課題曲レッスン 1163
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【「ギターよ静かに」】
【「ヴォメロの洗濯女」】
【アモールモナムールマイラブ ②③】
【「マリアマリ」】
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【「ギターよ静かに」】
こうやって比べると、日本人で、2オクターブを歌うというのは、とても大変ですね。低いところもここまで落として、高いところはあそこまである。音響に負わないでやると難しい。高低がかなりあるということで振りまわされるか、逃げて処理するしかないからです。
「水辺には蛍 月は夜空に ただ一人つまびく」
まずは向こうのものに慣れていってください。ここで使っているものは、皆さんにとっては感覚的に難しいものです。歌として難しいのではなく、感覚として難しいのです☆。これは、今の欧米ポップスが根っこに持っているところの感覚です。それが比較的表に出ていると思ってください。変に響かせてみたり、変にエコーや音響をかけてなく、ギター1本でやったらこんな感じでよいというくらいで歌うということです。
それを今は押さえて、バックとアレンジしてレコーディングをしているという状況です。欧米のヴォーカリストが持っている体の条件というものは、昔と比べても劣えているとは思えません。
音響技術がよくなり、いろいろなタイプが出てきました。昔はマイクの性能も、楽器の性能もたいしたことがありませんでしたから、こうやってヴォーカルの部分が引っ張っていた。それは日本でも同じです。それだけ声の力が必要でした。
だから皆さんにとっては、アンバランスに聞こえるかもしれません。これは音響機器のせいではありません。要は、そこのなかでの違いを、今やりにくいところ、自分が引っかかってくるところというのは、欠けているところです。それを明らかにしていくことです。
それとともに体を楽器として使うということを覚えていきます。今まで息を吐いて「ハイ」と体でいっているところを、きちんと1点でもって動かしていこうとすると、3度くらいのなかでも難しいということがわかると思います。きちんと握って、それを離していくということです。
音楽のレッスンの前に、セリフのなかで体からきちんということを身につけることです。すると、半オクターブくらいとれるようになるはずです。そういう形で覚えていくと、音楽になるのには時間がかかるが、基準ははっきりとします☆。
どこにも接点がつけなければ、今皆さんが歌えているようにしか歌えません。それでよければ問題はない。自分のものをよりよく活かすために、体の原理をきちんと活かすことです。
それから、結果的に力は必要ないのですが、体や息に負わせておかないと、何も変わっていきません。支える力と働く力が必要です。
それで歌らしくならないのはよいのです。歌らしくならなくてもよいから、表現として前に出すことです。きちんと前に出せるようになってきたら、少し余裕が出てきます。そうしたらそこに変化をつけていくことです。できなくても、そのイメージとしてはきちんと持っていなくてはいけないと思います。
解釈力も大切になってきます。こういう歌を1回聞いたときに、一体この歌の何が価値なのか、何が人に伝わるのか、何でこう作ったのか、どうしてこういうふうに終わるのか、そういう疑問を持ってください。一つひとつの歌に対して、自分をねり込むことです。
別にこの歌に対してでなくても構いませんが、教材としては20年30年、アフリカでも、アジアでも、どこの国でもよいから人々が受け継いできたものを使った方が勉強になるでしょう。
ポップスというのは毎年10万も100万も出て、残るものが100分の1、次の年にさらにその100分の1です。それで20年30年残っているものというのはとても少ないのです。それがやがてクラシックとなっていくでしょう。
今の曲にも確かによいものはあると思います。でもその価値判断ができないうちは、認められ、受けつがれてきたものから学びましょう。同じようなところで同じような人達が歌っているもの、中にはよく知っている人が歌っているからヒットしてしまったということもあります。
