一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

このブログの内容解説 研究所の変遷とカテゴリーの説明⭐️

 

本ブログは、

主に1990年代前半の研究所会報のアーカイブでスタートします。

未掲載原稿なども含みます。

(個人情報に関するところは、編集しています。)

 

 

30年以上もまえからのことなので、

皆さんが、これを学びの糧にするのに

理解の手助けのため、若干の周辺情報を付け加えておきます。

 

まず、お断りしておくと、

当時、このレッスンの行われていた研究所の体制、

参加者の目的、意識、年齢層やその取り組み、

私やトレーナーや運営方針は、

現在とは、大きく異なっています。

 

研究所の運営経緯は、

同時に私の挫折と克服の歴史でもあり、

その経緯として説明しておきます。

 

学ぶ人にとって、こうした歴史、変遷は、

重要なことだと思うからです。

そこで、この研究所では、

会報や出版物、音声テープなどで

記録として保存してきました。

 

 

時代を経ても、普遍で不変のものがあります。

ご自身に活かせるところを読み取って

新たな時代に、ご活用いただければ、ありがたく存じます。

 

 

以下、関係者以外の人にわかるように、

それぞれのカテゴリーの意味内容を

説明します。

 

枝葉にとらわれず、幹を捉えて、

ご自身のため、他の人のために、

お役立ていただける人に

ご活用してもらうことを望みます。

 

 

この研究所に関わってこられた皆さん、

コンテンツをご提供いただいた

多くの皆さんに深く感謝いたします。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

目次

(1)研究所の運営体制の変遷

(2)V塾

(3)個人レッスン

(4)本ブログ公開にあたっての所感
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(1)研究所の運営体制の変遷

 

 

私のレッスンは、もともと大手プロダクションに

プロの養成を頼まれたところからスタートしています。

この経緯などは、研究所公式サイトを参照ください。

 

 

私は、当初、専門学校への出講とプロダクションの

プロのヴォーカル指導を中心に行なっていました。

 

第1期:1990年代前半、プロの卵やアマチュアの養成所として、

BV座とV塾を立ち上げました。ほぼ月刊で会報を発行。

 代々木の二階建て古民家スタジオ兼サロン

 

第2期:1995年ライブハウス式スタジオに移転、

V塾を運営。

 

第3期:複数トレーナー(声楽家メイン)での個人レッスン体制のため、

現スタジオ(三階建て鉄筋一軒家)に移転。

現在に至る

 

(スタジオは、すべて代々木駅徒歩2分)

 

 

 

 

1) BV座と個人レッスン プロ対象 発足期[〜1994)のレッスン

 

 

初期は、優れた音楽的感覚とけっこうな声を持つ人が揃っていたため、声出し中心の場でした。レッスンというより課題発表で、ほとんどコメントも説明もなく、

ホワイトボードも使いませんでした。

 

私は、レッスンでも、自分が一言も発せないのを理想としていました。

無限の可能性のある参加者の表現活動の邪魔をしてはならないと思っていました。

まして、そのプロセスでは、試行錯誤の実験の場であるからです。

 

 

研究所の創成期でBV座を3年、(その後、プレBV座を7年ほど)、実践しました。

中座したのは、私が関わることで、表現の本質が一人ひとりに見えにくくなったのを感じたからです。劇団ならよかったと思うのですが、表現の場が成立しにくくなったのです。

 

私自身が、ここで修行中と思っていたときには、前に進むほど、多くの人がついてこられたように思います。表現の場というものの放つ光明だったのでしょう。

来る人拒まずで、そういう人たちに合わせて、人数が増え、組織も大きくなりました。

そこで、北参道近くの一等地に、ライブハウスのスタジオとその裏に予備スタジオライブラリーを創設しました。

 

(参加者が500人近くになると、専門学校化の打診がよく来ました。

ただ、そういうところの学長に聞くと、業務の大半は、PRと生徒集めにとられていると。

当時は、土地の取得も必要でもあり、やめました。私自身、当時、多くのスクールと関わっていて、さほど必要も感じなかったのです。学校、スクールのようにはしたくなかったのです。)

 

 

 

 

2)  ライブハウス式スタジオとグループレッスン プロをめざす人の養成所 

 

 

発信活動拠点を踏まえ、地下の7メートルほど天井高のあるスケルトンの物件を半分、二段構造として、集団レッスンとリハーサルができるようにしました。

いわゆるライブハウス型スタジオです。(現在は、手放し、ライブハウスとして営業中)

 

私の、プロデュース面での才能不足のせいか、コンセプトが時代に合わなくなったせいなのか、これは、7年半、実験段階で切り上げました。自分で思うだけのものがつくれなかったからです。私と世の中との価値観もずれていったのです。

 

2000年代にかけて、日本の音楽、特に歌の変遷は、テクノポップやダンスミュージック、アイドルグループなどの方に傾倒していきます。

声から離れていくのとともに、声優のブームとなり、参加者も大きく変わります。

 

 

◯グループレッスン

 

グループレッスンは、向上意欲が強く、自分でものを考えられる人たちが、たくさんいるときには、よい方向に動きます。

私が何もいわなくても、そこでの雰囲気や緊張感が、自分の存在価値、オリジナリティ、表現力というものを否応なしに突きつけてきて、なすべきことが突きつけられ、各人がそれぞれに行うからです。

ライバル同士だったり孤高であったり、まわりから盗んででも自分を成長させるしか、その居場所がなくなっていくからです。

そういう場合に限っては、レッスンの効果が何倍にもなるのです。高い目標をめざす仲間たちに学ぶのに勝ることはありません。

 

 

◯ワークショップ

 

