一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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昔はレコードを吹き込む前に、刑務所などの慰問に回らされたのだといっていた。歌は情動が支配する。容姿、風貌はその人の持つ情動を表現している。犯罪とて、情動がある一定方向にお集約されてしまったがため、引き起こされた結果だ。GEININ(表現者)たるもの、およそ、人の世の感情の機微、情動に素早く反応しなければならない。なら、刑務所に単身乗り込み、受けて帰ってくる自信がなくて、何がアーティストかという答えにいきつく。例えばカンツォーネ、私たちがフレーズを学ぶための材料として、身近にあるカンツォーネ、ある人は研究所で出会い心から心酔し、あるいは先生のノウハウを少しでも盗もう、追いつこうと、またある人は、この村で成り上がるため、一所懸命学んだかもしれないカンツォーネ。もし外に出て通用しないというなら、まだ自分の声の情動が人を動かすところまで行ってないと、自分の声を見つめ直すか、それとも機敏に選曲をかえるか、解説をし、構成を工夫するかは各人の資質によるだろう。企業から仕事を請け負う、イベントプロダクションのようにプロモーターは仕事の報酬を正当に受け取ればいいと思う。

けれど、GEININがプロモーターに所属するのはヘンだ。GEININはスペシャリストのマネージャーと税理士とに、明確な雇用関係を結ぶべきであって、プロモーターなどという、架空の親はまったくもって、幻想であると思う。

 

“めざすなら世界をめざしましょうね”っていわれて、そんな言葉聞いたのは初めてで、ホイットニーやダイアナ・ロスみたいな歌と日本人はまったく別物と思っていた。けど、日本の芸能界に生理的な不快感はつのっていて、大人になってから自分が観たいと思うものがひとつもなくなってしまったのも事実だった。“歌”っていうひとつの分野で区別する方が考えればおかしくて、それにポップスでも、どどいつでも、ホーミーでも何かしら共通の考え方や役割があるはずだ。届ける情動であるとか、秩序ある伝統が醸し出すところの畏敬ある情緒、生理的な快感、どちらボールで汗流して(あー気持ちよかった)というみたいな、etc.で、その根本的な差異を見つめて埋めていこうって面白いといえば面白くて、革新的といえば革新的で、とーぜんといえばとーぜん。で、直感的に思ったことは、じゃあここに示された欧米との“差”を埋めた上で、自分のなかの日本人を思いっきりアピールすればいいんだってことだ。(日本人なニュアンスのフレーズはいいのか、悪いかわからんけどダサ面白い、声に限らない)

 

There's a hero/If you look inside your heart/You don't have to be afraid/of what you are/There's an answer/If you reach into your soul/and the sorrow that you know/will melt away(マライア・キャリー・「ヒーロー」) もしgreen green greenって歌詞があったら、“みどり”って訳なワケですけど、訳といえど、たかがキーワード、イメージのヒントであって実体はない。究極皮膚でもって(green)と感じられるまで高めていくしかない訳ですよね。英語のボキャブラリーの多い、少ないとは関係ナイと思うんです。で、HEROですが、私にとってはまだ(ヒーロー)でしかないので、ここではあえて、訳詞を眺めてみたいと思います。漢字、かな交じり文の日本語は絵を眺めているようなところがあり、視覚でイメージが湧きやすく、便利なのかも知れません。やはり文化が違うのですね。 ながい道のりになるわ/世界にひとり立ち向かう旅/誰も手を差し伸べてはくれない/頼れるものは自分だけなの/心のなかを探してみれば/息づいている愛が見つかるはずよ/今まで感じていた空しさなんて/跡形もなく消えてしまうわ/ でもって、なるべく耳を閉じて、文字という“視覚”のもたらす情感でもって、曲を感じる試みをしてみたいと思います。何となく、“感情”という線も円を描いているような気がします。邦文では、叫ぶ詩人の会の♪ロック・万葉集の歌詞のなかからホントの万葉集らしきところを抜いてみたいと思います。 

葉は芽生え 茂りていかん 爛漫と 

あかねさす紫のゆき漂野(しめの)ゆき 野守は見ずや君が袖振る 

人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて苦しかりけり  

なんとなく線は~な気がしませんか。 

上を向いて歩こう/涙がこぼれないように/思い出す 春の日/ひとりぽっちの夜(上を向いて歩こう)  見上げてごらん夜の星を/小さな星の小さな光が/ささやかな幸せを歌っている(見上げてごらん夜の星を)  根拠のないのがキビシイですが、この二曲は言葉の情感とメロディ、五線譜のニュアンスが一致しています。歌が求めているのは案外、秀逸な日本語ではなくて、言葉の情感のリズムの線と曲(フレーズ)の一致なのかもしれないと思います。このあと、サラ・ヴォーンとか、やや重低音気味のジャズを聞いてみて下さい。何となく同じメーカーのクレパスで措いているって気がしませんか。作曲のきまりのことはよくわからないのでうまくいえませんが。ドイツの文豪のゲーテの詩などの情感のリズムは比較的日本人と似ていると思います。  気持ち良い生活を送ろうと思ったら/済んだことをくよくよせぬこと/滅多なことに腹を立てぬこと/いつも現在を楽しむこと/とりわけ、人を憎まぬこと/未来を神にまかせること(処世のおきて)

 

集中講座とか、ライブとか、合宿とか、イベントの後に起こる不思議な気持ち。三月に一回電池切れしそうなときに出かけては、モチベートを分けてもらっている感じ。課題を与えられてパニクって、終わったらまた、一から始まる無力感。そういう場の設定がなくても、毎日を保てなくては育つことなどできない。/初めの頃持ち帰れるものといったら、テンションとか、やる気とかその場の放つ滋波のようなものだけ。お祭りの縁日、コンサートの観客。先生がよくいっているような“一瞬をつかむ”とかいったことは、しなやかな体や、自分のなかの耳や感覚が開かれかけて、程度の差はあれ、気付かずとも、高次元の自分が扉の外のひとすじの光を認めていて、開かれるのを待っているときにしか起きないんだろうな、きっと。(入ったときから体や感覚のある人もいるわけだけど)。/自分のなか深く入って取りださないといけないものなどあり得るのか、ぱっと取り出せるものしか自分でないのではないか、それが才能というものではないかといつも頭で疑うことと内側とのせめぎあい。そういうものだと周囲にも教えられてきたし。育った環境も含めての適性であるに違いない、誰にでも得意、不得意あるわけだしと。/内からの覚醒なり、熟成や、体や感覚や、技衝の積み重ねを待って―どこよりも時間を見る―というのは、ここの不思議なところだ。

おおよそ町のおけいこごとと呼ばれるところに行くと、誰が先生のお気に入りか一回行けばわかる。トロい子を先生が内心ハナで笑っているのもわかる。子供は5つや6つで大人の癒着社会を知らねばならない。自分で面白いのかどうか感じる時間なんて待ってもらえない。善良だけど、こころを伝えるつもりがないのかな。生徒を可愛いと思わなくても、芸術のこころを伝えようという使命感だけでもいいけどな。夜の街にたむろするミュージシャンは不安定な自分たちの生活を卑下する振りをしながら、実は自慢しているニュアンスが見え見えで、素人もサラリーマンも社会もバカにして井戸のなかの蛙。人の時間を奪っているのは若者ばかりと限らない。

何でもそうだろうけど歌は歌詞があったり、声があったり、想いがあったり、バンドがあったりいろんな要素で構成されている。サッカーだったり、受験勉強だったり、音楽だったり、夫婦生活だったり、子育てだったり、ひとつのことを通して人は人生とか、愛とか共通のものを学んでいく、そんな材料(テキスト、教科書)を自由に選べない人もいるが、セルフ・サービスのカフェテリアの列にならぶようにあれこれメニューを迷っている人も多いはずだ。/

 

