一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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声優講座

レッスンQA          京都     360326

トレーナーQA  

レッスン録

日本語というのは、「つめたい」とていねいにいえばいうほど4つに分かれていくのです。ところが体を使うことを一番、簡単にするには、一つの感覚で捉えるということです。「つ」「め」「た」「い」と分けていくほど体が使えなくなるのです。

 

 まず、体で一つに捉える。それから解放していく。解放していて上のひびきがつくのは構わないです。適当にひきつけて出すのではなく、プロの人は完全にひきつけておいてやっているのです。その大きさが違うわけです。

 

身につけることは、呼吸の大きさです。声楽家が呼吸法の大切さをいうのは、もっともなことです。

「ハー」と吐いた吐き方も違うし、吐ける量も違うし、それを吐いた瞬間、入ってくる速さも違うわけです。

 

そういうなかで鍛えられた体をもって組み立てている。これを皆は「つーめーたーいー」、レミファミと音程でとるのですが、「つめたい」と表現でとれている上で、動かしていくのです。

 

歌は全部、違うのではなくて大きさをイメージしていくのです。それに対応することが体のなかで感覚としてもっていなければいけないです。耳で聞いたなかから、その感覚を自分の体に入れない限り、それは必要ないという人にとっては、わからないから、出しようがないのです。

 

 トレーニングでいうならば「ハイ」というのに対して、「つめたい」とことばをいうぐらいなかに入れていくということです。歌になったときには「つーめーたーいー」ではなく、「つめたい」とそのままもっておかないといけないです。そうでないと、表現にはならないわけです。

 

 代わりに出てくるのは、ただ正しい音程であったり、ただのことばの発音であったりします。息が流れていれば声がかすれたり全然よくなくとも、それで表現なのです。それが一つに統一しているという形です。

 

ポピュラーの場合、間違ってはいけないのは、声のよし悪しではないのです。それでやっていく人もいるけれど、ほとんどの人たちは声のよしあしよりも、その使い方のなかに、何をどうこめてみせていくかということで問われます。

 

 声をよくするのは、新しくつくるわけではないです。もっともっと使いやすいようにする。使いやすいところというのは、呼吸でコントロールできるところです。くせにならないように「ハイ」のところでひびかせます。

 

 声を深めることをメインでやりつつ、そこからどう使うかということを考えます。それをやらないと何でそんなに息を吐かないか、何でそんなに声を使わないといけないのかというようなことがわからないのです。

 

チェックするのは簡単です。「ハイ」で音色を変えないで1オクターブをもてたらいろんなことができるわけです。それに色つやをつけたり、ひびかせたらすぐに2オクターブにはなるわけです。

 

ところが普通の人は、1オクターブもつところまでやりません。それは、できていないのではなくて、正しくやらなかっただけです。だからそういう考え方で体を鍛えていくことです。

 

 

 

特別メニュ   360304

 

「ミルバ特集」

 1.この愛に生きて 2.タンゴイタリアーノ 3.愛遥かに 4.悲恋 

 5.リコルダ 6.カンツォーネ

 

特別メニュ   360429

 

エディット・ピアフ特集」

 1.群衆 2.アコーディオン弾き 3.谷間に3つの鐘がなる 4.バラ色の人生 

 5.愛の讃歌 6.私の神様 7.ミロール 8.水に流して  

                                            

 

 

声優講座    360304

 

歌を支えるところの内容が今ひとつ、深まらないのは、いくら声や息が吐けるようになっても、その人の現実が表れてこないからです。その人間が毎日、何を考え、どう人間と関わり、もまれてきているのか。何にこだわっているのかを日頃から煮つめていないと聞き手にリアリティが伝わりません。

 

自分で煮つめていくためには、本を読んだり考えたり、書いて書いて書きまくらなければなりません。しかし、最初は何が価値なのかがわからないため、書くこともレベルが低い内容になります。 