何よりも声と声の動きがわかるのが、最良の教材です。だから原点に戻って、作品そのもので評価することです。音楽そのもので、作詞がよいのも、作曲がいいのも、歌い手がよいのもあります。
そこで、歌い手を読み込む。やがて、ヴォーカルのオリジナルなフレーズということがわからなくてはいけません。いろいろな演奏の形があるということを知っておくことです。何人かのヴォーカリストを徹底的に入れておいてもよいと思います。
ただし、コピーするところを間違えないようにしてください。この人が音を伸ばしたから伸ばすではなく、この人が伸ばしたくなった前の感覚は一体何なのかと、その呼吸はどうしてそうなのか、その人の呼吸でいうと2秒だけれど自分はどうかということです。それを2秒だから2秒伸ばすとか、3つ数えて伸ばすというのは形だけの勉強です。
今は自分の寸法にあわせてください。その寸法はあとで伸びていきます。瞬間を、瞬間の表現力できちんと握って出してみてください。
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【「ヴォメロの洗濯女」】
「預かりましょう 4枚だけ ハンカチーフ ハンカチーフ」
6/8のリズム、さらにナポリターナというのは、かなり歌い手によって呼吸で動かせます。全部を歌っていくより、流れにのせることです。いきなり強くは入りません。
「預かりましょう」のどこかにピークを置いて、また小さくして、そして次のところでおくだけ。「ハンカチーフ」の「チーフ」ところで入れて、次の「ハンカ」でいれるか、あるいは「ハンカチーフ」で落とすかです。それは自由に自分で構成してよいのです。
声楽的には、「返しましょう」が少しメゾフォルテかメゾピアノくらいで、次の「返しましょう」のところでピアノになる。その前にどこにもう一回クレッシェンドをつけるかです。その前のところの「しょう」までやるのも、1フレーズをやるのもあるでしょう。「か」から小さくするのか、「え」からするのか、「し」からするのか、その辺はその人の個性になってきます。
「目が覚めるように 綺麗にして返しましょう 返しましょう 返しましょう 返しましょう 返しましょう」
こういうのをていねいに歌ってみる。メロディアスにするまえに、本当に呼吸の力だけで、ていねいに扱ってみる。ナポリターナをやると、ずいぶんと自分のが粗雑なのがわかるでしょう。歌はていねいに歌わなければいけません。自分でも日頃やらないようなものをやると気づくことも多いでしょう。
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【アモールモナムールマイラブ ②③】
「アモ~」からいきなり入るのは無理です。基本的な動きがあって、これをひとつずつとれということではないのですが、どこかに中心がきていて、どちらかにちょっとずれる。感覚の問題ですので、これを計ってもしかたないのです。まず、そういう動きがあるということです。
アモーレモナムールのところまでやりましょう。これでソド~ ソドミ~で半オクターブになりましたから、もう少し動かせると思います。
アモールでソド~ソドミ~。ここにソド~というフレーズがあります。次もソド~ソド~アモ~モナム~ン、本当はこうです。ソド~ソドミ~のフレーズの作り方は、その人のイメージなり、感覚のもち方になる。
ソドミ~と上に伸ばしてしまう人もいれば、ミ~と落とす人もいます。次に、ラ~ソ~と続きますので、これを違うところから入ってくるのか、ミ~ラ~ソ~と前の延長上にいくのか、それもイメージのもち方になります。
音楽が発していないといわれていてもよくわからないと思いますので、細かくやっていきましょう。少なくともソードーと直線的ではありません。発声練習をやるときでも、ソのなかにドを入れていく、感じでいきます。
このときに、そのまま音をなめていってもしかたない。ここに踏みこんだところにつくっていきます。なるべく凝縮してください。
フレーズを大きくもっていって、声を少なく使うのではなく、ひとつの中心をいくつかもってください。最小で最大の効果を上げるということです。
