レッスン2 課題曲レッスン
課題曲レッスン 村上進特集 360610
「わたしはしっている アヴェマリア さいだんの前にたち いつわりの愛をちかい」(ラ・ノビア)
コピーするのに難しいのは「さいだんの」のフレーズです。この歌でこれだけここを強調する人はいないと思うのです。まず一つが「わたしは」これの配分です。均等にしてはいけないということです。
「わーたーしーはー」と日本の場合はこうなりかねないです。必ずどこかにフレーズをつけていく。それから「は」のところが難しいです。基本ができている人の「イ」段の深さの手本にしてください。
「しっている」ここはどこかのところでアクセントを入れてずらしていくことと、それから「ア」のポジション。深いです。このポジションは参考にしておいてください。
「マリア」もそうです。「リ」で広がるとできなくなります。
これは歌の構成からいうと、たたみかけていくところです。その感覚で捉えておいてください。
「おまえを愛した」(カルーソー)
半年に1回ずつやっていって、少しずつでもヴォリュームがついていったり、伸びていったらよいと思います。
「愛し合ったあのころ 2人とも若すぎて 何もきづかずに何も 恐れずに何も 悩まずに何も 愛の終わりの日を」(葡萄の季節)
最後がもつれやすいので、日本語は語尾の処理をした方が無難です。
村上さんの特徴というのは、「美しい」や「うまれた」とこういうことばになると、尾崎紀世彦さんと同じように日本語の処理をして声や流れを殺してしまうのです。
それは、日本人のお客さんに日本語を伝えることを配慮したものです。
多くの人は、ここでひびきに逃げてしまいます。
「そらと海のあいだに うまれたしま シチリア」
冒頭なのでそれほどメリハリがいる場所ではないのですが、かなりメリハリをつけています。「シチリア」は、声を逃がしています。ここが難しいです。「そらと」の「と」ではなしてしまうと難しいです。そこでいれておかないとだめです。
「だから」のところがひっかかって、それを直そうとしてもポジションが深くならないと直らないです。直そうとすると間違ってしまうから、だまっているしかないのです。ただ、決め手になるところはつかんでおきましょう。
たとえば「い」のところをなるだけ短くし、あまりふみこまないようにして犠牲を少なくすることです。本当は「い」の方が深く入るわけです。「うみ」と「あいだ」の「い」で2回入っているから、後ではなせるのです。後はリズムの問題がありますが、そういう意味では揺らします。もう少し大きめに捉えておいてもよいと思います。かなり大きく入っています。
同じ人が同じ歌を同じ時期に出していても、向こうのことばを使うと声の感覚が変わるのです。向こうで生まれたのではなく、日本人でもそうです。しかしそれでも日本語では変えてつくらないといけなくなってしまうわけです。
「こいなんて むなしいもの こいなんて 何になるの」
「こいなんて」にところであげておいて、次のところを歌わない形です。
感覚的にはタンゴの4拍目の裏のところに全部いれようとしています。
ここから本来メジャーのコードに入るのですが、これはそこをはしおって終わっています。この感覚がタンゴの甘さで、向こうの人たちはこういうところを、ドルチェ(甘い)と感じるのです。☆
「私たちの人生は 涙とギター道連れにして 夢見ていればいいのさ」
「ケサラ ケサラ ケサラ」
完成させてください。
「わたしを燃やす火 こころとかす恋よ」
日本人の場合、ピアフのようにこういう形で突き放して歌うと、お客さんがそっぽをむいてしまうのでしょう。ここまで変化をつけている歌というのはあまりありません。
弱くしてだめにして、最後だけ声を張り上げるのでは困ります。自分のフレーズでよいのです。これは「こいよー」と先に続く感じですが、ここで終わってもかまいません。
自分の感覚でやってみましょう。上下降が激しく、難しいでしょう。
点ではなく線がつながっているし、その線がみえる。結局「燃やす火」ここでは線しかださなくてもよいのです。フレーズというのは、別にことばの意味は考えなくてもよい。
次のフレーズにいったときに、「こころとかす恋よ」の最後の音というのは、次の大きさのフレーズで決めていきますから、次の展開がわかっていないとだめです。
2回同じことを繰り返すわけではなく、最後の音で違うわけです。
一つで捉え、次の「こころ」の大きさとそこの表現を自分で決めていないと、同じ大きさで同じ形に終わってしまうのです。それが単調に続く形になりかねないのです。必ずその関係を考えていかないといけない。一つの音、その音を次にどうつなげるかそれがすべてです。
そして一つのフレーズが何とかでき、そのフレーズを繰り返していたら、音を単音でひいていくのと同じです。一つのフレーズができたらそのフレーズに対して次のフレーズをどう考えるかで違ってくるわけです。
フレーズもまた、関係によってきまってきます。聞く人は、一つ目のフレーズで安定したら次のフレーズにどう展開するかを聞くわけです。ピアニストの演奏と同じです。1音目を失敗してはなりません。そして、一つの音が基音として聞こえ、安心したときには、耳は、次の音にどう展開するかというところを聞くわけです。それをまた同じように無神経にひいてしまったら、聞くところがなくなってしまうのです。
ださないといけないことは、そこをどうするかです。同じにだしていく方向もありますが感覚的には変えていった方がよいと思います。このスピードでは普通の人はできないでしょう。体ができていないということもありますが、イメージができないのです。
それはその前のフレーズを歌ったときには決まっているわけです。歌い込みの大きさがスケールになります。何回も歌っているうちに固まってくるのです。何回も歌うときに、変わる可能性をつかんでいかないといけないわけです。
必ずしも一つのパターンでフレーズにまとめた方がよいわけでも、大きく歌いあげた方がよいわけではないのですが、それよりもこうなって次にこう入るとお客さんが思っているところで1拍、2拍ぐらい早く入るとか、一つ遅れるとかといったところで動かしていかないと、聞いている人に全部つかまれてしまいます。
それはそれで心地よくはなりますが、相手をハッとさせたりする部分がないと結局はだめです。1曲はもちますが、数曲になるとお客さんは次に何をやってくれるのかとみます。そこのところを勉強してみてください。
ここでは大きくフレーズをつくって、その後で歌いわけているのです。彼の歌い方が好きな人も多いのですが、私は別の評価をしています。日本のお客さんからの評価で、あるべき形になってきたのだと思います。
原語で歌っているのは、日本語で歌っているような曲とかなり違うのです。日本語がよいとか悪いではなくて、日本でやる以上、制限がかかることもあります。たとえば声を思いっきりぶつけてばかりいったら、日本のお客さんの心は逃げていくでしょう。
こういうフレーズをより大きくしていくか、それとも細かくまとめていく方に神経を割いていくのかで変わってくるのですが、日本人はこういうことにとてもハンディキャップがあります。普通の芸事なら0からはじめられるけれど、歌はマイナスからはじめないといけないでしょう。
よくまとめる方向とより器を大きくしていく方向があるといいますが、トレーニングは大きく、歌はまとめます。☆
器をより大きくしていってまとめることも、そこでできてきたらまとめていけばよいのではないかという感じます。早く歌いたければ、まとめるしかないです。
正攻法というのはそういうものではなく常に器を大きくしようという意志と試みの上に成り立ちます。器用にできないというのは、よいことで、器用にできるだけの小さな器でないからです。だから器用さがあとから繊細さとして出てくるように時間をかけてもっと大きな器をつければよいのです。
浮かして歌ってみても、口先で歌ってみてもそれでも踏み込めるところで踏み込めるだけの大きな器がつくってあれば、その後は何してもよいわけです。つまり、自由になります。
逆ができないということを考えてみると、まとめることというのは、その日のステージに考えるべきのことで、日頃のトレーニングのときには考えなくてもよいと思うのです。☆
人前に出て、もっているものをきちんと伝えようとするなら、否応なしにまとまります。
だから同じ力をどうみせるかという配分、特にイメージの構築ということをやらないとフレーズの大きさも必要がないわけです。そこは同じ練習の中で敏感に変えてみることを試みていくことです。
そうでないと自分のフレーズは永遠にみつかりません。
フィットした、それで声がでやすかった、もっていける、もっていけないということでのぎりぎりの快感みたいなものが、そのままお客さんの心地よさにつながるわけなのです。
