Ⅴ 合宿特集 (少し危ない感想文)
この3日間で、いや準備段階の何日間も含めて得たものは…。“ウソの 自分を再確認した”ということだった。合宿前の準備は考えただけでも大変で、それでも覚悟を決めたはずなのに、それを可能な限り、ギリギリまでやっただろうか…? 答えはNo、本物は、あんなんじゃないはずだ。3日間で班でエチュードを創り上げた。私はそれに対する姿勢もプロセスもライブも本物じゃなかった。ライブは特に入り込めなかった。疲れていた。入り込むまでテンションを高めることができなかった。でも何とか、そして何度も入り込もうと努力した。結局はできなかったけれど、最後まで諦めはしなかった。ただ入り込めていない状態で、あまりにもその振りをするのは自分自身、恥ずかしくてできなかった。なんとも中途半端な表現になってしまったと思う。
モノトークは唯一、個人での発表の場だったので、振りをするなんて恥ずかしいことは絶対にしたくなかった。必死だった。正直言って、どういう感じだったかあまり覚えていない。そう言えば、全然緊張していなかったということが、フワッと浮かぶだけ。やさしさのエチュードは完全にノックアウト。のどがつぶれて思うように声がでない。ハモれない。全然、声が交わっていかないのがくやしかった。声が出ないなりに、体とか思いの波動とかできないものではなかったはずなのに、何か基本的なことを忘れていたような気がする。
こうして散々な状況で合宿から帰って、私は本当に歌いたいのか、歌が必要なのか、できるのか、資格があるのか…といろいろ思いあぐねた。この先どうなるのか、続けられるのか、続けることに意味があるのか…と不安になった。迷った。でもやっぱり歌いたい。結果ではなく、そのプロセスを大切に、私のなかの“歌うこと”を育てていきたいと思った。
思い切って合宿に参加した。3日間、本当に苦しくてつらかった。周りのパワーに押しつぶされそうで、自分の存在がすごくちっぽけに思えて情けなかった。トレーニング中、食事中、入浴中、何をしていても泣けてきて、あふれる涙を必死におさえてた。とにかくトレーニング不足、勉強不足だということを痛感させられた。
特にエチュードというテーマに取り組んだことで、自分の表現力のなさにつくづくあきれてしまった。でも、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。合宿に参加したことで、私にはやらなければならないことがたくさんあることを改めて確認できた。山ほど。
感性を磨こう。もっと、読む・聴く・書く・見ることを貪欲にやる。もっとものごとを素直に受け止めよう。私にも私なりの表現の仕方を見つけていきたい。自分と正面から向き合い、自分を信じて自分と戦い続けたい。この合宿は私にとって、大収穫の場になった。私にパワーを与えてくれたみなさんに感謝です。
合宿へ行って、今まで忘れていた自分の呼吸やリズムを感じとることができました。宿題のノートを書いたことによって、自分の気持ちを整理できたし、いくら書いても足りないくらいだったけれど、本音がなかなかかけずにいて、封印してしまいたいぐらい怖いことを考えて、ことばにしてしまったときのことは最後まで書けずにいました。
けれども、エチュードの練習をやっていくにつれて、体も心を開くことができるようになって、そんな自分も素直に受け止めることができたし、自分がもっている自分に対するイメージがそれを邪魔していたんだということに気づきました。人を嫌ったり憎むことなんて、ごくしぜんなことなんだと、やっと理解できました。そして、口に出したら自分が壊れてしまうくらい許せないことも言ってみると、とても楽になって、やっと自分が自分になれた気がしました。
素直に笑って泣いて、怒って叫んで、喜んで、愛して、まっすぐ人の瞳を見られる、いつも押しとどめていた感情が流れ出て、何もさえ切るものがなくなったと感じました。けれども、そうしていくなかでわかっていると思っていた喜びや優しさが、本当の課題になっていて、最後まで答えが出せませんでした。 発表のときも、一所懸命やってはいるものの、どんどん冷めていく自分がいて、他の人にのまれてしまいそうになり、自分の課題への取り組みの足りなさと力のなさ、集中力のなさをとても感じました。
練習をしていて、もう一つ気づいたことは、まわりの人に助けられるということでした。なかなか入り込めないでいるときも、まわりの音、声、空気など、いろんなものを聞いて自分のなかに取り込むと、しぜんとできてしまう、とても不思議でした。いつもいつも、ひとりぽっちだと思っていたけれど、そのとき一人じゃないことに気づきました。
いつも私は、人に受け入れて欲しいと思っているのに、自分から心を開こうとしないで相手に何かを求めすぎていたとおもいました。それが壁を壊せなかった原因でした。人を怖がっていつも上目使いでもの欲しそうな目をしていた私は、今はまっすぐ前を向いて、相手の目を見ていられるようになりました。まずは自分を開くことが大切なんだと思いました。そうすればきっと、相手も受け取ってくれるはずだと、伝わるはずだと。人に写る自分ばかり気にして本当の自分を見失っていたけれど、自然、まわりの人たち、先生方、頑張った自分が、気づかせてくれました。そのままで、考えすぎないでいいんだと。きちんと受け止めてあげればいいんだということを。
合宿を終えていろいろ課題は残ったけれど、今までよりもまっさらな自分をここへ連れてこれたことは、とても大きいと思います。いつまでも忘れずに、いつでもあの空と大地と緑と風のなかにいるような気持ちでいたい。
今回の合宿は、自分のなかでもできるだけ自分を出そうと思っていました。軽井沢に着いたら、空気もきれいだし、自然がいっぱいで空がすごく広く感じたのがうれしかったです。おかげで気持ちも落ち着き、しぜんに元気が出ました。やはり広い場所、自然のなかにいると不思議と元気が出てくるんだなと実感しました。
そして何よりうれしかったのが、朝の十分な体操などでした。青空の下で体を動かすのがこんなに気持ちがいいのかと思い出しました。そのおかげか、エチュードの練習なども集中しやすかったです。やはり最初は、エチュードをする際、入りにくかったのですが、みんな真剣に取り組んでいて、考えていることの奥の深さにびっくりしました。そして、取り組んでいけばいくほど、みんなもそうだったのか、喜びのエチュードがなかなかうまくできないことにもびっくりしました。今までは、自分では喜びの表現はできる方だと思っていたのが、全然逆で、悲しみなどの方がやりやすかったということです。
ノートを書いていても悲しいことや苦しかったことはすらすら書けるのに、うれしかったことや楽しかったことは、感情では覚えているんですが、文字に書くと、どううれしかったのか、どう楽しかったのか書けないのです。何に感動したかということも、そのときどきの小さな感動はあっても、すぐ忘れてしまっていたのですね。だから喜びを表現するときも、感覚を忘れてしまっているからわからなかったのです。
そして何より自分に発見できたことは、いつの間にか感情を隠すことばかりしていたことです。これは、私に限らずみんなそうだったようです。みんな社会に出ると協調することばかり気にして自己表現することをだんだん忘れていってしまったんですね。自分もいつの間にかそうなってしまって、殻をだんだん大きくつくってしまったのです。素直に喜んだりすることが、恥ずかしいと心のどこかで思っていたのでしょうね。
でもそのようなことをいつまでも思っていたのでは、いつまでたっても本当の歌は歌えないと思いました。自分が恥ずかしいと思ってやってたら、見てる方はもっと恥ずかしいということばに突き刺さるものがありました。
プロのロッカーが言ってたように、人がどう思おうと自分が表現したいものをやり続けるというように、私も、自分自身を全身でぶつけていかなくてはと思いました。まだまだ厚い殻を破るのは、時間がかかりそうですが、努力し続けようと思います。それが私の目標とする自分なのですから。
とても苦しくて結果も悲惨だったけれど、気づくことが多かった3日間だった。参加1回目のこともあって、2年目3年目の人のそばにいようと思っていた。
前夜祭でエチュードに入り込めなかった。自分の目の前で人が狂ってる。目をつぶっていてもわかる。逆にどんどん、自分の気持ちが冷めていくのを感じた。他の人のパワーを体中で感じようと思っていても、客観的にならずにいられなかった自分が悪い。後で福島先生に入り方の問題だと言われた。「入る」…。思い込みの力を借りて、何か自分を増大させていったらいいのかなとか考えながら、当日になってしまった。
モノトークのことを振り返れば、内容は他人がどう思うにせよ、自分が一番、入りやすいようにあえて選んだことだった。どん底から昇華の域へ昇らなければいけない。それだけを目指した。エチュードスクーリングの個人的意見の発表会にて、私は全体のテンションを下げたかもしれない。問われたことに対してイメージが湧かなかった。宿題ではなく、今までの自分に対して勉強不足なのだろうか。時間が迫ってきたころ、最後の福島先生のコメントで「本当にそう思ってるんでしょうかねぇ」と言われた。
最初の問い以外には、私の気持ちは変わっていない。泣いたり笑ったりして得た自分の意志。ただ、私はそのときシャウトしなかった。単純にこみ上げてくる気持ちがなかった。入会したての人々に支えられているなんて言われてハッとしてしまった。
憎しみのエチュードから希望のエチュードへ、どうやったらスムーズに流れるかモノトークを考えよと言われていたので、私は最後に明るくもっていけばいいんだなって思っていた。過去に済んでしまったことについて、起承転結で原稿を作成していた。今の自分の気持ちがスッとしているがために、スクーリングでも落ち着いた気分が出てしまった。