ア~~モ~~~~と歌うよりも、アモ~とそこだけやった方が集中できます。その前後に息を適す流れとか、イメージがなければ、そこだけでアモゥといってしまって終わってしまいます。次にどこに行きたいのか。タ~タなのか、タタ~なのか。なるべく流れないようにです。アモーレだけでもよいですし、アモーレモナムールと長いほうがやりやすいかもしれません。
楽器と同じで、声を体に宿してみて、中に入って、宿せる声がひとつでもあればよい。アモールでも単に発する。要は、なるべく歌わないためにどうすればよいのか考えてください。
全部線でとっていく。それも歌のなかでは、ひとつの方法としてあります。しかし、今やりたいことは、どちらかというと、それを発する感覚の研磨です。
もっとつめてやってみましょう。アからモがうまれて、ルがうまれるとか、アモールの方からモナムールがうまれるとか、そのくらいの感覚で思ってくれれば、あまりバラバラにならないと思います。
ソド~といくときにも、ドで新しい音が出るのではなく、ソーーードとソの音のなかにドがうまれていく。それがフレーズ感です。
ドレミレドとやるときも、ビブラートをかける必要はありません。こういって、この音にくっつく。ここで生まれてくるわけです。フレーズからいうと、表面的ところがなっているように聞こえますが、実際は、音のなかで、次々にいろいろなものが生まれていて、展開していきます。方向性がこう、こういう方向性をもっているというだけのことです。
「アモ~ル」を「アモ~ルモナア モ~ル」に感じると、もう少しわかりやすい。半オクターブを自分が宿します。なるべく単純にする、音楽の一番根本のところです。
「ダーダーダー。」難しければ下げてもよいのです。
「タッタ~ダ~ダー。」いわなくてもよいし、歌わなくてもよいのです。「ダーダーダ~。」「タ~タ~」でもよいです。ことばでいうときも同じです。自分の体にとって、そこで「タ~。タ~」。難しいこともこんなものです。なるべく凝縮してしまうということです。「タ~タ~」で、「モ~ム~」これだけにしてしまいましょう。モとム。やりにくい人は、「ア~ナ~」でもよいです。
「タタータタター」ですが、「モ~ム~」です。いつも音をイメージで描いておいて、最小限で最大やるというのは、「タ~タ~」が出ていればよいのです。
それを、音のコントロール力のないところで出てしまうから、歌がだらしなくなってしまうのです。やたらと伸ばすだけになってしまうのです。凝縮して置いておけば、1点でよい。それは、拍のくるところでしめるのです。歌った方がやりやすいということでしたら、それでもよいです。
音楽の練習は、自ら、動かすことと、動いてくれるまで待つことと両方あります。最初の「モームー」で動かしていても音楽にならないときはしかたない。自分で、動きたくなってきたり、声が出たくなるまでしっかりと感じて待ってみましょう。
その練習はこのなかではできませんから、日頃からやっておいてください。「ラ」でやっている人もいますが、「ララ」とやるよりも、「ラ~ラ」とやった方が、簡単にはなります。「ララ」にもいろいろな「ラ」があって、いろいろなバリエーションがあります。それを最初に頭で決めつけてしまわないことです。こう行きたいとか、ああ行きたいとかそのなかで次の音が生じてくるべきで、決まっているわけではありません。
いろいろなとり方があります。コードからも、いろいろな動きができると思います。自分の動きを感じながらつくっていって欲しいのです。頭で、「モ~ルタックム~ルタックラ~ラ」という感じではなく、「モ~ル」といって、次にもう一度入れてひびかせます。音の高さが高くなっていくことは、それだけ意味がある。そういうところをしっかりと呼吸と合わせながらつくっていきます。
アモールとモナムールとマイラヴのラのところをどうおくのか。3つ同じで捉えてもよいし、最初の二つをくっつけ、次のを放す場合もあってもよいのです。
ついでに、「ララ」をつけてやりましょう。音色は変わっていきます。「ララ~」で放したときにいろいろな音色が出てきます。喉を使わないで、体で動くところ、心で動くところです。
「ド~ミ~~ラ~ソ~」とやってみましょう。つくっていることが見えないようにしてください。自分の感覚が声で邪魔されないようにしてください。余計なものを描く必要はありません。中心の線だけです。自分の感覚はこのままです。取り出したところで終わりたいものです。
