レッスン録 1193
【「とりくみ」やり方☆京都①】
【とりくみ 入門】
【「カンツォーネ」「アドロ」】
【ラ・ボエーム③☆】
【「ヴォラーレ」☆】
【「タンゴイタリアーノ」☆】
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レッスン録
【「とりくみ」やり方☆京都①】
理屈から入るやり方というのは、とりたくはないのですが、それでも感覚的に苦手であったり、あまりよくわかっていないという人の場合は、理論的にやり方を考えていくということが大切だと思います。
楽典とか知識で身につくものは、やればその分、身につく。そんなに確実なことはないのです。
体とか筋肉とかでは、たとえば、100mを走るということであれば、世界一の努力をしてみても、かなわないかもしれません。そういう意味では、知識の世界というのはある程度、決まった時間で補えます。そういうところは確実にクリアしていけばよいと思います。
読譜などは、誰でもできるようになります。器用な人が半年でできることを、2年かければ同じだけのことができるようになるのです。そういうものは自分で勉強しましょう。市販のいろんな本もあります。
やり方というのは、いろいろな方法があるのです。ですから、自分の思い込みで自己規制をしてしまわないことです。この時期をどう過ごすかというのは大切です。
しかし、それも養成期間とか準備期間とかにわかれるわけではないのです。すべては、一生つながっているものです。
他者が評価するという土俵では、お客さんがいます。自分の一人よがりでやっていてもよくありません。自分を評価してもらうのは、他人に委ねるしかないのです。
他人というのも、10人のうち9人の同意を得る必要がないのです。残りの1人をどのくらい大きく動かすかということです。
アーティストの世界は、どんなにすぐれたアーティストでも、すべてを独占はできません。たとえばマイルスデイヴィスをかけてみて、すごいと思う人もいれば、退屈したり、わからなくてつまらないという人もいます。
そのなかで何かあるなと感じている人と、なかなか感じられなくて諦めてしまう人がいます。すぐれたといわれる作品に対して、興味ある人と忍耐がない人では、大きな違いがあると思います。
どんなやり方をやってもよいのですが、きちんとやっていこうと思ったときに、普通の人であれば、2年というのは、他の人には大した差はつけられないのです。器用な人なら半年でやれることのレベルくらいしかできません。つまり、2年までは、誰でもどこにでもいける。その2年の間に、その2年から先の学び方とか、やり方を徹底して学んでおくということです。
研究所でも、昔は、2年で卒業だといっていた。できなくとも、どうすればできていくかがわかるから、その先は自分でやっていけということでした。
せっかく会うのですから、他のところでは、絶対にできないことをここではやりましょうということです。そのために、自分でやれることは、全て自分でやることが前提です。
なのに、多くの場合というのは、トレーニングが義務的になって、そこjに依存して、受身受身となってしまうのです。
伸びた人をみてみればよいのです。入ってきて伸びた人もいるし、入ったときと大して変わらない人もいます。そう考えてみたら、毎日レッスンに出ればよいということではなく、その人のプロセスでの考え方の形成度合という方が、大きいと思います。
今、プレブレのメンバーの平均というのが6年くらいです。6年、続けていたら、すぐれてこないはずがないのです。だから6年やればできるかというと、必ずしもそういうわけではありません。
力がついたらどこかで変わるとか、誰かが変えてくれるということは、絶対にないのです。皆、自分の力でのし上がっていくのです。
いつもいっているとおり、いつかは来ないのです。イベントなども機会あれば絶対に出なさいということです。時間的にも金銭的にも大変でも、そういうことを自分でセッティングできる能力、少なくとも、自分に投資しセッティングしようという、モチベートが高くないと何事もなせません。
徹底的に自分で試みて、それでよくないのだったらしかたがない。最初から諦めてしまったら、一生変わりません。
若いときに変えられないものを、歳をとってから変えようとするのは、もっと大変です。だからいつでも今が最大のチャンスです。☆
お金のこと、時間のことが気になる、それでなんとなく、もっと優先すべきことがあるというままで、ずっといってしまうのです。
やってきた人をみたらわかります。やってきた人は借金、貧乏暮らしをして他人の10倍、100倍くらい時間をかけ、お金もかけてやってきたのです。そこまでやって身につかなかったら、おかしい、そういう状況をみずから創り出しているのです。それだけのことをやったら、絶対に身につくところまでやっただけなのです。
BV座メンバーを見て感心することは、まだまだいい加減な発声でも、この舞台で通じるものを出せる。それも一種の才能なのかと思いから、個性がみえてきます。足らないからみえるのです。☆
見えないところで努力をしているのが感じられる。つまり、技術を人間が超えているから、伝わるのです。
ベースのことをしっかりとやっていたら、伝わるようになってきます。まわりがほっとかないのです。世の中でしっかりと生きている人は、ほとんどいない。芸能界をみても音楽業界をみても消えていくのですから。
その作品から、その人をみて、精一杯生きているのだったら何とかしてやろうと思う。一所懸命さの度合いが違う。