先生なり、トレーナーなり、昔見たスポ根ドラマのように、負け試合を臨んでいくイメージでアドバイザーと向き合うやり方もあれば、わかるところだけニュアンスを汲み取って聴講する方法もあるし、しばらく留学してエッセンスを故郷に持ち帰るというやり方もあって、そのスタンスは自分で決める。必要なことは〈強く自我を知覚する〉ことだと思う。<自分>という道が一本通っていれば、多少長かろうが、短かろうが、そうそう間違えないはずだ。ただ、音声を伴っていたり、情動を伴っていたりするもの(音曲ならなおさら)は心地よくなってしまいがち。音楽を皮膚で受け止めるための前段階、ヒントとして言葉というキーワードを与えられて、そのヒントという風船をいくつつかまえるかが真剣勝負、障害物競走なのに、磨かれた声であまりに数多く吐き出されたりすると、頭の回転ついていかなくて、ふーって気持ちよくなって、入っちゃうけどそれじゃ、自分が業務用の大きな掃除機の吸い口に吸い込まれてしまったねずみの気分。掃除機のなかっていう胃袋のなかでバタバタするのはいやだ、いやだ。そういった危険をいちばんはらんでるのが巷の新興宗教かもしれない。(放送コード引っかからんやろうな)/ほんとうは誰も自分のことなんか知りたくないのかも知れないね、自分と違うものを自分だと思いたいし、目の前の瀬戸物でできたマリア像を自分だと思いたかったり、しがみついてつかまりたいのかも。目の前の瀬戸物は“せともの”だし(ところ変われば“コンクリート”と呼んでいるところもあるかもしれないね)、あまり強く握ると割れちゃうね。―恋人も子供もあまり抱きしめすぎないように。/現代女性の“自分探し症候群”はよくいわれていることだ。何かにしがみついていれば、所属していれば、オカネの続かないことを気に病むことはあっても、時間の空白に悩まないで(気付かないで)すむ。けどみんな、浦島太郎のように、気付いたら刻まれていた深いシワにまで自分で責任を持つ覚悟でなんかやっていない。本当は生きがいなど云々せず、特定の誰かのために存在しているような女の人が-番かっこいいと思うのだが(今じゃ自意識過剰かおせっかい焼きばかりと思うけどネ)、それもまた向き、不向きなんだと感じる。ザンネン乍ら私もご多聞にもれず、生き方うんぬんするし、自分が自分であるようにどこまでも探すだろう。(でも、もし私が男ならこんな自意識の強いオンナは大っ嫌いだ)。/日本の高校に交換留学で来ているアメリカの女の子のエッセイだけど、みんなどこの大学に行くとかの希望ばかり語って、卒業して何をするためでないのが奇妙に感じたという。欧米にコンプレックスばかり持ってもしかたないけど、確かに日本人は自分の好み、傾向を知っていくこと、選び続けること、個を知覚することや今の自分の現状の限界確認とその対策などの訓練を続けることをしていない、まったくもって慣れていない。それで二十歳過ぎて社会に出てからあわを食ってじたばたしている。でも知らない方が幸せな人は知らないようにできていて、その方がいいように思う。本当は探してないのに、ドラマやマスコミにあおられて自分探ししているのかもしれない。ファッション雑誌の流行を追って洋服を変えることと変わらない。でもどんな食べ物が好きで、どんな音楽が好きで、どんな人と暮らしたいか、何をしているのが楽しい人か、お金をどれくらい欲しいと思っている人か、自分のお母さんのことをどのように語る人かetc.エトセトラ、暮らしが快適になるよう適当に知っておきたいこともあるかな。年俸制とか、日本のサラリーマンの性格に合うのかなあとも半分疑問だし、リストラ・リストラってうるさすぎるのもなんかうさんくさくて、政治や経済はさっぱりわからないけど、動かしている人が少しでも、内に実感を持って、確信の尾っぽみたいのがあって、していることならいいと思う。/だいたいみんな幸せのことを、不幸の対局にあるかのように、ぎょうさんにいい過ぎなのだ。エライ人は皆、(成功をイメージして喜びを先取りした)っていうけど、空しさの先取りはきっと内緒にしているんだろう。生きる意味だとかなんとかよくいわれる。人生にどんな大命題が隠されていようとも、大なり小なりそうそう勝手に終われないから続けてんだよ。幸・不幸は「赤と黒」のようにいわれるけど実際は「オレンジとだいだい」「黄色とやまぶき」の間を行きつ戻りつしていることの方が多い。ただ自分でいられないと内側に葛藤が起こって、心身に悪い。健康を害するより80年の孤独のほうが忍びやすいと、それくらいにいってもらった方がまだ信用できる。

 

 

関西集中講座 心の音を聞くことはできない。体からの言葉を発することのできない現代のヘレンケラー達。個の知覚がなく、愛情と略奪の区別もつかない大きいものに惑わされ、。暗示をうけることのないように。肉体の静寂に耳を貸そう。あなたのなかに寄宿するいちばんの親友が道案内をするだろう 

 

音にするためのモノローグ 小学校に入ったばかりの、体育の時間。用意された二段の跳び箱をやりすごすと、マットにベチャッと両手をついた。思わず斜め前の女の先公見上げると、ざまあみろとでもいいたげに、口元をゆがめて笑ってやがった。昔は背が高かったから低すぎて勢いがあまったんだよ。それから跳び箱の前に立つと足がふるえるようになった。一年生と呼ばれた頃、わたしは自分と同じ6才の児童たちとどう接していいかわからず、学校というところがどういうところかあまりにも無知だった。ペンキの塗り方を教わるように、父に友達の作り方を教わると、“他人は信じられないから友達は作らなくていい、本当のことをいえばみんなに笑われる”のだといった。あんたの四畳半劇場、表現したかったのは“遠くを見つめる大人の眼”。今度からは気をつけて、きちんと木戸銭恵んでくれそうな客選ぶんだね。名古屋のホテルの地下一階の公衆電話だったよ。そいつは歩み寄るでなし、逃げるでなし、たたずんでた。私も押しかけるでなし、立ち去れるでなし、たたずんでた。7cmノヒールも、マニュキュアもすべてがムダだった。目の前が真っ暗とか、奈落の底とか、本で見たことのある言葉を味わっていた。3年後のプロジェクトでこっちにきたときなんていったと思う。“もう少し早く来てくれたら4日間一緒にいられた”。そいつにもセリフ振ってやろうよ。“君が大きくなって大人になり、世間を知って僕の理想的な愛人になる日を待ってたんだ”そいつが本音を認めた方が事はずっと簡単だったけど、自分のことをずいぶん善人だと思っていることが私にはがっかりだった。そんなとき、六本木のHIROKOが、いつも私が店に来るのを感心しないそぶりの、愛想のないママのHIROKOが、言葉が流暢だから日本人には違いないけど、性別はよく知らないHIROKOが、まっすぐ力強い眼でニコニコ笑って私のところに来てくれた。おぼれかかっている人間を受け止める決心をして、言葉を飲み込んだ態度はとっても男らしかった。いままで出会った誰のこと思い出しても嬉しくなんかならないのに、HIROKOのことだけ、おナカにカイロがあたったみたい、思い出したらシアワセな気持ちになれるんだよ。声で表現するんだって。しっかりとそのように聞こえるように音に気持ちをこめるんだって。できそうな気がするのはね、HIROKO、そいつのこと思い出したら腹わた煮えくり返って、紙に言葉をのせるくらいじゃ、そんなんじゃ納まんないんだよ。会っても声かけんな、アレって眼もすんな、自分でいうのはムカツクからHIROKOがかわりにいっといて。 

 