私は、V塾で、自分の方針を中心に、10年ほどやったあと、

ワークショップやライブ実習、合宿、研修などを中断しました。

グループレッスンは、15年ほどでクローズしました。

そこでは、声楽家や海外のトレーナーを招き、そのやり方を広く深く学べるよう紹介、黒人のゴスペルのトレーナーから、著名な演出家、プロデューサー、合唱団のトレーナーなどを招いて、多くのワークショップをも行いました。

 

(最終的には、一般の人に合わせるために、できるだけ幅広く、異なる出自の専属トレーナーでの指導体制を整えていったわけです。)

 

 

◯クラスとグレード

 

V塾は、集団レッスンですので、グループでのクラス分けと個々にグレードをつけました。

実力で上がるクラスの運営は、トレーニングの励みにするためでした。

30〜40人で一クラス、そこのメンバーが、グループレッスンへ参加します。グループレッスンの参加は、10~15人が平均です。

 

(それは、最初の3年くらいに限定するとよかったように思います。

ある程度、頂点近くに行く人が出てくると、今度は、グレードによって動かされる人が多く出るようになり、逆効果になります。人や作品を見ないで、グレードで人を判断する人が出てくるのです。そういったものに大きく影響されるのが、どうやら日本人のようです。ランキングや、誰もが知っているとか、よく売れたなどということに、これほど影響される国民はいないでしょう。)

 

 

 

◯世の中に関心をもち発信を

 

アーティストを育てる場として設けたV塾でしたが、

ある時点から、声の鍛錬のヴォイストレーニングだけでは足らないことになって、

世界の一流の音楽や芸能、芸術など幅広く紹介しました。

音楽以外にも、スポーツから映画から、一流の人のいろんなものをおすすめしたわけです。

また、そういうことでの参加者同士の情報交換を促しました。

 

ーこれが、「鑑賞レポート」「おすすめアーカイブ」です。

 

 

社会や政治、国際情勢など世の中に関心を持つということを言い続けてきました。

それが、こういうところでは、余計なものと思う人が多くなったのかもしれません。

しかし、歌う人も聞く人も、日常の世界の中に生きており、

政治、経済、文化、宗教などと関わって、生きているわけです。

 人の前に立つことは、当然、そういったものを背負っていることが、前提です。

山奥で修行してきたというわけにはいきません。武道ならまだ許されるかもしれませんし、宗教でもそうかもしれません。絵画とか彫刻ではあり得るかもしれません。

しかし、アーティストで、音楽、特に、歌の場合は、難しいでしょう。

 

ーこのあたり、「投稿アーカイブ」です。

 

 

 

◯最高の環境づくりを

 

何事もやったら、うまくなるのでは、ありません。

自分なりに消化し創造した人がよくなるのです。

何事にもいろんな制限があります。時間、お金、ノウハウなど。

理想通りになりたいために、その練習計画を立てるわけです。

 

私ならこうするとか、こんな考え方や方法もあると、

一人でなく何人かのアーティスト、あるいはトレーナーたちが、

ヒントを与え、あとは、自発的に考えるのが、よいことです。

 

私が考えたのは、できるだけ最高の環境というのを想定して、

その場を設けること、

各人がそこで、それを試行錯誤し、世に出て実現させていくことです。

それには、カオス状態であることが望ましいのです。

 

そのためには、最高の環境で練習をしている人たちを

ヒントにするのが手っ取り早いです。

そこで、私自身、国内外問わず、そういう人たちに会いにいきました。

海外には隔月、地方には隔週と、無理に予定を詰め込んで巡っていました。

 

ーこれらは、私のブログ「福言fukugen」「日録」に一部あります。

 

 

 

◯レッスン受講生の変化

 

あこがれの人たちの活躍に、それをまねようと入ってくる人たちが

多くなってくるにつれて、場は、真逆に動いていくものです。

みんなで仲良く楽しく心地よく過ごしていきたいというパターンです。

ただ人数が多いだけ、ただ年月が長いだけとなっていくのです。

日本のどこかの大学のキャンパスライフと似ています。

 

(そういうところは、自分自身を伸ばす努力をしない人に居心地がよくなってきます。

いろいろとていねいに教えてくれる先輩も出て、ぬるくなっていくのです。

人に教えることや、その人に頼られることでの承認欲求に、

いつの間にか、自分の表現活動への熱が移っていくのです。)

 

(トレーナを選ぶような人は、こういう人たちに多いのです。とてもよい人たちなので、当たり前のことを形としてきちんと伝えるのに向いています。ただ、次代の才能を予感できないのです。それがいいとか悪いではなく、そういう人たちの位置づけをどのように考え、どのように活かすかということです。

 ただ、任せておくと、本質と逆の方向に動いていることにさえ気づかなくなり、

全体が集団として形骸化してしまうのです。

それでも、組織となると、家元制のように延命させていくのか、解散するのかが問われるのです。

私は専門学校化を拒んだ時点で、その選択はありませんでしたが、

誰もが学びたいものを最大限、学べる場として、変革して存続させました。)

 

この場は、参加者のものです。

参加者の年齢層が上がり、趣味や健康などの目的の人が多くなると、

その状況に対応して、レッスン体制も変わっていったのです。

 

(もちろん、一から習おうという人は、最初は、街中の音楽教室からのスタートでもよいと思っています。現に、音楽教室から、いらっしゃる人も多いです。)

 

 

 

◯養成所の限界

 

21世紀になり、養成所のようなところが少なくなって、

プロデュース型が多くなってきました。

指導者が、それだけ動けなくなった、

それだけの人材がいなくなった、

本当のオリジナルの価値を見抜ける人が少なくなった、

音響技術や舞台の演出効果のところでカバーできるようになった、

など、原因はさまざまでしょう。

 

