の音色と展開で、すごく伝わってきた(歌詞でなく、音で)。

 

川の流れのように」スタンダードな歌い方で、大きな曲に仕上がっていた。

ことばの終わりなど細かいところまでクリエイティブにつくり上げられていた。

 

「泣かないでアルゼンティーナ」エビータのテーマだけあって、ことば一つひとつに重みを感じる。

メロディの美しさが魅力。特に死を前にしてのことばは、エビータの強さや高潔さがあふれていた。

 

夢であいましょう」こんな美しい歌だったんですね。私もいつか歌おう。

 

「フレディもしくは三教街」が、印象に残った。歌っていたからかもしれないが、こんないい曲だとは思わなかった。

 

「ささやかなこの人生」の声が頭から忘れられない。

「フレディ」のフレーズ。

 

アコーディオン弾き」(E班)まるで本当に一つのお芝居をみているようだった。

「やめて」のとき、私には彼にスポットライトが当たったのがみえた。

 

アコーディオン弾き」曲そのものが好きだったこともあるが、出してくるものと、私のイメージとが重なったところがあったから。

 

「フレディ」なぜだかわからないが、胸が苦しくなる。戦争は、ただ悲しい。それでも幸せになろうとする人間の心が切ない。

 

「泣かないでアルゼンティーナ」の手。夢に出てきたから。

 

 

 

4.今回のメンバーで歌として印象に残った曲(フレーズ)と人

 

「ささやかなこの人生」

 

「私の神様」

「ささやかなこの人生」

曲は忘れたけど、とても密度の深かった曲。

 

「泣かないで」「アルゼンティーナ」

「裏町の~」

「やめて」

「フレディ」

 

いくつかの曲。本番で、より自由になれることは実に正しい。

 

歌、全部。

 

「いま、あなたは恋のために~」のフレーズが心に残った。

体の使い方とか詳しいことはわからないが、使い方に無駄がない気がした。

 

「そっとジャヴァを口ずさめば」

「歌え馬鹿ども大間違い」

 

「虹の日々」

「アンケ・セ」

「フレディ、もしくは三教街」

「青空に住もう」

 

かつおだしの自己紹介ライブと根性みたいの。

エビータ「今宵~」

自己紹介~材料出し、目をつぶって“声”ききたあい~と感じだった。

 

kさん「虹と雪のバラード」。

 

kさん「アルゼンティーナ」引き込まれる。不思議な世界をもっている。

 

kさん「虹の日々」いまあなたは恋のために力と命あふれる美しい娘。

「泣かないでアルゼンティーナ」さよならお別れのときがとうとうきたの。

 

kさんのカンツォーネ。特にkさんの“美しい娘”というフレーズ。

 

 

 

5.今回のメンバーでステージとして印象に残ったところと人

 

アコーディオン弾き」。

 

集中力。自分はどんなに集中しても、50%は冷めているような感じだが、声を出しているとき、100%そこに集中している。気鋭、気概。

 

朝のライブは本当に彼女一人のための舞台だった。用意された場所でそこにしっかり立っというあたりまえのことができない自分が恥ずかしくなった。

 

人柄と音楽がきちんとつながっている。優しく伸びやか。

この人も別の意味で、人格と音楽が結合している。不器用で人見知り。だからこそ音楽せずにはいられない。そこにすべてのエネルギーが注がれている感じ。

人も音楽もまっすぐ。

 

ソロパート。

 

ステージを大きくしていた。

姿勢がいい。

自分をとにかく出そうとしていて、出していた。

 

「お祭りマンボ」の発表。

「泣かないでアルゼンティーナ」。

 

やはり印象に残る。他の人々とは一線を画した何かがある。誰にもジャマされない自分の世界、リズ厶、声をもっていて、それでいて観客を共感させてしまう何かがある。「スゴイ」と思わせるのではなく、その人の心にすっと入り込んでくる安らぎや、beautyのようなものをもってらっしゃる。

 

いい味を出している。まっすぐな感じがする。シンプルで気持ちいい。

 

歌もステージも、というより印象に残った。

素敵だと思った。真剣で、あたたかくてあたたかくて涙が出た。

声も歌もkさんの雰囲気も全部、印象に残っている。

 

サンタ、サンタ、エビータのフレーズ。

 

 

 

6.今回の合宿で印象に残った人とできごと

 

鼻血を出したこと。またそれを自分のフレーズのネタにしていたこと。

 

リハの後の涙がとても印象に残っている。熱い心をもった男。

 

「へたな人ほどうまくなったときに感動する」といった。

最初は本当にどうやって歌えばいいのかまったくわからなくて何年も大声を出しているだけだったといった。

続けたもの勝ちだといった。心にしみた。本当に励まされた。がんばろうと思った。

 

とても気がきく。

全体的に元気がなかった。力の差を痛感。

 