声なり音が音色を伴って、あるいは、リズムを伴って歌になる瞬間、ある意味では高度なレッスンです。そのなかでしぜんに聞こえる人と、いかにも不しぜんに聞こえてしまう人、しぜんだったのに不しぜんにしてしまって、台無しにしてしまったと自分でその瞬間がわかる人は、すぐれています。
自分でわかる人は、1回ずつ出さなくてもよいですから、自分で直していってください。自分でわからなければ、録音で聞いてください。
ポップスはおもしろいもので、声が出ていたり、発声上、正しかったからといって、必ずしもよい表現になるのではありません。いろいろなパターンがありますが、ただ、結果として、しぜんにならなければいけない☆。
いろいろな要素がついてしまうとそれだけ複雑になります。「モ」や「ム」は難しいです。どうしてもよくなかったら、息を流してやるしかありません。しぜんにやる方法はいろいろあります。「モッムッ」と切ってしまうと不しぜんになってしまうのです。思い切り切って、「モオツムゥッ」とすると、しぜんに呼吸がわかってきます。
クラシックと違うのは、クラシックはほとんど「モ~ム~ラ~」とひとつの線上につくっていきます。ポップスの場合は、それを切っても切った反動で次のものが生まれてくれば、もちます。一番やってはいけないのは、中途半端にばらばらに広げてしまうことです。広げてしまうと自分で収拾つかなくなってしまいます。とれなくなってしまいます。表現はどこに行ってしまったのかという感じです。
発声で出すことも大切ですが、出したものをしっかりとコントロールします。自分でコントロールするというよりは、それが勝手に弾んでいくという感じがよいです。
きれいに抜くというのもひとつの方法です。こういう歌の場合、特に使えます。「モ~ム~ラ~」です。
もうひとつは、同じところでシャウトにもっていくやり方もあります。
とにかく、テンションは高いところでしっかりとコントロールしないといけません。高いところで、張ってもっていくやり方は、なかなか難しいです。発声ができていないと、かえって乱れが出ているからです。うまい人をみていると、やはり切っていきます。乱れる前に切るのです。
ことばから捉えても、フレーズから捉えてもよいのです。「れ」のなかで「る」をつくっていきます。「あふれる」の「る」で確認することもよいです。日本語は「ふ」のところで深く吐ける音がないので難しいのですが、深いところです。
「いのち」のところも同じです。ひとつに捉えた方がよいです。なるべく深いところの母音でやってください。音のイメージはつないでいくのですが、全部を歌うわけではないわけです。
「いのーちの」とか「いのちーの」とか、長さだけでなく音色も、自分のなかでフレーズをいろいろと試してみます。「いのちの」で切るのか、「いのちのいずみ」と入れ替えるのか。フレーズをつくってみたら、そのフレーズにある程度はのっかからないといけませんし、のっかかり過ぎてしまうと慣れてしまうから、どこかで変えていきます。「ち」でアクセントがきてしまうのですが、いろいろなアクセントの置き方があります。あまりはずしてしまうのは、よくありません。
張りは必要です。ていねいにやることと、力を使って出すことと、大きく出すことはまた、違います。いまのところ「アモーレ」の「ア」のところで、しっかりと「ア」と入れるためには、かなりテンションが高くないとよくありません。「いのちのかぎり あふれる」のこの、「あ」と同じです。「あふれる」のところでも確認すればよいです。
「マイラヴ」の「マ」、「ラ」のところでも、どこでもよいのですが、自分で確認してみればよいです。
そのときに、とれないとか、そこにバッといかないとか、声が前に出ないというのは、皆さんの力や感覚のまえに、テンションの高さのせいです。ていねいにやるといって、引っ込んだり、まわり出したりすると合わなくなります。そういうものがばっととれるように、前に投げ出していかなければいけません。
最初の声がコントロールできないときは、やや自分の声量では大きめにやっていかないといけない場合もあります。大きくすると、息が足りないこともわかってしまうし、作品にもならないかもしれませんが、大きく出せないために最初、テンションが出せない場合も多いのです。本当のことをいうと声の大きさと表現力は、あまり関係ありません。