まさに芸能、歌唱の変遷に起きたようなことが生じたからです。

本気でそれに賭けていこうという層が薄くなったことが、第一にあります。

 

考えてみたら、これは、個人の上達に対してもいえることです。

少なくとも最初の2、3年の勝負だけではない世界においては、です。

研究所で伝え続けたのは、ここを出てから役立つためのことでした。☆

 

 

 [とはいえ、求められることが、即実践的なことになれば、

キャリアのある今の研究所のトレーナーには、とてもやりやすいことですから、

おのずと、いらっしゃる方の目的に対応していく体制となりました。

それだけで終えるか、さらに深めるかは、当人が選ぶことです。

それに対応できる体制もまた維持していくというのが、現在の方針です。]

 

 

 

 

3)   ライブハウスから研究所に  

 

私が理想とする作品、つまり、アーティストをどんどんと作っていけなかった、

とはいえ、もとよりアーティストは、誰かが作れるものではないのです。

時代も、そういうものを求めなくなりました。

 

集客のためにプロデュースすると、まわりのニーズに合わせることは無視できません。

そのニーズには、私は当初、価値を感じられなかったのです。

合わせる時点で、古いし、二番煎じです。

 

ヴォイストレーニングにも同じことがいえます。

 そこで、第3段階として、声の研究を深めるために、

発声の専門分野を持つ人たちを集め、研究所の研究部門を強化しました。

つまり、原点に回帰したのです。

 

(今の研究所では、声の専門家のネットワークが第一の価値です。

これで声や歌での問題に最大限、最良の対応ができるからです。)

 

 

 

◯個人レッスン体制と個人レッスンスタジオ

 

日本の優秀な声楽家メインの複数トレーナー体制が、その第3弾です。

トレーナー同士が、他のトレーナーのやり方を理解するのにも、2、3年は、かかりました。

 スタジオでトレーニングした人が、世の中に発信していく考えは変わりません。

プロダクションの依頼以外は、一般でのグループでの集団レッスンをなくしました。

そのため、初心者もプロの人も高齢者も邦楽など他分野の人、トレーナーなども

来やすくなりました。プロ以外にも、劇団や専門学校に行っている人も、

掛け持ちでくるようになりました。

ここにさらに日本中の発声や歌唱の情報、人材が集まるようになったのです。

 

(声や歌というのは、単独でメインというよりは、1つのツールになってきているので、

この形は、私がたどり着いた、今の時代との接点です。)

 

 

 

◯プロデュースやイベントをなくしたスタジオ

 

ここは、自分自身で声を研究するところでもあり、

いらっしゃった方がトレーナーのレッスンも含め、その実験をするところです。

舞台は外部にあり、そのプロデュースには、私やトレーナーは直接には関わりません。

 

(プロデュースに関わると、そこの価値観に絞り込まざるを得なくなってしまいます。

早く効果をあげる、舞台映えする効果を狙うことが、メインとなります。

個別の対応としては、受け付けていますが、全体としては、基本をメインとします。

大手のプロダクション一つに専属すると、研究所に色がついて、レッスンも偏っていくことになりかねません。

 それは、中立で、世界中から総合的にいろんなものを吸収しようとする研究所にとってはマイナスになります。

そういうところは、いくらでもあるので、そうならないようにしてきました。

そういうところでは、できないことを研究所では貫いてきたつもりです。

私は、複数のプロダクションや病院、学校にも関わっていますが、研究所とは分けています。

長くお世話になった国立リハビリテーション学院なども、同じです。)

 

 

 

◯レッスン教授法

 

何事も自分で気づくしかないわけです。

私は、相手がかなり方向違いのことをしても、細かくは直さないようにしています。

 教えてくれないということで、トレーナーにチェンジしてしまう人もいますが、

他の人に直されても、それでは、次に同じようなことを繰り返すものです。

直されなければいけないというところで、すでに感覚や身体に条件が整っていないのです。

それを無理に直すのは、表面上を整えようとすることに過ぎないからです。感覚、身体を養わなくては、根本的には変わらないのです。

 

ていねいに教えられて先生の意のままに育ってしまうと、

その先生がいないと何もできない、判断できない、自分で考えられないようになります。

そんな人にクリエイティブな活動はなしえません。

 

むしろ、先生の教えに反して、自分はそう思わない、なら、それをとことん実証していく、

自分の直感に従って、自分の世界をまわりが納得せざるを得ないところまで突き詰めていけばよいのです。

自分なりのやり方でやりつつ、使えるところでは、トレーナーや先達の経験や客観的な判断を使っていく、そういう人たちが、居続けられる環境として整えてきました。

 

となると、そうでない人が、みんな辞めてしまうということになりかねません。

これも困ります。気づかせることでこそ、レッスンでの第一歩だからです。

そこである時期から、気づいていくのを待てる体制へと改めてきたのです。

 

そのためにも複数トレーナー制というのは、適していたわけです。

つまり、ていねいに教えてくれるトレーナーによって、誰もがステップを踏んでいけます。

トレーナーが合わないなら、トレーナーやアプローチを変えればよいのです。

ともかくも、その人のペースで学んでいくことができます。

気づいていく機会と時間をとれるのです。

 

 

 

◯複数トレーナー制

 

いらっしゃる方にとっては、研究所に10人以上のトレーナーのバラバラの教え方があったら、混乱するのは当たり前です。

しかし、それこそが、日本の、いや、世界の状況です。

あえて、そこに放り込み、学んでもらうのです。

 

トレーナーが複数つくと(といっても、ほとんどは2〜3人)

トレーナーのやり方を同じ時期に全部行うわけにはいきません。

おのずと教わったことにも矛盾が起き、選択をも自分で考えざるをえなくなります。

 