終わってから、別に解決したことじゃなくてもいいんじゃないかっていう気がした。現に本番では、組み立てすぎが心につっかえて、冷めていく自分がいやになって、土壇場でテーマを変えてしまった。気持ちを奮起させるにはよかったけれど、一度決めたことは結果がどうあれ、決行してみる勇気も必要だった。
すぐそばにいてくれる人を傷つけ、筋を通せなかった自分が情けなくって、かなり落ち込んだ。叫ぶって何だろう。淡々と話していても叫びと感じることもある。私の場合は、伝わらなかったと思うので叫びにならなかった。当然だ。だって、叫んでこなかったもの。頭でっかちになってしまったところはあるかもしれない。先生はきっと、それが気に入らなかったんだと思う。心・技・体の一致。
軽井沢は気持ちがいい。空気がおいしい。吹く風がさわやかだ。なのに自然に帰れなかった。自然を通して自分を省みることがなかった。今まで、自分の声は部屋のスペースいっぱいにひびかせるつもりで歌ってきた。それが合宿以来、どこにいても、空と奥深く続く林を見るようになった。
合宿に参加しても大丈夫だろうかと、かなり不安があった。が今は参加してよかったと思う。自分のなかで、いろんなことに気づくことができた毎日だった。
まずは行く前の課題から。これにはとても苦労した。最初はどうしていいのかわからなくて、真っ白なノートを目の前に、ボーッとしていることが多かった。大人になってからは日記をつけていなかったし、自分の過去をじっくり振り返ってみることなんてしなかった。いつも前ばかり見ていた。自分にとって本当に悲しいこととは、辛いこととは、腹立たしいこととは一体何だったのか? 自分は一体、何に感動してきたのか? 自分って一体何なのか? とりあえず思いつくことをノートに書いてみる。何でもいいから書いてみる。少しずつ少しずつ記憶の奥底に押しやっていた過去がゆっくりと水面に上がってきた。いろんな表情の自分が見えてきた。
忘れたかった思い出したくなかった嫌な自分もそこにいる。ノートに書き綴る。でも、本当に正直にはなりきれなかった。誰も見ることはないとわかっていても、表現しようと自分の体から離れたその瞬間から、それは嘘のことばになる。ああー苦しい。自分に正直になるためには、いつの間にかいっぱいいっぱい着込んでいた鎧を、脱ぎ捨てなければいけないことに気づく。自分は決して強い人間なんかではなかった。自分が傷つかないように、核心から目を背けていただけ、そうわかったとき、自分は表現者として人前に立つ資格なんてないと思った。
わかっていたつもりでいただけで、実は何もわからずにきてしまったのだから。自分をごまかしている人が他人に本当のことを伝えることなんてできるわけがない。自分がとても薄っぺらな人間に思えてきて悲しくなった。合宿の間は、日常の生活から離れて、澄んだ空気と自然に囲まれて、とてもゆったりとした気持ちになれた。いつもより自分を開放できたし、いろいろなことを考えるには最適な環境だった。
そんな環境のなかでエチュードのトレーニングは、自分が思っていたよりすんなりと入り込めた。自分の感情のままに大きな声をあげ、激しく体を動かしてみたのは、何十年ぶりだろうか。今まで、がんじがらめに閉じ込められていた感情の渦が、ワッと一気に外に出てきたようだ。忘れかけていた感覚が、体にじんわりと戻ってくるようだった。「もっともっと大きく表現してみよう」「今まで押さえつけていた自分をもっと開放させよう」そう自分に言い聞かせ、これまで身につけてきた鎧を一枚ずつ脱いでいった。 たくさん汗をかいて涙を流して鼻水を流して大声をあげて、力いっぱいやってみた。そして発表が終わったとき、全身の力が抜けて頭のなかが真っ白になった。何か吹っ切れたような不思議な感覚だった。 この感覚を東京に戻っても忘れたくないと思った。この吹っ切れた自分を土台にして、さらなる一歩を踏み出したいと思った。
最後に先生、スタッフの方をはじめ、合宿に参加したメンバーみんなに感謝しています。貴重な時間を共に過ごすことができてうれしかったし、いろんなことを教わりました。ありがとうございました。
昨年の合宿で、このテーマの奥の深さに大変、興味をもった私は、この1年間でわき出てくる感情を理解し克服していくことによって、徐々に深い声が出てくるということを実感することができました。また、宿題のノートを書くことによって、これまでの人生で会ったたくさんの人々、周りの環境、音楽との関わり、そのときの自分の想いなどを整理することができ、自分が抱えている問題が見えてきたような気がします。
今回の合宿での自分自身の課題は、喜び、やさしさ、希望のエチュードに向けて、いかにしてジェットコースターをプラスの方向に上昇させていくかということでした。このテーマは頭で計算するのではなく、何度も何度も繰り返し全力で感情を出し切ってみると、何が起きるかわからない部分があり、再発見することができたり、新しい試みを入れていけるような気がします。
しかし、全力を入れるとどうしてもマイナスの方向に大きく沈んでしまうので、再生のときにすがすがしい顔になるためには、モノトークでマイナスからプラスに変える大きなエネルギーを作らなければならない。そのエネルギーが「愛」だと、私は解釈しました。
「愛」といっても、日本と欧米での解釈の仕方には異なる傾向があるように思います。日本では、「愛は勝つ」という歌が流行ったように、「愛」を個人対個人の問題として、競争して所有するものだという解釈が多い。一方、欧米ではキリスト教など、宗教的な「愛」や、スティービーワンダーの「愛の歌」で形容される「愛」は、万人に対する「無差別の愛」を指す。「無差別の愛」には、競争意識は存在しない。特定の人を愛し、その他の人を愛さないということではない。このことはことばで言うのは簡単だが、実際に行動することは難しい。
合宿直前に「聖なる癒しの歌」というヴォイスヒーリングの本を読んだので、やさしさのエチュードに一番興味がありました。「やさしさ」や「愛」を行動で示す場合、「すべてのことを受け入れる」ということに鍵があるらしいです。そこで、苦悩のエチュードのとき、憎しみに満ちたみんなの目に、怖がらずに視線を合わすよう試みてみました。
一方、やさしさのエチュードのとき、一人ひとりの目を見ながら、その人らしい一番いい顔を想像するよう試みてみました。どんな憎しみをも受け入れることができれば、どんな相手にもやさしくなれるのではないでしょうか。
声に関しては、喜びのエチュードで心も体も充分に解放することができなかったので、「天の声」というよりも柔らかい「地の声」というような感じになってしまいました。合宿の前までは「地の声」と「天の声」は別のものだと思っていたのですが、柔らかい「地の声」をそのまま解放していけば、「地の声」と「天の声」を一致させることができるのではないかと感じました。また、このテーマのモノトークを、そのままアカペラ1曲に置き換えられるようにしたいものです。
3日間の軽井沢合宿で「戦う」という感覚を肌で感じ、本当に集中していれば、自分の頭のなかにいろいろなことが浮かんでくることに気づきました。しぜんな表現の種は自分のなかにあって、それを素直に出すことができるか、もちろん、その場面にくるまで納得のいくことば、表現なのかということを突き詰めていないといけないわけですが、自分がじんと感じる表現を発見し、そしてそこから自分が考えもしなかった方向にイメージが向かっていくとき、心から楽しんでいる自分に気づき、そしてその一つひとつが重なるたびに集中力が増し、自分が発見したイメージがエチュードのなかの一つひとつのテーマからハズれていないか、班全体の表現と関わりをもっているか、提示された条件を満たしているかといったような、一歩退いた視点から観察することができました。
同時に、そういった表現、ことばを実際に見る人に対して投げかけることを意識したとき、(笑われるのではないか)(勘違いされたりしないか)(ミジメに見えないか)(同情されたりしないか)(見当違いのことを言っているのではないか)といった心を明らかに感じていますが、だからといって、他にどうこうする方法も知りません。結局、自分のできる精一杯のことを見てもらうしかないのだなと感じました。
そしてだからこそ、芸術という名のつくさまざまな創り物が、自分にとっても触れる人にとっても、かけがえのないものとなるのかもしれません。これから先の毎日に何か自分の言動を写す鏡となるものを見つけられるでしょうか。自分の心に聞いてみるのでしょうか、それとも他人の姿から学びとるのでしょうか。それとも時間(瞬間)に委ねるしかないのでしょうか…。
共に戦い 傷ついた人よ あなたは まだ 生きていますか たとえ笑えていなくても たとえ無理やりと暮らしても 涙は伏せておくことにします 静かな夢と永遠に
まず、この合宿に入る前の準備、取り組む真剣さが足りなかったと、合宿を終えて思わされた。また今回、いろんな人に会えたことにより、自分がどんなタイプかわかったような気がする。そして、日頃の自分の生活は甘いと思わされたから、日常の生活を大事にして、常に何かを感じ、イメージし、隙間なくパワフルに生活しなければと思った。
そして、ソロライブでは、自分を出し切れず、だんだんむなしくなっていた。また中途半端に終わったしまったと思う。他の人の堂々と立っている姿、自分の歌に入りきっている姿、笑顔で話している姿、とてもうらやましかった。声に関しては、自分の声は弱いと思うので、もっと強くしなければいけないと思った。
今回、福島先生のことばで“人は自分のことなんか見ていないから、自分で徹底的に自分のやりたいことをやって、そこから何かをつかんでいけ”というのが心に強くひびいた。このことばを聴いて、少し楽になったというか、何か思い切りやれそうな気になった。
それから、大事なのはプロセスということを頭に入れて、これからにつなげたい。今まで結果ばかり気にしていたと思うから、プロセスを踏むことを考えて、結果は後からついてくるものだと考える。それともう一つ、“自分にあったことをやっているか”というのを聞いて、もう一度、自分が本当にやりたいこととは何か、具体的に考えたり見つめなおして、本当に嘘をつかないで自分にならなければならないと思う。だから、自分の本当の場所にいかなければ、何も始まらない気がした。