 

 

<6>全体(レッスン外で)での感想

 

◊印象に残ったできごと

 

もう一つの団体さんのなかにも、トイレのスリッパを直している人がいたこと。

 

一体みんな、何時まで起きているんだ。

 

 

◊気づいたこと、学んだこと

 

人に与えないと救われない、を実感。

 

 

 

 

<7>スタッフへのワンコメント

 

福島先生へ

 

先生がことばでおっしゃっていたことを、合宿中は理解したつもりだったけれど、結果を見て、プロセスを見ると、まったくわかっていなくて、方向違いのことをやっていたことに気づきました。

 

簡単なことばで伝えてくださっているのに、いつも課題の意味を誤解してしまう。

どこまでレベルアップすればついていけるのだろう。音楽だけのことではないような気がする。

 

今回はスタッフも少なかったので、日常の細々したことまで気を回されているようで、少し気の毒でした。

 

どうもありがとうございました。ことばにできないです。とにかく寛大でした。

心の世界を深く考えられました。ヴォーカリス卜は歌だけではない。

 

夜、部屋で班の材料を出し直しているところに先生がいらして、なぜかでんぐり返しをしていたのが忘れられません。

 

学び方、プロセスを学ぶということで、材料、メニュー、班編成など一貫していたと思う。

機会を与えてくださり、ありがとうございます。

 

発表会後の一つひとつていねいなコメン卜ありがとうございました。

 

人生をどう生きるのか、常に考えさせられます。

 

 

 

トレーナーAへ

 

先生も見ていて「もっと出せよ」と思っていたでしょうけど、合宿中の私はそれもわからず、方向違いの作品に満足していました。

 

ことばを素直に受けとめると、やるべきことが見えてくる。深読みすると落ち込む。聞かないと失敗する。だからつい、いわれたことをうのみにしてしまう。自分で整理しなけりゃいけない。

 

リハーサルのとき「間」についての話をしてもらったのが勉強になりました。ありがとうございました。

 

細かいところまで一つひとつアドバイスくださって、本当にたくさんの材料をいただきました。

ことばは自分にとって、とても重要な存在で、そのことば一つでものスゴク大きく自分が変わります。広範囲に影響を及ぼします。

 

まじめさ、一途さ、見習うところがありすぎます。

 

 

トレーナーBへ

 

合宿にくる時間で、本当は自分のトレーニングをしたいはず。そのもらった時間を、これから自分で生かしていく責任がある。

 

ステージがいろいろな形で完成できるように準備してくださっていて、私たちの力不足を捕ってくださる。常にプロセスの大切さと完成という観点からアドバイスをくださるので、ものの見方を整理できます。

 

ああいう環境に行くと、いかにしっかりとした大人かよくわかります。安心するなあ。

 

私の歌っているのを見て「オレだ」と言っていたそうですが、どういう意味かはわかりませんが、うれしかったです。

 

晩に来られて、するりと背広ぬいで音響のしたくをされていた。

 

 

 

<8>他の参加メンバーへのワンコメント

 

みんなありがとう。また会おう。

 

あのときが一番よかったねといわれないように、さらに飛躍するようがんばります。

 

 

 

<9>1.今回の合宿の目的.

 

Revenge。前回のうっぷんばらし。&自分にさずけた課題の完成度をはかること。

 

前回よりも、もっと自分本位に取り組んで、自分を出し、よいところには自信をつけ、足りないところをはっきりさせること。今まで以上に先入観を捨てて、他の人との差から学ぶこと。

 

現実を見ること。

 

 

 

2.今回の合宿の成果

 

今の自分の小ささ、今の自分の限界、基本の大出さ、よいヴォーカリストを見れた。

人間的魅力、アーティストシップ、すべてが足りないということを、痛いほど知れました。

 

遠慮もせず、班のなかで自分が活躍する場が与えられたが、それを生かせなかったことで、問題は自分のなかにあるのだということがはっきりしたこと。

 

充分過ぎるぐらいの成果。ただし、ショック大。

 

 

 

3.合宿中、メニューから学んだこと

 

違う国、違う時代のものを扱ったときに、自分との接点をつける。

ステージ実習なども同じだ。

 

なぜたくさんの曲を使うのか、なぜ進行が即興的に行なわれるのか。

自分だったら曲を絞りはじめからわかりやすいように進行を決める。

その発想の違いから学んだ。知っている曲でも本当に耳を傾け、感じ、取り出さないと始まらないということ。

 

 

 

4.合宿中、トレーナー、スタッフから学んだこと

 

作品の仕上げ方、舞台のあり方。

 

この課題をプロなら3日間でどう仕上げるかを考えるとよいと、トレーナーがいったのが印象に残った。

 

把握する能力がまったく、違うと思った。

 