混乱すること、矛盾することでの質問が、最初、たくさん出てきました。

あえて、カオスの状態を何とか残しています。

それこそが、本人自身の本質的な問題解決の道筋なのです。

 

 

トレーナーについて

一方、トレーナーには、最初は、好き勝手に教えさせ、そこから学ばせていったものです。

 

(一人だけで教えているのでは、トレーナーは成長しないどころか慢心に陥ります。

自分の方法に合う人だけが残るので、さらに自分の方法に自信をもち、自己流に偏ります。

 そこにも矛盾を煽るような、混乱させるような状況を与える必要があります。

他のトレーナーの方法、メニューをも研究して改良せざるを得なくするには、どうすればよいでしょう。これも、複数トレーナー制での情報共有が、役立ちます。

 

さらに、ここならでは、のメリットがあります。

それは、トレーナーが自分自身より、キャリアを積んだすぐれた芸人やアーティスト、専門分野外のプロを指導にあたることが求められるからです。

ここには、ありがたいことに、そういう人が学びにくるからです。他に行けない人、行かない人がくるからです。それを私は、できる限り、優先してトレーナーにつけました。

 自分の見ている生徒を他のトレーナーも見ている、そして、私自身も全体を把握し、

各トレーナーが、情報をフィードバックしているからこそ、できることです。)

 

 

 

これらは、私が私自身の方法で、研究所を統一しないように努めてきたからこそ、可能なのです。

カリスマトレーナーが、トレーナーを自分と同じように育ててはダメなのを私は初期に学んだからです。つまり、学校のような統一カリキュラムが効かない世界だからです。

 

(私自身、それぞれのトレーナーの位置づけやスタンスを知るのには、3年から5年、かかります。トレーナーに特定の生徒の教え方に対しての方針を聞くこともありました。

それぞれのトレーナーは、キャリアも目的も教わってきた先生も違うのですから当然です。

 そこから、さらに包括した、あるいは分担できるレッスン体制ができていったのです。

ヴォイストレーニングとは、どんなに優秀でも一人で全てをまかなえる仕事ではないと思うからです。)

 

 

研究所の本当の価値は、私の理論やメソッド、メニューではありません。

このブログに残されているような研究所での学びの場です。☆

 

私が伝え残したいのは、ノウハウやメニューでなく、

こうした学ぶための体制です。

そこで、このブログにまとめているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ということで、戻って、このブログの最初の状況の説明です。

 

 

(2)   V塾 何を伝えていたのか、1990年代〜 グループレッスン

( このブログのメインとなるのは、ここです)

 

 

◯V塾のレッスン

 

V塾について、何を行ってきたのか、何が行われてきたのかを

30年以上、経て振り返ると、

それは私の表現活動そのものだったように思います。

 

形式としては、60分のグループレッスン中心でした。

同じテーマで、東京では、多いときで5〜6回、京都では3回、

平均すると、東京では、4クラスで4回、京都では2クラスで2回。

その内容に関して、取り上げる目的と課題によって違います。

課題レッスンでは、大体は、まず音源を聞かせます。

 

(そうした形式が整うまえは、3時間以上のレッスンや5時間以上のレクチャーもふつうにありました。終電時間と争っていたのを思い出します。)

 

 

参加されるまえに、レクチャーやオリエンテーションで、学び方の説明をします。

そして、レッスンで、どのように聞いていくのか、どういう感覚で捉えて、歌手や役者ができていくのか、身体、喉、声、セリフ、歌、それらを呼吸やフレーズ、あるいは構成や展開で具体的に示していきます。

 

ーこれらについては、カテゴリーの「レクチャー録」「レッスン録」「課題曲レッスン」などを参考にしてください。

 

 

グループレッスンでは、

順不同というのか、そのときにスタジオに入ってきた人に対して、

これまでいる人と同じように与えてきます。

決まった順番というものはありません。

クラスによって、参加者のキャリアや実力、在籍日数の差があるので、

そこで、私の説明することには、かなり違いがあるのです。

つまり、レベルと基準の違いです。

同じ課題でも、進め方が異なります。持続的なワークショップともいえます。

それを、一流のプロの音源の鑑賞と参加者の実習において、お互いに学び合うわけです。

その面では、もっとも実践的な授業です。

 

ーこれらについては、「レッスン感想」「ステージ実習コメント」「ステージ実習感想」などを参考にしてください。

 

  

 

◯フレーズコピー

 

たとえば、音源を使い、15秒くらいでフレーズをコピーをさせます。

3回聞かせて、何回か、皆でコピーしたあと、1人ずつ、回すわけです。

そのときの、反応具合で、能力を見て、参加メンバーのレベルや、

どういう人がいるのかをつかみます。

1つのクラスは、3 、40人、そのなかから、

当日、参加してきた人10〜20人でのレッスンです。

ある程度、同じメンバーですが、日によって変わります。

 

課題実習では、参加者の並び方で、大体は、前の右の方からまわすのです。

優れた人や意欲のある人がその辺に位置し、後ろになるほど慣れていない人になります。

そこは、大学の授業、一般のセミナー、講演会とよく似ています。

ワークショップでも大体そういったものでしょう。

 

そして、各人の出したもので、無言のなかで、その感覚や身体の動き、声、せりふ、歌のリアリティを感覚的に判断し合うのです。

 

 

課題のフレーズをコピーすることで回していきます。

先の人が優秀であるほど後の人はやりやすいわけです。

本来は、参加者に影響されず、音源そのものからコピーして自分なりに創造するのが鉄則です。

しかし、そんなことで、すぐに優れたものが出せたら、卒業です。

一流のミュージシャン感覚そのものを取り入れて、再現できるとしたら、同じ以上の実力があるということになるからです。

まわりと比べることで、自分の得意不得意、課題別の出来不出来もわかります。

 

