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イベント(合宿、講座など)で仕掛けられた興奮は、またじきに電池切れを起こすが、それはあくまで与えられたものであって、自分が放っている光ではないことを心すること。また、モチベーションは日常のささいなことで左右されるから(争いごとがあったり、憎んだりにエネルギーを使うと当然落ちる、心配事はコントロールしないといけない)気をつける。
毎回、面倒な作業をよくやっていただいていると思う。眼のパチパチする癖がしっかりと直っていない。ライト見つめるから。どこか力入っている。イメージが不しぜん。/体の限界はまだ見えていない。どこがMAXかわからないし、特別強いとは思えないけど、まだ声を体にいれたり、ヴォリュームをつけたりの余地はある。鍛えていく。だらだらやらない。強める。この音をはずしたら曲に値しないというところの音を平気ではずしてしまっている。音程をというのでなくて、構成上声として出てないと歌としては聞けない部分で。アカペラとはいえ、音楽が流れてない。こういうことは順当に上達していくことなど有り得ない。どこかで大化けしないといけない。きら星のごとく素人はいるけれど、どこかすごいと感じさせる趣がないとどうしようもない。中低音が安定してぶれなければ、まとめてはいける。
テンションだけで支えている歌があっていいはずだ。それしかないのだから。
夏が終わるまでに化けなかったら、芸能など二度と見ない。他のことに役立てたりなど絶対にしない。何もない時間があまりにも長いと、いつのまにか何もないのがあたり前になってしまって、何かがあるということを信じられなくなるのでこわいと思う。これからどうやって食べていこうっていう、つきあげる不安と、あれもこれもしなくちゃというトレーニングの焦燥感のリズムがとても似ているので続いているのかなと思ったりする。で、結果、よりお金を使ったり、ぐーるり大回りに回り道しているのだけれど、そんな滑稽がたびたびなのが人生なのか。躍動する魂半分、あとの体半分はいつも、すぐ隣にいる眼前の闇を見つめている。夏には2倍、冬には4倍、翌年には8倍、単価の高い仕事をせねばならない。そうしなければ、過ぎていく年月も、失われていく若さ、朽ちていく肉体、降りかかる現実の生活、何もかもをフォローできない。
人生なんてなくてあたり前、行き当たればもうけもの、ぜいたくなのだ。食べていければ(必要な収入があれば)何でもよい反面、何でもよくはない反面もある。ムダと徒労と空白と遊ビの20代はもう充分。これからは、ムダな労力、葛藤を自ら排除して生きていきたい。オカネがなくても、お酒がなくても、時間がなくてもこれからは“世間という”砂場でずっと遊んでいればいいのだ。
X'masライブ、ステージはレベルに関係なく個の色で楽しませるということが見通せたのが収穫だった。4部の全部できている人より、3部のどっかバランスくずれている人の方がわかりよかった。
Fくんの活きのよさ、ひたむきさからくる可愛さ、Tさんの武道の精神、構えのよさ、Tさんのよい意味でのおぼっちゃんさ、Sさんの覚悟、Nさんの劇場性、潔さ、Nさんの翳(番外―Tさんのセンス、ぐわん、ぐわん、わが世界なところ)。
世界に名だたるロックバンドの洗礼も受けてないし(わからないなりに、詳しい人の意見を聞きながら一時期ひたろうかと思っているんですけど)、紅白見てて、伊勢正三と神津義行の見分けもつかない。昨年を振り返っても見ているようで大して見ていない、これっていうキメ手な出会いもなくて全然足りない。過去に実績を築いた巨匠じゃなくて、旬の瞬間もとらえたいけど、音のゆるさを捉えられる確信がないので、まだ街のジャズライブに行く自信がない。ある程度間隔をあけず矢継ぎ早に見てかないと、比較をするカンが研ぎ澄まされない。死活問題、時限爆弾。(見てばっかりでもしょうがないんだけど)。
歌を華やかさの象徴のようにはとらなくなった。実際の記憶がある訳では勿論ないけど、一巡して、自分がある種、昭和40年代に帰結しているのも(感覚は歌謡曲)を感じる。海外に出かけて自分のなかの日本人を発見するみたいな。カルメン・マキさんや吉田美奈子さんや浅川マキさんみたいな年代の日本人の声帯がわたしにはわかりやすいかも。
