一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー2 14935字 1192

レクチャー2

 

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【とりくみ②☆】

 

○カウンセリングの目的

 

 最初に1ヵ月目にカウンセリングをおいているのは大きく2つ目的があります。 

ここは入るまでに、トレーナーの紹介も、レッスンの内容も示さず、一括して説明し、好きなように使ってくださいといっています。人によっては、目的や目標とここの体制の接点がつかめないとか、こういうことをやりにきたのに、そういうことに対応するレッスンがないと思う人もいる。そこに、答えます。それから、どういうふうに過ごしてよいかわからないとか、ここを使うにあたって個人的に抱えている問題があれば、聞いておきたいということです。

 

 こちらで対応できるものがあれば、すぐに対応します。できないとか、やらない場合は、その理由を説明します。もう一度、研究所での意義を考えてもらえばよいと思います。 

そういう意味で、ここの1ヵ月目は体験レッスンみたいなもです。 

 

もう1つは、ここは複数のレッスン体制をとっているので、個別に専属トレーナーがついているのではありません。見解の相違、あるいはレッスンでの優先順位の相違が出てくることがあります。誰かの先生にはこういわれたが、違う先生にはまったく逆のことをいわれたとか、そういう最初の時期にある混乱があれば、いってください。

 

 

 こちらの方も初めからこういう人だと決めつけないで、1年、2年と見ていくなかで、ステージとかレッスンのなかで出てくるものから、本当のオリジナリティや才能を徐々にわかっていくようにしたいと思っています。 

いろいろな人がいます。最初から好スタートを切れる人もいます。あとからどんどん伸びてくる人もいます。 

 

何が足りないかというのはわかるのですが、急いで身につけさせるということもできません。足らないことは、少しずつ指摘していこうと思います。 声のこととか体のことで聞きたいことがあれば、聞いてください。

 

 

 最近は昔はあまり使わなかったような日本の歌手の曲も使っています。昔はなるべくよいものだけを聞かせていこうと思っていたのです。でも、よいものというのが何かというのが、今の世の中、わからなくなってきていています。 

 

たとえばここで「バン、バン、バン」と入るところが、音楽を台無しにしている。そういう判断基準というのは、曲を知っているということよりも、もっと別に根本から勉強をしなければ難しい。

 もっと単純にいうと、たかだか歌、音楽の世界ですから、共通の感覚というものがわかっていたら判断がつくのです。ここの場合はカンツォーネシャンソンを使って、基本というのをわかりやすくしています。そこのなかですぐれている、すぐれていないということを区別できてこそ磨かれてきます。 

 

ある時期、そのことがメジャーになって人々に受け継がれるまでというのは、その磨かれ方もある価値観のなかでやられている。いろんな民族音楽があって、それぞれ旋律も、歌い方も違います。でもそれがあるとき、それが深まると、空間を超えて違うところでも伝わるのです。

 

 

別のところで聞いた人達が、これをアレンジしたら流行るかもしれないと思った。枯葉とかマイウェイは、もともとシャンソンだったものを歌い替えてああいう形にしました。その方がワールドワイドに広がるようになりました、それを日本人が聞いて、日本語をつけ歌ったりして、そのなかで、さらに曲もアレンジも変わってきます。どんどんとそれを応用していったのです。 

 

そこで聞く方での国民性が受け入れるように、客がわかりやすく、あるいはその時代に待ち望んでいるような用語や感じが使われていく。同じ歌をいろんな人が歌っていくと、そこでいろんな差ができてきます。どれがよいとか悪いではなく、応用された世界では、そのファンが聞けばよいのです。

 

 日本の歌で情けないのは、アルバムなどを聞いて、1曲はよいのですが、だいたいヒット曲ですが、そのほかの曲になるとかなりレベルダウンします。それから1番と2番と3番を比べていったら、だいたいその順番でよくありません。歌い手自体のテンションなり、ヴォリュームがもたないのです。

 

 

 このレッスンでは、今まで日本の音楽界のなかで、すぐれた人達が勉強をして超えられなかった問題や、起こしてきた問題の解決を含んでいる。ここで1フレーズは持つけど1コーラスは持たないとか、1番はよいけど2番はテンションダウンしているとか、何よりもそれは歌い手が意識していないのが問題です。日本人が日本の生活のなかでそんなに突然変異が出てくるのでもありません。

