一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

合宿特集3 アンケート2 21864字 1109

合宿特集3  アンケート2

 

 

<4>レッスンについて

 

◇全体のメニュー構成について

 

こういうメニューの入り方は最初、びっくりしたが、結果的には勉強になった。

的をしぼるのが、最後の日になってわかりかけてきた。

 

頭のなかの方がかゆくなる材料はなかなかないので、鍛えるにはよい具合のものだったと思います。

難しいけれどもがんばればなんとかなるという、うまく考えられた内容だったと思いました。

 

リハーサルをやって自分なりの問題点をみつけ、改善しようとする前にもう次のリハーサルになってしまう。

本番に慣れるのはいいが、そのことが逆に本番のテンションを下げてしまった気がした。

 

シンプルなメニューだったので、プロセスについて見えやすかった。反省点がはっきりしたのでよかった。

 

 

◇印象に残ったメニューと感想

 

オーディション(1)

限られた時間で何を出せるのか、何が出せないのか、何を出すのか、出してはいけないのか。また、他に班別トレーニングは本当に自分というものをつきつけられたことがよかった。

 

オーディション(2)

少しだけみた。(ちょうどそのとききたので)理屈で自分の脚本を売るんじゃなく、表現力で売る。

ヴォーカリストの本来の姿を気づかされた。

本番に生かされるところまで行かなかったのがくやしい。

 

脚本MC。自分の魅力の部分が分っていて、自己演出がうまい。そのまま一人芝居として成り立つ感じがした。

 

 

 

 

<5>ライブ発表会

 

(1)自分の発表について

最初の下準備のなさが曲の理解という点で、最後まで尾を引いたと思う。

脚本ももっとつっこんだ思いが書ければよかったと思う。

 

「タバコ」というキーワードから「煙り」を出してきて、人の迷惑になることを多かれ少なかれやってしまうのが生き物なんだということを、たまたま「ヨイトマケの唄」とからめて考えさせたいと思った。

 

はじめ脚本(別れ―希望)がとりかかりやすいなと思ったけれど、脚本ヨイトマケの方が、よくわからないけどいろいろとできそうな気がして、おもしろそうだったので変えた。

 

自分で広げていけるという面からいうと、わかりやすいものより、よく分らないものの方がいろいろとできていくような気がする。

 

今回、「3001年へのプレリュード」に対する思い入れが、圧倒的に強かった。

それさえやればいいやと思ってしまったほど。

 

脚本(思い)について、酸欠の頭では何も創造できず、歌詞の抜き書きになりました。

「ばらはあこがれ」と「イザベル」、大金持ちが幸せではない。偉い人が幸せではない。

希望をもった貧しい人が幸せなのだ。そして恋の力。

 

 

 

1.自分の選曲とその理由脚本(思い)について

 

愛の讃歌 愛することは、やはり希望であると思うから。いいうただから。

 

命に限らず成仏できない「想い」というのがあって、光り輝いた一瞬の後、闇をさまよっている。

自分の思いとイメージから「灯」「時の流れ」などの詞やイメージを持つ曲を選曲した。

 

 

2.練習のプロセス、難易度

 

ほとんどすべての曲が体に入っていたので、その点はすごく楽だった。

だが、それをアウトプットするのに全力を注ぐ代わりに、他の人のフォローばかりしていたということ。

アウトプットに全力を注いだら、まわりは受け止めてくれただろうか。

 

歌い方がまるでわからずになんとか演奏っぽくしようとした。

歌うということを、もっと考える必要がある。

 

途中、リズムの波形や感情、ことばのことについて、いろいろと注意されたとき、この短い時間だけに難しく感じた。

 

 

3.自分の作品の完成度

 

歌に入れなかった時点で0点だと思う。

 

力を入れて練習していたものほど、本番で少し固さが出てしまっていた。

やわらかさ、優しさの込められたフレーズをものにしたい。

他の人のテンポ感に合わせ過ぎて、自分の間合いも少し見失った。

 

 

 

4.今回のテーマに対しての作品としてのしあげ方、方向、構成(ねらいとして)

 

とにかく、勢いとテンション、合唱時のまとまったときのカ、この3つを大切にしあげた。

本当は、学園天国のような意外性のあることをもっとやってみたかった。

想像力が働かず、今出ているものを研いでいく方向になった。

 

「枯葉」のイメージとして、「別れ」直後の悲しみよりも「別れ」を思い返すときの悲しみ。

次の希望に向けてのステップにしたかった。

 

自分が心を込められるもののイメージ、フレーズ作りを中心に、ユニットのバランスなども検討を重ねた。

自分の世界を打ち出せる作品、フレーズを目的に置いた。

 

頭を使ってバランスを整えようとしたことが、今回の最大の悪。

その結果、本当によいものがどんどんこぼれ落ち、ただこじんまりとまとまってしまった。

 

本来あるべき方向と180度逆の方向へ、主に自分が導いてしまったことを班のメンバーに対して大変、申しわけなく思う。

 

自分のイロ出して、和となるかを考えた。

 

正直な話、ねらいとしても、そんなことは考えていなかった。

自分のフレーズを前後の関係のなかで何とか成り立たせようとしか考えていなかった。

そういう意味では、視野はとても狭かった。

 

 

 

5.班や作品に対して、自分が加えた価値(結果として)

 

エネルギー。

 

変な話かも知れないが、本番中に泣けたほど、感じることができたこと。

ソロでも自分を出す点では、充分でなかったが、感じ続け、感動し続けていたことは、全体の流れを少しキープはできたのだと思う。

 

ソロ後は、とにかく「もっともっと出す」気持ちを切り換え、部分では無理でも、すべて終るまで前へ前へ出そうとしたこと。試みたこと、かな。

 

感動への案内人。班のメンバーがそう思ってくれていたら本当に幸福。

 

今の力だと、もっと出しゃばらないと大きな価値は加えられなかったと思いました。

 

まだまだ、ああだ、こうだといわないといけなかったわけで、「一声」だけでは、何も変えることはできませんでした。

もっと何かできたはずだと思っています。

 

私でなくてはならない歌、フレーズなどひとつもなかった。

私でなくてはならないものを、私は表せなかった。

 

作品をつないでみせていくこと。(音で)、ことばのリアリティさ。

合唱のときの変化(客観的にみていないので、映像で確認)。

 

自分の脚本が下敷きとなり、いくつかの曲のフレーズが融合して新しいストーリーが生まれたこと。

そのなかで、班の人の持ち味がある程度、生かされたこと。

 

なんか変な空気。

 

ビリヤードの第一球みたいに拡散はさせたかもしれないが、価値を加えたかどうかには疑問がある。

 

 

 