「はじめて」と「2回目」は全然、違うなと感じた。まずエチュード。去年、私たちは何もわからないところから手探りでエチュードを「創って」いった。だけど今年のエチュードは、創っていくものではなくて、去年のものをよりよくこなしていくといった感じがした。これは何に関しても言えることだと思う。一番はじめに創るときが一番大変だ。
しかし、今年「2回目」で大変と思ったことは、それを越えなくてはいけないということだ。去年と同じことをしてはいけない。去年の私を越えなくてはいけないと思った。「はじめて」で許されたことも「2回目」は許されない。結果的に、私は越えられなかった。だけど、そこから得たものも、たくさんあった。
次に印象に残っているのは、トレーナーの声だ。私は初めて歌を聴いた。途中で涙がでそうになった。先生が前に言っていたことや、レッスン中にチラッと話す「想い」や「努力」を思った。この声に、彼の魂が入っているんだと感じ、ゾクッとした。純粋に。
そして今回の合宿では、福島先生の話をたくさん聴くことができてよかった。先生の姿勢の原点みたいなものが見えた。先生の言っていた「続ける」ということの難しさを、合宿から帰ってきて特に感じる。 去年、それで失敗したから、これもまた「2回目」の失敗をしないように「続け続けること」を頭においている。合宿が終わってからが「第3のスタート」、このスタートにはゴールがない。走り続けられるように。そう思いながら、帰りのバスに乗った。
軽井沢の合宿から帰り、もう2日経ちますが、あの体験、鮮烈な印象などは、ますます強烈な記憶となって心によみがえります。同士と共に潔く戦いきった後の心地よさ、すがすがしさ、おのれを捨て、おのれと互角で対峙したあとの力が抜けた状態。みんなの顔もよい顔だった。日増しにだんだん、皆よい顔になっていった。精一杯、戦いきったあとの切ないまでに美しい顔、りりしさ。ありがとう。
ギリギリのところでやっているという、そのことだけで、その現場を直に見ることができ、直に聞き、触れ、そのことだけで、もう十二分に満足しました。よくわかりました。大変な力を得ました。
星の王子様、朗読と解説も天下一品。と、途中まで合宿の感想と礼状を書きかけてそのままにしておりました。あの合宿から、はや一カ月近く経ちますが、今も鮮烈な印象とともに、なつかしく皆様を思い起こします。自分では普段は意識しないものの、決して若いとはいえない私ですが、違和感もなく参加でき、しかも皆様と同様に全力投球で表現するという行為に体当たりで没頭することができました。本当にみんなに感謝の気持ちでいっぱいです。
これも、福島先生と皆様のポリシーとロマンチシズムのかもしだす雰囲気なのでしょう。学生時代を思い出すような、新鮮な情熱を今、再び得て。さらにやはり自分は、今の自分であり続けるし、ここから、今また苦しい一歩一歩を歩んでいくんだ、現に歩いているんだと再認識し、覚悟して。
しかし、決して不幸や卑屈でもなく、むしろ吹っ切れたさわやかな気持ちと心をもって。このような気持ちに確信をもったことも、今回の合宿の成果とも思います。今の自分にとって、ここは自分探しの道しるべのような気もします。声を出し、確認する毎日の過程のなかに、自分自身に出会っている気がするのです。そして、そのプロセスは確かに楽しいものです。
つかこうへいの言うように役者には毒の華が必要なら、毒だけならオリンピックでメダルがとれるくらい(?)あるぞというミョーな自信がついた(ただし、なろうとしているのは歌い手であり、歌い手にそんなもんが必要かというと、ステージという意味ではいいが、お客さんを苦しめてどうするのだ)。
絶望、憎しみのエチュードでは、インスタントな地獄が形成され、喜び、希望のエチュードでは、本当に歓喜の世界がそこに表われて、これこそ皆、心の底では望んでいる世界なんじゃないかなと思った。
もし「オレはいいや」「偽善や仲よしごっこはイヤだね」なんて人がいったって、だってそのなかにいたら、とても気持ちがいいのだもの、その場にいたくない人なんていないよ!(安直かしら)。
たくさんの宗教が人類に、一つになることや、一種の天国を創ることを理想に掲げてきたけれど、思想の壁は決して越えられなかった。その点、音楽には国境も思想も人種も越える可能性がある。タイのお坊さんもバリのヒンズー教徒も、日本の中学生も皆、マライヤキャリーが好きなように、いいものをいいと感じる心は同じ。音楽は頭できくのじゃなくて、心できくのだから。すごく個人的なことですが、今までダンスと芝居以外ではスキンシップに慣れてなくて、どんなに好きな相手でも触れられるのがコワイ人でした。結構、人間がコワかった。
そんな自分が皆に抱きついちゃったのは、私にとって革命的大事件だったんです! 素直に好意を表わせるようになったら、人を傷つけることも減るだろうね。
今回、福島先生にはアーティストとしてあるべき姿を見せていただいた気がします。フィナーレで「先生と握手しただけで涙が出た」「先生が声を出したとき涙が出た」「先生と握手したのが一番うれしかった」という証言が続々です。皆、先生の目指すものに賛同し、自分もそうなりたいと思って集ってきている。そして、ここの先生方が大好きだから通ってきているんだ。
先生が登場するだけで、初日の広いセミナーハウスの空気が変わる。うっすらと光さえ感じる。きっと私たちに与えるものがとても大きいからでしょう。-私もいつか、泥沼深く根をはりながら、まるで汚れを知らないように清廉な花をつける蓮のように咲いてみたい。その日のためにがんばる!
この合宿で学んだことはたくさんある。学んだというか、自分なりの答えを見つけていろいろなことに納得できたという感じだ。たとえば、今までモノトークに抵抗を感じていてできない自分に対しても苦しんでいた。自分の過去にこんな辛いことがあった。こんなに苦しんだとか、歌を歌いたい理由だとか、自分の語っているところを想像してみて、鳥肌がたつ思いだった。
自分が苦しかったことなど、誇らしげ(?)に語ったところで何になるんだろう。本当に苦しい人ならそんなこと、そんなふうには語らないだろうし、語りたくないんじゃないか。それなら私は、どうしたらいいんだろう。モノトーク(発表)の日の前日になってもずっと考えていた。
あるお話の途中で、先生が「裸を見せてくれというんじゃない」と言った。そのことばは、モノトークに関してふっきれかけていた私の心にすっとしみこんできた。夜になって、私はとりつかれたように原稿を書いた。たぶん、私の体が声が、言わなければならないことばを…。
そしてそれは、いわゆる「愛」とはかけ離れたことば。でも、これが私のことば。テーマとかけ離れていようが仕方がないと半分、開き直りながら本番に臨んだ。合宿が終わってから、自由に使うことを許される空間をありがたいと思った。誰かに邪魔されるなんて考えなくてもいい。軽井沢の自然のなかでは、私の声など蚊がないているようなものだ。この空間を空気を、忘れたくないと思った。
自分のなかでは、エチュードのノートづくりから始まり、エチュードで終わった合宿でした。前夜祭では、恐山のテープが本当に恐ろしくて、あのテープのなかには本物の声も入っていると感じて、へんな霊がいる感じで、ゾーッとして憎しみの感情にも入り込めなかったし、合宿に行くのどうしよう? と思いました。でも、ノートを書いているうち、負のエチュードに入れることに気づいて、どんどん落ちることもできました。ノートを細かくチェックし、考えをまとめていくと、すごく感情的になっている自分を感じました。
私は今まで感じることを潜在的に閉じていたことに気づき、いろんなことを感じすぎるため、とても傷ついてしまうことを恐れている自分に気づきました。でも、エチュードをやったことで開かなくちゃいけなくなり、開いてみてそれがとても気持ちよいことであると発見もしました。
エチュードでは、全体的なグループのエネルギーは、まとまってはいなかったかもしれないが、私個人としては、感情に入り込めたことがよかったと満足してます。が、もっと短時間でもっと集中できるはずとも思います。
モノトークは、用意していたものはフッとんでしまいました。本当はキレイにやりたかったのですが、あれだけ悲しくなってしまうと、立ち直るのに泥臭くなってしまいます。ノートで自分の中の負(マイナス)のエネルギーの部分を具体的に確認するのはしんどい作業でした。でも今、生きてるんだからたいしたことないじゃんと思える人生でよかったです。底をみたら何か恐いものはなくなりました。が、とても内省的になってしまい、自分を許して立ち直ろうというところまで時間がかかりました。
以前、演技にワクがあるんだよね、と言われて、そのワクが何だったのか、エチュードを通じてわかってきました。セリフや詩を、悲しそうに読むことができても悲しさは伝わらないのだと、感情の入れ方は、もっとシンプルなのだと気づきました。本当のことを本当の心と感情で伝えるのだということです。 モノトーク、エチュードにウソはなかったか? 消化→昇華のプロセスをへて、人を納得させ、共感や感動を呼ぶ芸にちゃんとなっただろうか…と反省しています。感情に入り込んでいるだけでも駄目で、それを一歩、伝えるというところまで踏み込まないとと感じました。終わってからですが…。
でも、味わったこの“開き”の感覚は忘れません。これを歌に演技に活かせますように大切にせねば…。技術的なことでは、絶叫しても、思ったよりノドにダメージがなかったことがうれしかったです。以前ならつぶしていたでしょう。少しは身体に入ってきているということが確認でき、毎日毎日、発声練習をつけてくれるレッスンに感謝です。
