一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

オリエンテーション 17221字 1802

オリエンテーション

 

 

○レッスンの主意

 

 以前は、プロの個人レッスンが中心で、週に1回くらいグループレッスンをやっていました。

その当時は、ほとんど歌う現場をもっている人だったので、読譜や楽典などは、行っていませんでした。

 

 研究所の主旨としても、ここでしかできないことに関して、やっていくというものだからです。

 

 まず、一人でできないことは、声づくりです。これは、何よりも将来の自分の声とそのプロセスが読めないからです。

 今はいろいろなメニューが多くなりましたが、基本的なことは、何も変わっていません。今後も変わらないと思います。

 

 

 ここは、自由にオープンしていた方がよいと思っています。いろんな人がいてこそ学べるからです。ただ、習っている人たちに対して、ここが約束しているような効果が出せなくなりかねないことには、厳しく対処していきます。

習い方、身につけ方を知っている人が少なくなったということと、そこまで音楽が入っていない人が多くなってきたからです。

 

 音1つ理解して反応できないのに、ポップスを聞いて「その通りに歌いなさい」といわれてもできるはずがありません。

 まったくの初心者の場合は、楽器や声楽から入るのも一つの手段だと思います。基準がわかりやすいからです。

 習う人が多様化してくるにしたがって、いろいろなタイプの学び方も必要になってくるでしょう。やり続けることによってわかってくることもあるでしょう。ということで、結果的に今の形になっています。

 

 理想は、あくまで理想としてあり、これは変わっていないし、今後も変わらないでしょう。それは、「音声で表現する舞台」の力をつけることです。しかし、理想のことをやるためには、受ける人が学べるレベルのところにいかなくてはいけないのです。

実力養成機関である以上、現実に対応することが必要です。そこで現実には、いる人に合わせて体制を整えていく必要があります。

 

 

 ここは2年制といっていますが、2年過ぎたら「いないでくれ」「出ても構わない」「まだ残っていてもいい」など、自由にしています。2年間に関しては、やめられないのでなく、私が追い出せないということです。

「規約に反しないかぎり、どうであっても2年はいてもよい」ということです。

 

その人の才能や可能性は、すぐにはわからないからです。また、本気でとりくむほど、いろんな問題にぶちあたり、やめたくなることも多くなるものだからです。しかし、それを一つずつ克服していき、あきらめなかった人だけ、夢を手にするのです。

 

 制度が複雑になったのは、全部オンしていくからです。

声のレッスンが、それだけでは足らないということで、リズム、音程などヴォーカルの基礎が加わり、毎日のように入っています。しかも、発表の場として、本来は自分でやるべきステージも加えました。音楽、歌、声を聞くことも必要です。

 

 

 レッスンにたくさん出たら、たくさん身につくわけではありません。しかし、これから身につけようとする人は意欲を示すことからスタートです。

スタジオが立派になって、いろいろなトレーナーやゲストがいて、いろいろなカリキュラムがあります。大学や専門学校のようにカリキュラムが豊富です。

 

これでは、ここにいたら何かを得られるのだろうと間違えられかねません。毎日行くことによって、何かが出てくるような錯覚に陥るかもしれません。

もちろん、場が人を育てるので、わからなくとも、くり返しそこに立ち続けることは、習得のための大きな秘訣です。

 

 本来は1人で全部やらなければいけないことを、この場を利用していると思ってください。ここでは、福島英やトレーナーの学び方を実際に見せているのです。

 

 

 ここには、一般で目にできない教材や海外でないと手にはいらないものなどがたくさんあります。こういうものもレッスンに応用されています。

日本で声についても、これほど多くのものを集めているところはないでしょう。

自分だけでこれだけのものを学ぼうとしたら、とても多くの時間とコストがかかります。

 

 それを私自身やまわりの人が学んだこと、学んでいることも含めて、ここはオープンに提供している場です。これで高いと思う人は、まだまだ利用できていないということです。

 私なり皆さんの先輩なりが置いていってくれたもの、そして、日々、同時においていっている財産を有効に生かしてください。

 

 昔、週に1回、貸スタジオを使ってレッスンしていた頃に比べると、いろいろと整ってきました。だからもっと成果があがるはずです。

 

 

 しかし、人間は不思議なもので、与える方の環境がどんなに整っていても、よくなくなるのです。大学の図書館がほとんど活かされていないのと同じです。

そこで本人が学びとることができなければ、その意識を強くもっていなければ、どんな環境でも効果もあがらなくなってしまいます。

 

 何もないときの方が、伸びる人材がでるのは、そういう人材が来るからです。ここも、今も何もないともいえることを大切にしていきたいのです。

 何もなければ、何かあった方がよいというので、いろいろなものを整えていくことができます。全部使えばよいのに使いきれない。

 そういう豊かさのなかで、あなたたちはか弱く育てられました。まわりが過保護にすると、個人の能力が出せなくなってしまうのです。その甘えを断ち切ってください。

 