 要は、こういったものを聞いてみて、音楽的観点から判断できる耳を鍛えていくということです。 レッスンでは、そういう力をつけていくのです。 

 

最初はは相手にわかりやすいように考えていけばよいのですから、自分の本音というよりも、客狙いで考えればよい。

 ポップスというのはまさに表現の、メッセージの世界です。ただ、こういう音楽性ということに関して、体の原理とか、共通性というものをもっていないと、どうしても1オクターブ以上を用いて、3分間で勝負するときに、薄まってしまいます。 

 

欧米に対してプロとヘビー級とフライ級の差を感じてしまうというのはしかたがないことです。日本人が一番足らなく感じていることは、声の厚みとか、重層感だと思います。それを出すために他の楽器や音響で補う場合もあります。しかし、それの元にある感覚というのは何なのかということです。

 

 

その重層感を、薄くして、放して「ボンボンボン」と入ってくるアレンジというのは、飾りです。日本人のアレンジの多くは、頭だけで成り立つようにしています。歌い手の可能性のなかで、いろんなことが起きてきます。新しい音色が出たり、新しい線が出たりするのに、そんなことは関係ないとされてしまうからです。

 

最初からアレンジでの正解の世界があって、それをやれば平均点で合格となり、誰からも文句はいわれないのです。そういう仕事というのは、有能ゆえに不真面目な仕事です。もちろん力のないヴォーカルにとっては、それがあったからよかったということになります。

 

 基本の共通の感覚を踏まえた上で、1歩、自分のスタンスのところまで出してみようというのが、こういうフレーズの勉強です。そこに音感、リズム感、構成、音色のこと、自分の体、呼吸、声の響き、全て入ってきます。

1オクターブ半で1コーラスでできないことを、たった1ヶ所でよいからとにかく形として出してみようということです。それがどういう作品になるかわからなくとも、絵でいうと、キャンパスを出して、そこに線を引いて、きちんとその線をみて直していこうということなのです。☆

 

 

 こういう曲はずっとやっていますが、聞き取れていません。イタリア語が聞き取れていないということには慣れもあります。今はレッスンにも入れているのに、できません。 

昔は指導もなくある程度は歌えていた。耳が悪くなっていると思います。 

 

歌詞を見て取りなさいということではないのです。耳で聞き取れなければ、ことばではいえないのです。違うことばに置き換えてもよいのですが、そのことと雑に扱うことというのは違います。基本ではていねいに扱わなければいけません。だからといって体がつかなかったり、勢いがなくなったりしないで全部を同時にやらなくてはいけないのです。

 

慣れ、不慣れというのはありますが、基本的に正しく歌ってから崩すという、そういう教え方はあまりしたくありません。最初から創る方がよい☆。正しく歌うのにも5年10年とかかるからです。しかし全部を忘れてくれたら、2年で変えられる。 

 

 

それは自分が何をしていくかがわかっているからです。イメージのなかの間違えとか、感覚のなかの間違いであって、決して自分がイメージしたものに対して声がついていないとか、出せないということではない、ということになれば上達していくものです。大切なのは、自分が何をやっているのかがわかっていることです。

 

 やっていること自体が、たとえば、上の方では、伸ばしてもたせてみようとか、そういう計算でやられている世界と、実際に生きている歌とは違うということがわかっていない歌い手をみてきているから、どうしても同じような歌い方で、つまらない歌になるのです。 それも基準があるから直せるのです。自分が何をやっているのかがわかっていないのでは、直すのは難しいのです。

 

 

 たとえば、画用紙があるのに画用紙に向かっていない。あるいは画用紙に線が書いて、その線をみないで、次の線を書いている。前に書いた線を忘れても、とにかく画用紙の上に線が出ているのですから、20回も書けばなんとなく近い線が出てきます。

 

しかし、本当は前の線を覚えていなければいけません。それを覚えていて、今度のはちょっと下にいったとか、さっきのは力を入れすぎたから、今度は抜いてみようとか、そういうことができればよいのです。それがデッサンの練習なのです。

