一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ヴィジョン  510

ヴィジョン

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「自分で乗り越えること」

 BV座について

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「自分で乗り越えること」  350800

 

 

 

オープニングに向けて

 

さて、研究所を一般的に開放して以来、オープン主義で誰でも受け入れていこうという形で行なってきました。しかし最近、人数が多くなったのと私の多忙のために運営上、いろいろと考えて、いくつかの新しい試みをしていくことにしました。

 

アーティストの場づくりとして、ここに旗を上げている私にとっては、メンバーが多くなるにつれ目が届かなくなり、初心を忘れる人の出てくることを恐れています。

 

「自分で力をつけていくしかない」「力がついたら、いろいろなことができる」はずなのです。

これを最近はややもすると、本来のトレーニングなら当然、立ち向かわなくてはいけない苦難に対して(これを課題にして受けとめることから努力して乗り越えることができ、そのことによってのみ、自分の力がつくのに)、

徒党(というより仲良しサークル)を組んで、

アーティストやこういうところの批判を言う人が増えてくるのです。

 

あなたのしゃべっている内容のレベルが、あなたの芸のレベルなのです。それがレベルダウンするようでは、ここはアーティストの啓発の場になりえなくなります。

 

一人、もくもくとトレーニングしているアーティストが、かったるくなるようなら(私もその一人ですが)、出ていくことでしょう。

 

レーニングの問題は、あくまで個人の問題です。皆で集まるなら、日本や世界の文化、音楽、アーティストの将来について語って欲しいものです。

そうでないと、自分たちばかりか、新しくやる気にあふれて入った人にも悪影響にもなります。

 

そういうことに本人が気づいていないことは、悲しむベきことです。

「自分の力をつけていく」その上で、おたがいのよい点を学びあうことが大切で、ここにおたがいの悪い点をみている暇などないはずです。人間の行なうことは信頼があるから効果が著しくでます。これが崩れたら意味がありません。

 

ヴォイストレーニングは、個人差などによって、極めていくレベルでは、やり方も全く違います。

他の人が違う教え方をされているからといって、気にしても仕方ありません。自分で正解(ノウハウ、答え)をつくっていくために環境を利用するのです。

 

私とのコミュニケーションの不足は今後も、会報やQ&Aの形、カウンセリング、出版によって補っていきたく思っております。

 

キャンセルあきのスタジオで、一人でトレーニングできないといって帰る人や、ちょっと問題が出てくると自分でがんばりもしないで安易にぐちを言ってくる人などは、ひと昔前では考えられませんでした。

 

ここはカルチャー救室ではなく、芸を極めるためのベースづくりをするところなのです。

ちょっとしたことに目くじらを立て、ぐちをこぼすのではなく、

価値をみつけ、高め、自分の力をつけることに専念してください。

 

大切なのは、自分にとって、プラスのことだけをとり入れ何倍にも生かすことなのです。

がんばった人だけが伸びる世界なのですから、先に述べたような人たちは遲かれ早みれ、こちらも必要としません。誰もそんな無駄な時間はありません(全体の迷惑なので)。

今はへたで伸びていなくとも、真剣にとりくむ人は、宝です。

 

くれぐれも初心を忘れず、身のまわりのもののせいにせず、まい進してください。

 

 

 

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BV座について     350900

 

このスタジオは、レッスンやライブに使うので、完成時には音響に加えプロジェクター、照明、さらにコンピュータまで入るようにしています。

 

スタジオ側の音とヴォーカルのトレーニングの音とは違うので、これから比較していこうと思います。

アカペラに関していうと、前のスタジオより、よく聞こえます。柔らかくひびきがふわっと聞こえるので、ヴォーカルにとっては、有利です。

 

たぶん歌った人、聞いていた人は、感じたと思いますけれども、このスタジオで授業をやるようになってから、うまくなったように聞こえます。

京都もノリキスタジオが、地下の2階につくったので、そこでも同じことをやっていこうと思っています,,

 

