一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

「歌うこととヴォイストレーニングについて」 401

「歌うこととヴォイストレーニングについて」

 

 トレーニングにあたっては、声のイメージを大きく保ってみてください。

高くなるほど、かぼそくせずに、身体にすべての負担がくるようにイメージしてください。

音が届いたりひびけばよいとか、シャウトすればよいというものではありません。

 

要は、身体から完成された表現が生まれてくるかどうかです。

それを支える基本的な要素というのは、声を統一することにあります。

声をどう動かして見せてゆくかが、歌い方なのです。

 

音域はとれる、音程はとれる、音はのばせる、それだけでは何にもなりません。

完成度から見たら、プロとは全く次元がうのです。

そこを詰めていくためのトレーニングをするわけです。

 

たとえば、山の頂上に練習場があったとします。

毎日、そこへ 向かうために長い時間を費やし、汗をかいてたどりつく、そこで自らこもって修業に励む。そんなプロセスが大切なのです。

無駄を無駄と感じず、手足を動かし、自らを省み、自分とただ向さ合って、そこで勝負でさるものを得ていくことです。

すべては自身のなかにあるのです。

最後に自分の世界を切り拓いていけるのは、ひとりで勝負できるひと握りの人間なのです。

 

なぜ、誰もしたことのないことに目を向けられないのでしょうか。

どこでも誰かが最初に成功したらすぐに次にチャレンジする人が出てきます。

世界が欲しがっているのは、ナンバー1、もしくは、オンリー1です。

 

上っつらだけのいい人になりたがっていては、何にもなれません。

欧米の15歳ぐらいの女の子が「音楽なんて大キライ」と平気な顔で言います。音楽で自分を表現しようなどといっている輩よりも、よっぽど自分をもっているのです。

 

アーティストの信頼関係は、ことはで結ぶのではありません。

精魂込めた作品を出し合うことで評価していくのです。

大切なことは、心の眼で見、心の声を聴くことです。

 

力があり、それゆえ、常に孤独な者の集まりであり続けたいものです。 

 

誰かに救えてもらえば、何とかなると思っていないでしょうか。

私はレッスンに打ち込んでいることを否定しているのではありません。

素直でなければ伸びないことも確かです。 

しかし、みんなと同じことを同じ量だけこなしていれば、安心と思っている人がいるなら、

あたりまえのことですが、他の人よりも一歩も抜き出ることはできないのです。

 

上達しない人は、いつまでも、息や体を出し惜しんでいます。

一流になれる人は、惜しみなく出しています。

全身でぶつかって本物をつかもうとした時期があったから上達するのです。



正しいことは シンプルなことです。

ですから、でさるだけシンプルにしてゆくことです。

正しければ、シンプルになってきます。

 

歌は、まやかしの世界ではありますが、

感動するのは全身を使って表現するところで、

それを突き破って真実が現れ出てくるからです。

それは全くごまかせないシビアな世界です。

確かな技術に支えられて、はじめて可能なことなのです。

 

歌というのは、ことばより、音程や音域をとらなくてはいけない分、

よけいに身体が必要になります。

もちろん、展開、構成していく力もいります。

まず、声をひとつとして捉えないと、 何年、長くやっていても進歩しないでしょう。

 

汗ひとつかかないような練習から、早く抜け出すことです。

一流のヴォーカリストと同じことは簡単にできませんが、

シンプルな基本トレーニングで、

今、ここから、少しずつ近づいていくことです。

 

歌は簡単にまとめられます。

それを打ち破ろうという厳しい練習のなかで、

自分自身のトレーニングをつくっていくべきなのです。

 

歌をまとめようとずるのでなく、

執念をもって一つずつ押して拡げていかなければいけません。

生きることと息することと歌うことは、一体になるべきなのです。

 

ステージに立つと、お客さんのために歌を聴かせる、

つまりは、まとめるわけですから、そこで器を広げることはできなくなります。

基本を身につけてから、そういう表現にしていくことが望ましいといえます。

 

人のやれないところまでやるサービスがあって、

初めてアーティストとして認められるのです。

表現のなかで、それだけのサービスをするには、

大変な技術とそれをものにするトレーニングが必要なことは、

知っておいてください。

 

ご健闘をお祈りします。