音にできないモノローグ  1900年。14歳春。みーちゃん(仮名)というコと友達になった。美人でガラが悪く、いい根性で、私と違う、いわゆる“ススんで”いる子だった。どう見ても性分はヤンキーで、連れもそういった連中なのに、歴史に興味があり、舞類の宝塚ファンという、まあけったいなコだった。高校入学を控えて彼女がいうには、宝塚駅の劇場の裏に学校があって、そこの夜間に通えば、月一万で、月~土までさまざまな稽古事ができるのだという。そ~ゆ~世界に憧れや興味はなくはなかったけど、プロの舞台をめざそうなどという、芸歴、オカネ、家庭環境に恵まれた、生き馬の眼を抜くような、あつかましい、いかつい奴らのなかに飛び込むのはどうも怖いのが先に立って、クラブだって入りたいし、全然気乗りがしなかったが、14歳にしてすでに“おばちやん”の才があったみーちやんの強引さに、優柔不断にはっきり断りきれずにいた。こういうところに願書をだしたから、放課後に通うのだというと案の定父は、時代劇の桃太郎侍が悪者退治に行くときかぶっている般若(はんにや)の面のような顔して怒った。私はバツ悪く友達に謝った。でも結局4ヵ月の芸歴をスタートすることになる。願書の受付をしたY先生が、私が学校に行っている間に両親を呼び出してくれたのだ。いいところだったから、たとえ3ヵ月でも体に身につけるものは役に立つからということで許してくれた。4月半ばから、9月半ばまで、思いがけない15の春である。ふたをあけてみると、そのへん歩いている15や16の小娘がそうそう野心でぎらぎらしているはずもなく、みんなただ体を動かしたり、自分の十代を忙しくしたり、現実にはありえないはずの“夢を共有する”ことで満足しているのをほどなく了解する。いま思えば、踊りがしたいわけでも、歌いたいわけでも、ましてや巨大なひな段のような宝塚歌劇の舞台に立つつもりも毛頭なく、ただあの“場”にいたかった。静寂かつかしましいあの場所が当時の私にはゆいいつ息のつけるところだった。あの頃とてたぶんわかってたはずだ。でも世の中の多くのおばちゃんが立証してくれるように、人は現実生活の波を受けないことには、なかなか開き直れぬものらしい。理屈の裏づけをしてみたり、ちょっとしたカッコを気にするのが若さなのかもしれない。ただ芸事の世界には、社交界の裏を描いた西洋小説みたいな世界がままあるもので、聞かなくてもいいことも聞こえてくれば、いろんな力関係も見えてくる。それにあそこは器用な人の行くところだから、自分が感じるより早くそれらしくぱっと体が動いてないと万事休すだ。毎晩帰りの遅い娘に感情移入しすぎてくたびれ、もうそろそろ邪魔してやろうという深読みがあったかどうか知らないが、日本舞踊の振り覚えが悪く落ち込む私に父は、能の名手であった、観阿弥だか世阿弥だかの言葉を引用し(たぶんK先生がいっていた本のことだと思う)、およそ芸事というのは、一いわれて十できなくては見込みがない。1年で師においつくようでなければ、たしなんでもしかたがないと彼(世阿弥)が断言しているというのだ。世阿弥だろうと、ベ一トーベンだろうと、福島英だろうと、ブッダだろうと、先達の言葉は自分の感性のなかに取り込むものである。感じるこころをくもらせてはいけない。人の言葉にびびるのはやめよう。でもまあ、議論してもだるい。しかし振りかえってみるにまあ、まったくお茶の間の会話にとってスタンダードとはいいがたい。無粋だ。そのうち、“お父さんのためのお茶の間会話講座”でも設けたいと思う。宝塚音楽学校・別科と呼ばれた(今はもうたぶんないんじゃないかな)ところに、9月半ばで私は退学届けを出してみた。「出してみた」というわけは、どうやら私は本気で退める気がなかったようなのである。心のどこかで、もし私に脈があれば先頃のY先生が止めてくれるかもしれないという、いたずら心でちょっとした賭けに出たのである。“駆け引き”というのは、不誠実なオトコに対してのみ用いられるべきであって、自分の生き方に駆け引きなんて愚の骨頂、まったくのおバカである。Y先生は私の眼をじっと見で“しかたないね”って、名簿の名前に定規をあてて、赤ペンで二本線をひいた。頭で考えることのあさましさ。それまで自分を支えていた世界がなくなってしまったのを、やってしまってから知った。私は両親の思うつぼにはまったかのように、学校に焦点を定めた普通の女子高生になった。わたしが裏切ったみーちゃんは、生来のヤンキーの熱さが災いしてか、その後も熱心にやりすぎ、高三に上がることができなくて、学校をドロップアウトした。みんな進路の準備に気ぜわしい8月の夏休み、駆け落ちと称する家出を敢行する。うさばらしに街角でケンカをふっかけるにも似た人さわがせな結婚はほどなく終わり、彼女は生まれつきの、容姿と、弁舌と、“おばちゃん”さを生かして、一流クラブといわれるところで、財界人、芸能人、その他もろもろ相手に夜な夜なハイテンションな会話をくりひろげ、シャボンの時代に輝いて見えた少しおじさんめの羽振りのいいお兄さんと二度目の結婚をして、ヤンママとなった。振りかえってみれば、根がヤンキーのふたりは、おんなの園にはまったくの規格外である。方向性の違うムダな努力や、葛藤をせずにすんでよかったのだ。でもあの4ヵ月の芸歴と、おいてけぼりにしたじぶんの青春とみーちやんがなかったらBVに会うこともなかった。結婚式の司会のバイトでも探すつもりで説明会に行ったのに、ひょんなことからいがんでしまった。自分の考えの及ばないところでの出会いのことを人は“縁”と呼ぶのだろうか。一生のうち、何度もあることじゃない。わたしが入学できるよう取り計らってくれ、退めるときは引きとめてくれなかった今は亡きY先生、経済的その他もろもろのワガママを許してくれ、ハラハラさせた父と母、不公平をいつもこぽしていた妹にも感謝せねばならないだろう。私が裏手に向いている。向いていない。それもまたときが証明してくれるだろう。過ぎてしまえばそのプロセスだって発表できる。だけど向いている、向いてない誰が決めるの。何をもって成功と呼ぶ気。テレビに出て、CDを出して、それもまたひとつのめやすかもしれない。露出できないのがいちばんいけない。けど、電波を通じて露出したところで、個をジャンルづけされ、不本意な呼び名をつけられどうするんだろう。露出したがために歌が歌でなくなった人だってたくさんいる。そんなことが気になるうちはまだ歌の世界に入っていないのだ。歌はそんな狭量ではないはずだ。まあ、そんなことはどちらでもいい。私が将来成功したかどうかなんて誰にもわからない。―そのとき私の心の音がどんな音を奏でているか、わが劇場の観客は我のみであるのを知るべし。私が成功したかどうかなんて、たとえ死亡診断書が発行されたって誰にもわからないし、決して悟らせやしない。 

注)いまの十代の人は“ヤンキー”ってわかるでしょうか。渋谷や梅田のファイブあたりをウロウロするといつも、まったく交流のないガン黒コギャルに背後からそ~っと近づき耳元で“ブスー”と大声で叫んで逃げて帰りたい衝動にかられる私もまたオバハンなのですね。でもひと昔まえのヤンキーが、1歩間違うとボロボロになってしまいかねない危険性をはらんでいたのに対し、コギャルにはどこか守られているのを知った上でごんたしている、そんな大人のずるさを感じてしまうのは私だけでしょうか。 

 

言葉の抜き書き 音に実感を込めるために~おにぎりいくつ収められた。偉大なる歌たち。アルバムのように。人間として。たどりつく。無垢なこころ。傷つきやすい。変わることのない。素晴らしい。さじ加減。ダンボール。コンサート。オープニング。謙虚な人。過去の遺産。定刻に始まる。しわがれ声。ラテンな性格。日本人。夕焼けのトランペット。遠くへ行きたい。鋭い顔立ち。芝居の“どん底”。子供のこころ。かっこいい。アブナイ男。脳みそ死んでる。ショックだった。天国に至る。提示した音。誰かが指示する。脳みそぜんぶ楽器。オリジナリティ。思い浮かばない。星条旗よ永遠に。手作りな感じ。アイディアがある。指揮棒を振る。音の置き方のセンス。伝説の名曲。空手のリズム。アメリカ国歌。黙読のじかん。イメージが湧く。跡かたもなく消える。情感を描く。ホテルのラウンジ。肌にとびこんでくる。デビューアルバム。ながい道のり。世界にひとり立ち向かう旅。誰も手を差し伸べてはくれない。涙がこぼれないように。

 

グリコのおまけ 母がすっかり悩みの虫にとりつかれてしまった頃、私は子供といえば子供で、もう一人前といえば一人前だった。遠い眼の母の孤独を思わなくもない。。両親に父と母という名前はついているけれど、。父と母という実体そのものは存在しないのを知った初めかもしれない。自分という観客にカッコをつけて私は(ふ-ん)と白じんでみせただけ。いささか上手にあいづちを打てただろうか。人生に表と裏しかない時代。男女の機微を見せつけられても。密室での快感を白板で説明されるようなもので。ジャングルに住むバッタが敵から身を守るため。草の緑にカラダの色を変えるように。自分の空虚に気づくのを回避しようとして。母は子供に一生懸命なんだと思うことがある。けど彼女の空(くう)を決して母に悟らせてはならない守っていかなければ

 

