一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

辞世の句    7971字       581

ヴィジョン     581

語録 王貞治

 

 

辞世の句

 

すばらしい人がいる

才能もありそうだし

 何かやってくれそうな-

 

いつも、ここはそんな場だった

そして、ここに僕はいた

 

嬉しいときもあったり、だから悲しかった

つまらないときばかりだったし、だから嬉しかった

 

 

すばらしい仲間がいる

やる気もありそうだし

 何かやっていくような-

 

いつも、ここはそんな場でありたかった

そして、そこに僕は居続けた

 

やれると思ったから、やれないのは悲しかった

やれないことばかりだったから、やれたときは嬉しかった

 

すばらしい歌がある

才能もやる気も歌にはかなわない

 何か起こっているような-

 

いつも、ここはそんな場だろ?

そして、そこに歌を愛する人がいる

 

 

 

 

自分の力をつける   

 

とかくメダカは群れたがる。しゃべりたがる、人のことばかり言いたがる。

一人でだまって自分のことをみつめ、語ることを知らない。

 

力があるということは、他人が決めるものだ。その現実を知りたまえ。

しかし、認められないのは、まず自分で認められないからではないか。

同じか下のレベルの人に認められても、それはあなたである必要が少ないことが多い。

だから、道が開けてこない。やっていけるはずがない。

 

上の人に認められるのが難しいのは、上の人はあなたがあなたとしてあなたに忠実である上に、あなたに誠実な表現をのみ、期待しているからだ。

相対的に動かされているだけで、絶対的でありえない人は、やがて去る。

ところで、出てこないものを、どうして力とよべるんだい。

 

 

誰もが心のなかで自分は違うといいながら、

-やっていることはなんだ

-みているものはなんだ

-口に出ることばはなんだ

-歌えるものはなんだ

 

 どれもこれも、同じじゃないか。

違うというのなら、違ってみることだ。

まずは、心構えから。

 

同じことを違うレベルでやれる力が出てくるまで、全力でやる、必死に絞り出してやる。

この楽しみを選び続けるなかに、やがて他人が打たれ、

頭を下げる相手となり、好きという気持ちとなる。

まずは力をつけようとする自分自身に謙虚に頭を下げるところから始めなさい。

 

ただ、ただ甘すぎると思う

 

 

 

1.たとえば中高生の頃から甲子園、プロで残っていける野球選手の練習量は? 

  その精神力、体力、キャリアは? 

 

2.スタートは20歳すぎてもOKである世界であるとすると、どこまで量をとれるかから始めること。

 

3.世界一流の人とても、100年200年、生きているわけではない。

  どこかで、5年10年、基本を練り込んだ上に発展できたかどうかだけなら、

  いつから質を問えるかだ。

 

4.量×質の違い 

  量(時間)はあたりまえ(=吸収量×出力量)

  質のキープは至難の技だ。

 

5.同じ時間での質の差を徹底して考える

 

⒍. 器の大きさと自信(先見性)をもつ

 

7.技術しかない人からは技術さえ学べない。人をよくみることだ。

 

 

 

 

問い

 

1.なぜ君らは、仮に生涯、やっていこうとするものなら、

  歌や声、そして今の自分を徹底して疑い、つきつめようとしないのか

 

2.どうして自分が最も見据えなくてはいけないもの、

  みたくないものから目をそらすのか

 

3.既製のワクのなかで考え、“歌う”ことのまえに既製のワクを取り払い、新たなものを築こうとしない  のはどうしてなのか。(この一点においてのみ、アーティストたるものであるはずなのに)

 

4.自分は自分のペース、自分のままでよい。

  それは正しいが、自分への甘言でしかない。

  でも、それが(その程度が)本当のあなたか? 

  だとしたら、いつまでも何もできない。

  あなた自身が誰よりもあなたの可能性を信じないでどうする?

