一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

「BV座“8月7日に生まれて”…おくれ! せめて等身大に」  341

「BV座“8月7日に生まれて”…おくれ! せめて等身大に」  341

 

年に一回のライブをするなら、大会場を借りることもできる。一流のプロのバンドをよんで、それをバックに歌うことはできる。客も五百人以上は入る。

そんなことは、どこのスクールや歌謡教室でもやっている。

こんなことは、簡単にできるから、やらない。

所詮、自分でつくり出さずして、のっかってやることは、およそ、ロック・アーティストの精神からはずれることだ。

自分で百人の客さえ集められずに業界の流れに乗ろうなんて人は、この際、どっかに飛んでもらおう。

 

BV座も、少し早すぎる気はしている。

真実なものは、完璧であってこそ、世の中を変えることができる。

今のような未完成な状態では、生じ器用な人間の成功するこの世の中に認められまい。

 

でも、一部の人は気づいているだろう。

自分のなかに本当の価値が生じているのを。

それをそのまま、ぶつけてみる。

それを続けることのできる場を与えたい。

完成しないものを、それに近づけていくために。

 

 

長く、一人の人をみていると、あるとき、必ず、急に歌がうまくなる。

表現に目ざめたり演技を覚えたとき、自分をそこで感じられるようになったときである。

それは、安心してみられるようになったときであり、

ステージも何曲でももつようになったときである。

 

しかし、そのときに声は体を離れたがる。

それは、同時に、その人の可能性が閉ざされかねない危険な状態であり、

それがあやしいほど魅力を放つのだから困る。

そのときには、すでに体から身についた技術、基本が習得できていなければ、

それは一時しのぎの、皆に受けがよく、本人も気持ちのよい、一皮むけた、いっときのユ—トピア、夢物語になりかねない。

そして、それが、こことのお別れとなることもしばしばだった。

 

本当は、そこから始まる。

恥じらいが生まれ、厚い衣装で身を隠す、

そんなに早く、ませなければいけないのか、この人生は、

とはよく思ったものだ。

 

BV座は、結局、二年では、ここまでだ、

それでも早熟なほうだ、という思いで、

さらに二年は、実践から学んでもらうために設けた。

そこでは、人に出会い、人に働きかけ、人に学べということかもしれない。

客をつくれといった、自分の客を。

自分とともに、歌を評価できる力をつけていく客を。

これから生まれてくる歌に、新しい時代をつくるあなたに、

先行投資してくれる、感性の鋭い(あるいは、鈍い?)客を。

 

四十代、五十代のもうろくじいさんディレクターに、

歌を聞いてもらって喜んでいる人は、そのまま一緒に養老院にいけばよい。

自分で稼げないから、人のつくった会社に寄生する、

あこぎな社畜サラリーマンのような根性は、

ことアートにおいては捨てることだ。

そのために、歌をやっている。

その卑しき偉ぶった精神をここに持ち込むな。

 

先陣を切ってやれ。

冒険と孤独を恐れるな。

勇気をもって、自分をつくれ。

 

(ここで、サラリーマン一般を批判しているのではない。

むしろ仕事を一所懸命やるサラリーマンの方が、優秀かつ社会に貢献しており、昨今の業界のカタカナ職やヴォーカルに対し、人材難とその根性のなさに嘆いている)

優秀でなく、かつ社会に貢献なんて考えないから、ヴォーカルをやるわけだ、

なら、そのコンプレックスをパワーに変える、

モティベートを最大にまで高め続けなくては,どうにもならんやろ。

 

ホント、ヴォーカルを貴賤の貴から始めた人は、

そのまま、格好つけているのでなく、どん底まで落ちていって欲しいものだ。

人間、卑しいものだ。

卑しいからこそ、そこで何かをやろうとする行為は純粋であり、人の心を打つ。

 

等身大の自分からスター卜せよ、

いや、自分の体の大きさほどに、まずは自分をもて。

 

今のここの等身大は、誰も知らぬ代々木の一軒家であり、

目一杯、背伸びして、ライブハウスステップウェイでお釣りがくる。

 

でも、何かが生まれようとしている息吹きに、ちょっと背中を叩いてあげる気になった。

これは、信頼して、ではない。

その息吹きに皆が気づかず、あるいは、逃してしまうことを心配してのことだ。

 

君たちの何世代かあとの人がやることがあったかもしれないことを

君たち自身にやって欲しいなどと、僕も少し年をとったものだ。

君らは少し、大人になれたか—?

