一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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震災後の神戸そのー

焼けただれた瓦礫の中で、30代位の男性が、そっと花束とランドセルを置き、そっと手を合わせていました。

震災後の神戸その二

TVカメラに囲まれた20代位の男性が、声を上擦らせながら死んだ家族への無念な想いを語っていました。

震災後の東京その一

だいぶ前、一人きりの部屋の台所で、私は濡れた玉葱を切っていました。すると案の上、手を滑らせて包丁がグサッ。私は何も者わず平然と指を口に持っていき、血を吸いました。

 

我々は、どういう状況下のとき、いわゆる「感情」というものを、体現するのでしょうか。そもそも「感情」とは、一体何なのでしょうか。

例えば、先程の例。一人で指を切ってしまった時の私は、とっさに顔から血の気が引くのが分かりました。しかし比較的冷静に、指から出てくる血を吸い、救急箱から絆創膏を取リ出して、何も言わずに手当てをしました。

ところで、自分の部屋に誰かいたならば、私はどうしていたでしょうか。多分、「おほーいてぇ。すっげえ深く切ったなあ。バンソウコウ、バンソウコウ」などと言いながら、顔をしかめていたでしょう。  この例から推測するのですが、何か起きたとき、我々の心の中にはリアクションが起きますが、自分一人でいる埸合はそれを体現することはありませんし、まして言葉に出して表現することはありません。

しかし自分の他に誰かいる埸合は、心の中のリアクションを体現するのです。それはまるで、自分のリアクションを体で示すことで誰かのリアクションを引き起し、自分のリアクションを確認するかのような行動です。

そこで私は考えるのですが、どうやら我々の中には、物事に直感的に感応する自分(これを仮にAとします〉と、感応した自分を表現する自分(こちらをBとします)がいるようです。

つまり、「心の中のリアクション」=「感情」と呼ばれる抽象的感覚は、それそのものが体現することはないのです。例えば、「楽しい」という感情(A)が自分の中に沸き上がったら、その「楽しい」という感情を知覚できる、何らかの行動を自分でしてやらないと(B)、「感情」は感情として自他共に知覚されることはありません。

ここに来ている我々は、どういった存在であるのか、我々にとって「歌に感情を込める」とはどういうことなのかを考えてみたいと思います。

ここの生徒は、10代後半から、20代の人が大半だと恩います。

我々の世代は、第二次世界大戦の最中、または大戦後に生まれたべビーブーマーの力ウンター世代として生まれました。この父母の世代というのは、日本の敗戰から這い上がって、がむしゃらに高度経済成長を成功させています。我々ここの世代は、子供よりは仕事の父、子供よりは「世間並の生活」の母から生まれてきたわけです。

このため、我々は赤ん坊のころ、自分の最初の世界である両親に、自分の世界を刷り合わせることができず、自分の感情や思考を含めた、全ての存在基盤をネガティブな形で受容され、育つことになりました。(日本人が、自分の存在の実感に対して、何故希薄さを感じているのかについて、理由は色々ありますが、今回は割愛します。)我々には「心の中のリアクション=AJを育てる土壌が最初からなかったのです。我々には(A)が元々希薄、あるいはないのです。

この我々の世代の特徴が、顕著に現れている例を見てみます。例えば、渋谷にいるアフリカン・アメリカンの怡好をしたお兄さん。何故、そんな怡好をしているの?と聞くと、怡好良いからとしか答えてくれません。そういう恰好をする内的衝動や必要性がないのです。

ところが、同じように”社会的に変な怡好”をしていた60年代のジャニス、ヘンドリクスのヒッピースタイルはどうでしょうか。彼らは、我々の父母世代です。したがって、(自分A)が欠落しておらず、自分たちの父母世代(我々の世代からみれば祖父母)に対する絶望感、ひいては社会に対する厭世感から、あのような怡好をしていたわけで、内的必然性があるわけです。つまり、(自分A)という「感情」を、(自分B)で客体化して体現しているわけです。

現在の音楽シーンについて。今の商業音楽の特徴は、ミリオンセラーが多発することだそうです。では何故こんなビッグヒットが連発するのでしょうか。

今の音楽は、ある意味で大勢の聴き手に分かるように易しく作ってあります。つまり、我々が(自分A=感情)を持っていなくとも、あるいは使わなくても分かる、ということです。言い換えれば、表現化する自分=B)だけで分かるということです。

例えぱ我々が悲しいという感情を持っていて、それを単純に「泣く」という方法で表しします。それに対して曲の方も、「泣く」という内容で、(表現化=B)のスキーマを持っていれば、簡単に我々は、「あ、悲しい」と察しがつくわけです。

つまり、(感情の表現化=自分B)しか持っていない自分が、(感情の表現化=曲のB化構造)で出来た曲を聞けば、簡単に自分を投影し、理解できるということです。

このことから考えると、「今の曲には中身がない」「誰がどのアーティストだか分からない(アーティストの顔が見えにくい)」といった声は簡単に分かるような気がするのです。

曲に中身がないのは、ある感情を示すサイン・構造といった、感情のない、味噌粕のようなもので成り立っているからであり、顔が見えにくいのは、曲やアーティストの中に、万人が分かる、普遍的な感情の構造がなくては売れないのだから当然だと思うのです。

もう少し違った例をだしますと、「今の若者は形から入る」などといわれますが、これは我々が(自分B)という構造化された表現しかもっていないのだから当たり前のことで、(感情=自分A)の现分で、対応していく方法を知らないからだと思うのです。