 

 

 いったい誰が人並み以上のことをしないで、人並み以上になれるというのだろう。

結果しか認められない世界(長年いても長年やっても、それは何でもないということ)において、

結果の出ない人は、何もやっていない、やれていないのである。

 

(ただ、時間が助けてくれる。時間が神様なのである。

そのプロセスを自覚しているなら、そのときは成果が出なくともよいが、

成果をめざさなくてはならない。)

 

 所詮、この世界のすばらしさを傍観している人は、

いつまでたっても観客であり、それはそれで、

ファンの一人としてアーティストの出現でも助けていけばよい。

 

自分でやりたきゃ、どこで差をつけるかだ。

まずは、今の自分に負けないことだ。プロの自分をもつことだ。

その自分にも負けないことだ。

 

がんばるのでなく力を尽くすこと。

 

勝つのでなく、負けないこと。

 

自分の力を伸ばすことから目をそむけ、他人とのおしゃべりに気をそらしにくるような人は、早くやめたまえ。

 

ベストも尽くせぬ自分を“打ち上げ”て何がおもしろい。

 

 

 

 

エッセンス

 

1.美しい心で信念まげては失格。プロはアマより厳しい、すべてにおいて。

  力がなくては誰も見向きもしない。競争、出せぬものが負け。月よ見ててくれ。

 

2.すべて自由-のんびりしたら負け。自由時間に汗を流している人だけ。

  ファンじゃなく一員として研究し、同じミスしないから偉大。

  いつまでもミスしない。対等に扱われたければ実力で並ぶ。

  何くそ、今にみとれ-。楽しんでやるだけのものに過ぎないレベル。

 

3.舞台に拍手するより、うじうじしてるより、その間にも歌え、汗せよ。

  誰も見ていないところでこそ、自分をしごき、ワクを破れる。

  観客から主役、休む間もなく明日の練習。

 

4.正直に痛い思いをし、自分の見たくないところを見て、それを反省し、見つめ、

  完全に詰められるようにする。

 

5.大器晩成-大器をつくること。そのときの一瞬を。悪いときこそ、一念が宿る。

 

6.前向き、前進とめるな。前のめり。休み返上 山でもり

  How to play How to win 同じ人間にできぬわけはない。貴重な時間だぞ。

 

7.プロ-結果、うわべ、数字、技術。研究心に支えられたら、一生やっていける。

 

8.はいあがったものだけ。立つだけなら誰でも立てる。

  最高の技術を見に金を払う。絶望のどん底から他人を思いやる。

  真の強さ-やさしげなもののなかに打たれて結構、打ってもらおう(禅)

  必死、気迫の眼。理解できたことをやるのも頼もしい。技術-根性。

 

9.なりふりかまうひまはない。幾度ものスランプから立ち上がったこと。

  最高の歌を示したら感動する。執念の生んだ奇跡。

 

10.不安が人をおしゃべりにし、問題から眼をそらさせる。

  やり抜いた人は、寡黙のなか、一人コツコツ静かに問題を見据えて乗りきっていく。

 

11.そうまでしてやるものか、楽しめばよい。

  一つの世界を切り拓こうとして、必ず理解が得られるものでないか。

  それでもやるかどうか-がこだわり。

  君は歌のことで眠れぬ夜が幾度あったか。365日/20年。

 

12.人間の本質をみすかす表面(社会的名声)でなく、栄光、名声より奉仕。

  聖域-何よりも大切な場所。絶対に汚したくないところ。

  だめになったとき、できないときも最善を尽くす。

  Do your best!

 

13.天才、常に新しい可能性をもって登場する。

 

14.先生、先立つものは越されてはならない。おたがいのため。

  後輩はそれを乗り越え、より完全をめざす。

 

 

 

 

 

課題

 

1.「それぞれに深い海がある だから高い山が必要だ」(Ei)

  この「深い海」「高い山」を自分のことばに変えよ

 

  サンプル   

  深い海→闇、心、傷→?

  高い山→灯、笑顔、やさしいことば→?