立ち合うことの安心感。その場にいてくれるだけでも起こってくる安らぎ。そんな感覚を学んだ。

 

 

 

5.合宿中、仲間(参加者)から学んだこと(誰から何を)

 

歌は声が出るだけではないということを学んだ。

 

前回の合宿より声がとても素直に出るようになっていてくやしかった。

 

常に声が聞こえていた。あれだけオープンに練習できるぐらい歌に対して無心になりたい。

 

きるできないに関わらず、自分を前に出す姿勢。

勢い、突き破って出てくるパワーを感じた。音程がはまらないこともあるが、決して引かない強さ。

 

とれたてのカツオみたいなところ。すごい“うぶ”を温存している貴重なタイプ。陸にあがった人魚姫みたい。

生まれつき大人なところ。

ノリとそれを維持するために、親指ふんばっている感じ。

頑固にやり続けているなあ、うーん。声。不思議な目線。

“赤い服”“孤独のHP”の印象のみだったので、あんな優し気な人とは知らなかった。

 

歌に対する姿勢のようなものを学んだ気がします。

力みがないし無理がない。声も歌も、押しつけがましくないし、かといってそばにそっと寄り添ってくる。これは、姿勢(生き方)に拠るところがとても大きいのだと思いました。

 

音を伝えるということを細かい思いやりを、ひたむきを学んだ。

 

 

 

6.総括 結局この3日間、何ができたと思いますか

 

自分って何なんだろうというところに常に帰っていた。

エビータを見て泣いて、歌詞を読んで泣いて、それが実現に結びつかない。

プロセスがおかしい。

詰めが甘い(何ができたかというと、仕事などのことを考えず音のことだけ考えていられたという結果だけが残る)。

 

ステージにならないのはプロセスに問題があり、プロセスは法則があるわけでなく曲のよさを感じ、自分の持ち味を生かしながらつくり、伝えるというステージへの意識の欠如だということを、理屈ではなく気づくことができた。

 

 

 

7.今後の通常レッスンへの課題

 

自分を強く出すということ、オリジナルなフレーズや自分のカラーを出せるように。

 

今回の経験は、再現性のあるものではないと思う。また再現しようなどともくろむと、間違ってしまうと思う。これをどう生かすか、それが課題である。

 

今までの取り組みを壊して、聞くこと、出すことを、今までと違うレベルで判断していく。

どんなメニューもステージで自分がやりたいこととの接点を自分でつけていく。

 

音の世界、息の世界への探究。

 

 

 

8.今後のレッスンへの期待、要里、改良点

 

内容には満足している。自分の理解度や受講態度が問題。

 

 

 

<10>次回、合宿に參加されますか。次回にやりたいことをあげてください。

 

YES。自分の情けなさばかりが痛感されるが、今までのところ合宿で感じた悔しさがバネになっているようだ。行くとよい刺激がもらえるし、自分で自分をもつとなんとかしたいと強く思うようになる。

 

YES。ちょうどよいぐらいの時期だと思う。どれだけ自分が変われたか。他の人に見せつけたい。

参加します。

 

YES。絶対に得るものがあるから。

 

コーラス。一つのものをあえて形から解釈して合わせる作業をしてみたい。

それぞれの解釈、世界をぶっけられればよいが、そこまでできるかどうか。

 

与えられたことを、どれだけ自分のものにできるか。

もっと作品を深く考えてみたい。

 

ピアフ。世界の音楽:南米、ハワイ、アフリカなど。

 

歌詞なしで、呼吸、音の世界を堪能できるメニューを希望。天の下でのエチュード

 

 

 

 

 

<11>その他に伝えたいこと・感塩

 

「合宿の感想」合宿から帰って一週間たちました。30時間くらい経ってから、何か落ちてきてくれたのを感じて、一日半くらいたってからエビータの音楽が自分のなかに流れてきたようだった。(ア、行ってよかったのかナ)ってしばらくしてから思いました。

当初の目的は、自分が離してないか壊れてないか確認しょう、いろんな人がいるのでプロセスも含めて遠慮なく見てこよう、聞けるようになったか、見れるか、試してみようと思いました。“フレーズ”ってよくわからないでいるけど、時折、悲しげな音色を含んだ清水さんの声にふとイマジネーションがわきました。

 

声量のある人だとつい圧倒されて(すごい)で終わってしまいがちだったのかも。このことばはくるまなきやいけない、生で出しちゃいけないと浮かんだこともあったけど、いきあたりばったり、体と一致することと、イメージするだけで浮かんでくるだけのストックがない。聞ける人には聞けて、わかる人には当然わかることがわからない、

課題の主旨もその場ですぐのみこめず、簡単な構成すらできませんでした。感覚を変えること、一瞬をつかむ経験を経ないと何も変わっていかない、イメージがあふれて放たずにおれないというエナジーがなければ資格がない。存在していた人たちのエネルギーや、楽しんでいる雰囲気に吹き飛ばされて、こなごなになってしまう。憧れだけなら無益なことだ。