声自体は、なるべくしぜんにやったほうが、働きます。ある程度できたと思った人は、どこが不しぜんなのか自分でチェックしてください。何かバタバタしているなという人は、より大きな声で、より体を使ってやります。全部が続いてしまってもよいのです。
それから一回外に出す。外に出した上で、余計なところや、伸ばしすぎているところ、もっと切らなければいけないところをチェックしていく。
小さく出すとか、早く切るとか、短くやることは、今の段階ではわかりにくいでしょう。歌のなかで自分で聞いて、なぜこう伸びてしまうのかと思うかもしれません。もちろん、その方がコントロールにテンションも、体の力もいるのです。
小さな声で表現します。弱く表現したり、しっかりと弱くあてたりすることは、至難の技でしょう。いろいろなところが働いてきてしまいます。それより、大きくでもよいから、まず、線を出さないといけません。表現ののる線を形成していかなければいけません。
こういう練習のなかで「アモーレ」の「ア」がばっといえますか。「いのちのいずみあふれる」の、「あ」がしっかりと外に出ていますか。
テンションと集中力の、これだけのフレーズをしっかりと前に出せている。体に入っていて、半オクターブくらいだからできてしまうという人ができているだけです。そうでない人には、バタバタしています。それは、テンションと共にコントロールしていかないといけません。
声のコントロールは最終的にテンションで保たせる。それが前に出ているときは、かすれても届かなくても案外もってしまうものです。そういう舞台をたくさん見ているでしょう。ただ、その瞬間、それを入れ替えて、そこで落ちてきたというときにパッとまた、切り替えることは大変です。
喉にきてしまったらそのままいってしまいます。そこで流れたとなれば、流れたまま最後まで行ってしまいます。それは、切らないとよくありません。日頃から、そういうトレーニングをしておくことです。
短いフレーズで繰り返し練習すればよいのです。こういう基本的な練習をしてみてください。
「はい」とか、「らら」とかいうことと共にやるのです。こういうものの一番高いところをどう出すのかというのは、声楽とまったく同じです。あてる発声で、「はい」と喉をはずし、上にあたっていたら、ここにきているということです。つくっていることとは違います。上の方で響いているものを、胸の方に入れていきます。そこでドラマティックに表現できるように、深くしていくのです。
ポップスからやっている場合も、体でしっかりともっていくところで力を抜いたら、正しくあたっているものです。優先順位が違うくらいのところはありますが、判断が違うわけではありません。自分で声をどこまでコントロールするかということだと思います。こういう基本的な課題ほど大切です。
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【「ギターよ静かに」】
こうやって比べると、日本人で、2オクターブを歌うというのは、とても大変ですね。低いところもここまで落として、高いところはあそこまである。音響に負わないでやると難しい。高低がかなりあるということで振りまわされるか、逃げて処理するしかないからです。
「水辺には蛍 月は夜空に ただ一人つまびく」
まずは向こうのものに慣れていってください。ここで使っているものは、皆さんにとっては感覚的に難しいものです。歌として難しいのではなく、感覚として難しいのです☆。これは、今の欧米ポップスが根っこに持っているところの感覚です。それが比較的表に出ていると思ってください。変に響かせてみたり、変にエコーや音響をかけてなく、ギター1本でやったらこんな感じでよいというくらいで歌うということです。
それを今は押さえて、バックとアレンジしてレコーディングをしているという状況です。欧米のヴォーカリストが持っている体の条件というものは、昔と比べても劣えているとは思えません。
音響技術がよくなり、いろいろなタイプが出てきました。昔はマイクの性能も、楽器の性能もたいしたことがありませんでしたから、こうやってヴォーカルの部分が引っ張っていた。それは日本でも同じです。それだけ声の力が必要でした。