 

この人がやりたいことって一体何なのだろうと、私がみて理解ができないものは、もたないでしょう。自分で映像を見てみて遠ざけなければいけません。これはおかしいと、画用紙が前にあるのになぜ地面に書いているのかと、そこから何か生まれるかもしれないから何もいいませんが、それはどこかで注意しなければいけないことと思います。しかし、注意する前に自分でわからなくてはいけません。 

 

 

音楽、歌は、人前に見せるものだからです。トレーニングは、人前に見せられるようなものではないのですが、コイツは試合のためにトレーニングしているなと思わせないものでは努まりません。

 

 この感情表現は大げさでいやらしいが、舞台になったらこう直るのだろうなとか、何か接点があればよいのです。その接点がないものはよくありません。誰がということよりも全体的にそうなのです。 

やってみて、それがどうなのかということを問うています。その線がきちんと歌を生み出すのか、あるいは音程とかリズムとかが聞き取れるようになったら、表現の形を取るのかということを、今は見ています。

 

 あなた方は自分で自分のものを見なければいけないということです。たとえば、どんなに歌い手がゆっくり歌っていても、それはゆっくり歌っているのではなくて、感じたらゆっくりになる。そこのテンションというのは高いのです。

 それが、このレベルの見本のものさえ出ないということは、困ったことです。 昔は、入門時の対応で、みんなぶっつけてやって、それでレッスンが成り立っていた。今は、そのレッスンが成り立つように2年間でいくように私はしているのです。もし、きちんと画用紙に書いていなければ、4年たっても難しい。

 

 

 だから、自分から芯を出す、チューブから絵の具を出す、その出した色は何なのかとか、どのくらいの量を出したのかということは、わかってください。絵の具をギュッと出して、それをバーッと伸ばしてみたというのは、まわりから見ていて、絵を描くための必要なこととはみえません。それぞれの人のやりたいようにやってもよいのですが、もしそれを共通の課題でやるとしたら、上達していこうということですから、そのことを自分で正していかなくてはいけません。

 

映像でも、こういうものが拡大されて出てくるのです。練習というのはそのベースの部分をやるのですから、まず、聞き取る力をつけてほしいと思います。それが第一です。それは音程や、リズムが外れているとかではありません。

 

 音楽を聞くということができなければ、音楽を生じさせることはできません。これが大変な曲だと感じても、どう大変なのかがわからなければいけません。でも、ある面でいうと、大変なものでもないのです。まずテンションの問題と、その用意の問題です。少なくとも今のスピードの感覚とその神経だと、このなかには入っていけません。画用紙が出ていても、手が届かないということです。それがどういうことなのかというのを、含みをもたせていわないと、それでよくないとかよいとかということではないのです。

 

 

課題になっていたらよい。できないのはよい。ただ、できないとかできるとかではないところに、放り出されていることがよくないことなのです。 

とにかく、成果を上げるということは、1年でも2年でも、かかってもよいのです。1フレーズでもよいから歌がそこに聞こえてくるということです。音楽が聞えても、表現が聞えてもよいのです。それは自分の感情を吐き出すこととは違います。一所懸命やればよいとか、心を入れてやればよいということではありません。

 

目的のとり方が近視的なような気がします。どこかで突き放さなくてはいけません。そして突き放すために握っていなければいけないのです。そういうからだの使い方が必要です。力で投げて方向が違っていたらしかたがありません。目的は何なのかということです。

1曲を全部仕上げるということは今は考えなくてもよいのです。ことばを1つ読むことが相手に伝わる、1つのメロディの感覚にある、基本的な音楽としてすぐれた要素をみてください。この歌い手はそれを知って、そのすぐれているところを拡大して見せてくれています。そういうところで練習することです。 

そうでなければ何をやっても同じだと思います。中でもかなりのレベル差はあります。少しは土台に乗っていたり、何とかなりそうだというところを出している人もいます。それはお互いのなかで共有すればわかると思います。自分で自分のことがわからないということが最大の問題だと思います。

 

 

 

 

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【とりくみ 入門】

 