6.初日の材料出しで気づいたこと

 

自分のもっているものを自分で演出し、プロデュースし伝える、うりこむ大切さ。

そこでそれが出せなければ何のイミもない。

 

ひねると後で困るからなのか、みんな何かこう「そのまま」という感じのものばかりだったと思いました。

自分も何時間後かには、それを実感するのですが、「おもしろいことをやろう」としている感じではなかった。

 

最初のリハーサルで下手にほめられたのが、やっぱりダメだった。

そこで図に乗っちゃだめだというのは、おそらくみんなわかっていたと思う。

 

結果的にそこでもう一度、自分たちを見直さなかったのは間違いだった。

それからどんどん表面的なところばかりをつけ足してしまった。

小細工を小細工で固めた結果、全部よまれてしまった。

 

ここでの意識が低すぎた。単に顔見せくらいにしか考えていなかった。

もっと鋭くよいものを感じようとしていたら。実際、材料は少なかっただろう。

 

「材料」と呼べるものを果たしてとり出せるのかどうか疑問に思われる人も数人いた。

だが今思うと、それしか方法はない。

 

頭が悪いと時間がすぐ過ぎる(けど、それがチョー笑えた)。

 

 

 

7.自分の班のリハーサルで気づいたこと

 

自分たちが、自分たちの歌のどこがダメで、どこが救えて、どうしたらよいかが自分で分っていないこと。

どう聞こえているか。ほとんどわかっていないこと。どうするとどう変わるか実感できていなかったのが、偶然を狙っているいるようで、最大の欠点だった。

 

録音にひとつひとつ録って、確認したり、自分たちで指摘し合うことを大前提にすべきだった。

コメント本願の姿勢すぎた。

 

背のデカイ人がいい奴だと思った。

 

 

 

8.発表会で気づいたこと

 

本物の涙の後には、それ以外の涙に似せたものは、あまりに弱くうそっぱちに見えてしまう。

 

 

 

 

(2)他の人や他班、その曲について

 

1.他の班の材料出しや練習、プロセスで気づいたこと

 

自分の班でまわりがみえなくなってしまっていて、B班などのやり方はすごく新鮮だった。

皆、自分というものがしっかりとあるということが感じられた。

 

キャリアのある方々は皆、歌い出しや一声、一声を慎重にていねいに出してゆく。私のように拡散せず、確実にひとつひとつに込めてゆく

フレーズ「放つ」というより「送り届ける」「置いてゆく」「しぜんに描く」ことを多くの人が意識されているという印象をもった。

 

密度や深み、微妙な声の揺れなどを使って表現していた。

他班の練習プロセスを、もっと見てみたかった。

 

脚本はよかった。わかりやすくて、最後の“思い出が永遠になる”の一言がズシンときた。

 

これを演じ終った後に聴衆がよかったという状態になるなんてことをまったく考えている余裕もないほど、自分たちの今いる場所も何もかも頭から飛んでしまっていたんだろうなと思いました。

 

A班の前日のリハで、フレーズに入りこもうと必至になっている何人かの人が印象には残った。

それが聞いている方まで飛んでこない。開かれていない感じがして、何人かに似た現象が起きていると感じた。

 

 

 

2.他の班の発表会で気づいたこと

 

形だけの人と、心の入っている人が顕著に分かれる。

 

「伝わる」ということが、自分が聞き手にまわることで、どういう瞬間のできごとなのかを、確かに体験できた。

自分以外の人があそこで聞いて、自分と同じ感想をもつことはあり得ないかも知れないが、私でも理解できたこと、伝わってきたこと、感じたものがあったのは事実だった。

 

細かく見れば、うまいと感じた人は本当に多かった。

「心に残る」とはなるほど、並み大抵ではないことを、聞き手の立場から理解した。

 

「ノックも取れないのに試合やっちゃってよいの」って思いながら出てきて、でももうやるしかないはずなのに、それでも固かった。

 

その後のフィナーレで見せたようなことで本当はよかったのにと思います。

 

ユニット内でばらばらなのも気になったが、それよりも合わせようとして個人のフレーズが引っ込んでしまって誰も印象に残らないのが一番物足りなさを感じた。

 

各班にいるキーパーソン(実力のある人)が、前面に出てきている方が、発表はうまくいく。

立ち位置も目立つところにいるべき。

 

クセを外して、その上でつくり直している人の自由さ。

 

 

 

3.歌曲として印象に残ったものと理由(曲、歌詞)

 

ヨイトマケの唄」詩もメロディも泣きそう。

「Time to say goodbye]メロディにやられる。

 

B班の「3001年へのプレリュード」二人の方の声は、それ自体としても大変、素晴らしかったが、音というより空気が、特に後半の部分から伝わってきた。

 

C班の「愛の讃歌」と「リリー・マルレーン」原曲とは違った、その人自身の枠内での歌が、本当に現実味を生んでいたと思う。

 

「バラはあこがれ」帰ってから夢のなかに出てきた曲だから。

 

「バラはあこがれ」単純だけれども、実感を込められる内容の歌詞だと思いました。

こういう曲を素直に聞かせられるようになれればすごいのにと思います。

なかなかできることではないと思いますが。

 

B班の「3001年へのプレリュード」2人で歌っていたが、お互いの息を確かめあって気持ちがよかった。

 

「バラはあこがれ」いろんな人がいろんな歌い方をしたから。

 

「Time to say goodbye」「さよならのとき」

リリー・マルレーン/暗いはしけ 暗さと明るさ

3001年へのプレリユード(ミルバ)“死ぬときよりも難しいのは生まれ変わること”

バラはあこがれ 咲かせたい。

 

A班の「Time to say goodbye」、フレーズのつくり方、強弱がまとまっていて、聞き心地がよい。

フレーズ。声が以前よりクリアになっていて、イメージも伝わってくる。

B班の「ヨイトマケの唄」、無表情に聞こえるんだけど、背後に何か隠されている感じ。

C班「あなたの空を翔びたい」、以前より声に鋭さが出てきた気がした。

 

「帰り来ぬ青春」何のために生きているのか直面する詞だから。

 

 

 

 

 

今回のような合宿の試み(意図)とその結果についての感想

 

自分にとっては大変よかった。自分がたたきのめされたし、課題に対してのとりくみ方を本当に考えさせられた合宿だった。二度とこの後悔がないようにしたい。

 

創作するということのおもしろさ、やりがいと、その人のエネルギー、テンションの交感。

 

私の個人的な意見と感想からいうと、目標の形の違いこそあれ、同じ方向で日々努力している自分以外の人たちと、協力して作品を創り上げる、つまり、一人の孤独な戦いを皆やっていて、それゆえ、共感し合うことができ、また皆でやったからこそ、生じた新しいものを確かに見れた。これはことばで説明するより大きかった。