 

身一つでためも終止もしっかりしているkさんのフレーズ、まっくらな芝生の上を行きつ戻りつフレーズを練っていた光景。何も眼に入らない様子で憑かれるように練習していた(プレッシャーだったと思うけどなかなか深読みの班分けだと思いました)。声質的に似ている人が班にいたのもイメージがわいたし、両隣やステージでの深いブレスの音に執念を感じました。

 

2日目の後半でやっと雰囲気はついていけたけど、それでもやはりチームの人にも他の人にも最後まで(閉じてたな)という感は否めません。胸のなかの小さい錠前はかかったまんまで、どこか遠い感じがしていた。今、冷靜に考えると、できただろうこととか、浮き足立ってた。(中略)あそこで(アツそうか)って浮かび上がったことが、ふたたび平面的になってしまわないように、立体的な気づきを毎日入れていけるかどうか、歌として成立すると思う声に近づく作業をしつつ、帰り途、大阪に近づくにつれ、日常の心配事から解放されてたんだな、ああ見えて手足も伸ばしていたんだなと気づきました。イメージを入れること、大きい自分(深い)感覚。今のいい感じをそのままに頭を切ル。

プロのステージより同じプロセスを手に取るようにわかっている先生もすごいなと思うけど、大所帯だし、いつつもしんどい役回りされているなと思うトレーナーお疲れさまでした。

 

どうすればいいか合宿思い出せばわかるよなって部分はありました。時間かあ~なんともはや激しい道楽。どんくささが哀れ。いったい自分は生死をさまよえる極限状態にあったとき、何が欲しいと気づくのだろう。

 

「合宿のVTRJあの場ではじょうずだと思えた人も、表情はやわらかいがトレーニングじみているところも見受けられた。ステージ上の交流の空気、ステージとしての雰囲気が欲しかった。出をまっとうするだけでなく、もっとB班のファンとして舞台に存在していたかった。上半身が固まっていて、すげえ首が短く見えた。重心も上に上がっていた。思い切りの悪い動きは、気色悪い。目をぱちぱちさせない。構成、構図、主旨すべてを頭に叩き込んで、作品のイメージを持って。そのまえにステージであるということのイメージ、反射神経。板の上にいる人間に音、流れてないはずがないというもの。体だって動くはず。映像の音声は、正直だ。

 

はじめの一声で、直前の空気、破った。そのときステージのヒトだった。

カンツォーネのとき、イメージあったと思う。まだ形になっていないゲル状の星人は、いいも悪くも、うまいもへたもないけど、好感もてる。性格的に私にないものをもっている。ひっぱってもらう人によって変わるタイプなのかも。へんにまわりを見てしまう自分を反省。

声、印象的。でも音楽の動き、時制的感覚はどうなんだろう。わからない。さだまさしの歌だったとは思わなかった。

 

前に思い切り投げている。D班、3色はっきり分かれてたところがいい。

体の動きやわらかい。長い手をうまく使ってた。

出てきただけで、こーなんか笑っちゃうところ。客席で見守っている気にさせるところが何なのか。よく考えてみる必要があると思った。

映像で冷靜に観てみるとパワーだけでやっている(気持ちよく伸びる声という強みはある)。でも往々にして実力のある人より、こーゆータイプ観させられてしまう。くどいときは照れるけど、それもまたうらやましい。こんなにも負けている。

やわらかい。ぶもっと舞台を楽しんでいる雰囲気を応酬してあげられるとよかったねー。

“やめて”の一言で、ここにアリでした。

 

自分が表現をすることに集まったメンバー、皆ブッ飛んでいて楽しかった。そして勉強になった。これだけ普段、努力している人間がたくさん集まって、それだけでヴォイストレーニングである。これだけおかしな連中と三日間共にできたことは、合宿に参加しなかった人には悪いが、かなりおいしい思いをさせてもらった。

自分自身、合宿に行く前はビビッていて、「自分が行って大丈夫か」など悪いことばかり考えていた。結果、かなりへこんだけど、お金じゃ買えないたくさんのものを得られた。

 

合宿に行くか迷っていた皆さん、合宿は行くべきです。私がいうのですから間違いありません。そして合宿なのですが、やはり普段の練習なしに合宿はないということを感じた。そして、基本の大切さ、先輩方にいろいろ教えていただいた。“先輩”と心の底から呼べるのは、ここの先輩だけだと思う。

そしてやはり、表現である。ただ、でかい声でガナるだけじゃ伝わらない。息をコントロールするということ、先輩方のブレスコントロール、芸術的でした。超能力者です。基本の息吐きを大事にして自分も大きくことば、フレーズ、歌を動かしたいです。そして作品を深く研究して、作品と自分の関係を深く考えていきたいです。