 歌の世界、声を使って表現していく世界は、少なくとも音声で表現していく舞台である限り、自分一人の力しか通用しないところです。才能とは、どれだけ力をつけるために何をするかを学び、実行できるかということです。要は、誰でもうまく学び続けていけば、絶対に伸びていくのです。

 

 

 私が見ていると、日本では、10年どころか2年も続かない人が少なくありません。いろんなスクールを見ていて、そう思います。

「歌が好き、世界で活躍したい」と、いう人も少なくないのです。

しかし、それを本当に自分自身で信じられますか。

信じるためには、それだけのことをやらないと実感できないはずです。

 そういった人でも2年、経たないうちにレッスンにもあまり出なくなります。自分の志を忘れ、戦うべき場を自ら放棄するのです。

 

 もちろん、レッスンに出なくても上達できればよいでしょう。自分でレッスンを続けていけばよいのです。ここ以上のレッスンができたら、自分なりに試みていきましょう。

ここに来ることさえ時間の無駄だと思えるようなことでやれば1番よいのです。

しかし、それは、とても難しいことです。

普通は、レッスンでいろんなことに気づき、刺激を得るからこそ、一人で静かにもくもくとやるトレーニングの効果も上がるのです。

 

ここで毎日やるレッスン以上のことは長期的にみると、そう簡単にはできないはずです。

 だから、初心者は人並み以上のことをやれることを目的にして、通い続けることです。力がなければレッスンで人前に出なくてはいけません。

 

 

これからは、どこで生きていても厳しくなっていくと思います。会社員であろうが商売をやっている人であろうが、これまでのように甘いものではなくなるでしょう。

お客さんを引き受けて、ステージで歌う人、表現する人というのは、それ以上のことを、少なくとも音楽や歌の分野でやっていなければ続かないのは、いうまでもありません。

 

 歌にもいろいろな捉え方があります。仕事を一所懸命やっていて、歌でストレスを解消するのもよいことと思います。ただ、それは歌や声で表現していくことを本業でやっていくことは、まったく違います。本業を中途半端にしては、何の意味もありません。時間もお金も無駄にしたまま、歳だけとっていきます。生きた時間、キャリアに変えていくことです。歌を仕事にしたいなら、天職にすることです。

 

 私は、その人が音楽に接していること、歌を歌うことをやっているから、すごい、かっこよいなどとは思いません。あのようになりたいとか、楽して人にほめられたり認められたいなどというのは、かっこ悪いことだからです。要は、そこで何ができているかということです。

 それには時間がかかります。それまでのなかでどれだけのことをやっているかということです。

他の人に対してどうこうではなく、自分のなかの厳しいこだわりに対して、そのときの時間をきちんと使っていかないといけません。

 

 

 最初にいっておきたいことは、ここは、いろいろなものがありますが、それは場としてあるというだけです。漠然とした言い方かもしれませんが、その場のなかで、皆さんが、足らぬもの、必要なものに気づき、取り入れ、出してください。与えてください。

自分たちの表現にプラスになるように、表面につけるのでなく、根を太く深くするのです。

 

 表現することは、人に対して何かを伝えていくことです。自分から取り出して外に出さないといけません。

 そのためには、人の数倍のパワーも集中力もいります。それが何であるかということを見つめていかないといけません。

そこの部分は、何事にも共通しています。そこでやっていける基準を覚えていくことです。

 

 毎日の生活のなかで、常に音楽や歌に関わっているかどうかなど、どうでもよいのです。映像をみて、“勉強している”つもりでいるより、よほどましです。

 しかし、歌うことも、表現することも、人間の生きていく活動での一面です。生活と異なるものではありません。怠惰なたれ流しの音楽を聞くよりも一所懸命に生きて、自らの心や体に歌を生じさせていくことです。

 その場合、そのなかから歌を切り出さないといけません。生活でも、悲しいとき、うれしいとき、びっくりすることも起きるでしょう。それを3分間に凝縮してそれだけを緻密に構成して出していくことで歌の世界が成り立ちます。

 

 

 生きている以上、誰にでも素質も才能もあると思います。ただ、それを意図的に、自分が意識した瞬間に取り出すことが難しいのです。コンスタンスにいつでも取り出せ、いつでも保持できるには、力が必要なのです。そのためにトレーニングするのです。

 日常とそんなにかけ離れたことをやるものではなく、むしろ皆さんのなかに、はいっていることを出すのです。それを確実に人前で取り出すために、とても多くの条件が必要なのです。

 

 その1つが声、音声で伝えるということです。ここでは、声ということからそれをつかむようにしています。それが最初の課題です。

 そのために、自分のオリジナルの声を知ることです。これはつくっていくのではありません。皆さんのなかにあるのです。あっても、完全に取り出せないから、きちんと取り出せるようにしていくのです。

