レクチャー1
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<特別「恋の季節」>
シャンソン、カンツォーネで与えているのは、世界のリズムや旋律の基本です。フランス語、イタリア語というよりも、そういう語感で刺激すること、よいものは吸収し、慣れないものには慣れていきます。それを自分と組み合わせる力が大切です。
表現は、自分のなかにいろいろなパターンが入っていて、その組み合わせのなかでも最良の選択をすることから発するのです。
大切なのは、ひとつのフレーズをどう選ぶか、そして、その前に何が入っているかです。それが入ってもいないし出てもいないものはどういうものなのかということを知ることです。
それは基本的にしっかりと立っていたら、そういうものは出てくる。自分のなかのものですから。その辺をもう一度チェックし直してください。
「恋の季節」同じフレーズが3回聞こえます。それがどう聞こえるかです。3つの違いがわかるわからないということもあれば、3つを同じに歌っても自分の感覚のなかで変化が起きてくることもあります。日頃接していないものはいろいろな意味でギャップがあります。これ以上上達していかないとしたら、基本の感覚をきちんと深く持たないからです。
まわりが初心者ですと、少し応用しているとできてしまう気になります。すると、前に持っていたところの基本、変わってはいけないところが雑になってしまう人が多い。
2年や3年で根本的な要素まではなかなか身につかないのは、ついたように錯覚するからです。よくよく気をつけていかなければいけません。
タイプとして崩れやすい人もいます。出口を見ておかないと、すぐにゆがんでしまいます。去年獲得したものは、今年は使えない世界です。
新しいことで常に吸収し、よい感覚をキープしつづけなければいけません。
去年、聞いたものを今年聞いていなければ、3年くらい前に自分が落ちてしまっているものです。それを5年10年単位で続けていかないと、人間の感覚はすぐに鈍くなります。そのくらい曖昧なものです。
本当の意味では身についていない。レッスンを受けた後に試験を受けたらできるけれど、1週間後にやってみたらできない。ひとつのことを人が固定して、半年やめても1年休んでも変わらないようになるには最低でも2年必要でしょう。休んでもパッととれるようになって、初めて身についたというわけです。
それをやっているときに、その慣れでできてしまうのはあたりまえです。子供でもできます。だから、できたのと身についたのを、きちんと分けておかなければいけない。長くいる人は用心してください。
自分の一番表現できているところでやってください。他の人を聞いて、その人がどのくらい勘違いをしているのか、もし自分に届くのであれば、どうフィットしているのかを、聞いてください。
フレーズの練習は声や体を見せるわけでもない。以前はいろいろな人を見て、うまくいった例だけを取り出していましたが、最近は伸びない原因やうまくいかないところもできるだけ伝えています。
キーやテンポの呼吸も、まずそれを捉えるところで正さなければいけない。
トレーニングは一時、そのものが目的になりがちです。それはそれでよい。ただそれはあくまでその先のことをやるためのものということを忘れないことです。
まわりと張り合って取ろうなどと考えずに、まず何を感じるか、そこの感覚のところを本当に戻してほしい。ないものをつくれとはいわないから戻しておいてほしい。
歌は心の部分があるが、それもその人の5m先に飛んでくるところでしか見ていない。その人のなかが起ころうが、まわりで何が起ころうが、誰も見ていない。ビジュアル的な歌い手はそこで見られますが、そうではないでしょう。
ましてやこういうレッスンの場合は、目をつぶって聞いているようなものです。そうしたらその人がどういうイメージで選択してきたかが全部、見えてしまう。つまり、すでに伝える価値がなくなっている。
声や歌を出すことではない、動きこそがオリジナルのフレーズです。オリジナルの声は皆が今やったよりは、自分の原理に直結しているところで出していく。100回出そうが10時間やろうが、まったく痛めないところでやる。筋肉ですから疲労しますが、正しくやれば70歳まで歌えるのと同じくらい、きちんと原理が働く。
それがそのまま歌になるのではないのが、歌の面白いところです。まずはその選び方、フレーズの持ち方に対してどのくらいの厳しさをもってきているかということです。感覚が聞こえても言葉が聞こえてもよい。それは、結局歌が聞こえるということでは同じです。
それからどう歌として聞こえたのか、そこをきちんと見る。それがトレーニングの目的となっているでしょうか。
オリジナルのフレーズは1曲伝わらなくてもよいから、少なくともその4フレーズ8フレーズには責任を持って、ひとつの表現を終えることです。
そこのなかで乱れたり一本調子になってしまうのは、半分は、まずテンション不足からです。そこでパッと切り換えられるかというのは、鈍い練習をやっていると正されない。
選択しなければいけないわけです。短くやればよいということではない、頭で考えてやっていたら、わかりません。何かを試みて起こしてほしい、そうでないと伸びていけないというより、悪くなってしまう。こういうのを聞いたときに、うまいとか下手とかではなく、歌に聞こえる、その部分は何なのか。それがないのは、問題です。
曲を選ぶのは、そんなに簡単なところではありません。それなりに歌い手のよさのあらわれるところをやります。プロの歌が全てこういう要素をもっているかというと違います。少なくとも2年前にそのことをやった人はそこから近づいたのか、チェックしてください。
それはテンションや意欲にも左右されます。
「恋は 私の恋は」、こんなものでも「恋は」というのが出た、それはただの「恋は」ということではない。「私の」恋といっています。その気持ちや感覚が動いているかということです。
聞きたいのは言葉や歌ではない。その下の感覚です。声を使わなくても、表現することはできなくとも、そのなかに深いものがたくさんあって、そこからきちんと練習のなかで積み重ねていたら、こういう歌やフレーズにはならないでしょう。
ということはレッスンで全部いっている。なのにできないというより、なぜそこをやらないのかということです。
だから20年たっても歌は変わらない。変えたいのなら、そこを変えないとしかたがない。無理に感じろとはいいませんが、あなたの歌は何をどうやりたいのか。体を使いたいのか、汗を出したいのか。それがスタンスの問題でしょう。たぶん、そういうのではなかったはずです。
それが許されるのは甘いです。体で息をハ-ッとやってみるのも、普通にやっても声がついてこないから、その声をとるきっかけとしてのトレーニングです。それが目的ではないと何回も繰り返していっています。
今の出し方で半分の人はテンションがまったく足りない。後の半分、何人かは何とかなるかもしれません。しかしその多くは自分で声を固めてしまっている。ヴォイストレーニングも歌の世界も、感覚に対して柔軟に体や声がついていくことをやらなければいけないのです。力で100%出すのでは確かに押してしまう。その先に、志や意欲があればもっと滑っていくのです。普通で使っているより、体で声を使うと、理屈で考えると、そのまま声を壊します。