プチBV教育 就学まえ 大音量にて外国語習得のための音源をかける。幼児は思い思いの姿勢で復唱する。子供は遊びの天才であるので、大人が繁華街のレストランで珍味の味覚を楽しむように、聴覚に遊びのニュアンスを見つけるだろう。再現できなければラーララでも、タラッタでもよい。

この2年間が、名指しで各人にやらせること、ならびに効果を確認すること一切必要なし。子供があきたと見れば他の外国語をかけること。。また、およそ音楽と呼ばれるもの、ひとの情動に正しく訴えるものなれば、子は大人と同じく楽しんでいるといえる。子供に童謡(わらべうた)が必要なのではなく、大人のノスタルジーが求めているということは、安田祥子さん、由紀さおりさんを見ればわかることだ。 

十代後半・レッスン開始10分前より、オールディーズ等にぎやかしの音楽をかける。

・定刻になれば、音を止め、明かりを消し、スポットの茶色い光をたよりに出席をとる。 

・大音量にて、東西さまざまな、音楽を抜粋で流す。曲目リストは帰りに配布するので、ここではメモをとる必要はない。思い思いの格好で30分ほど。 

・6段落くらいの詞を一つずつ輪読する。 

・前の人の息を受けて、間をあけず絶え間なく回していく。 

・自意織がなくなるまで、口をはさまず、ぐるぐるぐる、溶けてバターになるまで輪読する。

 ♯いずれにしても目的は生徒たちに、声をだしたい、歌い出したい衝動をつくってやること、叫び出したくなるフラストレーションが溜まるのをしかけることであって、何ら教えてはならない、評価もつけてはならない。 

 

HEY HEY HEYにジャネット・ジャクソンが出演してたとき、ダウンタウンが何をいっても、にこにこリズミカルに“Yes Yes”っていっているので、それを飲み込んだまっちゃんに“の~~”って話しかけたら、やっぱり“Yes Yes Yes”と笑顔で答えていた。そんなものなのだと思う。吉本新喜劇がNEW YORK公演をしたけど、大阪弁はたぶんに後拍であるのでリズム感は聞こえがいいかもしれない。でも日系人ばかり見に行ったんだろナ、きっと。こけたり、どつかれたり、体はっているし、言葉はイントネーションの雰囲気だけで笑えたかもしれない。これらのことはステージングを考えるうえで大変参考になる。多民族だけあって、美人や男前の基準も彼らはファジーで画一的でない。美人に造形美でなく、絵画のようなニュアンスを求める。個の考え方が比較的行き渡っているお国柄だ。日本人の豊かさ&おっとりさ、お人好しさも特異なのかもしれないなぁ。街を行き交う外国人のおカネに対するシビアさに、自分達の甘さを思う。自国への誇りがなければ外国人と対等(互いに研鑽しあう)には付き合えない。彼らには当たり前のことだ。わからないけどひとつだけはっきりしていることがある“無理をしない”ということだ。尊敬の条件とは自然体だ。話は飛ぶけど、人は誰でもその人の持つ味、おかしさを持っている。日本でいうところのタレントの適性とは、カメラを向けられてなお、向けられているからこそ、地でいられる人だ。これができそうでできない、技術であって技術でない。慣れではあるが、やはり1回でできないといけないことでもある。また歌の世界と同じくあるひとつの特性を拡大すればよい。美人は美人を拡大し、出っ歯は出っ歯を拡大する。それが“商品になる”ことだと思う。 

 

「音楽は宝捜しに似ている。掘り下げれば堀り下げるほど何かが見つかる。音楽はキューバを河のように流れている。人は音楽の世話になり、音楽によって徹底的に作り直される」(ライ・クーダー) 

サッチモと”今さらゴローだけど、ルイ・アームストロングを聞いている。当時トランペットで一番高い音が出せたのだとブエンナ・ビスタの人もいっていた。おそるべし体の強さ、深い深いところで力強いシンバルみたいにバーンって声を放っている。しわがれてて、人生の塩もコショーも唐辛子も、キャベツもジャガイモもケーキやシュークリームも詰まっててとってもあったかい。このエッセンスの小さな切り身でも何かもぎとることができたなら。前奏、間奏、楽しいトランペットがついている。サッチモはフレーズを練習(発明)するとき、自分で演奏しながら、とひとりでうけていたに違いない。人生のIQはユーモアの理解度でもある。もし、サッチモと掛け合いをするのなら、強烈に高いパッションで向かい合い笑える、面白いフレーズを即興で発明しないといけない。少年院時代に非凡な音楽のセンスを表わし、その才能の評判は塀の外までとどろいていたらしい。

 

ジェイムス・ブラウン宮本亜門(なんか思い出した)も、名をなしたアーティストはみんなとても閉塞的な思春期に音楽に救いを見出し、イメージの世界を羽ばたかせ、アーティストとしての礎を築いている人が多い。

 

先日、大阪のジャズのライブハウスに行った。東京からきた歌手がコンサートをするときには伴奏者として呼ばれ、関西ではいちおう名の知れた人たちのはずだ。でもその人たちの演奏は(どうだ、かっこいいだろ-)ってふうに聞こえる。形骸であることに客席も満足している。どこまで行っても憧れのアメリカで、自分たちがマイルスやコルトレーンと同じ人間だと思い及んでいない。

 

スワンダフルもなんか替え歌のギャグにしないと自分には歌えない気がした。いつまでもオシャレなジャズバーてのもどうかと思う。今をときめくジャズ・ポーカリストのハリー・コニックJr.やケイコ・リーは感覚はあって、雰囲気よく仕上がっていると思うのだけれど、昔の人の体から鳴っている強さみたいのがなくて味気ない。やはり現代という時代なのか。それに容姿で売れている感の人も沢山いる。シナトラとJr.と何が違うのかもう一度押さえてみる 

 

 

 

 

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おすすめ

 

シャーリー・バッシー

「something」(輸入版)声にも華のある、なし、お金の匂いする、しないがある。パッと声がとびこんできた。本人は意外と言葉で置いているのかもしれない。久々にピンときた。

 

アマリア・ロドリゲス

声だけで表現できる。情動、ひだ、これをステージ実習に取り入れる人ってスゴイなぁ。読み書き、そろばんの国ではできない技だ。しばらくじっくりつきあいたい。聞くことがヒントになるって最近ようよう実感できるようになってきた。

 

ジュリエット・グレコ

うまくいえないけど、ここでやっている“地声”のことetc.、こういう声につながってくのがイメージできた。フランス語は美しい言語ではあるけど。この人の声や世間に媚びない超然とした感じがうまく自分とつながればいいなと思った。石井好子さんも仏語で枯葉を歌ってたけど、やっぱりなんか日本人の感じがした。万年筆のインクと墨汁、とげがあって華やかでくきの細いバラと枝木を鑑賞する言葉を持つ国。

仏語でささやくモンタンはセクシーでとても素敵でうっとりするけれど、もし、彼が日本の男だったら、ふざけんなってケリ入れているかもしれない。でもないかな。言葉でたたみかけるのを練習(英語はムリな気が)。

ヘレン・メリルジュリー・ロンドンの溜息(これも情緒っていうのか)に憧れる。(ニュアンス)けど、最近の日本とかでこういうの聞かないなあ。私も英語に憧れる“日本人”ってわけだ。

 

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壇一雄 

命燃え尽きる時

我が道を行くには他に何がなくても身一つで生きてやるという覚悟がいる。壇一雄という人は本当に生きることにしか興味がなかったのだな。作家でさえどうだったのだろう。人間として、この世に生れた。それゆえ悲しいとか、嬉しいとか。この人はそんなものも通り越してただひとすら生きること、人間として生れた自分の創作意欲の捌け口が文字を書いていくことだった。そう感じた。愛に無関心なようで、愛を誰よりも求めていた人。そうでなければこんなに生きられないだろう。家庭と愛人との間を行ったりきたりする彼を私は最初、何ていい加減でひどい人だろうと思った。が、一方で人間の在り処をひたすら探り続けた人として映った。普通に暮らしていればそれなりに楽しいこともあり、それなりに穏やかで要られるだろうが、そんなごまかしに目をつぶって生きていくことに耐えられなかったのだ。とても人生を愛した人。壊れてしまうくらいにぶつかって、めちゃくちゃ生きた。そうして死が訪れる直前まであきらめず、泥臭さを求め続けて大仕事を成した。それは自伝ともいえる小説を書き上げるということだった。間近に死。それなのに“愛って何なのか”+“自足”ということから決して目をそらさなかった。その強さは一体どこからくるのか。答えが見つかるとは限らない。問いに足を踏み入れるのは怖くなかったのか。「何度敗れてもよろしい。敗れれば敗れるほど、底光りを増す」「多難であればあるほど、実りは大きい」「誰にも頼らず自由と勇気を願っている」これらの言葉を今の私は憧れを持って繰り返しいってみるだけで、言葉の向こうにあるこの人の人生を想像することさえできない。こんな自分は大嫌いだ。死んでしまえ。選択するか、否か目の前に突きつけられて一番見たくなかった子供の自分を見た。甘ったれた自分を見た。甘ったれた私を断ち切る。夢ではなくなる。現実になる。得られないものの方が多いのかもしれない。ただ得るために完全燃焼。生きることへの執念。何が起きようと私は一人でのたうちまわりたい。その方がはるかに喜びも、大きいと思うから。