知るより、はるかに多くのことを感じるということができた。

 

これはなかなか日常のなかで意識してもできるとは限らないものだろう。

本当に「豊かになった」と帰途にて思った。

 

日常では、一人でやる作業を、多くの人と共有しやっていくことで自分のいろいろな面がみえてきてよかった。

 

一つの舞台をつくるに当たって、あらゆる面で計算しつくされていないといけない。

いいものをつくろうとするんだけど、それが「伝わる」ところまでまったく、達していないなあと思った。

 

パーフェクト。私はとにかく落ち込んだ。それがよかった。

 

 

 

<6>全体(レッスン外で)での感想

 

◇部屋、食事、場所、他

 

食事はおいしかった。まさか、焼肉がでるとは思わなかった。

風呂の24時間というのもよかった。

 

食事は、いつもの私には、少なかったけれど、合宿ということでは多すぎた。

温泉は、やっぱりいいですよ。あの湯は本当に疲れがとれた。

 

あんなに富士山が美しく眺められるところだとは思ってもいなかったので、すごくうれしかった。

 

スタジオがたくさんあることと、お風呂がよかった。

 

 

 

◇印象に残ったできごと

 

富士山の大きさにびっくりするとともに、本当に圧倒されてしまった。

 

どれもが印象的だけれど「もっと怒ればいいんだよ。『そんなこというけど、だったらおまえできんのか』って思ってやればいいんだよ。それくらいの気迫でやんなきゃ」といってたこと。

 

階段にパンツがおちてて、みんなで笑ったこと。

 

誰とはいわないが、ある方のすごい体を見た。風呂で。背筋・側筋がういていて、引き締まっていた。

 

全体の形もあまり見たことのないものだった。「ヴォーカリス卜の体とは、こういうものか」というのを偶然、目にすることができた。

 

バーベキューなんて、かなり久しぶりだったので驚いた。

 

玄関の犬にホーミーで語りかけていらっしゃる方がいました。犬は不思議そーな顔をしていた。

 

ちっとも動かないおとなしい犬(リッキー)と玄関にいたオウム。

 

一竹美術館は、竜宮城のようで不思議。

 

一竹美術館。「一竹辻が花」そのもの以上に、そのたたずまいに感動。人と自然と芸術の三位一体。純和風にとどまらない斬新な感覚。何時間いても飽きない。

 

 

 

◇気づいたこと、学んだこと

 

みんなよく夜中まで起きてられるなあ。

 

オフ口が自由に入れるというのが、すごくよかったと思う。

 

富士山のように大きなすその上に築いていきたい。

 

ここを社会の縮図と考えろというのは本当なのかもしれない。人間関係が大変。

 

 

 

 

<7>スタッフへのワンコメント

 

福島先生:

 

ときには厳しいことば、ときにはやさしいことばをかけて頂いてありがたかった。

先生の要求に答えられない自分、何もその場所に与えられない自分が本当にはずかしかった。

 

いつもながら、コメントは厳しかった。だが、今回、自分が他班の発表やリハを聞いてみて、いつも自分たちがいわれていること、注意されていることが、実際どういうことなのか、少しわかったように思う。

 

先生がいうことの確かさ、理由、根拠みたいなものが、その何十分の一ぐらいか確認できたように思う。

帰る際、バスに乗った我々に笑顔で手を振っていたのが印象的だった。

 

いつも合宿までさける事態で逃げる私に、最高のチャンスだったのだと思っています。

許すことがまったくできなかったのですが、やっと1つ許す理由が見つかったと思いました。

 

“上に立つほど人は孤独になる”そんなことが少しわかりました。

貴重な時間をありがとうございました。

 

やっぱり、こっちのことはすべてよく見てくれていて、いろいろな指摘は役に立ちました。で、あたりまえのことなんですけれど、それは自分自身の弱点そのものだったりするわけで、また、お願いしますという感じです。

 

福島先生とお話してみたかったんですが、やっぱり緊張してはなしかけられなかったです。

「自分の武器となるところだけを出せ」これが一番心に残りました。

 

リハのときに、歌を聞いている先生の姿を初めて見ました。全神経を一点に集中して聞いているのであろう。そのまわりの鋭敏な空気に驚きました。

 

今回の合宿の曲はどれも勉強になる課題曲だったように思います。曲自体もいいものが多かったと思います。というより、やっと自分が勉強できるようになってきたといった方がただしいのかもしれないですね。ハハハ。

 

一竹さんと福島先生が妙に重なって思え、美術館に行ったときに、福島先生のなかも外も出してみたらこんな感じじゃないかと思ってしまいました。

 

リハのコメントがいつになく具体的だった。0.1秒単位のコメントもあったが、自分が受けたものは動きや役割、選曲ミスなど初歩的なものであり、的を得ていたと思う。

 

食堂へゆっくりと歩いていく福島先生に追いついてしまい、間抜けな質問した私にレディスファーストしてくださった先生は、ジェントルマンです。

 

最後の朝、食堂の先生のところへ報告しに行った私を見つけた先生がサッと立ち上がったあの姿が忘れられません。

 

今回は、いろいろ先生方に気を使っていただき、ありがとうございました。

私のような状態を、きちんと受け入れてくれる研究所には、感謝がいっぱいです。

 

音楽の見識の深さ、洞察力を感じました。

 

お疲れさまでした。想像していたよりもキツイことをおっしゃらなかったので、逆に怖かったです。

 

ポイントをわかりやすくいわれたので、勉強になりました。

 

できないことはしない。この合宿で一番心に刻みついたことばです。

私はまだ自分がわかってないと思う。もっともっと自分を見ながらがんばっていこうと思います。

 

 

 

トレーナー:

 

いつも見守ってもらっている感じがした。特に、いろいろな人の健康管理には、本当に気を配っていたと思う。おつかれさまでした。

 

班の練習の間、ずっと見てくれていた。「先生が見ている」というところで、常に緊張感がもてた。厳しくもあったが、本当に熱心に教えてくれた。その熱意がとても嬉しかったのを憶えている。

本当に感謝。ただ、先生のアジテーションがなくなると、すぐ体裁をとってしまう自分がたまらなく嫌になった。

 

途中で気分が悪くなったりして、ご迷惑をおかけしましたが、これからは何とかなりそうだという気がしました。先生の伝えるという、それが「Time to say goodbye」をあそこまで仕上げることが(私のなかで、うちの班のなかで、一番いいと思った)できたのだと思います。

 

お世話になりました。発表後、思わずかけより握手してしまいました。

 

