「“天使にもっとも近い悪魔たち”」 1161
〜プレBV座 Vol.25を観覧して
愛が足りない、心が足りない。
こう思えるということは、愛や心の領域に触れつつあるからだろう。
難しかったのは、自業自得、
音楽がステージを支えて初めて、本当の問題が突きつけられる。
世の中には、悪ぶる奴、正義感ぶる奴ばかりだけど、
本当に人の心を慰めてくれるのは、
悪魔の顔したものばかり、
悪魔に必要な天使の心、
天使に必要な悪魔の愛、
わかっている輩には“ただ進め”、
わからない輩には“ただ励め”
悪魔が耳もとでささやく。
その仮面をはぎな、
醜い顔と、さもしい心をみせな、
すべて脱ぎ去ったとき、
人は天使に祝福される。
それが本当の顔だよ、
それが真実の心だよ。
誰もが入口でためらい、
ひきかえすところをただ進んだもの、
勇気をもちリスクを抱えてただ歩んだものだけが、
天国に近づける。
歌には愛。声には心。
ーー
「真善美、その本質を観る」
正しいこと―自分の考え、真哉?
自分は評価されているとの、せいぜい一方のみからの情報で、
事実や本人に聞かず正しもせず、身近で入ってくる人の話だけですべて判断する。
そこで自分の考えが正しいと思い、それゆえ芸道も仕事も人間関係もうまくいかないのに、
自分の頭で決めて行動し、自分が変わろうともしない。
よいこと―自分がよいと思うこと、善哉?
小さなプライド、大きな思い上がり、
自分は、いつも、安全なところにいて、人をけしかけるだけ、
決してリスクを背負わない。
負うにも、動いてくれる人も動かす糧もない。
慎重で思慮深く、頭がよいから、結果がみえるから、何一つなせない。
まわりを見下したまま、文句をいって人生が終わる。
いい人で弱い人のふりをし、それに甘える。
きれいなこと―清潔なこと、美哉?
父母の代で教科書に載ったものにしか頼れず、信じられず、
知識の受け売りしかできない。
身近な他人の自慢しかできない。
せいぜい、いろんなところに逃げまどっていることを、
自分の前進、転身と捉える。
いつも美しいものは危険で、前衛的である。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
こういう人が増えたのは、きっと皆と一緒でないと損、ずるい、人より動くと損と思い、権利ばかり主張する輩の教育を受けたからでしょう。
まわりの人と無駄口、叩くひまがあったら、、
自分の力をつけること。
ここにきたのは、実力主義のなかで自分の力を宿して生きていくということを選んだのでしょう。
しかしそれは本来、他人から頼まれなくてもやること、
ここ20年の日本だけの特異な現象のどまんなかにいて、みえなかっただけ。
一人ひとり違うのだからこそ、単に違う行動をとるのでなく、
そこでの状況や価値観を踏まえ、自分がプラスαする。
ーー
ゲストにセミナーのあとに話を聞く。
「質問って、一人も手をあげないの」 こうしていつもチャンスを皆で平等に分けあって、つぶしてしまう。せめて、せっかくきてくれたゲストの立場を考え、ウェルカムクエスチョンでもできなかったのだろうか。
しゃしゃり出る勇気と、仕切る当事者意識の欠如。
そこでゲストへ強く自分のアピールをする努力さえしない、
無駄無用の行動しない頭のよさ、反応して楽しみを生じさせられない感覚の鈍さ―。
「皆、覇気が足らないの」
すべては、その一言に要約される。覇気を出すにも、正しくよく清く生きている人には、至難のことだ。間違いを恐れず、もっと強く出ればよいのに、汚れにまみれて欲しい。
本当の間違いとは、踏み出せないこと。
それで本当によいの―ずっとこのままでよいの。
「10年たって考えてみよ。」
というのを今考えられるイマジネーションのある人だけが、自らの人生を切り拓ける。
“ここ”で“今”、見過ごすなら、人生でいつか何かがみつかることもあるまいに。
一芸に、人生を貫けた人は、人の話に耳を傾け、本質を観て、行動した。
ピッチャーをやりたいのに、キャッチャーに向くといわれたら?
王貞治がピッチャーからバッターに転向しなかったら?
声や歌がよくなっても、一生、何もやれない。
だから…その問いからスタートすべきだろう。