 

 次に、いろいろな音楽的要素に関わっていかないといけません。「自分たちで好きなものを聞いて、それを歌っていく」というところでは誰でもやっているのです。

皆がやらないことをやれということでなく、皆がやっていることは当然やらなければいけないのですが、それ以上のことをどうやるのかということです。

 

 

 ここでは、皆が触れていない音楽や、リズム、音の感覚などを広汎に取り上げています。それが合う、合わないでなく、学んでいくうちに、何か結びついてくるものであると、もう1つ大きく捉えてください。すぐに合うこと、まして何かが出てくることは期待していません。

 

 いろいろなレッスンがあると、自分がわかりやすいもの、すぐに身についてしまうようなもの、気になるものばかりを選びがちです。高校生なら、それもよいと思います。

 

1、2年で目標にいくという世界なら充分ですが、生涯かけていくのなら、それは誰でもやれているゆえ、ワンステップにしかならないのです。多くの場合、そこで留まるのです。

 

 

 とはいえ、まったくわけのわからないところからやれといっても無理でしょう。

ただ、もし、ある程度、音楽をやったというのであれば、わけのわかっていることをやってもしかたないのです。こういう世界は奥が深く、わけのわからないことがあって、そこから何か伝わってくるものがあります。そのもっと大きなものを認めることです。

 

 もし認められないのであれば、自分で同じようなことをやって、録って聞いてみる。あるいは、それなりの誰かに聞かせてみて、そこで判断基準をつけていくことです。人に伝わってなんぼのものです。それが自分でわかるようにしていく、厳しいチェックをしていくことでしか、本当には学べないからです。

 

 ここは、基本として必要なものが場のなかにあります。

与えるものが全部あるとまではいいませんが、無限に開けているはずです。

とり方によっては、それをヒントに自分で材料を仕入れたり、他の勉強をするのに基本となるものとしておいてあります。

そこから、選んで、組み立てて、出していくのが一番よいのです。ただ、あまりにたくさんあると、皆さんも迷うので、限定し、ある程度、優先順を決めてやっているのが、レッスンです。

 

 

 

○本を読みメニューをつくる

 

 私の本を渡しても読んでいないのか、本に書いてあるようなことに質問する人がいます。これは、時間の無駄であり、もっと学んでいる人たちが迷惑なことです。

当然、わからないことは、どんどん質問していくべきでしょう。しかし、それがただ、ことばのやり取りで終わっていることも少なくありません。いわれたことをメニューにおとし、やらなくては無意味です。

 

 自分のあり方は、どこでも選べるのです。ただ、自由というものは、自分で使えなければ、かえって不自由なものです。自由なメニューをつくるのに、不自由なメニューがいるのです。

 

 最初は週に1回だけ、本でも一緒に読んでいくような、あるレベル以上の人たちからいうと、面倒臭くなってしまうものからやるのが基本です。高校生やまったく音楽をやっていない人から見れば、何か習った気になるものからスタートです。そういう方法で軌道にのせるところまで、引っぱっています。

しかし、これだけで進めても、いつまでたっても人前に出たときに、何も歌えないということを知って欲しいのです。

 

 

 

○制度と自主性

 

 ここにきた時点での力の差は、かなりあります。プロでバリバリとやっていた人と、1回も人前でも歌ったことがない、自分でもあまり歌った体験がないという人もいます。

これを全て、同じレベルに整えるというのは無理です。2年くらいでは埋らない差です。

 

 しかし、声やその扱い方からみると、その差は、ほとんどドングリの背比べのようなものです。単に慣れているか、器用かどうかということで、共に商品にならないという面からみたら同じです。

 大切なことは、そんなところでの差を気にすることよりも、自分がもっと大きな力をつけることを考えてください。

 

 研究所は、入ってくる人のなかで、しっかりと学べている人は3割くらいでしょう。あとの5割は、学んでいるつもりです。2割は、いつの間にかあまり出てこなくなります。

 認められないうちに出なくなるのは負けです。その人がいないと、まわりがわかる、がっかりするくらいでないと、どこでもやってはいけません。

 

 

 私が、レクチャーなどで注意しているので、間違って入ってくる人は少なくなっています。他のところにいくよりはよいだろうくらいできている人も少なくなりました。どこに行っても、自分を活かせばよいのです。

 

 ここはそれだけ自由があり、自分が全てを選んでいくという自主制を尊重しています。

 いろいろな制度は、あくまで皆さんのいろいろな面の弱さを助けるためにあるのです。うまくここを利用して、よりよく使えるようにしていって欲しいと思います。

 

 2年間で、24回以上の発表の場があります。その発表の全てに臨み、そのなかでよくなっていくことが望まれます。何を学んでいけばよいのか、本当に通用するためには何が違うのかを学べる最初の2年間であって欲しいものです。そうしたら、ここを出た後に伸びていけます。それが大切なのです。