最後に、星の王子様をありがとうございました。解説がなければ、全く理解できなかったと思います。私にとってもキツネや花は、かけがえのないものは…もっと手間“ひま”かけないと、自分のものにならないのだということを知りました。また“ひまつぶし”の場を与えてくださる、ここの福島先生、先生方に感謝いたします。
目標を新しく設定しなおして走り出したはずが、なかなか気持ちが追いつかなくて、同じ場所をグルグル回っている状態のなか、今回の合宿に参加した。昨年のように、自分自身に対して「何か違うやろー!!」と疑問を残したまま帰ってくるのだけは繰り返したくなかった。何とかよじ登ってでも、一段上のステージにステップアップできるパワーを出せなかったら、これ以上、続けても意味がないと思うところまで自分を追い詰める必要があった。「愛」という大きな、漠然としたテーマに向き合う時間を与えてくださった先生に大変、感謝している。
いよいよ始まった。一つひとつのメニュのなかに、私の課題を克服するヒントとチャンスそのものが盛り込まれていた。まずは最初のソロライブ+自己紹介。ライブ実習で大失敗していたので、次の機会にはトップバッターのプレッシャーを克服するという課題があった。こんなに早くチャンスが巡ってきたにも関わらず、地に足が着いていない情けない自分を目の辺りにしただけで終わってしまって、悔しかった。 しかし、貴重な3日間を、このまま負け続けるわけにはいかない。せめて一瞬、一瞬を全力でぶつかって本当の自分が創りものに埋もれないようにして、表に出てきた姿をしっかり受け止めようと思った。発表会に向けてエチュードを練り込む過程で、班の皆さんにいろいろなことを気づかせてもらいながら、だんだん感覚が研ぎ澄まされていくのが心地よかった。
今回の合宿の一番大きな収穫は、モノトークだった。前日の練習までは、言うたびにことばが変わって、いたずらに時間だけが過ぎてしまったが、最初に提出したとき、小さな字でぎっしり1枚あった原稿が、たったの3つの文にまとまって、頭のなかも気持ちも整理できた。福島先生のまとめのことばにあったように、ステージ以前に戦いを一つ終えることができた。
昨年の発表では、創りものの自分がペラペラそれらしくしゃべっている後ろで、本当の自分が「おい、なんか違うやろー」と呟いている状態だったが、今年は足をしっかり踏ん張って、自分の声で言いきれた。やればできる!! 久しぶりに自分にOKを出せた瞬間だった。それと同時に、新たな壁がドンと目の前に立ちはだかった瞬間でもあった。ホッとしている間はなかった。
フィナーレ「天の声」では、やっと福島先生と握手をしてもらえるところまで近づけたと思うと、うれしくて涙が出た。あちこちで抱き合う姿が目についたが、今の私にはまだ先生方に抱き締めてもらえるところまで手続きが済んでいないと感じ。
研究所には、BV座とか④クラスとか、まだまだ未知の世界がある。そういうのを全部、把握した上で、自分の存在価値を認めてもらえるようになるまでは、星の王子様のように「辛抱して暇つぶし」をし続けたいと思う。
最後に、今回のメインテーマが「愛」について。私にとって愛するということは、その人(もの)が、最もその人(もの)らしく生きるように、ちょっとお手伝いをすること。しかも、愛された方が後からジワーッと気づくものなんだと思う。
ここには愛が溢れていることに、みんな気づいているだろうか…。駅へ向かうマイクロバスを、見えなくなるまで手を振りながら見送ってくださった、先生方やスタッフのあたたかい愛を忘れないように、また、それに甘えないように、毎日を過ごしていきたい。
この合宿に参加して、私にとって一番、意義深かったものは、今の自分の心のなかを深く見つめたことだった。ここ2年くらい、心のなかにずっと大きなかたまりがあって、ゴロゴロと嫌な動き方をしていた。その度に憎しみが心のなかに姿を現わした。だけれども、その憎しみと天使とが常に葛藤していた。醜い自分など、誰にも見られたくはなかったし、自分自身でさえも認めたくはなかった。誰かが合宿のなかで言っていたのと同様に、今回の宿題のノートにだって、はじめは本心を書けずにいたけれど「このチャンスを逃してはいけない」と、洗いざらい、生々しい気持ちをぶつけた。
そして気がついたことは-。“恨みとは、自分の否を認められずに相手のせいにしていること”だと思いました。私がずっと目をふせてきたものとは、「誰かを憎んでいる気持ち」ではなく「自分もひどいことをしていた」という事実なのではと思いました。私にとって心の内を表に出すということは、とても難しいことです。虚栄心も自尊心も、人一倍強いからかもしれません。だからいつも、人の眼で自分をみてしまう。そんな私だから、あのエチュードはやるべき課題だったし、私にとって、どんな意味をもつものなのかもわかっていました。
合宿の直前に観に行ったミルバは、喜怒哀楽を感じている自分自身を、胸をはって出していました。そうですよね、きれいなだけの人間なんて、誰も見たくないです。100パーセント、あのエチュードで一つひとつのシーンになりきれたかと言われれば、なりきれなかったと答えます。
でも皆の視線のなかで、髪を振り乱し、歯の裏が見えるほどの口を開けて、じたんだを踏めたことは、私にとっても大きな一歩でした。普通の人が目をふせて通るところで立ち止まり、手をつっこんで取り出して自分の心をみつめ、さらにはそれを人に見せるのがアーティストならば、すごく残酷な職業だと思います。だけど、だからこそ人々は心を動かされるのだと思います。心をことばにするのは、とても難しいことだと思います。また、心を声にするのも、難しいことだと思います。
その点で、あのピアフの“アコーディオン弾き”はすごいと思いました。自分の心を解放すれば、歌を歌えるわけではなく、感じた心をどうことばにし、どう声にするかを学んでいかなくてはと思いました。私にとってこの夏合宿は、今までの私にからみついた糸をほどいて、ゼロに戻るための作業でした。
去年と同じ課題のエチュードを今年はどうやるか。去年、初めてこの課題を与えられたときは一瞬、戸惑ったが、やってる間にはまってしまった。私の場合、特に苦しみや悲しみや憎しみは、感情を入れやすかった。でも、再生以降が今一つ、ありがちな感じになってしまったように思う。おそらく私自身のなかでも、再生以降のイメージが弱く、大きく膨らますことができなかったようだ(かなり助けられはしたが、私自身の内側からの“想いの声”という意味では希望や優しさのところでは入りきれなかったように思う)。その反省を踏まえた上で、今年は、やはり嘘のない表現で、再生以降をトライしようと思った。
限られた時間と空間のなかで、ラストの希望と優しさを、自分の気持ちの入った声で、変につくりすぎず、うまくできない自分を責めすぎず出すようにしてみた。イメージとしては、「皆んなが愛すべき同志で、今一緒に居れてよかったよ。いろいろあってもやっぱり生きているのがうれしいよ…またがんばれる!」という気持ちを表わしたかった。心のなかのイメージは嘘のないものが出せたと思う。ただ表に出た表現としては、やはり小さかったように思う。思った気持ちをもっともっと大きく強く出さなければ、自分のなかだけで消化しても伝わらない。それには、もっと深く広く感じる心や、柔らかい頭と身体、そして声が必要だと改めて思った。
あと難しいのが、班員同志でのそれぞれの“想いの声”をぶつけあって個々が盛り上がるところまではいけても、共鳴しあってより大きく、パワフルな“肉声の表現の集まり”にはなりきれていないことだ。自分の班でもそう思ったし、他の班を見ていても、やはりそれを感じた。せっかくいろんな個性をもった人間が集まっているのだから、それをもっともっと生かした声の表現ができればと思う。
今回、特に感じたことは、自分の心をニュートラルにするところまでは、少しずつできるようになってきたが、今の私にはその先の“欲”の部分が弱いということだ。歌を自分のいいカッコをするためのエゴの武器にするのをやめようと思う今、私は歌うことでいい声を聞かせて、聞いている人を心地よくする…、技のように磨かれた芸で人々を感動させたい…、私の歌を誰かが必要としてくれるかも?…などという他人を満足させるためではなく、生きている自分を感じたいから声を出したいんだということを、正直に感じた。そのための欲をもっともちたいと思う。
私が心の根の部分でどう歌いたいかという“欲”をイメージしていこうと思った。それが原点だと思った。それを聞いて他人がいろんなことをちゃんと感じてくれたらすてきだと思う。
きれいな空気のなかで、心に届いた小さな楽器の音色や、仲間の素直な助言や、きれいな笑顔や、先生のことばの端々からそんなことを改めて教わったように思う。
自己紹介のときに、“この3日間合宿に参加していなかったら何をしていた”ということが共通の質問事項に上げられていたが、自分の場合ははっきり言って、大して内容のある3日間は過ごせなかっただろう。みんなと同じで金曜日は仕事、土日はせいぜい海に行ってくるくらいなもので、1年間のなかでもほとんど印象に残らない3日間だったと思うが、確かに合宿に参加させてもらったおかげで、この1年間で最も印象に残るできごとの一つとなった。
しかし、これは“楽しい修学旅行”で終わってはいけないし、とはいえ、この場を素直に楽しまないともったいない。そしてこの3日間の体験を、どうやってこれからの実生活にプレイバックさせていくかが、一つのポイントであろう。
まず、誰にとっても一番、ヘビーだったと思う“エチュード”であるが、あの30分間で表現、体験したエネルギーを、自分の3分間のステージに凝縮させられるかが一つのテーマだと思う。
自分の場合は、合宿の翌週にステージ実習があり、その意気込みでステージには臨んだが、意外にあっけなく惨敗をしてしまった。実際、ステージ実習のステージでは緊張していたせいもあるが、スポットを浴びた瞬間、頭が真っ白になってしまい、これまで自分の人生で味わった喜び、挫折、愛、憎悪など、全部吹き飛んでしまい、何を表現するというレベルには達しなかった。では、合宿のエチュードはどうしてできたのだろう?