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100人の20世紀マレーネ・ディートリッヒ

録音のなかに、マレーネの“リリー・マルレーン”が入っていて、解説にもこう書いてあった。“自分が歌うべき歌はどんな歌か、ということを知っています”この世の中で自分の存在をどうしてこんなに見極められるのだろう。「私はドイツ(祖国)が憎いわけではない。ヒトラーユダヤ人だという理由だけで、彼らを虐殺している。そんなヒトラーがこの戦争に勝ってしまったら世界は一体どうなるか」「ドイツの人々は、なぜこのことを疑問に思わないのか」祖国の敵となっているアメリカ兵と共に、前線をめぐり、歌う。身の保障なんてない。どこでどんな死に方をしてしまうかわからないのに。なのに、その2年半のときをマレーネは「このときほど、幸せを感じたことはない」と自分の娘に語ったという。今自分の生きる世界のなかでの自分の位置を知っている。その“自分”がするべきこと。“自分”の生かし方を知っている。“自分が歌うべき歌はどんな歌かということを知っている”こういうことを自覚するには。外に出て、前へ出ていくことだと思う。終戦マレーネは舞台へ復帰する。“歌うことで生身の人としての自分を表現した”「ディートリッヒのABC」という本、ぜひお勧めです。

 

A Night at the Opera

QUEENオペラ座の夜/クイーン)※ベスト盤でははなく、このアルバムで是非「ボヘミアン・ラプソディ」を聞いてもらいたい。名盤。

 

サウージ・サウダージ1、2

「想いあふれて」庭のプールサイドで、ギターを手にした男女が共に弾き語りをしている。二人にしか聞こえないほどの声量だけど、二人で楽しんでいるから、それでいいのかもしれない。会話しているような雰囲気を感じる。ジョニ・アルフ/ピアノのコードに乗せた滑らかなメロディ。ささやくように歌う。アントニオ・カルロス/歌手の澄み渡ったよく通る声にカルロスのかすれた(雑音的な音なのに)合っている。

 

美輪明宏 リサイタル 愛

この人は歌手というより女優だ。いや女優ともいっていいのかどうか。とにかくMCに期待させられ、歌に裏切られること全曲。振りと表情にはときどきハッとした。しらけたときもあった。たまに深く入っているところがあって、そこでもっと入れてパンパンパンともっていけばいいのにじれったい。退屈だった。なぜこんな歌い方をするんだろうと、聞こうとしたけど、聞くことができなかった。歌には入り込んでいる。でもそれも違う気がした。想いとか感情とかテンションとか、そういうものだけでもっていったら耳ざわりなだけだ。話を聞いても色んなことを知っていそうだし、いいたいこともたくさんありそうなのに、歌いはじめると、途端に説得がなくなった。銀巴里を見たときにすごい人だ。波乱の人生だと思ったけど、人生経験に比べて随分歌の方は貧弱なんだなあと思った。ステージの美輪明広からは、すごさが感じられなかった。前半の日本の歌は聞くに耐えなかった。雰囲気にひたりたいわけではないのにフワァ<フワァ<と、ずっとこれでつくってしまっている。後半のシャンソンも似たようなものだった。ピアフの歌も話だけは印象に残ったけど、まねなんだか何なんだかわからないような歌い方をしていた。声を変なふうに使い分けていた。本当の衝動ではないところで歌ってしまっている気がする。お腹が動いていた。バックの演奏ももたもたしていた。つまらない。ノリがない。楽しくない。躍動感がない。伝えきってくれないもどかしさ、感動しきれない物足りなさが残った。

 

アンリ菅野

「帰りこぬ青春」姿勢、表情ともに完全にステージの世界のプロだと思わせるものがある。声も美しい響きでうまくコントロールされている。しかし、歌はまったく感じられるところはなし。レッスンで、イヴァザニッキのバージョンを聞いたことがあるが、大きな感情のうねりをともなう、すごいフレージングに涙ものであったのに。アンリ菅野の場合は、きれいに外国の歌を一曲歌って、ハイ終わりという感じ。海外の原曲聞いたら、こんな歌い方絶対できないって気がするが、こうなってしまうのは、日本の曲に合わせている結果なのか。

 

アマリア・ロドリゲスの歌。

音程と音程のつなぎに細かな節回しが使われているのがおもしろい。ピアニッシモのところも確実に息を使ってコントロールしている。唱法がピアフに似ている。酒場で歌うシーン。音色から喜びとか悲しみとかすごくわかりやすく伝わっている訳ではないけど、ナチュラルで無理な感じがしない。リアリティーがある。声や表現が曲の雰囲気を壊していない。この映画を見て、最終的に感じたことは、「人を信用できなくなったら終わりだ」という言葉は本当なんだということだ。金持ちの未亡人に恋した男と、欲に任せて財産を得た女が愛し合うが、最後にはお互いの、過去の過ちが原因でわかれなければならなくなる、というストーリー。

 

ダニー・ボーイ

おじいさんが「ダニー・ボーイ」を歌っていた。一度聞いたら忘れられないような声だ。初めはちょっと耳障りだなと思ったのだが「オーダニーボーイ、オーダニーボーイ」までいくと、何か背後にこのおじいさんの日常が垣間見えてきたような不思議な感覚が働いた。言葉の表情を微妙に変化させたり、計算を働かせていない。地のまま歌っている。マリーネ・フェイスフルの歌。音程は正確だけど、言葉しか聞こえない。タバコ持ったスタイルが自然。

 

 

写真家、金村修

土門賞受賞(社会、人物、自然などのドキュメンタリー作品の賞)で知られる。彼の人生、彼のことばが心にひっかかったので書こうと思います。[15歳~]中学・高校とバンドのベーシストでプロをめざす。高校は2、3ヵ月で中退。超自信過剰の時代。自分を認めない方がおかしい。自分勝手の幻想の世界に生きていた。なんでもポジティヴ思考。できないことにオリジナリティがあるのではないか(→とんでもない勘違い)。音程がずれることに何か意味がある。人と同じようにいかないこと=才能があると思い込んでいた。約10年。[25歳~]写真と出会う。思いがけず友人にほめられた。写真学校で恩師・鈴木清氏の作品と生き方に驚く→完全にナメていたから、カメラなんて簡単だと。金持ちで嫌な奴だと思っていたのが、ペンキ屋をしながら学校の先生もして、自分の写真を追求していた鈴木氏に、こういう人もいるんだなと思った。体張ってがんばっているんだなと。→“180度の方向転換”。冷静に自分をみつめるようになった。写真学校では、下から1、2番→己の本当の位置を認識できた。“表現というのは自己満足じゃないところから始まる”。とにかく写真をとりまくる→ほとんどボツ。あるとき手応えをつかむ→自分が考えていた、やろうとしていたこととは違うことで、これがやりたかったことだといわれたような気がした。それが、東京の街のドキュメンタリーの写真だった。“世界があって自分がある、そうすることで自分がみえてくる”“被写体のために自分があるのであって、自分のために被写体があるのではない”。エネルギーはあっても空まわりや分散していると、発揮できない。一点に集中させること。[36歳]土門賞受賞。鈴木先生のことば「魂がふれあうような気がします」。今までほめられたことなかったから、胸にひびいたらしい。この年、先生死去。