でも壊さないのはなぜかというと、テンションが高いからです。命をかかえて試合をしていると怪我しないのです。そうでないとどんどん荒れていき、変なくせがついていきます。そこだけは他人が動かすわけにはいかない。でも動かさないとしかたないから、会報を書いたりしゃべったりしているのです。
自分で主体的に引き受けたときしか変わらないのです。受け身のレッスンを逆転しないとよくありません。自分のテンションが高くて、まわりがダラダラしているのに耐えられないくらいにならなければいけない。
このなかにも気をつけてやっている人はいますが、フレーズや音の世界に入ってしまうと、狭くなる。柔軟性というのは、ひとつのことに集中していながら、後ろから何かが飛んできたら、パッと対応できるような八方集中というものです。広くなるのです。パイロットに必要な能力みたいなものです。
全部にいつも集中していたら、疲れてもたない。人間というのは集中したらそれだけ見えなくなる。体も固くなる。全部頭のことが体に移らないままにやってしまうと、どんどん思い込みのなかでまわってきます。
ここでオリジナルのフレーズをオリジナルの声の次にメインの練習にしているのは、多彩な感覚に対応できないものは、本当の意味では身についていないことを知るためです。基本の公式を覚えても応用問題を解けなければ、基本の公式が感覚とか意味でわかっていない、ということです。覚えただけだから、同じ形であたえられないとできない。スポーツと同じです。
1、2、3の練習ばかりしていても、聞き手にはそれでは入ってこない。でも崩れたときの練習をする必要はない。1、2、3の感覚をきちんといれておけば、それはどんなときでもきちんと働く。
また、1、2、3にこだわりすぎてはいけません。表向きの1、2、3と1、2、3を通じて得るところの感覚は、違います。努力しないと人間ですからすぐに鈍くなってしまう。そのためにレッスンをするのです。
その型やフレーズをやって、何年もたったら、初めての人がそこまで感じられない、それを相手に感じさせて出すレベルにいく。
声を一所懸命やっているという部分で通じることもありますが、それだけだと固まってしまう。そのことに対して柔軟に開いていかなければいけない。一時煮詰めたことは開放しなければいけない。それで、もっと煮詰めるべきところをやらなければいけない。いつも同じレベルのところで煮詰めているから、先にいかないのではないか。
1から10までやるとしたら、1を1から10までやる。そして2を1から10までやる。細分というより、より深い部分でやるのです。難しく考えてはよくありません。シンプルにやるために難しい練習があるわけです。それを開放していかないと本当に変わっていかないのです。
他の人に対する判断力は、長くいれば否応なしについてくる。それを自分に適用し直してみることです。感覚したものを伝えるために声や歌が必要なのです。そのために最低限の声量や声域がいる。その優先順位が変わるときもあります。そういう作業はひとつの歌をやるときにやっていくのです。
詞の解釈で、ひとつの歌やことばにここまで深く読み込めるのかと驚いた人が多かったようです。そういう部分を感覚や体のある人はできる。それが入っていなければ入れる。そのために今の歌よりはこの当時の材料を使った方がよい。
今のは、当時の歌い方と違い、ひとつの歌のなかでもいろいろ変えている。彼をもまねない方がよいとは思いますが、そういうところの感覚や表現上の繊細さに神経を配ることがあって、初めて体を思い切り使うことや、テンションが生きてくるのです。テンションが上がると神経は細かいところにいきます。音の世界でもっと意識しないと、雑に扱ってしまう。
皆が見えないところで何が起きているのかです。こういう人達と同じように歌えないとしたら、そこをみる努力をしてください。歌の力が声質や声域があるのではない、こういうものでも2音にひとつでしょう。ラからドまでの短2度の間でしょう。こんなところで声域がないからできませんといえない。
では何が違うのかというと、この曲の対する理解の仕方、読み込みの仕方です。ピンキーのバックのキラーズを聞いていると、よくわかります。そのとおり音をいっているだけで、歌になっていない。日本のハーモニーはそういうのが多いです。それに対してどれだけ今陽子さんが声を動かし、表現を束ねているかを聞いてみればよい。
声を出すというフレーズトレーニングをやるのはよい。しかし、オリジナルのフレーズや歌の勉強をするのであれば、そんなものが引っ込んでいても感覚が出るというのはどういうことなのかを知るのが大前提です。それが部分的要素になってしまうと、なかなか一曲はもたないのです。どの曲も同じように聞こえてしまう。それは感覚の違いです。
そのときに起きたいろいろなことは受け入れていけばよい。それは全てが誤りではない。声が届かなかったとしたら、届かないように柔軟性を失ってしまった自分のバランスの感覚、そこの前に何か違うことをやったことの方が原因であって、だからといって力を入れたら出るのではないのです。そうではなく全部ワンクッションがあります。
それをきちんと利用していかないと、調子のよいときしか出ないようになってしまう。それは本当の意味で出ているのではないから、最小で最大に見えるようにしていくことです。
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レッスンは気づくことが目的です。レッスンは自分でやれることはやる必要はない。それは自分でトレーニングしておけばよい。最初は他の人をきちんと見てほしい。トレーナーを見るのも必要と思いますが、特別視せず、同感覚でとってみてください。そうでないと、自分のことがわからなくなる。
場のなかで何ができるかが大切です。それをきちんと感じていくことです。確かにこのなかでどう声が出るかというのは、これだけのスペースがあるのですから、わかりやすいはずです。そのなかで音を読み込んでいく世界です。発声やヴォイストレーニングということをやりにきたのかもしれませんが、まずその裏で支えているものを見ていってほしい。これは感じていくしかない。
日本の教育を受けているから、ここでもどちらかというとわかりにきている。でも、こういう世界はわからなくてもできていればよい。わからなくてできるかと思うかもしれませんが、本当にすごいことはわかっていてやっているわけではなく、わからないうちにできる。人間の常識の力を超えるからすごいといわれるのでしょう。
歌は応用です。どんなに歌を聞いてきて、それを歌ってきても、近づけるけれど、それでは、プロと同じレベルには絶対にならない。追い抜けない。トレーニングは自分がここまでしか見えていないところ以上にいけることはないのです。天才的な人はいるかもしれませんが、それでも何かそのなかに入っている。しかし、レッスンやライブでは、場の力が働き、わからないものができていくのです。
ここでしかできないことをいっぱい入れていってほしい。知識は知識といわれるくらい古いものです。本に書いたものも、わからないものは全部削除されてしまう。わからないと思うことは伝わらないからこちらも書かない。そういうところが全部落ちているわけです。