自分では、価値のあることを害いたつもりになります。しかし、書き続けるうちに、書いたものが残っていき、それを何年間か、 きちんと積み重ねていけば、成長しないわけがないのです。

 

そのことについて乗り越えていないといつまでも他の人と同じです。

もう少し、第一人者の伝記を読んだりして、その人間の生きざま、バックグラウンドの深さを感じてください。

 

芸人は芸事を習うまえ、まず病院、刑務所を見て回れといわれます。

五体満足で自由だということがどんなに幸せか、実感するまえに歌など歌うな、歌が甘くなってしまうからです。そういう覚悟、精神の差から積み上げられたものが価値となっているのです。

 

この差は、声の大きさや技術の差ではないのです。表現力の差は、このような根本的な部分からの問題だと考えてみてください。苦労をかってでもして、自分を極限まで煮つめていってください。

 

わたしもあなたも次の日にはもうこの世にいないかもしれない。何十年か後にはいない。今、叫び続けなければ何も変わらない。誰のためでもなく、自分のために、生きていくために叫んでいく。このことがステージに出ていれば、皆さんを応援したい、この人を世に出さなくてどうするのだという人が必ず出てきます。

 

伝える価値のあるものは、誰かが絶対、支えてくれるものです。何が大切なのか。それは、自分のやっていることにどれだけ正直で誠実かということです。そこに結果として努力と忍耐が必要とされるのです。

 

自分で凝縮したものを作品として創り出すこと、誰に認められなくても、誰かにやれといわれなくても、やり続けるところに価値があるのです。続けていくことが蓄積され、それが技になっていくのです。

 

それは、よくありがちな自己陶酔や、自己満足して自分だけで完結している人とは全く逢います。深まっていくからです。そういう価値がみえる人は、少なくともここで話したり、ステージに立ったとき「なぜ、あなたはそういうことをやっているのか?」などという質問は浴びせられません。そんな疑いを人の心におこしません。

 

なぜならば、ピタっとその人の身たけ、大きさにはまる基本となっているからです。それが型の美しさであり、そこから技がやがて出ます。その人間が生きていることがやっていることで、 やっていることが生きていることで、それが価値となります。 その人が呼吸していることとアーティストにとっての表現力は同じなのです。しぜんで必然なのです。

 

常に考えて欲しいのは、どうやって自分のなかに高いテンション、大きなモティベートを持ち続けるということです。その考え方がもてるかもてないか、その考え方がその人の人生を動かしているかどうかなのです。自分のなかで怒らなければならないことは正直に怒っていけばよいし、笑いたいことには笑い、感動したいことはすればよい。そうしない人間が、どんな作品を出し、どう歌っていくのでしょうか。

 

今日の課題のことばを読んでみて、なぜまわりの人と同じになってしまったのか、今日の授業がなぜ成り立たないのか、なぜやぶれかぶれになったのか、もう一度、考えてみてください。 

怒りたいのに笑いたいのにその感情を隠す。嘘の積み重ね-怒るのも笑うのもエネルギーがいります。パワーの出し惜しみ-左右をみて表情をつくっているから皆、同じになるのです。怒り方、笑い方、一人ひとり違うはずでしょう。

 

どうしてそんなところで自分を惜しむのでしょう。結局は、自分の能力ではなく、必要性の問題です。皆さんのなかで、そのモティベートになるものが何なのか、煮つめていかなければなりません。

 

同じ課題を与えられたとき、自分のスタイルがあり、何か他の人との違いを出せなければ、この場にいては申し訳ないというくら いでなければいけないのです。出せていないのは、生き方、生きざまの問題ですから、注意しても仕方がない。できることは、私のいうことに共感できるところかあったら、その心を大切にすることくらいです。

 

しかし、もし明日、今日、生きることができない状況に追い込まれれば、皆さんにも多分、できるはずなのです。だとしたら自分を追い込めない甘さです。舞台もステージも一回きり、そこで生まれ死んで、一つの生が終わるのです。完全燃焼したくない人は、そんなことをしようなどというのを、やめたらよいのです。