ルールとして、キーやテンポは自分なりに変えてよいということです。

ほとんどの人は、最初は変えられません。

実力がつくと、声域もあるので、キーを変えずに行う人も多いです。

問われるのは、声が生きているか、表現されているか、場が成立したかです。

 

メロディーや歌詞を変えてもかまいません。

コピーを正しくするというのは、目的ではないからです。

ただし、変えるのは、そのほうがよくなるという厳しい条件下で許されることです。

 自分なりのオリジナリティが発揮できるようなものが出れば、もっともよいということです。

ジャズのアドリブを想像ください。

それ以上のものがないなら、きちんとコピーする方がましというのも身に染みてきます。

 

そんなことが、即興で行なって成立するのは、

最上位のクラスの一部で、しかも年に何回かだけです。

それも課題がとても簡単だったり、自分たちと同じか、それ以下に限るのです。

あたりまえのことですが、この基準が日本では、練習でも欠けているのです。

 

初心者のクラスでは、10回以上聞き取って、ようやく1フレーズ、コピーできるくらいです。

 

考えてほしいのは、

一流のプロフェッショナルが繰り返し行ってきたことが何なのかということです。

それは、聞く耳と声での表現能力を鍛えていくことです。

歌ったことがある人であれば、必ず誰かの歌を真似て、そこで練習する経験を積んでいるわけです。

問題は、そこで上達する人は、そうでない人と何が違うのかということです。

すぐれた人は、それをものまねで終わらせないで、創造して作品にしているのです。

 

大切なことは、ものまねでコピーするのではなく、

そのなかで作品を成立させたる何があるのかを見抜き、

それを自分の声と感覚というもので、

最大限に発揮できる能力として開発されるように

発表する体験の場です。

 

多くのすぐれた人のまえで行うことで、リアルな経験をつめるのです。

ただし、そのイメージづくりとともに、

それを実現できるツール、つまり、身体と声が必要なのです。

 

いまさらですが、

当初(第1期〜1994)は、

このツールづくり、即ち、声づくりが、私のヴォイストレーニングのすべてだったのです。

 

私が、本やブログで公開しているメソッドなどは、その応用にすぎません。

ですから、こうした私のレッスンが、どうこう評価される必要も意味もありません。

すぐれたアーティストの習得プロセスをたどっているだけだからです。

 

ですから、間違いがあるとしたら、

そういう要素のないメソッドらしいメソッドの方だといえます。

それでも、誰かにどこかで役立っているなら、いいと思います。

 

 

 

◯生成的ルール

 

それでは、どのようなルールで、研究の場というのを運営していたのでしょうか。

明確には定めていませんが、暗黙のルールというのがあったと思います。

それは、私が、やむをえず、コメントをしたり、レクチャーをするなかで、

体系としてではなく、思いつくままに指摘せざるをえなかったことから、

参加者に共有されていったと思います。

このブログにも、散見されます。

 

あるいは、私の本やテキストなどを読んで、この場に来たとところで、

ある程度は、こういう場であるべきだと、

参加者が思い定めていたようにも思います。

参加者自身の会報への投稿なども、その役目を果たしていたのです。

 

(となると、啓発すべき拙書が、対象をニッチから一般向けにしたことも大きかったのでしょう。)

 

 

いまさら言及するのも野暮ですが、、

そこでは、こんな感じでした。

 

何を言ってもよいし、何をしてもよい。

ただし、与えられた時間制限は守る。

人に危害を加えない。

他人の自由を妨げるような否定的抑圧的な発言、行為をしない。

言論でもよいが、できる限り、身をもって作品表現で示す。

知識でなく体験に沿った内容にする。

試行錯誤、実験的な試みを認める。

完成度を問わない。

働きかけ、ドラマトゥルギー、成立を目的とする。

 

私が気にしていたのは、日本の学校で刷り込まれた秩序を

もち込まれないことでした。

できたら、社会秩序も、ですが。

そうしたところでの選別、序列、排除を避けるようにしました。

 

できるだけ、人でなく、作品でみる。

参加者は、誹謗中傷などせず、作品で示し、作品で認める。

先生、トレーナー、生徒、先輩、後輩、年齢など属性での上下関係をつけない。

どんな質問もよい、答えないのも答え。

問いがないのは学んでいないこと。

逃げたり慰めたり気を遣うのでなく、考えて実践する。

 

 

 

◯レッスンへの参加

 

参加すると言うのは、自分が話したり歌ったり、ステージを実践するだけでなく、

そこで聞いたり考えたり評価したりすることも、含まれます。

 

ここで声を身に付け、歌が上手くなり、プロとして活動する人も出るでしょう。

それ以上に、もっと多くの人が、それを評価できる観客とも、なっていくわけです。

こうした観客の数とレベルが上がらない限り、日本のアーティストの質も上がらず、層も厚くなりません。

天才的なアーティストは、時に出現するでしょうが、大きな時代の潮流にはならないのです。

 

 

グループでの参加数を10人から15人にしていたのは、

そこで、パスをする人がいてもよくするためです。

見学は不可ですが、参加して、できるものだけすればよい、

ほとんどをパス🟰抜かされるのも、OKとしました。

 

参加数が、4、5人となると、全員ができなければ、参加しにくくなります。

それ以上になると、代表する人しか実践できなくなります。

10人そこそこですと、フレーズ回しだけだったら1時間で30回から60回はできるし、

いろんなものをたくさん聞いてから、

最後の5分でも4、5回は回せるわけです。

 

 

 

 

◯二つのパターン

 