わかるところは誰でも勉強できるのです。やったかやっていないかだけの違いです。だから才能でも何でもない。皆より長く生きているから、それだけ長くその世界にいたら、わかるわけです。裏の世界はそんなにすぐにわかるものではありませんが、だからといって見せていないわけではありません。それは全て表に表れているのです。
でも、何事も感じられる人と感じられない人がいる。歌で応用でやっていくことがライブ、トレーニングはそのための基本です。基本の方が簡単そうに見えますが、ずっと難しい。応用はその場で出てきますから、簡単も何もない。うまいか下手かとか、すごいかすごくないかとか、単純なものです。そこの部分では直せない。
とにかく自分で感じられるもの、わからないと思うものを他の人よりたくさん入れておいてほしい。本当は量ではなく、たったひとつのものに特化して深めていくことです。量をやるのは日本の大学教授のようなやり方で、それを知らない人には通用していく。
歌の世界でも歌のレパートリーが200曲もあるといわれたら、すごいでしょう。しかしそれは頭の勝負です。日本の歌い手もこちらの部分が多い。
また、同じ育ちや学校だから応援するという、高校野球のようなところもある。私でも新しいものより、聞きたいときに聞いてきたものの方が心にしみる。それは作品としてよい悪いではなく、作品として一緒に生きたからです。これも歌の持つ時代性という大きな要素です。
しかし、基本は時代性には関わらないものです。たとえばもう10年たてば、世の中も変わると思います。そんなものでまったく変わらないものを基本という。それを越えていくことが音楽はできるのです。
最初にやってほしいのは、感じることをプロの感覚にしていくことです。そうしたら体がそのうちについてきます。家のなかでは息を吐いたりして、レッスンにきたらいろいろな曲がある。そのときの心の部分を大切にすることです。
今まで音楽を聞いて、本当に心にしみ入ったときがあるから、こういうことをやっているのでしょう。そういうときのものをきちんと蘇らせなければよくありません。そうやって音楽や歌に接していくことです。皆がプロの耳を欲していくのなら、そのことに対して誰よりも集中して、きちんととっていく。
それはとても面倒です。そのことをやるためにはテンションがいる。ここですぐに養えといっても無理です。ひとつは気持ちの問題、それからこういうものを支えるための集中力や体力が必要です。
第一線でやっている人達は皆、すごいテンションや体力があります。それに負けると思ったら、この辺のことを高めておくのが基本です。基本の前の基本です。そうでないと、声も統一できないし、歌のなかにも出せない。
実際には今の時代の感覚でやるものであろうと、そのなかに共通するものを学んでいくのです。だからあなたが歌えば時が変わらなければおかしい。場も変わらなければおかしい。そこに表現や歌が出たとはそういうことです。
今度、オリジナルフレーズの特別レッスンをやります。与えられた音のフレーズを、自分で受けて出す。すぐれた歌、歌い方をきちんと読み込む。それから自分のものとして出す。
舞台で表現をやっていくのは3つしかない。
まずそこに立つこと。このスタンスをきちんともつ。あとは入れること、そして出す。出したときに入れることと立つことが同時にできていればよい世界です。これはヴォイストレーニングでも呼吸法でも同じです。
声に関する出し方は、体の原理を優先していく。トレーニングですから意識していく。それに対して、歌は試合、それの応用で、できるだけ無意識に体が統一して使えていて、やった後によかったというものならよい。
基本としてやることはオリジナルの声をつくることです。同じことが本に書いてあります。本やレクチャーでいったことは知識です。レッスンでは、それを入れておいた上で、知識として出すのではなく、体で出すことです。これが歌のなかではオリジナルのフレーズになります。これは日本のヴォーカリストもそれなりにもっている部分です。
声と歌のオリジナルというのは、違います。声は原形という意味が強いです☆。歌では日本人には日本人のくせがあるし、日本語の特色があります。単に音の世界ではデメリットが多い。そうしたら、人間というオリジナルに戻ってみる。こちらは感覚からきたところの創作以前の器、楽器づくりになります。
歌も作為があまりにも見え過ぎると知識と同じで、形になってしまいます。こういう中でいう基本は、実の方から形をとっていくことです。
いろいろな人の声が聞けることがよいことです。声にどのくらいの種類があって、それをどのくらい使えるか。オリジナルの声も同じです。今はなくとも、それに近いものは持っている人はいるはずです。今は出しにくいかもしれなくとも、そのことはどこかで選んでいくべきです。
歌い方でも好き嫌いがありますが、それに左右されないひとつの基準がある。そういう使い方をした方が、可能性があるということをアドバイスしています。それがモノになれば歌が楽に感じたことが伝えやすくなる。歌うことや声を出すことが目的ではない。それを使って何を届けるかということです☆。
立つというのは、同じところでやるとわかりやすい。歌が聞こえるというのは、その人にある心の部分があって、声や歌は、それがあるところから先に、きちんと出てくるかどうかです。間をつなぐものとして声や歌を使っている。結果として、伝わってこそ、歌が歌われているということです。
ヴォイストレーニングや歌は目的でなく、プロセスにすぎません。中心に対しての応用だから、結果としてその働きを起こさなければなりません。どんなにそちらの世界で格好のよいことをやってみてもあなたの勝手でしょうということです☆。
聞いている方にとっては、そこに働きかけてくる世界にしか興味はないのです。その人が身内であったり容姿端麗であったり、何となく親しみやすくとも、それは違う要素です。そこを念頭に置いておいてください。
たとえば、こんなに小さくしゃべったらどんなによいことをいっても伝わらないでしょう。だから声や歌というのは、形をとらなければいけないのです。声量があるないに関わらず、最低限、ここでは聞いている人の後ろまで考えなくてはいけません。
その声量を自分で調整して、それ以上早口になってもゆっくりになってもいけないというテンポにも、ひとつの決まりが出てくるでしょう。歌もそのひとつの表れにすぎない。そのことを忘れないでください。
レッスンでは、どういうふうに感じてどう出すか。つまり、どういうふうに実から形にしていくかをシミュレーションします。
自分から出たものは自分に入っていたのだから、きちんと見ること。自分がそうとしか取れなかったものをもっと取れている人がいる。そこには何があるのかをみること。
その歌を知らない人が聞いたら、それが歌や声として働きかけるならよい。オリジナルのフレーズを20も30もパッパッとやると、頭が働く間もない。頭でわかることなど飛んで理解しなくなっていてもできるのが実力です☆。
本当にトレーニングで身についたことができるというときには、頭が働いていないはずです。その前に計算が働いたり、瞬間的に修正したり、認知できたかもしれませんが、やるのは心と体の世界です。だから私は、レッスン中は考えさせる時間を与えない。