いつも私たちのことを気づかってくれて頭が下がる思いです。

トレーナーがちょくちょく私たちの班にきてくれなかったらどうなっていただろう。でも、その支えに甘えてしまうのが悪い癖だ。

 

リハ鑑賞のとき、母親のようにA班を見守っていたのが印象的でした。

 

「Time to say goodbye」の全員で歌うところに関するコメントが忘れられない。

一番目立っていたけれど、べたっとしてしまうのが全体にいえることで、後からもどうしてそうなってしまうのか考えさせられた。

 

本当にお世話になってしまいました。細かくいったらキリがないほどです。

トレーナーさんには、私のことわかっているんだろうと思います。病院の待ち時間に話していたときにとても感じました。そして、その間に、見事に私を戻してくださいました。

 

私の状態を気にしていただいて、本当に感謝しています。

トレーナーさんがいなかったら、ステージには立てなかったと思います。

 

女性ならではの細やかな気づかい、ありがたく思いました。音楽的には、厳しくみていただきました。

 

当班を客観的にみていただいて、ありがとうございます。

自分たち自身を観察することができないため、よきアドバイスだと思いました。

 

 

 

トレーナ:

 

練習のときに歌われた「Time to say goodbye」が10名が1人に押されたという気がしました。

 

一番困っているとき助けてくれたのが、トレーナさんでした。本当に優しい尊敬できるお兄さんです。

 

トレーナさんのアドバイスは、ものすごくわかりやすい。

 

フィナーレのとき、「Time to say goodbye」をみんなといっしょに歌っていた横顔が素敵でした。

 

突然、歌ってくれて、とても貴重な時間でした。彼が何をいいたかったかは、とてもよくわかった。

次回の合宿は、体調をよくして参加したい。

 

イタリア語の素敵な歌を聞かせていただきました。

出だしはかなり弱く、サビで大きく強く歌われていたのが印象に残りました。

 

一人ひとりに対してていねいにアドバイスをしてくださったので、助かりました。

 

心の支え、いろいろなアドバイスに感謝しています。

 

 

 

 

<8>他の参加メンバーへのワンコメント

 

本当に迷惑をかけました。自分の力のなさを痛感するとともに、何も班に対して提示できるものがなかったと思いました。班長は○×がはっきりしていて、なおかつ、細かくなくて、とてもやりやすかったです。

それに答えることができなかったことが残念です。

 

初日から調子が悪そうでしたが、そんな中でも、まったくスキが感じられませんでした。

集中力と、精神力のタフさを感じました。

 

統率力があり、テキパキしているとてもいい班長でした。

自分のテンポを人に押しつけるきらいがあります。実力がある分、他の人の自由度や感性を殺してしまうところが気になりました。

 

班のメンバーを自分の演出作品の1コマのように考え、自分のイメージを全面的に出してゆくやり方は、演出する側もされる側も大変だと思う。

同じ班になったときから感じていたことですが、違うイメージを持っている人は、入り込めなくなってしまうから。人の考え、思いは、ある程度本人の自由意志にまかせ、自分のよさを打ち出すことにもっと力を注いでいいと思う。

 

自分のペースでやっていて落ち着いていた、すてきだった。

 

自己中心的な人かと思っていましたが、みんなの意見を広くていねいに聞き入れてくれ、器の大きさを感じました。あの歌は、そういう人柄からきているんだなと思いました。

 

ただでさえ、まとめるのが大変なところへ余計な気をつかわせてしまって、申しわけないです。

あんな中でも自分の見せ場をきちんと創れるのはすごい。そのためにあの声なんですね。

 

かなり実力をつけてきていて、一緒にやれてよかったです。

のびやかな自由さのある、情熱的な歌声が、とても魅力的だと思いました。

 

形を気にしてばかりで、ステージ、人に伝えるということが、まだわかっていない。

ハモろうとか、ここで切って歌おうとか、そんな状況でないことを知っていたのは、少数。

表に出せない焦りで顔を見合わせることも。

 

 

 

<9>その他

 

1.今回の合宿の参加目的

 

自分を見直す。自分を知る。去年、合宿の際、自分をまったく出せなかった後悔から少しでも出せるようにする。

 

創作することが自分のなかでワンパターンになって狭くなっていたので、人からのインスピレーションを受けたのと、エネルギーのある場所に行こうと思って。

 

読み込み、読み込まれることへの恐怖から、どう歌えばよいか分らず、ステージがあまりに恐いものに見えるほど、負の方向へ入っていた自分を正の方向へ引っ張り出すこと。

 

本当の出発を果たすこと。必死に練習はできても、すればするほど、どことなく寂しさやためらいが生じていた。

それらを一気に変えてしまいたかった。

キャリアのある人をよく見てくること。

 

音の世界の探究。自分よりうまい人が何をしているのか。どう生きているのかを見て学ぶため。

 

遅ればせながら、口伝えに聞いていた緊張感を味わってみたかったし、他の人たちの変わりようも見てみたかったし、自分が変わるのか、変われる参加のしかたをするのか、味わってみたかった。

 

自分のなかで歌に対する考えが少しまとまってきていたので、それがどこまで通じるのか、試したかった。

 

感覚のコントロールなど、日頃のレッスンでの課題に少しでもプラスになるように。

 

自分のイメージ、音色でつらぬかれた作品(フレーズ)を、本番もしくはリハのなかで出せること。

 

まったく違う環境で、自分の実力を発揮できるかどうか。

 

 

 

2.今回の合宿の成果

 

もっともっといろんなもの作れるぞ、うみ出せるぞ、と感覚が広がったことと、もっともっと練習が必要だ、と彼らに近づきたいと願ったこと。

 

予想していなかった多くのものを得られた。一言でいうと「豊かになった」ということ。

想像以上の自分への効果があった。

 

“人の心を生かせたときこそ、人は救われる”そんなことを学べる合宿になった。

 

自分の歌い方を今よりも更に具体的に客観的に見つめ直す方法を他の人の練習から学べたし、また、自分の考えていることは、嘘でなければ伝わることを確認できた。

 

根本からそれがひっくり返された。というより、その下にあるもっと重要なこと、なぜ歌いたいのか、何を歌いたいのかという自分を知るということの大切さに気づいた。自分がないやつに歌は歌えない。

 

ワンフレーズへの練り込み具合(容量)が増した。

 

音色のなかに物語を込めること(音色のイメージ化)が、外に表現として現れ出してきていると思う。

 

落ち込んだのでよかった。

 

どういう「ことば」に対して感覚が鋭くなるか、漠然とだがみえてきた気がする。

 

 

 

3.合宿中、メニューから学んだこと

 

それを入れても入れなくても、どちらでもいいというときは入れる必要がないこと。

それが入ったものすごい効果がでるということ以外は。

 