 

 

 2年経ったら、自分で考えていたよりも、すごいヴォーカルになれていたということは、たぶんないでしょう。そんなに甘い世界ではありません。とにかく最初は自分で見えたところまでしか行けません。

そのために必要なことは、まず、人よりも音やその裏、本質の世界が見えるようになることです。

 

 ここは研究所ですから、発表会があっても、全ては、自分の研究のための舞台です。クローズにしているので、遠慮なく自分を試してください。

自分を知るためにも他の人をよく見ることです。他の人と一緒にやるのも、皆で何か一緒にやればよいということではありません。

歌がうまくなることより自分のなかで音の世界が見えるようになっていくことです。そのために、いろいろなものがあるのです。

 

 ここに来る前にも、ここでも多くの提出物を書かされます。やらされているうちは、だめなのです。これが日常となり、そのなかでもっとやっていけるようになることです。

他の人がやらないところまで踏み込んだことだけが、力となっていきます。

常にいわれたこと以上をする人しか、残っていけません。

一つひとつのことに対して、常に要求されること以上のことをきちんと返していくことです。まずは、その姿勢が、評価されるための前提です。他人が、それもプロが認めなくては、やっていけない世界だということを忘れないでください。

 

 

 

○倍返し

 

 歌で生きるのだったら、歌が仕事になるのです。期待されている以上のことを毎回きちんと返していくということができたら、必ず道は開けています。

 

 たとえば合宿のアンケートが2枚あるとします。そこで、さらに何枚も書いてくるような人たちがここには、何人もいるのです。そうでない人は、少なくともそういう人たちに毎日、少しずつ差がつけられているということです。この一日の差が重なっていく、それが全てです。

 

 もちろん、出すことに自己満足をして、とにかく書けばよいという形でいい加減に出しているようではしかたありません。選別もせずにたくさん出せばよいと読めない字で出してくる人は、何もわかっていないことをアピールしてどうするのでしょう。

どうやって自分を伝えるか、そこに信用を成り立たせるかを考えてください。

 

 できていけばできていくほど、自分が何を表現しなければいけないのかとか、自分がどう歌わなければいけないのかというということが問われます。

ここのレッスンやステージは、そのヒントになっていきます。その形を自分で練り上げていくのです。

 

 

 

○問い続ける

 

 ここは、入った月から、いろいろなものをつくらされます。具体的な課題があるのは1ヵ月目です。2ヵ月目からは、自分で進めていきます。強制されることは、ありません。

トレーナーも、レッスンでやってきなさいとはいいません。しかし、こういうことが必要だといっているはずです。いわれているうちは、まだ皆さんはお客さんです。

 

 レッスンは遠方からきて、あるいは多忙で、あまり出られない人もたくさんいます。なので、会報にも一部載せています。これもその一つです。

たとえ出れなくても、そういうものを見て、自ら聞き込み、どんどん自分から学んでいくのです。

 

 わけのわからない世界ですから、そう簡単に対応できないでしょう。

「あとで書いておけばよい」「出さなくてもよい」「書かなくてもわかっていればよい」という言い訳をすぐつくってしまいます。

 

 

私がレッスンで見ることができるのは、声に出されたものだけです。提出物ではそれを補っているのです。もちろん、文章で伝えても声や歌で伝わらないうちは、認められません。しかし、それでも、あらゆる手段を使い、今の自分を伝える試みを怠るべきではないのです。

 

 その人が頭のなかで考えていようが、悩んでいようが、外に対して出されなければ、表現されたことにはなりません。まして、人の心を動かすことにはならないのです。

 歌がすごいという人は、すでにその毎日のプロセスがすごいのです。そしたらそうでない人の歌がそうでないのはあたりまえでしょう。

 

 だから、アテンダンスも表現の勉強です。ウジウジしたことをいくら書いていてもだめです。

自分でどうしようと考えたということがなければコミュニケーションにもなりません。相手に何も与えないからです。それでもなにも書けないよりは、マシだと思います。やがて、そのことに気づくからです。

 

 

 会報は、皆さんのアテンダンスなどから100枚につき、1つくらいを載せています。私が会報に載せる文章は、いろいろな意味がありますが、それでも載るということは、そうでない人よりも少しは勉強ができているということです。

 

あるいは、勉強ができていなくても、そのことが書き表せるということです。

これは、とても、大切なことです。世の中でやれるという力は、決して声や歌がよいということだけではないからです。

 

 何人もが人前でやったときに退屈させてしまう歌が多いなかで、何か引きつけるものがある、そういったものが出せることが、最初の取っ掛かりになります。それを気づき出すことに焦点を絞っていかないといけません。

 歌で問えない時期には、声でも、ことばでも、書いたことでも何でもよいのですから、そういうもので問い続ける生活をつくっていくことです。これは、アーティスト活動のベースです。

 

 