 

さらなる表現へ、最後はやはりアーティストシップです。常に自分が生きていればステージがあるのです。自分はなぜ表現したいのか、メンタル面の部分をもっと深く考えたい。すごい人は皆、精神に肉体が宿っていたと思う。自分の基準をもっと高くもつ、これは何にしてもそうだ。人が追いつきそうもない遠いところに自分の気持ち、感覚、体をもっていきたい。とにかく基本をやる。他のメンバーに馬鹿だと思われるぐらいやってやる。私が私が、この場を引っぱってやる。とにかくとにかく、やるしかない。それに私はできる。

 

前回、はじめて合宿に参加させていただき、数多くのことを勉強することができた。そして数多くの自分の弱点を痛感し(かといって合宿前は弱点を知らなかったのではない、痛感したのだ)いかにその弱点を克服するかで頭を悩ませた。何ごとも、弱点やクセを直すのは常にそこを意識して反復練習を何度もすることしかないと思ったので、そこに意識しながら先生の本についていたCDを何百回も声を出しながら聞いて練習し、しまいにゃー全部、覚えてしまい、それでも何度もやってみた。

 

自分に課せた課題は「深いことば」「完璧な音程」「完璧なリズム感」であった。で、まず「音程」が一番問題があると感じていたので、リズムを感じながらCDをやった。もとがひどかったので、すぐに自分でも音程に関してはよくなっていくのがわかった。といっても、2ヵ月くらいはかかってしまったのだが。だから、ライブで音を外したのがとてもくやしかった。一人で練習したときはできたので安心してたのに。どうやら、上げるところを完璧な高さまで上がり切らないから、下がるともっと変になるようだ。それを除けば、音程に関してはそれなりに自信があった。

次にリズムであるが、「リズム」を意識しながら歌うことはできるのだが、自分で手を叩きながら歌うと、どちらかが狂ってしまうのだ。また、リズムマシンを鳴らしながらでも音程と、そのメロディに気持ちをつめこみすぎて、歌に入りすぎると走ってしまうクセも、まだ直せてなかった。できることなら、自分なりにすべてを完璧にしてから合宿に臨みたかったのだが、あれ以上はどう考えても時間はさけなかったし、これ以上、睡眠時間を削ると仕事でミスする可能性が高いので、どう自分に厳しくても納得がいくから、とりあえず行ってみた。

ずばり、今回の目標、目的は、前回のC班に勝つこと。無理でも勝とうとすること、およびまだ自分が気づいていないことを知るために、いろんな人を見てみること、話すことだった。他の人たちとの大きな歌に関して以外の違いは、いろんな面に関して「深い」ことである。誰かが「たとえば〇〇のような感じの」とかいって、まわりの人はわかっているみたいなのに自分だけ〇〇がわからない(知らない)から、わかれないのである。そんなことが多々あった。これは知識の点についての深さ。次は、何がよくて悪いかの判断、基準の正確さである。

 

前回の班のときは誰かが「こんなのどう」と意見を出しても、明らかに「変だ」と何人かは思っているはずなのに「とりあえずやってみよう」などと言い出す人がいて、やる前から何人かはわかっているからバカバカしいのに、それでもやらざるをえなくなり、絶対「変」なのに、それは「よいんじゃない」とか言い出す人がいて、なおさらバカバカしくなったりすることがあったのに、今回は皆さん、はたからこれを見た場合どうかつてことと、何が目的なのかってことと、何をすればよいかがわかっているから、まったく口を出せなかった。それ以上にまったく、自分より皆さんの方がもっと判断基準が高かったのだ。「すごいなー」の連続だった。自分と上の人たちとの差がどれくらい離れているのか、わかった気がしました。遥か遥か遠くでした。

 

意見はまったく、何もいえなかったという感じだった。自分なら相当、考えて考えて悩んで、それでも出てくるかどうかの感じの案を、あの人はさらっと数秒でこれしかないでしょって感じで意見を出すのだ。Sさんが「Kさんはわかっていらっしゃる」と何度もいっていたが、どちらもすごい。たくさんのものを見て聞いて、感覚が研ぎ澄まされているから、よしあしの判断が明確なのだろう。3日間通して思ったのだが、自分にはまだまだ知らない世界がたくさんあるということだ。知った気になっていたつもりもないが、ただまだまだだなと思った。まわりの反応をよーく見ながら、自分の発言回数を増やしてみた。しらけてないか、空回りしていないか、浮いていないか。このメンバーのなかで自分の意見が通るとうれしいものであった。そんなこんなで気づいたらガンガン意見いっている自分がいた。

 

