「やり方と在り方」
なぜ、声ができたのかといわれた。
そもそも、自分でできたとかできていないとか思ってなどいない。
まわりがそういうだけ、
それはすべての人ではないけど、
それがすべての結果。
歌い手になるのにも、やり方があるとは思わない。
やり方がわからないのに、なれている人もいる。
どうしてかと思わないか。
声も同じ。
何をもってできているというのだろうか。
事実と現実をみて、“感じる”ことだけ―
表に現われた現象としての声と歌と、
その本質である表現と、
表現の本質である想い、
その在り方。
歌い手も声のでる人も、私のなかにはいない。
本や先生の教え通りにいくわけない。
だから、現実。それが現実。
そんなことをずっといっているのに、
まだそんなところで迷っている?。
なぜ、10年も20年もトレーニングが続けられるかというと、
そういう感覚になっているからで、
そうあるからで、
そうであれば、そうありたいように行動するでしょう。
それを結果として、誰かがトレーニングという。
でも、本人には、トレーニングではないから続く。
そしたら、そういう力が働くようになる。
私は、あなたのことを知らないから、とてもわかる。
あなたが知っているのは、やり方でありマニュアル。
あなたは、知って、すぐにできると思っている?
自分をずいぶん限定して生きている。
立派な社会人になれた?
今のあなたのわからないあなたが出てこないと、
誰も魅きつけられない。
発声や練習や方法をやるな。
だから、おかしくなる。
なっていないか。
人とこの空間を共有し、
楽しい時間に変えたいと思っている?
当のあなたが、拒んでいるのではないか。
歌や声で認められたいって、
そんなやり方でいいのか。
だから、こうなんだよ―。
開かれたか。、あなたの心。
そういうあなたが、あなたから離れないと、
どんなやり方も、やり方だから、うまくいかない。
在り方が、とっても大事。
でも、そう在れないから、トレーニングする。
わかった?
わからない!
そういうもの。