 

声優は、その場で手渡されたら、すぐ、その場で処理します。 皆さんにも、それに近いことはできるはずです。できないとしたら日頃のトレーニングは何のためにやっているのですか。

 

自分でいってみたあと、表現することができたか、人に伝えることができたかをフィードバックし、体で感覚をつかんでいってください。

感情からわき上がるようなかんじでやってください。意識がプロなら、技術はやがて追いつくのです。

 

 

レッスンQA          京都     360326

 

 

Q体の調子が悪く、声は出るが体に力が入らない。ぜんそくのようになり、のど声になります。

 

 ぜんそくをもっていても歌を歌っている人はたくさんいます。ヴォイストレーニングとは、普段の体調より悪いときにいかに切り抜けられるかということのためにやることでもあるのです。

体調が悪いなら悪いなりに、自分の体に合せてその体を使えるところまでコントロールする技術を身につけることなのです。

とはいえ、体調不良なら、休んで、早く回復させましょう。

 

ポピュラーなら、声を聞かせていくだけではないので、かすれた声でもコントロールできていればマイクがあれば聞かせられます。

 声を調整するには、確実に声を使える技術が必要です。そのようなトレーニングを取り入れていきましょう。

 

 歌のなかには、技術をみせる部分もあります。声の技術、感性がどちらも入っていないと、3分間、もたせることができません。歌の線、声の線の上でフレーズを動かすようにして、高音になっても声が変わらないようにします。その部分に感情、情感が伴って相乗効果が得られるのです。そうすると、よい意味で高音がひびいてきます。

 

 自分の体、心の状態をよく理解するようにして、整えるようにしましょう。たとえば、起床する時間からトレーニングの時間まで定め、規則正しい生活を心がけるのも一つです。自分のよい状態と現在の状態がどのくらいかけ離れているのか測り、今の限界を知ることです。

 

体調が悪いとき、体や声が弱い人は他の人より敏感にならないといけません。こういう世界は、伝える相手あっての世界です。責任あることをやるわけですから、自分のことは自分で管理できないといけないのです。他の人は誰も管理してくれません。

 

 

 

Q 発声のとき「ハイ、ララ」ということばならのどがつまらないが、「いー」ということばになると途端にのどがしまってしまいます。

 

 歌っている声とことばでは、はじめは、声のポジショニングが違っています。

「ハイ」は、日本人が比較的、のどを開けやすいことばなのです。

「い」「う」になると、くせがついた声になってしまいます。

 

「ハイ」の「イ」と「イー」、つまり「イイイイイ」の「イ」は、同じ「イ」でも別の発声になってしまっているのです。

「ハイ」の「イ」は、瞬間なので深くとりやすいのですが、「イイイイイ」と、すべて「イ」にしてしまうと、のど声でひっぱってしまいます。

「イ」ができなければ、他の自分のやりやすいことばにかえて、のどの開きや体の使い方を体で覚えてからやっていった方がよいでしょう。

「イ」の発音は、人にもよりますが、深めるには、けっこう大変ですが、深まると扱いやすく、高音も共鳴ももっとも使いやすくなります。差のつく音といえましょう。☆☆

 

 歌にしようとすると、音をとりにいってしまいますので、体や息を使うのが難しくなってしまいます。最初は、歌を歌うときと、ヴォイスのトレーニングは区別しておくとよいです。

後々のために、今「ハイ」をやって体に覚えさせているのです。そのプロセスを踏むことです。

 

 

 

Q「ファ」の音から裏声になってしまう。この部分も地声にしたいが、そうしようとすると、のどがかゆくなり、ときに咳が出ます。(女性)

 

 最初は高音域もなるべく同じポジションで捉えようとします。誰でもやり始めた頃は同じポジションではとれないし、線もつながりません。

「ファ」の音から裏声になるということは、その前の音「レ」、「ミ」がもっと楽に、深くとれていないため、「ファ」を出すときにその準備ができないため、うまくコントロールできないからです。