前回よりも皆で一つの作品をつくっている気がした。今回は、作品であることを皆がわかっている。あたりまえか。だから楽しかった。しかし、楽しかったのは自分だけかもしれない。あのメンバーに溶け込めていると感じているのも、自分だけかもしれない。独りで勘違いしているかもしれない。何度も我に帰って考えた。でもそんなことどうでもいいくらい(本当はよくないのだが)、つくる楽しみがあった。バンドで曲をつくっていて、いい感じになってきたときの、あの感じだ。とりあえず自分は楽しかった。このメンバーと一緒にできること自体、ラッキーなことだし、実力もまったく、離れている。この人たちとやっていると、「うまい人」のような気になってしまう危険もあるが、とりあえず地に足をつけ、冷静に自分を見ることができるのならば、それもいいだろうと思い、やらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないこと、たくさんリストアップしながら、とりあえず心の底から楽しませてもらった。

 先生方から見ればこの程度でと思われるかもしれないか’、事実だからこればっかりはしようがない。ライブにしてもそうだ。全力で楽しめた。終わったとき、空っぽになれた。そのかわり、異常なほどに疲れた。あの疲れは何だったのだろう。出し切れたからであろうか。自分の頭のなかで、これくらいはできているだろうというレベルと、客観的に見たレベルの違いを知りたい。これは大事なことだと思う。

 

 今、外には朝日が昇りかけた雲海が、だいだい色に染まりつつある。地球にとってはあたりまえの景色でも、自分にとってはとてつもなく大きく広く美しいものだ。こんなにも雄大で、果てしなく広がる雲の海は、何万年も形を変えながらここに存在しているのだ。普通のことだけど、すごいことだ。このとてつもなくきれいな景色を、みんなならなんと表現するだろう。この美しさを人に伝えろといわれて自分は伝えることができるだろうか。漠然と広がるこの景色、今、目の前にあるこの景色すら、自分は人にこの素晴らしさを伝えることはできない。detailを細かくすればいいのか、それともbeautifulをくり返せばよいのか。何かを人に伝えることが、文やことばでできないのに、歌を歌ったからって、聞いてくれる人に何かを伝えられるのだろうか、などと今考えたのだが、まだよくわからない。自分のために歌うのか、人を感動させるために歌うのかいろいろまだまだ自分には考えなければいけないこと、勉強しなければならないこと、たくさんあるようだ。次回の合宿までに、コツコツ一っひとつクリアさせて、もっともっとうまくていいい歌を歌えるようになりたいものだ。最後に、今回も本当にありがとうございました。

 

 

「合宿で考えたこと(発表を中心に)」ゲネまではいつもと同じだった。もちろん精いっぱいがんばったが、それ以上の物ではなかった。それは最終日に起こった。E班の発表第1部のできがどうだったのか、客観的にはわからない。自分でよくできたのかどうかよく覚えていない。が、私がそのとき感じたことは、今まで感じたことのないことだったので、またこのことが今回の合宿で私の最大の収穫だったので、できるだけ言葉にしておきたいと思う。

「虹の日々」をまずひとりで歌った。エビータもまだほんの娘だったころ、どんな少女もそうであるように、未来へ希望をいっぱいもって、そのときにしかない、まだ自覚のない輝きをもって、そんなイメージを目標にした。早朝でもあり、かつ前夜のゲネで、覚悟してのどを酷使してしまっていたので、少し声がオカマだった。なるべく観客の方を見ようと思って眺めたけれど、すぐにその必要がないことがわかった。大事なのはそういう投げかけ方ではないと、なぜか急にそう思った。

そして班の男の子たち(子供扱いするわけではないですよ)が、エビータのために声を合わせて歌ってくれる間、私はそれを彼らの後ろでじっと聞いていた。聞いているうちに、彼らの歌声のなかから、本当に心から、なんとかして私をもりたてよう、エビータをもりたてようという気持ちが輪のように私のまわりに押し寄せてくるのがわかった。 私の発表の部分だけを分離してやっていたから、彼らは自分のソロの心配もする必要もなく、この後どういう段取りで動くかなどという雑念のいっさい入らない、まことに純粋であたたかな気持ちを私に送ってくれたのである。

また、彼らはそういう気持ちをきちんと歌に込めることのできるカの持ち主でもあった。それをひしひしと感じるうちに、「支えられているなあ」「これは愛だな」と私は実感してしまったのである。そして同時になんと名づけていいかわからない感情がムクムクと沸き上がってきた。あえて言葉にするなら「感謝」だろうか。なんとかこの胸の気持ちを外に出したくてたまらなくなった。

 おこがましくも私は考えた。エビータをつき動かしたのも結局はこの「支えられている、愛されている」という自覚ではなかったのか。始まりは、より高い場所への欲望でも、やがて、自分を愛してくれるものへの愛が彼女を聖母にしたのでないか。きっとエビータもこんな気持ちだったのかもしれない。そしてそのエビータは、今最も愛する人たちにさよならをいおうとしている。