 

2.「時計は休まず 働いているよ」

  私は __  ______          

 

 

 

 

ヴォイストレーニングの段階

 

Step1  世界の耳をもち、体と心に表現を叩き込む

Step2  現代の日本人特有の歌い方のイメージ、くせをとる

Step3  世界のフレーズ並みにトレーニングで大きく、息、声、歌をつくる

Step4  自分の歌のフレーズを呼吸でまとめる

Step5  音とことばを体と心で一つにして表現する

 

 

 

 

 

 

ヴィジョンQA

 

 

Q 福島先生の生きざまは、いつ決まったのか。なぜ、音楽や研究所をやろうと思ったのでしょうか。

 

 気づいたら、こうなっていたという感じでしょうか。

生きざまとは、決めようと思って決まるものではないと思います。

人間はいつか死んでいくものです。それまで生きている、生きているときぐらいは「生きている」という実感がもって生きたいということ。

 

そのために心を打つ本物というものが世の中にあるのなら、

そうした本物に触れていたい、

身体のなか心のなかに感じていたい。

 

なによりも、

それを自らとまわりの人の身体も使って生み出すことで、

より強く実感できるからです。

 

 

Q 先生は成功した人の一人だと思いますが、どういうところで成功者、失敗者の差が出るのですか。

 

自分では成功したなど思っていません。どちらか選ぶなら、自分としては、失敗です。

やりたいことの100分の1もできていないのに、どうしてそう思えるのでしょうか。

で、世の中で成功したといわれている人たちも、

まわりからそうみえるだけのことも多いのではないでしょうか。

 

私は、いつも、この研究所をいつ解散しようかと考えています。

全国から本を読んで、とても有能な人が集まってきているのに、

この程度しかできないのは、私の力がいたらないからでもありますが、

だから、自分が悪いと責任を感じるところまではうぬぼれていません。

 

期待は人でなく自分にするものです。

この活動をやめることは、いつも念頭においています。

 

ただ、私ごときには、年に一度でも、

ここで誰かから本当によいものが出れば、

それですべての元がとれるので、

今のところ続いているわけです。

(元とは、やっていてよかったという思いのことです。念のため。)

 

 

 

Q 生徒のなかでわかっている人が何人いるというのは、

何か基準を決めていて、それを元に判断するのでしょうか。

 

基準を決めているわけではありませんが、

少なくとも、人が感動する、心を動かされるということは、

誰にとっても、心が素直な状態ならそんなに違うものではないと思います。

 

 秀れているものは秀れているという基準は、私のなかにあります。

そこにも好き嫌いはありますが、

誰かが時間をかけ、熱意をもち丹精こめてつくってきたものであれば、認めます。

それには何か宿り、働きかけてくるゆえに評価できると思います。

 

 私は私心を捨て、無心になる努力をしているだけです。

こびている歌やうぬぼれた歌などには誰も感動しません。

一所懸命に表現しようと出されたものに新しい可能性や不足をみて指摘しています。

そうでない人の歌や声は、心を打ちません。

 

そういう人のそういう状態のときは、わかるものです

本人がわかっているというのも、少し慢心すると、わからなくなります。

本人にわからなくなるし、まわりも一度認めた人を盲目的によいと思ってしまう、

日本人は、そういう傾向が強いです。

だから、こういう厳しい場や指摘する人が必要だと思うのです。

 

 

 

Q 先生は、ライフスタイルとして割り切ってこのような活動をやっておられるのでしょうか。

 

結局は、何にこだわるかの問題です。

私もここにこだわらなければやらなくてもよいわけです。

生活するためにやっているわけでも、名声を得るためにやっているわけでもありません。

ライフスタイルやライフワークが何を意味するかによりますが、

何一つ、割り切ってはいません。

 

 本人がこだわるのか、こだわりたいのかどうかということです。

モティベートは、一つの生きざまを貫いた人から受け継いでいくしかありません。

 それは、一流のものを見たり聞いたりすれば学べるはずです。いかにその人が戦ったか、そういう人をみて感動したら、そう自分もなりたい、近づきたいと思い、そうして生きるだけです。