 関西に私は最低限しか行っていません。だからといって伸びていないのではありません。

この前のオーディションの結果でも、関西の方が上の5名を独占しています。

東京の方は、トップのクラスはオーディションを免除していますから、一概に比べられないのですが、ただ、毎日きている人が勉強できて、伸びているかというと、必ずしもそうではありません。

本人のここ以外のところでの努力ということもあるでしょう。

まず1つが音のなかには入れるかどうかです。

 

 会報とか、「学び方」という本にも書きましたが、主体的に学ぶことが、日本人の場合はどうしてもできていません。先生の質問に答えれば、それが勉強だと思っています。

本当のやる気というのは、1年半、2年と過ぎてからの勝負です。よく2年でものにならなかったらやめるという人がいるのですが、そういう人は最初からやる資格がない。

 

 2年で何とかなることというのは、誰か器用な人間がやったら、世の中は広いのですから、1週間でできる人も、何の努力もしないでもやれている人もいるのです。

それをゼロからきちんとトレーニングとか、自分で学んでいってものにしようと思ったら相当難しい。その学び方のところでプロにならなければ、当然、学べるものがプロとして降りてくるわけではないのです☆。

 

 

基本的には1人でしっかりとやるということです。それに加えて、研究所を使ってやればよい。そこの問題は2年間でなかなか解決していません。

 

 たとえば、今やったことは、皆さんにとっては簡単に思えたかもしれません。しかし、「ハイ」一つのところからいろんな問題があります。

課題の設定としては、今の半オクターブの「ラドド、ラレレ、ラミーレ」これを「マリア、マリア、マリーア」というのは4フレーズです。ここまでのことをきちんと音楽にもっていける、歌にもっていけるということが本当にできれば、かなり早い。 

 

もしかしたら、その意味がわかるのに2年かかってしまうかもしれません。実際そのことができていれば、あのオーディションなどでは、5点くらいはとれるのです。80人受けてそれが1人もいないということは、そのことができていないということです。

半オクターブで4フレーズを出すということができていないのです。

 ライブをみるときには、同じ場に立ったときに、何ができるのかということが、全ての勝負なのです。ということは、同じ場で何が学べているかという勝負なのです。そのスタンスをきちんと持つことです。 

 

直せることというのは、耳でどう聞こえてくるかということをきちんと読んでいくということと、それが読めたところに対してどう出せるかということです。回数を多くできている人達にも同じことをいっています。何とかなるとは思っても、なっていない人の方が多いということです。

 

 それは、やり方が悪いということではありません。どこの養成所でも、そこで必死にやった人しかできてこないのです。レッスンにそれほど出れないのであれば、出れない分、家でやればよい。ただ、やらないことには変わらないということは、知っておいてほしいのです。 

 

それから、そこに入れなくてはいけません。出せるということには、その前に入れるということが必要で、入れるという前に入れられる状態をつくるということが必要です☆。あなたが出せるところで勝負しているのならばよいのです。それは今の実力です。

 もし、入るところとか、あるいは立つところで、「なんだ、そういうのならば、そうしたのに」というような言い訳をつくるのであれば、それは入れてもいないし、立ってもいないのです。

 

 

 私の人生の方が、あなた方よりも短いと思いますが、あなた方よりも違う意味で、この1時間というのは大切なのです。そこのなかで、いつもぎりぎりのところをやっています。たとえば、曲を聞いて、そういう感じでやってとったときに、すぐに出せるのが少なくともミュージシャンとしてのヴォーカリストの、最低限の要素です。 

状況というのは、そうやって設定されてくる。私の仕事でも、前打ち合わせなどはほとんどありません。その場で入れていたら間に合わないのです。その状況に合わせて出していかなくてはいけない。

 

 とにかく、今まであなた方がどういう評価を受けてきたのかわかりませんが、舞台とか、表現とか、音声ということは、日本の教育のなかでは欠けていることです。だから、注意してみても、まだしかたないところもあるのです。

2年経っても同じ注意しなくてはいけないなら、ある意味でいうと、伸びていないのです。もし伸びたければ、時間もお金も自分に投資した分、最大限に回収したいのであれば、きちんと問いを作っていく意識をもってください。