今日のは、そのまま練習するよりもその中にある大きなフレーズとか感覚を次にもっていくときにどういうふうにしているのかと、オリジナルに変えているところを勉強してみてください。よい題材になると思います。
同じ人が歌っている、日本語とイタリア語について、1番を日本語で歌って、2番をイタリア語で歌ってどう違うかを学ぶ勉強もよいでしょう。
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課題曲レッスン「影を慕いて」1 360630
構成、進行が主題です。曲で説明します。それでだいたい問題のフレーズは終わるでしょう。
絶唱フレーズ研究というのは、ここでも上級クラスと何曲も早回しで回してきましたが、今日は一曲で細かく見て、違う形でアプローチしていこうと思います。最初、今日の目的を話して、聞いてそれから始めます。黒板を見てください。
いつも言っているハイとララから言うと、ハイのところが、ここの部分の音色です。
音色というのは何なのか。単純に言うとトランペットとサックスの音色は全部、違うわけです。
人の声の場合は、特にポピュラーの場合、声そのものというのは音色そのものではないです。好きな音色と言っても、その音色にすることが目的ではないので、その音色のオリジナルの部分、それから展開、二つあります。
まず、ハイというのは既にもうことばなので、このことばを音楽的なことばにもっていくというレベル、音楽的なことばで、しぜんに展開してきます。
イタリア語で歌ったりすると、歌にならないでひらがなみたいになってしまいますけど、結局、それが動いていく感覚が必要なのです。
そのときに強弱のリズムというのは入ってきます。それから呼吸、テンポも入ってきます。日本人の一番、取りにくい強弱のリズムも、音感も入ってきます。
基本的にヴォーカルのやることというのは、この展開を楽譜通りに取るのではなくて、これをどういうふうに心地よくズラすかという、そのズラし方にあります。単純に言うと、少し早くとか、少し遅く踏み込む。しかし、もっと複雑なものです。
わかって欲しいことは、ハイということばのなかにことばとしての楽器的な音色がある、楽音だとすると、こと楽音としての展開があるのと違う次元で、歌の方の展開があります。
これは最終的に、表現や構成です。構成というのは、歌は、1オクターブから2オクターブで2~3分間あるから、そのなかで最初の役割とはどうか、これはテーマだからどういう役割になるのか、あるいはこれは出だしだからどういう役割になるのか、ここはピークだからどういう役割になるのか、そういった流れをつくることです。
それぞれで完結しつつも、全体のなかで位置づけられて音量とか、声量とか、キィもそれで決まってくるわけです。
だから、フレーズのトレーニングは完結しない。そのまえの部分をやります。線で取っていければ簡単なのでしょうが、ほとんどの人が線で取っていけないので、この線の方から考えた部分でこれをどう展開させるかということです。歌はこれの延長にあります。
単に、「ハイララ」といっているのが直線では、歌にならないということです。これは正確に弾いていけばいいわけです。弾くというのは抑えてはじいていくことです。間違いなく、タッチをゆるめないでやったあと、次のところというのは離さないといけないです。
歌うための高いレベルでのフレーズトレーニングがそれにあたります。押し込んでおいて離す。ポピュラーだから全部、歌う必要はない。そしたら、この点で捉える。この線上で捉えなければいけない。線上で、はずせない点というのは絶対、できてくるわけです。
止まっていない歌というのは結局、聞かせられない。流れてほとんどの人はここで1ステップ飛躍できないわけです。よほど淡々と歌う以外は、何も伝わらない歌になってしまうわけです。
やりたいことは、日本の歌に音色の深さをとり出すことです。本人が3音くらいしか同じ音色で捉えられないなら、その後、展開して1オクターブで歌をつくらなければいけない。裏声にしたり、無理にひびきにあてなければいけない。
そういう操作を加えなければいけないのに対して、一流のヴォーカリストの場合は1オクターブくらい音のところでもっています。そうすると音をつかんでいるので、あとはどう動かすかということだけで歌になるわけです。
だから最初に、ここでつかんでから動かすということを考えたいわけです。これは、皆のなかでは難しいので、今日の課題のなかでその感覚にあたることを少しやってみたいと思います。
発声でもっていくと、どうしても西洋、声楽的になってしまうところがある。演歌と外国の歌とのニュアンスが違うというよりも、先ほどの線の話でいうと、このつかみ方の部分が違うわけです。
リズムでもそうです。「影を慕いて」もワルツ応用です。昔の歌は、8分の6、4分の3とかが多いです。日本人は苦手ですが、昔の人たちはうまく使っています。
まず音色ということです。日本人でも、昔の人たちは、音色をもっていました。たとえば、美空ひばりのジャズです。音感、リズムに関しても、まったく向こうと同じレベルでやっています。ひばり節があまり出ていない頃のもので、思っている以上に太い線をもっています。
ダメな人とよい人の区分けは、5秒くらいでできます。今日はあえて、悪い例も取り上げていきます。その歌い手が悪いというわけではなくて、たまたまその歌に合わなかったとか、声に関してダメだということもあります。
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「影を慕いて」2
一曲、全部やるのは初めてです。歌い切れるような曲ではないと思います。
ただそれを、どうアプローチしていくかということ、それから、もう一歩、日本語の歌い方という勉強になるでしょう。とりあえずスタンダードな部分での共通点のところまでやってみましょう。
「まぼろしの影を慕いて」
これを一つに捉えられているのは、仮にできている基準としてなら、達しているのは、3人くらいでしたね。
“の”が展開していくのはいいのですが、流れています。
「まぼろしの」は、藤山一郎さんのを聞いてしまうと、メロディとことばをとてもていねいに音にのせ歌っています。それを今、やりたいわけではないでしょう。
たとえば「ま」から「ぼ」に行くとき「ま」、「まぁ」、「まぼ」違いますよね。
次のところにいくともっとわかりやすくなりますが「かぁげを」これを「かーげを」とやってしまうと違ってきますね。感覚の問題です。
3つに捉えているのか一つで捉えているのか。そこで、やっていきたいことというのは「タァー」と取るのではなく「タァータ」とつながりをもつことです。これは全部、呼吸でコントロールするということです。これは日本の歌でも向こうの歌でも同じです。
発声でコントロールすることは、後でできます。音色をつけたいとか、もう少し盛り上げたいとか、ただ、そこを動かすのではなく、まず最初のポジションを捉えるということです。そしてそのポジションのときにオリジナルな音色というのは決まってきますし、キィもおよそ決まります。
どうしても「まぼろしの」と平坦になってしまう人は「まーーーー」とやって、これがどういう展開になるのか“の”のところも「のー」となってしまうと聞けなくなってしまうのです。音を結んでいるということになってしまいます。自分の体には素直にやっていって構わないわけですが、
わかりやすいもの、すでにできるものは、手本にしなくてもいいです。
「まぼろしの影を慕いて」
これは意図的に、回しすぎです。「かぁげを」というのが見えてしまいますね。それを見せる必要はないです。「かぁげを」、音の感覚とリズムからなってくるわけです。
何でそう歌わなければならないんだ、自分はこう歌いたいのにと思っていても、これ自体の下地がズンタッタズンタッタとなっているわけですから。「まぼろしの かげを」とワルツのリズムになっているわけです。そうしたら、それを声の調整だけ、音符の調整だけでやらないこと、それでは出てこないわけです。その点と点の間がなくなってしまうわけです。
「影を」、あるいは「影を慕いて」まで、どちらでもよいです。
ここのところで「かぁげを」と、回すイメージで捉えないこと。「か」の方をきちっとポジションとして押さえることです。皆の場合、「かげを」とかなりきちっと出して押さえないと、ポジション的に押さえられないはずです。だからこれを出した後に「かぁげを」これが一番、単純ですね。
「かぁげを」、いろいろな音がここに入ってきます。だからこの部分は、あまり見えない方がいいです。それをひっくるめて3つに聞こえるのではなくて、一つに聞こえなくてはいけないということです。
「慕いて」も同じです。「しーたいて」「したいて」どこかのところでクレッシェンドがつかないとおかしいです。それは呼吸の問題です。