うまい人は、一曲のなかに、黄色、だいだい、黄みのだいだいとさまざまな色を持っている(そういうとらえ方もいいものかまだ疑心暗鬼)、今までそんな風に歌を聞いたことなかった。その発明を楽しんで練り込んでいく。作為的なの喜んでみたりとか、言葉で置いていく作業の方がだんぜんラク。でもそれじゃ極められない。まだわからなくてもフレーズの線を追いかける。歌で自由になれる、ステージで解放される人にのみやる理由がある。自分になる、より自分になるためのもの、時代錯誤で、不器用で、要領悪くて、ツイてなくて、かっこ悪くて、大嫌いでも受け止めて自身でいることに努めなくては仕様がない、そこに存在しているということ、ちがう感覚に逃げ込んだり、自分と違うものに我が身を投影したり、違う社会や、上の社会や人間をめざすのではなくて、より自分になるためのもの。
人は何かを媒体にして共通なもの、人間とか、人生とか、学んで行く。ここではそれが歌であったりするわけだ。いつもグループレッスンでフレーズを回した後の気持ち悪さ、その不愉快さ何。自意識であり、捨て切れなさであり、覚悟、鬼気の欠如であり、発生、発明の放棄であり、鈍さ、音楽以前のもんだい。耳とか体とか、運動神経とか、年齢やバックボーンとか九分九厘ハンデのみ。狂気の沙汰。そのなかで自分だけが極められるものを見つけて行かないといけない。儲け主義と同じくらいお金(仕事)にならないのはインチキくさい。何を見ていくのか。
Kyotoに向かう電車で一つ後ろの席の外人さんが携帯で話していました。一列後ろなのにハッキリ聞き取れるよく通る声(英語)でした。素人さんだろうにミョーーに構成が劇的なのです。なるほど抑揚がある音楽的言語で、リアクションが総玄人(くろうと)な民族だと思いました。
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プレBV座、出演記 始終だらついてた。メリハリ悪かった。ステージにいることがやたらうれしかった。この瞬間がツラーっと流れてしまうのがもったいないと思った。1秒でも長くいたいと思った。結果ずるずる引きずった。
MC、あらかじめ受けた注意に全て逆らった。自分のキャラクターを踏まえて、あえて逆らった部分もあったが、それが明確に伝わったとは思えない。「におい」というキーワードに沿って、各駅停車のようにそれぞれの歌のイメージに下ろそうとしたが、鈍い。突っ込むのか引くのか、我ながら「ハッキリしろ」と思う。しゃべらないのが無難である。そもそも、全てを歌で伝えろ。(以前客の立場では「ちょっと不要なMCなんじゃないの」と感じたが、その人たちの(ステージ上の人)の気持ちがわかる気がした)
ステージの状態、様子を全て把握してなかった。ひとり4曲ずつ順番に出演するなら別だが、入り乱れた構成となると、やはり一貫した流れが要求されると思った。私は自分のステージ構成ばかり考えてた。楽屋でもほとんどそうだった。過去にバンド演奏について思ったことでもあるが、皆が中心に向って寄り添うのではなく、背中をくっつけあってそれぞれの方向に発射するイメージ。で、ありたい。あ、なんかいいたいこととズレたが、その日のステージを高い視点から一つにとらえておく気持ち必要。
選曲について、自分が一番やりやすい姿勢で、自分が思う「自分らしさ」をぶっつけやすい曲ばかり選んだ。やりたいことをやらしてもらった。そういう部分では満足している。マスターベーションかもしれない。観客の感想を知りたい。同じ色に伝わっているなら問題アリだ。「ここでやる意義」を考えたら、もっと「自分以外のジャンル」に挑戦していくべきだと思う。
音楽として楽しめるのか。私の歌は“音”として楽しめるのか。単なる“芝居”になっていないだろうか。「言葉」に寄りすぎていないか。歌の音色、フレーズを楽器に置き換えたらどうだろうか。楽譜がルールでしかないように、字面のメッセージ(詩)もルールでしかない。「想い」だけが本質。呼吸する魂である。メロディを伝えるだけじゃダメ。言葉を伝えるだけじゃだめ。ヘタな芝居をみせるのもダメ。
自分がやってみたいコト以前に、そいつは自分が一番聞いてみたいものなのかな。
歌の出だしは、スパッと物語(シーン)が始まったか。動き出したか。展開したか。
歌(曲)の尻は、引っ張りすぎてないか。
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おすすめ