そう思ったら、胸がいっぱいになった。だから「さようなら」と声にしたら、本当に泣きたくなった。と同時になんだか何かに届いた気がした。見てくれている観客でもなく、見守ってくれる彼らでもなく、何かあの場所にあった、木や空気や人も全部ひっくるめた魂のようなものに。自分の声じゃない気がした。だから見回す必要はもうなかった。私の目がなにを追うかは問題じゃなかった。これは初めての感覚だった。自力では絶対に味わえない、至福の経験。完全なる勘違いかもしれないが、私は実に満ち足りた気持ちだった。あの気持ちを声にできて幸せだった。あれは私にとって実に音楽だった。

 班のみんなが私の声を一心に聞いていてくれているのがわかり、私の気持ちは部屋を越えてどこまでも広がって行くような気がした。自分の意識が何かをコントロールしているという支配感でもなく、何かに操られているという感覚でもなく、あまりにも自然にあらゆるものがバランスしていて、自分はもうそこにいないみたいだった。あるいはそこにある全てが自分みたいだった。重力や抵抗をいっさい忘れてしまった。あんまり気持ちがよくて、血まできれいになった気がして、粗忽な話だが、東京に戻ってその日のうちに献血をした。

あのとき、もしかして普段以上の何かが出せていたとしたら、それは全てE班のみんなからもらったものである。あの場所にいた全ての人から、全ての環境からもらったものである。再現はきっとできないにちがいない。生まれて初めての「お姫さま体験」。これは1度味わってみる価値がある。ひとりではいくらがんばっても届かない見知らぬ世界に、他人の力でこうも軽々と入ってしまうことがあるということだ。

正直なところ、協調性に甚だしく欠ける私としては、班で作品をつくるというのはストレスだった。若かったころ経験した、妙な「運帯感」みたいなものへの懸念もあった。でも、E班の人たちは、目的である音楽に対して実にまっすぐで、孤独に向き合っていて、なれ合うことがなかった。しっかりとした個人だった。

だから、この体験は、「みんなでひとつのことをやるのっていいよね。」などというレベルのことでは決してない。あくまで一人ひとりでありながら、しかも一人じゃ絶対にできない、そういう経験。

 今回の合宿で学んだのは、私はこうもまわりに迷惑をかけながら、こんなにも愛をもらって生きているのだということ。普段それに気がついていないだけだということ。今回の経験を直接私の音楽にいかせるかどうかはわからない。だが、今まで頭で考えていた「感謝」というものの実熊を初めて認識したこと、それも沸き上がるような、自分ではどうにもできないような激しさで実感したことは、今後人の前で歌おうとするとき、いやそういうときだけでなく、まさに音楽をしようとするときの、自分の態度の基準となってくれそうな気がしている。

どうもありがとう。こういう機会を与えてくださった、先生、スタッフのみなさんありがとうございました。軽井沢の木々と空気にもどうもありがとう。何のお礼もお返しもできません。今回は私の一人勝ちということで、遠慮なくご馳走になりました。ほんとうにありがとうございました。

 

 

「合宿雑感」言葉に捕らわれると音楽が制限される。でも言葉は音楽をより広げ深める(音楽は世界と読み替えてもよい)。どちらも正解。/言葉はある世界を代表する。ある世界を背負っている。同時に、言葉の表面だけをなぞれぱ、それはただ定義されたいくつかの意味を表すに過ぎない。本当に言葉を大事にするということは。意味を伝えることではなく、背負っている大きな世界を表にひっぱりだすこと。

あらゆることに2つ以上の側面がある。あらゆるものは1つである。これもどちらも正解。またどちらも同じ意味。/「横隔膜は橫隔膜に呼応する。魂は魂に呼応する。共振は自然な現象である。」と何かの本に書いてあった。

「伝わる」「伝える」というと、歌い手から聞き手への一方向へのベクトルを想像しがちだが、おそらくそうではない。歌い手はある世界に向かってベクトルを放出する。あるいはある世界を映し出す。それに呼応して、聞き手から矢印がある世界へ向かっていく。そしてベクトルが出会い、聞き手は自分の内部に、自分なりのある世界をつくり出す。歌い手のつくり出した世界を受動的に見るのではない。だから多分、伝えるカは、聞き手に向かってある世界を説得し、圧倒しようとするカではなく、自分の世界を外へ放出する力。相手は誰でもいい。客でも神様でも空間でも。放出できれば聞き手のベクトルが迎えにくるはず。なぜなら、魂は魂に呼応したがっているから。

 いわゆる夜店の歌手の歌がたいくつなのはきっとそのせい。あんなに客のことを思い、客に向かって歌っているのに、歌い手の世界はまったく放出されていないから、こちらのベクトルもなかなか迎えにいけない。自分のなかで像を結ばない。=つまらない。