「ファ」の時点で、体が負けてしまっているのです。「ファ」より低い音を確実に深くするトレーニングを積むことが、「ファ」までとるコツです。それを徹底した上で、裏声への移行が望ましいです。

しかし、逆により高いところでの裏声からそろえる方がアプローチしやすいので、それを試してみるのは構いません。

 

 

 

Q 息が逃げてしまう。すべて声にしたいです。

 

 息が逃げているからといって、息を無理に声にしようとすると、声をとりにいってしまいます。

レーニングをして技術が宿ってくれば、声が息をとりにいかなくてもよくなります。そこまで待つことです。まずは、息を強く吐きすぎないことです。

どのくらい、きちんとした声が出せるか、確実に声になるところから、焦点をあててトレーニングしてみてください。そうしているうちに、あとから声量、声域はついてくるのです。

プロの体をよみこんで、自分との差を考え把握するとよいでしょう。

 

 

 

Q合唱のとき、他の人と一緒に合せようとすると、声をとりにいったりそろえたりしようとするので、のどにかかってしまう。課題に入りきれないのです。

 

 合唱というと、ウィーン少年少女合唱団のようなものをイメージすると思いますが、一般にいわれるハーモニーよりは一人ずつ声を出して重ねていき、不協和音でもその部分に表現が宿れば、トータルの力としてパワフルになるものと捉えてください。

 ここでの合唱は、他の音の力(他人の声、波動)を借りて、合わせることにより、ハーモニー、その場の波動、空気を感じることが目的です。

 合唱で音程やリズムをずらさずに表現するためには、大変な技術を要します。そのなかにパワーや表現力を宿すことに専念します。

 みなさんでハモって、きれいだったと思っても、それをみて観客が感動するはずがありません。

 

 

 

Q 課題や曲に興味がもてません。

 

 おもしろい課題などないのです。その課題をおもしろくするのは、その人自身です。カッコイイというのは、その歌がカッコイイのであり、カッコイイものをやって、できたと思ったら大違いです。

それは本人以外のものがカッコイイのですから、本人が一番カッコ悪いのです。カッコ悪いものをどれだけカッコよくできるかが、その人の力なのです。それを感じ、力をつけることを考えることです。

つまり、目的から判断することです。

 

 

 

Q 音程がとれない。

 

 音楽、ジャンル、調が、体のなかにないと、慣れていないために、とれないのです。曲をたくさん聞いて体のなかにしみこませるとともに、課題やフレーズを丸暗記することです。いくつかのパターンがあるので、そのパターンに慣れて、違和感をなくすようにしましょう。

 

 外国人などの曲がとりづらいのは、声の違いです。声が体に身につかないと難しいからです。

彼女たちは、音程という感覚でなく、音感のなかで歌っています。☆

 

 何度も聞いて体のなかに少しでも入れて声を身につけていくことです。何度も聞いて体のなかに少しでも入れていくしかありません。

オペラにも、いろいろな旋律が入っていますが、その旋律に音楽の発展性、美しさ、感情移入など、心をゆり動かす要素がたくさんあるので、そのような音の動きの勉強も必要です。

いろいろな角度からアプローチしてみてください。

 

 

Q 体力づくりで走っている。走り終わった直後、息がハァハァしているときに声を出してみると、大きい声が出やすい。ただ、本当にこの声で正しいのかどうかの判断ができないです。

 

 人間の体は共鳴するようなしくみになっていますので、ひびきをじゃまする操作がなければよくひびきます。多くの人は、難しく歌うことで、この邪魔をしています。

ひびくこと自体は歌や、どのようにその声を使うかということとは、別の次元で考えれば、そのことは問題はありません。ひびくことが不快でなければ、ひびくことの方がよいのです。

 

 ただし、走ってから声が出やすいのは、体が柔軟になるし、力が抜けている状態だからです。つまり、そうでないときに状態がよくないことを表しています。

 