自分一人なら、ステージで新しい要素を加えてトライしてみるのもよいが、そのステージに自分に大きな責任がある場合、今回のように皆で作品を作っているような場合、できることを探して、あとはすベて切り捨て、確実なものより確かだと思うものしか使わないということ。

 

なんとかやれそうなことをいったら、ひとつかふたつ、あるかないかにすぎなかったと気づかされた。

その意味で合宿は練習というよりその日常の成果を出すためのステージだと理解した。

 

制限のある中で、体の状態をキープし、創造力を働かせる心の状態をも保つことの難しさを改めて痛感した。

 

すべてがとても並の集中力ではできない。

 

強いことばは、思いと一致していないとまったく通じない。

 

人と和のパワー、声のパーカッショニック(スキャット)だけだと、力に負ける。

 

すぐれた歌い手のどの部分は取り入れてよくて、どの部分は創るべきかの判断をキッチリつけること。

 

声に自分の素直な感情をのせるのは、思っていたよりも、もっと奥深くまで素直にならなければならない。

 

 

 

 

4.合宿中、トレーナー、スタッフから学んだこと

 

この次これ、これの次はこれをいつまでというように、その3日のなかですべての段取りが適格にもうけられる福島先生には、やはりすごいと思った。

 

自分がまだ、どういう声を出しているか、今歌ったものはどう問題なのか、聞き手のレベルでは分っていないということ。

歌は、気持ちが大大大前提だということ。

やはり、歌は「与える」というもの。

 

伝える、その意識の違い。研究所だからという理由でなく、どこへいってもできるというその自信。

 

トレーナーさん、自分自身の感覚をことばとしてしっかり伝えることができるところは聞く能力の差を感じた。

 

何もなさそうなところからも、真剣に見聞きすることで、何かを見つけ出して、それを具体的に指摘できることの大切さ。いった分だけ自分にかえってくるという責任感、使命感など。

 

客を無視しない、甘くみない。

 

見つめるところが違う。内側に深い積み重ねを感じさせる存在感。ポッといってくれることが、重たいです。

その瞬間(空間)が後になってもずっと自分のなかに残っている。ふとしたときによみがえってくる。

 

いくらしょっちゅう顔を合わせているからといって慣れ合わずに、やるべきときはおたがいにシビアにならなければいけないこと。

 

客観的な味方がまだまだ必要だと思った。自分たちではわからないところが多い。

 

トレーナー、トレーナに、全員で歌うところで特に、「もっとこういうふうにしないと」といろいろアドバイスをもらうことができ、歌ってみては、「前よりよい」とか「前の方がよい」とかコメントして頂いたのだが、そのアドバイスの内容を踏まえると実際、前とはどう違ってきこえるのか、わからなかった。

 

特に全員で歌うと、感覚がなかった。つまり、意識を高めて歌うと、まだ、「聞けていない」ということだ。ステージを控えていた合宿では、もっとテープに録音するなど積極的であるべきだった。

いろんな意味で余裕をもつべきところもあった。

 

我々のような技術も声もない者達だった分、技術を短期間で教えるよりは、というところでの指導の意味もあったが、普段のレッスンよりはるかに、精神的なところの指導、気持ちの入れ方、動かし方に関することが多かった。

 

私だけがそう感じているだけかも知れないが、ステージではとにかく気持ちを離さない、気持ちを動かすのが鉄則だと学んだ。

 

私は先生方の歌をあまり聞いたことがないが、その指導やレッスンも、先生の歌っている歌のようなものといつも理解している。つまり、常に聞いた後、我々が考えさせられ、大きな影響を与えられるのは、コメントも歌ももう同じではないかと思うのである。

 

コメントでは必ず、我々を突き動かしてくる。与えてくる。この関係がないと、歌もまた、価値を失ってしまうと考えた。

 

トレーナさん、フレーズの立体感、及び人間的なおおらかさ。

 

「なんでそんないマジメなん、もっと楽しみや」「何、ガタガタいうとんねん、歌えるもんなら歌ってみろ、くらいに思っとっていいんちゃう」こういうことばにハッとすることが多かった。でも、同じステージに立ったり、一緒に作品を作ろうとするとき、こういうことをいわせたらダメなのだろうな。自分の課題ですね。

 

もっと成長するための。一緒にユニットの作品づくりができて、楽しかったです。ボツッたものもありますが、それらは今後、何かにつながっていくものだと思います。

 

今回、自分なりにすごく悔しかったこと、うまくいかなかったことありましたが、いい歌を歌っていきたい、いい作品をつくりたいという気持ちは誰よりもありますので、がんばりたいと思います。

 

なんかとても、なごましてくれる。柔らかくなれる。

 

B班の人々。日頃の練習がうかがえて、合宿でその力を発揮することができるのだということがわかりました。

合宿は、その確認で、日頃の練習なくして合宿はないのだろうということを再確認しました。

特に歌っていない人の視線など、雰囲気は、歌っているつもりになっていると一体感が出てくると思いました。

 

 

 

5.次に向けて

 

 

6.総括 結局この3日間、何ができたと思いますか

 

 

“この3日間のような人生を送れたら幸福なのかもしれない”と精一杯やること。共有し合うことの素晴らしさを学べた。

 

何もできなかった自分を、嫌というほど見た。

 

いつもと同じだけど、私の自信をそぐ人がいっぱいいる。

 

 

 

7.今後の通常レッスンへの課題

 

日頃のレッスンの大切さ、とりくみ方、自分のポジションで即座にとれることは緊急の課題、何かが出せるように本当に日頃、入れておかなければならないことがたくさんある。

 

徹底して深い声を出せる体をつくること。歌い込めば込むほど、声がどんどん浅くなってしまった。

確実なポジションを次の合宿までにつくりたい。

 

イメージトレーニング。歌っていて、この目にその情景が写るぐらい、リアルにイメージする練習を徹底する。

イメージがないと逆に、歌を見せる意味がなくなる。

自分の吐く息と声で、まずは歌い手の目には写るぐらいイメージをつくり上げる。

 

短時間で体のコンディションをベストな状態にもっていくということ。

 

まずイメージ、ことばを大切にする。展開にとらわれすぎて「伝わる」ことをおろそかにしない。

 

自分をもっと見ながら進んでいくということ。表現、世界、イメージ。

 

 

 

 

8.次回、合宿でやりたいこと、今後の研究所のレッスンへの期待、要望、改良点、その他に伝えたいこと

 

今のレッスンでもやっていますが、サビにどうやって持っていくか。それまでの過程の大事さを知るレッスン、ことばの重要さ、どうとばすのかのレッスンなどを引きつづきやってほしいです。