上のクラスで、参加者は、大きく2つのパターンに分かれます。

器用にその通りにコピーするのにすぐれた人と、

どんな曲をコピーしても、その人のクセや個性が出て、異なるモノにする人です。

 

この2つのタイプは、一長一短があります。

方向性も持っている才能も違うということなので、

適度に混じっていると、お互いに啓発されやすいということになります。

それは、そのままステージでも通じます。

 

日本では、前者ばかりが評価されますが、

私は後者を育成する場として維持しようと努めました。

 

マチュアのライブなどに行くと、先生がプロ歌手などの発表会では、大体が教えられた通りの歌い方をして、ものまねっぽくなります。

先生が、伴奏者など歌わない先生であると、それぞれが自分勝手に好き勝手に歌って、一見、個性のようでも、ただのくせで、あまりレベルの高くないところで、学園祭のような歌が並びます。

 スクールでしたら、お互いにないところを補充しあって切磋琢磨できれば、充分だと思いますが、どこであれ、参加するメンバーの資質と熱量が、問われるわけです。

その資質まで立ち戻って、ゼロから築きあげようと試みたのが、この研究所です。

 

 

私がここで自分自身の行うことを、

「まるでディスクジョッキーだ」

と揶揄したことがあります。

それは、もっとも幸せなレッスン時間でした。

 

どういった音楽や歌をサンプルとして与えるのか、

それのどこを切り取るのか、どのぐらい聞かせて、どのぐらい発表させるのか

という判断に迫られ続けて、あっという間に1時間たつのです。

 

なによりも、ときにすごい声、せりふ、歌の一端が垣間見られることがあるのです。

それは、日本の無難に整えられたステージよりも、

ときにプリミティブな分、感動的なものでした。☆☆

 

 

 

 

◯マニュアル化とクラス

 

一般の人が多く集まるようになると、こうした即興のレッスンも理解されにくくなり、

授業のように形式を整えざるをえなくなっていきました。

自分の理解できないもの、わからないものに対する興味関心が薄れてきたのです。

つまり、学校のように決められた正解をわかりやすく楽に早く教えてくれることを求められるようになったからです。

 

(それで、私自身も、教えるのが、少しずつですが、ていねいに上手になっていってしまったのです。ビジネスマンや一般向けの書籍や講演が増えて、それらを引き受けたためでもあります。

声やヴォイストレーニングそのものに脚光があたり、この分野に人気が出て、その普及啓発に努めざるをえなかったからです。)

 

 

まず、以前は耳だけで聞いていたのを、徐々にホワイトボードに課題を書くようになりました。

最初は、原語で書いていましたが、これも最後には、カタカナ書きにしたりしたものです。

すると、かなり歌詞の聞き取りコピーの速度が上がるからです。

本当は、時間をかけ、見ないで聞き取るところまでで粘るべきものですが、

時間が無駄にならないように、こちらから与えるようになりました。

(初期には、参加者が、平均して、毎月24〜48時間ほどのレッスン数でした。

それが、1~2割の時間数となり、加えて各人の自主練習の時間も減ってきたため、

効率化せざるをえなかったのです。

20代前半だった参加者年齢も、徐々に広がり、社会人が増えたのです。)

 

英語になると、歌詞を書かなくては、聞き取れる人と聞き取れない人との差が大きいです。

他の外国語、イタリア語、フランス語、スペイン語など慣れていない外国語では、その人の持っている耳のよさ、それを発音に変える能力の個人差が、よくわかります。

きっと、日本人の最高レベルに、美空ひばりが位置しているのでしょう。

 

そういうことに慣れている人、器用な人ほど、音楽とは言いませんが、音に対する感覚が鋭く、こういう世界に向いている、素質があるといえます。

 

ただ、ここは勉強の場ですから、その能力がなければ、それに気づくことが第一です。

気づいたら努力して身につけていけばよいわけです。

時間はかかるのですが、気づかないなら、その力をつけていくこともできません。

 

同じことをして、自分よりもずっとすぐれて反応できる人がクラスにいるということは、

よい刺激になり、身近な目標になります。

デタラメのように歌詞をいっていても音楽的になる人もいれば、きれいな声で正しく歌っても伝わらない人もいます。

そうした場で、音楽と個性、感性を研磨していくのです。

 

リズム、音程、ことばなどといったものを、バラバラに学ぶよりは、こうして1つのフレーズのつながりのなかで学ぶ方がよいのです。

一流のヴォーカリストや役者も、このような形で学んでいったからです。

 

 

 

◯効果と方針

 

いろんなノウハウやメニューを出すと、必ず批判する人がいるものです。

「それは難しい」「よくわからない」「役立たない」とか、

「それでよくなくなった」など。

素人は、一流との差がわかりませんから、

「そんなことはできないので、もっと簡単なメニューを」といい出すのです。

 

できないのは、わかっています。

でも、そんなことができるなら、できるまえにわかるなら、ここは必要ありません。

説明したところで、それは、わかった気にさせてミスリードするだけです。

わからなくてもいいのです。わからないから挑むのです。

ただ、喰らいついて力をつけていくしかないのです。

わからなくともできていったらよいのです。

それが直感できなくなると、レッスンが成立しなくなります。

自分がわかって、できるくらいの問題なら、自分で行えばよいのです。

それだけでは、いくらこなしても、真の実力にはなりません。

趣味の世界の自己満足で終わるものだから、ここでは取り扱わなかったのです。

 

 

私が、基本的なところで判断しているのは、本当に一流になったような人たちが、

どのようなプロセスを経てきたのか、それをシンプルに追随していく方向です。

正しいとか間違いとかの低レベルで考えられるものではありません。

 

他の人がまねてやると間違いになることを

自分だけは正しくしてしまえるのが、アーティストの実力でしょう。

いや、正誤のレベルを超えてしまうことでしょう。

 