他の人のをよく聞いて、そのなかで自分のものをつかむ。オリジナルのフレーズといっても、一人ではわからない。他の人との違いにこだわるしかない。それがない人もいるし、あるのに出せない人もいる。ないといっても本当にないのではなく、こういう世界においてそれをどう取り出したり感じるのかが、わかっていないだけです。
それには慣れていくしかない。何パターンも何人もでやるのは、たくさんのものをやったときに、自分がひとつくらい接点がつかめるものはあるかもしれないからです。あるもので出したときにしっくりと来ないけれど、違う課題でやったときには自分では思わない声が出たとか、表現として成り立ったとします。そうしたら、それを踏み台にすればよいのです。
こういう世界はいきなり100や1000でやれる人がいるのです。それをセンスや感覚と呼びます。それこそが接点なのです。 一方で、いつまでも「アエイオウ」などを喉を閉めて、よくない練習をしている人が多い。無駄なことです。
歌は15、6歳でデビューできてしまう。そんなにすごいことがそこにあるのではないともみておくことです。その人は何万人の一人です。いくつかの曲のいくつかのフレーズのなかで才能を発揮できるのですが、すべての歌を歌わせてみたら、うまくは歌えない。もちろん、それでもよいわけです。
すべてのものをうまく歌う必要はない。たったひとつ誰もが歌えないものを、自分のものとしてもっていければよい。私のレッスンには全てが入っているといっています。わかる人は、今日の一回のレッスンで全てがわかるのです。
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「恋の季節」このなかでどういうことがいわれていましたか、これはどういうリズムですかというようなことからもいろいろな情報は得ていってほしい。いろいろな勉強の仕方があります。しかし、要は音声の世界をどうみるかなのです。
オリジナルのフレーズというのは、これを歌ってくださいといわれたときに、そこに出てきて、それなりに、そこでその人の世界が出せるということです。声や歌がどうこうという前にです。その要素はどれだけ感じられるかです。
たとえば、こういうものをパッと聞いたときに、これに何パート入っていて、音を外したり呼吸を変えた部分はどこかは、わかるようになっていくことです。後で知識としていえるようになるのは教えるために必要なくらいで、自分のためなら耳を磨くときにいろいろな意味で捉えることができればよいのです。
歌い方のヒントは全部、伴奏部分、コーラスにも入っています。そういうところをきちんと聞いていく。自分が1秒のなかできちんと詰めたいのであれば、ほかの人がやっている1秒のなかをきちんと見ていかなければいけない。
体が覚えているというのは、たとえばこのテンポを曲が終わった後にも自分でキープできていることです。リズムもわかっていなければいけない。この歌い手と同じキーや同じ高い音を出せるということは、あまり意味のないことです☆。
ひとつのフレーズがあって、そのなかでどれだけ自分が情報を読み取れるか。楽譜で書けるとか何パート入っているかということより、もっと深いところ、その感覚で捉えるのです。その歌い手と同じレベルで歌うためには、その歌い手がもっている声や歌い方の前に、その感覚をきちんと置き換えられるか、それがどこまで深く読めるのか読めないのかです。出せといっても入っていないものは出てこない、だから入れてきてください。
自分一人で勉強できないこととは、そういうことです。最初は、一体何がよくて、どうすればよくてということがわからない。たかだか音をひとつ出すだけのことです。自分の音をどう出すかという世界です。そこに何があるのかです。
しかし、そのなかにいくつもの音があり、選択があり、それを自分の体が自動的に選んで、結果として人が心地よくなったり働きかけるものになる。
これが好き嫌いで判断させるのでない。どのくらい難しかったり簡単だったり、自分がやってみたときにどこが追いついていてどこが追いついていないのかが、明確にわからないと練習には降りてこないのです。
歌は誰でも歌えます。でもそれが本当に練習に降りて、すぐれたものになるかならどうかは、この歌い手と同じくらいの感覚でとれているかどうかからです。レッスンでは、それ以上の感覚をもつことをめざしています。それの悪いところがどこかわかり、すぐれているところがどこかわかり、どちらからも学んで参考にしながら、自分の独自のものをきちんと出していくことです。
自分の好きに歌っていたら、上達するのではないのです。もしうまく歌えないとか声が出ないとか思ったら、それは体で変えられる部分もあります。しかし、そうならない感覚の方をきちんと見ていかなければいけません。☆
「恋は」いろいろな出し方や声があります。大半は今まで自分で歌ってきたもので、ワンパターンです。声も歌も鈍くやってきたものが多いから、そうでないものもたくさん入っていることに気づいて、出してみましょう。自分以外の人に出すようにやってください。なるべく広く空間をとってください。
この場で向こうまできちんと聞こえているくらいで、マイクが自由に扱えるくらいに思ってください。ここを満ちさせるようにしてください。それは声量ではなく、心の持ち方によって、です。はじめての曲を利用してやっていくのは慣れていないかもしれませんが、がんばりましょう。プロの歌い手からストレートにテンションを借りると思ってください。
皆がこれから乗り越えなければいけない壁はたくさんあります。どこかで覚えておいてほしいのは、歌はそんなに難しいものではない。自分が難しくしていることを知ることです☆。
レッスンにきて、どんどん頭で難しくしていかないようにしてください。体でシンプルにやるために難しいこともやらなければいけないくらいに考えてください。
8歳や14歳の子が歌って感動させることもあるのです。その人達がプロではなかったとしても、そこにプロの状態、そういう心、場を外から与えられたのです。
難しいのは、舞台ということでの切り取り方です。どんなに調子が悪くても、間のそこに行ったときには、化けしなければいけない。最高のものを最高のテンションで出さなければいけないということです。
あなたも一生のなかで、かなりよい状態や気持ちになるときがあるでしょう。
そういうときのことを忘れてしまうと、トレーニングすることがどんどんつまらなくなってきます。表情が暗くなり活き活きしなくなるのであれば、歌などやってはいけない。まじめに一心不乱にやるとよく陥りがちです。もちろん、そういう時期はありますから、いつもほがらかにとはいいません。
ダラダラやったりテンションを落としてやっても、声はきちんと出てこないということです。皆のまえでは、ほがらかにしましょう。皆が日常の生活で声を使ってきて、ヴォイストレーニングをやったら、それは日常の生活にオンしていくわけでしょう。普通で考えると声を痛めない方がおかしいでしょう。よりたくさんのことをやってしまうからです。
無理なこと、今までできないことまで要請して、唯一、喉を壊さない方法は何かといったらテンションです。テンションが高ければ無駄話などしません☆。
電話での長電話や井戸端会議、世間話などはしません。