 

 人間はたった一つでよいから、自分を表わせる武器があれば幸せだと思います。

歌や声、ことば、何でもよいのです。自分が自由に生きるために自由を侵されないための武器としてもっています。

 

 こういうことをやっていくことが人類に何を残すかということよりも、自分の思いをおいていくところに、つかみたい人つかめる人がそれをとっていくというのは、私にはそれはすてきな世界なのです。

 

 私がいないと成り立たないところにいることは、私に意味があることです。

こだわる意味を本人がつけない限り、どこにもつかないということです。

その意味を続けていくことで、本人に価値が生じるということです。

 

 皆さんはそれぞれいろいろなものを持ち備えているのですが、それを絞り込んで武器にできれば、その人は幸せなのではないでしょうか。いくら有名でも、お金があっても、それが人の手で授けられたものなら、仕方ないでしょう。

 

 自分を生きている人は、いくらでも世の中にはいます。たった一つのこと、それを選んだために他のことは選ばれなかったとしても。人生は有限、だからそういうものです。だって、すべてはできないでしょう。だからってさびしいことでしょうか。

 

好きなことを高めていくことなのですから。あなたは、日夜たくさんの美女を追いかけるプレイボーイと、何年もかけてたった一人の、その人だけが価値をみつけた相手を追い求める凡夫と、どちらがかっこよいと思いますか。

 

 

 

Q こだわるときには、目標が明確になっていなければ、こだわれないのでは。

追求していくなかで、みえないものを追求していくのか。

 

 よくわかりませんが、レトリックに、はまっています。

こだわり、目標、追求、の定義を自分なりに絞りましょう。

ともかくも、好きに内面的に追求していくものでは、生き方ですから。

 

私がコメントできるのは、こだわりや追求の結果、でてきたもの、からです。

みえたもの、というか、音や声で、みえたといえないのですが、

聞こえたもの、聞こえたことで心にみえたものからです。

 

 

 

Q 研究所はどういう方向性でやっていきたいと思っているのですか。

 

 それは、そのとき、その場にいる人が決めていきます。

それに、そのときに一番よいと思うように対応してきたつもりですし、対応していくだけです。

 

すべてがプロセスであって、完成はありません。

そうであるから、毎日が、結果であり完成であるのです。

 

私は人を育てようと思っているわけでも、上からみているわけでもありません。

私は、生きていればよいわけで、

ここに私がいるのは、私自身が学ぶための場として、です。

 

私が、ここに生きていることをわかりたい人がいて、

ことばが必要なら話すし、歌が必要だったら歌うだけの話です。

人は育てようと思っても育つものではなく、育つ人はどこにいても勝手に育つものです。

 

私たちができることは、自分が生きていることをみせることぐらいです。

どう表現、音、歌に接しているのかを感じてもらえたら、幸いということでしょう。

皆、一人前として扱い、幼稚園のようにしたくはありません。

 

 何かのプロセスを歩んでいる人たちは、高いレベルをめざすほど抱えている課題や悩みは大きいのです。常に迷いがない状態で活動している人などいないのです。

 

悩みのないのは死んだ人だけです。

どこの企業の社長も、ケタはずれに違う悩みを何百も抱えて生きているのです。

世の中にはいくらでも大物はいるのです。

 

歌い手ならもっと大きな悩みを引き受けなさい。

ぜいたく極まりない幸せな悩みなのですから。

 

 今はとにかくベースとなることをコツコツと量からやることです。

今、起こることはそんなに大したことではありません。

自分がこだわることに、とことんこだわってやることが、どうして楽しくないのでしょう。

 

心から楽しんでやっていなければ、人にも伝わりません。

自分で何かの差がつけられないうちは、この研究所にいるといってくれるなということです。

(そうなれるために、いる分にはいいです。念のため)