「音楽」という言葉も、言葉のひとつだからいろんな定義がある。音程やリズムやハーモニーという次元と並列のものから、魂や愛や死といった次元で語られるものまで。「詩」も同じ。「音楽は詩である」「音楽と詩はまったく別物である」どちらも正しい。/誰かが何かを発したとき(たとえば「歌」と定義されているようなもの)、それが「音楽」かどうか(「詩」と言い換えてもよい)はすぐわかる。自分の魂がどうなったかを観察すればいい。/人の魂を動かしたかったら、1番簡単なのは自分の魂を思いきり震わせてみること。

パワーとは、殴ることではなく、震わせること。圧力は、少しの時間なら刺激的だけれど、やがて飽きる。息苦しくなる。

パワーにあふれた音楽は、聞き手をねじ伏せるのではなく、聞き手のベクトルを開放する。/いい音楽をきいたとき、その音楽の意図とはまったく関係なく元気がでてくるのは多分そのせい。どんなに哀しい音楽でも悲惨な内容の音楽でも、それを迎えにいくことで魂が動いていきいきしてしまう。まさに音楽の喜び。

とすれば、聞き手のベクトルがたくさん迎えにきたとき、歌い手の内部にも何かが起きるのではないか。客の魂の震えが、歌い手の魂をさらに揺らすのではないか。これぞ共振。ライブの醍醐味。/いつでも呼応できる柔らかな魂であれば、さまざまなことに共振できて、音楽の喜びも倍增。

ところで何を放出するのでしょう。歌い手の意図は、何でもありである。歌の表すイメージ、それを受け止めた自分の気持ち、音としての気持ちよさ、なんでもいい。結局でてくるのは、その人自身。その人の魂の震え。/人の放出したものへの否定・拒絶は壁をつくる。魂の訓練にはマイナス。もちろん、嫌悪の感情の出所を分析するのはとても有効。おうおうにして、それは自分に同じ部分があることへの近親憎悪であることが多いから、自分を知るのに役立つ。聞き手として豊かになるには、どこかに共振できるベクトルは出ていないか、たくさんの触手を伸ばしてみること。/否定・拒絶の根っ子は恐怖。自分が何を恐れているのか分析すること。恐怖の原因が解明できれば、硬直化するのを防ぐことができる。嫌いなものからさえ、よきものを発見して吸収することが可能になる。

エビータについて: “感謝の実感・幸せの実感・支えられていることへの気づき”エバを成り上がらせたもの=愛情への飢え(父親からの拒絶、社会からの拒絶)。エバを聖母にしたもの=(国民から)愛されている感覚・支えられている実感。

 一人間が強くなるとき一本当の自分の願いに目覚めるとき支えられて開放される。/愛情への飢餓から発せられた願い(愛されたいからがんばる)も強いが、愛情に裏打ちされた自由な魂の願い(愛されているからがんばる)はさらに強い。/出生(私生児)から死(子宮ガン)まで肉体は「女」であることに支配され、それをきっと彼女は憎んだ。やがて、父親を代表とする男というもの(たとえばペロン)への愛情よりも、愛してくれる国民への愛情が行動を支配していく。魂が肉体を越えていく、最も幸せな時代。最も強かったころ。/ペロンにさよならをいうよりも、国民にさよならをいう方が辛かったのではないか。

 ある時代にその国に生まれるということ。日本人であるということにどんな意味があるか。彼女がエビータであったということ、あるいは私がエビータではないということにどんな意味があるか。他のどこの国の人聞である可能性もあったのではないか。他のどの時代の人間である可能性もあったのではないか。別に輪廻転生などという宗教観によらずとも、物理的に宇宙の塵の一員としてだって。ならば、この一生、どこに生をうけ、どの時間を生きよと送りだされたのかに、必要以上に拘泥する必要はない。ただ唯一、私という魂が反応する美しいものに対して嘘のないよう、真摯に選択していくしかない。また一方で、だからこそ、せっかく与えられたこの時間この場所近くにある美しいものを見過ごさないよう、よく耳を澄ましていたいと思う。

魂が何かを学ぼうとするチャンスを逃してはならない。その邪魔をしてはならない

 /モノマネ、亜流、好きなら、魂が反応するならとことん追いかけてみればいい。黒人の真似でも白人の真似でも日本人の真似だっていい。可能な限り深く。そうしていくうちに何かに出会うかもしれない。あるいはある日突然飽きるかもしれない。それはきっと必要な過程なのだ。ただ、まだ自分自身ではないことだけは自覚すべし。まだ途中なのだ。もっと自分になれるときがこの先きっとやって来る。真似だけでは本当はいい気持ちになんてなれない。なったとしたらまだ本当のいい気持ちを知らないだけだ。