まあ、単純に言って“思い込み”でもあるし、“集団でやることによるパワーの共鳴”など、周囲が助け合ったからできたということもある。結局、それを個人にプレーバックできなければ意味がないということだ。自分の場合、エチュードは確かに全体の一部でしかないものの、個人の場として自分なりの表現をしたつもりだった。しかし、それはみんなの助けがあって、それらしいものになっただけであり、これも一つの“借り物”であったことに気づかねばならない。
「星は光りぬ」「リブ・フォエバー」は、今回やったエチュードのずっと先の延長上にある。では、ジョルジアの何がすばらしかったのだろうか、どうしてあれほどまでに心が打たれるのだろうか。少なくとも、彼女は技術だけで歌っていたわけではなく、あたかもそれが真実であり、彼女のことばとして語られ、非常に説得力があり、それは顔にも現れていた。どうして当時、23才の彼女に歌えたのだろうか、そんなに彼女は辛い人生を歩んできたのだろうか? いや、“辛い人生”=“コンプレックス”だけで、「リブ・フォエバー」のような悟りにも近いような曲が歌えるだろうか。まあ、作詩作曲のブライアンメイは確か、当時、離婚か何かして人生ボロボロの時期だったような気がするけどね。ジョルジアが、ノートを書いたかどうかは定かではないが、直感的にしろ何にしろ今回、我々がやったこと以上の思考は繰り返し、そしてあの歌詞を自分のものとして表現ができたということだろう。まあ、結局は毎日の積み重ねかな。 確か去年の合宿のレポートで同じようなことを書いたような気がする。そう言えば、去年は合宿に参加してから、何か変わった点があるかと言えば、歌や練習に対する意気込みがかなり変わった。実際、あの後に水泳を始めたり、練習内容をもっと基本的なものを重視したり、トレーニング日誌の重要性を感じて毎日、書くようにもなった。特に日誌の存在はかなり有効で、毎日のトレーニングを振り返ることによって自分の欠点に気づくだけでなく、歌への思いを増幅させることができたと思う。
では、今年は何が変わったのだろうか、いや何を変えるのだろう。やはり自分のメンタルな部分の探求を継続してできたらいいとは思う。結局、合宿に参加する前に、いろいろとノートを書いたが、本来は表現者はノートを書く書かないにしろ、ああいった作業、思考を繰り返し、そして自分自身を煮つめているのだろうな。
課題曲は、今は歌詞を覚えたら、何となく意味が伝わるように、適当にフレージングを考えてそれで終わりだが、もっと一つひとつのことばを、もっと探求する必要があるかもしれない。すぐにそれが効果としてステージに現れるほど世の中も甘くはないが、そういった作業を“継続”してやれば、“僕たちにとって永遠とは今このとき”ということばも、真実味を帯びてくるかもしれない。
今回の合宿は行かないつもりだった。ギリギリまで迷ったけど、前夜祭に参加して行かなければいけない気がして結局、決心した。宿題としてノートをつけ始めた頃、まるで合せたかのようにいろいろなことが起きた。歌うためだといって自分を犠牲にしてなるべく自分を見ないようにして、先ばかり頑張って追っていた。そして偶然、道で会った人としばらく話をしていて「自分のためだといって本当の気持ちを偽っていないか。自分のなりたい姿を今の自分と錯覚していないか」と言われた。私にとって、とても衝撃的なことばだった。さらに、久しぶりに会った友人に近況を話した後「歌と自分とどっちが大切なの?」というようなことを聴かれた。今まで自信をもっていた自分が崩れる気がした。「私はこうだ」と決めて安心していたけど、実際は全く違うんじゃないか。私は本当にそれを選んでしまっていいのか。ノートを書きながら悩んだが、自分の正直な気持ちに従うことにした。今までは「やらないで後悔するよりやって後悔する方がいい」と思ってきたが、今度はやらないことが後々、私の糧になるような気がしたのだ。辛い方を選んだのかもしれないが、どちらがいいかなんて死ぬときになってみなきゃわからないし、それならまっすぐ生きたい。そんなこんなで合宿まで一つ自分のなかでケリをつけられた。合宿…。 まず、一人ずつ自己紹介を兼ねて発表した。私は詩を読んだが、何だか“不発”という感じだった。妙な、本当に妙な遠慮をしてしまったと思う。「表現するのにし過ぎることはない」と言われて、もう二度とあそこに立つことはないのに、ひどくもったいないことをしたと思った。エチュードの練習を始めて、去年との違いに驚いた。慣れたのか感情が出やすくなったのか、苦悩までは素直にできた。ノートのおかげなんだろうか。ところが、喜びあたりから心が次第に固まってきた。どう一所懸命やってもつくっている自分を振り払えない。笑顔のこわばりが自分でもよくわかる。もう逃げたかった。愕然とする私の目の前がゆらゆら揺れて倒れてしまった。倒れるほど逃げたかったのかと思った。
去年、私は班で行動するのが疑問だった。「別に仲よくするために来てるんじゃないし…」と、変にいきがっていた。歌をステージの上で歌うのは一人なんだから、個々の意識は当然、もつべきだ。でも、やさしさを送ることは一人ではできない。歌も歌うのは一人だけど、自分に対して歌うだけでなく、他の人間に対して伝えていくものだ。
「やさしさのエチュード」ができなかったのは、「絶望」と同じように一人の世界のなかでやろうとしていたからかもしれない。他の人間のパワーを自分に感じ入れることを全くしていなかったし、それを受けて出すこともしなかった。
私は、あの合宿に来た人、全員に感謝したいと思う。助けられたとか助けたとかそういう問題ではなくて、お互いが苦しんで、そのなかから出た喜びがしぜんに周りに伝わった結果、ああいう空間が生まれてそのなかで私は、今までにない気持ちを感じとることができたんだと思う。
それから、軽井沢の空と緑と風にもずいぶん教えられた。あの木漏れ日は、必ず何かの折りに私の頭のなかに出てくるだろう。エチュードは歌うときにも大きなヒントを与えてくれた。はじめ、エチュードでありのままの感情を出すことと表現することは全く違うところにあると思っていて、うまく入り込めなかった。でも、制約のなかで今まで生きてきて積み重ねた感情の一つひとつを取り出すところが、すごく歌に似ていることに気づいた。歌うときもあんなふうに感情を取り出せればいいと思う。
3日間、本当に密度の濃い時間を過ごした。そして私は、現実に戻ってきた。整理しなければならないこと、職探し、考えるだけで胃が痛い。でも、いろいろな感情は日常から生まれて、歌によって育まれるのだから、現実でも一所懸命にまっすぐ生きたいと思う。そうやって、私の生きざまが歌になるように、楽しんで水をやり続けたい。
エチュードという課題は好きだ。感情にブレーキをかけずに、ことばや動きにも制約されずに思い切り表現できるなんて、表現したい者にとって、こんなに嬉しい課題はない。でも、その気持ちだけではダメだった。エチュードを演じることに、とうとう入りきれずに合宿が終わってしまった。自分の内に、表現する感情が充分には湧いてこないのだ。
1日目に、ただ笑いころげるのと、赤ん坊になって泣き叫ぶのを皆でやった。あのときは体がしぜんと反応して止まらなくなる感じになったのに、エチュードのときは、声と表情で表現しようとするのだけれど、体はとり残されてしまうような感じだった。
悲しみのエチュードのとき、昔悩んだことを思い出してみたが、悲しみの感情はあまり湧いてこなかった。今、考えてみると、つらいことと悲しいことは違うようだ。私が過去に気が狂ったように泣いたのは、自分にとって大事なものを失ったときで、「つらい」よりも、もっと激しい感情だった。
合宿では、そこまで突き詰めてイメージできなかった。他のエチュードも、どこかことばとして捉えて一般化してしまった。班でのスクーリングの話し合いも、イメージが定まらずにことばを探してしまったような気がする。この課題を他人事にしないために、合宿前にノートを書いたはずなのに、エチュードを自分のものにできなかった。取り組み方が甘かったと思う。
エチュードを通して、表現することの厳しさを思い知らされた。自分のなかに、あふれるほどの感情を、すぐその場で生じさせることの難しさ。舞台装置も台本もない。頼りになるのは自分の身体だけ。自分の身体の内に入っている感情を取り出すには、イマジネーションが必要なのに、それが絶対的に不足していた。本当は、舞台装置や台本があっても、自分の内から何も出てこなければ、表現は成り立たないのだ。ステージやライブ実習でも同じことだ。この反省をこれからに活かしたい。
去年の合宿と違った点として、エチュードの解説と全体のメニュの解説のヒントとして作品が紹介されたことがある。これらの作品はとても印象深く心に残ったけれど、合宿以外で接していたら見過ごしていたメッセージもあっただろう。これらの作品は一つの例であり、合宿から戻っても学ぶ材料はいくらでもある。いろいろなことから学んで、自分の歌、表現に結びつけて考えていきたい。
エチュードの解説の作品(「星は光りぬ」「リブ・フォエバー」「アコーディオン弾き」)から受け取ったメッセージ-時は流れていき、輝かしい一瞬を得れば、それを失う絶望がくる。でも(だからこそ)、今この一瞬を生きないで何があるというの?-は、私が18歳のときジャニスジョプリンの「コズミック・ブルース」を聴いたときに受け取ったメッセージと同じものだった。あの歌を夜一人で聴いていたとき、ものすごく密度の濃い時間を体験した。こんなすごい歌が歌えるなら、他に何もいらないと思った。あのときの決心をもう一度、思い返した。そしてあのとき受け取ったはずのメッセージを、5年の間に少しずつあいまいにしてしまっていた自分に気がついた。
一方、全体のメニュの解説で紹介された「星の王子様」から学んだことは、全く新鮮だった。「仲よくなるには手続きがいる」ということばにはっとした。あたりまえのことのようで、ずっと気づかずにきてしまったように思う。予め準備され、きれいにパッケージされて売られているお手軽なものに慣れすぎていた。何でもすぐに手に入れようとしていた自分の傲慢さに思い当たった。まして、自分にとって大事なものは、お手軽に手に入れられるものでは決してないはずだ。