 

人間が人間に対するに、これだけの空間があれば、充分だ。

五分の時間があれば、充分だ。

この空間を広いと感じ、その時間を長いと感じられない人に、

それ以上のものは、与えられまい。

(誰かに、心は与えられても、自分では得られないうことだ)

 

ここは、君たちに正直でありたい。

(ヴォーカリストを甘やかした業界が、音楽を育てる一方で、歌を殺した。

そこで生かされているヴォーカリストって、いったい何なのだろう)。

 

最初は、いつも、なにもなかった。

小屋も歌も、楽器も人も。

すべては、そこから始まった。

 

元より、しぜんの音のなかに人がいて、

人が人に何かを伝えるところから始まった。

 

さあ、始めよう。

卑しい人間どものうごめく卑しいステージを。

 

人間を感じられなくなるほど立派になるな。

等身大でよい。力も技術もなくても、情熱があればそれでよい。

それが、歌じゃないか。

 

若いということは、そこから始まる、

ゼロから始められる、ということだ。

 

僕は、君らの化粧した大人びた顔はみたくない。

完成など期待していない。

 

君自身が大きくなる兆し、予感が、

少しでもあれば、手がしびれるほどの拍手を、心からおくりたい。

人間ひとり、重いものだよ、

その等身大の重さを感じさせておくれ。

 

第一幕は、八月七日。

 

 

 

 

 

「原石であれ! 真実たれ!」 

 

 

原石であれ

 

ここでの評価制度をよく聞かれる。

日本の音楽界に苦言しか言わぬ私の運営する場だから、やむをえない。

そんなときに、私はあなたがたに理解できるなら、日本のヴォーカルは世界に出てますよと言っている。

 

というのも、修業中の半人前のヴォーカルは、彼らが聞いて決して歌はうまいとは評価されないだろうからだ。

しかし、ヴォーカルとして半人前だから、一人前になろうという修業をしているということが大切なのだ。

世の多くのヴォーカルとやらは、自分が半人前であることを知らず、もう充分に歌えると思い、人前に出たい欲にかられているタレントさんである。

だから、伸びない。

ヴォーカルは自分の満足のいくところまで歌えればよいのであるから、結局、本物,一流との差もわからず、よって伸びもとまる。

慣れていって失敗しないだけで、業界に守られヌクヌクと、ていだらくとなる。

もちろん、例外はどこにでもいるが、、。

 

若いうちなら、誰もがあいつとは、つきあいたくないよ、

自分勝手でわがままで…といえる悪い奴ばかりであって欲しい。

なりふり構わずがんばる時期を大切にして欲しい。

 

そして、やがて、でも、歌だけはすげえーうまいぜ、という評価を得て、

一段高いところから、見返してやればよい。

だから、ヴォーカルなのだ。

 

イミテーション、安いプラスチックの宝石の多い日本で、

ここでのあなた方は、まだ光っていないけど原石である。

ここはそれに気づいてくれればよいという場所である。

 

あ、きみはサファイヤだったんだね、

あなたはルビーだったのか、なんていうのじゃつまらない。

 

あなたはあなたの名の新種、きみはきみの名の珍種であって欲しい。

もちろん、ただの石でなく、宝石としての…。

 

それを発見できる場、評価できる場でありたい。

人間修業…そのままのあなたでいいとは言わない。

あなたもそう思っていないだろう。

だから、ここにいる。

 

あなた様というお客さまから、てめえ、こいつら、どうしよーもないうじ虫どもになって、

そこから、やがて魅力的な人間へとまい進していって欲しい。

本物のヴォーカルの力と魅力と評価は、あとからついてくる。

ここは、死にもの狂いで、自分の夢に賭けるものが集う場でありたい。

 

 

 

真実たれ

 

願わくば、トレーニングのなかでたった一つの真実を見つけて欲しい。

声はどうして出るのか、歌はどうして歌えるのか、

すべての答えにつながるヒントはそこにある。

そして、たった一つの真実を見つけたら、

それが自分自身で取り出せるようにして欲しい。

 

真実はときに気まぐれで努力している者を翻弄する。

魅力的に誘惑しつつも、幻影のように姿を消す。

手がかりさえ残っていない。

途方にくれる。

 

そういう旅を君たちは選び、始めたのだ。

行き先のない旅、出口の見えぬ冒険。

そして、やがてたった一つの真実が自由に呼びよせられるようになったら、

自分の胸に答えを聞いて欲しい。

そのとき、固い胸の扉は、真実の鍵で開くだろう。

 

 

 

 

 

ライブ Cast the Voice

“8/7に生まれて”弟一回BV座

 

切に願う、アーティストたる清たちは、ゼロから何かを生ろみ出すこと、

そこに自らの声を歌をもって創造という最も尊い行為に価値を見いだすことを。

そして、十年、二十年たっても、

あのボロライブを立ちあげたのは、俺たちだったんだと、胸張っていえるように。

八月七日に生まれて…おくれ。

 

このライブは、世界中のどこでも、できるもの、君がいてマイクコードが一本あればできることをずっとやっていこうよ。

ここのレッスンは、いつもライブだけど(しっかりとできてきた人に限るけど)、

それをそのままオープンにしよう。飾りはいらない。

 

Cast the Voice、

Cast the Human、

 

君という人間を、その声を投げかけよ。

 

情熱を忘れるな。たった一つ表現せよ。

それだけで、出場資格に充分だ。

毎日ボールを蹴っている飢えた国の男の子のように!