 

音と人と時間を共有、共感することをより大切にできるレッスン。

 

ことばだけの舞台もいいかなと思う。それができないのに歌もなにもないから。

 

研究生の一人ひとりのテンション、集中力が、レッスンを高めるということ。

他では学べない場であって欲しいです。

 

自分たちの班の脚本について感じたことは、自分たちのなかで、ここではこういう空気を創り出すみたいのがまったくイメージできていなかったように思います。

 

全体のなかでその場面の役割が見えておらず、その場面だけを見ていたように思います。

 

本当にピアノがなかったら、ただ「ザァー」と歌が流れてしまっていたように思います。相乗効果的なものが感じられず、何を受けて、これはこうなるというのでなく、単品でバンバンバンと並べてしまったように思います。

打ち返すのに精一杯で、コーナーのカドをねらってやろうとかでなく、常に一方方向で流れてしまったと思います。

 

福島先生が合宿初日に「この3日間は3年、へたすると10年、30年、100年分に相当するかもしれない。それぐらいの内容だ」とおっしゃっていた。そのときは、そこまでそのことばを信じたりはしていなかった。それが、今になると本当に、実体を伴って理解できるのである。装飾でなしに現時点で自分の今までの3年分か、または10年分にも、ややもすれば匹敵するかもしれないのだ。

というのも、私がたった3日間のなかで、二度も泣いてしまったからである。しかも、人前で泣いてしまったのだから、これはもう何年振りのことだろう。むろん、泣きたいときは何度かあったが、自分はそのどんなときにも、耐え抜いてきたのである。ちょうど3年前、一度だけ泣いてしまったことがあったが、そのまえはもう小学校の喧嘩のときなんかになろう。そんな私が3日で二回泣いた。それも、悔し涙や悲しみの涙以外の涙を経験したのは、正直初めてのことだと思う。感受性の強い誰かにとっては、涙は普通のことなのかもしれない。しかし私にとっては、ある意味、究極中の究極ともよべる経験であり、証なのだ。

まず、2日目の夜、トレーナの歌が最初だった。自分は歌を聞いて、しかもあるアーティストの曲か最初の一回、聞いただけで大泣きしたことなどなかった。確かに悲しいことがあったり憂鬱なときに、そんな雰囲気の曲を流してみては、独り涙することはある。つまり、曲に期待し、自分から自分の見に引きつけたり、あるいは曲に自分を投影することで解釈し、感動するというものである。ちなみに私は、トレーナの歌は聞いたことがなかった。ちょうど二日目の深夜近くで、我々が疲れ始め、集中力が保てなくなっているとトレーナーに指摘された頃のことだ。時間もなくなり始め、焦るというより、どこかため息してしまいそうな我々を見て、トレーナが「じゃあ、私は一曲歌おうかな」といって上着を脱いでくれたのだ。トレーナーが、歌の始まる前に「声が大きいとか、そんなことだけを聞くな。よくよく聞いて、感じること」と加えた。「Time to say goodbye」がピアニストのピアノで始まる。トレーナが構える。大音量でくるかと思っていたが、そんなことはなかった。深い声を出すためか、かなりあごを引いて、下から声を絞り出すように歌い始めた。いわば、初めの1、2フレーズ(Aメロ)は、体から半径1mぐらいのところで行なわれているといった感じだ。声の音色は、カンツォーネふうの太い声だった。だが、声自体のことは、プロの正しくそれではあったが、特別個性的で強烈、印象的というわけではなかったように思う。しかし、誰が聞いても、ああすばらしく、深くて、ひびく声だといえる種のものである。Bメロに入る。半径は1mから1.5mくらいに拡大する。そう、声というより、何か空気というか、光のようなものが強烈に残っているのだ。だんだんと空気の幅が大きくなり、その枠をなぞるように超えてくる線が出てきて、Cメロ(サビ部分)に入る。「Time to say goodbye」のフレーズは、なめらかで大きいが、慎重でゆったりしていて、それほどクセをつけない。どこか抑えていて、逆に聞き手はそこに何かを自分で感じるスペースを発見する。また、どことなく大きな波がくることを予感させるフレーズである。「海に射す陽に」の部分は、もう津波がくることを完全に知ることができるために、いつしかこちらはグッと身構える。「祈りをささげて」先生が、すべてを賭けるかのように張り上げる。半径は3mぐらいから、我々の頭上を超えていく。まさに、下から水をかけられるかのように、ブワッーと“風”がきた。その際のビブラートなどは、ピアフなんかのそれのようだった。ブワッブワッブワーときた。ゾッとした。歌は続く。思わず目を奪われる光景。見ながら、「(これは本物だ)」という、そのことばが確かに頭をよぎったのを憶えている。今、考えてみれば「これは芸術だ」という意味と、「これは技術や人を感動させる歌い方だから、というものでもなく、また虚構じみた心でやっているのではない。本気だ」という意味が含まれていたと思う。

2番に入る。フレーズの線は、歌い手の周囲で、光のバリアのように存在していて、確かに起こっていて、それが重なるように押し寄せる波のように、こちらに迫ってくるのである。その場の光の枠を見ているのだけれども、見ていたものが次の瞬間、空間をつたってこちらを通り抜けていくのだ。一つひとつ解釈している暇などなかった。口を開けて見てしまう感じだ。2番のBメロのところだっただろうか、私がグッと見入っていると、トレーナと瞬間、目が合った。私は客だ。批判的に少し攻撃的に見ているから、視線をそらすわけはなかった。そうしたら普通、相手の人は深い意味はなくても、目をそらしてもよいところだろう。だが先生は、決して目を離さなかった。それこそ何秒間か続いたろうか。

「見てるか、じゃあ見とけ、見とけよ」といわんばかりに、私をにらむかのようだった。いや、にらみつけるというより、受け止め、さらにその上で越えていくかのようだった。「見せてやる」といい終わると、また再びその壮大な世界の構築に立ち向かっていった。Bメロの最後「コンメ、コンメ、コンメ」のところはすばらしかった。思い残すことなく、サビに入っていった。「Time to say goodbye」(今までからの出発)先に見える光、はるかかなたに拡がる宇宙。「記憶の波間を」のところ。高揚し、すべてを放つような風が、我々に吹きつけられる。床から天井まで、並みが支配している。ブワッーとくる。さらに、次の次元へと進む。「さよならの時」「涙より哀しい」最後はどうまとめたかの記憶はないが、終わるところで終わった。次の瞬間、私の口からとっさに「オオーッ」という声が出てしまった。皆も、しぜんと拍手した。