音との出会いは恋愛と一緒で第一印象が80%をしめる。数年後に劇的再会もあるけど稀である。S先生の解説の妙も手伝ってか、悪ぶりっこのお坊ちゃんみたい、頭のなかが覗ける気がしてオモシローイ。今も売れてる音ぽくないんだけれど、どうやら幼少からこういう音楽意識せずに耳にしてきてたみたい。中ほど語呂と波かな、ソーラン節でジョイント。
【岸洋子】
日本のシャンソンのなかでは、ベタベタ甘くなくていい感じ。声に中身がある。夜明けの歌の出だしが梓みちよさんに似ていた。みちよさんも声そのものにいろいろ詰めれそうな可能性があったのにメジャーであるがため邪魔された気がする。「愛の讃歌」はせっかくオリジナルに近い歌詞がついているのに歌い方のティストは、あまあまの日本版みたいで私はいまいち消化不良。
【クーリオ】
ピアニストのリクオさんかと思ったら黒人ラッパーだった。おまけで借りる。まだ楽しめるだけのキャバシティあってヨカッタっと。殆ど同世代にも関わらず、麻薬中毒の母親のもと、食べるがための盗み、かっぱらい、ヤクの売人、激し。刑務所暮らしも経験して、もう人生の半分以上ラッパーとして生きている。音も生活もなんか、なんかせまっているかも。まりつきやお手玉みたいにはもて遊ペない。
【青春のバイブル70' 80'】
チューリップとか、アリスとか、甲斐バンドとか、宇崎竜堂とか、オフコースとか、RCサクセション、浅川マキ(かっこいいー)、りりぃ(私は泣いています~)、ニューミュージックっていうんだっけ。この時代音色で遊ぶって発想は皆無らしい。
なるほどシャンソンやカンツォーネを一所懸命取り入れていた60'の方が文明開化の音がして、肉汁したたり、ワインの血が流れて声のヴォリュームは ある。
一種声の鎮国時代。当時殆ど興味なかったし、みんな何に心酔してたかリサーチしてみないとわからない。ギターつまびき自己主張するタイプじゃないし。ただ曲はあらゆる人が料理できる可能性がある。切り口だけ変える。正しく情緒に訴えれば若い人もついてくる。みんなけっこうおかしなところでぶちぶち切っている。
四畳半フォークといわれただけあって何かしら歌が自慰的。80'より70'のほうが詞が“詩”になっていてそういう意味では言葉のリズム的にもよくできている。なぜなのかわからないけど堆測するに、文屋さんが分業してたかもというのと、国語的、文学的素養の差も一因と思う。昔の人は社会的にどうとかいわず、リズム感のいい音の文章をやみくもに暗唱させられたと聞く。
むこうの牧師さんだってラテン語の聖書覚えるんだし。作り手にも受け手にも素養のいる話ではあるが、音楽語として日本人が英詩をつけるのも充分可能なのではと思う。いまのJ-POPの“Hey”や “Yeah”の役割の意味でついている英語や桑田さんの、日本語を英語っぽく歌う技とかとは別物で日本人の感性が奏でるフレーズとしてだ。こうしたいというような聞き方ができるようになってくると、ヴォリュームとか、音色とか、ざらざらしないとか、いかに声が欲しいか、体ができないと対応しないとか、わかってくる。遊ぼうと思ったり、インパクトのあることをやろうとすると、こけたときのさぶさに鳥肌がたつのでなおさらだ。できることはしれているので、こうしたいんだろなって輸郭だけ見せる結果になっても気合いで乗り切るしかない。
本国(米)では有名な前衛グループらしい。大小の笛を吹き分け、いろんな音色を出していた。どこからどこ迄が一曲かわからなかった。感想が書けない私の耳。CDの方がわかりやすいこともあるってこと。目をつぶって聞くのもなんかもったいない気がするし。クラシックとか、カルテットとか、インストゥルメンタルとか昔はビアノしか知らなかったが、別に好みだったんじゃなくて他に知らなかっただけだったみたいだ。聞いてみると意外にいけるものだ。TPOに合わせてクラシックも落ちつく。
【綾戸智絵】
前奏が始まって、ここにあるもの(楽しもう)という観客の士気だ。やっぱりファンは育てねば。昨日は新しい音でまだ馴染みがなかったかも。背景的だったし、時間短くして回数多くやった方がいいタイプの演奏だった。ややもすればヴォーカルの方が華があるしな。
綾戸さんのトークは面白いが、あくまで音楽を通して人生を学んだ人の、われわれを音楽に誘わんがために用いている言葉であって、芸能人がよくやるしゃべりとは質がちょっと違う。えらそうでなく、アングラな立場をいじけることなく、私たちの背丈を察知して導いてくれるよい先生だ。①自分の声は前に投げ出す、メンバーの音はようく、ようく聞く。②音楽は皮膚で聞くもの。笑顔はサッチモの域。客の期待に応え、ステージが大きいほど、去っていく背中の小ささが痛い。子供の頃、音楽や英語はすでに身近にあって、17でアメリカに渡ったのはそれらを勉強するためでなく、ただただアメリカの暮らしをするのが目的だったという、なるほど。そのキャリアにグサッとくる。マイルスの7ステップスとか歌うんだもん、借り物の感覚でできるわけない。