 

 会報を読んでレッスンをどういうふうに受けているのか、その受けたもので何を出しているのかは、わかるでしょう。昔よりも会報のレベルも下がりました。以前は会報に、こんなことまで感じられるのかと思うような、レッスンからそんなことがよくも学べていると感じいる文章も少なくなかったのです☆。 

 

 

今の会報を読んでみても、そんなに大したことは書いてないと思います。誰でもそれくらいだったら自分もできると思う。でもその大したことがないと思うことを、果たして自分ができているのかというのが確認すべきことです。

 

 下手すると、2年間やっているつもりで見学しているだけで、あるいは体験レッスンだけで終わりかねない。それは、正していきたいのです。というのは、あなた方がきちんと身につけていってくれることと、私が教えていくことというのは、利益が両立するものだからです。お互いつまらないのも、つまらない人生の時間を過ごしてしまうのも嫌でしょう。

 

 オーディションでの合格者が一人もいないというのは、何かがスタートラインのあとから違ってきているのです。こちらのやり方は、スタッフやトレーナーをみても、経験をつんでいきますから、それなりに本質的なものを出し、メニューを改め、よくなってきています。 

 

 

歌うことではプロでも、教えることではプロではなかった人も、3年も4年も人をみていれば、教えられるようになっていくでしょう。いろいろな面でそういうところは充実してきたと思います。そうなってくると、受け手の問題です。 

一番の問題というのは、出すことを目的として入れていないのです。入れて出すことを目的にして立っていないということです。

 

 その辺はこういうレッスンでも同じです。私の思う本当のレッスンというのは、私からでなく、そちらから働きかけてくるのです☆。そこで、そういう聞き方もできるんだったらこういうフレーズにしてみましょうとか、あなたの考えたことをもっと生かすためにその部分をもう一度やってみましょうとなる。

 

それは、初心者だからできないということではありません。

立っていないからできていかないのです。まず立たなければいけません。それが難しくなってきたのでしょう。 

昔はこんなことを5分間もやっていたら、みんな歌詞の半分くらいは覚えていました。今は、あとでテストしますとでもいわない限り、そういう聞き方をしない。つまり、自分の役割、仕事をいちいちいわれないと引き受けない。

 

 

その代わり、他のことが聞けていたらよいのですが、結局、耳を閉じているだけです。だから、抜き打ちみたいなことはしたくないのですが、細かく注意し、毎回がそれの繰り返しになるのです。つまり、自分で低いレベルでやり、お互いに低いレベルで安心しているのです。

 

 音の世界というのは、1秒のなかで何が起きているかということを捉えていく世界です。そういうことは、これから何回も繰り返していく。その人が感性が磨かれたら、ああそういうことなんだとなってくる。そこが自分ではみえていなくとも体が気づいてつくり出すようになってほしいのです。 

こうやってやり方を教えてもらって、レポートを出すつもりでやればよいと思うのかもしれません。しかし、そのレポートは、私ではなく自分自身のためです。

 

みんなが伸びなかったらまずいというのではない。みんな自分の世界がある。その世界に関して、自分がこういうふうに学んでいるというのを出す。それを参考にできるのであれば、どんどんとり入れていって欲しい。お互いに向上するためによいことだと思います。 

あなた方が問いを出さないで、入れていかないのであれば、人様に聞けよといっても、それは無理なことです。立てるようにするというのが、私のレッスンの役割になっているのでは困ります。

 

 

 たとえば、カンツォーネを使うときに、みんなにとってはなじみがない曲ですから、そこでうまく入っていけなかったり、拒否反応が出たりすることは当然です。 

しかし、大切なことは、曲や歌詞がよいとは思わなくても、これが音楽の根本に共通してあるところのひとつの流れだということを得ることです。そこの部分というのは説明ができない。 

 

今、マイルスデイヴィスとか、ピアフとかを聞かせても、聞きなれている人はおもしろいと思いますが、おもしろくない人もいる。 

しかし、その音には真実がある。そこに対して感覚を柔軟にして欲しいのです。

 基本というのは、おもしろいことをやるわけではありません。面倒なことをやるのです。 

 