自分のためだけとかバンドが楽しくてだけでやっているのは、あなたの勝手なのです。気持ちよいし、自分のなかで楽しんでいるのです、だからといって人に見せてどうこうということではないのです。
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昨日、神戸で演出家に会ってきました。劇団を立ち上げて2ヵ月で公演をやって、1200人を集めている。声の初歩から習わせたいというので行ってきました。韓国の方ですが、徹底して基礎教育をやっているので、理解してもらえたのでしょう。10代でも天才児のような人がたくさんいるのです。
台湾では、宇多田ヒカルさんのものを北京語で歌い替えていました。日本人と違って、息が深く、声を出すという条件がかなり整っていますから、アジアのレベルも相当高いのです。
最近は、40、50代の人達が、またバンドをやろうとする動きが、戻ってきています。ジャズのプロの歌手も、何人か出てきました。ゴスペルもブームになっているのですが、向こうと接する機会が多い私には、今の日本の歌の根がないということが、ストレートに感じられるのです。
昔は日本人なんて、そういう範疇にも入らなかったのですが、かなりフレンドリーになって、向こうの人も日本の声のレベルの低さを案じています。
どこかにデビューできるとか、どこかのライブハウスに出られるというのは、結果としてあった方がよいのですが、それが目的ということは、全部の基準を他者の方に預けることになってしまいます。
すると、道が閉ざされるだけで、やる気がなくなったり、基本的なトレーニングを止めてしまったりします。そうやって今の日本の状態になっているわけです。
それは、ヴォーカルだけの世界ではなく、役者も噺家でも同じようです。ただ、お笑いの世界などでは、競争原理が働いています。下からはい上がってきて代わられるので、がんばらないと蹴飛ばされるというのがわかって必死に努力します。基準も明確です。
ところが、日本の音楽業界の場合は、ある意味では棲み分けをしてしまっています。本来スタンダードなもので競えるような部分の基準が働かないのです。
その基準をきちんとつけていくというのが、上達には一番メインのことです。
誰かに会うということはチャンスなのです。しかし、そこで自分がきちんとしたものを伝えていかない限り、その繰り返しをしない限り、人生は開けていかないし、やがて狭くなってきます。
そういうものの連なり、重なりの上に、文化、芸術というのは成り立つのです。
一番大切なこと、力がついたら何かできるのではなくて、何かをやっているうちに力がつくのです。☆
何かやる力を起こすことの方が大切です。
みんなバンドを組んだら何かできるとか、ライブハウスに出たら何かできるとか思っているのです。そんな人はわんさかいるのですが、何をやるためにバンドを組みライブをするのでしょう。それを答えるのです。
ただ、漠然とそういう状況のなかでやっていても道は開けないのです。なぜなら、自分で引き受けていないからです。それではその状況を破る力はないのです。
その力はお金や権威や誰かの紹介、コネではないのです。
たった一人の人間が前に出ていって、何かを伝えて、それでその状況を破れるかどうかです。
それには、研究所のなかとか、外とかは関係ないのです。研究所にいて守られてしまうとよくありません。ここでは、外でやっている以上のことを働きかけをしないといけません。ー外で何かをやれていく人というのは、研究所にも強烈な印象を残して出ていっています。だから私もみんな覚えています。
ヴォイストレーニングの教室がたくさんできています。ディレクターなどがデビューをえさに作っている。それもありがたいことです。そういうところでよくないのだとわかってからきてもらうと、直接入ってもらうよりも、肝がすわるでしょう。ついでに、基本の教育もそこでやってきてもらえれば、こちらは助かります。
もう2、3年経ったら、また、その多くはつぶれてしまうでしょう。デビューさせますという売り文句で採るというのは、おかしい。デビューできる人には、お金を払ってデビューさせるのです。
こういうやり方が未だに横行していますが、気をつける必要もないのです。
そういうところを利用できるのであれば、利用すればよいのです。そういうところは、無料体験レッスンも見学もやっていますから、行ってみてきなさいといっています。それは、音楽の業界でのスクールビジネス業界というものです。
しかしそこにいる先生も、金をとる以上、一応はプロなのです。生徒のレベルがよくないから、先生の才能も大して使えていないことも少なくない。
もしあなたがそれだけのものをもっていたら、向こうも本気で教えてくれるのです。あなたに能力があれば、どこでも吸収できるものはたくさんある。だったら、安くて時間に都合があえばよい。そういうことをやった上で、できないことがあれば、研究所に来なさいということです。
ここでやっているのは1つだけです。息と体と声を1つにするということ、そこから形で歌わないまま、心の歌を生み出していくプロセスを取っていくということです。
劇団の人でも噺家の人でも同じなのです。外国人が日本にきて一番感じることは、なぜ歌になったら、あそこまで表現力が落ちるのかということです。今は言葉の表現力も落ちています。それは体と呼吸がつかないからです。