私は大きな勘違いをしていた。一瞬をつかむような表現をしたいと思いながら、そのことと、こつこつと汲み上げていくこと(手続きを踏むこと)を関係がない別々のことのように感じていたのだ。
ジャニスジョプリンがヴォイストレーニングに通う姿は想像できないけど、彼女が手続きを踏んでいないわけではない。努力ということばは似合わないけれど、歌が好きでジャンルに関わらずにたくさんの音楽を聴いて、しぜんに歌を歌うのに必要なことを吸収してしまったのだ。
私は一番、足りない声を中心に、歌や表現を学んでいる。なんて楽しいことだ。なのにときどき、トレーニングがつまらなく感じてしまう。先ばかり見ようとして、今この一瞬に感じ、表現することを忘れているときだ。
「手続き」に関する自分の勘違いに気づいたことと、自分にとって歌の原点となったメッセージに再び問いかけられたことと、エチュードの反省から今後の課題を得たことが、私にとっての今回の合宿の収穫です。
参加するにあたって一番、楽しみにしていたのが“スタートラインに立てます”という下りだった。ときどき、ただ声を出しに代々木に通っている気がしてて、きっとアーティストとしての資質を問いただす何かがあるんだろうと思っていた。
3日間で先生は“一瞬をつかんで軽井沢から持ち帰って欲しい”ということを何度も言った。
初日の夜、ジョルジアの「Live forever」や「星は光りぬ」に感じた。“スタートラインに立つってことは、一瞬とは何かを見ることだ”
2日目の夜、歌のあとのエチュードのスクーリング。これが今回の合宿のなかで一番、残った。あのときの一言一言には、悲しみの一言でも自分でノートに書いた何ページの悲しみが集約されていたと思う。よろこびのときも、いろんな思いが体じゅうをめぐって出た一言が“ありがとう”だった。
その瞬間に、自分の想いをつめ込んでことばにする。心と身体とことばを一つにできたと想う。発表のときは表現しているんだか、地で思い切りやっただけなのか、両方なのか、わからない部分もあった。だけど、スクーリングのときは一瞬が見えた。この感覚はきっと、ずっと忘れないと思う。
あと発表が終わった後の先生のお話が残っている。星の王子様だ。先生が言った4つのキーワードのなかで、“暇をつぶす”話がのこっている。“歌”を歌うためにどれだけの暇をつぶせるか? また今まで、どれだけの暇をつぶしてきたか。パヴァロッティの3分間の歌とそのあとの笑顔には、とてつもなく大きな“暇”がつぶされているだろう。今の自分には、その後ろに隠れた暇すら発見することができない。音楽だけではなく、社会や自分自身に目を向ける。いろんなことが自分には足りない。これからたくさんの“暇つぶし”をしなくてはならない。“もしかしたら今日で終わりかもしれない”人生のなかで自分が今、何をするのか? 何をすべきなのか? やはり“歌いたい”として生きたいと思う。
会報に、去年の合宿に参加した人の評が載ったとき、私は羨望してそれを読んだ。多くの人が“感激”し“解放”され、天の声を聞いたと書いていた。私も軽井沢での合宿に参加すれば、心も体も解放されるのではないか、とものすごく期待をしていた。合宿の直前、持病が悪化し、やっとの思いで参加できるようになったときは、とにかく嬉しくて、抑えきれない高揚感と共に、軽井沢に着いた。これからここで過ごす時間のなかで、私のなかの何かが変わるのではないかと思っていた。
でも、私が期待していたようなことは起こらなかった。班でエチュードの練習をしていても、入りきれない私がいる。それは他の人にも伝わっていた。演じているという感覚が常にあり、どこか距離をおいている。距離を縮めたくても、どうすればよいのかわからない。やればやる程、ぎこちなくなっていく。
コンセプト作りのスクーリングで、皆で煮つめて話し、発表会の前夜、一人ひとりと握手し、抱き合った。スキンシップをとることで、短い時間で育むには足りない相手への愛情が確かに生まれた。それは喜びの、希望のエチュードをする上で、とてもよかったとは思う。
発表会の前夜、モノトークがどうしてもまとまらなくて、朝方まで眠れなかった。同じような人が何人かいて、その中の一人の人に言われて気がついたのは、考えることと感じることは全く違うということ。そして、感じるだけではなくて、それを外に出していくことが大切なのだということ。やはり、私は頭でっかちになっていたんだ。もっとストレートにいけばいいんだと思ったら、少し楽になった。
最後の班の練習のとき、それまでと違った“何か”がつかめそうな気がした。軽井沢の、あの青い空も風も鳥の声もすべてが力になってくれる気がした。発表の場に向かいながら、本番の自分がどうなるのかわくわくしていた。発表のとき、今までのどの練習のときよりも感情としては深かったと思う。けれど、極まることはなかった。負の感情で落ちきれなかったから、昇りきることもできなかった。泣いている人たちが羨ましかった。泣けばよいわけではないけれど“感極まる”状態になれていることが本当に羨ましかった。
合宿から帰って、体も心もヘトヘトに疲れているのに、未消化な自分をどうにかしないと落ち着けなくて、親と話し友人と話し、昔の日記を読み返した。自己紹介で「日記にまでかっこをつけている」と言っている人がいたけれど、私も全く同じだった。本当に心の奥底で感じたことは書いていない。読みながら、本当はこう思ってたんだよなと思い出してしまうような嘘の日記。親に対しても自分の好みを言えなかった。親や祖母が選んでくれたものに対して、嫌とは言えず時間がたってからそれを手にして泣いてしまうような子だった。小さな頃から自分の感情をストレートに出すことがうまくできないまま、私は大人になってしまったらしい。友人に「あなたは優等生なんだよ」と言われた。人の目を気にしていないようで、ものすごく気にしているのではないか、と。
そういうことがわかったからといって、すぐに私が変われるわけはない。とにかく、自分に対して嘘をつかず、思ったままをいじくらずに出すことをしていこう。悲しいとか嬉しいとか楽しいとか、感じたことを声に出してみよう。私が思いついたことは、ことばにすると、とても幼稚で単純なことだった。自分の、この壁を壊すことができたら、私の歌は今よりもずっとずっとよくなるのではないかと思っている。時間はかかっても、きっと大丈夫と何の根拠もないけれど、今は思える。期待していた私には、出会えなかったけれど、再生へのきっかけはつかんだと感じられた合宿だった。
今回の自分のテーマは、感情に入り込むことだった。今年も去年からあまり成長していなかった。去年は感情に入り込もうと必死でやった。無理やりにでも感情を引き出そうとした。だが、うまくいかなかった。力めばのどにも悪影響を及ぼす。去年言われたことで、心の底からわき上がる声は、体の底から出るのでのどにはこない、というのが頭の中にあった。
そんなこともあって、今年は力まずイメージだけて゛しぜんに感情がこみ上げてくるのを待つことにした。暗く悲しいみじめな人生だった。そんな過去を、そんな思いを忘れよう、考えないようにしようと思っていたかもしれない。それを具体的に思いだし、書いてみた。負のエチュードならお手のもの、大得意のはずだ。なのにエチュードになると憎くて殺してやりたくならない。悲しくてどうしようもなくならない。そのときのことを思い出してみるのだが、あのときの思いがこみ上げてこない。エチュードで感情が爆発できないのには、いくつか原因があるだろう。それがなぜであるのか、じっくり考えなければならない。
今回、よい点もあった。正のエチュードでは、ドップリとまではいかないまでも、温かい気持ち包まれた。モノトークのテーマ、「愛」について考えたとき、こんな俺でもやさしさに包まれたことがあるんだと再認識でき、感謝する気持ちになれたからだろうか。
それと体については、声が去年よりスムーズに出るようになった。のどをしめつけるクセが少し解けてきた。だから最後まで声がかれることはなかった。全体的に男性より女性の方が感情が出せている気がした。男は涙は流せないもの。涙を流せば負けだった。自分に対しても何に対しても。俺は男になりたかったのだろう。強い男に。そしていつのまにか涙を流せなくなっていた。感情を表に出せばつけ込まれる世の中、感情を押し殺すように生きてきた。心を解放しきるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。今までは、自分を深く掘り下げることを具体的にやらなかった。これからは、そのことについて時間を費やさなければと思っている。
自動販売機でジュースを買った。39度の猛暑のなかで飲むジュースの味は格別で、何ともいえない。そんなとき、ふと自動販売機にこんなことばが書いてあるのに気がついた。「渇いたのどを潤しながら ゆるやかに流れる時間をただよう ありふれた景色すら 違って見えてくるそんな瞬間」気づいてよかった。気づける自分がいたことが少しうれしかった。確かに暑いときに冷たいものを飲んでいる瞬間って、今まで意識もしなかったけれども、すごくシャキッとした気分になって、ゆっくりと瞬間が流れている。そんなときは、緑がより緑色に見えたり、重苦しい空気が一転して軽いさわやかな空気に変わる。いつでもこんな新鮮な気分でいられたら、もっと繊細にいろんな音や歌を感じられるのだろう。ゆっくり瞬間が流れると、周りがもっと見えてくると思う。