今の「ハイ」でも、それがおもしろいのではありません。でも、そのところで、おもしろくなるための余地を宿していくのです。みんなが「ハイ」と出して、これは「アイ」とか、「ケイ」ではなく、「ハイ」なんだということであれば、それは形にしか過ぎない。ステージで「ハイ」をやることはないし、「マリア」と歌うこともない。 

 

 

その型を通じて、「ハイ」のなかに音楽が宿ったり、相手に伝わるものの感情を移入したり、グルーヴ感も、全部含めいくのです。それが含まれてくると、単に「マリア、マリア、マリア」といっても、そこに音楽が聞こえてくる。それが本当の基本です。

 

 歌のほうは流れやすいのです。そして、固定されてしまいます☆。歌というのは、応用自在な基本のところに対して、どれかの可能性を選んだものです☆。声を基本として、歌い手は歌を自由に展開するのです。そこにプラスアルファ自分のものを出さなくてはいけません。今は、そのプラスアルファが動くための感覚をきちんと勉強していくことです。

 

 役者と同じようにしてみてください。わざとらしくやる必要はない。それは形だけで終わってしまうものです。でもあるとき気づくでしょう。その形の形ではなくて、その実の方が大切なんだと、実が形をきちんととっているのです。 

 

 

 

若い人にとって、ここは、半年くらいは、子供が映画館にきたようなものだと思います。最初にカンツォーネを聞いても、高いところで張っているところがすごいと、そういう程度かもしれません。しかし、本当は、もっといろんなことがそこのなかに入っているわけです。

なるだけおもしろいものを題材には使いたいのですが、単におもしろさだけを写していっても、実にはなりませんから、基本のところでやっています。 

 

映画を見て感情移入できるでしょう。その映画の主人公になりきったり、その場面に移入して、その映画館のなかにいることさえ忘れる瞬間というのがあると思います。一緒に泣いたり、共に怒ったり。こういうものも、そういう中でやっていくのです☆。ステージもレッスンでも同じです。ただ、レッスンの方は、ステージよりも意図的に、時間や空間を、意識的に目的への方向再修正をしなくてはいけないということがあります。 

 

先輩の体験もいろいろと元にして学んで欲しい。トレーナーからでも、あるいはオーディションに通った人からでもよいです。 

同じところでもすごいことができるという力をみてください。

 

 

 最初はその差がわからないのです。自分たちもそのくらいできるとか、自分は2年経たなくてもできると思いがちです。自分がどれだけできていないかを知るためにできている人たちから学んでみることです。 

どこでも本当の意味で学べない人達が8割です。成功者からみると、そういう失敗となることを同じレベルで繰り返さないようにしてください。もちろん、まだ失敗ではなく、遠回りをしているか、足踏みしている状態です。2年経ってもスタートできなかった人も中にはいます。

 

 話をいくらしても、すぐにスタートできるのではないのです。音のなかに入り込むというのは、それだけ難しいことです。しかし、今までの体験のなかで、たぶん歌以外にもっているものも多くある。そのなかには、使えるものがたくさんあります。 コンサートで、乗せられて意識が飛んでしまうというのもあるでしょう。しかし、ただ、1つの音に関して、真剣に向き合って、そのなかで何が起きているかというのを、頭ではなくて、体で味わう体験というのが、少なくなってきているような気がします。 

 

 

意図しないで体が動いてしまうこと、それをみる自分がいるのも大切です。しかし、まず、動ける自分がいないとよくありません。

 オーディションの評でも、なぜ覚悟が決まっていないなどと書かれているかというと、頭で考えて、頭で考えているものを口から出しているだけにみえるだからです。それではその人の本当の意味での魅力は伝わらないし、人に伝わる歌にもならないのです。 

 

頭は使うのですが、それは、体や心が瞬間的に動けるようにするためにやるのです。こういう「ハイ」とか、「ララ」でも、このなかに音のつかみ方、動かし方の全てが入っていて、それがわかりにくいから、いろんな意味で応用してみる、音楽をつけてみる、あるいは1オクターブ出してみるのです。それでできていなければ、基本に戻ってみて、そこでやるのです。

 