「雨に」これも先ほど言ったように、リズムと音の感覚にズラしていくわけです。いろいろなやり方があります。それを体のところにもっていく。では先ほどのところからことばを消してやってみましょうか。「影を慕いて」「タ」でも「ラ」でも「ア」でも何でもいいです。「雨に日に」まで何回か繰り返しましょう。
ここまでもっていける人は、ここまでやってみてください。
この課題が問題なのではなくて、先ほどから言っているように、「影を慕いて」で一つ「雨に日に」で離す。どこでつかまえるか。要はつかまえているところで離していく。
そのためには、次のところのフレーズ「雨に」そこまでに出ないとだめです。皆の場合は、本当に1、2語くらいまえに出て、あとは全部引いていくんですね。特にこういうものでは、聞いて捉えただけです。
表現できるということは、まえに出ているわけです。だからもっと思い切り出していかないといけません。後で引くことはできます。
今やって欲しいところは、体からの息が流れていなくてはいけないので「影を」くらいで終わっておいて、「慕いて」を歌ったらもう体は戻るわけがないです。次に使えるわけがないです。結局、ここでハズれてしまっています。
一つに聞こえなくてはダメです。一つにできているのは一人だけです。すぐわかりますよね。
「影を慕いて雨に日に」
ほとんどの人がここが見えなくて、たとえばこのフレーズというのは期待しているのはこれくらいだとすると、皆がやっているのはこのくらいのところで、こうまとまって、こんな感じです。
だから見たいところは、これの幅と結局、その人の呼吸、呼吸だけでもっていけるということです。呼吸から合わなくなると難しいところですが、逆に単調なところなので、わかりにくいのかもしれません。
「月にやるせぬわが想い」
次のところでピークの方にもっていくと考えてみてください。それを二つくらい、できたら一つで表現する。勉強して欲しいのは、「月に」とか「やるせぬ」とかそんなところではないです。まえにきちっと出ていなければ、間違いと思ってください。
何を頭のなかで考えてやっていても、体も息も止まっているわけですから。だからこれを真似ようとするからダメなわけで、これのまえの形、この呼吸と体の動き方、あるいはそれをすべて無視しても構いません。きちっと一つの表現をして前に出るということです。
そんなにメンバーのレベルが落ちたわけではないですが、野球をやるから皆、集まってくれといった後に、ボールがないやと返しているみたいな、、、もので、手応えを感じません。
私はこの前に、5回くらい歌ってみて、汗びっしょりになったわけです。
細かくやっていきましょう。部分的には、できるはずです。できるけれど、やっていないだけです。
「月に」
一つだけ、できないところがあるとしたら、そのあとの「ぬ」です。皆の場合、頭で計算して殺してしまっています。そうではなくて、ここをきちっと盛り上げていくことで止めておかなくてはいけないということです。わかる人だけわかってくれればいいです。
「月に」のところも、ここに入りながら死んでしまっていますね。動いてこないで、先ほど一部、動いていた人も、先ほどので3人くらい、ここらへんが少し動いたということで、もっと体のなかに入れていかなくては、です。
声量を抑えているということと体を使わないということは、いつも言っている通り、関係のない話です。気持ちが盛り上がってきたら当然、息と体も深く使っていかないといけないわけです。
なぜあんなに声量を抑えているものを聞かせているかというと、その部分をわかって欲しいからです。気持ちは出せば伝わるものでない。抑えているのを出すのだから、難しいのです。
まず一つは「月に」のところですけれど、そのまま「つきに」で一つに取ってください。少し上げた方がいいかもしれません。
やって欲しいことというのは、リズム、音程もついているけれど、そこのところでことばを自由にきちっと展開するということです。
先ほどの説明と結びつけますけれど、たとえば「月に」というと「月に」そのまま入りますね。ここでは何もつくっていないわけです。私は皆よりも体はそれだけ使っています。「月に」
そうすると、体が動いてくるわけです。合せると「月にやるせぬ」
だから、ここのところの「ぬ」で逃げる必要はないわけです。今ので押さえています。押さえているけれど、体は使っています。
「月に」こう逃げないことです。
歌でいうとそのくらいの差ですけれど、トレーニングでは「月に」で入れていくということと、離さないということです。そして、「やるせぬ」とくるわけです。
だから音程とかリズムの問題よりも、その流れをつくること、「ぬー」のときに引かないことです。そこで一つです。
「月にやるせぬわが」ここまでです。
「わが想い」ここらへんが演歌と西洋の違いでしょうか。
デクレッシェンドさせてからクレッシェンドさせていく。よく西洋の音楽で使います。
「月にやるせぬ わが想」こうとったあと「い」、ここで一回、殺すわけです。その後にクレッシェンドさせていく。それをもう少し、上のポジションでやってください。
皆の場合は、「月に」から入った方がいいと思います。とにかく、ここが一番、わかりやすいところです。
そして、ここがサビになります。「つつめば燃ゆる」ここのところからアップしていかなければいけないです。当然のことながら、ここがうなります。
今までの場合はどちらかというと「まぼろしの」で「影を慕いて」「雨に日に」「月にやるせぬわが想」「い」のところで逆にクレッシェンドがつくということです。ただ一回、クレッシェンドをやるために下げます。技巧的に捉えないで体で捉えてください。
「月にやるせぬ わが想い」
こういう展開になっています。大きめにとっていってよいです。どこからでも入りやすいところからでよいです。
「つつめば燃ゆる 雨の日に」
手本としては、あまりよくないのでしょうか。
「わが想い」の「い」からクレッシェンド、「い」からできなければ「ラ」でも「ア」でも何でもいいです。
「タラララララララ」ここのところ、結局、声を転がして欲しいわけです。
「月にー」と歌うのではなくて、「月にやるせぬ」とことばとしてやるまえに、感覚の違いなわけです。だから伝えようがないですが、いろいろな音がこのなかにあって、「やるせーぬ」とやってもいいし「やるうせぬ」でもいい。
ただ「やるせぬ」は、まえに出ないとダメです。
「やるせぬ」と切れてしまってはダメです。
「せぬー、わが」だから、それだけ体でふんばらないと、しようがないわけです。
結局、自分の体でふんばって息を使った部分だけ、単純に言うと、がんばったということで、聞いている人に伝えるわけです。がんばって、次に放することで、解放感がくるわけです。
一拍目、1、3のダウンビートのところは、体の方で押さえていってよいところです。日本人が不得意なところではないです。
「まぼろしの かげを」全部、出せます。一拍目のところで「雨に日に」は矛盾していないはずです。だからその後が問題です。
「わが」そういう形で展開していける力がないからで「つつめば」あたりが全部、そうです。
ことばを変えてもいいです。アオイアオイとかでもいいです。
練習ということでいうと、「ターララ」これを全部、呼吸でコントロールする。これを「ラー」とやるのではなく「ラー」とやる。これが歌への効果的な使い方です。
ただ、体を使っているのもなぞっているわけではなくて、同じかそれ以上に使っているわけです。「月にやるせぬ わが」ここで力尽きるくらい使うわけです。「想い」の後も同じです。「想い」これで殺すのですが、殺しても「い」は小さくするわけではないです。
音にする部分を少なくするだけで、体はそこで支えているわけです。イが入らない人には少し難しいかもしれません。イからツになりますから、難しいです。
演歌の場合はこれを上に上げてしまいます。「想い↑」こちらの方です。
だから体を使わずやっていく歌謡教室とかでは、こういう教え方をしています。
「想い つ」こういう音を出します。そのまえに、皆の場合は中間音のところで、そんな高い音をやるわけではないから、「想い」ここで入れたいわけです。
「い、つつ」とこうなります。そこらへんのフレーズをやってみましょう。
「つつめば燃ゆる」
どこでもいいです。今度は「つつめば」まで入れるということです。「想い」から「つつめば」まで入れると。その前後はとりやすいところでとってください。途中から歌を始めると、音程がとりにくいと思います。
「想いつつめば燃ゆる」
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「影を慕いて」3 360630
盛り上げた後の展開は、声がきちんと出ていたら、そんなに難しくないはずです。