彼が撮っている東京の風景は、普段、目をそむけたいところ、みんなが無視しているところの風景が切りとられている。日本より、まず海外で支持されたらしい。現在はアルバイトをしながら、1日100枚の写真をとっている生活。/この人の話が、なぜ自分にひびいてきたのかは、きっとこの人のやってきたことが自分にも共通する点があるからだと思います(特にバンド時代)。合宿のVTRをみて、とても痛感したことは、結局自分は何も出していなかったし、何も届けられていなかったということでした。すごく嫌な顔だったし、あれではお客さんに失礼です。でもみたくなくても、しっかり目を開いてみなければいけない、受け入れなくてはいけないと思いました。あれが今の自分だし、実際にやったことです。 現実に生きること、自分でつくりあげた幻想の世界では、歌は通じない。/歌は遠いものではない「今」のもの、「いつか」でもない、「今」が大事。/そのときどう出たか、どう感じたかが大切。それで決まるし、それでいい。/働きかけのないところには、何も発生しない。(働きかけ→・反応、反射。・特別な内容がなくてもいい、難しく考えなくてもいい。・深くなくて、浅くてもいいのだということ。・とっかかりが大事)/舞台で前に立つことでいえば、普通の人よりも×、劣っている(出たときは真剣なのだが、どういう表情をしているかがわかっていないのが問題)。自分のところで終わっていてはだめだということ。/先生が反省会でいわれていた「自分の頭で考えるのではなく、自分の頭を超えること、自分のものじゃなくなるとき、始まる」ということ。/表現は自己満足じゃないところから始まる。自分のところで終わっているのは自己満足だということ。それは表現されたことにはならない。/180度の発想の転換が大事。/自分が今までや、今からも自分のことで気づいてきたこと、人のことで気づいてきたことは、それがほんとにわかっているかどうかはわかりませんが(勘違い、間違っていることもあるでしょうが)、発していくことが必要だと思います。/いちいちわからなくても、できていればいいこと、それが大事。/人に問うてみて決まる。外に問うこと。出口のヴィジョンをもつ。/難しく考えなくていい。結局、結果オーライでよい。

 

サッチモ

一流の音楽を奏で、それを片手に歌も歌える。なんか格好いい。サッチモは、映画にも数多く出演していたようだが、そのなかで田舎で馬を世話する農夫のような役があった。スクリーンだけを見ていたら、彼の姿は、なんだかヨゴれの芸人みたいだ。もちろんそのなかでも彼は、一流の歌を実に楽しそうに聞かせてくれるのだが、農夫の役と歌の前の俳優とのセリフのやり取りが災いして、どうもみすぼらしいイメージが残ってしまう。その当時も、大人気の一流アーティストだったサッチモだが、人種差別によって役者としては、一人前に扱ってくれなかったらしい。

サッチモは、生前ずっと人種差別と戦い続けてみたいだが、ステージ上の満面の笑みを浮かべたパフォーマンスからまったくといっていいほどうかがい知ることができない。晩年になって白人に媚びていると誤解されてしまったのも無理はないだろう。ただ、あれだけステージで楽しそうに演じられる人は見たことがない。一流アーティストであったが、やはりお笑い芸人のようなひょうきんなキャラクターが濃い人だ。しかし、そんなサッチモもたびたび人種差別に苦しみを忘れるために麻薬に手を出していた。表面には、まったく出さなくても陰では相当、人種差別に苦しんだのがわかる。仕事でレストランには行っても、プライベートでは、まったく行かなかった。黒人は、裏口からしか入るのを許されなかったからだ。大人気の一流アーティストの彼でさえも人種差別の分厚い壁に悩まされた。サッチモのステージで、まず感じるのは、楽しさ、明るさ、そして温かさだ。あのダミ声が何故かとても温かい音色に感じる。彼自身もとても温かい人間だったんだろうな。彼は底抜けに楽しく、温かい、ステージを続けることによって黒人のみならず、世界の人に希望を与えた。こういった人種差別との戦い方もあるのだ。友人のトニー・ベネットがいっていた。「笑顔で毒を盛る奴が一番恐ろしい」自分も苦しんだのに、それを受け止めて人々に明るさ、温かさを振りまき続けた。サッチモは、真のアーティストだ。

 

スーザン・オズボーン

「ここに収められた偉大なる歌たちには、まるで家族のアルバムのように、人間として生きていく上で誰もが出逢う、時代を超えた普遍的な出来事が込められています。私たちがどこからきたのか、そしてここまで辿り着くのに、本当の意味で助けとなってくれたのはいったい何なのか。そう、たとえば、無垢な心や、希望や愛。そういった繊細で傷つきやすい、それでいて決して変わることのない人生の素晴らしい特性を、私たちに思い出させてくれるかもしれません。」(スーザン・オズボーン、アルバム“西美”の白身による帯の言葉)

 

 

【アダモ】 

コンサートのオープニングで(声出てへん)とか(伴奏音割れている)とかよく思うのは、耳が慣れるのに小30分かかるせいだろうか。席が前過ぎても音がよくないんだろうか。なんか○○ホールで“やったあ”っていう経験をした記憶があまりない気がする。今日で3回目。年に一回のキッス(この場合キスでも接吻でもなくキッスでしょう)を受けに花束の列にこそ加わらなかったが、50代のおばちゃんのなかにしっぽりはまっていた私。ミーハーに楽しみにしようと決めている。一部は新曲や社会的な試みをして、二部は“お楽しみ”昔のヒット曲の数々。あくまで推測だけれど、アダモは私の知る限り一等気持ちのいいアーティストだ。一部ではちょっとうつらうつらして、♪雪は降るでムクッと起き出して、アンコールの♪ろくでなしで(あ~楽しかった)って帰って行く人も多いと思うが、優しく、賢く受け止め、一部も二部も同じ平常心、新鮮な気持ちでずっとやれているのがアダモさんではないかと思う。人をくったところが全然ない。地元ミュージシャンの方が(一生忘れへん)と思うような失礼な勘違いのライブをやってたりする。半年に一回100人、200人くらい集めれてもプロでないんだと思う。戦後くらいの芸人さんにはこんな風に謙虚な人が多かったのかもしれないと思った。歌の前になんか舞意識、人間性でふるいにかけているのかもしれない。BVライブでも、ピアニストに気遣いの見える人、場に感謝の気持の伺える人ってなんか伝わる。セッションでは思いっきりやるのがマナーだ。日本にくるときっと過去の遺産で食べているみたいに思われるかもしれないけど、たとえそうだったとしても素晴らしいことと思う。歌はちょっとセピアなくらいが値打ちがある。/定刻に始まったのも、舞台に舞台を花道みたく継ぎ足して、超かぶりつきにしているのも、らしかった。お客さんからのお花がこれだけ多いのも最近あまりないと思う。今回前から3番目だったので、曲に合わせて表情とかがピタッと決まっていたのもよくわかった。回転のよさと敏捷さはプロの必須だ。漁師さん声というか、しわがれ声なのに実は小石がごろごろしてなくて真っ直ぐに出ている。たぶんもともとラテンな性格ではない。日本人と合うのかも。

 

ニニ・ロッソ 日本の詩情

代表曲の“夕焼けのトランペット”は中学の下校の音楽で、ご近所なので今もときどき聞かされている。古すぎて知らない曲が半分だけど、“若者たち”とか“遠くへ生きたい”とか、ベタな曲をラッパで聞くと、頭が(ジャズだあ)とか構えないし、音色が声みたいに(ふっ)っと変わるときなんかわかりやすい。寝る前なんかはなるべく歌詞の入ってないものを聞きたい。

 

仲代圭吾Ⅲ

仲代達矢実弟。兄の鋭い顔立ちとは対照的でそれが歌にも表れている。♪ボージャングルの冒頭で達矢さんが芝居の“どん底”でのセリフを挿入しているのだけれど、グサッと鋭くて(深さとスピードのある鋭さ)、澄んでて、すごくかっこいいです。声の特性でもって、本人までアブナイ男の人なのかなと思ってしまいます。個性とか感情とかを抜き取って勉強できるところだけ取り出すってのがまだよくわかってない。カンツォーネなんかにもいえる。

 

マイルス・デイビス天国への七つの階段&綾戸智絵seven steps to heaven~サラ・ヴォーン枯葉

 こういう例は探せば沢山あるんだろうがマイルスのseven stepsを歌うのを綾戸さんが思いついたのはSHOCKだった。―人が天国に至るまでには七つの階段がある―って曲想を知ってイメージが湧いたというならまだわかる気がするが。出だしのラッパの音を聞いて、単純に子供のこころで(カッコイイ)って思ったのかなというのが今時点での仮説だ。 