 歌い手というのは、ステージに立つということがベースです。それは自分自身で引きうけてきちんと立つことです。他の人がその程度やっているから、そうするというのではポリシーも何もないのです。 

少なくとも、勉強するということが意識にあるのであれば、他の人がやっていないことを3倍、5倍やるということです。それから世の中でいろんなことが起きています。そういうことに関心をもち、レポートにして出さなくとも考えることです。 

 

 

現実にあなたの世界のなかにも、歌や言葉でなく相手に伝えられるものというのは、たくさん出ている。そういったものと分けなくてもよい、世の中を自分にとっての現実にするということです。歌のヒント、いや内実にするのです。

 立つところはどこでもよい。歌いたいものも何でもよい。歌う世界というのは華美で、格好よく飾られ美しい、そう見せることも大切です。でも本当に格好よいことというのは、そこにその人の足元がきちんとついていることです。 

 

その人が頭でだけ考えて、自分がよそ者になってはいけないし、現実の世界がよそ者であってはいけないのです。それは伝わらないのです。だからそこに接点をきちんとつけてやっていくということが、大切なことです。 

音楽の世界は身近であって、そういうところから考えていかないと、外国語を覚えるというような難しさになってしまいます。音楽の捉え方で、ある部分、日本人は、まだよそ者ですからそういうところがあるのですが、本当はそれが入っていくようにしていたらよいのです。

 

 

 幼いころから、どこかの外国人みたいに踊りながら、歌いながら生きてきたのならばともかく、日本ではそういう環境にいた人というのは稀です。それを後追いでやっていくことになるのです。20年間の感覚を戻すようなことを2年そこそこでやるのですから、それにはきちんと入りこまなければいけません。音楽を習得していくということで、ある部分は考え、自分でやっていくことです。

 

習得させるために何が必要かということで出していきます。まず真剣に聞いてみること、そこからその感覚をとること、その取り出したものを自分の形で出すこと、歌い手に必要なことはそれだけです。 

それを発声法など考えていくと複雑になっていきます。複雑になっていくのはよいのですが、そのままでは嘘です。

 

 感覚を磨くのです。そうやって開かないでおくと、どんどん閉じてしまいます。心とか、現実の自分とか、現実の世の中と離れていってしまいます。練習のときはしかたありません。それはさまざまな目的に関して、基本の感覚の強化をやっているのです。 

 

 

音程トレーニングの目的は音感をつけるということです。でも、音感もリズム感も本当のことでいうと、そんなものができたからといって、何ともなりません。音大に入る人なら、18才で全部できているのです。その形だけでは何の力にもなりません。1つのアプローチの仕方にすぎないのです。 

音感とか、リズムを手に入れるのは、きちんと歌えている人の音の感覚とか、楽器の奏者から勉強していくための準備としてやるのです。

 

 回数は多い方がよいですが、1回きたときになるだけたくさんのことに気づいて、そのことをきちんと自分でまとめて提出してください。すると、私もどんなことが気づいているのかということを知ることができるし、そのことに気づいたのなら、こういうことをやろうとか、これに気づかないならば、ここの間のメニューを作ろうと2ウェイになるのです。そういう意味でアテンダンスシートを出してもらっています。 

 

自分の勉強はみせる必要はありませんが、今の自分の力で、これでも働きかけることです。

 大切なことは、1回自分を白紙に戻すということです。それとともに、自分をきちんと獲得すること、世の中もそういうふうにみていく、音楽家の目で、目をふさいでみるわけです。

 

 

この音のなかで何が聞こえてくるのか、心に何が働きかけてくるのか、自分が発したものが相手にどう伝わっているのか、それを総合していく、その結果、それが音楽といわれたり、歌といわれたりするのです。そういう生活をもってほしいということです。 

 

今の生活を変え、学校を辞め、仕事を辞めるということではなく、同じ状況に置かれていても、自分の意識で、見え方、聞こえ方、全部変わってくるわけです。それを早く、音楽でいう部分から次元が違うところに立って、聞いて、出してほしいのです。

 