「わが」のところも「月に」のところも、肝心なところにイ段や、ウ段がきています。構成ができていないため、いつもの授業のレベルまでいっていません。
「ターラララララララ」という構成です。「わが」は、逃げてしまっています。「わが」の「があ」が開かないように。「ターラ・ララ」の音に関しても、きちっと止めると言っています。ところがそのまえに、狂っているわけです。
構成の面から声自体がわかれないように、「わが思い」というのをその線のなかで言っていかなければならないのです。
自分で一番できる音で、それぞれ線を出してください。まだ、体が動いていないと思います。今と同じ課題です。「ターララララ」これに関しても、これを聞いてみて「ターララララ」ここまで上げておこないと、ここから動かせなくなってしまいます。
「ラララララ」こうなってしまうのではなくて「ララララララ」ここはよほど呼吸が速く吸える人でないと、息が足らなくなるでしょう。ただ、それ以外のところに関しては、2年近くいる人は、難しくないはずです。
音を変えてもいいです。ツとかイで引っかかっている人が多いです。月の「つ」、「想い」これもそうです。「想い→」とこうではなく「想い↓」こちらの方です。「つつ↓」こちらの方です。「つつ→」こちらになってしまうと、もっていけなくなってしまいます。
「もゆる↓」であって「もゆる→」の方ではないのです。
2、3分でまとめてみてください。歌詞は好きにつけてください。
とにかく盛り上がったというところまでが勝負で、その後は納め方ですから。「つつめば燃ゆる」までに入らないと負けです。
だから、音感とか、リズム感の問題というのは「まぼろしの」こういう捉え方です。演歌も洋楽も同じでしょう。日本語でやるときは「か(あ)げ」というイメージで捉えて、アタックはつけないことです。
「かあげを慕いて」ではないわけです。「慕いて」「雨に」「日に」とか「月に」「やるせぇぬ」とか、どうでもいいわけです。「わが」も、いろいろなやり方があります。
ただ、これも同じでアタックはつけないことです。「想い↑」とこういうやり方もないということです。それがわかれてくると、体でコントロールできなくなります。セリフのなかではほぼできていますが、音に出してしまうと、皆さんくずれていってしまうのです。
それを助けるのがリズムです。タンタッタで「まぼろしの」向こうの人たちはこういう感覚から入るので、とてもわかりやすいわけです。
トレーニングするほど、一時的に分離していってしまいますから、こういう実践で戻すのです。☆
「月に」から「燃ゆる胸の」あるいは一場面の最初のところからの方がやりやすかった人は、一番上のところでもいいです。1フレーズまわしてみて盛り上げをつくる、声を動かすというところでやってみてください。
(一人目)今のだと、最後から3番目のラといったところだけ正解です。あとのところは、線ができていないということです。
(二人目)それぞれ聞けばわかるはずです。動いているところ、止まっているところ、自分でも動かせるところ、やわらかくなっているところと、固くなってそのまま死んでしまっているところがあります。それを最初からつなげてもっていくというのが、歌の線です。
(三人目以下)まず“イ”ならイで何でもいいですから、ここのところから盛り上げていきましょう。
最低限とりたいのはここで止まれるかどうか、入れるかどうかで、この音がつかめないとダメなわけです。あとは全体的には同じです。
先ほどまで言っていること、すべてに関して、皆さんの歌自体が、まだ、こういう形の展開なんですね。そうしたら、最初から違うわけです。
「ま・ぼ・ろ・し・の」ではイメージが違います。「幻の」と、活かしていかなければならないのです。
ひびくというのは、ポピュラーの場合、関係ないわけです。
クラシックは、少し違います。「まーぼーろーしーの」という共鳴重視の形です。やや均等に「かぁげを」、すべてに関して、きちんと音としていかなければならないわけです。そして、そのままやっていきます。
しかし、ポピュラーの場合はしぜんなことばの感覚、そのままなわけです。だから、そこのところで、音感やリズム感をもとに、それ以上のことはやっていないわけです。
それを作っていくと声が見えてしまって、間のびします。クラシックは、そこで立派な声を聞かせることで保ちますが、ポピュラーは声だけではもたそうなど、頭で計算したら遅れます。
スポーツでわかる通り、ボールがきた、足をこの角度で出してという具合に考えて行う時間は、ないわけです。そこは、予め動きを体に入れておかないといけない。
音感もリズム感も入っているはずで、この歌のフレーズでいったら、洋楽のフレーズではないからということではないです。「タララララーラララ」と表現していかないといけない。
「月に」とやったから、次に「やるせぬ」と流したらいいということではない。
声が外れていようが体力がなかろうが、一応、歌の流れとしてはもたせることです。低いところだから体を使わないとかいうことでもない。
やりにくいところの中間音で、「ラーララララ」ここを横に開かないことで「ララララララ」になると、もうとれなくなってしまいます。「ラララララ」からです。そうしたら、なぜ「やるせぬ」とやってはいけないかというと「やるせぬ」こうやってしまうと「わ」の音がもうなくなってしまうわけです。
「わが想い」となると「つ」が言えなくなってしまいます。「想い」ここできちっと“い”のところに入れておくということです。「い・つ」と言えるところです。“つ”に関しても「つつめば」とやってしまうと、声が全部なくなってしまいます。
「つ・つめば」と、今の皆さんの段階では自分で抑えていかなくてはいけないということです。それができた後にはずすのは構わないです。
「燃ゆる」の感覚として、ここまで強くなる必要はありませんが、実際にこう動かしていくことです。そしてこの縦の動かし方の線の方が横の線の「燃ゆる」より長くなってはいけない。
ここらあたりで勝負しなければいけない歌です。だからこそ、ここまでのところをきちんと入れ込まないといけない。ここらあたりでも体が動いていないです。
「雨に」では、5~6人はできていました。
自分の呼吸のなかでどこに入るかということです。だからその呼吸が見えないと、歌は死んでしまいます。「雨に日に」とかで寸法がちぢこまってしまうわけです。
歌が大きく歌えるというのは、この寸法が体と同じだけきちっととれているということです。とても難しいことですが、これは基本の体がなければ、尻つぼみになってしまう。ただ、ここまでできているのであれば、このままで完成しなさい。
それを中途半端に同じフレーズに取っていくと、どんどんつまっていきます。いつもやっているよりは、1曲に絞り込んで少しやってみようかと思って、声楽と演歌と共通フレーズとその違いみたいなことをやりました。今のところだと、その前の段階のところです。ことばを読み込んでいくことです。線でとっていくことです。
「ま・ぼ・ろ・し・の」ではなく「まぼろしの」「タラララーララ」そういう形の感覚のなかで、どこにことばを配置するかということです。
だから、いろいろな音色が出てきていい。音色がいろいろ出てくると、そのなかから一つ取ればいいわけです。一つの音色だけだとキツイです。もう少し歌い分けられたらよいと思います。
テンションの高さをそこで創り出さなければならないわけです。
結局、盛り上げというのは、そこまで煮詰まってきて、そして最後に解放されていく。
「身はこがれつつ忍びゆく」ところにまとめていくところですから、そこまで盛り上がらなければ、こんなに簡単な構成ですから、すぐ終わってしまいます。
まあ、カラオケにも入っておりますから、歌ってみたらよいのではないでしょうか。
おすすめは、森進一さんのです。
また機会があったらやりましょう。
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課題曲レッスン 「ダイアナ」「こんにちは赤ちゃん」「ある愛の詩」ほか
「ダイアナ」
日本人のアイドルが歌っていくと、こうなります。体とか息の力でもっていけないから、こういう音色になっていきます。おさえられないで流れています。
一方、梓みちよさんと田辺靖雄さんなど、きちっとしている人はしっかり歌っています。
よいものと悪いものの区分けの仕方は、ストレートに聞こえるかどうかです。なぜストレートに聞こえるかというと、やはり止まっている点があるからです。その止める点を間違えなければいいことです。
リズムとか音感が入っているものに、日本語的に正しくこなそうとするとムリがあります。あるけれどもギリギリのところで調整して、一番ベストの状態を出している曲なのかどうかというところで、判断すればよいと思います。