JPOPSの影響が悪い方に出て、浅い息を変にマイクの方に入れて歌うのが流行っています。品も格もないから芸術としては出ていけないのです。
ローリングストーンズもエアロスミスでも、音楽だけは絶対に完成させようとしています。声も音もリズムも洗練しつくして創造しています。質が高いし威厳があるから、世界に通用するのです。
それをいくらまねてもよくないのです。
これだけ音響レコーディングの技術が発達して、日本人にはわかるかどうかわかりませんが、ある程度、耳ができている人にとっては、その差が明確にわかってしまうのです。
もしかしたら技術力でわかりにくいところまでいくかもしれません。今もほとんどわかりにくくなっていますが、品とか格でわかる。
それが必ずしも求められているわけではありません。でも長くやっていくのであれば、そういうものをもたないと、たぶん持ちません。
ポリシー、どうして歌うのかというようなことに支えられていかないと、お客さんに左右されて消費されてしまうのです。それもポピュラーの運命です。
だからといって、自分のイメージだけでやっていてもよくありません。自分できちんと作品を作ってみて、それで10人のうち1人でもよいから、すごく感動するというところを押さえておかなければいけません。
全部に見向きもされなかったら、それは一人よがりでおかしい。しかし、全部に受けるというのも、逆にいうとおかしい。そういうところを考えると、もう少しうまく自分を使えると思います。
状況のなかでやっている人が多いです。それはそれで最初はしかたないとは思うのです。
しかし、音楽の勉強もよいのですが、何か1つの世界をつくり上げた人の伝記なり考え方なりを読んでみることです。
プロレスラーの大仁田厚志さんは、若いころ借金して世界中を回ったそうです。
あなたさえ頭で押さえつけなければ、自由に何でもやれる世の中になっているのです。でも、自分に自信がないから、借金するのも怖い。別に借金しろというわけでもない。ただ、それをどこで返すかということがきちんと自信としてついていたら、自分に最大限、投資するでしょう。時間も徹底して費やすと思うのです。
そうでなければ、別に音楽や歌を使わなくても、今やれることはたくさんあるでしょう。仕事でも生活でも何かを他人に与えるものです。それも深くやっていければ声のこととか体のこととがわかると思います。
一番みて欲しいのは、本質的なものです。1人よがりや好き勝手にやっているようでも、本当にもつべきもののあるのです。何かしらのパワフルな要素がある。その要素はプロの要素なのです。それがみんなさまざまなのです。
日本の場合は、演劇に関しては、演技力よりも脚本の力、歌も、作詞、作曲の力でやられていることが多いのです。残念なことながら、演劇にしても、絵にしても、1回見ておもしろいで終わってしまうのは、本当によいわけではないのです。
何回見ても教えられるものがよいのです☆。音楽でも同じです。
時代がどんどんと変わってきているのですが、自分でやっていきたいのであれば、そういったものをきちんと踏まえてやっていきましょう。そうでないと、自分自身が迷ってしまいます。
迷わなければ力はつくのです。迷ってばかりいるから、結局、力がつかないのです。そこの状況の問題は、トレーニングよりももっと大切なことです。
トレーニングというのは、単に声を出していればよいと思っている人も多いようです。トレーナーを面談しても、大体、高く声を出すことと、大きく声を出すことしか考えないでやってきているだけ、これでは、音楽とは関係ありません。初めてお父さんが間違えずにピアノを弾こうというのと同じです。
そういうものに、なぜ何年も費やすのかというと、上の人がそういう判断基準でみるからです。こうやってみなさいとか、こう歌いなさいというのは、できる人はできるし、できない人はできないのです。そういう指導は成り立たないのです。 できなければ、違うやり方をみつけていくしかない。
だからこそ、もっとベースのことをやるしかないのです☆。
歌の指導の大半は、歩けない人に走れといっているようなものです。1年や2年で勝負するものなら、そういうものでもよいかもしれませんが、声とか体というのは、何年もかかり自分で実感して気づいていかなければいけません。そこで精一杯やってみて、自分ではできないような誤りが起きてくるまで待つしかないのです。
誤りというのは、間違いではありません。自分ではできないのに、すぐれた人間だったらできることには気づけない。それが起きたときに気づいて、それをきちんと固定できるというのが全てなのです。
声を出しても、これさえつかめば通用するというものが、たった一瞬でも捉えられればよいのです。
皆さんの体の状態は毎日違います。トレーニングは毎日きちんと続けていないと効果が出ません。普通のテンション、普通の体、普通の呼吸では、すぐれたものは出てくるはずがないのです。
でも一所懸命やっているとどこかで正しい誤りが起きるのです。
ほとんどの人が本質的なものが出ても違うと思います。自分はこう力を出さないと、こういうふうに声が出ないから、自分のとは違うということにして無視するのです。しかし、そうではなくて自分のだから通用しなかったのです。どうして、そうでないものが出たときに発見し喜べないのでしょう。そこに気づかせるのが、真のトレーナーです。
発声においても、もっと人間の原理が楽に働くときがあるのです。そのことをどこかで得ることです。それにはよいものを聞いて、待っていなければいけません。