 いろいろなところで、何をやってきたにしても、一時、おいてください。ここは素振りをするところであると同時に声のの下地をきちんとつくっていくということです。

 

逆にいうと、いろいろな生き方がある中で、こういうもので生きていこうとしたときに、どこかで覚悟を決める必要があるのです。

 そこから一時、抜けられなくとも、そういうものが下地にはいっていたら、いろいろな可能性が出てきます。歌っていくだけが人生ではありません。人生を歌うのです。

 

 表現には、いろいろな表現があります。ただ、表現し続ける人間には、その必然性が生じてなくてはいけません。それには、どこかで下地をつくって、自分自身、逃げられないようにしていくしかありません。本質的なもの、真理に対面し続けることです。

 

 

 歌うことも、ものを書くことも、ほとんどの人は、やらなくても生きていけます。いつも取っ組みあうのは大変なことです。しかし、その真理に触れたら、それをなくては生きるのが難しくなります。

 まして、仕事にして、一生つき合っていくということは、遊びでやることとは別です。他の人とのコミュニケーションも必要になってきます。

 

自分がどんなによい作品を書いても、どんなによい歌を歌っていても、誰かに示さなくては必要としてはくれません。皆が求める前堤として、見せつづけなければ、わかりません。

研究所では、そこまでは、問えるようにしているのです。一瞬でそれを示せるようになることをめざしてください。

 

 求めるということは、同時に表現するということです。歌うことでお客さんを呼んで、呼んだお客さんに歌う。書いたものを出して、それを読ませて、また読ませ、書く。常に2つの働きが必要です。それが全て、レッスンのなかに、含まれているのです。

 

 

 歌を歌っても、最初にインパクトや、伝えようとするパワーがなければ誰も聞こうとは、思いません。聞いているうちに心地よくなり、もっとおもしろいことが起きるという期待が出てくること。そういうリピートのなかで確実にオンすることを繰り返されなければ続けていけないのです。

 

 ここで1ヵ月目にやるべきことでさえ、2年間かかってやれている人がどのくらいいるでしょう。やったから、やれていないのにやらなくともよいと思っているのでは困ります。

たくさんの学べるものがあるのに、ないと思っているのはもっと困ります。

 

いつも1ヵ月目の初心に戻ることです。

それをしないと伸び悩むのです。1ヵ月たったから、1ヵ月のことが身についているとは思わないでください。

 本当にやっていくために必要な表現の基本は、全てこの1ヵ月目の3分間のモノローグで、問われているのです。

 

 

 

○自分の練習帳をつくる

 

 自分の練習帳のメニューは、自分のことを見つめていったら、毎日、変わっていくはずです。1ヵ月目が終わったら、使わなくなって、新しいことをやるのではありません。

基本をくり返し、そのなかにさらに深く入っていくのです。

そうでなくては、いつまでたっても本当の技術は身につきません。その繰り返しのみが、力となってオンします。

 

あなたの練習帳のメニューは成長していますか。

 

「毎回、1回のレッスンが完結していって、どう進んでいくのでしょうか」と聞かれますが、レッスンは進みません。皆さんが進むかどうかです。☆

皆さんがレッスンを進めていくべきなのに、あまりに進まないから私が少し進めているのです。

それをできていると思うのは、甚だしい勘違いです。

先に道筋を示すことで、今やることの必要性を確認していきます。

 

 

 

○基本のトレーニン

 

 空手や柔道教室にも、上段者は練習に来るでしょう。しかし、だからといって、すぐに取っ組み合いをしないでしょう。準備運動、柔軟をして、基本の型からやるでしょう。正しくトレーニングをするために必要不可欠だからです。

そして、プロは24時間、自分を舞台の状態に管理しているから、すぐに核心に入れます。普通の人が、3時間やっても入れない。基本トレーニングというものは、そうして瞬時に入れる状態をより確実に安全に整えるためにあるのです。

 

 最初の1年くらいの間はアテンダンスをびっしり書いても、2年目になったら書かなくなってくる人が多いようです。本当のことをいうと、2年目、3年目から勉強ができるようになってくるのに、1番勉強のできるときに勉強しなくなっていくのです。

 それは、その人が、自分で自分を見切っているのです。それを他人が助けるすべはありません。

慢心恐るべし。

 

 表現ができていくということは、どんどん書きたいこと、歌いたいこと、歌えることがでてきて、できてくるということです。1年目に、表現し尽くした、書き尽くした、歌い尽くしたなどといっていたら2年目はありません。そういう意味で、何かが進んでいったり、1年、2年といろいろと新しいものが与えられるわけではありません。

 

 

 歌や声に必要なものは、私の1回のレッスンのなかに、ほとんど含まれています。どのレッスンでも、そのなかで1年どころか、一生かかって必要なものを1回のなかでやっています。

しかし、そのことを、一生かかってもできないまま終ってしまう。その第一の原因は本当の意味で、本気でやろうとしていないからです。それは一番基本の点を見ていないからです。