だから日本人に欠けているリズム感とか音感は、前に、日本人のロッカーでだいぶ扱ったと思いますが、声の展開のなかにそのリズムと音が入っていくということです。単に4拍子だから、4つ叩いているというわけではないです。そこで8つ、16つ叩いて、さらにリズムパターンをとっている感覚があるのかということです。
この森山加世子さんのひびきは、わざとそういう形に、向こうの原曲がこういう歌い方なのでつけていますが、迫るところで完全に止めていますね。だから緊張感が失われません。
辺見マリさん、木の実ナナさん、ここらへんも、力量がある人たちです。
向こうの曲を置き換えたときに結局、全部は取れないわけです。そうなったときに、何を一番、重視するかということです。音色というのは絶対になければならないです。
その次、リズムをとるか音程をとるか、ことばをとるかですが、ことばが2、3割欠けている部分で音感とかリズムとかがプラスされていること、そのリズムとかコードそのものがかもしだす甘さであったり、上昇感、それは以前、授業でもやりましたが、タンゴならどう甘いのか、コードのなかでも、そのコードのつけ方によって感じ方も違うわけです。
それが直接、音色に影響してこないというのはおかしいわけです。人の声の方が対応性がありますから、楽器でさえ甘いとか鋭いとか冷たいとか、いろいろ出せるわけです。そういうものを聞いておくとよいと思います。
「こんにちは赤ちゃん」
抑えた歌い方をしています。ただ、フレーズの大きさとかもっているところの絞り込みというのは、まえに「二人でお酒を」で、わかると思います。あれだけの声量と声量とフレーズをつくれる人がこれを歌ったときに、こういうようにやっているということです。
日本語で歌うという理由から、ここまで絞り込んでいるのでしょう。後、あまりよくない例でいきます。
グループサウンズのものというのは、声は生声です。こういうのがたぶん、日本人の声の甘さ的に受け入れられていたものだと思います。時代的な感性の違いだと思います。
石原裕次郎さんとか見ていても、日本にいるとそんな感覚から得られるものがあるのでしょう。
参考になるもので、つのだ☆ひろさん、日本の歌より、向こうの歌はよい。代表曲が「メリージェーン」ですが、向こうのリズムでとれる人です。
今回のテーマは、洋楽と日本語の世界というところです。こういう節回しは、なかなか日本語ではできないので、難しいです。
サザンオールスターズの桑田さんがうまいです。つのだ☆ひろさんは、日本人の声のあまり深くないところがモータウン色の感覚とリズムと合っていて、プラスの方面に出ているような例です。
次のような曲になると、日本人には、キツくなってきます。この曲は、とても有名なので比べてもらえればいいと思います。さすがにこういう音は、日本人にとって難しいです。音色とその深さの問題です。声が体に宿ってから回転させていかないと、なかなかとれないものです。
サラヴォーンとかエラフィッツジェラルドの低音の部分と同じで、日本人のアイドル系ジャズ歌手では、出せないのです。
参考に、雪村いづみさんです。
この当時の人は、ジャズとかポピュラーとかをこなしている人なので、とてもリズムとか音ののせ方とか、日本語の間はうまく捉えています。もし日本語で歌っていくのであれば、今の日本の歌い手を見るよりもよいと思います。
長いフレーズの練習をしている人は、これくらいのフレーズがいかに難しいか、こういう単に声だけとって歌うというのがわかると思います。
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「ある愛の詩」
(海よりも美しい愛が…)
これも難しい歌です。
捉えて欲しいのは、声をつかむというのはどういうことなのか、それを展開させるという感覚がどういうものなのかということです。
結局、歌ってしまってはだめなのです。歌わされてはいけないということです。それは、いつもことばで言っていますが、なかなかわからないようです。
こういう人たちのは歌っているわけではないです。声を展開させているわけです。呼吸だけで展開させていくわけです。だから、そこだけでわかるのです。
トランペットと比べてみるとわかります。トランペットに限らず、そういう形で展開していくのが演奏です。あなたの歌は、演奏になっていますか。
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「約束」
“坊や、いそいで帰ってくるんだ、ママがお前に…”
この声から、ちゃんと伸びていけば、もっときちっとできてきたんだと思います。
「ミラボー橋」
金子由香利さんの朗読からの歌唱、こういう世界です。
真似しなさいと言っているわけではなくて、一つの世界ということです。
こういう歌い方をする人です。体がきちっとできていないと息と声が伴いません。
でも、息の力で表現できますね。
彼女の声の力量は、「ハンブルクにて」で明らかです。
比較
上田正樹さんの曲、同じ曲です。参考までに、
よい悪いではなくて日本人が向こうのものを歌っていて、一つの形としてこうなったという例です。(「ジョージア」「スタンドハイミー」)。
それぞれよいところも悪いところもあるし、その人によっては、これが好きだというものがあったり、あまりよくないと思うものもあったりします。けれど、もう一回、聞きたいと思うかというのは、そんなに違わないわけです。
だからその上のレベルのところで判断して、分析してみればよいと思います。先ほど言ったような要素を、10個くらいつかみ、オリジナルの歌い手がどのくらいもっていて、カバーしている歌い手がどのくらいもっているのか、比べるのです。
また、日本人の歌い手がどのくらいもっているのかをです。
作品になって売られている限り、どこかでプロの領域のものに仕上げているのです。リズムだったらリズム、音感だったら音感、そのズラし方ならズラし方、音色だったら音色、それらがトータルして一つにとれていないと、バランスを欠いてしまうわけです。
そうすると、何回も聞きたいとならなくなるわけです。飽きてきます。
別に分析して聞かなくても、すぐわかるわけです。
一人の歌い手のなかでも、曲によってよしあしは、はっきりとあります。
日本人ヴォーカルの場合は、曲による完成度の差が大きいです。歌っている人でも、曲がよほどあっていなければいけないというよりも、だいたい一曲、まともなのがあればよいわけです。
向こうの人たちは全曲だいたいコンスタントにそのレベルをクリアして歌っています
自分で表現を動かせるからです。
かなりの数から選んでいますが、そのくらいは聞いてください。
あなたにも何千曲のデータベースが必要です。
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課題曲レッスン 「愛は君のよう」
「でも なぜか」
ことばから入ります。特に初心者の人は「ターラ ラララー」となってしまうので、それを1回同じところで捉えてから展開してください。「でーもー なぜかー」ではなくて、「でも なぜか」ここまではできるはずです。ただ、ことばでいってもばらばらになっていきます。それを自分の中の一番できるキィでよいから表現にしてみる。
ここでことばをいうのではなく、まず声にしてその声が音声上「でも なぜか」ととれているように考えてみてください。ひびきとかポジションとかを考えなくてよいです。ただ音程だけをなぞったように感じさせないこと。それから構成ということでいうと、ことばからいっても「つづかない」といって、それに対して「でも」というのが入るわけです。そうしたら当然展開は変わってくるわけです。
リズムも音の流れも、そこで大きく変わっています。そうすると「でも」「なぜか」ということばは、とても大切です。そこがいえてないと、次が全部死んでしまうわけです。
音楽には大切なポイントとなる音があり、ちょうどここです。これが決まらない限り1曲もたないのです。単に「でも なぜか」をそのままで、ことばでいってみて、音楽的なイメージでとる。いつもよりは難しいです。音楽的なイメージをそこのチェンジのところで展開する。
声はきちんとにぎっているけれどイメージとしては、音の感覚「でも なぜか」が入っていることです。ここでも大きさはだせるわけです。
「でも」
まず「でも」を一つにとること。これは大切です。それから歌になって「ターラ」とついたときに、「でーも」を自分できちんととっておくこと。ここまではトレーニングのベース上です。これが歌になったときというのは、今度は「で」と「も」を「でーもー」だとトレーニングがでているだけです。