サラ・ヴォーンが“枯葉”をどういう気持ちで歌ったのかわからない。だいたいこのメロディのどこが枯葉やねん。たぶん初めに曲ありき。ベースやピアノの音のメロディを聞いて、“枯葉”っていう言葉や歌詞のイメージでなくて、編曲した人が提示した音を聞いて、その曲想を言葉でなしにシンパシーで感じて口から出たのではないかと思う。“スキャット”で歌えって誰かが指示したり、サラのスキャットはすごいから曲つくろうではなかっただろう気がする。彼女自身、脳みそ全部楽器だったんだ、たぶん。言葉で説明しちゃいけないのかもしれない。サラ・ヴォーンの口がラッパになっているみたいだ。吸い込まれそう。ゲゲゲの鬼太郎にラッパの役で出演できる。サラ・ヴォーンとこの演奏のトリオの“枯葉”のオリジナリティに匹敵できるものを日本人でというと、音源、曲想やフレーズ、声、いずれも思い浮かばない。

 

クインシージョーンズSOUL BOSA NOVA

これかぁ~、クィンシージョーンズ。派手な音。スカタン聞いてなければ昔、都はるみなんかが紅白出てた頃の歌謡曲のバックバンドの音だ。(パクッてたんだなあ)。それでさあ、このバンド演奏の何がクィンシージョーンズなの。ひげ生やして指揮棒振ってたくらいじゃアルバムのタイトルにまでなれんやろし、編曲が面白かったってこと。ナニモン。うんちく読もうかな、読まんとこかな、やめとこ。マイルスのとがったプラスチックみたいな感じや、ブルーノートレーベルの木造小屋さ加減とは違う商売人の匂い。“HAつ”て空手のリズムにも合いそうな箇所もあります。デュークエリントンのアイディアとどう違うかも聞いてみよう。1962年の録音。

 

デュークエリントンatニューポート1956

アメリカ国歌の♪星条旗よ永遠に、で始まる。MCもカットせず入れてある。むこうの人のしゃべりは言葉も回っていて、強調される語がハッキリしているように感じる。音源古い分手作りな感じ。しっかりと知っている人にしてみたらクィンシージョーンズと較べようというのもヘンなのかもしれないけど。ソウル・ボサノバだけでクィンシーを語るのもはばかられるが、彼は音の仕掛けのアイディアがある。デュークの音は楽器の合わさった音がハーモニーというんでなしに、ほんとうにすごく一つにまとまって聞こえる。音の置き方のセンス。ホテルのラウンジで流れているようないわゆる“ジャズ”って感じ。ブルーノートの方がマニアックに聞こえるのはピアノの音の入れ方かナ。解説文にあった伝説の名曲♪ディミニュエンド イン ブルー アンド クレッシエンド イン ブルーのバンド演奏はヴォーカルの舞台以上に華があって肌にとびこんでくる。

 

近藤等則・空中浮遊

トランペッターのデビューアルバム。愛媛出身、京大卒、やっぱしって感じです。ラッパなんだけど、聞こえてくる音色、フレーズ、感性は企画モノかと思うくらい邦楽なのだ。渡辺貞夫さんとか、綾戸智絵さんなんかは、血液型でいうとRHマイナス型というか、もともとの感覚がむこうだっためずらしい人たちだが、この人は西のお方だ。近藤さんのトランペットを横笛に持ち替えてもらって、ラッパのような歌をつくってはどうだろう。J(ジュニア)ポップでなしにA(アダルト)ポップ。なんかいい方やらしいなあ。

 

マドンナ ザ・ガーリーショウfromオーストラリア~Pink Lady~  

幕開き、トップレスのダンサーが棒を伝って降りてくる。ハイテンションで自分のなかのエクスタシーに入り込んでる。口うるさい連中にはちょっと波紋を呼びそうな作品ではある。が、ボディビルダーのように筋肉隆々、お世辞にも女らしい体型とはいえないマドンナだから成り立つのではないか。あれでほんとに女々しかったらしゃれになんない。ニューハーフのような倒錯といったらマドンナにどつかれるだろうか。MTVの映像がなかったら彼女はスターになれたかな。マドンナを見たあとで、97’ピンク・レディー再結成の映像を見るとダンステクニック自体は彼女らの方が上である。マドンナは大きい型をとって、その型、型をキメでいけばいいように振りつけられているのだ。がしかし、みんなマドンナはすごいという。いかにもマドンナはアーティスト(表現者)だ。そのヘンに日本人の勘違いを見て取ることが出きると思う。マドンナ型のスターを輩出したいのだったら、普段はせいぜいジョギングとエアロビクスでもやらせ、各振りのキメは現場で覚えさせればいいのだ。フレッドアステアやジーン・ケリーのクローンばかりつくってどうしようというのだろう。そして果たしてスターは製造するものであるか。人はアーティスト(表現者)たりえる。が、スターでありえるか。それは人生の一時期の呼び名だ。私がかつて高校一年生であったのと同じことだ。“スター”は“製造”されるものでない、“証明”されるものだ。

 

ベンEキングやダイアナ・ロス

向こうの人にとっては、肉じゃがとするなら、われわれはエスニックであり、“にんにくや”であり、一時のティラミスやナタデ・ココでありといったところか。

研究所では①楽器としての体をつくること②耳をつくること③あるべき姿勢で舞台に臨むこと、ができればいちおう卒業であって、そこには才能のあるなしや、運・不運は含まれない。それを問えるまでのしっかりとした自分を形成するために行く。で、卒業してのちの、容姿やキャラクターや時代に乗る、ノラナイといった、自分の力ではいかんともしがたいことを問わなくてはいけなくなったのちの話が自分にとっては本題であって、ここはそれまでの準備期間だ。でもそれすら、戦地で冷静を保つように、じっと市場を見詰めていけば何かしら道が開ける。仕掛けることが可能かもしれないということだ。

アメリカで評価されればすごいのではなくて、その人に合った市場に出て行けばいいのだ。声にも容姿にも好みがある。リチャード・ギアが男前でもよいし、藤原紀香がべっぴんでもよい。それは人の勝手である。そして芸能人の価値のひとつに“エキゾチッグ’であることが挙げられる。ハーフは鼻筋が通っていて、美人である。でも西欧であまりの鼻高はおかめひょっとこだ。日常的すぎるのだ。マドンナの映像を見たあとでピンク・レディーを見てダンスのテクニックはあるのだけれど、その醸し出しているものが、父親に誇らしげに踊って見せる子供のようで、見ていられず眼をそむけてしまった。(ないしょです)。内からしぼりだしているものがないのだ。体を動かすことを楽しんではいるのだが。

 

マドンナ

表現者として個を投げ出しているのが共感できる。外国(ここでは米)で活動してきた(またはする)と、日本人に誇示して凱施するつもりで進出というのならそれはみっともないと思う。死さえ旅の途中なれば野たれ死になどありえない。パチンコ屋の新装開店の花輪みたいにおしゃべりな墓石など、行く先々で邪魔になる。(けど男の人の何かを求めてやまない気持ちとは、どこか本質的に違うみたい。先々どうやって食べていこうっていう不安にはとりつかれているけど、気まぐれで、いつ放りなげても平気なのが本音と思う。)言葉の通じないという罪で10年くらい投獄されるくらいの覚悟で行ったら何とかなるんだろうか。むこうの人はフレンドーリー&オープン、よってノリがいいってことになっているけど、それは必要性があって身につけた処世術であって朋友となるには第二、第三の関所が存在する。どんなに血なまぐさい民族の歴史があろうと、人間のもつ本質的な小心さみたいのは共通のものがあるように感ずる。だいたいズーズー弁のにいしっかりと、河内のおっさんと、薩摩男が同じ番地に住んでるのが多民族国家なんだから、どだい英語など通じるわけない。必要に迫られたら、最低のコミュニケーションは取れる。

 