 

ですから、このブログでみられる、

こうした言語情報は、私や参加者たちの、試行錯誤のプロセスの表れです。

誰にとっても、あてはまる方法やプロセスとも限りませんから、

鵜呑みせずに、参考になるところだけ学んでください。

これは、その当時も常に注意してきたことです。

 

 

そのギャップが大きすぎて、レッスンの成立する見込みがないときには、

「特別なメニュー」というのを試みたことも多々ありました。

合宿やワークショップもその一つです。

 

最初から、リズムがとれないから、手を叩きましょうとか、音の高さに当てましょうなどというのは、付け焼き刃以外のなんでもないわけです。

カラオケの点数を上げるために、画面を見ながらグラフに合わせて歌うようなことでもよいでしょう。

でも、それができたところで、まともな歌には、ならないわけです。

そんなことができる人なら、今の日本、100人中に何人もいるでしょう。

点数を高くするのであれば、減点されるところに気をつけて直せばよいわけです。

それは楽しくても、ゲームであって、表現活動、芸能や芸術とは、次元の異なるものです。

 

 

最終的には、1曲の歌詞をワンコーラス、

紙で渡し、楽譜でも、説明したこともあります。

最初に、1曲全てを何回か聞かせて、

それから、Aメロ、Bメロ、サビなどのように分解して、

とても、ていねいに進めるようになりました。

展開や構成力に弱い人が多くなったからです。

 

とはいえ、長年の多くの熱意ある参加者との

こうしたレッスンは、

特に同じレッスンでの繰り返しは、

私に、いろんな人たちが、どのような能力を持っているのか、

それぞれに、何が得意で苦手なのか、

何がどのぐらい必要で、どういうふうに身についていくのかを、

とてもよくわからせてくれました。

 

なによりも、声の習得のプロセスに道筋がつきました。

最初からの実力差はともかく、

あまり伸びない人とか、すごく伸びた人の比較、

ギャップの解消への手立てもできました。

表には見えにくい、声や歌が習得されていくプロセスを教えてくれたのです。☆

 

 

 

 

 

 

以下は、2010年以降の現体制での説明です。詳しくは、研究所の公式サイトを参考にしてください。

 

(3)個人レッスン  現在の複数トレーナーによる個人レッスン体制へ

 

 

私が、これらの経験で得たデータ、多くの経験、メニュー、

それによって、どういった効果が現れるのか、

声がどのように、歌がどのように変わるのかというようなことは、

今の個人レッスンに受け継がれています。

 

V塾のグループレッスンに近い形での

個人レッスンを私は継承しようとしています。

 

それに対し、トレーナーは、参加者の個々のニーズに合わせてもらっています。

それらを補う準備段階やプロの人が実力を衰えさせないための喉の管理などを行っています。

 

求められる目的によって、かなり複雑なバリエーションで、

複数トレーナー制で対応しているのです。

 

 

下記にあげるのは、

いわば、膨大な量、時間、手間を必要とするグループレッスンの集約版、

エッセンスとしての

私の個人レッスンのオーソドックスなカリキュラムです。

歌唱やセリフにおける表現、オリジナリティなどについてのレッスン課題です。

 

(これは、今の研究所の大半のレッスンではありません。

私も今は、単独で引き受けず、トレーナーとの協働体制としています。

現在のトレーナーのレッスンやメニューについては、

ホームページから、現状をご覧ください。

 このブログは、私のグループレッスン時でのメニューと

それをとりまく環境のアーカイブが中心です。)

 

 

 

◯カリキュラム

 

発声基礎

a:レパートリーをつくる

   課題曲、カンツォーネシャンソン、英語曲、日本の歌、各4曲 ➕  自由曲4~8曲

b:同曲異唱で学ぶ 

 発声、呼吸、曲の聞き込み、歌唱、ステージ実習

 発声練習

「ヴォイストレーニング大全」

「コンコーネ50」

 

 

a:レパートリーづくり

 

ステージ用に20曲、レパートリーに200曲、予備2000曲、(常時、差し替える)

 

原語で歌ったあとで、日本語でさらいましょう。

特に選んだ曲以外は、原語の意味や発音には、それほど関わらなくてもよいとします。

スキャットや違う歌詞、せりふや日本語に置き換えてもよいです。

 

数をこなすときは、全ての曲にまでは、2コーラスめ以降は必要ありません。

一通り終わり、2周目には、フルコーラスが望まれます。

歌詞にこだわることより音楽性の習得を主とするものです。

 

さまざまな曲を聞き、自分のテンポやキーを定めていきます。

最初は、コピーでそっくり、まねて練習してもよいでしょう。

すべての出だし、すべてのサビだけ、8小節くらいのコピーをするようにしてください。

最初は、前後や全体を考えず、自分の声がもっとも使いやすいキーで練習することです。

 

 

 

b:同曲異唱(複数のアーティストで同じ1曲を学ぶ)

 

同曲異唱では、プロが共通して守っているルール、形を見つけていきます。

また、プロが共通して行わないことを知り、そうならないようにましょう。

それを自分が行っているなら、そこを直します。

 

彼らが、なぜ、この歌を選んだのか、その歌で何をどう表現しているのかを徹底して分析します。そこから彼らになりきり、そこでの創造的表現を学んでいきます。

自分に合うヴォーカリストや歌い方を複数、見つけ、大いに参考にしましょう。

特に今、歌いやすいのではなく、将来的にめざす声や歌い方として考えていきましょう。

どこに惹かれたのか、それを自分が表現するときにはどのようにしたいのか、突き詰めていくのです。

 