これはスポーツの試合などと同じです。ラグビーやサッカーも、あれだけ荒っぽいことをやっていても、あまり怪我をしないのはテンションが高いからです。人間的な限界から越えているからです。怪我するのは練習が日常でたるんだときです。
声も同じようなところがあります。本能的に回避する。特にトレーニングはそうです。感覚が鈍くなっているレベルで発声などをしていても何もならないです。それがトレーニングだと思っているのは、ただの自己満足です。
そうなってもなるべくどこかで早めに気づいて、戻ればよいのですが。「恋は」を聞いたときにこいつはすごいことをやってきたと感じさせたり、相手がこいつの先を聞いてみたいと思うことが出せることが、第一段階の目標と思ってください☆。それには、ここのフレーズのすごさを知ることです。音程やリズムをきちんととれたりすることは、あくまでも部分目標であって、それを超える力がなければ、それができるようになっても何もやれないのです。
皆がやりたいことはステージで人の心に働きかけることでしょう。それをレッスンでは忘れる人が多い。そのことのために全てがあるのであって、トレーニング自体が目的ではない。
自分に役に立つ考え方を入れていってください。それから自分が役に立つメニューを取り入れていってください。
最初は量をやるしかない。そのうち混乱してきます。だから自分の感じでわかるところややりやすいところからやればよい。そのときに覚えておいてほしいのは、わからないところこそが大切であること、それができる時がきて、やっとひとつ前進するのです。今日私がいったことのなかで、わかったと思って吸収したことも、まだ成果にはならないのです。でも、同じことをいわれなくては、本当に身に入ってないから、これでよいのです。
歌でも、皆が一番よい状態のときに歌ってみてできたと思ったら、それでもうよい。それでは足りない、感じていないというところが少しずつレッスンのなかであなたが柔軟になってくると、変わっていくわけです。
たくさん知りたければ何でも読んでください。自分だけがよいと思ってもしかたがない。誰かが評価する、誰かが出番や仕事をくれ有名にしてくれる。誰かとは、プロの判断のできる人です。
自分が感じるのはよいのですが、他の人がどう感じるかで価値が決まる。そうでなければ趣味の世界です。自分が作品の大切なことはいうまでもないが、その人自身の価値ではなく、取り出された舞台のなかでの価値です。それを目的にしないと今の自分でよいということでは、トレーニングの意味がなくなります。
しょせん自分をさらしていかなければいけない仕事です。出していかなければ意味がない。それは立つこと、前に出るスタンスをとりつづけることといえます。
考えてみたら、こんな愛の歌は歌えない、誰でもそうでしょう。でもそれを本気でやる。それをやって自然に見えるだけの裏付けがあればこそ、そのことが働きかける。それをやりたいのでなく、そうなる。あとは、あなたがこれを語るに足る資格があるのかということです。
そういう意味でいうと、自分のなかで考えてはしっかりとやっていくのが練習です。
レッスンでは同じところを何回も聞きます。自分だけではそんなに聞かないでしょう。それは何の違いかというと、私とのこだわりの差です。ひとつのフレーズにどこまでこだわっているかということです。私が1回で捉えることを皆は20回でもみえない。だから20回以上、聞くことです。
ピアノでも正しく弾けたとなると、もう練習しないのですか。ピアニストはこれだけで1時間も2時間もやる。それだけパターンが入っていて、イマジネーションが豊かだということでしょう。そういう練習ができるようになっていってください。
すぐれた人のまねをすることや体に入れるのはよいのですが、まねするためのまねではないことです。模倣は自分のなかのことを知り、それ以上のことを出すためにやる。他の人の悪いまねもよいまねもできるのはよいのです。ただ、そこから自分に活かせる何を盗むかです。
可能性というのは、声に関して、いろいろ使えるように柔軟性を高めておくためにやるのがヴォイストレーニングです。そのなかでの選び方の組み合わせが最高にすぐれている人が、才能があるといわれる。これは何でもそうです。
こだわりというのは、たとえばあの絵のリンゴを2個にするか、もう少し右におくか、というみたいなものです。そこを決めるのは、必ずそうでなければいけないというのはない。でもパッと見たときにこいつはわかっているな、レイアウトもセンスも、色の取り合わせも深いレベルで決めてやったのだということを納得させられるかということです。それを音のなかでやっていかなければいけないから、尚さら難しいのです。
のどを大切にすべきときに、無駄話にあてる声などないでしょう。
ここで充実してほしいのでなく、一刻も早くここで得たものを世の中や自分の活動のなかで問うていってほしい。
プロデュースを売りにしている学校もありますが、何ら声一つ、歌一つで問えず、まわりが全てやってあげている。それに合わせるレッスンしか知らない。大切なのは、レッスンで気づいたことを自分一人で静かに深く反芻しながら繰り返すことです。そうしないと変わらない。
レッスンに出ても復習をしない、とにかくレッスンが楽しいという人もいます。でもひとつのレッスンに出たらその後が勝負です。出るのは誰でも出れる。誰でもできることはやっているのはあたりまえです。徹底して自分の時間を使って、そのことを吟味しなければいけない。そこで肉や骨や血に結びつける努力をしなければいけないのです。
映画でも誰が見てもわかるし面白いものもわかりますが、それだけでは映画監督や評論家にはなれない。今のはああするとか、これはこういう意味でやったのかというのを、自分でやっていくのです。面倒なことです。でも、それを経て、自ら創造するから楽しい。
応用が楽しくなると今度は基本のことをやらなくなる。時間を費やしてここに来るのであれば、そこの部分をやらないで過ごしてもしかたがない。よい仲間からよい刺激を受けてほしい、最初はやる気があっても、もたない。平均のレベルでいうと、1、2年くらいで、他人の才能とつながるレベルに到底ないと思います。
どこでもナンバーワンの努力をしてダン突のトップでないと出ていけない。私が最低ラインです。
習い事は大体トレーナーを最高にしていきますね。だから間違う。ここはトレーナーを最低とする。トレーナーが10年かかって得たものを5年でやるようにといっています。2倍やって最低、それで伝えられたら早い方だと思います。時間を大切にしてください。
声はそれだけ大切なものなのに、ロビーでおしゃべりしている。テンションの低いところで声をたくさん使っていたら、痛めてしまうのです。のどは楽器、大切に扱っていってほしい。思いきりやるときにはやらなければいけない。思いきりやったら壊れるようにしていては何にもなりません。それをギリギリ支えているものは、その人のやる気や志なのです。
そういうものを磨いていったら、自ずと声や声の動きのなかに音楽や伝わるものが出てきます。それが実から形をとることです。一つひとつのレッスンをできる限り大切にしてほしいものです。
ここは本当に基本のさらに前の基本とやるために粘っているところです。誰にとっても歌にアレンジをつけて歌いあげることの方が楽しい。それは最初から楽しいが、最後まで楽しいだけで終わってしまい、力はつかない。どこかでとても面倒なことをとり込む時期が必要です。人が聞きたくないようなリズムや曲や、自分の体に合わないものを取り入れるのもよい、それが楽しめるような力をつけていってほしいのです。
