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「ヴィヴィアン・ウェストウッド(ロンドンの女性デザイナー)は、床屋さんで髮を切る」と、以前雑誌で読んで、自分だけのこだわりというのは誰にでもあって、時に他人には、とても変てこに思われるものだなぁとしみじみ思った。
散近、ガソリンスタンドのバイトを始めた。大きな声を思いっきり出せるということが大きな理由だ。大きな声をずうっと出して、体が疲れるが、これがいい練習になり、貴重な時間を過ごせている。時は金なり…。
私は、夜、空を見たりすると、いつも同じことを思う。小さいころからずっと。地球や宇宙など、人間が考えた概念を超えて、ずっと遠くから見てみると、結局のところは何なのだろう。時間も宇宙も、何なんだろうと思う。そして、ひゅ~んと考えが自分の中に戻ってきて、恐ろしくなって眠れない。「太陽よりも大きな星がたくさんあって、それと比べたら、地球など1つの点より小さいのだ。人間なんて、笑っちゃう小ささだ」と、人間1人が気づいたら、この星がバーンと破裂して、一瞬にしてなくなってしまう。―ということがあったら怖いなと、夜空を見て、いつも思う。
ーカ月くらい前にJR渋谷駅から東急井の頭線に行く間の通路に、よくストリートアーティストがいろんな芸をやっているのですが、そのときに長ーい身長くらいある笛を吹くおじさんがいて、彼は「ずーっと息を吐きながら(つまリ笛を吹く)、同時に息を吸っている」秘技を見せてくれました。つまりのつまり、呼吸している間もずーっと息を出しっぱなしにしているのです。
「おじさん、これってすぐ体得できるの?」って聞いてみたところ、「長年の修行がいるので並の人間にはできないヨ」と言われました。おじさんはすごい人だと思いました。でも我々の目指すヴォーカリストはあの深いブレスにも素敵な魅力があると思うので、早く自分もああいうしっかりとした呼吸法を身につけたいと思います。
一つの奇妙な発見をしてしまいました。それは「できるだけ息を外にもらさずに歌っている」ということです。でないと、あんなに長い1フレーズなのに、あんなちょっと一瞬で吸った息だけでは絶対、息が続かないと思うからです。だから本当かどうかはわからないけど、彼らは「体の外へほとんど息を出さずに、長いフレーズを保てる技」も体得していると思います。
凝り固まった(自分で固めた)小さな箱の存在を知ってその箱の大きさを(器の小ささを)感じつつある、といった感じが今の自分です。
この箱から出て囲いのない大きな心でいろんなものを見ていきたいです。もっと精神的に強くなりたいです。あらゆる面で。
一人暮らしの方へ。私は普通に食事をとっているとどうしても、鉄分、カルシウムが不足するので、牛乳やプルーンを常備して(あとほうれん草とかの野菜も)立ちくらみ、貧血対策に備えているのですが、手軽にできることで何か工夫があったら教えてください。
邂逅三景 先日、こんなことがありました。ある朝、何気なくTVのリモコンをいじっていると、NHK教育TVの「ふえはうたう」という番組が映りました。後で知ったのですが、小学3年生が音楽の授業でリコーダー(縦笛)を習得するための番組でした。
私はひとかたならず笛という楽器に愛着を抱いているので、「ほぉ」と、思わず見続けてしまいました。
その日は、世界の笛の仲間を紹介するコーナーがありました。このところクラシックの世界では古楽器による演奏がブー厶なのですが、更に古い時代の笛がずらりと並べられ、それを講師の吉沢実先生が一つずつ紹介して吹いていきました。
私たちが現在知っている笛の祖先たちが、石笛、オカリナ、ケーナ、角笛、パンフルート・・・、次々に紹介されました。そして、ヨーロッパの古い笛による吉沢先生のコンサートが始まりました。なんと、そこに流れたのは、かれこれ15年、私の胸に鳴りやむことのなかったあるメロディだったのです。
それは、1981年にNHK FMで放送された幻想的なラジオドラマ「すぎゆくアダモ」で使われた曲でした。このドラマの最初と最後に、原作者の辻まことさんの遺作の詩「さらば佐原村(さはらそん)」が朗読されたのですが、そのときバックに流れていた笛の曲だったのです。