だから我々は「無関心」だし、神戸の震災のときには、テレビの画面から映し出された、仮想現実(人間同士の思いやり)に魅せられて、ポランティアになったはいいが、自分の帰る場所がなくて、自分が避難民になってしまう、本末転倒な事態が起きてしまうのです。

 

 

この前ダウンタウン松本人志さんが、雑誌の対談でこんなことを言っていました。

「うちらが売れへん頃、何でこんなおもろい漫才、みんな分からへんのかなあ、とずーっと思うてましたわ。」私が思うに、彼の漫才は、(自分A=感情〉が直接(自分B=表現化)を通して、表現されたものだから分からなかったのだと、思うのです。そしてその(自分A+B)で支持されているのですから、彼は自分のことを“天才”と呼ぶし、皆もある程度その状況を認めているのだと思います。

さて、私はどうでしょう。

どう表現していくのでしょう。歌が皆に理解されるのは、全部普遍的表現の枠内で表現しているからではないのか、などと反省します。

 

 

柔款体操を終えて トレーニングでの意識的な深い呼吸と日常生活での無意識の浅い呼吸―この隔たりに以前から疑間を感じていた。歌う歌にトレーニングの影がちらつくのはイヤだ。一人部屋で卜レーニングしているとき、UPした後、ふっとしたときにくる疲労感、DOWNな感覚、これを無理矢理に上げていく。テンションを上げるという感覚が嫌いだ。自分一人ではカは湧いてこない。

 

 

TVで” アマゾン大紀行”を見た。そこには求めている何か、自然な力が満ちていた。人間は生きているのではなくて、生かされていると思う。自分が偉いんだ、すごいんだという歌は歌いたくない。しかし無理矢理、気合を入れなくては深い呼吸になかなかたどりつかない自分もいる。意識と無意識の2本のノリが、一本の大河になることを願う。

ある人が「聴かせよう」とか「聴いてもらおう」とか思って歌うのでなく、「どれだけ一人になりきれるか」というところで歌っている。なぜならプロだから、と言っていました。

 

 

最近、思ったことだが、1回1回のレッスンの重みを再確認しなくてはいけないのだ。

京都、関西地方の人たちは、僕たちが受けているレッスン量より少ないのだ。

なのに、だからこそ限られた時間の中で多くのものを、1回のレッスンの中で多くを得ようとする。

初めからレッスンに挑む目つき、スタンス、時間の流れに対することばの重みに対する受け止め方が違うのだろう。

 

 

僕は、人間の根源的エネルギーは、マイナスの状態から生まれると考える。つまり、満ちたりているものと不足しているもの、限られているものの差、これだ。

これをここにあてはめ、2年の中でみたら、これはでかいよ。代々木という拠点にいることにより、いつのまにか鋭い意識が丸くなるのを僕は恐れる。

たぶん、ここにいる素晴らしさを根本的に理解できたら、レッスン1回1回での講師の方のいわれることばの捉え方の次元から変わってくるはずだ。大してやらないレッスン数回と、すべてをつかんでやると意気込むレッスン、それ1回と、どっちが体に入るか、考えればわかるはずだ。

 

 

1を知って10を知るということわざもある。1つの事柄にこだわり深めると、人間の真理が見えてくると思う。いや、必ずみえてくる。要はどこまで初心を保ち、なお深めるかだ。僕が怖いのは、レッスン一つひとつを軽く考えてしまうことだ。なんで僕がこんなことを書いているかっていうと、時間という人間として生まれてすべての人間、いや地球で生きるものすべてに対して、与えられた一つだけの平等な条件の中で、いつのまにか自分の魂を失うのが怖いからである。ここにいるのが憤れて、そこを失うのが一番恐い。より高いレベル、次元をめざし、日々感受性の限界まで生きれるか、要は後悔しないかということでもある。ああ、これを書いている最中にも、意識がここを遠のいていく。

 

 

優しい人に会って、そのひとの優しさにふれてぐっときて、でももう一生会わないだろうな、というとき、一期一会というのはすごいことばだな、と思った。道ですれちがったりするだけの人たちの中に、一人ひとりそれぞれの人生があるのだな、と思う。

 

 

横浜・東京での事件やオクラホマでのテロ、大きな事件がある裏で、今日も飢えている子、親をなくした子はルワンダで泣いている。一日一日地球上、全てで起こることを知ることはできないが、無知からくる軽はずみな言動で、誰かを傷つけたりしたくない。痛みや涙やダークサイドを全てに対して、知ることを恐れずにいたい。知った上で、愛せるものは愛していきたい。好きじゃなくても知りたい。

 

 

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JIROKICHIのブルースジャムセッションで歌った。

 

テープを持ってこいと言われて、知床旅情と乾杯をふきこんでもっていった。

 

ねむの木学園の子どもたちの発表会

横浜そごう9F、新都市ホール

 

最近、バレーボールのチー厶を中学校の友人と一緒につくった。歌とは全く関係ないかもしれないけれど、体力をつけるために2週間に1回ぐらい練習している。練習をはじめてから体がよく動くようになってきた。たまにスポーツすることは声にもいいと思うので、時間があいているときはやりたいと思う。

 

ゴスペルワークショップに参加して改めて、このヴォイストレーニングの大切さを威じた。仕事が忙しいのを言い訳に、少し、いやかなり心も体もたるんでいたと思う。今日は心をひきしめてしっかりやるぞ、と大きな声を出しすぎて、のどがかわいてきてしまった。やはり上半身に力が入ってしまっているのがいけない。