完コピから入っても構いません。

徹底して複数のアーティストで続けていくと、

何かしら自分と似てるところ、異なるところが出てくるはずです。

それがよいのか悪いのかの判断をしていく、

そこに、本来のレッスンの意味があります。

 

トレーナーの耳を借りることもよいでしょう。

そして、自分で創造できる力をつけていきます。

つまりは、表現力と解釈力の向上を目指すのです。

 

慣れてきたら、どのフレーズを聞いても、そのフレーズでは、自分の最もキーに移調して、歌えるようにしていくようにしてください。

部分的に1オクターブを上げたり下げたりしても構いません。

最終的に、伝わる歌にしていきましょう。

そこで問われるのが、あなたの意図、才能です。

声、フレーズ、フレーズの組み合わせ、この3つをとことん追求してみてください。

 

  

(なお、こうした内容の説明や研究所専属トレーナーの現在のレッスンについては、

研究所のサイトや他の研究所ブログを参照してください。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(4)本ブログ公開にあたっての所感

 

 

私は当時、スタジオでの場に立つことに専念していたので、

この膨大なストックである研究所の記録や会報を

じっくりと読んではいませんでした。

発行された時点で、過去だったからです。

 

今、ようやく、自ら編纂しつつ、

当時のことを思い出しています。

 

 

耳での判断力というのは、なかなか難しいものです。

私たちは言語でも、母語の体系にない外国語の発音は区別できないわけです。

たとえば、LとRなど。

かなり早期のときの訓練が、音では決め手になる場合があります。

リズムなども同じでしょう。

 

それに対して運動能力というのは、かなり修正することができます。

声も発声自体は、身体能力です。

ですから、声とか歌というのは、後から学ぶ人にとって、チャンスでもあるのです。

 

日本人の修行や道というものは、身体表現の習得法でした。

それが、徐々に受け入れられなくなってきたわけです。

(そのプロセスも、この会報で示されています。)

 

身体表現で何を伝えようとしてるのか、

何かを伝えようとしているわけです。

何も言わなくても、身体が表現しているわけです。

 

それを説明するのは、言語でできることでは、ありません。

1990年代の前半までは、研究所で、そういったレッスンが成り立ちました。

声ですから、聞いたらよいのです。

私の話でなく、声を、です。

 

ところが、1990年代も後半になってくると、

もはや、言葉がないと成り立たなくなっていくのです。

どちらにしろ、こうした練習の場は、多くの場合、成り立ってないのですが、

成り立ってないからこそ、成り立たせようとするのが、練習です。

 

ところが、そうした身体感覚で成り立つことを志向せず、

頭でわかる、理解できるようでないと、

それは授業ではないと受け止められるようになってくるわけです。

 

そうなると、いちいち、やっていることの意味、位置付けを説明しなくてはなりません。

説明しても仕方がないのですが、そうしなくては、出席しなくなるからです。

出席しても、その意味を見出せなくなるからです。

 

そういうことで、レクチャーの時間が増え、

それをリライトして会報に載せて、

伝える体制になりました。

 

その第2段階が、このブログのメイン内容です。

その変遷が、こうして残りました。

 

 

私が比較的安易に、それにのれたのは、

一般向けの書籍の執筆、カルチャーセンターなど

ビジネスマンや日常の生活のための声のレクチャー、取材で、

多くの経験を積まされたからです。

 

もちろん、一般向けのビジネス書などを出すと、

そういう人からの質問や訪問が増え、

それに応えざるを得ないから、そうなります。

 

ことばで同じことを繰り返すのは、めんどうなので、

本やブログにします。

 

で、それを聞いて、相手がわかったとしても、あまり意味はないのです。

発声は、身体能力技法ですから、できるまで、身につけるまで繰り返すしかないのです。

 

授業では、同じことを続けていると、このまえにそれはやったと、

あたかも学ぶことがないかのように、出なくなる人も出てくるわけです。

武道やスポーツのようには、なかなか考えてもらえないのでしょう。

これは、そういう人へのアドバイスの履歴ともいえます。

 

 

私にとって、場は、いらっしゃる方のための場ですから、主権は参加者にあります。

で、そういう人たちが自ら主体的に場を成り立たせようとしないのであれば、

それはこちらが持っている価値、知識や経験を、伝えることに終わってしまいかねないのです。

驚いたことに、多くの人は、それで満足するどころか、そちらを望むようになってきたのです。

 

なら、ここでなく、来日アーティストのコンサートでもいけばよいのです。

 

こういうことになったのも、日本の学校教育の弊害でしょうか。

まるで大学の講義のようなものです。

そんなことは、無駄だと思ったので、

私は、書籍でそれも伝え、会報に繰り返して述べてきました。

 

この記録は、そういう意味では、

レッスンの成立が危ぶまれたときのフォローの記録ともいえます。

ベストのレクチャーやレッスンでなく、二流品です。

しかし、そのおかげで残ったのですから、

それも運命であり、感謝に値することなのでしょう。

 

同じ言葉のやりとりという無駄な時間を省きたかったのと、

身体で感じられない場合に、せめて言葉というインデックスで、

少しでも頭に入れてもらい、その人の身体に落ちていくのを待とうとしたわけです。

 

 

そのために、こうしてことばで記録が残るようになったのは、

よかったのかどうかー

それは、皆さんがこれをどのように活かして、

いや、生かしてくださるかに

かかっています。

 

どこかの誰かが、これを

活用していただくであろうことを望んで

この編纂をしていこうと思っています。

 

 

 

最後に

当時、この場に情熱を捧げていただいた多くの皆さんの

痕跡として、残しておきたく思いました。

 

この世で縁あって

あなたたちに会えて、

いっときでも、

欠けがえのない充実した日々を

共に過ごせたことを

与えていただいたことを

心から感謝いたします。