(アダモはこの物語の主人公の名前で、日本人であり、舞台は日本。シャンソン歌手のアダモとは無関係です)
私は、辻まことさんのことは知りませんでした。ただFMの番組表に「音楽・上杉紅童/東京リコーダーコンソート」とあったので、上杉さんは笛の世界では大変著名な方でしたから、録音してみようと思ったのです。こうして、辻まことという不思議な芸術眼の世界に出会ったのでした。彼は、アナーキスト・辻潤と、関東大震災のときに殺された伊藤野枝との間に生まれた人ですが、ユニークな存在感をもった、まさに異色の「自由人」でした。
私は今もそのテープを大事にしています。いったい何度繰り返して聞いたかわかりません。物語の舞台らしき場所を探してさまよったこともありました。ケーナでそのメロディを奏でながら、私の空想の世界は広がっていきました。「さらば佐原村」に曲をつけて、大学時代いろんな所で歌ったのですが、それを歌ったこともあります。
私はさっそくNHKに電話をかけ、この曲について詳しく教えて欲しいとお願いしました。
そして次の日、なんと吉沢先生御本人から電話がありました。惜しいことにたまたま私は不在で、留守電に入っていたのです。
「吉沢です。お問い合わせの曲は、私の書いた『リコーダーアンサンブルの基礎と技法』という教則本に入っています」
すぐに近くにある東京古典楽器センターに行き、その本を買い求めました。その曲は「森Bosquel」という、作者不詳の、昔の吟遊詩人たちが歌った曲でした。私はずっと「すぎゆくアダモ」のために上杉さんがつくったものだと思っていたのですが、こういう歴史のある曲だったということが15年ぶりにわかったのでした。
感激した私は、吉沢先生にお礼の手紙を出しました。偶然にTVで見たこと、私がずっとその曲を愛し、自分のケーナで吹いてきたこと、辻まことさんのこと等、たくさんの思い出を書いて送りました。
しばらくして、先生からお返事をいただきました。
「お手紙ありがとうございます。『すぎゆくアダモ』は、印象深く残っています。音楽は、実は私が演奏しています。選曲も、上杉さんとブランを立ててアレンジしてみました。覚えていて下さり、ほんとうにありがとうございます」
私は涙が出そうになりました。私一人だけで、あの偶然の出会いの時間を胸に抱いて生きてきたわけではなかったのです。そしてまた、以前のある出来事を思い出しました。
何年か前、まだここのことも知らなかった頃、思い切って串田孫一さんに、私のうたった「さらば佐原村」のテープを送ったことがあります。串田さんは、思索家・随筆家として著名な方で、たくさんの本を出しておられます。辻まことさんの長年の友人でありました。既に高齢でいらっしゃいますので、まったく面識のないのにも係わらず、こういうと失礼かもしれませんが、生きておられるうちにどうしても聞いてほしかったのです。
一週間もしないうちに、たいへん丁寧なお手紙を下さいました。
「辻さんのことを思って、こんなことをしている若い人がいるということを、天国の辻さんに教えてやれないのが寂しい」など、あたたかい励ましの言葉が胸に染みました。
串田孫一さんは、もう何十年も東京FMで「音楽の絵本」という詩とお話の番組をもっていたのですが、去年最終回になりました。時々新聞記事でお見かけするのですが、お元気でしょうか。いっか、串田さんに、私の歌声を生で間いてもらえるような機会がくればと思っています。そのためにも、悪い意味でなく、少しは名前が知られるようになりたいと願っています。
大仁田厚に思うこと けっこう前の話になるが、後楽園ホールにプロレスを見に行った。大仁田厚が率いる団体FMWである。前から一度、生で見たいと思っていた。
というのも、彼には以前から、何か神憑り的なものを感じていたから。彼の理想はすばらしいと思う。それは「人を信じること」であり、「人と人とのつながりを何よりも大切にする」ということだ。彼の周りには自然と入が集まり、その人々も大仁田の嘘偽りのない言葉、信条を信じている。
電流爆破デスマッチや、有針鉄線トルネードダブルヘルデスマッチは、人が生きる上での本質の中の一つを伝える手段でしかない。その本質とは、「人を動かす、感動させる、変えるためには、言葉ではダメで、自分の体を使って表現しなければならない」ということだ。