今までの運営を新スタジオにもってきて、また3年たったらここをつぶすかどうかわかりませんけど、3年で一つのテーマにするつもりです。

もっと大きなところにするのか、3年先のことは、私はここをつくった時点で念頭においています。

スタジオをつくっていて時間をとられているからといって、自分の歩みを止めるわけにはいかないからです。「スタジオつくってますから、ちょっと待ってください」というようなことは許されないです。

 

そういう時期というのは、みなさんにもあると思います。デビューしたら走りださなきゃいけないのです。だから、そういう意味では見てて安心できるようになってきていますので、もう少しきちっと、足元を固めてもらえればいいです。

 

旧スタジオで2年くらいやってきて、今ここのスタジオでまた2年、あともう2年くらいやると、おしてもひいてもヴォーカル-まあ今でもヴォーカリストですけれども、一つのポジション、地位みたいなものができてくるのではないかと感じています。 ,

 

ここでのやり方が、どう効果があるかは、当然、私が一番気にしていることですし、トレーナーも問題にしていることです。

結局、2年でできることというのは、普通の学校でいうと体験レッスンみたいなものと思っています。

 

だから、逆に、かなり安心しています。できていることができているという意味です。それを、まとめて歌にするところまで2年でやらせようと考えているから、問題があるわけです。

 

正直に言うと、2年はべースで次の2年で表現みたいなものにアプローチ、3年目の人はそういうことをやっていると思います。それであと2年でまとめる方向にいったらよいでしょう。そうすると、つごう6年ですね。最初の2年は声が宿るのを待っていかないといけない。次に声に歌が宿るのを待っていかないといけない。

 

わかることとできることはまた違いますし、できることと定着させるというのは、また違うのです。優秀な人ほど早く「できる」のですが、それを「定着」できてないんですね。

 

逆に安易にできてしまうから、1年か1年半くらいで何かその感触は得られると。ところがそれを定着させるのにもう2年。定着させるというのは、その感覚を確実に自分の歌に出すということですね。

 

今、みなさんはそういう段階にきているのではないかと思います。ところがそこでできることを定着させないとわかることがわからなくなっていって、だんだん元に戻っていくというのが、あまりよい傾向ではないです。

しかし、それも仕方のないことだと思っています。

 

最初にここで言っているように、ヴォーカリストというのは、自分の望むところまでいけばよいわけですから。大きく望んでくださいとは言いますが、入ったときの志から離れて、だんだん現実の方に合わせていってしまうのはそれで活動していく以上、仕方のない話です。

 

ただ、もったいないという感じはします。芸ごとですから、所詮なんとなく歌がまとまってきて、カラオケか何かタレントみたいになってきたなと思うと、だいたいここを出ていく時期になるわけです。そういう人は引き留めません。

 

どちらにせよ、ここにいる間は、なるだけ大きくしていくということを徹底してやっていって欲しいと思います。本当は、ここがスタートラインまでの助走であって、ここを出てから全力で突っ走って欲しいんです。

 

ここを出るということは、デビューしてどこかでCDを出すとかライブに出るとかいうことではないのですが。どうも、ここを出てから、人前に出ているだけの助走になってしまう人か多いような感じがします。ここで2年といっても、もう2年、あと2年と考えた方がよいのではないかと思います。

 

それから、ここを出ていく人にはいつも言っていることは、とにかく本質を見る目は失わないで欲しいということです。私はレッスンそのものよりも、その眼をくもらないようにするために、7年半の間、師のもとへ通いました。

 

眼がくもると伸びていけなくなります。簡単な話です。退屈するのかしないのか、すぐれたものかすぐれていないものなのか、それを本質で判断するということです。

お客がたくさん集まっているとか、拍手が多いからとか、何か雰囲気がいいからとか、そういうことではないです。それも、ヴォーカルの力だから、ややこしいんですが。

 

もし、伸ばしていこう、あるいは同じところまで、これからもステージをやっていければいいというのでなければ、本物かどうかという条件を満たすということです。カリモノではないかどうかです。

 

一見、うまく聞こえる人が多いので、どうしてもごまかされやすいですが、本物のものを見ている、あるいはそれがある人たちを見ていたら、間違えないです。

その人のオリジナリティのところでできているかです。どんなにうまく、全力で勢いよく思いきりやったって、ニセモノは、通じないです。

 