能力や実力とはどんな場も自ら、ただ一人で楽しめる場に変えられるということです。それをやるのがアーティストです。
鑑賞も私の基準でセットしますが、判断はあなたに任せたい。さまざまなものに接するようにしてください。悪いものにあたっても、そこから勉強し、よいものも見てください。
レクチャー2
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【とりくみ 入】
【とりくみ】
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【とりくみ 入】
音楽がかかったときには音楽を入れることに専念してください。最初はできるだけ大きな音量で体を読み込みます。よい音が鳴っているところで、音をきちんと体に入れていくのが大切です。
音がかかっているのに、別のことをやっている人がいますが、それはもったいないことです。ここで無駄な時間はありません。真剣に聞くと、いろいろなものが入ってくると思います。
レッスンは、誰かには合うかも知れませんが、誰かにはまだ合わないかもしれない。そういう相性もあります。聞いて、こういうことがわかったということをおろす。それが皆にわかるかどうかはわからない。それぞれ皆、違うし、わからないからよくないというわけではない。今はよくないが、あとでよいと思うかもしれない。その代わりに別の何かがわかってもよい。
人を見るときに、その人がよいとか悪いとかいうよりも、自分がそれをできるかできないか、それに代わることをできるかできないか、そうやって見なければ無意味です。そうでなければお客さんです。
今のはよい、悪い、では、お前がやってみろ、私は何もできません。できなくてもいい、それに代われるものをつくる。そのレベルの葛藤のなかで実力が養成されていくことです。
ステージができるということよりも、プロの人達の後でやれること、やってみて恥ずかしくないことは一体何なのかを考えてください。
皆のなかでは、声や歌の基準がわかっているようでわかっていないものだと思います。そのことをきちんと見ていくことです。声が出なくでも歌が歌えなくても、その基準がわかるとなれば、その後、上達します。
自分でも歌ってみないとわからないから、声を出します。
最初からステージがあり、大変だと思います。
しかし、歌が歌えることや完成することを私が求めているわけではない。それはあなた方のやりたいことのはずです。そういう機会全てを通して得ていくことです。いろいろな材料がおち、自分のメニューが組み立て、実感していくためです。
多くの人は皆やりっ放しなのです。それで上達しない。それでは意味がない。そこでやれることは、今できることなのですから今の力でしょう。やりっ放しでは、ずっと同じでしょう。
何が違ってくるかというと、ちょっと慣れてきて、客の扱い方がわかってくるだけです。
音楽性や人が感動する本質的なものに近づいているわけではないのです。そういうことのなかでどれだけ感じられ、どう感じさせなければいけないのかを、頭でなく、体のなかでわかることです。
ここのレッスンだけでよいとはいえません。まして全ての生徒の対応がよいとは到底いえません。
しかし何事も1割のとても大切なことを見つけるために9割の無駄とか嫌なものがたくさんある。だから、休んではいけません。ここでのレッスンは、きっかけをたくさん与え、気づかせていくものです。
仕事でもそうでしょう。私の仕事でもそうです。好き勝手いっているように見えますが、9割嫌なことがあっても、たった1割のために耐える。
ここでの私と歌との関係はもっと悲惨です。年に3000曲聞いてみて、よいものは3曲くらいです。1割どころか0.1%、そんなもののために生きているのです。でもそれを聞いた瞬間、全部のもとが取れてしまう。だから幸せだと思うのです。
そういうものは、自分の考え方次第だと思いますが、あなたがそれを出せるようにしてください。私を幸せにしてみてください。そういうものが学び方です。
ポルトガルに行ってきました。アマリア・ロドリゲスの歌は、ここでもよく使いますが、彼女が死んだからです。ヨーロッパに行くのでしたら、音楽を聞きたいのならポルトガルがよいです。街のなかでファドが聞こえる。音楽が会話としても生きているというところは、少ないです。
イタリアのカンツォーネでも観光目当てのものしか残っていないでしょう。フランスでも電車のなかでアコーディオンやバイオリンは聞けますが、歌はなかなかありません。
時代が変わってきています。ポルトガルは女性一人で行っても安全です。
最初の志を生かすために、音や表現の世界で感じられるようにしてください。勉強の仕方も毎日のメニュー、カリキュラムを立てて、それを実行してください。月に1回でも週に1回でもよいのですが、レッスンは気づくのと同時に自分を発表する場です。
トレーニングの場としては、私のレッスンはおいていない。トレーニングにばかりに入ってしまうと、音楽教室と同じで、そのなかの問題から抜けられなくなる。
声を出し音を正しくとっていればよいと、受ける方がそれを目的にしてしまう。
そうではない。よりきちんと表現を出し、人に伝えるために絶対に大切なものだけで組み立てていくのです。
ここはどう利用してもらってもよい。どう利用しても同じように効果が出るということではない。あなた方それぞれの伸びる時期も伸び方も違えば、やり方も違うからです。
そういうものは最初にわかるということではない。
何百人も見てきて、いろいろなやり方があるし、いろいろな時期がある。
それを全部、抱え込むのは、私だけでよい。あなたは、自分自身で決めていけばよい。
人よりもできないというのは、やっていないだけです。人より伸びないということも他人と比べる必要はない。自分が後で大きく伸び、最終的に自分のめざすことができるように方向をとっていけばよい。
立つことと入れることをしっかりやってください。
今あるものだけではよくないから、出してみて足りないから入れる。入れてみて、入らないから出すとか、そういうことで意味を一つひとつの場と機会から得ていってください。
難しいのに出て、全然できないということであっても、皆が出る対象に含まれていたら、それで悪くないのです。次までやってこいといわれたら、次までにできることだから、それに対応しなくてはよくありません。
対象でないものには、まわりに迷惑をかけるので出られません。
そうでないものに関しては、たとえ難しいレッスンであっても、できることをめざすのではないという主意で行っています。そういうものにこそ、積極的に出てください。
人数の多いときは、トレーナーと向き合う時間は少ない分、他の人からもっと学べばよい。いろいろな声があることを聞くだけでも、1時間集中して、立って、声や音を入れていくだけでも、大変に意味のあることです。
他の人のステージは、皆も聞くに堪えがたいでしょう。そうしたら、そうでないためにどうすればよいのかを考えてみることです。
私はここのオーディションになると、1日に80人×2曲、160曲を続けて聞きます。私を苦しくさせないためにはどうしたらよいのか。