だから皆さんにとっては、アンバランスに聞こえるかもしれません。これは音響機器のせいではありません。要は、そこのなかでの違いを、今やりにくいところ、自分が引っかかってくるところというのは、欠けているところです。それを明らかにしていくことです。
それとともに体を楽器として使うということを覚えていきます。今まで息を吐いて「ハイ」と体でいっているところを、きちんと1点でもって動かしていこうとすると、3度くらいのなかでも難しいということがわかると思います。きちんと握って、それを離していくということです。
音楽のレッスンの前に、セリフのなかで体からきちんということを身につけることです。すると、半オクターブくらいとれるようになるはずです。そういう形で覚えていくと、音楽になるのには時間がかかるが、基準ははっきりとします☆。
どこにも接点がつけなければ、今皆さんが歌えているようにしか歌えません。それでよければ問題はない。
自分のものをよりよく活かすために、体の原理をきちんと活かすことです。それから、結果的に力は必要ないのですが、体や息に負わせておかないと、何も変わっていきません。支える力と働く力が必要です。
それで歌らしくならないのはよいのです。歌らしくならなくてもよいから、表現として前に出すことです。きちんと前に出せるようになってきたら、少し余裕が出てきます。そうしたらそこに変化をつけていくことです。できなくても、そのイメージとしてはきちんと持っていなくてはいけないと思います。
それから解釈力も大切になってきます。こういう歌を1回聞いたときに、一体この歌の何が価値なのか、何が人に伝わるのか、何でこう作ったのか、どうしてこういうふうに終わるのか、そういう疑問を持ってください。一つひとつの歌に対して、自分をねり込むことです。
別にこの歌に対してでなくても構いませんが、教材としては20年30年、アフリカでも、アジアでも、どこの国でもよいから人々が受け継いできたものを使った方が勉強になるでしょう。
ポップスというのは毎年10万も100万も出て、残るものが100分の1、次の年にさらにその100分の1です。それで20年30年残っているものというのはとても少ないのです。それがやがてクラシックとなっていくでしょう。
今の曲にも確かによいものはあると思います。でもその価値判断ができないうちは、認められ、受けつがれてきたものから学びましょう。
同じようなところで同じような人達が歌っているもの、中にはよく知っている人が歌っているからヒットしてしまったということもあります。
何よりも声と声の動きがわかるのが、最良の教材です。だから原点に戻って、作品そのもので評価することです。音楽そのもので、作詞がよいのも、作曲がいいのも、歌い手がよいのもあります。
そこで、歌い手を読み込む。やがて、ヴォーカルのオリジナルなフレーズということがわからなくてはいけません。いろいろな演奏の形があるということを知っておくことです。何人かのヴォーカリストを徹底的に入れておいてもよいと思います。
ただし、コピーするところを間違えないようにしてください。この人が音を伸ばしたから伸ばすではなく、この人が伸ばしたくなった前の感覚は一体何なのかと、その呼吸はどうしてそうなのか、その人の呼吸でいうと2秒だけれど自分はどうかということです。それを2秒だから2秒伸ばすとか、3つ数えて伸ばすというのは形だけの勉強です。
今は自分の寸法にあわせてください。その寸法はあとで伸びていきます。瞬間を、瞬間の表現力できちんと握って出してみてください。
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【「マリアマリ」】
今、掲示にライブの総評をはり出してあります。私のではなく、トレーナー3人に書いてもらいました。ほぼ同じようなことが書いてあります。2部に関しては、よいとか悪いとかではない。意欲の欠如です。
草野球で4番エースなのか、それでも大変なことですが、2軍に落とされてもメジャーをめざすか、そこでコンスタントにやるのかの違いが出ています。第1部の最後の方には後者がいたのに対して、第2部にはあまりいないということです。
