一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ライブ評および所感  451

 

ライブ評および所感

 

皆さんのステージは、すべて見せてもらっています。(録画も含めて)。

これからまた主宰していたBV座を

一般にもオープンで開いてもらえたらと望みます。

 

 

ここに参加することに対して、また、皆さんの個々の活動について、

“やっている”という点での敬意は惜しみません。

 

ただ、正直いって、皆さんが目にも入れていないアイドルや

修業中の他の分野の人の気力、やる気に負けていると感じることもあります。

 

まじめで真剣なのはよいが、歌詞を見ながら人前に出るようになったらおしまいです。

(私は、ここでは、形でなく音でみるので何を見てよいと思っているので、あくまで比喩ですが)。

 

たかだか月に2〜3曲が負担だという、

チャンスがあっても出ない。

いつ、やるんだ。

今、やらないで、いつやるんだ。

と思うこともあります。

 

力がつくまで出ないなどという“幻想”は、

格好よいゆえに、永遠に格好よくはなれないし、

本当の力などつかないでしょう。

 

真剣に世の中に目を向けているのでしょうか。

あらゆるチャンス、機会に自分の表現をぶつけていますか。

あり余ったパワーがひき込むようにして身につくものしか使えません。

 

繰り返しますが、

待っていても、力などつかない、

カはもぎとり、つけていくものです。

いつ知れず、そうした生き方のなかでつく、

そこを間違えてはいけないのです。

 

 

運営面においては、

こちらが文句をいえるほどの完成度からは、まだ程遠い。

でも、そこをどう補えるかで、実力がわかるということです。

 

マチュアでのチャレンジ精神は、維持しつつ、

生きざまは、プロであって欲しいのです。

 

もっと問わなければならないはずです。

こだわり、徹底的に追求し、今を、自分を、歌を。

本当のプライドと自信をもって立ってください。

 

あたりまえのことをあたりまえにできたら、

この世には、そんな人があまりに少ないから、出ていけるでしょう。

ここで通じたら、世の中でも通じる、

そういう場として維持しましょう。

 

 

 

 

 

自分さえ真剣に力をつけていけば、背中を押してくれる人も現れます。

力がないから、本当の味方がいない、チャンスがこないのです。

甘ったれた仲間と組んでも何もできやしないのです。

 

“やっている”ということの意味をとり違えないことです。

ほんの一部の人をのぞいて、ですが、

自己満足のライブで発散していては、

いつまでも真の力など、つかないでしょう。

 

年に数回、そんなことをするために、ここにきているのでしょうか。

レッスンが高い目標のためのプロセスなら、

ここでまず通じるようになれ、といいたいのです。

同じ出演者や見学者の心を動かしてみろということです。

 

 

少なくとも、あなた方の先輩たちは、

私やここにいるスタッフの心を動かし、

ピンスポ一つのただの声みせの場から、アカペラステージの場、

そして、ピアニスト伴奏つき、さらにライブハウスでの発表にまで

格上げさせるように、作品をもって、訴えかけ動かしいぇきたのです。

小さな一軒家から、ライブハウスのスタジオに、

それでここまで実現したのです。

世の中、そうして動いていくのです。

 

 

 

 

 

歌っていて幸せかい、楽しいかい。

自分が好きになれるかい。

生まれてきてよかったといえるかい。

 

それがすべてであって、また、何でもないものである。

ただの、生との優雅な戯れ…。

 

最高の真実を魂を、そこに求めて欲しいと思います。

 

 

そしたら黙っていても、あなたの表現は本物となる。

人の心を打つ。

皆がファンとなる。

 

この世のなかには、マイクももたず、

声も出さず、歌っている人がたくさんいます。

 

そういう人たちのまえで、

本当の歌を

本当にあなたは歌えるでしょうか。