歌う直前、いつも走ることはできませんので、普段の状態で息や体が使えるところまでもっていくようにしましょう。走ったあとの体の感覚をつかんでおいて、その感覚を取り出せるようにすることです。本当は、走ったあとよりも、もっとよい状態があるはずです。

 

 低い声は、のどをしめたり、声帯に負担をかけず比較的、体から声を出すという感覚をつかみやすいです。しぜんに使っているところに近いからです。

高音も、本来はバランスが違うだけで、同じ原理なのですが、日本人はなかなかそのイメージや感覚がつかみづらいようです。

 

体が動けば声が出るという感覚をつかむために「ハイ」ということばで芯をつかむトレーニングをしましょう。そのようなトレーニングで、だんだん音を上げていけばよいのです。

 

 高い声がトレーニングになっていないときは、あまり負担にならないようにさらえておくほうがよいでしょう。

自分の出しやすい声域を百発百中、確実に出せるようにすることの方が大切です。できることがより確実にできるということが将来の力となり、次のステップになるのです。

 

基本を常に繰り返すことが勉強です。しかし、基本ばかり繰り返していると、基本として固めてしまう人がいます。基本が何のためであり、どこへいくのか方向性がわからなくなる人がいるのです。

 

だからこそ、調子のよいときに歌唱や高音に挑戦してみたり、応用をやってみて、先の感覚を感じることも必要です。

 調子の悪いときに、低い音のところも確実にできないのに高音をやるから、のどにひっかかり、トレーニングにならないのです。

 

レーニングでこそ、いろんなことを積極的に試みなければなりません。☆☆

どんどん新しいことを取り入れていけばよいです。

 

 一方で、ベースのことを半分は行うことです。ベースに戻る部分を「型」としてもち、毎日トレーニングして感覚に結びつける作業は必ずするようにしましょう。型と応用とバランスのよいトレーニングを心がけてください。そうしないと、自分のフォームができあがりません。

できることを大きくすること。それが、器を大きくする方法なのです。

 

 

 

Q 体の鍛え方がわかりません。

 

 わからなければ、息を吐くことからです。そのときの体の筋力の感覚と声を出す感覚をつかむことです。役者を5年、10年やっている人の方が、ヴォーカリストより高音であってもヴォリューム感をもって歌うことができるのは、声を息でつかまえるという部分にノウハウがあるからです。

トレーナーと自分との差、たとえば息の吐く量や体に息が入ってくるスピード・量を把握し、違いを確認することです。

「ハイ」と芯を捉えていう単純なトレーニングでも、ひたすら積まなければその差は埋りません。

 

 

 

Q「ハイ ララ」でトレーニングしていて、余分な力を抜こうとすると、また他の部分に力が入る。柔軟運動をすると、力が抜けるのでしょうか。

 

 柔軟するのもよいですが、気持ち、リラックスも大切です。

レーニングを1年、2年とこなしていくしかありません。

体で感覚をつかむまでには、相当の練習量が必要です。まず、心のリラックスから始めましょう。

 

 

 

Q 声を出すとき、意識はお腹においているが、グループのとき、胸に手をあてている人がいる。胸も意識をおいた方がよいのですか。

 

 胸に手を当てているのは、ひびきを確認するためですが、手をあてるために肩が上がってしまうことも多く、あまりお勧めしません。

 お腹は、何をするときでも腰の中心だという意味で意識をおきますが、だからといって歌を歌うときに意識したりお腹を使うのではないのです。

 体を動かしやすくするためのトレーニングレベルで意識することに過ぎません。

 横腹を突き出して声を出すこともトレーニングの一つですが、それにとらわれすぎないように。

 スポーツ選手が腹筋や腕立てをやるのと同じことです。

 そういうトレーニングをすることで体が動きやすく、歌うときにしぜんと働きやすい方向にしていくために行なうのです。

 

 

 

Q 声を出すときに息の上に声をのせる感じというが、トレーニングのときも、これを意識した方がよいのか。

 