〇〇会館でなくてももっと生音で聞きたいけどチケット取れんだろうな。歌のなかではすごいべっぴんになれるんですって笑ってた。大学を中退したピアニストの男の子を冷やかしたかと思うとふと真顔で“彼は大学を退めたのではありません。音楽を選んだんです”といった。人生において、やめることでなく、逃げることでなく、選び続けることをする。それはおのずと何かを捨てることにつながるのだけれども。去年のバレンタインから禁酒してるのだといっていた。冗談にしているけど手術とかを経てなお、あれだけステージこなすにはストイックに節制しないとできないはずだ。
小さい頃、お母さんが“ピアノはええよぉー。ちょっと弾いただけで沢山、沢山お話できるんよぉー”っていわれて一所懸命練習したといっていた。いいおかあちゃんや。歌もそうだ。ポケもツッコミもひとりでできて、言葉を超えて、一瞬にいろんなニュアンスを伝えれて、聞くひとそれぞれの立場ごとにさまざまなことを感じてもらえる。なんかすごい。
【東儀秀樹】
一部は烏帽子を被って講演をして、二部はタキシードを着て雅楽を演奏してくれた。いつの時代も“〇〇界のプリンス”は健在でマスコミ(時代)の寵児だったりする。幼少をずっと海外で過ごし(いいなー)、インターナショナルの幼稚園でビートルズに親しみ、ハイスクールでロックバンドを組み、18才から宮内庁の雅楽の清奏家になったそうだ。
“ひちりぎ”という小さな笛で、「ヘイジュード」を演奏するとトランペットのような音がした。あれなら重くないし。タイの幼稚園にいるとき、ビートルズのまねがしたくてギターをねだり、二つ返事で買い与えられたウクレレ。
プロユースのものしかなく、調律も自分で弦の張り具合と音とを確認していくしかなく、物がなくて楽器がおもちゃ代わりだったのがよかったとおっしゃっていました。バロックのようなインストゥルメンタルのような。育ちのよいオリジナリティ、感度はとがっている。白分が楽しいと思うことを楽しいと思って表現する。海外から帰ると日本の格好よさが見えるってみんないう。
【加藤登紀子】
「わたしからのあなたへのラブレター。本当の気持ちを伝えたくて書くけど、相手の気持ちを考えないわけにもいかず、心を直接ぶつけることもできない。言葉をよりすぐって書く。そんな気持ちで歌ってきた」。だから、受け取る側の心に宿り、消えないものがある。
/歌手という仕事を川のように流れる人々の後ろ姿に、語りかけるつもりで歌っていきたかった。最初から形になったわけではない。
やっと出来たと思えた曲が、1969年の「ひとり寝の子守歌」だった。「ひとりで寝る時にはよぉーひざっ小僧が寒かろう」で始まる歌詞。当時、学生運動家の恋人が獄中にいた。過激派の歌といわれたが、口伝えで広まりレコード大賞歌唱賞になった。
生き死にを見つめるのが仕事だと思っている。出来事や人に出会った思いを伝えたいから、聞く人の気持ちや生き方、時代の動きが気になる。だから、疾風と怒涛のなかに身を置いてきた。
「百万本のバラ」「鳳仙花」「リリーマルレーン」。異国の歌を掘り出して歌うのも、そこに生きている人がいるからだ。「一対一の関係は、言葉とか人種という国境を越えられるのよ。」一人一人が生身の人間だということを大事にすれば。人間が人間であることを謳歌する方法を見つけたい。
「さよならわたしの愛した20世紀たち」と題した10作のアルバムシリーズ に取り組んでいる。「旅人がポケットに入れていくのにちょうどいい軽さ、懐かしさ、柔らかさを生み出したい」。
こう思ってきた自分歌を、咲きつづける20世紀の歌たちと一緒に刻んでいる。
―加藤登紀子2000年のメッセージ、何かもう厚みが全然違う。重さが違う。
(鬼太鼓座・井上良平)
「走るのと、太鼓をたたくのは不可分で、走ることのなかからリズムが湧いてきます。和太鼓や三味線などの演奏を通して、体のなかに眠っている、日本の音の原風景を呼び覚ましたい。」
「本当に着たいものを着て、やりたいことをやれば回りはしぜんと一目置くようになるもの」「誰にでもひとつは“自分だけ特別”というものがあるはず。それと同時に孤独感や違和感も誰にでもあるもの。でも自分のなかの優れた部分をすべての人にとってたたえられるものにしていくのは自分。他人の言動や評価でなく、自分自身を見つめて行けば、道が開ける。」