その基準があって、他の人のどこがよい、どこが悪いというのが全部感覚できているところで、自分で出さないとわからないのです。
こういうトレーニングも「ハイ」とか「ララ」のなかで、その人が自分で、今のは、こう違うからこう直すという、修正ができなければ、歌のなかで直すのも、わからないはずです。
今やってほしいことは、そこのことをきちんと自分で感じることと、わからなくてもよいから、よい作品をたくさん聞いておくことです。自分の頭ではなくて、自然なところで正されるように準備しておくことです。☆
グループや合宿など、集団のなかでやるということは、大切なことです。そのなかでしか、本当のライブの感覚は磨けません。1番うまい人と同じくらい、そうでない人、へたな人もみることです。
自分と隣の人とは、違う、それなら、それは何かというところから学べるのです。
それが、全部ができていなかったらしかたないのですが、1曲全部は無理でも、1フレーズくらいは表現できる人がいる。そういうところに敏感になって、その違いに気づいていけばよいのです。
1曲どころか、1番だけ、1フレーズだけ、歌うことが、どうしてこんなに難しいのだろうと、それがわかってから、レッスンというのは始まるのです。
ある劇団では、みんな座っていて、「じゃあ立ちなさい」といったときに、パッと立った人から採用したといっていました。そういうものでしょう。そういう反射神経とか主体性がものをいうのです。
他の人が立つならオレも立とうというのでは、もう必要とされません。
立つ人が、何かできるわけがないのです。しかし、舞台の世界なのです。立つことからしか始まりません。
歌となると、そのうえで、音と掛け合って、何かやらなければいけないのです。
だから、やれる人は、のっそりしているようでいても、とても素早く鋭いのです。
1つの音のフレーズのなかで、7つくらいフェイントをかける。それを1つか、2つしか聞こえない人が、5つとか、7つの世界を出せるわけがないでしょう。
そういうことは、皆さんのクラスと上のクラスでまったく違います。
他の人とあわせていてもよくありませんが、その差が見えるようになってください。
クラスというのは、そればかりが目的ではありません。慣れていないという人もいるでしょう。しかし、知っておいてほしいのは、私がしゃべっていることが、レッスンの内容のように見えるかもしれませんが、レッスンになっていないから、しゃべらざるをえないのです。
レッスンは、気づけばよい。いや気づかなくてはいけないのです。
その場が成り立っていないなら、つくらなくてはいけません。
しゃべることが必要とされるから、しゃべらなくてはいけなくなる。
つまり、私が主役ですから、レッスン以前の状態、オリエンテーションです。
その後は自分でトレーニングしていかなければいけません。
まず、たった1つの声とか、1フレーズ、そのことができないうちに、1曲はできないというのは、いつもいっていることです。
今、やっていることは、歌にとっては、全体の構成、展開、演出という部分を除いた、ほとんど8割、全て必要なことです。そこで差が示せたら、やり方というのは、だいぶんわかってくるはずです。
ー
この音に「あなたに」とつけてみましょう。メロディ処理というところです。言葉で「あなたに」といってみて、次にメロディをつけてみましょう。
「あなたに」
何も働きかけないでしょう。
他の人がそうやったからといって、自分もそうしなくてもよい。何も働きかけないというのでは、意味がない。自分がその状況を打開しないといけない。
こんなものでレッスンというのであれば、そこらへんのスクールや中学校の国語の授業にでも行けばよい。 やっていてもおもしろくも何ともないでしょう。聞いていてもおもしろくありません。
だから何もできていないということなのです。
私は、みんなを伸ばさないといけません。研究所というのは自分の分身みたいなものですから、研究所ができていないということは、私ができていないということです。
みんなも伸びたいし、伸びればよい。私もあなたが伸びてくれて、耳が鋭くなって、すごい表現が出た方がレッスンも楽になるし、やっていても楽しいです。
一番悪いのは、自分でそこで発想したり、そこで何か変えようとか、作ろうとか、そういう感覚が歌になったときになくなってしまうことです。
言葉だけでやりましょう。
「あなたに」というのを、役者みたいにやるというやり方も、情景を描くというやり方もあります。体をしっかりと使うというやり方もあります。
聞いている人は、他の人達がどれだけ表現しているか、働きかけているのかを、できれば音の世界で聞いてみてください。
「あなた」という言葉が日常的でないから難しいかもしれません。
そういうことでは、同じような言葉ですが、「愛する」にしてみましょう。
「愛する」
こういう歌を聞いたときに、サビのところができないとか、声が高く上げられないとなるのですが、本当の問題は、そこではないのです。
最初の部分での音のイメージ、声の使い方、そういったものが何らできていないのです。
音が届いても、それは表現ではありません。
ここでは1オクターブと3音あるわけですが、その範囲で音楽が入っていないということです。
たとえば、これを聞いて、1オクターブだから難しいとわかるなら、まだましということです。
わからないままでやってみてもこなせるだけでつくれません。そこで壊れるまで、慣れていくしかありません。
「あなたに」のところは、3つしか音がなくて、声量もそんなにいりません。そこできちんとコントロールすることです。