本当はエネルギーを与えなければいけないのに、エネルギーを奪う歌が多いです。そうならないようにしてください。
いろいろなヴォーカリストがいて、歌も下手、声も悪い、大したことではありません。それでもステージをやっている人はたくさんいます。そういう人からももっと学べばよいのです。
10代でやれている、そうしたら何かしらよいところがあるわけです。でもそれ以上やりたいからということで、また入れていってください。
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他の人を見て、何年かでこう伸びていったと思えば、もしかしたら何年か後に自分がそのプロセスを踏むかもしれません。そういう人が間違っていったなとみえたら、同じような間違いを犯す。予め知っていたら防ぐことができます。そうして自分の基準を先々まで、きちんと作っていくことです。
その基準が甘い。ライブをみても、受けるところが音楽や歌のところではない。違うところに客が反応しているのです。それは日本のライブの現状とはいえ、ここでそれで許すのなら、ライブをやっていればよい。選手宣誓のようなもので、思いっきり一所懸命にやっていたら、そこでなにも聞こえてなかろうが、なにか大声でいっていたら、元気があって伝わるとなります。それはスポーツ選手だから許されることです。
歌の世界のなかでは、ミュージシャンという部分の力が必要になってきます。そのことが正しいヴォイストレーニングをやる必要性になる。それが正していくのです。
そうでなければ、ヴォイストレーニングという基準もいらない。どんな歌を歌っても、どんな声の出し方をしてもよい。自分の耳から鍛えてみてください。
自分の好きな曲でもよい。こういう古い、録音状態のよくないものを聞いてみるとよい。それをごまかす音響加工をやってないということは、自分もそういうことが同じ条件でできるように直していけばよいのです。
ライブ実習とか、ライブとかで一番勉強になるのはピアニストと一緒にやるということです。ピアニストの方が曲の解釈と音の構築の仕方、みせ方を知っています。本当はあなた方の持ち歌だからあなたが知っていないといけません。音の動かし方とか、どこをどうおけばよいとか、どこは抜けばよい、どこはつなげた方がよいとかいうことについてです。
でも小さいときからピアノをやってプロレベルで弾ける人は、ピアノが正しく弾けるのではなく、音をどう動かせばよいかを知っているわけです。音の扱い方がプロなのです。そういう人の演奏を参考にしてください。
声ができることよりも、声を動かしてその世界をつくることの方が難しいのです。それはいつかみることができればよいということではなく、最初から無理にでもみていくことだと思います。そうでなければ、学び方も考え方も決まってきません。声の基準すらはっきりしなくなってきます。
いつも短いフレーズ、そして長いフレーズをくり返しましょう。前よりもまわりが理解でき、前よりも自分が時間とか空間を支配して、それを出せるようになる、自ら変化を出してうまく落とせるかというような練習をしてください。
曲ばかりをたくさん覚えている人もいます。それも勉強です。両方必要だと思います。いろいろな曲を楽しんで扱ってみてください。
課題曲も、それがよいとか悪いとかではない。人と比べ、すぐれているものをしっかりと読み込んで、出そうとすべきだと思います。そこで自分が理解できないものとか、他の人がどういうふうにしたということを新たに自分で気づけば、自分のよい財産になると思います。
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【とりくみ】
大変なのは集中力をキープすることです。自分のなかでも深めていきたければ、人並みはずれたコンセントレーションが前提です。ロングトーンにしてみるとか、レガートにして、そこに体を読み込んでいくことです。ある意味ではきついです。
私もバスケットとか水泳もやっていましたが、それよりもきつかった。スポーツというのはとにかく体で負担を引き受けていけば部分的に強化されます。歌の場合はすべて自分で感覚のところでチェックしていかなくてはいけません。そこで意識を絶対に離さないできちんと体を使うというのは、何事の世界でも厳しいことだと思います。
個人レッスンでやっていることも同じことです。はじめのころはこれについていくのがやっとですから、ひとりでやっていてもそんなに変わらない。本当にごく一部の人が、この30分間に出しているすべての音に対して厳しくチェックしているようになるということです。
呼吸に関しても同じです。それがちょっとでも乱れたらすぐにわかります。
本人がコントロールしていますが、コントロール不能になったところで、あるいはコントロールしたにもかかわらず、そのイメージと音が違って出た場合、意識に関しての乱れが問題のほとんどです。息が伴わなくなるとか、息のコントロールを誤ったとき、ストップをかけるかわりに私のピアノが同じところを2回弾くことになる。それとまったく反対でベストが出たときも、その感覚を覚えさせるために繰り返させます。この区分けがつかないような人は、レッスン失格です。
本当は無意識のなかでのトレーニングというのが一番望ましい☆。その無意識のなかで、意識的なことが起こったということは、その前に間違いが発生して正しているわけです。その後にすぐ戻れたら、それはうまく正されたことですが、なかなか戻れなくなるのです。
メニューに関しても、得意なメニュー、不得意なメニューがあります。初心者に対して、あまりも細かいことをいってもしかたない。たとえばこういうレッスンを30分やって、少しでも意識がぼやけるような人に対して、声をコントロールしろといっても、それは体力とテンションの問題です。その人がそれだけ集中した場で、耳を澄まさないと入れないのです。声を出せばよいという問題以前なのです。
出した声がどうなっているかを、耳で聞き取れといっても、マンツーマンの場合は自分の声しか聞こえないわけです。そのなかで何が正されるべきなのかということをきちんと見つめていくのです。だから、最初は集団の場の方がわかりやすい。
自分で練習するときに、初心者の場合は声を出しているだけ、汗をかいただけで満足しています。しかし、その音の世界のなかでみていかないといけません。ピアノでも楽器でも、ある程度、弾けたら、それがどういうふうに働きかけているか、自分のイメージをどう伝えているか、ということでチェックをしていきます。
基本とは、声がきちんと奏でられたかどうかをみるのです。その音がきちんとヒットさせられたか、声をかすれさせたり、ミスタッチとしても、そこにきちんと心を宿して音を出せているかということです。その方向に準備されているのかが問題です。ですからいつも感覚がそのまま音につながって動くようなことをめざしていくことです。それを邪魔するのが、声以前に体であったり、集中力のなさ、それから呼吸の乱れなのです。
よいトレーニングというのは年に1回か2回くらいしかできません。そのときの状態をきちんと捉えておくことです。日ごろダラダラやっていると、それが出たことにも気づかないということになります。トレーニングというのは、本当に気をつけないと甘くなり間違えていきます。