「明日か明後日、たぶん来週には良くなるだろう」という考え方はとうてい受け入れられない。我々はひとつの方法でトライしてみてだめだったら、すぐにまた別の方法を試みる。しかし、日本人は違う。明日まで待とうと考える。明日まで待って何かを得られるのか。得られるのは見せかけだけの和気あいあいとしたムードだけだ。
私の数少ない経験では、日本人はほんの少しのことを覚えると、もうすべてを理解したような気になってしまうことがままあるように感じる。サッカーは常に学習を続けていなければうまくはならない。絶対に立ち止まることは許されない。私はそれは人生に似ていると思う。
もし本当に海外でプレーをしたいと思うなら、相当強固なパーソナリティーを持たなければならないだろう。批判というものが殆どないに等しい日本に比べ、ヨーロッパの、特に外国人選手に対する批判は熾烈を極める。その国の選手のポジションを奪った代償として、重い責任を追わなければならなくなる。そうした批判や責任に押しつぶされないだけのパーソナリティーを身につけなければならない。たとえばそれは、絶対に勝者になるという、強い意志と自信を持つことだ。
原因は基本的なプレーのトレーニングができていないことにある。基本ができていて、なおそのうえで難しいプレーにトライするというなら話はわかるが、その逆はありえない。サッカーではすばらしい選手ほど、極力シンプルなプレーをするものだ。基本ができていないのに高度なことをしようとすれば、結局はミスを犯すことになる。日本の試合ではあまりにもミスパスが目立ちすぎる。なぜミスパスが多く起こるかといえば、単純にパスのトレーニングが不足しているからだ。もっと難しいトレーニングばかりしたがるからだ。
勝ちたいと強く望む意志が重要なのは、サッカーの選手だけではなく、プロフェショナルと呼ばれるあらゆる職業においても同じなのではないかと私は思っている。たとえ素質があっても、スピリットや自己犠牲、多くの我慢を許容できなければ成功を収めるのは難しい。
人間は自分にどのくらいの力があるのか、本当のところは知らないものだ。もちろん人間には限界がある。それはそうだ。だが我々がふだん限界だと思っているものは乗り越えられるし、乗り越えていかなければならない。ここまでしかできないと思わずにトライを続けていけば、それを乗り越えることは可能だ。
チャンスは5回も6回もあると思っている人もいるかもしれない。一度くらいチャンスを逃がしても、また次があるさと思う人もいる。だがそういう人は、そう思っている限り、結局何もつかむことができないだろう。
サッカーにはミスがつきものだ。それを繰り返さないようにすることで、少し上達していく。年上の人からも年下の人からも学ぶことはできる。逆に自分の立場が上だと不遜になってしまったら、学ぶことはできなくなる。
一方でサッカーは会社と違い、何かあったら上司の判断に従えばいいというわけにはいかない。選手自身が自分で判断を下し、行動しなければならない。監督がいちいちシュートしろ、パスをしろと指示を与えることはできない。日本人の選手にこの、自分で判断するという習慣が身に付くまでにはまだ時間がかかるだろう。この習慣を獲得することは、日本という国にとっても大きな意味があることではないかと思う。それは判断力を養い、新しいメンタリティーを創造することにつながっていくからだ。
ブラジル人が何かをつかむためには、努力し、戦わなければならない。成長し、何かを創造し、より良くなっていかなければならない。もしかしたら日本人はその過程を、オートマッティックに進むものと感じているのかもしれない。
私は日本でもブラジルでも人生の意味は同じだと信じている。たとえばひとつの会社に入り、毎日仕事をし、家に帰り、同じことだけを繰り返し、喜びや満足がなく、そして55歳になったらリタイアするような人生は、生きているのではなく、死を待っているようなものだと思う。仕事の種類は何であれ、その仕事のなかから何かを学ぼうとし、仕事に誇りを持ち、もっと活動的に、もっと楽しく仕事をすれば、それは人生を生きていることになる。自分から何も学ぼうとしない人生は、ロボットようであり、第一楽しくないだろう。
