一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー 1152

レクチャー 1152

 

 

 

オリエンテーション「弛まぬ改革を」

 

 

 これからの心構えを話します。

表面的にいろいろと複雑であっても、ここの根本というのは、変わっていないのです。

そこにどういう考え方があり、その延長上にそういうふうになってきたのかというのを説明します。

 新たにオリエンテーションでは、カリキュラムに連続性と関連性をつけました。

 

 

 連続性というのは、今は、何年もいる人もいます。

私が個人でやっていた頃は、個人レッスンが中心だったので、人数の面の限界もあり、2年が上限でした。要は、2年経ったら自分ひとりでトレーニングできるところまでということで行っていました。

 

その後、教材やトレーナーのおかげで、数倍の人数、専門学校並みのレッスン数が確保できるようになりました。ライブハウスのスタジオですから、月に数回、ライブまで行っているわけです。

しかし、毎回、クラスのなかで無作為に出席するため、一回ごとの独立完結のスタイルのグループレッスンでした。

 

2年経って持続する人も増えた、ということは、すでに4年制とか6年制ということも考えなくてはいけない状況にあるということです。

入ってくるときに4年でも6年でもやるという人もいます。

同じ2年であっても、いらっしゃる人のレベル、経験も違えば、ここでの伸び方でも大きく違ってきます。そういうことを連続性から考えるということです。

 

基本的な考え方としては、2年でできるところまではやって、それで新たな課題に対し、続けることです。4年、6年と、より厳しくなるように2年単位でしっかりと区切っていかないといけないと思います。

2年で何かがわかったら、それでまた新たに2年やるというように、そこで発見やステップアップがあればよいのです。

 

 

 もう一つの関連性というのは、基本レッスンに音楽的な要素がのっています。リズムや音感・音程、読譜などを補っています。ここで、声や歌を始めたという人もいるからです。

 かつては、高校生以下は、原則、入れませんでした。

今は10代からはあたりまえ、40代以上の人も珍しくありません。その辺も、大きく変わってきています。そこでレッスンの相互の関連性をもっとつけるように考えた方がよいということです。

 

 私の考え方では、テキストを配る。本であれ、材料は、全て渡して、見せてしまうところからスタートします。それを全部やらなくても、よいのですが、ともあれ自分が使えるようにしていくのが、レッスンということです。レッスンも、一回でありったけをトレーナーが見せていくということでした。

 

ここは私の本を読んで、遠方から来る人も多く、そのため、月に1、2回、出ている人と、専門学校のように毎日のように通っている人がいます。それもあってレッスンは、一回完結制で行わざるをえず、クラス分けがあっても連続性や関連性がつけにくかったのです。

しかし、だからこそ、自分で考え、盗る力がつくわけです。その人に得る力があれば、青天井、そういう場にしたかったのです。

 

 

 カルチャー教室というのは逆の方法をとっています。ステップをおいて、1ステップが終わったら、次には2ステップに進むという方法です。初心者や一般の人が、たしなむにはその方がわかりやすいし、何よりも、先生がやりやすいのです。

 

 ここの場合は、声帯のことを説明する時間があるのであれば、その間によい音楽を聞いて、体に入れる方の時間を大切にしています。声帯などはリアルに見られる映像で見た方がよいでしょう。

ここで先生が前に立ってやらなくて済むことは、他に任せてしまおうということです。

ここでしかやれないものにこそ、時間をさくべきだと思うからです。

 

 だから音楽基礎レッスンのなかった時期には、音感、リズム感をつけたい人は、自分でやるか、カラオケ教室やスクールでやって、こちらにきてくださいといっていたときもあるのです。

汲みとる力があれば、私のレッスンほど、音感やリズム感について、高度に身につく方法をとっているトレーナーはいないはずです。

 

 

それでも、多くの人が目先の誰でもみえる効果を求め、みえないうちに自分を根本で上達させる源泉をくむことをしなくなってきたのです。

 ともあれ、現実をみると、個別アドバイスも必要となってきています。

 

 そこでトレーナーのレッスンの間での関連もつけています。私のレッスンでは、レクチャーと同じく、一流のレベルでのフレーズをまわすことをメインにしています。

 

自分で音楽鑑賞して、譜面でチェック、英語を直して、レッスンに臨んでもらったら、もう少しレッスン内で聞く時間を減らすことができると思います。

しかし、それがよいことかどうかは、判断の難しいことです。

 

 

 2年制というので、専門学校みたいに始めに年払いで頂いて、好きなだけ使ってよいとやればよいのですが、ここにこられる方は、働いている方や学生さん、劇団の人や声優さんなど、他のところにも通っている人、それから遠方からこられる人がいますから、時間的、そして経済的負担を各人の裁量に委ね、抑えられるようにするためです。

 

 システムが複雑になってきたのは、入る人に足らないところが増え、補っていったからです。

 ここは、コストをパンフレット制作や広告費などにもほとんどまわさず、皆さんに渡すもの、レッスンや素材を通じて全て、還元していこうとしています。会報やHP作成や、研究に、かなり出費しています。利用しないから割高に感じるのです。

 敷居を低くすると、レッスン以外にやることが増えてきます。

スクール事業としては、それもサービスですが、コストに跳ね返ってくるのです。

 