いろんな「でも」があります。それを変えていくことから音の世界に入るわけです。その音の世界は自分も知っていないといけない。相手に伝えるのですから、表現しないといけない。イメージしないといけない、「でぇー」とふみこんだら当然はなれていきます。そういった動きをつくってやることです。
その結びつきができたら今度は伝えたいことを盛り込み、そこからより音楽的に効果を高めていくのです。もちろん、そこからことばに戻していく場合もあります。いろんなだし方があって、そこには誰がやっても同じ答えはないわけです。自分の感情、気性みたいなものと、自分の音楽的な感性と、ことばをどうミックスさせて捉えるかです。
最初は、かなり重い歌い方に聞こえるかもしれませんが、声を必ず握って、バランスを整えていく。まず握っていくことと、フレーズの前にできるだけ、そこを、きちっと入れていくということです。
日本人でそこまで入れる人はあまりいないのですが、ぬいて歌っている人の方が少ないです。歌のはしばしにそれがあって、その上で展開するということです。日本でもちょっと昔の人たちは、半分ぐらいできているのです。だからそれ以上のことをやろうと思ってください。
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課題曲レッスン「24000回のキッス」「ロマンティカ」「死ぬほど愛して」「イルモンド 360709
入①
このような曲の場合、特に発声上、よい声が必要なわけではありません。思い切り前へ出していけばよいのです。リズムのある曲なので、声がにごっていようが、のどにひっかかっていようが、息を送っていればよいです。
発声っぽい声でやると、声が後ろに引っ込んでしまいますので注意しましょう。なるべく体で一つに捉えておいて、前に出していくことです。少しでも深いところで捉えておきましょう。そうしておかないと、フレーズを動かすことができなくなります。
感覚がわからなければ、歌う前に何回も息を吐いておいて、声に出せばよいです。そのとき、口のなかで操作をせず、しぜんに声を送り出すようにしましょう。
.「ア-マ-ミ- ティボーリョ ベーネ」
(ドーシ(ナチュラル)ーシー レードーラー ソ#ーミ)
リズム感、音感も大切ですが、今は「ハイ」ととったところで、それを呼吸で動かすことです。それが、声を動かすということです。「ダァー」のなかに「アマミ」とおいていく感覚でやってください。
「アマミ」の「ア」でなぜ「ア<」とやるのか。それは、その部分にリズムが入っているからです。
ポップスの場合、声量、ヴォリューム感はあとでいくらでも落とすことができます。
しかし、海外だと、今皆さんが一番、大きく声を出したものが普通、平均ぐらいの音量となります。
そこからでないと、1オクターブは動かすことはできません。
現に、今1、2音も動かすことができていません。声が動いているかどうかは、このレッスンのなかでパッと聞こえてくるかどうかです。まず、声が届くことが大切です。
.「コンベンティ クワトロミラ バーチ」
(ミー ミーシ レー)
ロックですが、ルンバのリズムをとっています。まず、リズムを口先で打たないことです。口先で打つと、体が使えないので、体が動かなくなります。深いところで一つ捉えておくことです。リズムに泳がされないようにしましょう。
アクセントとしては「クワトロ」の「クワ」、「バーチ」の「バー」です。口先で打つのではなく、この部分を深く体に入れる感覚で捉えてください。
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「イルモンド」
イメージをつくりましょう。
.「つきのひかりもたいようも まえとかわりはしないのに なぜかわたしをつめたくてらす」
(レ♭ー レ♭ミ♭ファミ♭ーレ♭ドーシ♭レ♭ レ♭ミ♭ファミ♭ーレ♭ドーシ♭レ♭ レ♭ミ♭ファミ♭ーレ♭ドーシ♭シ♭ーラ♭)
「こいのよろこびも こいのしあわせも こいのくるしさも こいのむなしさも すべてはかなたにきえてゆく イルモンド」
(ファーソ♭ラ♭ーソ♭ーファ ファーソ♭ラ♭ーソ♭ソ♭ファ ソ♭ーラ♭シ♭ーラ♭ーソ♭ ソーラ♭シ♭シ♭ラ♭ラ♭ソ♭ ソ♭ーラ♭シ♭シ♭ーラ♭ソ♭ラ♭ーシ♭ド ラ♭ーファーラ♭)
この曲は、2オクターブの曲です。ポジションを動かさずもっていっています。
「つきのひかりも」から「つめたくてらす」までは、ことばでもっていき、次の「こいのよろこびも」から音楽が入ってきます。この感覚を、できなくてもよいから、体にイメージとして宿して欲しいのです。
あの音質のまま、なぜ2オクターブもっていけるのか、体の強さ、すごさをわかってください。
イメージも、体が強くなってこないと定まってきません。まず、一ヶ所でも一音でもよいから、実感することです。それが土俵にのるということです。
イメージの勉強です。1オクターブの曲よりも、絶対できないような2オクターブの大きな曲をやった方が、そのスケールの差がわかりやすいと思います。
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.「アモーレ アモレ アモーレ アモレミーオ」
(ソ#ド#ー ド#レ#ー レ#ミ(ナチュラル)ー ド#レ#ミレ#ード#)
「ダァー(ド#ー)、ダァー(レ#ー)、ダァー(ミ(ナチュラル)ー)」というフレーズのイメージをまずつくってください。そのなかに、「アモーレ」ということばをおいていく感覚です。
見本は、体があってそれをしぜんに出しているので、皆さんにはその強さがみえないかもしれませんが、皆さんは体をつくっていく段階なのでヴォリューム的にはもっと出していかなければトレーニングになりません。そして、雰囲気で流してしまわずに、必ず何か表現をおいていくようにしてください。
女性の場合、男性より声、体をつかむのに少し時間がかかるかもしれません。しかし、口先でつくったりまとめたりしないでやっていってください。その方が、あとあとのびていくことができます。大きいフレーズを引っ込めてつくってしまうと、あとで伸びていくことができなくなります。
どうすれば作品になるかを常に考えてみてください。口先で歌ったものは、何も伝わりません。聴き手は、歌い手の歌を聞いているようで実は歌い手の息づかい、体の動きを聞いているのです。歌い手は、体を外にみせなければなりません。そういう意味でも、もっと素になることです。
最初、低音で体を使っていこうとするのは難しいと思います。
自分の声の出やすいところに音程を合せて、見本の体をよみこみ、自分の体の呼吸と一致するように何度もやってみてください。
皮膚と肉が離れていないことです。離れていると、歌より技術や声が聞こえてしまいます。
一流との違いは、声、声の練り方、声質の違いというよりも、イメージの差だと思います。
イメージングの力で歌のよし悪しも左右されます。それを養い、音声のなかで喚起させるような世界をつくっていくことです。
ー
「24000回のキッス」 ③④
.「ア-マ-ミ- ティボーリョ ベーネ」
(ドーシ(ナチュラル)ーシー レードーラー ソ#ーミ)
声は、にごってしまってもよいですが、どこかで一つ流れをつけることです。操作をしているのがわかってしまってはいけません。引かずにとにかく前へ出していくことです。
.「コンベンティ クワトロミラ バーチ」
(ミー ミーシ レー)
このフレーズにリズムをつけようという意識はもたずに、一気に言い切ってしまうことです。そして、インテンポのなかで1秒を1秒で出すのか、10秒おいていけるのかで表現の豊かさが変わってきます。聞いた通りに出してみてください。展開はあまり問わず、リズムにのり遅れたり、言い損ねなければよいと思ってやってください。
思い切り前へ出して言い切ってください。このパワーを2分、出し切れば、皆さん感動するのではないかと思います。とても体力のいるところです。
.「テーYeah Yeahーコンベンティ クワトロミラ バーチ」
(ミーファー ソーソファレド ミーミーミー ミーシ レー)
日本人は特に「Oh」、「Yeah」などのかけ声を歌にのせるのが苦手です。イメージで体の直観でパッと入り、パッと聞いて入れるという感覚をつかんでください。リズム感のよい人はどうにかうまくごまかし、きちんと声を出そうとした人はリズムをとりきれなかったという、実にわかりやすい例が出ました。
ー
.「ノン つきのひかりもたいようも まえとかわりはしないのに なぜかわたしをつめたくてらす」(レ♭ー レ♭ミ♭ファミ♭ーレ♭ドーシ♭レ♭ レ♭ミ♭ファミ♭ーレ♭ドーシ♭レ♭ レ♭ミ♭ファミ♭ーレ♭ドーシ♭シ♭ーラ♭)
声のポジションをあまり考えず、上にひびいてきたらその動きに身をまかせます。「なぜかわたしを~」の部分は、低音部の盛り上げ方の見本です。