社会のなかで自分の場所を得るためには努力をしなければならない。自分の仕事のなかでも毎日向上していかなければならないし、プロフェッショナルでなければならない。おそらく日本に激しい競争がなかったのは、それが必要でなかったからだろう。日本にはこれまでは失業問題もなく、教育問題もなく、治安の問題もなく、人種が混じり合うこともなかった。だがグローバル化が進めば嫌でも変わってしまうことはある。たとえば失業問題がさらに大きくなれば、生産性の低い人が生産性の高い人に席をとられてしまうのがしぜんな成り行きだ。人は与えられた仕事をこなすだけではなく、それ以上のことをしなければならなくなるだろう。
サッカーに限らず全てのことに当てはまることかもしれないが、多くの場合その状況を見て、雰囲気を察することが出来れば言葉は不要になる。書いてあることに従うよりも、空気から理解しなければならないことは多い。
日本の選手には2回3回やってみて成功すると、もう満足して練習をしなくなるところがある。
私が何かを説明していると、選手たちが「はい、はい、はい」とあまりにも頷くのでよく喧嘩になることがある。分からなかったら3回でも4回でも10回でも「分からない」と言い、分かるまで説明を要求しろというのが私の言い分だ。分かったような顔をしていて試合で分かっていなかったら、これほど腹立たしいことはない。
スーパースターの映像を見ると、偉大な選手が実にシンプルにプレーしていることが分かる。だがそのなかで、たまたま込み入った技を使っているのを見ると、日本の選手はそればかり真似したがる。指導者さえそんなプレーを教えたがる。だがもっとも難しいのはシンプルにプレーすることだ。
サッカーのトレーニングで大事なことは反復だ。反復によって、プレーは感性に近づいていく。単純に見えるパスの練習でも、できるだけ早くボールをコントロールし、できるだけ正確に返さなければならない。パス、ヘディング、シュート。これらのトレーニングに、もうこれで十分という限度はないのだ。
サッカーも人生も、あまり勝利に酔いしれている時間はない。ひとつ終われば、またすぐに次のことを考えなければならない。ブラジルには「過去は唯一、博物館の中で生きている」という格言がある。
日本に来てからも、私のもとにはヨーロッパやブラジルの多くのチームからオファーがあった。だが私はたぶんまだ、日本のサッカーのために役立つことが出来ると思う。多くのお手伝いが出来ると思う。だが私にはその前に知らなければならないことがある。それは彼らに学ぶ意志があるのか、ということだ。日本のサッカー界に、より良くなりたい、向上したいという意志があるかどうかが問題だ。私は教えるのと同時に、多くのことを日本人から学んでいる。私には学びたいという、確固とした意志がある。勝利は多くの欠点を隠してしまうものだ。しかし私には責任がある。私はそれに目をつぶることは出来ない。私は原因を探り、今度はどこを改善すべきかを考えなければならない。勝者こそ、目を大きく見開かなければならない。そのことを知っているのも勝者だけなのだ。
トライもせずにミスをすることは許されない。私に言わせればそれは我慢による、汚いミスだ。もしトライして間違ったのならそれは仕方がない。ミスも同じものを3回、4回と犯すのは知的ではない。だが10回、100回、1000回と違う方法を試みてまだ間違っていたら、それは知的なミスというべきだろう。知的な人間だからできる間違いというものもある。最初の言葉が「難しい」「知らない」「できない」では、何にもできないのは当たり前だ。努力し、戦わなければならない。それは私が自分の経験によって下した結論なのだ。また私は、サッカーは他の職業とは違う、という話をよくする。サッカーが職業として優れている、あるいは劣っているということではない。単純に違うという意味だ。
たとえば世界中の殆ど全ての人が、サッカーについて何かを話したり、遊びでボールを蹴ったりしたことがある。どんな職業の人でもサッカーに触れたことがある。だが私は一度も医者が手術に使うメスを手にしたことがない。サッカーは世界中で知られ、理解され、共通のコミュニケーションの担い手でもある。それはサッカーが、見たまま、感じたままのもので、その感覚に対抗できるものが他にないからだ。初めてサッカーを見た人も、たちまちまわりの人に影響され、結局巻き込まれていく。我々はそういうスポーツを職業としているのだ、という話をして、皆の、そして私自身のモチベーションを高めていく。
フットボールは単純である、難しくしているのは我々だ。