 

「本当にがんばっているなぁ、大変だなぁ、でものど声だしなぁ、でも単に叫んでるだけ、だしなぁ、ただそれだけかなぁ」という形で見られるだけです。

 

日本の場合はそれでやれてしまうので、それでよいのならいいんですが、ただせっかく、ここに2年、3年といるのであれば、そのへんを固めてください。

 

 

自分で歌うという意識のところから、どんどんと声がことばになっていって、ひびきが歌になっていく。基本的に技術というものをみせていくようになりますから、あまり“歌う感覚’’になるよりは“歌わされる感覚”になっていくわけですね。

 

このまえ「旧スタジオサヨナラコンサート」のときにイタリア人のを見ました。あの人たちは基本的にひびきで歌っています。そのひびきのところにことばがのっかっている感じで、歌というものの捉え方が違うわけです。

 

日本人みたいに、のど声でしゃべるところをそのまま歌にしているのではありません。

だから、基本的なところをきちんとして、しゃべるなかで、のどを使うという感覚がなくなっていくようにすることです。

 

人によってスタンスのとり方も違いますが、技術ということであれば、ヴォーカルの技術はそこまでいくものです。2年で、といえば、のど声をはずすこと、シャウトしたときにも、のどをつぶさないくらいのところぐらいでしょう。ベテラン役者さんの声の下のレベルまでですね。なかなかそこまで高めようともしないわけです。

 

いつも、早い人で半年、遅い人で1年位半になると、その人の素質とか真価というのがみえてくるわけです。オリジナルな部分です。それが歌のなかでキラリと光るのですが、その部分に本人が気づかないのか、その部分を伸ばそうとしないのです。少なくとも、ここに良い形で残っている人というのは、そこを伸ばしていっているはずです。どこかの時点でそれを見失ってしまったり、違う方向に行ってしまう人もいるのです。

 

私が自信をもってここの埸を運営しているのも、キラリと光る部分が見えるからというところがあります。それが見えれば退屈しないし、どんなに眠くても体がくたくたであっても、聞きたい要素があって、煌めくのです。

 

その部分をなくしたものは、どんなにうまく歌った歌でも、それはカラオケにしかすぎない。人のものを借りて歌っているだけです。

ゴスペルの練習で振付や表情づくりをすごくやっても、それでいくら歌ってみたって、その人が歌っているようには伝わらないわけです。そういう歌は、眠くなってしまいます。簡単に判断できると思います。

 

本当のもの、本物というのは、ジャンルを超えます。ロックでうるさいとかジャズでどうだとかブルースがどうとか演歌だからいやだとかにはなりません。本物である限り、そういうジャンルの中にとどまらないので、退屈しないです。ロックの嫌いな人が聞いていて退屈するなら、ロックではないでしょう。人間の感性、“通じる部分”というのをもっと磨いていかないといけないと考えてください。

 

今後とも、このような形でやっていこうと思っています。

前の場所からここへ移ったというのは、私自身が枠を破らないといけないことと共に、豊かな時代になって、一軒家に来て、その敷居をまたいでそこで芸事が始まるというやり方も、必ずしもすべてがすべて、よいわけではないだろうと思ったからです。

 

ただ逆にこんなキレイなところで歌えるなどという憧れで入ってこられても困るわけですね。その段階での私の説明会での話というのも、厳しいことを言っているので選別されているはずです。

また2年たったところで、どうぞ出てくださいと言ってますから、そこでも選ぶということは選ばれるということです。そう考えてもらえばいいです。

 

研究所のよいところは、完成形というのをつくっていないことと、

「声だ声だ」と言っても、こんなに自由にやらせているところはないわけです。

普通、発声トレーニングなどを受けていると、型に入れられてしまいます。そういうなかで声が宿ってくるのを待つしかないです。

 

ここは、表現からみます。声が生で、心に働きかけるならなんでもあり、です。

もちろん、自分に使える声でないと意味ないし、自分の身体を活かした上での表現がでてこないといけない。だから自分で自分を選ぶということです。

 