時間の流れる速さってどんな人間でも同じ、平等だ。お金がなくても食べ物がなくても、どの時代に生きたとしても変わらない。その平等な時間のなかで、どれだけその瞬間を感じられるか。どれだけ新鮮に心でその瞬間をつかまえ感じられるか。結局、いつかはみんな死ぬ。その限られた時間のなかで、どれだけ濃く生きるか。瞬間を感じられるか。とても大切なことだと思う。きっと福島先生の1分と自分の1分は、同じ1分なのに全く違う1分なんだろう。自分が1分、ボーッとしている間に、福島先生はいろんなことを感じているのだろう。こんな感じられない自分が嫌いだ。どうして感じられないのか。どうして美しいものを美しいと心から感じられないのか。違う。自分が感じられないわけじゃなく、感じようとして生きてこなかったから感じとれないだけだ。
瞬間を多く感じていこう。そうなればもっと生きてて楽しいだろうし、時間がもっと大切に思えるだろう。戻らないこの瞬間を生きよう。
そう思えたのも、福島先生がこんなことばをかけてくれたからだ。
「今、これからすぐに大地震が起こって自分が死んでしまうことをあなたは知っています。死ぬ前にあなたはどんな歌をどのように歌いたいですか」
このことばを聞いて、すぐこう思った。
「このまま死んだら絶対、後悔する。笑顔でなんて絶対に死ねない。」
自分は今まで自分がやってきたことに何も納得しきれていない。今やっていることにも納得できていない。納得できるまでやっていない。自分自身が納得できることを納得いくまでやる。そんな生き方ができる自分でありたい。明日は棺桶のなかで眠っているかもしれない。何も達成されず死んでしまっているかもしれない。だとしたら、もっと納得してもっと楽しんで、大切に生きなくてはいけない。プロセスを大事に生きよう。プロセスで納得していれば、まだ死ぬときに後悔が少ないのだろう。
「メダルを取ろうとすることは、自分の意志に反することだ。でも、メダルを取れる自分でありたい。だから毎日、納得のいく練習をしてスタートラインに立ちたい。自分にとってはそこに立つまでが大切なことだ。勝負は、メダルは結果としてついてくるものだ。」
自分もそんな人間でありたい。どれだけ瞬間を納得できるか。どれだけプロセスを楽しめるか。自分の課題だ。
合宿のプロセスはノートだったわけだけれど、自分は一冊埋め切れもしなかった。自分に甘い奴だ。プロセスに納得できなかった。深く考え込めなかった。だから喜びのエチュードのとき、喜びを全く表現できなかった。イメージしきれなかったので、わき上がってこなかった。本心で喜びきれない。ウソの自分がまた出てしまった。自分はどちらかというと負のエチュードの方が入りやすい。でも、どれだけ自分が悲惨的にしかも不平、不満をもらして生きていたかを物語っているようで、なんか情けない。喜びを表現できる人間になろう。そのためにも、もっともっと多くのことを経験して、もっと喜怒哀楽して生きよう。一杯傷つこう。でっかい人間になろう。
ビリーホリデイやエディットピアフは、ものすごい表現力をもっていると思うのだけど、彼女たちは普通の人の何十倍も苦い体験をして傷ついている。別に無理して、悲劇的な体験をする必要もないのだろうけれども、結局、いろいろな経験を積んでいろいろ感じて生きることが、表現の幅を広げてくれるのだと思う。ウソはウソなんだ。歌にはすべて出てしまう。ありのままの自分が出る。見栄っ張りで醜い自分の心が出てしまう。とても恐ろしいけれども、だから歌っておもしろい。自分が成長すれば、もっと輝きを増すだろうし、投げやりにほっぽってしまえばガタガタにくずれていく。自分次第で変化する。歌うのが自分なんだから、あたりまえなのかもしれないけれども、これはとてもおもしろいことだ。
特に、エチュードだと、歌以上に自分が隠せなくなる。ウソは必ず隠せない。自分自身を確認する意味でも、エチュードをやれてよかった。合宿が終わってこのことばを思い出す。
「あなたがいてここが変わらないんだとしたら、あなたって一体何だ」
ということばだ。自分があの場にいて、何か変わったのだろうか。自分があの場に何か影響を与えていただろうか。まだまだだと思う。お金を払ってまで自分をみたい、歌を聞きたいと思わせるほどの影響力はない。認めざるを得ない。合宿に行く前から、嫌われるくらい強い自分でありたいと思っていた。爆弾になりたかった。そうなろうと試みたんだけれど、自分の考えが浅かったので、ただ怒っているだけになって、班の人に不快な思いをさせてしまった。もう少し冷静になって、周りを感じる余裕が必要だった。
風の音、鳥のさえずり、陽の光、軽井沢の匂いを感じられなかった。だけど、エチュードとモノトークが終わって、再生になるときに、とってもいい風が吹いて気持ちよかった。そんなときは、周りの人の声もよく聞こえて、本当に気持ちよいと思えた。大切な瞬間だった。
昨年もエチュードをやり、今年も同じエチュードをやった。去年以上のことはできてあたりまえだった。今年は表現したかった。胸にグサッと入り込むようなすごい表現を。何回も繰り返して自分に言い聞かせた。確かに、去年より少し進んだ。でも表現しきれなかった。ウソも出た。醜い自分も出た。ああ表現できたのに、と悔やむところもある。去年より格別に成長したものがある。それは終わった後の達成感と、周りに感謝する気持ちだ。去年は自分が受け身になりすぎていたから、何かよくわからないうちに終わってしまったが、今年は積極的になった分、感じられるものが多かった。ウソにしても、自分が見栄っ張りだと知っていたので、素に近いウソだった。でも、こんなもんで納得はできない。まだまだまだまだ全然ダメだ。この気持ちをプロセスに生かしたい。ありがとうと思うことが多い合宿だった。
最後の天の声のときは、なんか嬉しくって、いろんな人に抱きついてしまった。ありがとう同志、ありがとう先生という気持ちで一杯だった。こんな気持ちがいつでも呼び起こせれば、幸せな歌を歌えるのかもしれない。自分を見守ってくれた先生や、同志の気持ちに答えるためにも、自分が力をつけることで、自分がいい刺激を与えることで、自分が努力することで感謝の気持ちを表わしたいです。
合宿は毎回、大切なことを学ばせてくれるけれども、合宿がなくても、いろんな大切なことを学べる自分でありたい。福島先生に結局、また言わせてしまったことは、非常に情けない、自分しか見てなかった。それが悔やまれるのと、天の声のとき、先生が握手してくれたことが、本当にうれしかったです。ありがとうございました。
今回の合宿に参加するにあたって与えられた宿題のノートを、どんどん自分の過去を掘り下げるように書いていくにつれ、自分がここに在籍した2年近くのなかで「アーティスト」というものを自分で勝手に定義し、それに自分をあてはめていくことに専念していたのではないかと思うようになった。それはたとえば、他人のことばの受け売りでもあるし、自分でつくった枠でもある。じゃあ、それらを外して等身大の自分、それを真っ正面から見つめてみると、形的なものを作り出そうとしていたホントにちっぽけな自分がいた。「アーティスト」という以前のまず「人間」としての自分をしっかり確立もできていない。
今回の合宿は、そうした裸になった、まず「人間」としての自分をしっかり確立、そこから表現するものを得る、それがエチュードであり、自分自身のことばでモノトークが表現できればと思い、合宿に臨んだ。そのときはまだ、「歌」にまで気持ちが行き届いていなかった。1日24時間、表現すること、歌うことだけを考えていればいいというのは自分には初めてのことであり、今の自分にとって一番ぜいたくな、そして貴重な時間だった。
軽井沢の自然のなかを散歩しながら日常を振り返ってみると、今の生活サイクルの大部分の時間は仕事に費やされていて、本当に必要なもの、やりたいことがあるなら、そちらにエネルギーを向けるべきで、自分はその方向をちょっと間違えていたかなと思った。じゃあそのパワーを一番やりたいこと、「歌」に向けるべきだなと思い、帰宅後のビジョンを描いたりもした。
1日目の夜、エチュード解説での福島先生のことば、「明日、大地震が起きたら何を歌うか」、このことばにすごく考えさせられた。考えて…出てこない…、ない。今の自分にはそんな歌はない…。そのときは「いつでも大地震が起きている」歌には、自分の意識が程遠く、情けなかった。そしてそのとき、少しずつ自分のなかに浮かんできた「じゃぁ、何で自分は歌うのか?」という疑問。でもそのときは、まだ普段の生活の意識が抜けきってなかったので、それほど深く考えなかった。
何か違うなと感じはじめたのは2日目。エチュードのコンセプトの話し合いのときだったと思う。このエチュードという課題は、入り込めば入り込むほど、ある種、自分の内にこもる部分があると思う。そうして自分の内にどんどん入り込んでいって、自分のなかに表現する何かを見出すのではと。そしてそうした過程は、個人に感じるものであって、そこから発展させてそれを人に見せる、すなわち表現することろまでいけるかどうか疑問だった。つまり自分個人は、エチュードから何か得られても、まだ表現まではいけないんじゃないかと。表現の前にまず自分が…そう思っていたら、班の一人が帰ってしまった。彼は正直だと思った。自分は中途半端な気持ちのままここにいる-自分も帰った方がいいかと思った。一人だけとどまっている人間がいるべきじゃないなと。
「でも、せっかくここまで来たんだから」とも思いたくなかった。そんな中途半端な気持ちじゃ、この課題は絶対、取り組めないこともわかっていたし。そうこうしているうちに夜になり、スクーリングの発表会。自分はまったく表現できなくて、何しに来たんだ?とまで考えてしまった。モノトークの原稿も全く納得がいかなくて、何度も何度も書き直そうと思ったけど、いいことばが浮かばない。とことん掘り下げて、広く「愛」について考えてみたい…。けど、今の自分には、過去を振り返ることはできても、感傷的にはなれなかった。それに気づいて、じゃあそのままぶちまけちまえと思って、さっさと寝ることにした。
そして発表会。もうキレたもん勝ちだと思ってキレるだけキレもした。のどが思い切りやられた。確かにスッキリはした。でもスッキリして、どうした? 結局、イクことはできなかった。結局は「何で歌うのか」の「自分のことば」は出てこなかった。何でだろう?