そのコントロールした表現がないところで、どんなに声域や声量をカバーしてみても歌が伴わないのはあたりまえです。
今は、そこのなかの判断が目的です。できないと、音が出たとか出ないとか、それだけの判断になってしまいます。
もう一度「あなたに」と言葉をいってみてから、この音を含んでいく、メロディを中に入れていくのです。メロディを歌うのではありません。
「あなたに」
少しは伝わるようになってきました。
最初にあまり、あなたはこうしたらよいとか、ああしたらよいとかといいません。
まず自分がそれだけの表現を引き受けなさい。そうでないうちに、出してはいけません。
それだけのテンションをもたなければいけません。それから自分の頭のなかで「あなたに」と考えて、いくら「あなたに」といってみても、それは表現とは関係ない。それはやらされたからやってみたというだけのことです。
レッスンですから、やらされているのですが、それではよくありません。
自分がやって表現するのですから、立場を逆転しないといけません。私をお客さんにしてください。
そういう中で、「あなたに」という言葉をいうときに、声とか息を使っていないと、「あーなたに」とか、「あなーたに」とか、自分がイメージがあったとしても、「あなたにー」としか出ないのです。
点でとったらいけないとか線を動かすとか、そこで音楽をつくるんだとか、いろんなことをイメージしても、自分でやったときにできないというのは、本当の意味でわかっていない、つまり、入っていないということなのです。そのことをきちんと認めなければいけないのです。
自分でやってみて、それですごくできるということはないのです。自分が邪魔するからです。
そういうことをどこかで何時間でも復習して気づき、取り去っていかないとよくなりません。それは、ピアニストでもやっているのです。やらないと直らないのです。
「あなたに」という言葉をいうときはつかんでいても、実際に歌にしたときに、それが違うところにいって、つかめなくなったり、音楽に乗っかってしまったというのは、表現できたということではないのです。
言葉をいうときも、「あ・い・す・る」という言葉をいうのではなく、メロディも、「ララララ」と歌うのではなくて、そのもとにある感覚が気持ちを伴って、結果としてフレーズをとるということです。「愛する」という言葉が、結果としてメロディを処理しているのです。
みんなが本当に感じを出そうとしたら、今はヴォリュームがどんどんなくなってくると思います。日本のプロの人も同じです。
だから、もっと声量も、息も、体も使っていないといけないということなのです。息とか、声量を使うのと、そういう表現ができるというのは違うのです。☆
「愛する」という表現を伝えたいと思ったときに、体を使わなかったり、テンションを上げずにやれば、「あいするー」と誰でもできるのです。それはみんなもよいとは思わないでしょう。
一方、どんなに体を使ってみたり、声量が出てもコントロールできないとよくありません。でも、そこは試せるので、続けていくとよいのです。表現にならなくともトレーニングになる、そこが大切です。
大切なことは、それを本当にやろうとしたときに、「愛」といったら、もう次はいえなくなる、そうしたら体も強くしなければいけないとか、もっとテンションを高くしてそれをコントロールしなくてはいけないとか、もっと気分をリラックスしてやらなければいけないとか、いろんな問題が出てくる。それに気づくことです。
声量とか声域ということよりは、まずたった1つの言葉を、言葉として伝えること、そして、そこにメロディがついたときに、メロディに頼らないで、言葉をどういうふうに音楽的に奏でて、この音をどうつないだら自分もそこに入りこめるし、聞いている人にもそれが伝わるのかということを、体験して欲しいのです。そういう方向を間違わないようにしてください。
今日はたった2つの言葉でやりました。足らなければ自分の歌でもなんでもよい。それを一番出せる音域にもってきて、録音に入れて聞いてください。どこはよいが、どれこはよくないのか、最後は体が離れているなとか、そういうことを自分の耳で聞いて判断するのです。
それから、こういう中で他の人のを聞いて、あの人のは、あそこまではよかったのに、次に出しすぎたとか、なぜそういうふうにやるのだろうとか、みるのです。
そういうことが丸ごとみえるようになってきたら、それが判断基準となります。
マイクをつけたらごまかせるのではありません。本当はマイクをつけたら、それが拡大されてしまうのです。無神経なものとか荒っぽいものとか粗野なものが、拡大されてしまいます。
今のプロの歌い手は、小さくまとめて、それを目立たせないようにしていますが、それでは逃げです。その分、とてもていねいに歌っていますが。
ヴォイストレーニングというのは、大きな声を出すのではなくて、本当に繊細にていねいに、その感覚を扱うために、声をコントロールし、息をコントロールしていくのです。それには強い体とか、かなり高いテンションとかが必要なのです。
そういう面では、演技と同じです。そういうところをしっかりとやってください。
できたというのは、一言聞けばそれでわかるのです。それはお客さんでも同じです。
そうやって表情もできてくるし、体もできてくるし、表現が何たるかもわかってくるのです。だから、自分でわかっていってください。