その表現方法として歌を選んだ自分が、「言葉ではダメだ」何てことを言うのは、矛盾しているようだが、ここで言いたいのは、小手先、上っ面での感情表現ではダメだということを総称したのであって、歌での「言葉」は、あくまで歌全体の構成、トータルとして伝えたいことを織りなすためのものであって、その一つでも、欠けてはならない。そこからいえば、歌の中の「言葉」は大変な重み、深さがあると莒える。
団体を旗揚げしたころは、誰も見向きもしなかった(旗揚げ金は五万だった)。每月、チケット代としてファンから送られてくる現金書留に救われたという。その書留が増えていき、今では川崎球場を満員にしている。
それは、「24時間プロレスのことを考えている」彼の生き様、すごさに人々が感動したからに他ならない。「彼の生き様はロックしている」なんていう薄っぺらい一言で言い切れないほど、彼の体はガタがきているが、考えれば考えるほど、彼の成功に学べるものは多い。裸一貫で、時には何億もの借金をしても、それをはねのけてしまう、飲み込んでしまうような、根底に流れる善のパワー、エネルギーを彼には感じる。
その彼が五月五日に引退する。引退後は、政界進出の噂もある(多分するだろう)。今の政治に関して、ここで難クセをつけるつもりもないが、彼の持っている善のパワーで、一番正義を通すのが難しい政治の世界を、変えることができるか。「信じる」という理論を持って、見守っていこうと思う。
ギタリストで、インストだったのだが、もうギターがその人の体の一部みたいに、自由自在になってて、うまくてテクニカルなんだけど、機械っぽさは全く感じられず、ギターが人間のようにお話ししているような感じで、人間味があって、感助した。気に入ってしまった。
楽器でも歌(Vocal)でも、自分の表現したいことをしようとするなら、そこまでの技術(それらが無意識についてくるような)、Vocalなら体が必要だと思った。
自分はというと、身体にも意識にも壁のようなものが立ちはだかっていて、それを越えるところまで至っていない。私は精神論者ではないので、「すべては努力と忍耐だ」などとはこれっぽっちも思っていない。何か物事を成し遂げるには、その大きさに見合っただけのコストと手間が必要なのだ。そして「人の心を揺り動かす能力(音楽に限らない様々な分野において)」は、並大抵のことでは得られない。それこそ全てを投げうって、一つのものに打ち込むくらいの気持ちが必要なのだ。そして、そうするだけの価値があるものだと私は信じている。何をすべきかも少しずつ見えてきた。しかしアクションを起こすのに、二の足を踏んでいる。何とかして打ち破りたい。
今の時代、特に日本では、テレビのスイッチを入れ、どこを回しても同じようなメロディが流れ、似たようなバンド名、編成、確かに聞きやすいことは聞きやすいが、何も残らない。一つのバンドが売れると、二匹目のどじょう、とばかりに、似たようなバンドを作り上げる商業主義の弊害が、ロックをつまらないものにしている。しかし、アーティストの側にも責任の一端はある。力がないから、他にのっかって、好き勝手にいじられる。
今、我々にできるのは、誰にも有無を言わせない力をつけることである。こういう時代だからできないと思うのではなく、逆に、今度は自分たちで時代や環境を変えていこうという意気込みでやっていかなければと、強く思った。
会報の登場回数の多い人って、限られてますよね。
内容によるところが大きいと思うのですが、「書くことは人を確かにする」と言います。レッスンでつかみかけたことを、アテンダンスを書きながら、より確かに残していって、結果として会報一発屋とならずに、載り続けられたら幸いと思います。
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年末年始は、タイ、バングラデシュで、日本の歌を歌ってきました。
富良野塾の「ニングル」。アパートを突然引き払って、ふらりと富良野へ行ってしまった昔の仲間が出る予定。
高円寺駅前で弾き語り。
JIROKICHIいうライブハウス、
「Blues Jam Session]があり、一曲セッションできます。私も一度いってみたことがあり、出演しなくても楽しめました。