アダモ

ステージで“まいどおおきに”っていうのはリップサービスで、親しみが持てるし、嬉しい。が、かたやアーディストは思想の交流でもあるからそんな不自由な英会話で相手をもてなせる訳がない。デビ婦人や黒木香も逃げ出すような流暢な日本語ですましこんでやる必要がある。そんな自我、言葉もなくて努まるわけないのだ。そして所詮イエローモンキー、どんなに福山雅治な男の子だろうと、ナインティーン・ナインの岡村さんくらいには笑われてこなくちゃいけない。面白いことをいうんじゃなくて、存在が笑いをさそうのだ。こればっかりは誰かに教わるワケいかないから、自分の人生をしっかり生きるしかない。笑われているのを知った上ですましこんでやるのだ。自意識が強すぎると無理かもしれない。だいたいむこうの音楽的言語というのは相づちが打ちやすいようにできている。相手のフレーズに耳をすましていれば(英会話の教材ではない、日常会話である)、日本語の(うん)にあたる(Yeah)や(Yes)をどこで打てばいいかだいたい見当がつく(でも気をつけてネ)。ホントに聞いてんのかぁと思うことがある。 

 

ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ

 90才のダンディなおじいちゃん。白いつばのついた帽子を真深に被り、自分には子供が5人いるけど6人目が欲しいんだって笑ってゆったり葉巻きをくゆらせている。きんさん、ぎんさんも真っ青なこの余裕。存在がおしゃれ。音楽のジャンル分けでいうとキューバの「ソン」。♪なんとかキェ~ロ、キサス・キサスとかいうヤツ。ほとんど消息不明にされていた老演奏家たちの息吹を蘇らせたライ・クーダーはすごい。音楽を聞いたら体が動きだしてしまうようなダンスが大好きな国の音楽。リズムはうまく言葉にできない。まったく入っていない音というのではないけど、ブルーノートなんかに較べれば入っていないので、すぐに入れず、やはり事前に仕込んでおいた方がよかった。お好み焼きと一緒に口にしたビールで、冒頭少しウトウトしてしまったが、フィルムや舞台を見るのは、意地で数をこなせばいいのでなく、レッスンと同じく、感じれる、何かが聞けるというのは90分のうちの一瞬だとわかっているから自分を責めずにすむ。夏に日本でいちばんラテンな国、河内で開催される世界民族音楽祭にくるらしい。思わぬ展開でNEW YORKのカーネギーホールに来て、すごく憧れていたって人生を噛みしめて、英語がわからなくて不自由だけど、いやなに、じきに覚えるさっていう80才のイブライム・フェレールかっこいい。自分が何たるか、自分の特性が何かわかっている。相手(仲間)のフレーズも熟知している。生活に音楽が密着している国。思いがけずフィルム大当たりしたらしい。クラブ(大阪流発音は平板型、2音目以降を高く)通いしている若い世代に受けたのだろうか。やるべきことは山のようで少しも整理されない、体をつくること、いろんな音をいれること、自分のできること、較べて何がすぐれていられるか、仲間の力も把握していること。結局手付かずで終わることのないように。

 

ヘレン・メリル

サマータイムを聞いたときは、全編これため息といった感じ、声に息が流れているんでなしに、息のなかに声が混じっているかの歌唱にものすごく惹かれて、何か盗みたいと思っていた。でも音源30年前くらいだろうし、見ない方が夢が壊れないかしらんとか、考えたが、ハスキーヴォイスの人は齢いってもそんな声変わらないよと山本さんがいうので行ってみたいと思った。以前行ったときはよくわからなかったので、今度はもっと聞けるようになっているかもしれないと自分への期待もある。いわゆる、スタンダード・ジャズのオンパレードだったけど、本国でもそうしているんだろうか、日本向けの構成だろうか。これはいわゆるクラブ・ギグなのか。少し客席淋しい。レコードとライブというのは違うかもしれない、わたしの想像していたようなため息ではなかった気がする。レコードがいい人、ライブのいい人とかいるのだろうか。よくわからなかった。わたしの耳がおかしいの。ハスキーヴォイスですごいロング・トーンをしたのが新鮮だった。昔はすごい親日家だったといい、デビューアルバムの♪You be so nice to come home toを超えることはできなかったともいわれている。でも、みんなどれくらいわかってんのかな、オシヤレなのはいいけれど、有り難がるのはこのくらいにして、もうちょっとオイタしようよっていう感もなきにしもあらず。

 

トニー・ベネット

あんまりラクラク声出しているので、見落としてしまいそうになる。シャウトもロングトーンも全然しんどそうじゃない。体強い。ささやき声のよく通って色っぽいこと。フェスティバルホールでマイクはずしても全然大丈夫そうだ。74才で孫の5人や6人いてもおかしくないが、適度に色気のあるステージングで、車でいうとハンドルに遊び があって連転のしやすい優秀車、すごく調子よさそうに見えるのだが、自分の力を75%くらいに統率して、お客を100%%楽しませることが、いつでもどこでもできる超プロフェッショナル。シナトラの生も見てみたかった(バブルの頃10万円 のディナーショーというのが確かあった)。究極の選択で、どちらかいうと私は レイ・チャールズの“音楽性”より、トニー・ベネットの“色気”を買いとしたいと思う。余計なおしゃべりはあまりせず、比較的さっさと運んでいた。ずいぶんわかりやすい構成に感じたのは気のせ い。今日がそうだったというのでは決してないけれど、ライブってアルバムを売らんがための90分CMだと定義されていたら少し悲しいかナ。ドラムのソロパー卜はオリジナリティがあって、日常の生活にドラムがあって、身についていて、何かわかってて、遊べる、 その遊びの面白さの分かってる人でないとできない、カッコイイってうわべをまねするだけじゃできない類のものだった。高齢のため、ちょっと背中がまるくなった感じの腰のひくい男性のピアノの音が暖かい。ひさびさよかった。身のつまった良質の小振りのステーキみたいだ。トニー・ベネットは次の日、京都に行くのが楽しみで日本に来たのだといっていた。わたしらが、パリを訪れるみたいなもんだろーか。日本を卑下するのは好きではないけど、スタンディングオベーションとか、その他そういったものに日本人がもっと慣れれば、客席も出演者もさらに楽しめる余地があるように感じた。ショーが治まる前 の“Ladies&Gentlemen welcome to 〇〇”ってお決まりのナレーションはなかなか血が踊る。フレーズの大きな ねりもいい。音は出だしからよかった。10列目以降くらいの席の方が舞台も音もよくまとまって見えるのだろうか。芸能人の若さの秘密。芸術のエッセンスにいつも、いつも触れて疑似恋愛をしてる、人前に立つ緊張感。見られることがもたらすハリ。人間の持つ、あらゆる心情の研究をしているetc.。青春とはその人の心の状態を指すのだという内容の詩がとても有名らしいけど、肉体のほてりが過ぎ去った人の青春の方が純化されていて、カッコよかったりというのはままあることだ。人生も青春も男性もぜんぶ現役。 

 

白石加代子「百物語」

どういう畑出身の女優さんか知らないが、明治から現代までの日本の作家の魔訶不思議なストーリーのひとり語りをずいぶん前から取り組まれていて大変人気があり、同時通訳つきでアメリカでも大好評だったそうだ。近鉄アート館という小劇場で(東京は岩波ホールかな)、マイクをつけてるようになかった。自分の知らない、わからない分野でいろんな人がいるものだ。どういうルーツを持てばこういう芸ができるのだろう。ひとり芝居でなし、朗読にして は濃すぎるし、やつぱり“語り”だ。入り込んでいてすごいあやしくて、擬音語、擬態語、間、セリフetc. 言葉にできないがいやぁ~“プロ”だった。面白かった。本もすごく面白くて、ひとつひとつの言葉の表現に奥行きがあってこんな秀逸な物語があるのだと思わせる。セットも何もなく、日本語だけに長年シンブルに取り組まれているプロのステージはBVでやってることとも通じるものがあって、白石さんのテンションも伝わって、帰ってきてからすごくイメージが湧いた気がした。役者さんは伝える必要というか、 伝えねばならない厳しさがある。言葉の練習をいくらやろうと、ちっとも表現にならないのはそんな究極の厳しい必要性がないせいだ、必要性を設けなくてはならないが、漠然とやっていても、またステージ実習やライブ実習の練習とかで果たして備わるのか。そこまでの覚悟で準備できるか。いつまでも結晶されないのでは、やがて肉も腐り、朽ちおちてしまう。白石さんはたぶん30年以上女優をしていて、ひとり語りもライフワークとして10年以上取り組まれている。ここにもまた、白石加代子という生き方を見ることができた。