その後、トレーナが、「舞台での揺るがぬテンション」のことを話してくれ、トレーナーも、いろいろ我々にコメントしてくれていた。だがそのあと、何の話だったかよくわからなくなっていた。内心「おいおい、何だ何だ」、「ちょっと待ってくれ」といった感じだった。心の動揺が止まらなかったのだ。胸のなかがグルングルン回転していた。落ち着こうとしても、どういうわけか心がおさまらなかった。自分では必死に、何か自分がおかしいのではないか、一体どうしたっていうのか、と思っていた。そう、頭のなかはかなり冷靜で、離れて見ているところもあったのだ。終わったときは、ただスゴイと思っただけだった。抑えるのに四苦八苦しているうち、とても幸せな気持ちに一瞬なったような気がした。次の瞬間、前が見えなくなった。大粒の涙が、ぽたぽた落ちた。

わからない。わからないけど、全身で考えていた。哀しいのでは毛頭なく、嬉しかったし、がんばらねばと思った。どこか安心感もあった。充実していた。いや、これに負けてはいけない、これを絶対、いつの日か越えるんだ、とも念じ込んだ。このとき、自分のなかで、決定的なことが変わったと思う。それが何か、まだことばでは認識し、表現できないけれども。とにかく、この私が人前で嬉しくて泣いてしまった、

ここでトレーナの歌を、自分なりに分析してみたいと思う。①やはり体が充分にあって、声は深く、強く、それでいてクセがなく、無限の可能性に通ずる道のどこかに位置づけられるものだった。体が歌の基礎にあり、音を動かす確固たる基点というか、空間の基点としてあった。声についてはどうか。一般の人は何でもそうだが、音楽もまた自分の好みに合ったものを、好きだから聞く。好きで選ぶ。その点からいうと、毎日聞きたい音楽、毎日聞きたくなる声なのかと問えば、私個人としては好みの範疇にあるのだが、歌自体をあまり聞かない人などは「ああオペラっぽい」などといって、この声は「好きだ」とはいわないかもしれない。ただ要点としては、先生の声を誰一人として「よい声だ」と思わない人はいないのではないかと思うのである。その声を「すごい」とは認めざるを得ないものなのだ。

②だから先生の歌の最大のポイントは、歌全体としての“普遍性”があるということだ。今、述べたように、声としても否定できないものがあるし、現にかなり批判的に身構えていた私まで、歌の世界のことがそれほどわかっていない私まで、全身を震わせてしまったということがある。まわりで聞いていたA班のほとんど誰もが、多かれ少なかれ、衝撃を受けたはずのものなのだ。つまり我々にもわかるほど、“聞き手を選ばない”ものなのだ。しかも、この場合、先生は原曲通り、イタリア語で歌っていたのだから、事態はさらに大きな意味をもってくる。

我々は、それによって“ことば”としてこの歌を理解する術を、その芽を先につまれていたわけだ。音楽として聞かざるを得なかった。また確かに、ピアニストのピアノの表現もそれだけで充分、伝わるほどのものであったが、先生も我々の表現スペースを残しておいてくれたためか、ピアノだけを聞いて泣くというまでの経験はしなかった。したがってトレーナの歌は、歌だけで非常な音楽性をもつていて、ことばを越えたところの力があり、そっぽを向いている人でも振り向かせ、強い影響を及ばさずにはいられない、一般性があったということだ。あら探しをしても、否定できないもの、それだけの条件を数々、克服したものだった。さらに細かく見ていけば、③その歌には、聞き手の私にも描けるような明白さがあり、常に慎重で太いフレーズを「描いて」いた。

A班のほとんどの人が、ここで1年未満の人であったが、歌を歌おうとすると、体を使い切ろうとするために、声を身勝手に張り上げてしまう点で、かなり共通していた。曲の頭から全開で行くか、逆に情感を込めようとするためにクセをつけたり、体を急に使わなくなるようになるか、大別すればどちらかで、双方とも聞き手としては何ともならないものだ。極端にして唐突で、流れがなく拡散していて、最大によくて一瞬、気を引かせる程度しかない。プラスよりムダな部分が多くて、損をしてしまう。

一方、先生は歌のなかで声の使い分けというか、どこで見せ、伝えるかを決めて、予め想定して全体を組んでいた点がはっきりしていた。フレーズ中の強弱、部分の強弱はむろん、曲全体の強弱を有効に使って、いわば“論理的”に伝えていた。何も最初からトップギアではない。一つひとつは聞き手を離さず、納得させていけばよい。そして、盛り上げていくのだが、ここでも他のものと区別される点があった。聞いていて、こちらが「来るぞ」とか「そら行け」と期待できるほど、次のフレーズが誰も予想できるほど、展開がはっきりしていた。これは、曲を決して最後まで“裏切らない”論理性のような、しぜんな流れがあった。

④私は先に、歌のなかで終始、光を見ていたように思うと述べたが、先生自身は歌い終わってから「とにかくイメージを強くすること」を強調しておられたが、私の見たものというのは、このイメージ力によるものではないかと今になって思う。私の受け取ったのは、内容の詳細まではわかりかねても、先生がこの曲のなかに音楽的に、あるいは情景的に感覚的に抱いていたイメージの概念的な要素ではないかと考えている。イメージを明確に構築し、それを半ば可視的な次元にまで自分のなかで歌として表現する力があれば、歌は音楽というか世界のようなものとして、体験可能なものとなるようだ。この意味は、音楽の可能性として、私のなかでかなり衝撃的なものである。想像と現実の世界の壁が、大半の人が認識している以上に薄くなっているからである。

⑤さらに、リズムや音感、それに音色といった音楽性に関することは、歌い手にとって、ステージに上がる以前に、やはり絶対身につけておくべき必要条件であることは間違いない。だからこそ、曲を聞いているという聞き手の意識は、一瞬たりとも離れなかった。「アッ」とか「ムム」とか考えたり、否定するスペースを与えないことだ。音色もそう、無神経な地声を出すこともなければ、ことばの処理に戸惑うことも、あるいは少しのミスに動じるような思いもなくしておくことだ。それはステージ以前に準備できることであり、まず何をすべきかが学べた。

⑥合宿を通して、キャリアのある人に共通していたことであるが、とにかく声は拡散させず、むしろ声の枠なりフレーズの枠なりに、色や思いというものをていねいに慎重に集約させていくという、技術上の姿勢が先生にもあった。隙間だらけの声よりは、4や5の枠を一杯に満たす方が伝わりやすいし、聞き手に否定されない説得力がある。いくら見せ場がないからとはいえ、無意味ならそこを省くことから始めるべきだ。仮に、伏線を引いたり、静と動を効果的に使いたいなら、構成や展開を意識するなら、抑えるところこそ、濃厚で深みをつけるため、最大に集中しないといけない。むろん、クライマックスはそれ以上かもしれないが。/とにかく一を知って十を知ることのできる歌だった。こんな体験は初めてだったし、音楽にこれほど直接的に動かされたこともなかった。いや、とにかく、こちらの冷めた包囲網をことごとく打ち破って支配した点は圧巻だった。ただ「Time to say goodbye」という曲が、さよならの歌にも悲しい歌にも聞こえず、ただただ「がんばれ」と聞こえたのは私だけだったか。