メロディを細かくとろうとせずに、ことばレベルで考えてみてください。メロディが聞こえすぎています。最初から歌ってしまうと、その先が盛り上がりません。
この部分でやりたいことは、いつも「ハイ」と捉えているところと一緒です。
「ノン」と言えたところでもっていきます。きちんと、ことばで言っていけるところです。語りの部分なので、まだ歌わないようにします。
.「こいのよろこびも こいのしあわせも こいのくるしさも こいのむなしさも すべてはかなたにきえてゆく イルモンド」
(ファソ♭ラ♭ーソ♭ーファ ファーソ♭ラ♭ーソ♭ーファ ソ♭ーラ♭シ♭ーラ♭ーソ♭ー ソ♭ーラ♭シ♭ーラ♭ーソ♭ ソ♭ソ♭ラ♭シ♭シ♭ーラ♭ソ♭ラ♭ーシ♭ド ラ♭ーファーラ♭)
ここから、前のことばの処理とは変わり、音楽的にもっていく中間音の部分です。個人のオリジナルが出るところです。上行の盛り上げ方を学んでください。流れをうまくつかめれば、イメージもうまく出てくると思います。
前のところとは区別をつけなければいけません。だから、「てらす<こいの~」と入らないことです。一旦、落ち着いて、あらためて入りなおしてください。体を元に戻して余裕をもたしましょう。
「こいのよろこびも」、「こいのしあわせも」と「こいのくるしさも」、「こいのむなしさも」は区別して別の音色を出せないとなりません。
盛り上げていくためには、「よろこび、しあわせ」の二つは、もっと落ち着いて、「くるしさ、むなしさ」で急に音色を変えて上昇することです。
最初から出してしまうと、最後までもちません。急にクレッシェンドする、急にデクレッシェンドする、急にピークにもっていく技術があれば、もう少しメリハリがつけられると思います。
「すべてはかなたに~」は、のっかっていくところです。ここでのれないと失敗です。
「イルモンド」へピークにもっていけないということになります。
高音で声が出る出ないの問題ではなく、その前の「くるしさ、むなしさ」の部分のもっていき方の問題です。ピークの点に向かっていく、いき方を学んでください。
ー
.「トゥ セイ ラムージカ ケイスピーラ ラーニマ」
(レー レー レーミレ レー レーミレ)
途切れ途切れに歌っているようにみえて、一つひとつ握って離さない歌い方で、イタリアらしいところです。
「ラムージカ」の「ムー」、「ラーニマ」の「ラー」は絶対、浮かさず握ることです。体をしっかり使っていきます。弱い部分の前には必ず強く入れているところがあるのです。
その部分は絶対にはずさないようにしてください。このフレーズで、どの部分が耳に残るのか考えてみてください。
「ラムージカ」の「カ」、「ラーニマ」の「マ」のビブラートは必要ありません。
.「ペルケ ロマンティカ トゥ セイ」
(レーレ レレーミーレ ミー ファー)
ビルラと比べてしまうと、まだまだ技術的に何もみえないでしょうが、はずしてはいけないところはきちんと捉えています。音程が揺れてしまっても、きちんと体で戻す力はありますし、日本人にはここまで体が強い人はなかなかいません。
前に出す、伝えようとするところを学んでください。このような感覚を身につけるトレーニングをすると、体ができてきます。歌い方としては優れているわけではありませんが、一つの流れがあります。
考えて欲しいのは、外国人のどは、これらの課題曲よりも、もっとすごいオペラなどを毎日、何時間も聞いて、それに合せて歌っているということです。そういうところから考えて、イメージの大きさ、フレーズの大きさが違うのです。
今日かけた時間は、たかだか3、40分でしかありません。まだまだ学べるところがあるはずです。
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.「アモーレスクーザミ あなたに そむいた わたしを ゆるすと ただ ひとこと いってほしい」
(シドレレーードド シーラソ ソラーシ シシララ ソーファミ ミファ ソソファファ ラーードシド)
細かい一つひとつの音程を気にせずに、一つの形を捉えて大きな流れをとっていくことです。自分でいくら頭で考えても音はとれません。
仮に2年間で音楽をものにしようと思ったら、一カ月で聞き取れなければいけない条件です。今回のフレーズは、10回以上聞かせました。外国人のヴォーカリストなら、1、2回で確実にとってきます。
楽譜が読める、読めないの問題ではありません。聞いたときに、自分のフレーズにして自分の中でつかんでいるかどうかの問題です。
音の流れの全体を聞くことです。細かい音がとれていなくても、コード感が体にあれば、不協な音は出てこないはずです。不協な音が出たら、自分のなかでおかしいと気づかなければなりません。気持ち悪いと思わないことがおかしいことなのです。
曲がかかったとき、実際、声に出して歌ってみることです。そして、音の流れ、音のテンポ感を感じてください。
.「あなたの そのむねに ほんとのことを」
(ミファソド レファレーー シドレシラソミ)
「あなたの」の「の」、「ほんとの」の「の」は、止まらないといけません。止める音、離す音をつかみ出していくことです。
一つの流れ、時間の感覚の違いを把握して、見本から学ぶことです。音、リズム、ことばの感覚を一致させるようにしてください。ことばにもリズムがあります。そういう感覚が体に入っていないと、同時にバランスよく出すことができません。
また、ことばをきちんと表現しようとしたり、リズムとずれてしまいますが、そのときにバックの音楽、リズム(スローロック)のイメージがあれば、入る場所が狂ってくることはないはずです。
このような曲は、音の感覚よりもリズムの感覚が命とりになります。歌おうとするまえに、体に感覚を入れてそれから出していくということは大前提です。ずさんに歌い出さないように、自分の呼吸に合せて出していくようにしてください。
ーー
課題曲レッスン「去りゆく今」入 360810
(ミミーファ#ソ# ソ#ファ#ーソ#ラ ラーミーファーソ#ファ#ソ#)
はじめに、「アデッソ」の「ア」を深くとるということです。そして、その「ア」を深くとれたところからポジションを動かさないで、ひきずるように「アデッソシ」までもっていきます。それが、一つに捉えるということです。
それが捉えられたら、今度は自分の呼吸をよみこんでいきます。ことばでいってみて、そこに音をおいていくのです。見本は、やや、ひきずって歌っていますが、それはこの歌特有のひきずり方なので、真似しないでください。
.「センザディーメ」
(ド#ーレ#ミー)
この課題は、少し難しいかもしれませんが、できなくても一致する感覚というものをつかんで欲しいと思います。練り込んだ声が動いてくる時期の感覚です。何ができないのか、何のために声をやらなければならないのか、何が必要なのかということがわかりやすい課題です。
.「サロンコンテ ドビャンドラーイ」
(シラーソ#ーファ# ミファ#ーミー)
強弱アクセントで捉えなければ、「サロン・コン・テ」とカタカナに聞こえてしまいます。また、高低アクセントで捉えると、一つひとつの音程が聞こえてきてしまいます。強弱で捉える感覚にもっていってください。
歌には、押さえなければいけないポイントの箇所があります。その部分は、体を使い強アクセントにします。「サロンコンテ」の「サ」がその部分です。
それだけ押さえたら「サロンコンテ」は「サー」だけの音声イメージで捉えるような感じで、むしろあとはいい加減に投げ出す感覚です。それがわかったら、次は「サ」と「テ」に体と息を流します。「テ」に体を入れて、「ドビャン…」につなげます。
「ドビャンドラーイ」は、「ド・ビ・ヤン・ド・ラーイ」にならないことです。「ド・ビャン・ドラ-イ」の3つを一つに捉えてください。
大切なことは、語尾を伸ばせることや高音が出せることではなく、押さえるべきところで深く入れることができるか、それをコントロールできるかということです。肝心なところが押さえられていないと、歌にしまりがなくなって、狂ってきます。
どこで、コントロールされているのか、よく聞いて学んでください。
息を吐くだけで声にするには、ポジションをなるべく深くとっていくことが大切です。自分の一番やりやすい音域、声の出やすいところで何度もトレーニングしてみてください。
それが野球でいうところの素振りにあたる型なのです。
その「素振り」を繰り返しやっていれば、次のことはおのずとのってくるものです。
.「イルミオペンスイエーロ キセックィラー」
(ミーソ#ーラーシー シード#)
すべてをとろうとすると、結局は何もとれなくなるということを覚えておいてください。ポイントの音だけを押さえて、それを体で強弱に捉えるだけです。そのときのコード感を感じていれば、見本と音が違っていても、おかしなそれ方はしないはずです。
