一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

鑑賞レポート   286

 

 

鑑實レポート

 

 

「ビリーホリデイ」

 

ビリー・ホリデイ」という名前は、もちろんよく聞いていたし、確かCDだって持っていたハズだったのに(と言うことは、彼女の歌を聴いたのだって一度や二度ではないと思う)、こうして改めてその一生、歌を振り返ってみると、何とも言えない気持ちになった。彼女の生き方については、色々と本も出ているが、彼女の歌を今まできちんと聴いていなかったため、その歌の魅力を“自分”で良くわかっていなかった様に思う。こうして、彼女が歌う声、姿を見て、聴いて、やっと彼女のすごさが見えた気がする。

 

映像でみると、彼女は実に自然に歌っているのだけれど、その歌い方は確かに独特で、他の人には真似できないだろうことは、良く分かる。彼女は確かに、自分の中で“鳴って”いる音楽を“歌う”ことが出来る、数少ない人だと思えた。彼女の歌には気負いがなく、なのに切々としていて、チャーミングで、全くどうしてこういう人間がいるのだろうと思うほど、音楽に“近い”人だと思った。(そういう人を「天才」とひとくくりに言うのも何かと思うが…)

 

ビリーのを見て、歌は口先で言葉を言うのではなく、自分の心(感情)を口を使って表現するものだと強く感じた。歌自体にその人の人生を感じるという事は、今まで聴いた曲の中では、あまりなかったが、このビリーという人の歌にはそれがとても強くあったと思う。それとこの人の歌声はとても声にのびがあり、とても力強さを感じた。表現するものがある人の歌声は、とても魅力的なもので、人をひきつける何かがあるんだなぁと思った。

 

「奇妙な果実」なんていう曲だ。表現なんて生やさしいものではない。あの声が耳にこびりつき、胸の奥まで浸食されていくようだ。歌を聞いてここまで気持ちが滅入ったことはない。たった一曲、3分そこそこの曲なのに、まるで映画を見ているようにむごたらしい光景が目に浮かぶ。人種差別もさることながら、この人の人生そのものの凝縮であるようにも思える。たった一曲、されど一曲。とてもとてもいろいろな意味で重い曲である。

 

ビリー・ホリデイについて、今まで辛く苦しい人生であったというイメージが強かったのですが、今回このLDを観て、生き生きとした魅力のある人だったのだなと感じました。CD等で歌だけ聞くだけで、実際に歌っている姿を初めて見たので、その表情に簡明を受けました。LDの中で、「彼女が歌うと本当のことのようだった」という話がありましたが、数奇な人生経験を通じて、色々な感情を体験して、どんな歌でも、その心情が自分の中で実感できたのだろうなと思いました。

 

どうすれば自分もビリー・ホリデイのように、声にすべてが表れるようになるのだろうかと、考えてみましたが、一朝一夕にできることではないので、年をとるまで続けて、いつかそうなりたいと思います。

 

ビリー・ホリデイについては、本当に名前しか知らなかった。現役のソウルシンガーと呼ばれる人達のほぼ全員が、影響を受けたミュージシャンの一人としてビリー・ホリデイの名前を挙げているので、きっと彼女もそんなシンガーなのだろう、くらいにしか思っていなかったが、そのへんから私の認識は間違っていたことになる。初めてビリーの歌う姿を見、そして彼女をとりまいていた人々の話を聞いて、言いようのないショックを受けた。

 

彼女の歌は、単なるメロディを超えている。「歌」がこんなにも歌う人自身を表わしているのを見るのは本当に久しぶりだと思った。彼女がそこにいるだけで、特別な空気が流れ、観る者を巻き込み、圧倒してしまう。彼女が歌えば、聴衆はそこに彼女の人生を見ることができ、自分自身の人生に入り込んでくる。こういう人を究極のアーティストって言うんだろうな。いい曲ってのは、本当にジャンルを問わずに人を感動させられるということを改めて感じた。

 