どうして認められないのかといわれても、満足して次が聞きたいと思うかどうかです。そういうふうに考えるとわかるでしょう。
自分の感覚というのは、自分には一番甘いのです。自分が思ったとおりにしか出せないし、やれません。それがどうなのかを客観視できる能力をここでつけてください。
そうしたら、あとで伸びます。
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【とりくみ②】
オーディションで何が足らないかということを確認しましょう
足らない足らないといっていてもしかたないのですが、こうして、練習に落とすと、いつもいっているとおり、オリジナルなフレーズということであれば、半オクターブで4フレーズのでき具合です。
そこのところで何が歌えるかというところで、何度もやらないと変わりません。いわれていることは、高い音や、その伸ばし方や、そのあとの処理がどうだというのでは、ありません。
覚悟を決めなさいということです。要は、そこに立つということです。
今までステージ実習やライブ実習で何をやってきたのかということになります。個人評価にも書かれていると思うのです。ここにきちんと立つということでないと、つめる距離がみえません。
「苦しめないで、忘れないで」という、言葉のところできちんと立てるということです。
立てるということは、きちんと入れるということです。入って出せるということです。それが自分の息とか、自分の体とか、楽器から、歌として出していくものなのです。
それが外に自分のものとして出ていかなくてはいけません。そこが必要です。
「苦しめないで」という言葉に、本当に入れているのかは出たものからしか判断できません。しかし、もっと入れるのではないかということを、聞き手に感じさせてはいけません。
もっと入れるのに、ここは計算して切りあげ、次で出していているというスタンスならばいいのですが、きちんと入ってきて、そのスタンスを決めたのかというと、そうではないでしょう。だいたい恐々と自分で出しているだけの場合が多いです。
基本というのは、応用してみて足らないことをやるのです。こういうものをやったときに、基本が足らないということに気づき、そこを練習しないとよくありません。
頭で考えるのではなく、体で考えるということ、それも入るということですが、頭で考えると、部分的に口先が動いて、そこで出るのですから伝わるわけがないのです。
「くるしめないでー、わすれないでー」といっているだけならば、自分も出ていないし、歌も出ていないのです。両方とも外様のものです。そのうわべでどんなにコネクトがついてもよくありません。
一所懸命やろうと頭で思って、力で大ぶりしてみても、それは無理です。
普通の生活とか、あるいはスポーツか何かであたりまえにできていることが、歌になると何かしら、特殊なことをやるような感覚があって、確かに特殊は特殊なのですが、それで頭がでかくなって、動けなくなってしまっているのです。
それは、頭がでかくなったのが悪いから、何も考えるなということではなく、それ以上に体とか、心に任せなくてはいけないのです。部分だけが働いてしまうから、いけないのです。
今、言葉のなかにきちんと入らなくてはいけない、それをきちんと出すことをやらなくてはいけません。それを出すことには、当然体と心が働いていないといけません。そこで空回りしたとか、うまくとれなかったということを、見極め自分で修正するしかないのです。
だから、歌がうまいとか、下手ということは気にしなくてもよい。ステージで、何度も同じコメントをいわれたり、あるいはいつまでたってもそこでバタバタしているということは、不真面目にやっていたり、手を抜いたりしているのではないのですが、そのスタンスのとり方のところで、間違っているのです。
そこに入れないと、たとえば映画館で映画を見ていても、あれはフィルムの世界だ、他人事だと思ってみているようなものです。見る感動はしても、創る感動というのは味わえないでしょう。
よいものを見たら、誰でも時間も忘れ、空間も忘れてそのなかに入っていくわけです。それが、なぜステージに出たときにできないのかということを知りましょう。人間というのは一体になるということがあるのです。全てはそこでやるのです。
もっともっとできるはずなのに、やらないことがやれないことになるのです。☆
できている人は必ずしもすごい声をもっていたり、すごい技術があるのかというと、そうではないでしょう。要は、そこでの感覚の細やかさなのです。
歌とは何だということを知る。トレーニングの目的に対し、技術が足らないから、ここにきているのでしょう。でも、技術を勉強するというよりも、そういう感覚がその場ででるような柔軟さを勉強していくことです。
基本は自由になるために行うのです。
歌というのにも常に、束縛があるのです。こんな歌詞で歌わなくてはいけないとか、メロディはこう進まなければいけないとか、たくさんのきまりがあります。
でも、歌い手はもっと基本に踏み込み、そこから、もっと自由な世界を出すために歌います。。
そんなにうまくなくても、オーディションで得点が入ったものは、それなりにおもしろいものです。そのおもしろさは何かというと、本人がそこに入り込んでいるのです。
なんだかんだいっても、こいつは理屈をつけさせないというところまで、開き直り、そこで終わらず自分の世界をしっかりと出していることから始まるのです。
それはどこで得るのかというと、練習で行うしかないのです。