まったくやってなかった人というのは可能性がある。ただ、それはあくまで年齢が低いとか、音楽に対するキャリアがないということで、有利なことではない。それは入れていかなくてはわからないからです。ただ、ある程度やって、それで誰にも覚えてもらえないというステージになった場合は、やり方をゼロから考えなくてはいけません。
高校とか、中学校のスポーツ大会ではないのです。そのときはいわれたとおりにやって、わけがわからなくて、やり終わったあと全部忘れてしまう。今までのトレーニングは100回だったからだめ、次は150回やればよいと、でも、それでは疲れしか残らない。それまでやるだけのことをやっていた人ほど、そういうときは方法論、感覚、それからやり方を徹底的に叩かなければいけません。
でもトレーナーもいっているとおり、どちらがよいとか、悪いとかではありません。そこに立つつもりがなければ、その条件も必要ありません。
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「開けよ窓を 愛しのマリア かぐわしの顔 我に見せよ」
「熱き思いに 心みだれて 胸に切なき 君のおもわ」
「アー マリアマリー この夜も眠れず 嘆きて 一人窓辺による」
今の「トゥーセイ」は、入門科も④クラスでもやっています。あなたはどちらと判断されるかということです。勝負どころが違ってこなければいけません。最初は音をとるとか、言葉をとるとか、あるいはそのことに反応するということで精一杯だと思います。しかし、4のクラスになると、それはフレーズに出して、自分のなかで何が作られてきたかということを確認するくらいの作業になってくるのです。
要は、課題を振られたときに、振られてしまわない何かがそのなかに出てくるということです。3クラスの課題は、自分の歌をつくることです。しかし、全然作ってない。音楽を書き移しているだけです。だから、変わりようがないということです。そうしたら初心者のパワーに負けてしまう。10代の人でこの世界を知らなくとも、伝えようというやる気に満ちた恐いもの知らずのステージにかなわなくなってしまいます。今までやったことが前に出ていかなくなってきたら、それは伝わりようがないわけです。
つくるということがどういうことなのかをみるというレッスンが中心です。「トゥー」だったらそのなかに何が入っていて、それから次にいくときにどういうパターンがあるのか、そういう線を自分でいろいろと描いて、どの線がよいのかを自分のなかで見極めていく、その前にそういう線があるということを音の空間のなかにみていくということです。
舞台の態度のことをよく注意します。欧米の言語や、こういう音楽を処理するためには、それだけのテンションの高さと、構えが必要なのです。その構えは、集中力からです。テンションを下げて、いい加減にしてみたら誰でも悪くなる。だからその状態であって、そのことが変わらないのであれば、精神論のようにいいたくはないのですが、そこを叩き直すことです。そのことに本当に自分で気づいていないのです。
アマチュアがいくら書き移しても、原盤がよいに決まっている。原盤通りやるのが好きな人、ビートルズが好きな人は、そのファンのなかでやればよい。それが草野球のなかで好きな仲間と無理なくやっていけばよいということです。誰でも歌は歌える。
そこが見えてなければ、伸び率ということでみれば、かえってだめになっていく。だから取り組みに関しては、毎回詳しく述べています。
1部でもいろいろなキャリアの人がいました。プロでやってきた人もいます。そういう人に勝つとか負けるとかでなくても、その舞台のテンションが自分で作れない限り、表現が出て通じることはないということです。
今まで2年とか3年やったというのであれば、それが何なのかがそこに出てこなければ、ステージでも出てこない。 だから、自分でそこで線を引いてしまう、これくらいやれたらよいだろうということではここでは通用しません。その人がこれくらいといったらそれでよい。しかし、それならここでやる必要もない。自分でやっていればよい。評価されている人は単純に、しかし全力でやっています。