それで、あらゆる分野のみなさんが、ここにいられるのだし、あるいは、時期を自分で選んで外に出ていくのです。どっちがよいとか、悪いということもないのです。

何が本当におもしろくて、すごくて、鑑賞にたえて、人の心に残るのかということです。

 

私は最近、そのへんのライブなんて行っている暇もないし、行っても疲れるだけだから行きもしないわけです。コミュニケーションのためにやっているものとか、お互いの作品の見せあいでやっているものには、もはや興味がないわけです。

 

そのレベルの人間が耐えうる演奏をしてくれれば、間違いないのです。ステージで全力でやるというのは、あたりまえなのです。そこらへんのカラオケのおじさんだって、演歌の歌い手さんだって、全力でやっています。アマチュアのお祭りを見せるためにお客さんを呼ぶのではないのです。

 

自分一人で価値をつけていくことです。その価値をつくり続けよいとしている人に対して、私は応援して、この場を提供しています。

新スタジオは、また違う雰囲気ですから、これをどうすればよいのかと思っています。時間や予算の都合とか、いろんなものがありますが、みなさんの思うままに、要望があったら、変えていきますので、いろいろな考えを出してください。

 

ただ、キレイにできているとは思っているので、赤いペンキで日の丸を書きたいとか、そういうのは、ダメですけどね(笑)。使いこんでいって、ゆくゆくは、みなさんの演奏でもって、上では、レストランとかで、レッスン場は他で管理して、ライブハウスにして、ここは、その拠点みたいな形でいいんじゃないかと思います。

 

 

私もみんなも限界にきていますので、これ以上、ただ人を増やしたりロックをというのは考えてないのですね。なるべく、主体的に動ける人が入ってきて、利用し尽くしてくれるとよいなと思います。

今まで、狭いこともあり、2年間で考えていたんですけれども、もう少し大きく6年から10年くらいで考えたいと思います。

 

発声も、そう考えればよいのですね。2年でみなさんは、よく歌えている方です。あれだけ個人やグループレッスンで発声が全然できていないのに、ステージができるなんてことは、発声の理論からいったらありえないことなんです。2年というのは10年の10分の2なわけです。

 

そうしたらそれを10分の4、10分の6と詰めていけばいいのに、なぜか最初の10分の2を忘れてしまうわけです。それは、もったいないです。みなさん、ここを出ていくときは、10分の2までつかんでいるのですが、その後がよいといえません。本物というのは、基礎があれば、自分の体がつかんで救えてくれます。

 

人間の体を一番、合理的に使えるような基礎をもつ、何かを表現しようとなったとぎに、体が助けてくれる部分まで特化していったら、そこから自分で気づいていくはずです。

 

ですから、ここは歌を歌うことをしませんでした。歌の歌い方くらい、自分で考えられない人が、なぜ歌う必要があるのかと考えています。声に間しては、それは、表現に結びついていることで、私が教えているのではなくて、一流のものをここでゆっくり与えているということです。

 

そこでみなさんが気づいたことが、ノウハウです。それを自分にあてはめて、声をまねるのではなくて、そこでの体のバランスとか使い方とか、何で人の心に、残る表現なのかということを学んでいけばいいわけです。

 

だから、本当は2年たってから、あるいは4年たってから、課題がどんどんおもしろくなっていくわけなんです。そこまで退屈してしまうのなら、自分が人を退屈させる人間でしかないということです。それはそれで、好きに歌っていけばいい話です。

 

今回、気になったのは、足元です。舞合という場合は、靴を用意するのですが、ステージ用の靴がある人は、はいてください。裸足とか靴下だと、さまにならない。土足禁止ですが、よそゆき用の靴があれば、持ってきた方がいいように思います。

 

ステージングということで、セッティングに関しては、徐々に整えていこうかと思っています。

歌に関しては、あまり言うことがないです。みなさんが感じた通り、みなさんの判断も的確になっているのがわかると思います。

ただ、自分のことがわかっているかいないかということが一番、大切です。

たぶん他の人に関する判断はできてきていると思います。

でも、自分のことに活かさないと意味がありません。

トレーナーでないのですから。

 

ここでは、広い分、これまで以上に、思いっきりよくやってください。