多くの人のレッスンでやっていることというのは、入りこんだ後に、それを動かしてみるだけです。それほど非日常的なことはやっていないのです。
自分の役割ということを知って、あとはそこの状況への自分の設定もしくは状況を打破する力をもつことです。それは、どこでも同じことなのです。
伝えるための状態を自分でつくることです。体の状態、心の状態です。そこでの問題が多いと思います。
たとえば空手を習いにいって、1ヵ月に分けて教えてもらったことというのは、5年間もやった人にとってみれば、たぶん5分でできてしまうことだと思います。
そういう体の状態にもっていくのに、ベテランなら即時もっていけるのです。
体の状態は入っているのに、そこに音楽が入っていない場合も多い。
私も入っていなかったから、苦労してきました。
音楽が入っているというのは、幼いころから、言葉を使ってきた以上に音楽で伝えてきた経験があるということです☆。
それが理想です。
今だに音楽が、第二外国語のようになっていたらいけないということです。
ネイティブのようにはなれなくても、その言葉がきたときに、頭が働かないで、反応できるということです。
それが役者にとって、歌い手にとって、どういうことなのかということです。 自分が入り込んでいること、しぜんに入りこんでいることです。
合宿でも、作品の上演中にはよくないのに、作品が終わったあとに回してみたら、きちんといえたりするのです。それは、そこで現実になったのです。
歌とか、ステージというのは、応用でよい。華やかなもの、夢みたいなものでよいのです。しかし、そのベースの部分で使われる声のトレーニングであれば、その両方を現実のところにおいて、きちんと現出していかなくてはいけないのです。ただのトレーニングにみえてしまうといけないと思います。
歌を与えられたときに、今だに「くるしめないでー」となってしまう。その感覚を正すということは、レッスンでやっている。それが点の応用になってしまうと、「く・る・し・め・な・い・で」となります。
日本語の感覚を変えていかなければいけないのです。そこに音がついてしまうから、余計に英語でも、イタリア語でも、そういう歌い方になるのです。
それを正す感覚があれば、下手だなと思っていても、いつのまにか直っていくのです。
英語の勉強をしたから直っていくのではなくて、そういう感覚のところで鋭くしていくと直る。それがつかめないから日本人の場合は苦労するのです。そこで、「ハイ」とか、「ライ」を置いているのです。
問題は、課題のようなところで、歌い上げるとか、音楽をくっつけるということではありません。
もっと日常のところの感覚です。「ハイ」でも、普通に呼ばれたら「ハ」と「イ」に分けたりはしません。それをわざわざ日本人の感覚では、「ハ・イ」となるのです。
頭を使うことによって、普通では「はい」といっていることが、「は・い」となり伝わらなくなってしまうのです。それを崩すためのいろんなメニューがあるのです。
外国人というのは、ハーッと出して、そのなかで「ハイ」とやっているのです。これと「ハ・イ」というのでは、感覚が違うわけです。子音を中心にしている感覚は日本人にはありません。レッスンのなかでやっていくことです。
子音を使ったり、アタックを使ったりするのは、音を動かすためです。 ピアノでも、「ミミミレミレミ」を均等に置いているように認識をしたら、指も「ミミミレミレミ」と動きます。それを作品にしたり、歌にしたりするときに、「ミミミ」とか、「レミレミ」という、等拍ではなく、線の世界にもっていかなくてはいけないのです。
「苦しめないで」のところも、「苦しめないで」というイメージを音にします。それを画家なら絵にするわけです。
そういうことがきちんと入っているということが、そこに立つということです。そこに立てば、いろいろと動かせるのです。
あまり発声の問題とか、歌のうまい下手の問題ではありません。そこの感覚のところで生きていたり、少なくともレッスンのときにそういう音を扱っているかということを、もう一度やらなければよくないのだということです。その感性のなかで、何をもっているかということです。
「苦しめないで」を言葉で読むのが、1つの練習法です。それを役者がからないで、どう読むかということです。実際の日常の生活のなかだと、日本人の場合は小さな声になってしまいます。舞台では、それを拡大して見せなければいけないから、ヴォイストレーニングが必要になるのです。
自分で録音に吹き込んで、それを聞いたときに、不自然であったり、わざとらしかったり、ワンパターンであったりするということは、死んでいることです。そこを正さないと、どんなに歌を作ってみても、何曲、練習してみても、ものになりません。あくまで感覚を正したり、判断をつけたりするためにやるのです。
そういうことを、体のなかで考えるためにやっていくのです。レッスンではどうしても頭でっかちになるから、その分、体に戻してやります。それを練習すればよいでしょう。できればレッスンのなかで問うていくことです。
音楽基礎のレッスンは、音程やリズムに特化していますが、それができたからといって、どうということではないのです。でも、叩き込んで無意識にできるということは、その次にいけるということです。そのあとのことが自由にできるためにやるのです。☆
大切なことは、そういうもので感覚を刺激しながら、判別する、その注意点を見つけていくことです。それでチェックしていくと、いつも音程を雑にとっていて気づかないことがわかって正されてきます。そういう気づきのポイントを得ることで、自分の歌のなかでも正されていくということです。