毎日、カゴを編んでいる貧しい国の女の于のように!

そこに何かの思いがあれば、それでいい。

           

                 

 

 

Q1.以前、必要単位数やクラス分けなどで、ここを学校にするな、といった趣旨でアテンダンスシートに意見を書いたことがあったと思いますが、これを撤回します(最近、日本の政界でハヤっているのに便乗するわけではありませんが)。

考えてみれば、こうした制度がある方が居心地は悪くなり、本当にやる気のある者、意識の高い者しか残れなくなってくるはずで、ちょうど、欧米の大学のような、入学するのは楽だけど、残って学んで出ていくのは大変だ、という空気が生まれ、質の向上につながると思います。

ここは、アーティストの研鑽の場であることを今後も第一義にしていただきたいし、集う我々もそうでありたいと思います。

ケイコとマナブ」に募集広告が載っていたのは、ショックでした。まあ、門戸を広げるのは悪くないですが、誰よりも入塾した本人がとまどってしまうような事態にならないことを祈ります(日本人を本物にめざめさせ、ショックを与えるという意味では、有意義かもしれれないが)。

 

 

回答

カリキュラム、単位数、クラス分けなどが、ない方が、やる気のある人しか残れなくなるのです。

ですから、これは、“お客さん”のためのサービスです。

制度や内容の変更については、今は過渡期であり、常に過渡期かと思います(まだ変更はありますが、ただ、それは表層であり、深底は変わらないことを理解ください。

変更は、会報、掲示板で徹底したく思います。

 

一番の問題は、ここの本質を理解するに到らず、あるいは、自分なりの浅い経験と解釈で、見切ってしまった人が少なからずいるということです。

所詮、ヴォーカルには求めるところまでしか伸びず、また、それで充分(と思う人には)ですので、それに対し、長くいてもらって気づいてもらうしかない(芸はすベて時間を必要とします)、そのための変更です。

一方で、あきらめつつも、もう一方でやはり、長くいて多く出てもらった方が本当に力がつく、日本人の場合、ここでしか世界中でこういうことがやれないのではないかという、私自身の残念ながらの思い上がりになりつつあります。(これは先日、ライブ実習でステージ実習の評価を語るときに触れました。)

 

ケイコとマナブ」は、赤字で、しかもここにふさわしい人は必ずしも来ていない点から、媒体効果は好ましくありません。しかし、全国のどこかから一人、素晴らしい人が来てくれたら、という期待でメッセージを発信しています。

 

このアーティストの集まる埸で、あなたがレッスンで最も恵まれているとしたら、

それは、私でもトレーナーでもマニュアルよりも、場をつくってくれる仲間たちです。

私は、人を区別しません。何でここを知ってくれても、よいのです。

ここは生涯に三人、できたら10年に一人育てば、ノーベル賞ものだと思い、運営しています。

もちろん、ノーベル賞レベルのアーティストということです。

 

ぜったいにヴォーカルになろうとして、多くのスクールにいき、スクールやヴォイストレーニング不信になったり、充分な努力もできぬまま自分の才能のなさにしてしまう、その最後にここを見つけるなら、最初に存在だけは、PRしておく、旗をあげることは、必要です。

少なくとも、安易に来るなというレクチャーを乗り切った人には、期待しています。

 

 

Q2.

自主レッスンの企画は、どこへいってしまったのでしょうか。個人的に気に入っていたんですが、ひと月しかやらなかったように思います。自主レッスンは、グレード分けの枠をはずし、テーマを設けて、場当たり的なものにせず、同じ問題を抱えた(同じ興味という方がいいか)、さまざまなレベルの人が、材料を提供しあうような場にしたいと思います。外で自主的にやれといわれればそれまでですが、代々木スタジオでやった方が、集まりもよく、内容も濃くなると思います。

 

 

回答

自主レッスンですから、自主的にやりなさいということです。

ここにいる人には、かなりの実力の差があります。

ここでは、必要と思われることは、適時、企画して実行しています。

やっていないこと,続けていないことは,やれないか、

必要の重要度、優先度が低いものです。

でも、あなたが好きに行えばよいのです。