 

基本とは本当にシンプルなことです。レクチャーで私が例を出していると思いますが、わずか、3秒の違い、たとえばそれだけでも2年経って完全にできていますか。

それは、1ヵ月目からの課題ですが、1年を目標に与えています。それもできていないところに、何も、のっかっていきません。

本当の力とは、瞬時に示せるものなのです。

 表現するということは、形にして表わすということです。レッスンでのあらゆる機会を捉えて試行してください。

 

 そうして、いろいろなレッスンにたくさん出て、きちっと見て、問うていけばよいと思います。要は、3年後、5年後、10年後にどういうことができ、どういうところにいるのかでしょう。

自分でやらずに自分の可能性を見切っておもしろいはずがありません。

一流の人は、やれていることが一流なのでなく、そのプロセスで一つひとつの壁を乗り越えることにおいて、一流の努力家であるということです。

 

 

 

○プロのトレーニン

 

 本人の吸入するパワーが強ければ、ここも、たかだか2年です。あっという間に過ぎます。

何かをやっていく人であれば、ここを生かそうとして2年たった頃から、どんどんパワーがあまって出てきてちょうどよいくらいだと思います。

レッスンは、2年めからおもしろくなっていくのです。

 

 それを、ここに頼りたくないとか、一人でやれるといって、放り投げてしまう人も多いのですが、どうでしょうか。それで、他のところでここよりもやれた人などいないと思います。

とはいえ、慢心しているときは、何をいっても、どう引き止めても、本人が気づかない限り、無理です。

 

 ここの制度に支えられるのではなく、自分がとことん利用していくということになれば、ここのシステムは、この上なく便利に捉えられてくるはずです。

要は、どれに出ても自分に最高に活かせばよいというだけです。

 

 

 「トレーナーのいう通りに学びなさい」と、いっていません。自分の出したいものに対して、トレーナーを使っていかなければいけません。最低でも、トレーナーを超える、トレーナー全員に認められる、これが、ここの2年間の過ごし方だと思っています。

 

 最初は「何をやればよいのかわからない」でよいと思います。「どう書けばよいのかわからない」ということからスタートです。

きちんと学べている人がそれを見せてくれていますので、参考にしてください。

 

必要なのは、人前に出つづけるパワーです。それができている人たちのなかの何割かが歌なり声なりを身につけ、表現の世界に進んでいきます。

そこまでやっていない人は、効果が出ないでしょう。研究所にいるだけでやっていないなら効果がでないのはあたりまえでしょう。

 

 

 やったという基準は、ここで皆さんに見えているところでは、最高にやっていると思う人たちが、最低のレベルにあるくらいのところです。本当のプロは、それ以上のことをやっています。

 量だけでなく、質や求めている目的の部分で高いレベルなのです。それは、多くの人には何年か先からしかスタートできません。それまでに放り出さないことです。

 

 まだできるのか、できないのかわからないような実感で、きていませんか。

できなければ嘘だというところまでやればよいのです。

人間、必ずできるものなのです。必要なところは、必要な分だけ身につくのです。

 

 

 

○上達のために

 

 大切なことは、それだけの必要性を自分のなかに見つけられるかどうかということです。ただ、「歌をやりたい」「ステージに立ってみたい」というくらいでは、無理です。

「ここまでやった自分がステージに立たないのはおかしい」

「自分を認めない客がいるのは変だ」と思い込めるところまでやらない限りは、そういう状態にならないでしょう。

 

それでも、「だって、こんなにやったのに」という人の10倍、やっている人はいるです。

人の10倍くらいやれば、人の2倍くらいは身につきます。

人の2倍くらい身についていたら、人が少しはうまいと思ってくれます。

 

 人よりも少しうまいというところが、普通の人には見えません。あるいは、ときたま見えてもちょっとうまい、すぐおいつくで片づけてしまいます。わずかそれだけの差をつくるのに、どれだけの時間と手間がかかるかということです。

ただ、長くやればよいというわけではありませんから、また、難しいのです。

 

 

 入った人には、やった分、ここで元を取れるようにして欲しいと思います。そのために1つひとつのものを大きく捉えていって欲しいと思います。一つひとつの判断、言動にあなたの心構え、生き方、判断力、全てが問われているのです。

 

 プロの世界であれば、ここにあるようなガイダンスはつくってはくれません。

自主トレで自分自身で問う、自分でまとめて、自分で考えて、自分で課題をつくって次の時までにやらなければいけません。

 

ここでは、最初からメニューから学び方と具体的に示します。

学べているという例もまわりで見ることができます。

それがどれほど大切な材料か、わかってください。

 

 

 

○問いをつくる

 

 プロとは問いをつくれる人です。皆さんは問いがつくれないから私が問いをつくって、答えやすくしているのです。だから、この問うたことに答えていても、本当はしかたがないのです。