基本のトレーニングというのは、どこでどう役に立つか分からないのです。それが身についたときに、トータルの応用としての歌が1つ上がる。歌のなかで練習してもしかたないというのはそういうことです。歌のなかで練習するのであれば、それはイメージでやればよい。
この曲のよさがわからないとか、この歌い手がうまいか下手かがわからないというレベルだとよくありませんが、うまいと思うのだったら、それは息を扱って声を出している。そこをコピーしないで、その感覚をとることです。声が出るかは別として、まずきちんと入って、そこに立たないとよくありません。
オーディションコメントをよく見てください。他の7名がいっていること、たとえば、1番と2番の区別が分からないとか、2曲聞いてみても違いが分からないとかいうのは、歌い手の問題です。歌い手が同じように捉えていたら、聞き手の方に違うように聞こえるわけがないのです。
できる、できないということをいっているのではありません。少なくともそのことをやろうとしているのか、そういうスタンスを持っているのかということをいっているのです。
なぜできないのかというと、その人が他の人と違うような感性で、その曲を受け止めていないのです。深いレベルで出せるか、そうしたら1曲でよい。2曲、3曲やるということは、それだけ難しいことなのです。いろいろと応用する前に、基本に戻って、そのスタンスできちんと受け止めなさいということです。
まず、自分が何をやっているのかを、映像や、録音でよく聞いて、その1フレーズ目がきちんとプロとして聞こえるようにしましょう。そこを変えない限り、何曲歌ってもしかたがないし、そういう耳を持たない限り、どんな練習をしてもしかたがないのです。
ここでも、同じ30分があれば、歌を3回歌わせて終わるよりも、1つのフレーズを30回やった方がよいということです。ただ、30回やってもそこで気づかなければ、やっただけになってしまいます。それをオンしていかなくてはいけません。オンするということは、自分がしたことが分かっていなければいけません。
100回練習するのはできるのですが、その100回のうちの1回がどれかを見つけるということができないのです。その1回を見つけなければ、その1回で100回練習することはできないのです。そうしたら、オンはできないのです。ただ、100回をやっているときに条件が整って、気づいたらその1回ができているということもあります。その辺を間違えないようにしないと、トレーニングで歪んでいってしまいます。
頭がでっかくなって、体がサボって、心がサボって、それで歌い上げたといっても、そんな変なキャリアが積まれていくと、歌はどんどん汚れていきます。お客さんの前で問うていても、そういうことはたくさん起こるのです。客がうまくなったと思うのは、見せ方がうまくなったということですから、その辺は気をつけてください。
声というのは、他のものよりもわかりやすいのです。体の原理で動いていますから、そうやって見せ方がうまくなっても、本当の感覚があれば、前ほど声がうまく出てないなとか、うまく気持ちが声のなかに入らないとわかるはずです。日本人の場合は、おごって、うぬぼれてしまうから、すぐに分からなくなってしまうのです。
まず、勝負できるところのスタンスに立ってください。それは、最大の課題です。
大してやっていない人は、何かやったら、その分、何とかなるかと思うのですが、やってからあとが難しいのです。2、3年学べることというのは、まだ価値がないのです。
世の中には、器用な人もいるし、恵まれた人もたくさんいる。何にもしなくても1ヵ月目にできたり、1曲歌わせてみたらそのくらいできる人もいるのです。
そこよりも何かの差を確実に出さなくてはいけない。それは体の差であったり、感覚の差であったりする。
それをきちんと養っていくことです。そうでないと、今まで蓄えたものも有効に生かせません。方向性と意図をきちんと持たなくてはいけません。自分の武器は一体何なんだと、この歌のもつ武器は何なんだと、それをどうコネクトするのか、ということをイメージします。
そんなに難しいことを考えなくても、プレブレ座に出ている人は常にやっています。そこでの基準と感覚が違うのです。
みんなが誰々さんのこういうところがよかったと書いていることを、本人はそこで失敗したと書いています。そういうのをみると、明らかになるのです。確かに、聞こえるのと歌い手の感覚は違います。聞こえた人がそれでよいといったら、それでOKなのですが、失敗したということは、それがもっと成功するということがイメージにあった。その次元が、心をこめられるとか、きちんと自分のイメージが伝わるというところで勝負しているのか、単に音がとれるとれないというところで勝負しているのかというのは限りなく大きな違いです。
音がとれないような音域でやれとか、音がとれないような声量を出せといっているわけではありません。とにかく1音でも、3音でもよいから、自分が扱えるところで、まず伝えるということがどういうことかを、もう1度確認しなさいということです。そうでないと、自分のくせだけで最後まで押していってしまうことになります。
自分でおかしいとか、なんか変だと思うことが、他の人に通用するということはないし、お客さんにも通用することもありません。だから、おかしいと思う前に直さなければいけないのです。そういう練習をしてください。