 だから本当は昔みたいに、わけがわからないけれども入ってしまったら、そこではそうなっているのだからと入りきって浸ってみるしかないのが、一番よいのです。始めはわからなくとも理不尽でも騙されたとでも思っても、とにかくやるのです。そこで自分で何とかできない人は、所詮、どこにいっても通じません。

 

 

 要は、カリキュラムとか、システムの問題ではないのです。そういうものに振り回されてしまうと、本当にやりたいことがお互いにできなくなってしまいます。

 

 今回の改革は、伸び悩んでいる人に対して新しいアプローチをとっていかなくてはいけないと思ったからです。

 たとえば、トレーナーの個人対応を多めにつけていく。

もちろん、人間のなかで自分で何ができるかを知ることが大切です。音程でもリズムでも、基本的な注意は個別に受けた方がよいのですが、横からこうやれ、ああやれ、といわれていくと、全体の感覚もなく、自信もないまま、何かいわれたとおりにやっていたらよいというふうになってしまいがちです。

 

そこが日本人の一番弱いところです。プロでさえ、そのために、せっかくの技術が表現に結びつかないのです。最初から依存体質を植えつけてしまうからです。本来はまったく逆のことをやっていかなくてはいけないのでしょう。

 

 

 誰もこなくても、たった一人でも、ここは自分のためにあるというくらいに主体的にのぞまないとよくないのです。ところが、日本人というのは、参加者が少ないと自分もやめた方がよいかなと思ってしまうのです。要は、自分に必要かどうかです。そういう思考回路をまず断ち切らなくてはいけないです。

 

 何ごとも自分の実感が大切です。声のこととか、やっていく歌のこと、音楽に対して得ていかなくてはいけないことのために、1年くらい捨てても惜しくはないのです。

 

 皆さんのなかにはいろいろと入っているのですが、本当に入っていたら出てくるはずです。出てこないとしたら、それがしっかりと結びついていないということです。

その部分はトレーニングでできます。

 しかし、それが入っていない場合は、入れるしかないのです。また、いらないもの、よけいな者を抱えているのを、思い切って捨てなければなりません。

 

 

 プロでやっている人たちとミーティングをしても、彼らはやはり、いろいろなことを知っていて、たくさんしゃべれる。それを自分は何もわからないとなったときに、別にわからなくてもよいのですが、知っている人の方がいろんな応用ができるのは、あたりまえなのでしょう。

 

 ここで自分がやりたいと思った人、プロで活動してきた人ほど、ここに入るというところで、一回そこまでやってきたことを捨てて、それで新たに、大きく吸収できる器をつくって欲しいものです。

 

 こういう歌は絶対に歌いたくないというものも反面教師にしながら、まずその器をできるだけ広げていくということです。要は、限界を一回なくしてしまうというのが大切です。そこには、何よりも、生き方、考え方、価値観が問われます。磨くべきものは、そちらの方なのです。

 

 

 限界というのはどこかできます。声にも、歌にもきます。やれることも、やれないことも自分でわかってきます。

 やりたいこと、やりたくないことで批判するのではなく、まず、たった一つでよいから、他の人にはできないけど、自分ならできるという部分を作っていかないといけません。

それなのに、最近の最大の問題は、自分がいかにできていないかをまったくわかっていない、実感できていないことです。

 

 この辺のことは、本当は話すまでもなく基本的なことなのですが、なかなか自分で自分のことがわからないのです。人間、自分の本当にやりたいことはなかなかわからないものです。

 まして表現したいことというのは、わからないのです。表現したいことがあると思ってきていても、そのことが本当に表現したかったのかどうかもわからなくなるのです。これはしかたないのです。最後までわからないのです。わかったときにはもうやる必要はないのです。

 

 よく私は、結果オーライといっていますが、表現したときにわかるのです。やれていたら、すべてはよいのです。

 だから出し続けるしかないのです。レッスンも出続け、トレーニングもやり続けるのです。それをやり続けたときに何が出てくるかを楽しみましょう。そのときに出てきたものがよければ、それが自分に入っているものだと思って認めていくことです。

 ですから、日本の学校教育やスクールのように知識本位で得ていく世界とはずいぶん違います。頭で考えていたら、本当に能力の3%で終わってしまう世界です。今日は一番頭を使わなくてはいけない日かもしれません。それは、明日から感覚と体を使うためです。

 

 

 ここで行うのはレッスンから、トレーニングに戻しているというふうにみてもらえばよいと思います。基本というのは、どの時代であれ、どの国であれ、変わらず、通じるものです。空間と時間を超えていくところにあるものです。応用というのは、その時代その時代で、自分の足元がついているところをベースにしながら、人に伝えていったり、動かしていくことです。両方をみていかなくてはいけません。

 

 こうやって、皆さんのことを考えて、改革することは、とてもよくないことはわかっています。全てはレッスンのなかでの改革にとどめるべきで、本当は皆さんに対してより、アートに対し、忠実でなくてはいけないからです。

 しかし、レッスンに出ない人には、出るようにしないと、そのことさえ伝わりません。うまくいかないのも違うのも、レッスンやカリキュラム、システムの問題でなく、あなたの問題なのです。

 迷ったら、出続ける勇気をもってください。

足を止めるから、迷うのです。

 

すぐれた人たちのアート、ことば、生き方にふれ、自ら、そういう人にたった一人でもよいから、認められるようになるべき毎日を精進してください。

まず、ここで、あなたの表現をぶつけてください。