自分がおもしろくなくなってしまうくらい、思い切り楽しんでやったらどうですか。

 

 

 

 

 

語録  

 

 

王貞治選手(「新巨人の星」あとがきより)

 

『当時の私が野球にどんな気持ちで取り組んでいたのかを考えると、当然「打つ」あるいは「打ち崩せる」という自信と決意が、私のプロ野球人としてのプライドだったように思う。

 これは私一人の気持ちというのではなく、ほとんどのプロ野球選手は、自分の能力を信じ肉体の限界に挑戦して、一つひとつのプレーの最高点に到達したいという欲求があった。中途半端でなげだすことなど、「プロ野球選手」という名においてできなかった。

 そういう気持ちが私の一本足打法を完成させた原動力だった。

 栄光と挫折、勝利と敗北は、人に常についてまわる。勝利と栄光にいつまでも有頂天であれば、必ず挫折と敗北が巡ってくる。永遠に続きそうなスランプや不調からやがて立ち上がるのが人である。そのときのエネルギーになるのが、「闘争心」であり「向上心」であることは、誰もが知っている。そしてそれをもち続ける強い気持ちがあるかどうかが重要になる。

 人にとって、栄光や勝利をもたらし、挫折と敗北の苦しさを味あわせるのは、一体何か。

 私は「いかにしてホームランを打つかという技術」に生涯こだわりをもったといってよい。

 この新しい技術にいかに対抗していくかが、ライバルの存在価値であり、相手の技術を打倒するもう一方の技術の開発と鍛錬にしのぎを削るのである。この繰り返しが際限なく続いていくなかで技術を限界点にまで高める「志」(こうでありたいと思う気持ち)が、挫折と敗北から再び栄光と勝利へと導いてくれるのである。

 「技術」と「志」を完全燃焼したい。

 バッティング、ピッチングあるいはフィールディング、キャッチングを野球の技術とするなら、もちろん他にもいろいろあろうが、この技術とプレイヤーである選手は必ずいつか向かい合うことがある。技術と対峙するときである。

 

 「このままでいいのか」「このやり方ではこのレベルが限界だ」と思うときである。プレイヤーとしてレベルアップするときといってよい。

 しかし、容易には解決できない。いろいろ試行錯誤していくなかで、本当に大切なことは何かという真理にふれることがある。ひらめきといったり、目の前の霧が晴れるように、といったりする。こういう経験を積み重ねていくことで、一つの考え方にとらわれない自由で柔軟な生き方を学ぶ。スポーツのよさの原点はここにある。

 野球に興味を覚え始めた少年の頃、少しでも上手になりたい。もっとうまく打てるようになりたい。もっと速い球が投げられるようになりたい。なかには、数センチ先をころがっていくボールを何としても捕りたい、と思うときがある。私自身もそう思うことの連続だった。

 そして少しうまくなると、もっと遠くへ、もっと力強くと、ますます野球のおもしろさに引き込まれていく。いつの間にか、野球が自分自身と切り離せないかけがえのないものとなる。勝利と敗北を重ねながら、野球を通して野球以上に大切なことを学んでいく。「フォア・ザ・チーム」の精神であり、真理と巡り会う瞬間である。

 この「フォア・ザ・チーム」が野球選手一人ひとりを極限の練習に駆り立てる。自分に課した練習が、強い心を鍛えてくれる。やがてプロ野球選手になったときに、他人が成しえなかった記録への挑戦が始まる。この挑戦をとおして、むしろプロ野球選手になっていくといってもよい。

 そして、容易なことではないにしても、壁のようにそそり立つ目標はやがて乗り越えられ、前人未到と思われた記録も、一人の選手の能力と努力によって、塗り替えられていく。それが数限りなく語り継がれる男たちの伝説になり、プロ野球の発展につながっていく。困難と挫折にもてる能力の限りを奮って目標に立ち向かい果敢に克服していく。(略)

 

「努力しても報われないとしたら、

それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか」(王貞治