それはできてあたりまえなのです。

自分で問わなければ意味がありません。問題は問うことです。

ここを出るまでに、自分で問えるようになってください。

 

 大切なことは、問いに対して答えたから終ったと思わないことです。そこから問い始めなければいけません。そういう問いを始めた人のみが、上達していきます。

 アテンダンスでも、一枚一枚は、書いたからといってもどうってことないのです。しかし、やらないよりもやってみる。千枚くらい書けば、ちょっとした力になってくるでしょう。

 

続けていくと、最初よりは、ずいぶんとよく書けるようになるでしょう。トレーナーとのコミュニケーションになり、レッスンも深まります。トレーナーの学びにもなります。

 

 

そのくらいのパワーもないのではどうしようもないのです。

 書いたところで終ったと思わないでください。自分で書いて、自分で気づいたことをどうやって克服するか、克服したところを実際のレッスンなり、発表の場で出せなければ、そこまでのことも認められません。そのために書くのです。

 

 この研究所は、世界の舞台への時間を見ているところです。ここでは、今できないことは、しかたがないと待ちます。しかし、プロなら、それで終りです。即戦力にならなければ、次から声はかかりません。ここでは、じっくりと自分をみて、できる方向にもっていけばよいのです。そこが根本的に違います。

 

 ですから、やり方を間違えないことです。すぐにうまくならなくてもよいのです。通じなければいけないと思うと、通じるような形からつくりだします。それは応用で、演出です。もちろん、それも学び、試すのはよいのですが、それがここでの実力とはなりません。

力がないにもかかわらず、形をつける方に目を行かせないことが、ここの良心です。☆

 

 

 力がないのに、こちらで補ってアレンジしたり、ヘタを目立たせず、無難に表面的にカラオケの点数をあげるような処理をするのはよくありません。

まず、本人が基本に気づくまで、待たなくてはなりません。

基本を身につけなければいけない時期に、今の力をあいまいにして、先にいってはいけないのです。☆

 

 マイクを渡し、プロの伴奏をつける。そうしたら、あなたは、そこそこ、できた気になってしまうでしょう。しかし、それは、いうまでもなく、あなたでなくても、少し器用な人なら皆、もっとうまくできるのです。

ですから、真の上達とは少しも関係ありません。むしろ、妨げます。

いつまでもそういうことをくり返しているなら、本当の力がつきません。

1回どこかで誰かに無理して舞台に出してもらっても、それで終わりです。

 

 ここでは、たった1人がどれだけのことができるかを、問うていきます。それでここにいる人に待たれるようになれば、マイクを渡したいとまわりが思います。

マイクなしで300人にまで声がとぶでしょう。バンドをつけたら1000人に伝わるでしょう。アレンジャーをつけたら、日本中に伝わるかもしれません。これが、トレーニングで上達していく流れです。

 

 

 

○表現は人を巻き込む

 

 その人が伸びていって、それだけの表現を出していたら、まわりはそれを助けたくなります。何とかその人を生かしたくなります。これは、今の日本のオーディションやプロデューサーが人を見つけてくることとは全然違うのです。

音声でそれだけの力を自分につけて、まわりを動かしていきなさいということです。その力がなければ、所詮、ここにいようが、ここを出ようが、たぶん、この線ではやっていけません。

 

 何よりも、自分の一生の可能性をたかだか2年くらいで問わないでください。1年で歌がうまくなって、2年でいろいろなステージができることが1つの理想かもしれませんが、仮にそうならなかったからといっても、決してだめだということではありません。

求めることが大きければ、時間もかかるのです。その可能性をきちっとつないでいくことです。時間をかけ、手間をかけて育てていくことです。

 

 しかし、可能性をつないでいくためには、自分自身がわからないといけません。自分に何が足らないのかを知って、学び、その上で何があり、それをどう出せばよいのかを体得することです。

 世界中の歌の全てを一流に歌えるということは、必要はありません。自分が絶対に勝負できるところをもてばよいのです。世界の一流のヴォーカルがきても、それに負けないものをたった1つでいいから見つけることです。それに力を集中してつけていきましょう。

 

 

オールラウンドにきれいに歌えても、それでは、ジュークボックスと同じで、何の意味もありません。その人でなければ歌えない、その人でなければできないというようなものがなければ、どんなに発声や技術があっても弱いものです。

 

 自分を知り、同時に知ったことを音声で表現していく舞台にどう結びつけるかということを学ぶのです。相手が音声という見えないものであるだけに、学び方は、とても難しいのです。

でも、学べていった人がたくさんいます。

 

 学べている人が必ずしもやれている人ではありませんが、やれた人というのは、学べている人なのです。それだけの内面の世界と自分をきちんと見つめてやっているからです。

本当にそのレベルになれば、もう何も書かなくてもよいのです。書くかわりに歌えばよいのです。役者であれば、演じればよいのです。

 