「スィエーロ」の「スィ」、「キセックィラー」の「ラ」にアクセントがきます。日本語歌詞だと「こころだけは」の「だ」、「いつまでも」の「で」です。一つのフレーズを大きくとっていく捉え方を学んでください。
1年たったときに、1音でも2音でもよいから、確実にそれを練習の土台にのせることです。このプロセスだけを、ふんでいくと思ってもらってもよいです。見本の一曲ではなく、たった1フレーズが同じ土俵でできればよいです。それだけでも大変なことです。
2年たって、「つめたい」とシャウトできれば、それで上達したということです。たったそれだけのことと思うかもしれませんが、今、たったそれだけのことができるのは、一割程度の人です。それは、取り組み方のこだわりの強さの差です。どれだけたった一音にこだわれるのか。その差があらわれてしまうのです。
高音よりも、歌い出しの低音のコントロール、その密度、ポジショニング、感覚の差を身につけていってください。今は、体をつくることが目的です。体の出し惜しみをせず、きちんと使って出していってください。そして、そのなかにリズム、音感を入れていくのです。
どうしても、日本人の場合、外国語をカタカナに置き換えてしまったり、音をとりにいってしまいます。見本が、どういうふうに音をよみこんでいるのか、音程、リズムではなく、どういう体の状態になっているのかをよみこみ、音の世界で感じていくようにしてください。
自分の体の状態が同じ状態になっていないと、よみこむことは難しいと思いますが、もしわからなければ、一音でも二音でも、とにかく声をにぎるトレーニングをしてください。一つの音がつかめたら、それを線にもっていけばよいのです。
自分からよいフレーズを出すには、体のなかにたくさんの音楽が蓄積されていないと難しいです。いろいろな一流の見本を体のなかに入れていくということをしていってください。聴き込んでいれば、そのフレーズがおのずと出てくるものです。
ーー
課題曲レッスン「君を歌う」③④
.「あー くるしい さみしい あなたへの うたに」
(シー ソ#ド#シシ ソ#ド#シシ ソ#ド#シシソ# シド#レ#)
出だしの「あー」で深くポジションをとれないと、浅いまま次へいくことになりますので、注意しましょう。「あー」の部分は、イタリア語だと「キッサー」になりますが、「キッサー」の「サ」でつかみます。間伸びしたり、「キッ・サ」のように分かれてしまわないようにしてください。ためていく感覚です。
この長さ、テンポでここまで大きくやろうとすると、ここまでの構成を組み立て、なおかつ頭に入っていないと、とても難しいものですが、トレーニングには向いています。展開とキープのトレーニングです。
しかし、キープするには、相当の体力が必要ですので、長さをつめてもよいでしょう。あくまでもトレーニングですので、「あーくるしい」のフレーズをもとに、より大きくしていく練習をしてみてください。
このあたりの音域で、声の芯をつかみキープしていくのは難しいですが、低音域と同じ問題だと考えてください。
「ハイ ララ」と同じで、余計な音がつくと体が動かなくなり、のどがつまってきます。
高音も同じで、何かのきっかけで1本、2本通る線がでてきます。その線を自分でわかり、その線をキープして、それ以外の線ははずしてあげることです。すべての線をとろうとしたら、いくら体があっても足りません。その上で、線を伸ばしていくのです。
.「ひとこと こたえておくれ あなたはいない いまはももう(ティボリョベーネ)」
(ラ#ド#シシ シーシラ#ソ#ラ#シ シーラーソファ#ファ# ミファ#ソドファ# ミーファ#ソードーファ#)
「あなたはいない」で、押さえられてしまうので、その前のところまでにフレーズをつくっておきましょう。「おくれ」の「れ」は、伸ばしても切ってもどちらでもよいですが、そこまでで勝負はつけておくということです。
「いまはもう」の安定のよしあしで、うまくいったどうかが分かれてしまいます。とても大切なところです。「もう」の「も」、「ベーネ」の「ベ」が、落ち着いて入っているかどうかです。ここで形を整えられないと終わりです。
フレーズをとろうとすると声がそろってしまいますし、音声、ことば、意味を音声に置き換えていくことがおろそかになってしまいます。バランスよく両方とっていくのは難しいですが、トレーニングしてみてください。
ーー
課題曲レッスン
.「きんぎょ きんぎょ きんぎょ
めだか めだか
たけや さおだけ ものほしざおの さおだけ」
物売りの声に注目したいと思います。他にも、がまの油売り、バナナの叩き売りなどいろいろあります。皆さんも、町の声に耳を傾けてみてください。
ー
「瞳はるかに」
.「しっているさ ひとつのあいは」
(ドーレーミー ドーレミー)
「いつまでも つづかないと」
(ドレミソファ ミミレドレ)
「でも なぜか あるひとつぜん」
(ミファ ソソソ ミミファソソソ)
まず、歌の方向性を「しっているさ」で定めてください。フレーズとしては「~つづかないと」までが最低1フレーズです。「でもなぜか」は違う入り方でよいでしょう。自分なりに展開さてください。計算がみえると、どんどんバラバラになってしまいます。イメージをもち、それにのせていくことです。フレーズがうまくとれたが、声がのらなかったというのは、よいでしょう。逆は困ります。フレーズ、音の流れで聴かせてください。
ことばでいうときに、自分はどこにピークをつくるのか考えてください。長くしたり短くしたり、テンポを変えることは構いません。
呼吸の配分も考えてください。自分の「体の呼吸」に合せると、伸ばしたら次でおとすなどといったメリハリが、しぜんにつくのです。
フレーズを大きくとりましょう。息が足りなければ「でも~」のまえで息つぎして、次で体を入れていきます。そうしないと、体が動いていきません。息が踏み込みをつくります。
「しっているさ」の「し」が体、線からそれてしまいがちです。
「つづかないと」と「でも」の間にフレーズをつくり「~しないと<でも」にもっていきたいところです。
「でも なぜか」の「なぜか」がいえていません。握って離さずに踏み込むことです。「なーぜーかー」とならないようにしましょう。中途半端な形で声を出していると体も使えないし、のどもしまってしまいます。体力がいるのはあたりまえです。間違ってもよいから、こわがらずに思い切りやってください。のどが開いていれば、多少のどにきてもよいでしょう。
ー
「失われた愛を求めて」
.「ふたりの あいの」
(ソラシド ドレド)
「ふた<りの>あ<いの」とふくらませるとやりやすいでしょう。音をフレーズで動かしてください。音自体を動かさずに、音をゆらして次の音へといきます。ビブラートでゆれが大きくなり、そのゆらぎのなかでずらしていくのです。ビリーホリデイやピアフの感覚です。
「ふたり」を「あなた」に変えてみます。「ふたり」の方が展開はしやすいと思いますが、「あなた」の方が体には、入りやすいでしょう。
「あいの」の「あ」できちんと入れましょう。「ふたりの<あいの」と展開は欲しいのですが、「のあー」とならないように、「の」と「あ」はいいかえてください。
今の時期は、まとめようとせずに、なるべく大きくつくってください。トレーニングとして、体、息と結びつけることが大切です。失敗を恐れないでください。トレーニングで出している以上のものが、本番では出るはずはないのです。体を極限まで使っているようにはみえないと、入りきれていないという悪い余裕を感じます。今は、器を大きくするためにも、どのくらいに練って体が使えるのかが大切です。
.「ゆめは すでに」
(シドシ ラシラ)
前の「ふたりの あいの」で入れているので、ここは少し歌の線からはそらします。押したら引くということです。「ゆめは すでに」で息を余らせないことです。「ふたりの あいの」で聞かせられなければ、言い切れなければそのあとはないものと思ってください。
フレーズをつけるとき、同じ頭打ちをしないように変化させてください。同じところで入れると退屈します。
「あいの」と「ゆめに」が乱暴です。イメージを先に宿らせないと、それ以上はうたえません。何度もやってみることです。息が足りないのではなく、「ゆめは すでに」が、単にはしょるように聞こえます。本人が入れようとしなければ、魂はことばに宿りません。その訓練が足りないように思います。役者だったら失格です。
感情が出ている歌い方、いい方だったら、ことばがきちんと入っていたら大きく聞こえます。声が小さくても、完全にコントロールできていればよいのです。
1音でも2音でも、本物と同じ土俵にたてたら、自分の体でできれば先に進めるのです。変に長いフレーズをやるより、短いフレーズを徹底的にやり、こだわれば力がつきます。もう一度、初心に戻り、追求してみてください。