同じことをいろいろなことばを使って説明していますが、そのことばをそのまま捉えるより、自分のなかで感覚やイメージにおきかえて捉えていくようにしてください。

そのことばでイメージがわくのならよいのですが、イメージがわかないのなら、意味がありません。

自分のわかりやすいことばだけをとりこんでください。

自分で気づいていかないと身になりません。ことばはキーワード、索引の一つに過ぎません。

ことばを使うのはよいのですが、ふりまわされないようにしてください。

 

 

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Q 最近、暑い日が続いて昼間通う学校や電車のなかやスタジオでもなのですが、クーラーが入っているところや入っていないところを行ったり来たりすると、のどがすぐに変になる。

声を出したときに違和感があるのですが、対処法はあるのでしょうか。

 

これには個人差があるようです。ある人は、ホテルのロビーの冷え切った空気を不意に吸い込んで一時的に失声、声がでなくなることもあるようです。これは急に冷えた空気をのどに直接、当ててしまい、それによってのどの筋肉や神経が一時、麻痺したことで動かなくなるのです。

 

こんなときは焦らず、冷風が直接、吹き出しているような場所から離れて、口にハンカチなどを当てながら外気に順応するまで待つのです。

 

あなたの場合も、直接その場の外気がのどや首に当たらないように口にハンカチを当てたり、夏でも首にスカーフを巻いたりして、しばらく慣れるまで時間をかけなくてはしようがありません。

それにいきなり強い大きい声を出すことも声帯を壊しかねませんから、徐々に声を出すか、時間前に早く来て用意することです。

安易に、ビタミン剤やステロイド抗ヒスタミン剤などを簡単に投与してしまうのは、お勧めできません。信頼高い専門医にご相談を。

 

 

Q 自由曲で、過去と同じことをやるなとおっしゃっていたのは、過去の曲を歌うなということですか。

 

?! 常識で考えてください。

 

 

Qレッスンの内容についての質問は特にありませんが、ここではカンツォーネを主としています。ロックとどう結びつけていくのか、また自分はバンドをやって歌う場を得ていきたいのですが、レッスンに出て2年というのを一つの区切りとして考えても、遠回りしているのではないかと強く感じてしまうときがあります(時間的なことや年齢的なこと)。

2年間、一所懸命、練習して、2年過ぎても続けたとして、自分が上達して、たとえ声が出て歌がうまくなったとしても、歌う場が得られずに無意味に終わってしまうのではないかとか思ってしまうことがあります。すべては自分の問題なのですが、自分で何とかしなければ何もならないことですが、本音の部分はそうなのです。

 

いったい、この期間、何を学んでいたのでしょうか。これらの疑問は、1~3ヵ月のレベルのことです。

カンツォーネを教えているつもりもないし、それをロックと結びつけるなどという、あなたの“ロック”って何ですか。

もう一度、最初からやり直すことです。年月だけを考えないでください。

2年でというつもりなら、これで3ヵ月くらいに満たないと考えるべきでしょう。

もちろん、それでかまわないのです。今すぐ、バンドも始めたらよいでしょう。

 

これらの疑問や“本音のこと”を考えないで何をしてきたということです。

歌がうまくなって歌う場(や人)が得られないという歌って、いったい何ですか。

うまい歌は、誰からも場を与えられるものですし、人も集まるものではないですか

(その歌や表現に価値があればのことですが)。

まあ、うまいというレベルの問題となるから、ここを利用しにきたのではないでしょうか。

アイドル路線でもねらっているわけではないでしょう(歌唱力のない分、プロダクションに宣伝してもらったり、ライブハウスに人を集めてもらったりしてもらいたいですか)

より人をひきつけたり魅了するために歌も声もトレーニングするのではないのですか。

うまくなってみせてください。うまくなったら、皆のまえで歌ってください。

世界中が、すぐれた歌い手を、いつでもどこでも待っているのです。