 

 レポートは、最初にそれが音声としてできないから、書いたものを比べて見るところから学ぶわけです。

「同じものを聞いたのに、こんなに深く読んでいる人もいる。」

同じレッスンなのに、こんなところから、こんなことを感じている」

「全然、読めていない。ほとんど、すごかったしか書けない」

そういうことがわかったら、そこに学び方のコツがあるのです。

 

基準をつけることと、自分の力を知るのには、そういう世界が見えないと、自分の表現も見えてきません。人並みにやっていたら、人並みで終ります。

それに関しては、各人の努力に期待するしかありません。

 

 

 

○3つのルール

 

 いつも最初に3つだけいっています。これが守れなくなると上達できなくなるからです。

 1番目は、人の後ろに隠れるな、とにかく、最終的に人前に出ていかないといけないのです。後ろで参加しているその他大勢のエキストラのようなことをしていてもしかたありません。何であろうがとにかく前にでていくことです。

「迷ったら、迷えるなら、出なさい。」です。☆

 

 表現していく世界では、自分で場を確保しない限り、場はなくなっていきます。どこかの時点で人前に出なければいけないのであれば、ここにきた時点から人の後ろに隠れないことです。

人前に出て、たくさん恥をかいてください。出続けることがキャリアになります。

 

 

 2番目は、他の人をまねないこと。他人のフレーズは、その人にとってはオリジナルでよいものでも、あなたにとっての正解ではありません。まねると、悪いクセがつきます。いろいろな人がいろんなサンプルを見せてくれるのはありがたいことです。それは、どういうタッチがあるのかとかいう一例です。

自分の好みをいれないで、基本的な部分から、どういうタッチが必要なのかを考えていくことが大切です。すぐれた人の声や歌のフレーズの作り方を参考にすることはよいのですが、それをそのまままねてみても何にもなりません。

 

常にそこで考えてください。自分はその音楽を聞いてみてどこを受け止めたか、その受け止めたところをどういうふうに変えていきたいのか。そういうことが閃かないうちは、表現はできません。

 トレーニングというものは、いつも気づきを求め、感じてやることです。そして同時に自分を出すことです。

 

 でも、自分を出すことを「こうだ」と決めつけていては空回りにしか過ぎません。そのなかに、入り、よりすぐれたものをとり込まないといけません。

音楽の基本的な要素、この音が来るのだったら、きっと次にはこの音が来るのだろうということが、何となく体でわかって、何となく自分の曲をつくる前のベースのものがはいっていかなくてはいけません。それは先ほどいった、下地につながります。

 

 

 3番目は、これも誤解されることを承知でいいますが、群れないということです。

皆さんがここですぐに10人の同志をつくっても、こういう世界では、あと9人は、いずれ去っていきます。

 

自分よりずっとすぐれた人と、つきあいなさい。そういう人はつきあってくれないでしょう。つきあってくれない人とつきあえるように力をつけなさい。

また、もっと別の分野の日本を超え世界に出ていくような人とつきあいなさい。

そういう人とつきあえるだけの自分になりなさい。(日本では、歌は、もっとも低いレベルの一つです)

 

 今、皆さんがやることは山ほどあります。それをやるには、時間が本当に足らないはずです。時間を全て音楽にかけなさいということではありません。

仕事も学業も大切なことです。しかし、とりくむ時間の意識を鈍らせないことです。

 

 

 表現するときにきちんとしなければいけないから、日常生活もだらだらせずに、学ぶにも気を張ってものを観るから、入るのです。毎日のなかで緊迫感、緊張感がないのであれば、表現のときによいものが出てきません。

日本人はどうしても群れて、人づき合いのため、自分を曲げてやらなければいけないことが多すぎるようです。しかし、トレーニングのときは厳しさに支えられたものでないと、通じるものになりません。

 

 声が大切ならロビーでの無駄話もやらないでしょう。私は、こういうやる気のない人の群れを批判する暇も必要もないので放っています。やらない人ほどよく群れ、しゃべるのは、どの世界も同じです。不安だから仲間をつくるのです。

前向きに歩まないから、他人に眼がいき、批判的になるのです。残念ながら、どこでも9割近くの人がそうなのです。つまり、世間によく見られるように動いてしまうのです。

 

 人と異なるもの、人と違うものが出てきて、はじめて認められるはずなのに、人と同じように動いて安心するのはただのお客さんです。

たとえ、ここの9割がそうなっても、私は個を表現できる人の作品を評価しています。

安易なコミュニケーション(師弟とか同窓生とか)を期待しても、ここでは正直に通じないようにしておくことを課しています。

 

 

人間より作品、才能によって、その人をみていきたく思っています。

誰にでもよいところはあります。しかし、歌でそれが消えてしまうなら歌の方をやめるべきでしょう。

そうならないためにしっかりとレッスンにとりくんで欲しいのです。