最初は戸惑いました。今も、まだ少し戸惑っています。ビリー・ホリデイは、「天才」と呼ベるレベルの人だと思いました。私は…天才ではありません。しかし、ビリーの様に人を楽しませ、泣かせ、感動させられる…そんなレベル迄、自分を持って行きたい。

 

 

 

ルイ・アームストロング

 

一流のアーティストは時代を引きづりまわす程のパワーがなくてはならない。様々な差別や困難にも負けず、ある意味での革命家でなくてはならない、と非常に身にしみる教訓を掲げてくれた。

彼が七月四日生まれだったら、アメリカの独立記念と同じでもっと伝統的なアーティストとして紹介されたのに、そして私も同じ七月四日生まれなので少しだけ近づけたようで嬉しかったのに。と、くだらないことにこだわってしまう私である。

 

不遇な環境を乗り越えて、それを笑い飛ばして、豪快に乗り切っていくような、すごいパワーを感じた。しかし、いつもの笑顔の裹には、心の痛みや悩みがあるのではないかと思う。それに勝つのが偉大な芸術家なのではないかと思った。

人種差別は外から見てると、どうしてもおかしいものだと思うが、中に入ってしまうと、それがあたり前だと思ってしまうのかもしれない。物事を客観的に見るには、あまり近くから見てはわからないのかも知れない。

 

自分も、もっと精神的なパワーをつけて、あらゆる困難を打破するべきだと思う。こういうものを観た後は、自分にもやる気がわいてくるのだが、時間がたつと、どうしても薄れてしまう。なんとなかしなければならない。

ふと、思ったのだが、この人はトランペットをいつも吹いていたから、それが息を吐く練習になって歌がうまかったのだろうか?

 

 

 

「三大テノールの競演」

 

うーん、声が出ない位、素晴らしかった。時が過ぎるのを忘れるとはこういうことを言うのか。本編も見たい。

 

とてもすばらしかった。そして、あんなに素晴らしい声が出るものなのだとほれぼれしてしまった。また、先生がいつも言ってらっしゃるどの声も同じポジションから自由自在に出ていた。

 

ドミンゴ、パバロッティ、カレーラス、三人共それぞれの歌い方があって興味深かった。体の強さ、しんの強さの共通点は分かった。少しずつ声の聞き分けができるようになってきた気がする。

 

一流の声楽家が三人で歌うと圧巻だった。小さい声で歌っても弱いと感じさせず、息が入っているな、と感じさせた。

 

三大テノールは声が深く、完璧に声をコントロールしていた。やはり声は体でコントロールするものだと思い知らされた。

 

すごいの一言です。以前にもパバロッティ、ドミンゴカレーラスをTVで観たことがあります。声も迫力があるし、表情も明るくて、まだ自分じゃあ何かわからないけれど、何か伝わってきました。

 

 

それにつけても、本番前に待っている四人の緊張した様子を見ていると、私も昔、モーツァルトサロンで出番を待っていた自分を思い出して懐かしくなってしまった。もう何年もコンサー卜やっていない。

 

とても勉強になりました。自分も、まだ息をはき続ける段階ですが、がんばってこれからも取り組みたいと思っています。

 

声を出しても苦しそうでないのがすごいと思った。ポピュラーでもクラシックでも批評家っていうのはうるさいみたいだ。

 

パバロッティがコンサートの前にサッカーの試合に釘付けになっていたのを見て、イタリアのサッカー文化の浸透を見せうけられた。オペラもサッカーも世界共通の文化なのだ。日本もこういうようになればいいと思った。

 

 

 

「森進一」

 

「おふくろさん」が好きだが、シンプルで強力な歌だと思う。特徴として、ひとつのフレーズの最後ののばすところが、自然とオクターブ上がっているように(ファルセットのように)きこえるのはすごい。まるで倍音のような効果がある。どうやって出すのだろうか。

 

やはり歌手は並の人生を生きていてはなれない職業なのかもしれない。ドロドロの人生を生きた方がいいらしい。