 

 

 

 

(6)発表評価コメント(トレーナーの総評)

 

A班は、初参加のメンバーも多く、状況判断力の欠如から課題を見失っていた。リハ以降「なにもできていないのを見ること」に絞るしかなかった。すぐにマンネリ化するテンションの低さ。ピアノを聞き、音に集中することで精一杯だったが、そのなかで舞台に向けて気持ちが一つになっていったことが、本番でよい方向に作用した。できがよかったのではなく、正にそれしかできないということに焦点を合わせただけで、舞台の前提である最低限のことを尽くしたといえる。焦点を絞りやすかったという点で、メンバーが同じくらいの力だったのも、結果的によい方に出た。

 

ソロやユニットでは、ほとんど何もできなかった。決定的なのは音楽的基礎のないところ。音がとれないこと、対応できないことについて、もっと痛い思いをする必要がある。それができなければ何もできないということが、まだ身にしみてわかっていないのが、問題。

 

集中力、鋭さはそれに伴うもの。舞台を舞台側から見るというくせをつけること。まだ、よいものを見て感動しているだけの客である。どんなによいアイディアも、力がなくては伝わらない。アイディアがあるから舞台がもつのではないことも、舞台側の人間になればわかることだ。ピアニストからの数々の初歩的注意は、とても深刻なものである。厳しく足元の力をつけていくことが必要。

 

B・C班は、モティベーション、声のカ、判断力、経験値にメンバー間で大きな差があったため、リーダーにとっては、調整に難しかったと思う。実力の差はソロやユニットでは歴然としていた。力の示せたフレーズは説得力もあった。それが班の作品全体としては活きず、バラついた印象を与えた。

 

アイディアや個性が活きた部分もあったのだが、全員で歌うところにきては声で押しまくり、雑だった。全体のなかでの役割を鋭く自覚することが、いかに難しいかを感じた。一人ひとりが確実に自分を出せる状況であれば「歌い手とは本来1人なのだ」ということができるが、「意見の主張」と「実際にできること」を歌い手自身が混同していては、よい作品はできないだろう。個別に見れば、ある程度はっきりと、その原因は追求できると思う。

 

今、何を最終目標にしているのか、なんのための練習か。その点多くを学んだ合宿だった。みな、自分の考えがあり、自分はこういう理由でこうしたいということを述べている。しかし、他を見ずしてなんのこだわりか、ということだ。

 

「自分はこうだ」という自分に対し「だからなんだ」という視点がない。聞いてもらえるという前提だからそうなるのではないのだろうか。オーディションの意味も、まったくなかった。

最終目的に対してどこまで鬼になれるか、それを自分の意見を出すことだと思ってはいないか。周囲のモティベーションの低さにいらいらしているだけでは、何一つ進まない。鈍いのは論外だが、単に鋭いだけで©よくないであろう。作品のため、舞台のため行動すること。

そこには、他の人の使えるところを見いだすことや自分が引くことも含まれる。全員が同じ意識レベルになる必要も必然はないが、限られた時間と本番舞台を前に、こだわりばかりアピールするのは方向違いである。

 

 

 

 

個別評価A班

 

1.個人としての本来の力は出しきれなかったが、最も多く学べたと思いたい。

 

2.「ヨイトマケ」とソロでのフレーズを徹底比較せよ。なにが違ったか。

 

3.課題準備万端だったが、実力の差になるまで続けるしかない。落ち着いて声にすること。

 

4.勢いはよい。曲が入ってくるまで待つ。じっくりと聞くこと。

 

5.頭で混乱しないように。アクティヴィティはよい。フレーズを急がないこと。

 

6.クリアな声で全体を引っ張ったが、イメージを、これ以上できないというくらい大きくとること。

 

7.長すぎる。1音に集約すること。1音、一瞬の重みをもっと知る必要がある。

 

8.曲の構成、流れは体に入っている。自信を持つこと。

 

9.調整より、まず表現しきることに集中してよい。落ち着き、音感はまあまあ。

 

10.できることを的確に出せたほうといえる。だから印象を残せた。

 

11.音感よいが音程で聞いている。ヨイトマケでのよさと、他のフレーズ比較すること。

 

 

 

個別評価B班

 

1.全体の的を絞るのに苦心していた。個人的には「3001年」でのびのびと、見せ場を作った。

 

2.初日の脚本、ただ一人まともだった。

自分のなかでは確実に焦点が合っているが、グループ作業ではどうだったか。

 

3.声はよくなっている。もっと前に出てもよい。負けそうになっても負けないこと。

 

4.声による細かい表現力では、力は一目瞭然だった。ステージは無難にこなしていた。

 

5.自分のよい面が見えていない。いつもながら、設定ミス。

 

6.素直に歌っていたところに力が出ていた。合わせたところも、いつもよりもずっとよかった。

 

7.基本から足元を見直すべき。発声はすぐにも改めないと危険。形に走りすぎている。

 

8.体の動き、くせをとること。リズムから全部そのくせに傾いている。根本的に考えること。

 

9.周囲によさを引き出されていた。曲に入りやすかったのか、きちんと印象を残せた。

 

10.音の世界にはまだ疎い。声がよいのに、ことばの雑な扱いが目立つ。迫力、パワー不足。

 

 

 

個別評価C班

 

1.ひとりですべて引き受けすぎてしまう。もっと突っ込んで大きく切り、自分を前に出すこと。

 

2.「全力でやる」というのは取り組み方の度合いであって、「表現」ではない。

 

3.よさが引っ込んでしまった。焦点を絞りきれていない。

 

4.止まってしまうのは頭で考えている。実力を発揮して欲しい。

 

5.自分の役割がまったく見えていない。場に入りきる努力が必要。

 

6.力が入りすぎ。力を抜くために、もっと素直に音を聞く。

 

7.力はあるのに、舞台に立つ状態になれない。依存を捨てる=覚悟が必要。

 

8.一つ、脱しきれない。まだ他の人のミスが表情や態度に出る。

 

9.パート分けをすることで、歌も責任も依存しあい分断されている。1フレーズも1曲も同じこと。

 

10.同上。瞬時に入りきるには、それだけの覚悟と準備がいる。