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これもカンツォーネからアメリカに入った代表的なものの一つです。スタンダードなものとして、英語とイタリア語を使います。
一流のヴォーカリストをみると、その前の必ずすぐれた一流ヴォーカリストをみています。つまり、誰をみるかで、自分のレベルも決まってきます。まともなヴォーカリストを聞かずに、まともになった人はいません。そのヴォーカリストが誰をみて影響を受けたのかを辿っていくと、おもしろい勉強になります。
基本を勉強するということは、20世紀までの音楽の歩みをきちんとみていくことです。それから、自分史というか、自分個人の小さい頃からの、本当は親子3代くらいさかのぼれればよいと思うのですが、自分と自分に入っているものを知ることです。
今のカンツォーネのアレンジを聞いて、そこからどういうふうにアメリカを通して変わってきたかというようなことをみると、わかりやすいでしょう。
何か音声で伝えるということがあって、そこにメロディーがついたり、構成がついて、そしてリズムがついて発展してきたわけです。前衛まで入ってしまうとわからなくなってきますが、20世紀は、リズムの時代、あらゆるリズムパターンが出尽くした、それを全部戻っていけばよい。
一番よいのは、みなさんのなかにある人間としての呼吸の部分に戻ること、一個体としての自分の身体とか、筋肉、脈、肺に戻るとそれほど間違わない。
こうしてなんでも、自分の位置づけと方向性をみるのが大切です。こんなにゆっくりとレッスンを進めたくはないのですが、何かをやる前にどうやるのか、何か考える前にどう考えるべきかということを、きちんとセットして始めないと、何にもならない。いい加減に渦中に入ってしまうとみえなくなってしまうからです。
この前のライブをみていても、2部くらいがいつもきついです。発声や歌のなかに入ってしまったら、そこから出れなくなってしまいます。歌は、その先に誰か聞く人を想定している。未来にその想定ができる人は生きのびられる。おかしな例ですが、過酷な収容所に入っても誰かとの未来を信じる人は、生きながらえた。自分だけで生きようとするとだめになってしまいます。 中途半端に優秀な人ほどだめになる。その思いがどこに届くかということだからです。
そういうことでいうと、こういう世界でも同じですから、うまい歌というよりは、その思いをきちんと届けてきた歌をその時代までさかのぼり、聞いてください。同じ時期の10代の天才的なヴォーカリストをみたり、映像を見たりしましょう。
今日は宇多田ヒカルさんのことで取材がきていますが、世界に通用するかとか、お気楽な質問ですが、ああいう少女というのは、他の国には何千人といます。それがふつうの国のあたりまえの状況で、そんな質問もありえません。しかし、そういう形の学び方、感じたままに歌にしていくというのは、基本の大切なところなのです。しかし、20代なら形からはいるのでは、足りない。間に合わないでしょう。
この前会った、今20歳のギタリストが3歳の時から始めて、14歳でプロデビューをして、キャリアで17年といっていました。仮に20歳から始めたら37歳、30から始めたら47歳までの人と同じものが入っている。日本では、17年やってもそこまで伸びないでしょう。「日本にいるときは先生の注意するとおりに弾いていたけれど、向こうに行ったら何もいってくれない」と、「自分が弾いたことに対して、ちょっとアドバイスがもらえるくらい」だということです。教え方の形態と目的が違うのです☆。
クラシックのギターでさえそうですから、ましてやポピュラーでは、実際に出すところまで出さないと何もいえないのが実際です。だから、自分勝手に作っていっていいのです。しかし、根本に感じていなければいけないことと、それをその先に投げかけていなくてはいけないというのが、基本的なことだと思います。
歌とか、劇団での台詞とかを考える前に、声は日常的に使っているもので、それを磨くということと、それから得たものをどう使えるかということを常に考えていないといけません。そうでないと、20才くらいで諦め、やるのかやらないのか迷いおもしろくなくなってくるでしょう。そうして多くの人が、自分の資質や才能を見極めぬうちに投げ出してしまうのです。
12月にまたライブをやります。できるだけ全ての機会に出ていくべきです。外の活動に関してはどうこういいません。同期の人の成長もきちんとみていく。2年経ったら2年分身に付いていく人もいれば、あらぬ方向に行ってしまう人もいます。そういうものがすべて材料になるのです。
トレーナーをみても、どうやってプロセスを経たのかなんてよくわからない。ただ同期では、いずれ、やる人しか残っていきません。でもやる人のなかで、作品になっていく人と、作品になっていかない人がいる。まず作品にしようとしているか、していないかです。それがなくて技術だけ磨いていても、よくないと思います。
試合と同じで、それに勝つためにどうするかというのがある。そこに技術がはじめて降りてくるのです。それを決めるのが、自分の位置と方向づけ、学び方というより具体的な方法論です。いろいろな方法論があると思いますが、自分の使いやすいものを最初は使いつつ、わからなくてもたくさん聞いてもらうのが一番よい。
わかるものをわかるように自分で歌ってみても、それは何もつくり出せたことにはなりません。もっと深く思いに入れておくことです。よくわからないけれど、音楽はもっと深いんだろうと、もっと上には上がいるんだろうと、そう考えた方がその距離をつめていく方向に自分をおくことができます。
この当時の歌い手も、そんなに音楽的なセンスがよいとか、歌心を理解しているという人ばかりではない。逆にいうと、歌は勢いでやれてしまうので、一見簡単です。それも大切なことです。あんまり理屈とか、状況をどうしようとか、感情移入をどうしようとか、構成、解釈を考えるより、まず勢いです。
勢いが決めてしまうところはスポーツと同じところもあると思います。しかし、そこで行き詰まったらどうするのかということです。勢いのあるときは勢いのまま出してよい、そこを必ず通って超えて欲しくもあります。
練習で一番大切なことは、接点をつけることです。自分の声がのりやすいところと、正しく出るところとは違いますが、目的によって違うことを、自分で理解しておけばよいと思います。
「アーマーミー」
「ティーボーリョベーネー」
こういう勉強をするときに、声から声をコピーすることも、歌から歌をコピーすることはあまりよくありません。歌謡教室では、ピカソの絵をみんなで描きましょうというようなものです。
まず、自分の思いがあり、描きたいものがあり、それを描いてみてそれがよくないということがわかったときに、基本に戻ってやるのです。みたものをどうとっていくかという構図からやっていきます。
歌の場合一番難しいのは、声がそれぞれ違いますから、それで翻弄されてしまうのです。同じことが自分の声に対してもいえます。あとで大きく使えるようになるような声よりも、今、器用に音域がとれて動かしやすい声が優先される。より深い呼吸やより体を使わなければいけない声よりも、逆に簡単な体の力がほとんどいらない、浅い息で楽に高いところが出るような方向に行ってしまうのです。だから伸びなくなるのです。