 勉強というのは、全部吸収するみたいに思われますが、そうではなくて、出すために何を入れておかなければいけないかということなのです。 

曲がかかったら、それを自分が歌わなければいけない、そのためには何を知らなければいけないかということです。 そのためには、1つは、自分が何ができるかということ、自分の武器のことです。2つ目は、自分の限界というか、この音はどうしても出ないとか、自分はこのテンポではよくないとか、それは自分を知るということと、そして3つ目は、音楽を知り、掛け合いができることです。 

 

 

皆さんのやりたいことが、Jポップス、ダンスミュージック、ラップでも、それはそれでここで勉強できるのです。足らないものを自分で勉強しなさいということです。

 それで勉強できないもっと深いところ、彼らがもっているべきところ、彼らが応用したらラップになるのに、そのベースに持っているものというのは、最初は気づきませんから、研究所や、他のメンバーのなかで学びましょう。 

 

声がどう出ている、その声を出す感覚はどうなのか、その感覚はどう間違っていて、それをどう正せばよいのか、どこは正しくて、でもどこの部分は不要なのかというのを、そういうものに対して、全神経を集中させる時間をもちなさいということです。 

今は、新しくいろんなものに接していってほしいのです。好きな音楽は聞いているのですから、そうでないものを聞くのもよいと思います。

 

 よく、2年間でプロになりたいという人がいるのですが、2年間で20曲歌いたければ、200曲はもっていなければいけない、それを選ぶのに2000曲聞いていなければいけないのです。できますが、1日3曲です。それだけのもので鍛えておかなければいけないのです。そうしたら1ヵ月に100曲、新しいものを入れていかなければいけないのです。 

 

 

現実にそれを10年、20年かけて、ものにして、生きている人がたくさん世の中にはいるのです。それを前提にしたうえで、ここを使ってもらうのなら、役立つと思います。 

もちろん、多くの人はそれでやっているという気になっては伸びないからだめなのです。そこを間違いないようにしてください。

 

 研究所に来ることによって伸びた人はやった人です。研究所の100人が100人伸びているのかというと、その1万人に1人に値するようなことをやっている人だけが本当の力を得ていくのです。1万人に1人のことを、何とか1割くらいにするために何らか気づかせるきっかけを、研究所でそれぞれトレーナーが与えているのだと思います。

 

 何かやれた人間というのは、自分がなぜやれたかということをそれなりに知っているわけです。それがなければ、やれないということはわかっている。そこから同じことなら3年で気づくよりも、3日で気づいた方がよいということです。

 

 

いっていることは、言葉ですが、だんだん言葉ではいわなくなります。私もピアノや曲で伝えます。まだ、私の考えとか、感覚もみえないだろうし、こういうレッスンがどういう意図なのかもみえないと思います。しかし、何らかそういうものがあるということは、何らかの意味があるのだろうと、みてください。

 

ロックやJポップスから使わないのも、それは、ある基本の部分がきちんと回っているところで、安心して使えるものの方がわかりやすいからです。演歌や日本の歌も使っています。でも、まずどまんなかのことをやることを大切にしたいのです。

 

 どまんなかは単純です。「ハイ」というのが、きちんと取り出せるということです。それが展開していって、「マリア」といったときに、音楽になることです。 

「ハイ」といえるだけの、声として扱えるだけのものが入っていることです。それから、「マリア」という音楽を出すために、必要な音楽が入っていることです。そして何よりもそこにきちんと立っていることです。

 

 

そういう感じで、いろいろなレッスンを受けてください。こちらの力不足によってうまく伝わらなかったり、意図が外れたりするレッスンもあると思います。しかし、私が望むことは、レッスン毎に力をつけろということではなく、2年間のなかでたった1つでよいから、生涯そのレッスンのおかげで、こういうことがわかったというレッスンのその瞬間を1つでもよいから経験してほしいということです。

 

 なるべく顔を出してください。いろいろな事情があるでしょう。研究所たくさんきている人とか、研究所のことをいろいろよく知っている人がいるからといって、引け目を感じる必要はありません。

要はステージで何ができるかということです。すごいことができている人からは、学べばよいでしょう。

 

自分は自分です。自信をつけるために、毎日のように研究所にきている人がいるという意識を持って、それに負けないための勉強をしてください。