これから何かそこに積みあがっていきそうだなという人があがってきています。だから完成度というよりは、今までのなかでよくなった、今まで沈んでいたけど、何か変わったことが出てきたという、その可能性からでもよいと思います。
自分で決めつけ、勝手に作品を変えてみても、それはあるレベル以上の人がみたら、何でもないということがすぐにわかってしまいます。そこで一番問題なのは、本人がそれで作ったと思っていることです。それは作ったことではないのです。
トレーナーのライブのできもよくはないこともあります。最悪でも、それでも何かが聞こえてくるという最低限のところは守っているわけです。そこは何だろうと、自分のものが聞こえなければ学ばなくてはいけません。
最低限ベースのところで保っていて、ベストでなくても、出せるものは出しているのです。その出しているものというのは、声の状態のよしあしとか、トレーニングしたから出たり引っ込んだりするものではないのです。表現する心のことです。
いつも調子が悪いといっている人には、舞台というものは、いつも最悪なときしかないと思っておくことです。月に1回なら、まだ合わせるということができますが、いつまでもそうもいってられないと思います。 自分の思うようなセッティングができなくとも、誰でも同じ条件です。むしろトレーナーなどは、10時半から1部の人の歌を全部聞いて、相当精神的にきつい状態のなかでやっている。実力の差というよりも、そこのなかでどう考えていくのかということだと思います。
ステージングのよさ、歌のよさ、声のよさということでは、評価が分かれるのかもしれません。入門とか1クラスならば、入れるものを入れないとしかたがない。入ってないものに出せとはいえないから、入れ方を学ぶしかないのです。
入れるといっても千曲も一万曲も入れるわけではない。基本的に入れているものは100パターンだと思います。しかし、そこからいくつかのパターンで徹底的に使えるように入れるのです。
それは自分のライブに、根本になるものです。歌えるというのは、そのことから得られたイメージと、そのイメージを元に組み立てた自分のいくつかの作品が出せるということです。
どんなに素人が練習してみても、プロが初見したプレーにもかなわないというのは、プロは楽譜をみたときに、これの弾きどころはどこであって、そこを自分が最大に見せるためには、他の人とは違ってどう変えればよいかを知っているからです。個性もあるし、強い部分もあるとしても、そこをみていない人は上達しません。
そういう弱点のところをしっかりと補強していきます。音程もリズムもまだ、しっかりととれていません。それは練習量、精神的な強さ、一所懸命さとか、そういうことではない。部活動のことでもいいましたが、新たに自ら気づいていくしかない。
そこそこやれている場をここで持っているからだめなのかもしれません。プロの世界だと1軍から2軍に落ちたら、そこでもそこそこやっていけるやと思い、そこそこでやっていたら、絶対に次の年はない。そこで変わらない限り、2軍でやっていてもつまらない、1軍でやらなければやる意味がないと思ったら、そこでがんばるでしょう。そうでない人は、そこで終わってしまいます。
ここでも戦力としてすごいスターばかりがいるわけではない。そこで、どういうふうにするかということをみてください。野村克哉監督は現役のとき、プロのバッターだったら10割打てないとおかしいということで考えに考えた。そこから発想が違うのです。普通のバッターは3割をめざしています。4割ならトップです。
歌の世界も、それが極まってないということが、観客に伝わってしまう。普通の人がみても、そうだとしたら、プロがみるともっといないということです。
私は自分一人の見方に対し、必ず他のトレーナーの聞き方も参考にします。作品のよさとか、芸術性でみているのかといったら、そんなことではないのです。まだまだアティチュードの問題です。
日頃のトレーニングでも、今日のフレーズをみていても、クリエイティブに何か動きそうな感じはしません。必死になって、すがりついている感じです。
みんなにとって、そんなに難しいことなのかというと、ちょっと意味が違うのです。それなりに声楽とかを勉強しても、彼らの表現がすごいというのではありません。それに置き換えられないレベル、あなたから何も出てこないということが問題です。