最後の福島先生のことば「プロセスを楽しめるか」…考えてみると、今の自分は楽しんでいない。そもそも歌うことを自分は楽しんでいない。今の自分は歌うのは好きじゃない。-今までの自分は「歌しかないんだ」と勝手に決めつけ、自分のなかで枠をつくって、そのなかで狭い視野になっていった。いつしか歌うことが言い訳になっていったんじゃないか? そのことを宿題のノートを書きながら感じ、日常の意識から抜け出して、第三者的に自分を見つめることによって、本心の部分に気づいたんじゃないか…。じゃあどうするか? 今は広く世界に目を向けて、どんどんいろんなことにチャレンジして、自分を磨くべきじゃないか。そうしていくなかで、自分が本当に打ち込めるものが見えてくるんじゃないかと。歌うのがつまらないなら、おもしろいと思うものから手をつけてみて、その過程のなかで、また歌いたくなればそれはそれでいい。21才で完成形を求めるなんて、なんてもったいない。できるだけ広い視野で生きよう-合宿から帰ってきて、自分のなかにしぜんにこのことばが生まれてきた。表現することだけを3日間考えた結果として、広い世界を求める自分が生まれた。今はこの自分を大切にしたいと思う。
合宿は、去年もそうだったけど、来年の合宿まで(来年があればの話)にやっておくべき大きな課題をくれる。去年、私は自分の歌の「嘘と真実」に悩み、毎回、真実を出すためにどうすればよいのか苦しむ課題を得た。合宿から冬が終わるまで、会社の屋上で昼休み、休憩時間、時間さえあれば寝ころがって空を見上げて「天の声」をやって、いや、やろうとしてた。歌うときは一度、泣いたりしてからやってみたり。とにかく「歌の真実」の存在を知りつつ、自分の体で表現できないギャップのミゾで転がって苦しんでた。小さな会社だったので、わけのわからない会社の友だちまでも「ハイ、ラララ」と(それも低い声でマネして)口ずさむくらいだった。たった一つの私の声を探そうとした。
さて、今年はどうだった。まず私は、本当に全身全霊を100パーセントで参加していただろうか。前日までの仕事の疲れを引きずっていたのではないか。確かに状況としても、疲れ切っているのは仕方ない。でもステージは別ものだと、頭ではわかっている。自分の体の状態を超えたところにあるものだから。カゼとか筋肉痛とか、昨晩12時までの労働とかとは異次元にするのがステージをつくることだ。ステージとは、歌ったり踊ったり芝居することを意味するのではなく、空間を支配し時を止め、風を起こすことで、肉体から声や動作までも浮遊することを言うと思う。自分の右手を後ろに引けば、お客も引っ張られることだ。
それを去年に比べると、100パーセント体現できたとは思えない。情けないが、私のなかに少々、迷いがあったせいもある。去年は同エチュードを、ただ無我夢中で熱狂的に取り組んでたけど、それは私がアーティストだからできたということは一つもない。人であれば皆、あのとき、あの場、あの課題だったら一度や二度、自分の本質を掘り起こし輝くことはできるだろう。でも去年帰って来て、軽井沢じゃなくても一人ででも、エチュードやらなくても、いつでもどこでも、たとえば、グループレッスンの自分の順番で、そんな生理状態になれないと意味がないって思った。それでやっぱり帰って来てすぐのライブ実習で、散々のもとのもくあみで、一人で清冽な空間を創り出さなかった。そこから会社の屋上での空を見上げての「天の声」をやり続けることになったのだ。
今年はもっと、合宿でエチュードをやることによって、その自分の体の生理状態を体に刻み込もうと思っていた。だから去年のようなその場のハッタリのパワーや熱意でやっても、自分にとっては無意味で過去の手法だと頭のどこかにあった。同じ課題ゆえに、何を私は取り出し何を捨てるのか明確にする間もなく突入してしまった。「迷い」のあるうちに始めてしまった。ここが一番問題で、大反省の点。
「一般の普通の人でもこの程度のことならできる」って去年、先生が言ってたのを覚えている。無我夢中で何かに取り組んでいる姿は、確かに人の感動を引っ張る。でもそれを何度も見せられるバイタリティとか、たとえばワンカットずつ写真をとっても、すべてがサマになってプロマイドとして売れるかというと、わからない。作品になるってことは、やはりやっている人が普通の人ではもたない。無我夢中になる生理状態を冷静にコンスタントに体のなかに巻き起こし、何かを出していくことが、まず少しでもアーティストに近づくことだろう。そこへもう一歩、踏み出すたたき台として、合宿を利用しようとは何となく思っていた。
そして終わった今、もつところ、もたないところの瞬間の自分の生理状態の違いだけは感じられた。それはすぐにはできないけど、どんなふうに糸がもつれているのか見えたような感じ。去年は自分の歌の嘘を知ってしまったショックでアワワワ…という感じだったけど、今度は少し冷静に明確になった。自分の手で体のなかをかき回し、熱風を巻き起こし、全力で2本の足でそこに立っていなければいけないのはわかっている。それを100発100中、コンスタントに出せるような訓練の方法自体を研究し、実践していくことが、今年の合宿のくれた私への課題だ。来年の合宿があるかないか、またそのときの私に必要かどうかわからないが、そこへ向けてスタートを切る!
宿題ノートやモノトークの原稿を書いたことで「自分が何物になろうとしているのか」がより明確化(死ぬまで歌い続けたい、死ぬまで人生を謳歌し続けたい、もっと言うと、何万人もの観衆の前で最高最大のライブパフォーマンスをやってみたい、そして、自分が源(みなもと)となってみんなに夢と希望を与えたい-そう、フレディマーキュリーのように!)されたことは、大きな収穫だった。
それと、ほとんどが会うのがはじめてだった東京のレッスン生の人たちのがんばりに触れることができたのは、大きな刺激だった。本当はもっと話をしたかったけれど、それこそナアナアになる一歩手前で帰ったのは、とりあえず正解だったと思う。
自分にとってこの合宿での出会いが本当に重要な出会いであるならば、わざわざ合宿の帰り際に親睦を深めなくても、これからきっと2度3度と会うことになる(そしてより高いステージで!)はずだからね(本物は残る、と言わせてもらいましょうか)。
昨年の軽井沢合宿の後、参加した人たちの口から「合宿を終えて東京という現実の世界へ戻って来ると、合宿で得た“神聖な”ものが汚されそうで、必死でそれを守っている。」というような話を、異口同音に複数の人たちから耳にした。それについて当時の私は、それほどかけ離れた感想はもっていなかったと思う。しかし、今年の合宿の後は、やはり昨年と同じような感想や、「感動した」ということばを他人が口にしても、私はそれに単純に同調できない。言い換えると、そういった“おめでたい”気持ちにはなれない、というのが合宿を終えた後の私の心境である。
2回目、しかも課題は昨年と同じ。そのなかで一体、自分は何をつかめるのか。昨年と同じことをしていても意味がない。ただでさえ、つかみどころのないエチュード。昨年は演じることが楽しかった。先生に「演じるな」と注意されても、私のなかでは演じなければ成り立たなかった。本能のままに任せると、声をつぶした。
そして今年は…昨年と同じでは意味がない。では、どうしたらよいのだろうか? ひたすらこの問いかけを繰り返す。人に伝えるためには、下手な芝居は却ってマイナスだ。声が大きければよいというわけでもない。うまく歌うことも正解ではない。だからといって、“素(す)”では芸にならない。そうこうしているうちに、今年はつぶさないとひたすら注意していた声も、オーバーヒートしてきた。自問自答、試行錯誤を繰り返し、そしてまたもや、つぶしてしまった声に自己嫌悪をいだきながら、最終的に舞台にのせた結果は、結局「観ているより参加した方がおもしろい」という程度のものにしかならなかった。所詮、今の私の力はこんなもんである。
楽しかった、今年も。だからこそ、おめでたい気持ちにはなれない。なぜなら観客に楽しんでもらうことはできなかったから。正直言って、自分が客席側で他のグループの発表を観ていたとき、決してつまらなくはなかったが、やはり知り合いのお稽古ごとの発表会を観ている心境だったのだから。ただし、何もできなかったとは思っていない。
私自身、自分の存在をそこに確かに感じることができる一瞬があったのは事実であり、これは昨年にはなかったことだから。今年の合宿で一番、残ったのは“LiveForever”。Who wants to live forever?”この問いかけに、私は衝撃を受けた。モノトークやエチュードを通して、死について考えていたとき、私は誰もが永遠の生を望むのが当然だと思い込んでいた。しかし、改めてこう問いかけられて、何か目が覚めたような気がした。この夏、一番の収穫かもしれない。
余談であるが、合宿で福島先生が使っていた鐘。外の芝生で寝ころんで、目をつぶってその音色を聴いていたとき、私の目には、未だ行ったことのないチベットの祭壇のまえでラマ僧が祈りを捧げる姿が浮かんでいた。そして軽井沢の風の音と共に、祈りの声、香の匂いまで感じるような気がしていた。その後、その鐘はやはりチベットの仏具であることがわかった。偶然だろうが、あの鐘の音のなかに単なる“空気が振動して鼓膜を奮わせることにより感じられる音”以上のものを、私は聴いていたのだと思う。私の声にも、こういった何かを宿したい。まだまだ、わかっていないことがたくさんありそうだ。